【北国繚乱】 〜切見世女郎・始末記〜
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:2〜6lv
難易度:難しい
成功報酬:2 G 3 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月27日〜01月01日
リプレイ公開日:2005年01月04日
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●オープニング
不思議な緊張感が漂っていた。
遊女が客を誘う声、登楼した酔客をもてなす芸者衆の謡い。華やかで、艶やかな喧騒にどこかよそよそしい空気が漂う。――慌しい中にもどこか晴れやかな浮かれ気分が見え隠れする年の瀬の風とは違い、肌を冷やすばかりの冷気だ。
視察に訪れた与力に卵を投げた下手人を探し出し、奉行所に突き出すよう申し入れた奉行所の期限が迫っている。皆が、それを知っていた。――そして、誰もがその顛末に気を揉んでいる。
訪れた使いの同心が会所の表へ足を踏み出したその時、暮れなずむ宵闇の空に高い笑声が響いた。
「なんじゃあれは」
奉行所の使いと会所の者たちが、声のした仲之町の辻へと走る。
そこで、彼らが見たものは――
「南町の能無し与力に卵を投げたのは、私だよ」
妓楼の屋根に仁王立ちに立ったいくが、声を張り上げて次々に卵を投げ落としていた。その異様な光景に、しんと静まりかえった喧騒が俄かに割れる。
「なんと、女郎が卵を投げたとよ」
「女を捕らえよ!」
使いの声に、従う小者が畏まった声を発して身を翻した。その様子を目で追って、屋根を屋根を見上げた遊客の中から、酔狂者が問をなげた。
「女郎さんよ。なんで南の与力に卵なんぞ投げつけたんだい?」
「それが聞きたいかえ? 二年前、南町が罪もない弟の定吉をどんな目に遭わせたか、懐の手紙に書いてあるよ」
いくは狂ったような高笑いを響かせると、懐から書状と出刃包丁を取り出す。
落陽にきらめいた白刃に、あ‥と、息を呑んだ時には手遅れで。
「卵を投げた罪はこの身で償う!」
そう叫び、いくは高々と振りかざした出刃包丁を、痩せた胸へと突き立てた。
「わぁ!!」
「やりやがった!!」
湧き起こった悲鳴と喚声が黄昏の帳をゆるがせる。
よろよろとよろめいたいくの身体は、くらりとかたむき妓楼の屋根から転がり落ちた。叩きつけられた大地に、胸から流れ出す血が赤く広がる。
遊客たちの視線がいくが手にした書状に行き、死をもって奉行所を糾弾した女郎への同情に変わった。そして、その感情はすぐに奉行所への怒りへと変わり――
■□
会所の座敷に冒険者たちが集められたのは、3日後のことだった。
口を開く者はいない。かけるべき言葉さえ、今は、見つけることができなくて。
ただ唇を噛んで俯く冒険者たちをゆっくりと見回し、残月は静かに懐から藍染めの包みを取り出す。――何が包まれているのかは改めずとも察しはついた。
「‥‥紅葉はその身を持って意地を通した。下手人が死んでは奉行所も諦めざるをえないでしょう」
これで、事件は形ばかりの収束となる。
だが――
「罪を隠し、口を拭って安穏としている下郎がおります。――彼奴らを始末していただきたい」
「‥‥それは‥」
闇に生まれた事件なればこそ、闇から闇へ。
“ぎるど”が決して請け負わぬ仕事のひとつだ。一瞬、視線を宙に泳がせた冒険者たちに、残月は深く頭を下げる。
「吉原の女は皆、紅葉の味方にございます」
紅葉の仇を討ち果たしてもらいたい。――それが、吉原の総意なのだ、と。
●リプレイ本文
晦日の空に月影はなく――
研ぎ澄まされた冷気の裡に、ただ、粛々と闇が広がる。
冬枯れた木立を揺さぶる細く甲高い風の声。水路を流れる冷たい水が護岸を洗う単調な旋律だけが、強く張りつめた世界に満つる静謐に響く音だった。
