●リプレイ本文
人の心とは、不思議なもので――
もとはひとつの事象であっても、その感想は受け止める者の主観によって変化する。
たとえば、組紐職人の娘・綾の身に降りかかった受難。恵慧の秋波は綾にとって困惑と不安、憤り‥‥災難以外の何でもなかったが、これが色里の遊女や、玉の輿といった栄達を望む者にとっては、またとない良縁であったかもしれない。――法衣問屋の三好屋には、商いを広げる好機に思われたようだ。
「おっ(坊)様のくせに色目使うたァ、とんでもねぇくそ坊主だべ!」
憤懣やるかた無しといった風情で息巻く田之上志乃(ea3044)の雑言に、御神楽紅水(ea0009)も大きく頷く。
「本当に。和尚の風上にも置けないよー」
僧籍にありながら女性に声をかける者を見かけないわけではない。――冒険者が集う盛り場などへ行けば、ちらほらと‥‥。
僧といえども人であり、男であるから、時には愛欲に身を焦がすこともあるだろう。そのすべてを否定するほど唐変木ではない。
「でも、嫌がる子を策略使ってまでとなると別問題!」
お嬢さん育ちの箱入り娘にとって、恋愛と愛欲は語る次元が違うのだ。
「お坊さんが、人に迷惑をかけちゃダメですよ〜。きっと罰があたるです」
日本の僧侶の戒律は、本国の聖職者のそれよりも厳しかったはずなのだけど。アイリス・フリーワークス(ea0908)も、考えあぐねてむうと頬を膨らませる。
綾の父親が三好屋に作ったという借金のカタに‥というのも、女性陣の嫌悪感を刺激する要因だろうか。
「同じすけべぇでも陣内どんの方がずっとマシだァ」
志乃の一言がすべてを物語っている。
さて、心ならずも比較の対象とされてしまった陣内晶(ea0648)はというと――
「美しい娘さんと仲良くなりたいという気持ちはよく分かります」
そりゃもう、我が事のように。
「しかし、無理強いはいけませんね」
「俺は権力を嵩に着て女性を脅すというのは嫌いなんだが」
同性には厳しい山下剣清(ea6764)はもちろん、女子供への気配りは忘れないケイン・クロード(eb0062)も一定の理解を示しつつも、どんなものかと厳しい顔。
要約すれば方法が問題、ということか。
「恵慧ってぇ、恋することにうといんじゃなぁい?」
そう感想を述べたのは、大宗院亞莉子(ea8484)。夫一筋。愛こそすべての亞莉子にとっては、想う人を我がモノにしたいという恵慧の気持ちは理解らなくもない。
これが好き合った相手なら、多少強引‥‥思い切った手段でも、情熱の裏返しだと嬉しく感じたりするのだから‥‥。
――人の心は、難しい。
●策謀の足跡
「貴方、お染さんネ」
振り返った女は、羽鈴(ea8531)の小柄な姿に怪訝そうに顎を引く。
海老茶の菊寿に渋めの帯と難しいを粋に着こなし、やや気の強そうな薄化粧。そこはかとなく大人の色気を漂わせた婀娜っぽい女だ。――刀根要の調べよると、普段は小唄の師匠などをしているらしい。もちろん、それだけではないことも既に了承済みである。
「‥‥そうですけど‥」
あなたは? その問いを遮って、鈴は嫣然と笑みを浮かべた。
「貴方、三好屋に頼まれて人に言えないことをしたネ」
すぅ、と。お染の表情が消える。何やら思い当たることがあるのだろう。――先日、十手をちらつかせて思わせぶりな科白を吐いて立ち去った侍との関連を思い浮かべたのかもしれない。
「さぁて、ねぇ」
「隠してもダメ。私知ってるネ。貴方の身内やいい人にこの事を話してもいいネ」
探り当てた裏事情をネタに取引を持ちかけるつもりの鈴であったが、お染は恐れ入ることもなく不敵に微笑んだ。
「確かに三好屋の旦那にはご贔屓にしていただいておりますけど。‥‥何しろ、惚れた腫れたは、ひとりでは成せぬことでございましょう?――なんでしたら、番所に引っ張っていただいてもかまいませんよ。わたくしに後ろ暗いところはございませんから」
確かに、綾の父親がお染めにいれあげ、借金を作ったのは消えない事実。色恋の手練手管であって、それ自体は罪とは呼べないのだ。それは、もちろん鈴にも分かっている。
訴え出ても、苦笑されるばかりだろう。そればかりか、どちらかといえば鈴にとって分が悪い。十手持ちを騙るのはご法度なのだ。番所に持ち込まれた場合、聞き込みに十手をちらつかせたことがばれれば、こっぴどく叱られるのは間違いない。
