●リプレイ本文
満月が近い。
真円の縁がわずかに欠けた大きな月を見上げて吐息をひとつ。
「‥‥私、強くなりたいよ」
救いを求めて伸ばされた手を、しっかり護れるだけの強さが欲しい。
こうして宴席を設けてくれた村人たちの気遣いは、とても嬉しいのだけれども。――その優しさが、御神楽紅水(ea0009)には痛かった。
「紅水どんは真面目だなぁ」
己の非力を悔やむ紅水に、田之上志乃(ea3044)はけろりと笑う。
村を苦しめた怪物をきっちり退治できなかったコトは、確かに志乃にとっても楽しい思い出ではないけれど。
それでも、自分にできる精一杯‥‥力を尽くしたのだから十分だ。
そう、志乃は考えている。
少なくとも村を脅かす虫の姿は消えて、収穫にも間に合った。――今はただ、日々に追われて先のコトを想う余裕がないだけだとしても、“終わったのだ”と安堵するのはとても大事だと思うから。
「オラたちが暗い顔をしとったら、村の皆も不安に思うべ?」
村の窮地を救った冒険者たちが不安な顔をしていれば、きっと村人たちの間にも不安が舞い降りる。
確かに、警戒を緩めないのは大切なことだけれども。
必要以上に不安がるのもいかがなものか。――決して忘れてしまうわけではなくて、今はただ、自分たち心の中にだけ留めておけばいい。
いつか、必ず‥‥
必ずその力を手に入れて、ここへ戻ってくることを忘れなければ。
「そうだね。うん、本当にそうだよ」
笑顔の戻った友達に、志乃もにんまりと笑みを返した。
「んだ。それでこそ紅水どんだよ。――それに、今度の依頼だって、ただの遊びってわけじゃねえ」
山の動物たちに奪われた温泉を村人の手に取り戻す。
「野生の生き物ってなあ、あれでけっこう凶暴なんだべ。――特に子連れのイノシシは気ぃ立っとるから‥」
五年前、故郷の里の裏山で追い回された恨みは、忘れちゃいない。
「猿なんぞも人より数が多い時ァ、図に乗って悪さしやがるしな‥‥」
三年前、とっておきの干し柿を盗られたことも、思い出すだにふつふつと新たな怒りが沸いてくる。
「‥‥し、志乃ちゃん‥?」
仲秋の月の下にて想うのは――
●温泉への道
村外れを流れる沢づたいに上流へ半里ほど。
距離的にさほど遠いワケではないが、流石に半年以上放置された山道は歩きにくい。
得物を鎌に持ち替えてここぞとばかり繁茂した下草や木の根を払い、驚いて飛び出した小さな虫に災厄の前触れかと色めくこと数刻余。――温泉の為でなければ、とっくに放り出している。
秋とはいえ、日中の陽射しはまだまだ強い。
汗だくの泥まみれになっても、笑顔が途切れないあたり、さすがは温泉効果とでも言うべきか。
「紅葉、温泉やお風呂は大好きにございます」
にっこりと会心の微笑で、温泉初心者の志乃とハロウ・ウィン(ea8535)に宣言したのは火乃瀬紅葉(ea8917)。やわらかな物腰や細面からよく女性と間違えられる容貌の持ち主だが、歴とした男性だ。
どのくらい大好きかというと、手拭や浴衣、風呂桶を自前で用意するほどの力の入れよう。もちろん、出発前に忘れモノがないかの確認も怠りない。
「備え付けの道具も風情がありまするが、普段と違う場所で愛用の品を使うのもまた格別にございます」
「へえ。そういう楽しみ方もあるんだね」
なるほど、と。
感心と尊敬の混ざった眸で紅葉を見上げるウィンの隣で、別の楽しみに心を躍らせる者たちもいた。
「ええ、もう。事件の間中、ずっと思っていたんです。――あの人(←!?)は着痩せするタイプではないかとっ!!」
ぐぐっと握り締めた拳が、ぷるぷる震える。
「こう、胸元とか腰つきとかが何となくそう思わせるんですっ!!!――この謎を解き明かさない事には、この事件は解決したとはとても言えないと思うのです」
