【楽園の幻影】〜肆・囁くモノ
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 71 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:10月27日〜11月01日
リプレイ公開日:2005年11月05日
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●オープニング
―――疲レタダロウ?
声が聞こえる。
晩秋の夜がもたらす底冷えの裡より囁く声は、低く、虚ろで。長く重い鬱屈の果てに疲弊しきった胸に、じわりと滲みた。
塞がることのない傷口から、じくじくと赤い血が溢れ出す。
―――何処ヘ行ッテモ、同ジ事サ‥‥
―――楽園ナンテ夢物語‥‥何処ニモナイヨ‥‥
調子が変わったのはいつからだろう?
慰めるような甘ったるい響きに、いいようのない厭世感が漂うようになったのは。
―――ネェ、モウ疲レタダロウ?
―――楽ニオナリヨ‥‥
■□
気に食わない。
少しはなれた場所から長屋を眺める。
日輪はそろそろ天頂にさしかかろうかという昼時。周囲には昼餉の支度を始める物音や食べ物を煮炊きする良い匂いが漂うていたが、その部屋から人の動く様子はうかがえなかった。――炊飯はおろか、本当に人が住んでいるのか。不安を覚えるほど、ひっそりと静まり返っている。
彼女がずっと長屋を出ていない事は、確認済みだ。
同居していた男が窃盗事件の参考人として番屋に出頭を求められて10日余。女が長屋の外に姿を見せたのは、僅かに数回。――流しの商人に扮して長屋を訪ねた仲間の話によると、何をするでもなくただ部屋の端にじっと蹲っているのだという。
「‥‥なんかこっちが滅入ってきそうだよ‥」
差し出された握り飯に手を伸ばし、彼は胸郭に溜めていた重い息を深々と吐き出した。
「そっちはどうだい?」
「こっちも、手ごたえはあまり良くないみたいです〜」
陣中見舞いを兼ねた差し入れ係りの羽根妖精は問いかけに曖昧な笑みを浮かべ、彼の真似をして息を吐き出す。
「隊商の用心棒をして方々の村を回ったのは確かみたいですけど〜」
行き先や、目的などは良く理解していなかったらしい。
大きな寺社ならばソレと区別もつくかもしれないが。くたびれた祠や、小さな社の重要性など‥‥考えたこともなかっただろう。
「遺跡の調査とか、言葉巧みに丸め込まれてしまえば、気が付かないかもしれませんね」
あの人は、言葉もそれほど流暢ではないですし。
気遣わしげに眉尻をさげた羽根妖精に、彼女と同じく月道を越えてこの地を踏んだ魔法使いは忌々しげに舌打ちを落とした。
「‥‥ありうるな‥」
遺跡の調査。神殿の探索。‥‥たしかに、偉大な発見への可能性を秘めた単語は、冒険者の内なる探究心をくすぐるに余りある。
‥‥から‥‥
引き戸の軋む小さな音に、彼らは開きかけた口を閉ざした。
目的の部屋。棟続きの隣の部屋の扉がわずかに開き、薄暗い隙間から痩せた男がひょろりと姿を見せる。
明るい日差しに眩しげに目を細め、おとこはゆるゆると周囲を見回し、ちらりと木戸の付近にたむろする冒険者たちに視線を投げた。――ひどく痩せて血色の悪い‥眼窩の落ちた目ばかりがぎょろりと大きな、不気味な面相に胸の奥が落ち着かない。
「‥‥この周辺は経済的に恵まれない者が多いようだな‥」
日が当たれば、影も出来る。
仕方のないことだとはいえ、気が滅入るのは仕方がない。――平然としていられるような人間にはなりたくないが。
■□
「――起こらないで、聞いてください」
詰め寄った冒険者を前に、“ぎるど”の番頭は気拙げに視線をそらせた。
「どーゆー意味だべ」
内容を話す前に、何を言う。
「ですから‥」
何が面白くないのか顔をしかめ、番頭は番屋から持ち込まれた報告書に視線を落とした。確認するように読み返してため息を付く。
「お探しの数珠について‥、なんですがね‥‥彼は“数珠”を知りませんから、話を聞くのに苦労したんですよ」
「おめぇさんの苦労話はどうでもええ」
苦労話をばっさりと斬り捨てられて、番頭は少し面白くなさそうな顔をした。が、こちらも商売である。気を取り直して先を続けた。
「まあ、方々で同じようなコトをやってるわけですから‥‥“これ”という確証はないんですがね。‥‥中に虫の入った琥珀玉を持ち出したコトがあるそうです」
「琥珀っていうと、あの黄色い宝石だよね」
石の中に虫が入るとは、どういうことか。
顔を見合わせても、とりあえず答えは出てこない。
「それで、それは今どこに?」
「それが‥‥」
言いにくそうに、言葉を濁し番頭は吐息を落とした。
「なくした、と」
どれくらい険悪な顔をしてしまったのだろう。
思わず絶句した冒険者たちに、番頭は慌てて言葉を足した。
「正しくは、何者かに持ち去られた‥でしょうか」
祠から宝石を持ち出したのは確かだが‥‥江戸に帰った翌日、“湊屋”に渡すその前に、それは忽然と消えていたのだという。