恋色沙汰のいざこざは、男よりも女の方がここ一番の腹が座っているものだ。
■□
「‥‥少しばかり探りを入れてみたのだが‥」
両親を手伝う綾の元を訪ねた山下は、不快気に眉を寄せる。
表長屋と続いた小さな仕事場には綾とその両親の他、護衛を自称する陣内もいて、手狭な部屋がなにやら賑やかだ。
「恵慧とかいう坊主。ことのほか、色好み。これまでにも気に入った娘を召して色に耽るということがあったそうだ。――門主にも度々注意されているらしいのだが、一向に改める気配もない」
こればかりは、病気というほかはない。女を口説くことには決してやぶさかではない山下も、思わず呆れる漁色家ぶりである。
「ありがたい説法を口にしながら、触ってくるんだもん。‥‥本っ当、気持ち悪いったらっ! 許せないよっ!!」
説法会に紛れ込み行状を探った紅水も、何を思い出したのかぶるりと身震いして拳を握り締めた。
「‥‥ほおぅ、御神楽さんを‥‥いーえ、羨ましいなんて思ってませんよっ!? “ぎるど”の依頼だって捨てたモンじゃありません。――なにしろ、こうして、美人の傍にいるだけで仕事になるなんて素晴らしいじゃ‥‥いえいえ‥ただの独り言です」
ぽろりと本音をもらしてしまう正直者が約一名。
●門前町の噂話
井戸端会議に花が咲く。
主婦にとっては、日々の日課のようなもの。――酒場やお茶所よりは、まず確実に地元の女たちが集まってくる場所だ。
高僧のよからぬ行状について、あることないこと。ひととおり吹いて回ろうと企みを胸に、クロードは長屋を巡る日々。
片言の日本語で、盛り上がる女たちの間に入って行くのはなかなか度胸と勇気が要求されるが、そこはそれ‥‥持ち前の人懐っこさと、愛嬌でカバーする。――日本語、そして日本の大衆文化にも詳しくなれて、一石二鳥だ。
どこそこの長屋の夫婦の喧嘩の原因、とか。あそこの姑は、嫁をいびり出すつもりだなどと。ひととおりの四方山話が終わったところで‥‥
「そういえば、あちらのお寺の和尚さんのお話をご存知ですか?」
と、恵慧の話を切り出す。
高貴な者、あるいは、聖職者の醜聞に耳目が集まるのはいずこの国も同じらしい。そういえば、などと関連めいた話のひとつも出ればしめたものだ。
噂話はよくも悪くも武器となる。門前町の方々で噂に尾ひれが付けば、寺も捨て置くわけにはいかぬはずだ。
「ここだけの話なんですが。ほら、例の‥‥椿堂の噂。ええ、夜毎現われる若い女の話です。――あれは、仏の道に外れた和尚に仏罰を下すべく、鬼神様が遣わした夜叉姫だっていうんです」
たどたどしい日本語で広げられる噂話は、正しく伝わらぬ分、びっくりするような尾鰭がついているかもしれない。
それも、一興。それらしい噂が人の口に上れば、勝ったも同然なのだから。
仕込みが終われば、後は実行を待つばかり。首尾よく進むことを自身の神と仏、鬼神に祈りつつ、井戸端会議を楽しむクロードである。
●夜叉姫降臨
「美人って大変だよねぇ」
紅水や山下がもたらした報告に、亞莉子はしみじみと吐息を落とす。
どうやら、良いことばかりではないらしい。――まぁ、良いことばかりでは、神様は不公平の誹りを免れないかもしれないが。
でも、そればかりではないような気もする。
「綾ってぇ、恵慧のこと好き? もし、好きじゃないならぁ、親や世間のことを無視してでもぉ、はっきり言わなきゃダメってカンジィ。まずは、あなたの気持ちを伝えなくっちゃ」
そう。はっきり拒否しないから、相手は希望があると誤解するのだ。
天真爛漫な亞莉子の言葉に、綾は少し困った顔をする。――はっきりと意思を表明するには、綾を取り巻く環境はあまりにも頼りない。
組紐職人である父親は三好屋に品物を納めており、その上、借金まで作ってしまった。三好屋の不興を買えばたちまち仕事を取り上げられるばかりか、借財の変換もせまられるだろう。もちろん、蓄えなどあるはずもない。
冒険には縁の無い町衆にとって平穏な日常は、さやかではあるけれど何より得がたいものなのだ。――そう簡単に平穏を捨てられる思い切りがつかないところが、決定的に違う点かもしれない。
不安げな綾の背中を押して、亞莉子は寺の門を潜った。