いったい何処を見て仕事をしていたんだよ。つか、この事件の解決基準って、いったい何‥‥。
セクハラ発言満載で浮かれる陣内晶(ea0648)と。鋼蒼牙(ea3167)の楽しみも、むしろこちらに重心が置かれているようだ。
「とにかく、女性陣が入ったら覗かなくてはなりません」
「そうとも。覗きは漢の浪漫。――今回も俺の全ての力を使って覗くっ!!!」
無駄に熱く燃え上がっている男ふたりの隣で、ウィンは呆れた風に肩をすくめる。
「美しい女性達と一緒の温泉はそれだけで命の洗濯になるってもんさ」
一見、余裕ありげに斜に構える鷹見仁(ea0204)の発言も、実はさらりと混浴が前提であるような。――女性の尊厳と男の名誉を護るため、邪な企みは阻止しなければ。なにやら公序良俗に激しく反する異国の文化に、ウィンは母国が誇る騎士道精神の一端を垣間見た気がした。
「‥‥風呂か‥あいつ(義弟)が小さい頃はよく一緒に入ったものだ‥」
今は遠く京の都へと旅立った義弟との美しい思い出を瞼に描き、丙鞆雅(ea7918)はきりりと手拭をかみ締める。
「背中を流しあったり、成長を確認したり、らぶらぶだったのに‥‥今ではすっかり冷たくなってっ!!!」
何やら激しく要求不満が溜まっている様子。いろんな意味で、彼がイチバン危険な気がする。
●月と湯の花 〜その前に〜
伸び放題の草を刈り、壊れた柵を元通りに繕う。
脱衣所と排水溝の掃除も万全に。
温泉を満喫するため。そして、嬉し恥ずかしの覗き計画遂行の下調べ。――目的(下心?)はともかく、温泉復興の為にはどんな苦労も厭わず働く姿は崇高だ。
「本当は動物達とも温泉を共有できればよいと思いまするが、なかなかそうはいかぬのが残念にございまする」
炎の精霊魔法を使って湯治場を占拠した動物たちを追い払い、誰にともなくひとりごちた火乃瀬はどこからともなく箒を取り出す。共存を願う心には偽りはない。――それでも、濡れた獣の臭いや、抜け毛が浮いた湯船にはつかりたくないのが人情というものだ。
「板塀に絵を描くというのはどうだろう?」
江戸で売り出し中の美人絵師の絵が、湯船でじっくり堪能できる。
なかなか乙な提案だろうと得意げに胸を張った鷹見の申し出に、冒険者たちは顔を見合わせた。
「尤も、俺の得意の美人画を書いたりすると下手すりゃ、男連中は湯船から上がれなくなっちまうだろうが」
美人画と春画は、微妙に違うような気もするが。
「ええ〜。それは、私と志乃ちゃんは楽しくない気がするなぁ」
「そうでございますね。‥‥せっかくの温泉でございますから、紅葉も外の景色を楽しみとうございまする」
首を振った紅水と、少し思案するように首をかしげた火乃瀬もあまり乗り気ではないようだ。――賛成に回るかと思われた陣内と鋼のふたりも、板塀に描かれた美人よりも拝めるものなら生肌にそそられる。
「む。それもそうか。ならば、四方を囲わずに露天のよさも残しつつ‥‥例えば、仕切りの板だけにするとか」
富士山、海、雪山、夕日に、龍、虎、鷹‥‥
何通りかを交換して飾れるようにするのも一興だ。
「鷹見どんが描いた虎の絵なら、温泉にやってきた動物たちもびっくりして逃げ出すかもしれねぇだなァ」
刈り取った草を燃やして火の番をしていた志乃がふと名案を思いついたというようにぽんと手を打つ。
「確かに、我々がいる間は良くても‥‥後のコトが心配ですからねぇ」
里の人々の憩いの場ではあるが、そう頻繁に訪れるのは無理だ。――これからの季節は刈り入れや冬支度など、村人たちにとっては特に忙しい日が続くだろう。
冒険者たちが帰った途端、日を置かずに獣の天国‥‥では、せっかく気合をいれて片付けた甲斐がない。
