坂東異聞 〜橘高の鬼・弐〜

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:2〜6lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 3 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月20日〜10月25日

リプレイ公開日:2004年10月30日

●オープニング

 地の底から湧き出る海嘯のような勝鬨を、祐は寝殿の暗がりの中で聞いた。
 紙燭の炎はとおに燃え尽き、板張りの広間は寒々とした闇がすぐそこまで満ちている。
「‥‥薄汚い下衆どもが‥‥」
 渇ききった喉の奥から搾り出された呪詛をぼんやりと聞き流し、手を伸ばして傍らに蹲る勘九朗に触れた。主の指にしっとりと身を寄せてくる鴉も、ただならぬ気配を感じているのか常よりも鼓動が早い。
 何に怯えているのだろう‥‥
 白い面を恐怖にいっそう白く歪めて身を寄せ合う母と腰元たちを眺め、少し訝しく思う。
 下衆と呼び、下郎と蔑む。
 取るに足りない烏合の輩に、何が成せるというのか‥‥何人寄ろうと下賤の者は、下賤の者だ。汚らわしきは、高貴なる者に触れることすらできずに消滅する、と。日頃、誇らしげに語っているのは、彼女であるのに。
 辛抱強く撫でさせている勘九朗に視線を戻して、祐は部屋に残してきた小さな竹籠のことを考えた。
 小弥太が捕まえてきた野鼠。
 丸々と太った鼠を勘九朗はどんな風に喰らうのだろう。――ひと呑みにするのだろうか。それとも、生きたまま四肢を喰いちぎるのかもしれない。
 せっかくの愉しみを邪魔されたような気分で、少し腹が立った。

 ――罰を与えてやろう。

 暗がりの中で、祐は幽かに微笑んだ。
 思いついたとっておきの名案に沈もうとした意識は、慌しく廊下を駆ける足音にまたしても中断を余儀なくされる。
「‥‥‥小弥太か‥っ?!」
 切羽詰った母の叫びに、暗がりの中から落ち着いた低い声が返された。

■□

「‥‥‥お祐さまじゃ‥‥」
 冒険者たちが持ち帰った銀の簪と絵姿に、村の年寄りたちはがっくりと肩を落とした。
 絵の中の少女は賞賛に値するほど美しかったが、向けられる視線は忌諱以外の何ものでもない。――黄泉の底から這い出た亡霊。彼らの目には、そんな風に映っているのだろうか‥‥。
「何ということだ‥‥」
「‥‥お祐さまは確かに死んだのではなかったのか?」
 批難めいた視線に腕を組んだ小弥太は、むっつりと不機嫌そうに肩方の眉をあげる。
「―――死んだハズだ」
 間違いない。
 毅然と顎をあげて答えた男とは対照的に、長老たちは苦いものを噛んだような顔をして視線を背けた。
 彼等には、成し得なかったことである。自ら罪を背負った者に感謝こそすれ、責められる者はここにはいない。
 だが、亡霊は現われた。――鬼の子と恐れられた娘は十数年の時を経て尚、この村に戦慄と恐怖をもたらそうとしている。
「‥‥‥しかたあるまい‥」
 吐息をひとつ。
 小弥太は掘り当てた真実に所在無く立ち尽くす冒険者たちに視線を向けた。
「手を煩わせてすまないが、もう少し付き合ってもらいたい。――私ひとりの力では少々手に余るかもしれん」
 何を?
 そう訊ねかけて、口を噤む。ひやりと背筋を撫でる冷気の中に感じた違和感。――彼女は、そこにいるのだろう。
 忌まわしき記憶におののく村を鎮めるために。

 今度こそ。
 あるいは、ようやく――

 村は呪縛から解き放たれようとしていた。

●今回の参加者

 ea0009 御神楽 紅水(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea1488 限間 灯一(30歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea2775 ニライ・カナイ(22歳・♀・神聖騎士・エルフ・ロシア王国)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3210 島津 影虎(32歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea3650 住吉 香利(40歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea4687 綾都 紗雪(23歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea6450 東条 希紗良(34歳・♂・侍・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 かつて――
 このあたりを治めていた橘高家には、祐という名の娘がいた。

