【北国繚乱】 切見世女郎・前編
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:2〜6lv
難易度:やや難
成功報酬:2 G 3 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月25日〜11月30日
リプレイ公開日:2004年12月02日
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●オープニング
1日千両――
黄金の雨を降らせる町がある。
薄暮にいっそう煌々と賑わいを増す吉原の、艶やかな喧騒を断ち切る声が仲之町に響いたのは、訪れた人々が甘やかな夢に身を沈めようとした揺籃の刹那。
通りにそって立ち並ぶ引手茶屋の屋根に潜んでいた頬被りの男が立ち上がった時も、異変に気付いた者は少数だった。
「能無し与力、思い知れっ!!」
響き渡ったその声が、束の間の夢を打ち砕く。
叫びと共に生の卵が次々と従者を引き連れて歩いていた侍に投げつけられ、中のひとつが陣笠の下の顔に当たった。ぐしゃりと潰れた卵から、どろりとした卵液が鼻から顎へと流れ落ちる。
何が起こったのかを知った時、居合わせた者たちは嵐の予感に震え上がった――
■□
通された小部屋には、吉原会所の長半纏に身を包んだ残月が待っていた。
元々、愛想の良い男ではないが、その綺麗な顔はいつにも増して厳しい色を映し出しているように思われて。
「少し困ったことになりました‥‥」
挨拶もそこそこに男は切り出す。
先日、吉原の視察に訪れていた南町奉行所の与力・松浦善衛門なる侍に、何者かが妓楼の屋根から生の卵を投げつけた。――町人がご公儀の侍に公衆の面前で恥をかかせる。この上ない無礼であり、吉原にとっては取り返しのつかない不祥事であった。
「松浦殿は、それはもうお怒りで‥‥」
即刻、下手人を捕らえて引き渡せ、と。会所に詰め寄ったのだという。
普段は全てを会所に任せ昼行灯を決め込んでいる面番所の隠密同心たちも、この時ばかりは狸寝入りを決め込むわけにも行かず――
「‥‥会所としても、ここで面目を失うわけにも参りません」
今一度、“ぎるど”の助力を仰ぎたい。そう言って、残月は懐から折畳んだ紙を取り出した。
「会所の者がこんなものを拾いました。――投げられた卵を包んでいたもののようで‥‥」
握りつぶされたのかしわくちゃになった懐紙には、たどたどしくおぼつかない筆跡で短く、
『さだのあだ』
と、書き殴られていた。
子供の落書きのようなそれは、だが、ひどく逼迫した怨念のようなものが篭っている。下手人はこのひとことを記すためだけに、文字を覚えたのかもしれない。
「他に何か手がかりはないのかい?」
これだけで犯人を追うには余りにも頼りない。訊ねた冒険者に、残月は形の良い眉を僅かにひそめる。そして、少し考えるように親指の腹で唇を撫でて、言葉を紡いだ。
「河岸見世の女郎のひとりがその地売りの卵を買ったとか。――本人は滋養の為だと申しておりますが‥‥案内が必要であれば、そのように」
鉄漿溝と高い塀によって隔てられた吉原は、陸の島。夢を売るのが仕事とはいえ、中の者たちは当然生活をしなければならず、客に出す仕出しを商う店もある。誰もが自由にとはいかない分、足がつきやすい。
「我らも出来うる限り助力させていただきますゆえ」
そう言って、残月は丁寧に頭を下げた。
●リプレイ本文
四角い卵と遊女の誠、あれば晦日に月が出る
芝居や戯作、遊女を扱ったものの全てが悲劇であるように――
廓に生きる女たちにとって“情”に流されることは、即ち身の破滅を意味する。