「‥‥いっそ猪鍋にでもするか。猿鍋は如何な味だろうな‥」
ふふ、と。裏のありそうな笑顔をつくった丙の呟きも、冗談ではすまない響きが込められていた。
「美人画はともかく。虎や鷹の絵は動物除けに使えるかもしれませんね」
野猿や猪が相手では、鑑賞とは程遠いような気もするが。
他の者たちが柵を直したり、掃除をしたりと忙しく働く横で、鷹見は得意の絵筆を奮うことになったのだった。――抜かりなく美人画を紛れ込ませたのは言うまでもない。
●月と湯の花
湯気にその色をけぶらせる月の姿は、満月には未だ足りない。
水面に揺れる月光は、ぱちぱちと小気味良く爆ぜる松明の光と混じり、湯船に遊ぶ人影を優しく照らす。
「さあ、紅葉が背中を流してあげまする」
丙を押しのけて子供の手をとった火乃瀬の笑顔に、出遅れた丙はきりりと手拭を咬んだ。
「‥‥くっ‥‥女湯は確かあっちのはず‥‥」
今度は火乃瀬が頬を染める番。
「‥‥も、紅葉はれっきとした男にございまする‥!」
と、言いつつ何故か手拭で前を隠したり。――幼い頃より染み付いた習慣とは、かくも恐ろしいものらしい(火乃瀬談)。
そんな微笑ましい悶着の後、子供を挟んで仲良く三人で湯船につかる。
「‥‥御子は将来何になりたいのだ?」
無数に残る傷跡に、やはり少し胸が痛んだ。
丙の問いに、子供は少し考えこんで。‥‥集落が災厄に見舞われなければ、生涯を木地師の村で送ったのだろう。
帰る場所はもうなくて。
今は小弥太の寺に厄介になっているが、それはいつまで続くのか‥‥
「‥‥柵に縛られて思う様生きられぬのは悲しい事だが‥。拠る菅が何もないというのも寂しいものだ」
他人に押し付けてすき放題生きてきた男の言うことではないが。と、苦笑する丙の顔をじっと見上げて、子供はこくりと頷いた。
「いいお湯だねぇ。志乃ちゃん背中流してあげるよ」
鷹見渾身の作である塀板(絵柄は富士山)を挟んで、あっちとこっち。
紅水と志乃は、のんびりと手足を伸ばす。――尤ものんびりしているのは紅水だけで。志乃はといえば、鼻をつまんで飛び込んだり泳いでみたりと初めての温泉を堪能している。
跳ね上がる飛沫に、ワンワンと吼える権兵衛に面白がってお湯をかけ、ふと気づいて首をかしげる。
「‥‥陣内どん、何覗いとるだ?」
「わぁ☆」
羞恥心の欠片もないらしい小娘の出現に驚いて思わず跳ね起きた陣内と鋼の足に、何処からともなく伸びた蔓がしゅるりと巻きついた。
「‥‥‥っ?!」
「ふぅ、捕まえた。――現行犯だよ〜」
ほんのりと柔らかな砂色の光が夜に浮かぶ。
土の精霊の加護を顕わす淡い光に包まれたウィンが、魔法の成功に少し得意げな笑みを浮かべて姿を見せた。
「覗くのはいけないことだと思う‥‥かな♪」
「‥‥これは‥‥俺の浪漫なんだ‥‥。だから‥‥悪いのは俺だ‥‥俺だが‥‥っ!!」
やっぱり覗きたいんだもん。
いざというときは陣内を囮にばっちり逃げおうせる予定だったのが、相手が魔法ではいかんともしがたい。
まだまだ精進努力がたりない。くぅと唇を噛んだ鋼の浪漫を理解してくれるのは、今回は陣内だけであるようだ。
自覚なしの志乃はともかく、せっかくいい気持ちで温泉気分を満喫していた紅水の怒りはいかほどか。
「桜」
不気味なほど優しい声が、愛猫を呼ぶ。
「ひっかいちゃってイイからね」
むしろ、やっておしまい。
可憐な乙女の裁定が月影の下、無情に響く。
飼い主の意思を忠実に実行する猫の爪も恐怖だが、湯船には予期せぬ脅威も潜んでいたり。
「ふぅ。やっぱ働いた後の風呂ァ気持ちええだなァ。こう気持ちええと、一発歌いたくなるべ」
こほん、と。
咳払いをひとつ、喉の調子を確かめて。――冴えた夜空に、壊滅的な音痴が響いた。