 淡く青墨を吹き流した薄曇りの空を見上げ、綾都紗雪(ea4687)は吐息を落す。
 掘り起こされた古い記憶は、村の年寄りたちにとってずいぶん忌まわしいものであったらしい。――冷たく張り詰めた空気は、鬱々ととても重たくて‥‥。
「それにしても、たまげただなぁ」
 とりとめなない物想いに沈みがちな紗雪の思考を引き揚げたのは、田之上志乃(ea3044)の嘆息だった。紗雪同様、この村に渦巻く明かされぬ澹い記憶に想いを馳せているようだが‥‥生まれ持っての性格か、どうも、湿っぽさとは対極の位置にいるらしい。
「仏様の術に死人操りがあるっつぅのは、オラ、おっ師ょさまから聞いたことがあっただども‥‥まさか、小弥太どんが操っておったとはなァ」
 まだまだ、精進が足りねぇなァ‥と。さほど気にした様子もなく、あっけらかんと笑う屈託のない笑顔に肩の力が抜ける。
「ホントだよね。そこまでして知られたくない秘密だったのかな。――あの絵の娘さん。お祐さんって、言うんだね」
 いつの間にか庭に下りてきた御神楽紅水(ea0009)も、ふたりと肩を並べて話に加わった。
「んだ。本物のお姫様なんて、オラ、始めて見ただよ」
 率直にうなずいた志乃だけではない。彼女は紅水や紗雪‥‥村にやってきた冒険者たちの誰とも、遥かに乖離した世界の住人である。
 透きとおるような白い肌。艶やかな黒い髪。少し驚いたように見開かれた大きな眸。――確かに美人だと肯けるその娘は、だが、なにやら不吉さえ感じる禍々しい冷酷さだけが強く印象に残る娘であった。
 志乃が憧れる物語に登場する姫君たちとは、明らかに質が違う。――彼女だけが違うのか。あるいは、本物の姫とはそういうものであるのか‥‥残念ながらその判断はつかなかったのだけれども。
「‥‥他の方々は?」
 紗雪の問いに紅水はその育ちの良さそうな顔にふうわりと笑みを浮かべ、すくめた肩で濡縁の向こうを指した。――重厚な農家特有の薄暗い座敷の奥に。渋面を作ってうつむく村人と、彼らの前に膝を詰めた仲間の姿があった。
「やっぱり私たちには話しにくいコトがあるみたいだね‥‥」
 そう言って、紅水は少し困った風に眉尻を下げる。