「‥‥なんでも、長屋でちょっとした小火騒ぎがあって‥外に出て、戻ったときには琥珀はなくなっていたのだとか。‥‥小さな女の子が長屋の人たちとは逆の方向へ走って行くのを見たなんて、言ってますけどね‥‥」
■□
子供はひとりで毬をついていた。
少しばかり丈の短い色褪せた着物には、かつては鮮やかな緋牡丹が咲いていたのだろう。――今では、僅かに褪せた赤が残っている程度だが。
垢まみれ、泥まみれの長屋の子供にしては、抜けるように色の白い。少し他の子とは違うところのある子供だった。
具体的に何がと言われれば困るのだけれど。
ひょろひょろと井戸の方へと歩いていく痩せた男を何の気なしに目で追って、それを見たのは多分、偶然。
ぽん、と。
少女の手から毬が転がる。
偶然、ではなくて、必然。彼女は、ワザとそれを転がしたのだ。
ぽんと跳ねて、赤い毬は男に当たる。
「‥‥‥首‥苦しくない‥?」
落とされた言葉の意味は謎のまま。
ただ、促されるように視線をあげて‥‥あるはずのないモノを見た。
男の首に‥‥
幾重にも蛇のように巻き付いているそれは、首を縊った荒縄のようにも見えて。
瞬きをひとつ。
ごしごしと目をこすり、改めて凝らした視界の中から‥‥いるはずの人の姿は、消えていた。
男も、女童も。
●リプレイ本文
目は悪くないハズなのに‥‥。
狐につままれたような気分で、月代憐慈(ea2630)はごしごしと瞼をこする。
見るからに不健康そうな痩せた男と小さな子供。
何気なく目で追った視線の先で、顔を合わせてひとこと、ふたこと。交わされた会話の内容と豹変した男の姿。――驚いて凝らした視界の中に、ふたりの姿は見つからなかった。
「‥‥疲れてんのかな‥」
最近、気ぃ張って仕事してるから。
あはは、と。自分に言い聞かせるように小さく乾いた笑みを零して、ぽりぽりと扇子の先で頬を掻く。ちらりと窺うように上げた視線の先で、丙鞆雅(ea7918)もまた、ぽかんと口を開けていた。
●咎人の択るべき道は
『例の襲撃者の心配はなくなったが、別のモノが君達を襲う可能性がある』
シフール通訳に代筆を頼んで作成した書簡を手に番屋を訪れたウェス・コラド(ea2331)に、当番の男は少し怪訝そうな顔をしたが何も言わずに通してくれた。
ジルの拘留は、早ければ明日にも解かれるという。――言葉が通じにくい上に、証拠不十分というのが主な理由だそうだ。
「あの人を襲ってきた男についても今、取調べをしています。――他にも襲われたという人がいるようですから、こちらはちょっと時間が掛かるかもしれません」
そう説明した牢番に書簡を渡し、間違いなく本人に渡してくれるように頼む。
なにやら得体のしれないモノが裏でうごめいているらしい。 上手く誘導できていれば、湊屋は行動を起こすだろう。――手の内が見えないのが不安ではあるが。
だが‥‥
知らなかったとはいえ、パンドラの箱を開いたのはジル自身なのだ。
どこか釈然としない状況を想い、内心で舌打ちを落とす。――知らずに犯した罪ほど性質の悪いモノはない。
それでも。彼に償う意思があるのなら、その機会を与えてやりたいと思う。
●対立する影
群れて遊ぶ子供たちに囲まれて、丙鞆雅はご機嫌だった。
子供と触れ合っていれば幸せという健全だか、不健全だかちょっと微妙な性癖の持ち主であるこの男と、共に仕事をするのは何度目だろう。
この光景を目にするのは初めてではないのだが、やっぱり何処かもやもやするものを感じる御神楽紅水(ea0009)だった。
「それで、小火が出たというのは‥‥」
琥珀玉を持ち出して戻った夜に起こった騒動。
夜更けに半鐘が鳴り響き、長屋中が飛び起きた。――江戸の町で最も恐れられている災害は、火事である。
慌てて外に飛び出して‥‥ところが、火元は判らなかった。
翌朝になって差配人にせかされるまま長屋総出で検分した時も、怪しいところはひとつも見つからず‥‥さらに気味の悪いことに、夜更けに半鐘の音を耳にしたのは、この長屋の住人たちだけだったという。
「‥‥ますます怪談のようになってきたな‥」
寄って来た子供を抱き上げてその温もりを愉しみながら、丙はちらりと真剣な表情で子供たちの話しに耳を傾けている紅水に視線を向けた。
「それで、女の子を見かけたって話は?――覚えていること何でもいいから教えて?」
真夜中に大騒ぎをする子供。
どこかで聞いた事があるような、ないような。
「お人形みたいに、赤い着物を着た色の白い女の子?」
「‥‥それは俺が先日見かけた子供っぽいのだが‥」
そういえば、あの後、月代とふたり手分けして確かめたのだが、この長屋にそれらしい女の子はいなかった。
「‥‥‥‥‥」
もしそれが紅水の想像している子供であったとするのなら、その目的は何なのだろう。
この間は、敵ではなかった。
だが、今回も味方であるという確証はない。
「この辺りにお稲荷さんってあったっけ?」
「は?」
唐突な紅水の言葉に、丙は目を丸くする。
ひとつの町に最低、ひとつ。――探せば、きっと見つかるだろうケド。
「‥‥神頼みか‥?」
神仏にすがるには、まだ少し早いんじゃなかろうか。
そんなことをチラリと脳裏に思い浮かべたが、紅水の表情は真剣だった。
●生きる事は、働く事!
