【楽園の幻影】〜参・溶けざる心
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 71 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月30日〜10月05日
リプレイ公開日:2005年10月08日
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●オープニング
―――悪いのは、アンタじゃないよ‥
暗がりの奥で、誰かが囁く。
ぼそぼそと喉の奥で発せられるかのようにくぐもって聞き取りにくいその声は、だが、意外なほどはっきりと胸を抉った。
心の奥で未だ赤い血を流し続ける傷跡に深く深く突き刺さり、じくじくと新たな痛み胸に広げる。
―――困っていたんだろう?
―――救いの手なんて何処からも差し伸べられなかったもの。
闇の底に座したまま、それは甘ったるくいたわるような響きでもって、膿んだ傷口を優しく撫でた。
赫々と燃える熾き火のような赤い目が、彼を見据えてにやりと歪む。
―――そう。結局、誰だって、
―――どんなにキレイゴトを並べ立てても、結局は自分を取り繕う為なのだから‥
■□
少し疲れた様子で現れた番頭は、投げられた視線に気づいて苦笑を浮かべた。
「いやはや、ずいぶん強情なお方のようで――」
何を尋ねても、知らぬ存ぜぬの一点張りで。
もちろん、襲われる理由にも心当たりはないという。
「湊屋さんに腕輪を持ち込んだコトは認めましたが‥‥あの方のお知り合いのモノだとか」
盗品だという裏付けは取れなかったらしい。
「それで‥‥」
冒険者たちの言葉に、依頼人は肩をすくめて小さな吐息を落とした。
「家に帰しましたよ。――本人がかかわりがないという以上、いつまでも番屋に留めておくワケにもいきませんからね」
なんでも、彼は日本語が殆ど喋れないのだという。――得意、不得意というのもあるのだろうが、どうにも内向的な性格が災いしているのかもしれない。
“ぎるど”から通訳を貸し出したものの、こちらもそればかりにかまける余裕はないのが実情だ。
「まあ、少し泳がせて様子を見ようということですな」
面倒を押し付けるようですが、と。殊勝げな割には、その苦笑はごく軽い。――この辺は、お互いに仕事だと割り切るしかないのだろう。
「‥‥そういえば、番屋まで彼を迎えにきた者がいるのですが‥」
彼が暮らす長屋の名前を示しながら、手代はふと何事か思いついたのかと小首をかしげた。
「こちらの方も、言葉は少し苦手のようで‥」
意思の疎通に苦労した、と。ちらりと苦労話を披露しつつ、手代は他に気になるコトがあるのか白いものの目立ち始めた眉根をわずかに寄せる。
あまり詳しくないのですが‥と、前置いて。
「‥‥お連れの方が人間の娘さんというのは‥‥どういうものなのでしょうね‥‥」
●リプレイ本文
文字による記録が記憶より優れている点は――
風化による事実の歪曲や、美化を許さない処にあるだろう。
これが日記や手紙であれば、また違った側面が見えてくるのかもしれないが、記した者に特別な感情がなければ、ごく完結に状況だけを教えてくれる。――“ぎるど”の日誌などはその最たる例で‥‥
「‥‥ジル、ジル、ジル・アウダヤン、と‥‥ああ、ありました」
ウェス・コラド(ea2331)の求めに積み上げられた資料を繰りつつ、ぶつぶつと口の中で探す名前を繰り返していた記録係が声を弾ませた。――誰でも読める報告書とは違い、こういう類の記録は非公開である事が多い。
「その周辺にイリス・ナミュールという名前はないか? 人間の女だそうだ」
ふたりは恋人(夫婦?)のような関係だと聞いている。
「えっと、イリス‥‥イリス‥‥ええ、載っています。‥‥このふたりが何か?」
訝しげに首をかしげた記録係を脇に押しやって、コラドは自らの推測が間違いでない事を確かめた。
月道を通ってこの国にやってきたのは、何を得る為だったのか。
来日当初は仕事を求め“ぎるど”にも顔を見せていたようだが‥‥いつの間にか、姿を消した。
他の仲間とソリが合わなかったからだというが――