 知られたくないこと。
 この村が封印してきた忌まわしい記憶――

「でも、知っちゃったもの」
 そして、関わる以上、事情も判らぬまま動くのは嫌だ。これは紅水だけでなく、この場にいる者たちの総意だろう。


●過去の亡霊
 年寄りたちの口は、皆、一様に堅かった。
 何を隠しているのか。あるいは、何に怯えているのだろう‥‥舘第より持ち帰った姿絵の中の娘を前に、顔をあげることさえままならないほど。
「何時までも心囚われたままでいたいのか?」
 無愛想に紡がれたニライ・カナイ(ea2775)の言葉にも、ただ面を伏せるばかりだ。
 主は救いを求める愛し子らに、必ずや慈悲を与える。それが、神聖騎士たるニライが奉じる慈愛の神の教えだ。
 どちらかと言えば男性的でそっけない口調が、ぬくもりのないものに聞こえたのかもしれない。――余所者にも開かれた江戸の町。種族や国に拘りをもたぬ冒険者仲間に囲まれていれば気付かぬ温度差が、この村には確かに存在する。
「‥‥舘第に向かう道すがら話をしようか‥‥」
 島津影虎(ea3210)を筆頭に。気遣いという名の遠慮にかけるべき言葉を捜しあぐねて口を噤んだ冒険者たちを見回して、小弥太はゆっくりと腰を上げる。
 小弥太、と。誰かが漏らした呻くような掠れ声には応えず、小弥太はゆっくりと座敷を出て行く。――この男だけが、平然と全てを達観しているようにさえ思われた。
 揺るぎない視線は、どこまでも穏やかで。住吉香利(ea3650)の視線に気付いて小弥太小さな苦笑を零す。
「すまないな。――罪と向き合うには、彼らは歳をとりすぎている」
 目を背け、口を拭って生きてきた時間の分だけ。
 蓋をした心の奥に淀んだ悔恨はゆっくりと長い歳月をかけて、恐怖を降り積らせていったのだろう。
「それは‥‥」
 訊ねたいことは山ほどあって。――聞かねばいけないことも沢山あった。島津と顔を見合わせて軽く頷き、香利は座敷に残された姿絵に手を伸ばす。
「これは預かって行っても良いだろうか?」
 東条希紗良(ea6450)が調べた限りでは、特に気になるところはなかったけれど。古来より、絵には呪術的な力が宿ることもあると聞いていた。何かの代になるかもしれない。
 絵心のない東条の目にも、そこに描かれている娘が只人でないことは見て取れたから。「‥‥綺麗なお姫様に見えるだどもなぁ」
 しみじみと嘆息する志乃の言葉に、小弥太は笑う。
「確かに、綺麗なお方であったよ」
 一瞬、懐かしむように双眸を細め、小弥太は堅く封印された記憶の断片を掌に乗せて冒険者たちの前に開いて見せた。

 ヒトを人と思わぬ傲慢さ。
 それは橘高の人間に共通する性質であったらしい。――尤も、これは貴人と呼ばれる種類の人には大なり小なり見られる質だ。万民に優しく理解ある領主など、お伽噺にしか存在しない。位があがり隔てられた距離の分だけ、互いの心も遠くなる。
 橘高の者たちもその例に漏れず、尊大で。歴代の当主の中には、村人の頭を下げるその角度が気に入らないと、首を刎ねた者までいたという。――そのような価値観の中で育った娘だ。あるいは、祐だけの責任ではないかもしれない。とはいえ、被害を蒙る村人たちにとっては、もちろん笑い事ではないワケで。
 さらに悪いことに。祐にはもうひとつ、困った性癖を持っていた。生き物を苛めたり、殺したりすることを楽しむという残虐性が。これは祐だけが持って生まれた業であったらしい。さすがに困ったものだとあれこれ手を尽くしたのだが、残念ながらどうすることも叶わなかった。
「でも、あの大鴉‥‥勘九朗って言うんでしょ。お祐さんが飼っていたんじゃなかったの?」
 首をかしげた紅水に、小弥太は肯く。
「差し上げたのは偶然だが、獲物をなぶり殺して食らう様子がお気に召されたのだろう。飽きもせず眺めておられた」
「‥‥なんという‥‥」
 命とは須らく慈しむものであるはずなのに。
 己の信条とはかけ離れた人の姿に、紗雪は悲しげに顔を曇らせた。
「‥‥あなたはそれを‥‥手伝っていた‥の、ですか?」
「私は元々、橘高の用人でな」
 幼い頃に身寄りを失くした子供が、貴族や領主の屋敷に奉公人として引き取られること自体はそれほど珍しい話でもない。
「なかなか気働きが聞くというので、なかなか重用されておったよ」
 自嘲をこめて小弥太は嗤う。
 皆、祐の性癖を病気だと考えていたという。一時、思うようにさせてやりさえすれば、忌まわしい質は美しい顔の下に隠れてくれていたから。――そして、その対象が犬や猫。罠に掛かる小さな獣で満足しているうちは、まだ良かったのだ。
「――ひとつ、お訊ねしてもいいでしょうか?」
 重い沈黙の中、限間灯一(ea1488)はぽつりとシミのように胸に落ちた黒い疑問を口にする。
 閉鎖的で封建的な価値観から鑑みれば、主人殺しは許されざる罪である。人の法だけでなく、神の理もそれを認めはしない。村人たちが頑なに口を閉ざすのは、その罪の翳に怯えているからではないのだろうか‥‥。
「‥‥小弥太の、お前さんが殺したのかえ?」
 東条の問いに、答えはない。だが、限間に向けられた穏やかな色を宿したその双眸が、その推測が間違いではないことを継げていた。


