【北国繚乱】 切見世女郎・後編

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:2〜6lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 3 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:12月12日〜12月17日

リプレイ公開日:2004年12月20日

●オープニング

 弱いくせに賭け事に滅法目がない。
 浅草の煙草商常陸屋の隠居、希兵衛もそんなよくいる道楽者のひとりだった。
 希兵衛の常連にしている賭場は、上野界隈の料亭や仏閣を転々と開かれるもので香具師の雁宰が仕切って、大店の主、僧侶、職人の棟梁など客筋の良いことで知られている。
 常連とはいうものの、希兵衛の戦績は散々で‥‥。勝ったためしはほとんどない。
 およそ二刻ばかりを遊び、十両をスると賭場をあとにする希兵衛は雁宰にとっていわゆる上鴨のひとりに数えられていた。
 むしむしと暑さが続くその夜、
 そんな希兵衛に気紛れな賽の神様が色気を見せた。張る目、張る目がことごとく当たり、見る間に駒札が積みあがったのだという。
「あまりついていても後が怖い。今夜はこの辺で――」
 そう胴元に換金を頼んで腰を上げた頃には、両の手で抱えきれぬほどになっていた。
「常陸屋の旦那、今日は上々吉だねぇ。帰り道、気をつけてくださいよ」
 代貸しの大次郎が、希兵衛の前に九〇両を差し出して言ったという。希兵衛は九〇両を懐にしっかりとしまい、賭場を後にした。――そして、翌朝。池之端の近くの水路で、遺体となって見つかった。
 もちろん、懐の九〇両は消えていた。
 現場の近くに定吉の名を記した鑿が捨てられていたこと。
 そして、定吉が半年前に博打好きを咎められて修行中の下駄職人の親方の元を飛び出して周辺の賭場を転々としていたことなどが目明しや同心の捜査に掛かったのだという。
 召し捕られ詮議を受ける間、そして刑場に引きたてられるその時も、定吉は無実を叫び続けていたというが‥‥。


■□


「――つまり、無実の咎で打ち首となった定吉の無念を僅かでも晴らそうとした者が、与力殿に卵を投げた、と‥‥」
「困りましたな。番方」
 このまま調べを進めれば、おそらく卵を投げた者を捕まえるのは難しくはないだろう。だが、下手人を召し捕らえ奉行所に突き出すのは、なにやら心に座りが悪い。
「松浦という与力の評判はいまひとつ。それに、もし奉行所の裁きが間違っていたのなら‥‥」
 卵を投げた者は、定吉の仇を取ったことになる。吉原の見栄と意地。そして、江戸の町衆がどちらに快哉を送るかは、日を見るより明らかだ。
「このまま調べを続けてよいものでしょうか?」
 残月の問に、座した老爺は無言で陶磁の茶器に手を伸ばす。ゆるゆると茶を飲み干して、男は
「いずれにせよ、白黒つけねば奉行所はおさまりますまいな。――今少し、確かな証しを手に入れてくだれよ」
 “ぎるど”はなかなか得がたい人材を擁している様子。そう告げた会所の主に、残月は深く頭をさげた。

●今回の参加者

 ea0009 御神楽 紅水(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea0908 アイリス・フリーワークス(18歳・♀・バード・シフール・イギリス王国)
 ea3363 環 連十郎(35歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea5908 松浦 誉(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea6177 ゲレイ・メージ(31歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea6264 アイーダ・ノースフィールド(40歳・♀・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea6764 山下 剣清(45歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea7918 丙 鞆雅(35歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 銀刃の如く研ぎすまされた星影に霜が光る。
 市中を走る無数の水路から立ち上る川霧が痺れるような冷気を広げ、江戸の夜更けをその懐へと包み込んだ。
 何かと慌しい年の瀬の風も、日暮れまで。通りに軒を連ねる商家も、夜の間はしっかりと戸締りをして寝静まっている。――木と紙で造られた建物の特質上、江戸の町は火に弱い。食事の支度、暖を取るのにも細心の注意を払う江戸で、夜更けに煌々と灯を絶やさずにいるのは相当な贅沢だ。
「‥‥やっぱり夜は冷えるね‥」
 薄く光の洩れる建物を遠目に眺め、御神楽紅水(ea0009)は白い息を吐く。
 賭場に出入りするという与力の後をつけてきたものの、女性の出入りは流石に目立つ。育ちの良さそうな風貌も手伝って、紅水には少しばかり敷居の高い場所だ。――それは、羽根妖精のアイリス・フリーワークス(ea0908)にも同様で。
 今は、客として潜り込んだゲレイ・メージ(ea6177)と丙鞆雅(ea7918)が帰ってくるのを待つしかない。
「‥‥アイリスの生まれたところも寒かったですが、江戸もやっぱり寒いですよう」
 冬は寒いものだとはいえ、ろくな準備もなくこんなところで待っていたら風邪を引いてしまいそうだ。
「ここはゲレイさんたちにお任せして、アイリスたちは別のところを当るのが良いと思いますよう」
 賭場帰りの客の懐を当てにした屋台や酒場など。
 2年前とはいえ、大きな事件だ。もしかしたら、覚えている者がいるかもしれない。