贔屓だ、馴染みだと思わせるのも、いわゆる手練手管というやつで‥‥決して、タダで遊べるわけではない。女郎の揚げ代のみならず、茶屋への引き料、幇間・遣手・若いものへの懐銭、酒に仕出しにその他諸々。とにかく、湯水のように金が要る。踏み倒そうものなら二度と茶屋へは上がれないばかりか、負債の全てが遊女の身に負わされる仕組み。いかにおもしろおかしく、そして気前良く大枚を払うか‥‥吉原での名声はそこにかかっていると言っても過言ではない。
仲之町を見下ろす半籬の座敷にて、ごっそり目減りしているであろう財布を思い鷹見仁(ea0204)はちょっぴり苦い笑みを零した。
「‥‥美しい花には棘があるというが‥」
畳に広げた和紙を挟んだ上座に幇間を従えた女は、絵筆を取る駆け出し絵師の視線に艶やかな笑みを浮かべる。
●隣合わせの闇
路地はひとつ折れ曲がるたび細く、狭くなり、間口一間の見世がずらりと並ぶ三の長屋に着く頃には、1人がやっと通れる幅になっていた。
うっかり踏み込めば容易く迷ってしまいそうな入組んだその路地に知己を尋ねた環連十郎(ea3363)も、鷹見とは別の苦笑を零す。
改めて見回すと、なかなかに壮絶な環境だ。板引戸と羽目板で隔てた薄い普請は目隠し程度。時折、女の嬌声が高く低く、重く濁った空気を揺るがせる。汗と精、汚水、あるいは、近くにあるという鉄漿溝の臭気だろうか。紅白粉の匂いが漂う仲之町とはまるで異なる闇の快楽の地だ。
「‥‥それで、今日は何を訊ねておいでかえ‥?」
ちくりと刺されて、思わずにやりと笑が零れる。思えば、最初にここを訪れた時も、手がかりを探していたのだった。
「まぁ、そう言うなって」
これも任務だ。お役目だ。
「お代はタダ、とは言わねぇ。一晩、俺が姐さんを借り切ってやろう。そいつで満足したなら、口を滑らせてくれや」
環の提案に女郎は笑う。そして、ゆっくりと鷹揚な所作で煙管の火口に刻みを詰めた。安っぽい紫煙がゆるりと天井に立ち昇る。
■□
「吉原に“さだ”という名に纏わる方はいらっしゃいませんでしたか?」
懐紙に記された、“さだのあだ”――安易に考えるならば、“さだの仇”と読むのが妥当だろう。
そう切り出した松浦誉(ea5908)に、残月はわずかに双眸を細めて顎を引いた。さほど珍しい名前でもない。吉原の遊女1000人。全てを当れば、おそらく何人かは該当すると思われるけれども。
「ええ、と。浄閑寺へ行ってきたんだけど‥‥」
小槌で大地を打つような――つまり、外れっこない推測からもう少し的を絞って無縁仏となった遊女を弔う寺へ足を運んだ御神楽紅水(ea0009)は、住職の言葉を思い出すように頬に手を当てて小首をかしげた。
「最近、亡くなった遊女さんの中には、“さだ”って名前の人はいなかったみたいだよ」
与力に卵をぶつける行為。そして、その卵を包む紙に書かれていた“さだのあだ”。投げた者は、“さだ”に代わって晴らせぬ恨みを込めたのだ。――それが誰であっても。もうこの世にはいない気がする。
「‥‥与力殿が吉原に視察に参られる日取りは予め知ることができるのでしょうか?」
茶屋の屋根で待ち伏せするのも、生卵を用意するのも。与力が吉原に足を運ぶことを知っていなければ出来ぬこと。松浦の問いに、残月はあっさりと頷いた。
「その気になれば。‥‥奉行所へは吉原から少なからぬ金子が上納されております」
他にも吉原に関わる与力や同心には紋日のたびに、幾許かの小判が包まれるのが慣わし。それを目当てに訪れる者がほとんどであるから、金の用意が整わぬ抜き打ちの視察はないに等しい。――吉原に暮らすものなら、いくらでもそれを知る機会があるということか。
「アイリスも太夫の皆さんから話を聞いてきたですよ〜」