●橘高の鬼
 寂れた舘第は相変わらず、陰鬱な気配に包まれていた。
 棲み付いた白溶裔を倒しはしたものの、うち棄てられた家はその年月に比例して荒廃を増す。――そこに祐の魂が留まっているかもしれないという先入観を差し引いても、舘第の荒廃は進んでいるように思われた。
「本当にココにお姫さまの怨霊がおるだかね?」
 提灯の明かりを頼りに、朽ちた床板を踏み抜かぬよう足元に注意して歩きながら志乃がまだ釈然としない風に首をかしげる。
 祐がここで死んだのは間違いない。だが、どうして今頃になって‥‥という思いは拭えなかった。
「何故、お祐様はここに留まっておられるのでしょう?」
 殺された恨み。もしかすると、彼女は自分が殺された理由すら正しく理解していなかったのかもしれない。
 予期せぬ死を不服と怨霊になったのならば、何故、今まで沈黙を守っていたのだろう。とおの昔に村人たちの前に現われていても不思議ではないはずだ。だが、妄執に囚われているはずの魂は屋敷から出ることはなく、今も朽ちゆく館第に留まり続けている。
「小弥太殿は何を守り続けて来られたのだ?」
 紗雪に続いて、ニライもまた問いを口にした。
 死人を操ってまで館に人を近づけぬようにしたのは、単に村人を守るためだけではない思惑が存在するように思われて。
「待っておられるのであろうな」
 言って、小弥太は破れた板戸を踏み越える。そこは、先日、島津をはじめ冒険者たちが祐の姿絵を見つけた部屋だった。――あの時感じた冷ややかな気配は、いくらか薄れているようであったが。
「――待つ?」
 変わった言い回しだと思う。
 問いたげに顎を引いた限間の視界の中で、小弥太は床の間に積み重なった廃材を脇におしやった。荒廃に晒され汚れた壁板の歪みに気付くのに、少しばかり時間が必要で。
 目の効く香利、嗜みとしての知識を持った限間の目を通しても、よくよく気をつけて見なければ見落としてしまいそうなほど精緻に作られた仕掛けの向こうに、細い通路が延びていた。
「これは‥‥」
 明かりをかざし、ぱっくりと開いた隧道を覗き込んだ島津の視界で闇が蠢く。なにか、と。よく目を凝らしたその時、それはさっと差し込んだ明かりに牙を剥きだした――

 ‥‥‥キン‥っ

 鯉口を切った鍔鳴りが、暗がりに二振りの金属音を響かせる。
 咄嗟に身を躱したニライの隣で、鞘より抜き放たれた紅水の小太刀が飛び出した影を切り裂いた。
「‥‥‥蝙蝠、か‥‥」
 切り捨てた黒い塊を見下ろして吐息を落とし、東条は刀に付いた血糊を拭う。薄暗い隧道は、暗がりを好む生き物たちの格好の場所となっているようだ。
「このあたりにアンデッドの気配は感じられぬ」
 怨霊の存在を確かめようと神聖魔法を試みたニライは、そう首を振る。どうやら、抜け道はずいぶん奥まで続いているらしい。
 襲撃に備えて作られた抜け穴は、役に立たなかったのだろうか。
「知識として知っていても、実際に使われるとは思っていなかったのかもしれぬな」
 香利の呟きに、限間が小さく頷く。
「さあ、行こうか。――おそらく、この先で待っておられるだろう」
 隧道に足を踏み入れた小弥太の後を追い、東条は胸に支えた疑問を口にした。
「待っているとは、どういう?」
「騒ぎが収まるまで、ここで待つように言ったのだ」
 主殺しを決意した村人たちが、橘高邸に撃ち入った夜。
 娘だけでもと考えたのは、親の心であろうか。――託されて、足を踏み入れた隧道の先に、光はなかった。
 鎮まれば迎えに参りますから、と。
 そう、言い置いて‥‥どれほどの歳月が流れたのだろう。