●遊興費は2G
 吉原で遊びたいと山下剣清(ea6764)が差し出した金子に、環連十郎(ea3363)は吐息をひとつ。
「ちょいとばかりしわいなぁ‥‥」
 江戸唯一にして公認の色里は、見栄と意地の町。大名や豪商といった名士を相手にするだけに衣食住、あらゆる面において一流を誇り、気位も高い。「廓のしきたり」なんて面倒な法もある。ふらりと入って好きな女を指名すれば、すぐに遊べるといった簡単な場所ではないのだ。
 もちろん、山下の予算でも楽しむことは可能だ。――例えば、環が懇意にしている遊女が住まう河岸見世。あの界隈で遊ぶなら、1両払ってもおつりがくる。女の身体だけが目当てなら、鉄漿溝沿いの河岸見世に直行すればいいのだが‥‥それを、遊ぶといって良いものかどうか‥‥悩むところだ。
 ひとまずは仲之町の張見世で遊女を見立てる。
「俺の好みは身体つきの良い子かな」
 指名する遊女が決まれば登楼し、遣り手と呼ばれる年配の女に金を払って指名すれば格に合わせた座敷に通されるのだが‥‥
 ここからが、大変だ。
 初回は遊女の顔を見るだけ。いや、こちらが見られるというのが、あるいは正しいのかもしれない。
「‥‥まぁ‥‥頑張れよ‥」
 そう言い残し、そそくさと逃げ出した環であった。


●切見世女郎
 山下の健闘を祈りつつ見世の表に出た環を待っていたのは、アイーダ・ノースフィールド(ea6264)と残月のふたりだった。
「あんまり変わってねぇみたいだが‥‥」
 いつもと変わらぬアイーダの様子に少しばかりガッカリした顔をした環に、残月は小さく笑う。
 外国人でしかも女性のアイーダが怪しまれずに吉原の中で活動するには‥‥。と、いくつかの案を持って残月に相談を持ちかけた結果、ヘタな小細工はしない方が良いようだという結論に落ち着いた。
 吉原に暮らしているのは、遊女ばかりではない。
 妓楼の主をはじめとして、芸者、幇間、衣食の世話をする者たちも大勢いる。その中に紛れてしまえば‥‥外国人であるのはどうしようもないが‥‥会所に雇われて仕事をしているのだと言えば、それ以上はつっこまれないだろう。
 いくに会いに来るという男を待ってその後を尾行する手筈を整えたアイーダを路地に残して、環と残月のふたりは見世を兼ねた長屋の戸を叩いた。
「いくさん、会所のモンだ、邪魔するぜ」
 そう断って、引き戸を開ける。
 三尺ほどの三和土の向こうに板の間、二畳間と続き、布団が敷いてあった。環の馴染みの姐さんの長屋と間取りは同じであるから、こういう造りなのだろう。
 女は板の間に胡坐をかいて煙草を吸っていた。――美人ではないが、すこし憂いを帯びた顔立ちが何やら心に残る。
「残月さんかえ?」
 そう言った途端、いくは咳をした。肺を病んだ者特有の弱々しい、そして、切迫した咳だった。
「身体はどうだい?」
 板の間に腰を下した残月の言葉に、いくは薄く笑う。
「まあ、なんとかさ」
「無理は禁物だぜ」
「なんだえ、会所の残月さんが羅生門河岸に顔を出すなんて。そちらのお侍は――」
 残月から環へと視線を移したいくに、環は卵売りから買い取った卵を懐から取り出した。
「なあ、紅葉。小細工なしに聞くぜ。お前さん卵を買っていくそうだな。その卵、どうしてるんだい」
 とん、と。灰盆に杯を落とし、いくはにやりと口角をゆがめた。
「与力をこのいくが襲ったと言いなさるか」
「そんな馬鹿は考えてねえ。だが、あんたのところに出入りしている客が、な‥‥その与力を襲った男に似てるってネタが上がってなぁ」
 いくの表情がわずかに動く。だが、青白いその顔をよぎった翳は瞬きひとつほどで消え、女はつと立ち上がると二畳間の奥にある半格子の勝手へ向かうと小さな竹籠を抱えて戻ってきた。
「今朝も5つばかり買ったよ。昼間にひとつ啜ってねぇ、残りは4つだ」
 それが何の言い訳にもならないことは環だけでなく、いくにも判っていただろう。