「あちらの国にお帰りになられたワケではございませんので?」
安易な推測に、コラドは鼻で笑う。
転移護符などで気軽に往来する者がいないわけではないが、そも月道は安いものではない。――なにより、神の教える道徳に叛いた彼らを迎えてくれる場所はないはずだ。
「‥‥こちらでも、もちろん歓迎するものは少ないじゃろう‥‥」
日本でも、異種族婚は禁忌である。
明かになれば、異端視されることは目に見えていた。日本人は月道の向こう‥‥否、華国に比べても閉鎖的で、変調を好まない。
それが現在に至った一端かもしれぬ、と。眉間に皺を刻んだ竜太猛(ea6321)に、コラドは唇の端を吊り上げた。
「フン。‥‥愚かな‥互いの存在の為に人生を棒に振り続けているとはな‥‥」
「禁じられているからこそ身を焦がす想いというものもある。――かく言う俺も、義弟への思慕は未だ断ちがたい」
この通り、身も細る思いだ‥と。胸に手を当て切なく吐息を落とした丙鞆雅(ea7918)に、コラドと竜は顔を見合わせ無言で肩をすくめる。――六尺に届こうかという立派な体躯の男がうっとりとあらぬ方を見つめて語る義弟への暑苦しい執着など理解不能であり、許容したくもない。
●溶けざる心
―――ぱちん‥。
手の中で、扇が小気味良い響きをたてる。
ぱちん、ぱちん、と。
無意識に繰り返し弾けるその音は、持ち主の思考の周波数にも似て‥‥。
人を待つのは、意外に疲れる。
楽しみなら待たされる分だけ嬉しさが増すものだと、己に言い聞かせることもできるのだけれど。
いつ襲ってくるか知れぬ襲撃者。
そして、真相を確かめる為、疑惑の住人が住む長屋へと足を踏み入れた仲間。――今回は、気がかりばかりだ。
ぱちん、と。扇を鳴らす月代憐慈(ea2630)から僅かに離れた物陰に身を潜めた田之上志乃(ea3044)も、長屋の壁に耳をひっつけて様子を伺う。
薄い壁板を通して伝わる人の気配は、今のところは静かなものだ。その、ただ淡々と過ぎていく時間がもどかしい。
相手の言葉が理解できないのは、不安だろう。
勝手の違う異国の地で神経質になっている相手に、悪戯に不安は与えたくない。
‥‥‥それに‥‥
異人を襲う輩に、追われる者。
容貌や生活の違い、若しくは選んだ連れ合いの存在に周囲から奇異の目を向けられている異邦人。‥‥そして、盗みに手を染めたかもしれぬ者。
ぱちん。
月代の逡巡に呼応して、扇が鳴った。
彼らを前にどういう態度で臨めばいいのか。あるいは、どんな言葉をかければいいのか‥‥困惑する月代に対して、志乃の方はもう少し簡潔だ。
志乃にとって重要なのは、彼がとある村の祠から数珠を持ち出した本人であるのかどうかの一点に尽きる。――“しふーる”に惚れていようが、“どわーふ”に惚れていようがどうでもいい。そう言い切ってしまえるのは、彼女がまだ色恋とは無縁の子供であるせいだろうか。
「すけべぇどんが、アイリスどんさ覗くのと同じようなモンだかなァ」
似たような状況を思い浮かべてひとり納得しているが、当人はきっと明確に否定してくれるに違いない。
■□
嫌な沈黙が心に重くのしかかる。
襲撃者の捜索を口実にジルとイリスが暮らす長屋を訪れた御神楽紅水(ea0009)とアイリス・フリーワークス(ea0908)は、居心地の悪さに口を噤んだ。
何もない部屋。
戸口に立てば一望できてしまう三間程度の狭い部屋がやけに広く感じられるのは、家財の類がほとんど置かれていないせいだろう。必要最低限‥‥もしかしたら、必要なものさえないかもしれない。
その部屋の真ん中で、ただ黙って向かい合うのは精神的にも苦痛だ。
「えっとですね」
おそるおそる言葉を探しながら口を開いたのは、アイリスだった。もともと享楽的な種族であるから、この手の沈黙には耐えられない。
「この前襲ってきた人は何かを探しているみたいなんですが‥‥何か心当たりってないですか?」
聞き取れる言葉であったせいか、イリスが僅かに顔をあげる。紅水より少し年上だろうか優しげな顔立ちをしているが俯き加減で、視線を合わせてもくれない。――引きこもりがちだと聞いてはいたが、顔色も悪かった。
「‥‥心当たりなんて‥‥」