無聊をかこつ太夫たちに笛を教えるという名目で妓楼に入り込んでいたアイリス・フリーワークス(ea0908)も拾い集めた情報を携えて話し合いに顔を覗かせた。
日本には珍しい羽根妖精は、黙っていても人の目を引く。その上、可愛いらしく愛想よしとくれば物珍しさも手伝って、遊女たちの口もいくらか軽い。――ともすれば、見世物のような視線を向けられるのは少しばかり複雑だけれど。
「あの日、妓楼の裏座敷にいらしたお客様の中に座を外した人はいないそうですよう」
事件の直後、楼に飛び込んだ役人たちは裏座敷でひっそりと酒を酌み交わしていた人足たちを捕らえ、女郎共々面番所へと連れて帰った。だが、どう調べても仲間で座を外した者はいないという。場にいた女郎がそれを証言し、遣手も一階の客が二階の屋根に上がったことはないと言い張った。両隣の妓楼からも抜け出した遊客はいないとの報告があがっている。
「‥‥店の裏からいそいで屋根に登ったり降りたりするのは、よほど身の軽い人じゃなければムリだと思うです」
アイリスはお空を飛べるのでへっちゃらですけど。そう胸を張ったアイリスにやわらなか笑みを向け、紅水も小さな吐息を落した。
「そうだね。お見世にあがる遊女さんたちはみんな着飾ってるし。それに‥‥」
見栄と張りに生きる女郎が己の手を汚すとも考えにくい。
「そういえば、卵を買い求めた女郎‥‥いくでしたか?‥‥については」
思い出したように残月に目を向けた松浦に、会所の番方を務める男はその秀麗な顔にわずかばかりの表情を動かす。
「いくは揚屋の半籬で紅葉という名で板頭(稼ぎ頭)を張ったこともある女ですよ。上質の客もついていた。が、年には勝てねえ‥‥追い討ちをかけたのが胸の病だ」
いつしか羅生門河岸にまで落ちやがった。吐き捨てるように呟いた残月の顔が、一瞬、苦渋に歪む。
「紅葉が吉原に身を沈めたのは15年以上も昔の話。――神田あたりの長屋生まれだということだが‥‥それ以前のことは、直接、請け人にでも聞く必要があるかと」
少なくともこの15年、件の与力との直接的な関わりは見あたらない。松浦が吉原あたりに役目を拝したのは、つい最近のことだ。
「そのいく‥‥いや、紅葉のところへ、ここ半月ばかり三〇前後の男が出入りしているそうだぜ」
「連十郎さん!」
よっ。と、湿っぽくなった空気を断ち切って座敷に姿を見せた環に驚き、アイリスがふわりと翅羽を広げて宙に浮く。
「聞き込みお疲れ様でした」
軽く会釈をよこした松浦に意味ありげな笑みを投げ、環は盆に載せられた番茶の急須に手を伸ばした。
遊女の許に通う男がいる。それ自体は珍しいことではない。だが‥‥
「紅葉の見世の隣に住んでいる女に聞いたんだが。紅葉はずいぶん嬉しそうにその男を迎えてるって話だ」
「それは‥‥まぁ‥」
返答に窮して思わず苦笑を浮かべた松浦に、環はしてやったりの笑顔でにやりと口角を吊り上げる。
「ところが、だ。――肝心のアレの気配がねえそうだぜ」
薄い板壁を通して何やらひそひそ話しこんでいる様子は伺えるのだけれども。もちろん、吉原に足を向ける男の全てが、女を泣かせるために通うわけではない。
「もう、環さんったら。年頃の女の子がいる前でする話じゃないよ」
ほんのりと頬を染め、ぺしりと袖でぶつ真似をした紅水の抗議に、少しも悪びれずに詫びながら環は、緊張の途切れた面々を見回した。
「おや、鷹見の旦那はどうした?」
「‥‥‥あちらもお楽しみのようですね‥‥」
後朝の別れはいずこも辛いもの。
滅多に会えぬ相手であれば、なおさら後ろ髪ひかれるのだろう。――ほのぼのとした苦笑が広がった。
●見えざる遺恨
「‥‥松浦という与力の評判、あまり芳しくないようだな」
それとなく南町奉行所の周辺に探りをいれた丙鞆雅(ea7918)の報告に、岩峰君影(ea7675)は眉をしかめる。