●水よりも濃い縁
「大家の孝兵衛さんのお住まいはどちらでしょうか?」
 松浦誉(ea5908)の問いかけに長屋の溝をさらっていた男は手を止めて顔をあげる。長物を腰に下げた松浦と、町人姿の残月を交互に眺めた。
「木戸を戻りねえ。右手に曲がった三軒目だ」
 残月が男に礼を言い、ふたりは来た道を引き返す。
 紅葉太夫の身元引受人は、神田界隈のいろは長屋の差配・孝兵衛とあった。紅葉こといくが吉原に身売りしたのは、17年前。――彼女はその17年の間に、吉原の光と闇、ふたつの世界を知ったことになる。
「いくのことだって。ずいぶん昔の話だ」
 でっぷりと太った孝兵衛は、上がりかまちにふたりの訪問者を座らせて首をかしげた。
「もうここにいくの親類縁者は住んでおりませんな」
 そう頭を振った孝兵衛に松浦と残月は顔を見合わせる。17年といえば、確かにずいぶん昔の話だ。
「いくのお父つぁんの伝三は腕のいい飾り職人でな、おっ母さんと娘ひとりに倅がふたり。うちの長屋には所帯を持ったときから住んでいたのさ‥‥」
 それが、母親が胸の病で亡くなり、続いて伝三が同じ病にかかったという。その治療代を出すために、いくは自ら進んで吉原に身を売った。
「だがよ。いくが吉原にいって半年もしねぇうちに伝三がなくなってさ。いくの弟ふたりはこの長屋を出て行く羽目になったのさ」
「いくつでしたね?」
 残月の問いに孝兵衛は、お内儀の運んできた熱い茶をひとくちすすって目を細める。
「兄の定吉が14歳。弟の尚次が13歳だったかねぇ」
 ‥‥繋がった。
 すすめられた茶碗に手を伸ばし、松浦はその確信に吐息を落とした。