もちろん、考えなしの直談判決行ではない。前もっての打ち合わせどおり、寺には身軽さを生かして忍び込んだアイリスと志乃がしっかり準備を整えて待っている。――陣内、紅水、クロード、山下も万が一に備えて寺の周辺に張り込んでいた。
「どうぞ、こちらへおいでくださいませ」
小賢しい感じの小坊主に案内されて、寄木造りの回廊をいくつも曲がる。綺麗に整えられた庭木に混じり、赤い椿が咲いていた。
「こちらでございます。御前様はほどなくいらっしゃいますゆえ、どうぞ中へ。――ごゆるりと」
小坊主の顔は至って謹厳。何の感情も覗かせていないのが、空恐ろしい。
襖を開くと、そこは小さな行灯を点した控えの間。
「‥‥まったく。とんでもねぇ、生臭坊主だァ」
綾と亞莉子の通された控えの間とは襖を挟んだ隣室。煌々と明かりの点された豪華な部屋を屋根裏から見下ろして、志乃が毒づく。
二重の褥が敷かれ、上になまめかしい色の薄布団とくれば‥‥そういった色事にはうとい志乃やアイリスにも十分理解できようものだ。
「‥‥なにやっとるだか?」
さらに罵詈雑言をひねり出そうと腕を組んだ志乃は、隣で瞑想を始めたアイリスに気づいて首をかしげた。
「上手く幻を作れるように、精神統一してるですよー」
うまく思い通りの幻を作り出せるよう、勇気を出して椿堂まで足を運んで鬼神の像を、しっかり観察してきたのだから。
「今日は頑張って特大の幻を作るですよ。‥‥うぅ‥でも、あの像はホントに怖いです〜‥て、気を散らしちゃダメです〜」
そうでなくても、心は逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだ。
「あ、ほら。来ただよ!」
どすどすと忙しない足音が廊下を渡り、誰かががらりと勢いよく襖を開く。
「綾。やっとわしの想いを適える気になってくれたのじゃな」
脂の浮いた赤ら顔に浮かぶ好色そうな笑みに、綾だけでなく隣にいた亞莉子も思わず息を呑んだ。
「妙な噂が立ち、案じておったが、わしはそんなもの気にやまぬわい」
にんまりと笑い手招く姿も、鳥肌ものだ。
紅水の言葉のとおり、これはもう生理的なものかもしれない。――もはや、理性を持って話し合う以前の問題のような気がする。
「さあ、わしの胸にまいれ――」
「いえ。あの‥‥」
思わず尻込みする綾に、恵慧はさらに身を乗り出した。
「恥ずかしがることはないぞ。わしの言葉に素直に従うていれば、極楽を味わわせてやろう。もちろん、そなたの親のことも心配はない」
親を持ち出されれば、孝行娘にもはや逃げる口実はなく‥‥
伸ばされた恵慧の指先が綾の頬に触れようとした刹那、亞莉子の周辺に突如、白い煙が巻き起こる。
その煙の中で、年齢の割には色っぽく愛らしい亞莉子の姿がたちまち変化し、恐ろしい鬼の形相が現われた。時を同じくして、月光にも似た銀の光が巨大な鬼神の姿を暗がりに映し出す。
そして、この世のものとは思えぬ恐ろしげな声色が室内に轟き渡った。
『えけぇいぃ。えぇけぇぇいぃ』
「ひえっっ?!」
男の口から悲鳴に近い声がこぼれる。僥倖の絶頂での突然の変貌にすっかり恐慌を来たした恵慧には、それが亞莉子とアイリスが紡ぎあげた魔法が生み出す奇跡だとは見破れなかったようだ。
『綾は我が娘として化生となった。手を出さば、汝のみらなずこの寺にも災いをもたらさん〜』
「た、助けてくれ――」
尻もちをついたまま部屋の隅にあとずさった恵慧に、亞莉子はこちらも驚いて固まっている綾の手を引いて部屋を飛び出す。長居は無用だ。
見回りの僧兵を足止めついでに縛り上げて退路を確保していたクロードと陣内、寺の様子に気を配っていた紅水、山下らもふたりの引き際にあわせて引き上げる。
最後に、アイリスと志乃のふたりが脱出すれば作戦は完璧。これだけ脅しておけば、そうそう間違いも起こすまい。
幻であっても鬼神が現われて騒ぎとなれば、門主や役人も黙ってはいられないだろうから‥‥鈴とクロードの撒いたタネも生きてくるというものだ。もちろん、借金は地道に働いて返していくしかないのだけれど。
「多少、気の毒な気がしないでもないですが――」
明日の我が身とならぬよう気を付けよう。晴れ晴れと嬉しげな女性陣の横顔を眺め、呟いた者がいたとか、いなかったとか。