慌しい年の瀬の賑わいも日が落ちるまで。塀を連ねた家々はいずこも堅く木戸を閉ざし、こそりとも中の気配を伝えない。
音もなく瞬く星々の細くかそけき燐光の下、白くけぶって降り積る刻の沈黙だけが鬱々と。
深く、深く、深く‥‥
●揺れる想い
「うゅ〜、やっぱり気が重いですよ〜」
取り出した越後屋手拭いを手慰みに広げたり、畳んだり。アイリス・フリーワークス(ea0908)は、暗がりに白い吐息を落す。
その結論に至るまでの長い道。託された想い。晴らせぬ無念。全てを見届けることを心に決めて‥‥納得して、引き受けた。
それでも、心は揺れる。静かに降り積る重い重い沈黙と。逸る心とは裏腹に、1日千秋にも感じられる長い長い刻の狭間で。
“ぎるど”が決して、請け負わぬ仕事のひとつ。
晴らせぬ恨みを晴らしてほしい、と。想いを彼らに託したのは会所であった。吉原という艶やかな夢から零れ落ちた、悪夢の欠片。ひとりの女郎の涙と血、命に購われたこの依頼は、右から左へ、ただ受け止めるには重すぎて‥‥。
アイリスの小さな胸から落とされた何度目かの吐息に、アイーダ・ノースフィールド(ea6264)も借り受けた黒子頭巾のやわらかな布の感触を確かめるように握り締める。
紅葉こといくの弟――南町奉行所の与力に卵を投げた下手人の所在を突き止めたのはアイーダだった。
他に方法は無かったのだろうか、と。今でも思う。
過去の事件と、今起っている事件。ふたつの事件の真実と、関わった人々。追いかけて、明らかにして‥・・それから‥‥それから‥‥‥
それから?
――どうすれば良かったのだろう‥?
今、しんしんと冷たく凍てた闇の底に立っている自分。過去から続くこの道は、決して一筋ではなかったはずだ。
「命を取ってハイ終わりってのは、好かねぇが」
深遠の夜を見上げて、環連十郎(ea3363)も暗澹と沈む想いを吐き出す。
「たまにゃこういう仕置きも必要かもしれないな」
残された無念を晴らす術。
あるいは、ここにも他に分かたれた岐があったのかもしれない。
「‥‥彼女と約束してしまったからな」
「心無き者は人とは思わず‥‥そして私もひと時人を捨てましょう」
誰にともなく声に出して己を奮う丙鞆雅(ea7918)。松浦誉(ea5908)も、また、確かに拠れる理由を探す。
これが正しい事なのかは判らない。けれど、このままでもいられないから。――哀しくて、胸が痛い。
ともすれば俯きそうになる心と顎を毅然と上げて。御神楽紅水(ea0009)は、冷たい夜気を胸の裡深く吸い込んだ。
区切りをつける。今夜――
無実の咎で獄門となった定吉。
真実を見抜けぬ奉行所を糾弾し、意地を貫いたいく。
そして、慙愧と悔恨、迷い、惑い、忸怩たる想いに塞ぐ己の心に‥‥。
●星霜の翳
闇の裡に、ふうわりとほのかな光が灯った。
賭場がお開きになったのだろう。提灯を提げた客がひとりふたりとその場を離れ、闇の中に消えていく。
上野界隈は寺社を中心に栄える街だ。
当然のことながら、神社や仏閣が多い。また、詣でる客の懐を当て込んだ店が立ち並ぶ繁華な場所である反面、夜は厚い静寂に包まれる。
島津影虎(ea3210)の調べによれば、
この辺りを仕切る香具師・雁宰と代貸しの大次郎のふたりが銭箱を運ばせて帰路に着くのは、暁七つ(午前4時)の鐘がたちこめる夜の帳を揺るがせるころ。――夏であれば東の空にやわらかな曙光がもやう時刻であるが、今の季節はまだ深い闇の中にあった。
暗闇の中、ひとつ、ふたつと明かりが揺れる。揺れながら、彼らが待つ境内の外れ‥‥刺客がひそむ闇へ向かって、闇夜を辿る。
「そろそろ、ですね」
三々五々散っていく提灯の火を眺めて呟く島津の言葉に、誰かがごくりと喉を鳴らした。口の中で小さく呪文を唱えた丙の身体が、闇の中、ぽうと淡い緑の光に包まれる。――魔法に応えた風の精霊が、一筋の流れとなって冷ややかな夜気を揺るがせた。