●常陸屋殺し
「希兵衛を殺した犯人は、希兵衛が賭場で90両を儲けたことを知り、定吉のことも知っていたので、定吉にその罪をなすりつけたのだろう」
 メージの推理に、意義を唱える者はいなかった。
「容疑者としては、香具師の雁宰、代貸しの大次郎。その晩、賭場に出入りしてた客などがいるわけだが‥‥」
 さすがに2年前の話となれば、所在がはっきりしているのは香具師の雁宰、代貸しの大次郎くらいだが。
「常陸屋さんの遺体を最初に発見したのは、左官職人の安二郎って人なんだけどね‥‥」
 興味深げに火鉢に手を翳したり仕組みを眺め回したりしているメージと、何やら考え深そうに腕を組んでいる丙に熱い湯呑みを差し出しながら、紅水はそう切り出した。
 正月も近い。流しの神楽舞と称してアイリスの笛を伴奏に舞を拾うし、奉行所近くの小料理屋や酒場などを当って当時の記憶を集めて回った成果だ。
「事件の直後に、行方知れずになったそうですよ」
 アイリスがそれを引き継ぐ。与力の周辺と事件の記録を調べていくうちに、もうひとつの不思議なことが浮かび上がった。
 若い同心のひとりが、事件を洗いなおそうとしたのだという。すると、安二郎の言動がどうもあやふやで落ち着かない。若い同心が安二郎の棟梁に問い直している間に、当の男が行方をくらましたのだ。
「後で判ったですけど。――その安二郎って人は、以前、定吉さんと同じ長屋に住んでいたことがあって、雁宰の賭場にも一緒につるんで出入りしていたです」
「それで、その同心さんは与力さんに上申したんだけど。一度、下されたお裁きだから‥て、うやむやにされちゃったらしいの」
 酷いよね、と。それぞれ憤懣やるかたなしといった表情で頷きあう紅水とアイリスを眺め、メージと丙も顔を見合わせる。
 そう。もし、真犯人と見つけたとして。一度、判決が下ったものをどうやって奉行所へと訴え出るか。奉行所のメンツにも関わる話。内々に話をつけようというのが、メージの腹心算であったが、それでは「さだのあだ」の下手人は納得しないだろう。――卵を投げた者は、松浦与力の失態を大衆の前で糾弾したかったのだから。
「その、安二郎という男だが」
 今度は山下がおもむろに切り出した。数度、吉原にも姿を見せたことがあるらしい。――大金をばら撒くということもなく、すぐに姿を見せなくなったというが。
「卵売りの方はイマイチだな」
 環と同様に引き続き卵売りを当った丙だったが、こちらの方は大した情報も得られなかった。
 卵を求める者はいくだけでなく、また、誰が購入しても不審に思われるものでもない。いくではなく、下手人本人が買ったの可能性もあると話を聞いてみたのだが。
「生卵を懐にいれて大門をくぐる野暮はおりますまい」
 残月はそう苦笑をこぼした。
 吉原へ通う者たちは、まず大門にて衣服や持ち物を改められる。――脇差しなら問題はないが、槍や長刀といった大きな武器はここへ預けていかねばならないのだ。
 生卵を持って入るのは、もちろん不可能ではないが奇異に思われるのは間違いない。大門に詰める隠密同心たちも、流石に覚えているだろう。
「‥‥松浦与力は‥」
 いくと定吉のつながりを明らかにしたと報告した松浦をちらりと一瞥し、丙がゆっくりと自分が調べたことについて口を開いた。
「雁宰の賭場からいくらかの上納を受け取っているのは間違いなさそうだ」
 ただ、90両に目が眩んで希兵衛を手にかけたというのは、すこしばかり強引にも感じられる。与力というのはアイーダが思っているほど高位の役人ではない‥‥どちらかといえば、下級の部類に入る侍だ‥‥が、そう簡単に道に外れられるお役目でもない。――いくらかの金を受け取る役人がいることについては寛容でも、人を殺して金を奪うのは問題外だ。
「むしろ、メージ殿の推察通りかと思われますね」
 希兵衛に渡した金が惜しくなったのだろう。安二郎を巻き込んで希兵衛を殺し定吉に罪をおしつけるお膳立てをした。もちろん、松浦与力にも下手人捕縛の手柄と、少なくない目こぼし金が渡っているに違いない。
「どうやら、このあたりが真相のようだな」
「なんと阿漕な‥‥」
 定吉はやってもいない殺しと強奪の罪で処刑された。それを知った姉と弟が吉原に訪れた松浦善衛門に卵を投げつけ、その恨みをいくらか晴らした事件ということになるのだろう。
 丙と松浦は、ほぼ同時に顔を見合わせて吐息を落した。――共に兄弟のいる身、我が身と置き換えれば、いくと尚次の心中も察するに余りある。


●切見世女郎
 環とアイーダが再びいくの三の長屋を訪れたのは、翌日のことだった。
「‥‥尚次さんから話を聞きました」
 疲れきった顔で布団の上に足を投げ出して座っていた女は、はっとしたように静かに切り出したアイーダに視線を向けた。
「詳しくは話しません。ただ、私どもはあなたと弟御が定吉の仇を見事にとったことを承知しております」
 居住まいを正して座りなおしたいくにそう告げて、松浦は青白く痩せた女に静かな視線をむける。
「俺は別にお前らを奉行所に突き出そうとか考えている訳じゃねぇ。奉行所が定吉に下した沙汰には、やっぱり納得できねえしな」
「‥‥ありがとうございます」
 環の言葉に、いくは深く頭を下げた。襟足から痩せた背中が覗く。――骨と皮ばかりのその姿には決意のようなものがうかがえて。
「せめて、若い尚次だけは助けてやりたい」
 そのために、メージが奔走しているが‥‥。
 本国である勝手の違う日本。そして、身分という壁は、はやり一筋縄ではいかぬほどに分厚く高い。
 険しい道であることは、皆、承知していた。
「だが、それだけは必ず約束する」
 断言した丙に、板の間に額をすりつけて平伏したいくの顔の下から細い嗚咽が洩れた。

■□

 残月の報告を受け、座敷の奥に座した老爺はゆるゆると息を吐き出す。
「誰ぞ人身御供を差し出さぬことには、南町は吉原を許してはくれますまいな」
 さて、いかがしたものか。
 独白にも似た呟きに、残月はその綺麗な顔に何の表情も浮かべずただ沈黙のうちに頭を垂れた。