返された言葉は、紅水の予想通りゲルマン語。イリスの視線はちらりと少し離れた壁によりかかって不機嫌そうに腕を組んだ男を見やる。
「ない」
とりつく島もない。
「本当に何も知らないですか?」
むぅ、と。顔をしかめたアイリスに挑むような視線を向けて、ジルは僅かに口角をゆがめて見せた。
「知らないと言っている」
強い口調に、アイリスはぴょんと跳ねて紅水の後ろに隠れる。
「‥‥俺たちをここから追い出したいだけだろう‥」
「ジル」
強い口調とは裏腹に、その表情はひどく自嘲的で投げやりだった。頑なな心に吐息が落ちる。
きっと、彼らはただ静かに寄り添って暮らしたいだけなのだ。
でも、思うようにいかなくて――。
胸の奥に憐憫が湧く。
だが、彼が罪に手を染めているのなら、見過ごすワケにはいかなかった。――引き起こされた災厄に苦しんだ者がいるのだから。
●湊屋
品揃えは確かに悪くない。
並べられた茶器をひととおり検分し、丙は感嘆のため息をひとつ。――盗品かもしれないという疑惑がなければ‥‥否、盗品であったとしても、茶道家としては至福の時間。
まさに眼福だと満ち足りた気持ちになれる名品、逸品ばかりだ。
先日、大枚を叩いた甲斐あって、上客だとみなされたらしい。奥座敷に通され、振舞われた茶も酒場では味わえぬ極上品とあっては、やはり僥倖というべきだろうか。
天上裏に潜んで帳簿を失敬する機会を狙う天藤月乃(ea5011)などから眺めれば、ちょっと小憎らしいばかりの待遇だ。
「‥‥ひとつ手に入れてほしい器があるのだが‥」
ふっかけた無理難題にも、番頭は笑みを深くする。
「もちろん金に糸目はつけぬ故」
言った手前、さらりと持ち出されると少し困ったコトになるのだが、流石にそこまで周到ではなかったようだ。あるいは、もっと上客が狙っているのかもしれない。
「ところで。つい最近‥‥ここに出入りしている異国人が襲われたそうだが‥‥」
何食わぬ顔で同席し茶をすすっていたコラドは、商談がひと息ついたところでおもむろに話を切り出す。
「私は彼とちょっとした知り合いでね」
ほう、と。細められた目に視線を当てたまま、深く核心へと切り込んだ。
「それで、少し聞きたいのだが、彼はここでどんな仕事をしていたのかな?」
日本の言葉も不得意で、人見知りもする。ちゃんとやっているのだろうか。
気遣わしげな言い回しに、そうですねぇと首をかしげて、番頭はのんびりと答えを返した。
「例えば、荷卸の手伝いですとか。ああ、そうだ。日本をもっとよく見て回りたいということで、方々を回る仕入れの護衛などをお願いしたこともございましたか」
当たり障りのない答えは予想通りのもので。
和やかな会話を装いながら、どうやって傷に触れようかを思案する。こういうぎりぎりの駆け引きは嫌いではない。
「それにしても、先日の暴漢は再襲を予告したそうだ。‥‥なぜ、彼がそこまで狙われるのか‥‥」
こちらの店には、少しばかり聞き捨てならない噂もあるようだから、と。
さすがに言い過ぎではないかと瞠目した丙とは対照的に。不穏な発言を残したコラドを見送る番頭は、それでも笑みを崩さなかった。――その笑顔がいっそう得体の知れないものに見えたのだけれど。
●襲撃者
少し距離を置いて長屋を取り巻く気配の中に、覚えのない者がいる。
その存在に気づいたのは、志乃だった。――長屋に出入りする者を観察していた月代も、小さな違和感を覚えて目を細める。
ぱちん。
扇が鳴らす乾いた音に竜もまた顔を上げて、不穏な気配の因を探した。
ひとつ、ふたつ‥‥
多くはないが、ひとりではない。――山から下りていく人影はひとりではなかったのだと思い出し、志乃は盛大に顔をしかめた。
足を止めれば。こちらの声が届けばいいのだと、思いなおして印を結んで呪文を唱える。ゆっくりと腹の内から湧き出した力が足へと溜まるのを自覚した。
「行くべ、権兵衛!」
愛犬‥‥むしろ、自分を奮い立たるために声を上げる。地を蹴り、一息に一番近い相手の前へと躍り出た。
「‥‥な‥っ!!」
飛び出した人影に驚き僅かにのけぞった男の隙をついて、月露を構えた月代もふたりの元へと駆けつける。
「今度は逃がさない」