単純に卵を投げた者の思い込みや人違いという可能性もないわけではない。そう好意的な解釈で松浦の周辺を調べ始めた岩峰であった。
もちろん、人斬りなど極端に困った癖があるわけではない。
だが、その仕事ぶりに関する評判――手札を受けぬ目明しの者や、奉行所に関わる町衆にそれとなく探りをいれてみたのだが‥‥返されたのは丙と同様、あまり誉められたものでなく。
「大して調べもせずに事件を裁くとか、そういったものだが。――それと、上野のあたりの賭場にも出入りしているらしい」
賭けが目的なのか。賭場を仕切る香具師が納める目こぼし銭が目当てなのかは、微妙なところだが。
「それと‥‥松浦与力が扱った事件について、ひとつ、気になる事件がありました」
気難しげに眉根を寄せた岩峰の様子に丙と顔を見合わせた後、島津影虎(ea3210)は耳に入れてきた事件を語る。
「2年ほど前の話になりますか。賭場帰りの客が殺されたことがあったそうです。その下手人として南町に召し捕られ、打ち首になった者が――」
定吉という名前であったらしい。
裁きにかけられ刑場に引き出された時も、定吉は最後の最後まで潔白を叫んでいたのだそうだ。
「しかし‥‥」
罪を犯した者の中には、最後まで自分は無実だとシラを切り通して死んで行く者もいないワケではない。――定吉は下駄職人の親方との些細なこじれから店を飛び出した後、ぐれて賭場に出入りするようになったこと。そして、遺体のすぐ傍に彼の名を記した鑿が落ちていたのが有罪の決め手になった。
尤も、被害者となったお店者の出入りしていた賭場の客筋がお店崩れの半端者である定吉には少しばかり敷居が高いこと。奪われた数十両の金が何処を探しても出てこなかったことなど。奉行所内部でも早い時点でいくつかの矛盾点が指摘されていたのだそうだが‥‥松浦はそれらの声に耳を貸す気配はなかったらしい。
「‥‥定吉には年の離れた姉と弟がいたそうだ。母親を早くに労咳で亡くし、父親も同じ病で倒れたとか」
親の薬代を得るために姉は自ら苦界に身を沈めたという。その甲斐なくほどなく父親がなくなって定吉は下駄職人の親方に、弟は大工の棟梁の弟子として引き取れた。
「大工か‥‥屋根葺きの職人なら切見世の屋根から表通りの屋根に這い上がるのも簡単かもしれんな」
ぽつりと落とされた岩峰の呟きに、弟という単語に只ならぬ感情を抱く丙が、何を思ったのか盛大な吐息を落す。定吉兄弟の身の上を我が身に置き換えれば、これ以上の不幸はない。なにやら物思いに沈んだ様子の丙にちらりと視線を投げて、岩峰はやれやれと肩をすくめた。
「松浦は、定吉が苦界に身を落とした姉を請けるために金を用意したかったのだろうと主張したそうだ」
そして、その主張が通り、定吉は強盗の下手人として裁かれ、刑場の露と消えた。――無実を叫んだその声は、届くことなく踏み潰されて。
「‥‥もし、定吉が間違った沙汰を受けたのだとしたら‥‥」
一度、出された裁きがそう簡単に覆るものではないということは、想像に難くない。だからこそ、卵を投げた者は、せめてもの報復として、松浦に恥をかかせようとしたのだろうか。
地売りの行商から卵を買ったという女郎と定吉がつながれば‥‥。
「卵を売った商人の話では、いくという女郎。事件の日だけでなく、その前日にも卵を5つほど買っているそうです」
そう言って、丙は眉間にシワを刻んだまま考え深げに首を捻る。――それだけの数を買っているのなら、ひとつ、ふたつと飲まずに取っておくのも造作ないこと。
だが――
残月の話では、いくは胸を病んでいるという。
卵はいくの命をつなぐ精のもと。――今にも途切れんとするかそけき未来を削ってまで、与力にぶつけんとする遺恨の深さに吐息が落ちた。