 悪意ではなく、
 無垢な心のまま、流れる血を欲した娘。

「人を疑うことを知らぬお方であったからな。‥‥その身が朽ち果てても、待っておられるのであろうよ‥」
 淡々と語る男の横顔からは、感情らしい表情は読みとれなくて。
「それは――」
 悲しいことだと思う。
 言葉が見つけられずに、紗雪はただそっと睫を伏せた。
 どこか切ない沈黙の中を歩く。小弥太と並び先導する島津が掲げる提灯の火だけが微かにさゆらぎ、彼岸へ迷い込むような錯覚を抱かせた。
 ふ‥、と。背負った荷物が存在を主張する。香利が声をあげようとしたその目の前で、ほんの一瞬、明かりが翳った。
「‥‥来た‥!」
 東条、そして、ニライの魔法もそれを教える。
 暗がりの中、ぼんやりと浮かぶ青白い炎のような影を見止めて。限間は抜刀した剣に闘気を込めた。東条の闘気魔法を付与された紅水も小太刀を構え、志乃も借り受けた縄ひょうを懐から取り出す。
「‥‥疾く、還られよ!」
 ここは、彼女のいるべき世界ではない。
 高速詠唱により魔法を完成させたニライに続いて、小弥太の身体も黒い光に包まれる。白と黒。ふたつの光に貫かれ、青白い炎は驚いたように大きく揺れた。
 ゆらりと傾き‥‥刹那――
 痺れるような衝撃が冒険者たちの間を駆け抜ける。
「きゃあっ?!」
「ぐあっ!」
 ただ触れていくそれだけで。
 魔法の詠唱により足の止まっていた者。あるいは、躱しきれなかった者。――抱えていた絵が香利の手から滑り落ちた。
 絵の中の娘は、うっすらと冷ややかな笑みを浮かべて彼らを眺める。大きな黒い瞳に映る光には、一片の憐憫さえ見いだせなくて‥‥。
 得物を探り腰に伸びた島津の指に、吸い寄せられるように細く堅い金属の触感伝わった。頼るべき縁をもとめ、指先は無意識のうちにそれを握り締める。
 銀には、魔を払う力があると聞いていた。
「どうか‥‥」
 あるべき場所へ。島津の手から放たれた簪が、紗雪の祈りが紡ぎし白い光に銀色の軌道を描いて姿絵に突き立つ。そして、眩い光が世界を塗りつぶした。

■□

「‥‥綺麗なお姫様だったのになァ」
 夜空を焦がして吹き上がる炎を眺めて、志乃は呟く。
 望んでなれるものではない。そのように生まれついてさえ、天に愛されぬ者もいるのだと知った。
「本当にこれでいいのか?」
「‥‥これ以上は、望むべくもない。ここがあの方の墓になろう」
 燃え落ちる館第に目をむけたまま、香利の問い小弥太は頷く。
「たとえ鬼の子と呼ばれた者とて、安らかなる時を持つことは許されるべきですからね」
 真面目な顔で答えた限間の隣で、紅水もそっと集めてきた花を手向けた。――紗雪、ニライに送られて、浄化の炎は彷徨う魂を天へと導く。
「そなた達には例を言わねばならないな‥‥」
 その死を確かに見届けることが叶った。ひとつ区切りをつけることが出来たから、村は悔恨の呪縛より解き放たれることができるだろう。
「持っていくといい。――おぬしが行く道を違えぬ標くらいにはなってくれよう‥‥」
 差し出された簪は銀の面に揺らめく炎を映して、志乃の手の中でほのかに明るく輝いた。

=橘高の鬼・弐=

●ピンナップ

ニライ・カナイ(ea2775


PCシングルピンナップ
Illusted by 北条 梅