歯痒さを噛み締めるのは、1度で十分。
暗い光を宿した眼に、迷いが揺れた。――襲う相手は、誰でもいいわけではない。漠然とまだ人の心を残した相手なのだと安堵する。
じり、と。足を引いた退路を断つように駆けつけた竜が回り込んだ。
「此度は儂がいる以上、話を聞くまで逃がす訳には行かぬ」
「‥‥お前たちには関係のない話だ‥」
低く感情を押し殺した声が苛立ちを伝える。
「関係なくはねぇだぞ。おめぇさんは木地師の衆だべ?!」
探していたのだ。
伝えなければいけないことがあったから。――楽しい話ではなく。むしろ、口惜しさと悲しみを広げるだけだということも。
それでも‥‥
■□
「本当に知らない?」
紅水の言葉に、ジルはただ目を逸らせる。
閻魔様に舌を抜かれちゃうよ。
「べ、紅水さん」
閻魔様はさすがにちょっと通じないと思うけど。おそるおそる声を掛けたアイリスの言葉が遠い。
「とってもとっても大事なものなの。本当に知らない?」
「知らない! 俺は何も知らない!!」
頼まれただけ。
洞窟の奥に眠る宝を取って来てほしい、と。――冒険者を目指す者が、1度は夢にみる光景。
皆がやっていること。それの何処が悪いのか。
「‥‥でも、大事な場所だったんだよ‥‥」
紅水の言葉にアイリスが吐息を落とした。
異国の者に頼んだのは、きっと彼が祠の由来を知らないから。――神聖な場所だと知らなければ、罪の意識は起きないだろう。
●囁くモノ
我ながら良くやっていると思う。
屋根裏から忙しく働く人々を見下ろして、天藤月乃は欠伸をかみ殺した。
張り込みなんて、地味で根気のいる仕事の代表格のようなものではないか。――他に主いつかなかったのだから、仕方ないといえばソレまでだが。
前回は失敗したが、次こそは何か掴んで帰りたい。
できればしっかりとした証拠になるもの。
それを掴むには人の動きはしっかり監視しておくのが大前提で‥‥。
「うぅ、面倒臭いなぁ」
――アァ、面倒ナ仕事ダヨ‥‥
「‥‥‥‥‥」
なんとなく振り返る。
板の隙間を通して下の明かりが入り込むだけの薄暗がりには、当然、月乃以外に人がいるわけはない。
「‥‥気のせいかな‥」
きっと疲れているのだ。
何もしていないように見えて、けっこう気を張っていたから。
はあ、と。吐息を落として、ずりずりと匍匐前進で前へと進む。――ここは先日、丙とコラドが番頭と話をしていた部屋の上だ。
今は、その番頭と見知らぬ男が顔をつき合わせている。浅黒い肌をした筋骨逞しい、偉丈夫といっても差し支えない男だ。――いい男かどうかは、それぞれの主観によって変わるかと思われるけれど。
「‥‥どうやら、足が付いたようにございます‥」
悪企みの臭いに、月乃は僅かに笑みを浮かべる。
コレを待っていたのだ。
「‥‥例の者はまだ見つかっていないのだろう?」
「相変わらず、知らぬ存ぜぬの一点張りで‥‥」
話の内容はよく判らないけれど。
“誰か”が持っていると思われる“何か”について――その行方を捜しているのだろうか。
「尻尾を出すかと泳がせていたのですが‥‥そろそろ‥‥」
「そうだな、潮時かもしれぬ」
「‥‥では‥」
何やらどんどん危ない方へと行くような。
「‥‥‥アレに任せておけばいい‥」
アレって何?
―――あれハ、あれダヨ‥
「だから何なのよ‥」
私に判るように話してよ、と。こっそり毒づいた月乃の隣で誰かがひそやかな忍び笑いを漏らした。
―――心ヲ喰ウノサ‥
―――希望ヲ消シテ、絶望ヲ広ゲル‥‥魂ヲ絶望ノ色ニ塗リ潰スンダ。楽シイダロウネ‥
「そう? 悪趣味だわ。何が楽しくて――」
呟いた言葉が途切れる。
自分は、いったい誰と言葉を交わしているのだろう‥‥。
ゆっくりと顔を上げた月乃の視線の先で、それはにぃと眸を歪めて笑みを作った。暗がりの中でさえ、いっそう黒い闇色の体と、赫く熾った埋火のような不吉な眸。
―――逃ゲチャイナヨ‥
真っ黒な犬の姿をしたそれは、月乃に囁く。
―――面倒ナ仕事ナンテ辞メチャッテ‥
―――面白、可笑シク遊ンデ暮ラセバ楽シイヨ‥‥
スクスクとひそやかに。
だが、ひどく甘く耳障りな囁きは、月乃の胸に突き刺さる。
―――モウジキ、ココ−江戸−ハ、火ニ包マレル‥