「5人、か。香具師と代貸し‥‥あとは、手下か用心棒といったところか‥‥」
島津の調べ、そして、吉原会所の調べのとおり。
今宵の上がりを塒へ運んでいるのか。泥酔の果て水路に転落するには、少しばかり頭数が多い。さすがにそう都合よく単独行動は取ってくれないのだろう。――用心深いのは尾のない犲狼(けもの)なればこそ。
「なに、大丈夫だ」
顔を見合わせた一同を元気付けるように、山下剣清(ea6764)が鷹揚に笑う。冷静に。浮き足立っては、上手く行くものもダメになる。
「金目当ての賊に襲われたと見せかけるには、こちらの方が自然でしょう」
懐から取り出した手拭いで顔を隠しながら、松浦も頷いた。
ふたりを分けることができなかったのは残念だけれども。――別個に襲って余計な偽装をするよりは、いっそ安全であるかもしれない。
何かと物要りの多い年の瀬に、大金を持ち歩いての帰り道。彼らが何者かに襲われても、皆、物取りの仕業だと思うだろう。2年前、彼らが常陸屋を襲ったように。
厳冬期のこと。近隣の家々は堅く戸締りをして眠りについていた。外の騒ぎに気付かれる可能性も低ければ、様子を確かめに外へ出るにも手間がかかる。――何度もこの場所へ足を運び、鳩首を重ねた。
「では、手筈どおりに‥‥」
火をいれた提灯の光の中に、一瞬、皆の顔が浮かぶ。
差し出された提灯を受け取って踏み出した丙に、山下、そして、少し濃い目に朱をさした紅水が後に続いた。
上野界隈には、“けころ”と呼ばれる私娼が多い。商売女のフリをしていれば、夜道に立っても怪しまれずにすむだろうと、吉原の遊女に身の作りかたを教わったのだ。――男がふたりに、女がひとり。なかなか趣を凝らした仕掛けである。
「おや、丙の旦那じゃないか」
最近、賭場に出入りを始めた侍の顔を香具師と代貸しは覚えていた。紅水と連れ立った丙が顔見知りであると気付くと、気やすく声をかけてくる。
「今夜は見かけねぇと思ったら、こんなところで油を売っていなさったか」
また、うちにも寄ってくだせぇ、と。ジロジロと紅水を品定めする視線の前に、山下が割って入る。
「懺悔の時間だ。覚悟はいいな」
「なにっ?!」
唐突な宣告に、代貸しは怪訝そうに眉根を寄せた。
「何者だ!?」
提灯を持った三下が、威嚇するように長脇差の柄に手をかける。
「雁宰。二年前、南の与力松浦善衛門と組んで賭場帰りの常陸屋希兵衛を襲い、罪もない下駄職人定吉を獄に陥れた罪。今、この場で償ってもらう」
「しゃらくせえっ!!」
暗がりに朗と響いた断罪の声に、代貸しは長脇差を抜こうとした。刹那――
回り込んだ闇の裡から島津が抜き差した忍者刀が白く閃き、腰のものを抜きかけた大次郎の背に深く突き立つ。
「げふっ!」
くぐもった呻きが闇の底を不吉に揺らした。じわりと綿入れを濡らした鮮血は、とめどなく溢れ‥‥ヨロヨロと2、3歩。よろめいた男は、ぐらりと身体を傾けて地に落ちる。
「てめぇっ!」
銭箱を放り出して刀を抜いた悪党たちが襲撃者に向き直る、その一瞬、
蒼と緑と。世界に満ちる精霊を呼ぶふたつの光が、漆黒の闇にほのかに浮かんだ。
匕首を翳した男の目の前で弾けた水の礫は、その驚きが癒える暇さえ与えず彼を包み込んだまま凍りつく。
「う‥わああぁ?!」
ぴき、と。玉響にも似た冷たいきらめきがみるまに匕首を翳した三下を縛り‥‥驚愕の表情のまま氷の柩に閉じ込める。
紅水が紡いだ水の魔法。そして――
松浦の‥‥施行者の殺意をそのまま引き継いだ風精は、淡い緑に輝く一陣の刃となって雁宰に襲いかかった。
冷たい風が夜を薙ぐ。
ガタガタと雨戸を揺さぶる厳冬の息吹が、悲鳴を闇がひしめく虚空の彼方へ消し去った。
●冬の静謐
風が途切れた。
八丁堀の組屋敷にほど近い屋台で呑んでいた南町の与力・松浦善衛門は、唐突に舞い降りた静謐に顔をあげた。
あと数日もすれば年も明ける。
ひどく底冷えのするこの夜は松浦の他に客の姿はなく、普段なら宵っぱりで屋台を切り回す初老の小男も早々に切り上げるつもりだろうか言葉も少ない。
「おい、親爺」
呼びかけても応えないのを不審に思い、見れば古びた屋台の後ろに積んだ酒樽にもたれて、うつらうつらと眠り込んでいる始末。
困ったヤツだと苦笑を洩らし、それでも今宵はここまでだと思い切りもついたのだろうか台の上に勘定を置いて立ち上がっても、目を覚ます気配もない。
その睡魔に引き込まれたかのように、先ほどまで水路端の裸柳を揺らしていた風もぴたり息をひそめていた。
しんしんと夜に降り積る冷気だけが、まるで意思のあるものであるかのように‥‥じわりと足元から這い登る。
「失礼する」
誰にともなく言い置いて背を向けた与力を見送って、積まれた酒樽の陰に潜んだアイリスはほっと胸を撫で下ろす。
月のない夜。闇の向こうにうつろうかそけき精霊は、アイリスの幾度目かの呼びかけにようやくその力の片鱗を見せた。羽根妖精の小さな身体を包む銀の雫は、雪上に踊る細い月の光にも似て‥‥。
(「あうぅ〜。嫌な事を押し付けてごめんなさいです」)
立ち去る男の背に手を合わせ、胸の裡で詫びる。
ひたひたと水を湛える水路に沿って武家屋敷の連なる街路に、人の気配はなく。屋台が掲げる提灯だけが、漆黒の夜にほのかな輪を浮かべた。
音もなく――
破れ笠を目深に被った長身の男が、闇の裡よりするりと抜け出たその時も、夜はただ息を殺して。
「‥‥南町の与力、松浦善衛門だな?」
低く押し殺したその声に驚いた与力が、振り返ろうと身体を捻るより早く――
やわらかな布が口を、叫びを塞いだ。
長身の男の力で不意をつかれれば、容易には振りほどけない。自由になる手が、口を塞ぐ腕を掴かみ、着物の上から食い込んだ爪が皮膚を掻き破る。
「‥‥‥っ!」
生きようとする者の本能か、あるいは、執念。
腕に感じる鈍い痛みが、環に摘み取られようとする命の感触を焼き付けた。一瞬でも気を抜けば、鼠も猫を噛むという。
提灯の明かりを背に、ぼんやりと浮かぶふたつの影を見据えて、アイーダは矢をつがえた鉄弓の弦を引いた。アイーダの細い腕には少々重いその弓を、鳩尾を灼く焦燥を堪えてぎりぎりと限界まで引き絞る。
堅く作られた弓の反発。心の迷い。
微かに震える鏃の先に、環に締め上げられてもがく男が見えた。
静かに目を閉じ、ゆっくりと冷たい夜を胸に吸い込む。そして――
放たれた矢は、白く閃く光となって深い夜を貫いた。
●天空の花
雪を孕んで低く垂れ込めた空に、笛の音が響く。
関わった全ての者を悼んで笛を奏するアイリスの羽根の生えた背中を眺め、松浦、紅水は、残月に伴われた尚次と顔を合わせていた。
「‥‥貴方の命は、お姉上がお守りになられたのですよ」
何を成してきたのかとは言わない。
松浦がそっと差し出した“さだのあだ”と書かれた懐紙を、尚次はただ深く頭を下げておしいただく。
「強く生きてね。‥‥きくさんの分も‥」
紅水の言葉に、引き結ばれた喉の奥から嗚咽が零れた。
「尚次。きくと定吉のふたりを弔った後、お前ぇさんどうするね?」
姉と兄。ふたりの姉兄は、もうこの世にはいない。
残月の問いに、そこまで考えていなかったのか尚次は口を噤む。静かな沈黙の後、男はゆっくりと顔をあげた。
「‥‥大工に戻ります。それが俺の仕事だ‥」
ふたりの分も生き抜く、と。
決意を湛えた双眸に、未来を切り開いて生きようとする希望の光が見えた気がした。
ふうわり、と。風に誘われた真白の雪片が空に漂う。アイリスの笛に誘われるかのように、ひらり、ひらりと。
次から次へと止め処なく、師走の空に風花が舞う。
冷たく、優しく‥‥。
=おわり=