軽やかな笛の音が風に乗って長屋に響く。
屋根の上から子供たちの相手をする紅水と丙を見下ろして、アイリス・フリーワークス(ea0908)は想いの丈を笛に込めた。
「はあ。イリスさん、今日も出てこないです。なんだか心配になってきたですよ〜」
お菓子を持って訪ねてみたのだが、どうにも取り付く島がない。
長居をするとアイリスまでつられて滅入ってしまいそうな重苦しい雰囲気に、早々に退散してしまったのである。――少しでも元気付けることが出来れば、とこうして屋根の上で笛を吹いているのだが。
「あの空気は、おかしいですよ〜」
背中がゾクゾクして、羽根まで震えてしまいました。
同じく屋根の上から部屋を窺う田之上志乃(ea3044)に、感じた異常を訴える。――おかしいといえば、志乃も何やら機嫌が悪い。
「志乃ちゃん?」
おそるおそる覗き込んだ顔には、眉間に立派な縦ジワが。
「‥‥もう我慢なんねぇ」
ぼそりと落とされた言葉の不穏な響きを聞き返されるよりも早く、志乃はぽんと屋根の上から身を躍らせた。
閉ざされた扉を力任せに、開け放つ。途端、外へと流れ出す重苦しい部屋の空気は、瘴気にも似て。
「おめぇさんは、殺される前に死にてぇだか? 生きるっつぅのは、働く事だぞ? 見とって腹立つだよ!!」
ひと息にまくし立てられて、部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいた娘は呆気にとられて志乃を見つめた。言葉は通じなくとも、気概は通じる。
「お、落ち着いてください〜」
慌てて飛び込んだアイリスの制止を振り切って志乃はイリスの手を掴むと、無理やり外へを引きずり出した。
「ええか。お天道様の下で真っ当に働いて、飯を食ぅ。それが、生きとるつぅことだべ。それを、いつまでも、ウジウジウジウジ‥そのうち苔むすだよ」
言いたいことを吐き出して、志乃はにっと雀斑の浮いたあどけない顔に人好きのする笑みを浮かべる。
「オラが働き方を教えてやるだよ」
まずは、仕事の探し方から。
騒ぎを聞いて駆けつけてきたものの、始めて見る剣幕に思わず立ち尽くした月代を押しのけ嵐のようにイリスを連れ去る志乃を見送って。
「え〜とぉ‥」
追いかけた方がいいのだろうか。月代と顔を見合わせたアイリスの後ろで、ざわりと黒い瘴気が動いた。
暗く淀んだ空気が小さな体を包み込む。
部屋の奥、薄い壁の向こうから誰かの囁く声が聞こえた。
――ネェ、モウ疲レタダロウ?
「‥‥ッ!!!!!!?」
普段は悩みなどほとんど感じない心に、突然、暗雲がたつ。
ひとりぼっちだ。
助けてくれる人なんて誰も居ない。
憂鬱に曇った気分がどんどん落ち込んで‥‥生きる事さえ、億劫になるような。
「あわ、わ、わ、わ‥」
ここに居てはいけない。
ザワザワと不快な感覚に鳥肌が立ち、嫌な汗が背中を伝う。
激しく警鐘を鳴らした本能に従って長屋から飛び出したアイリスの異変に、勢い良くイリスを引きずって行った志乃を呆気にとられて見送った紅水と丙が気づく。
●囁くモノ
薄い壁板を隔てた向こう側――
長屋の造りから言えば、壁の向こうはこちらと似たような部屋があるはずだ。
「‥‥あ‥」
隣に住む者の顔を思い浮かべようと記憶を手繰り、月代は小さな声を発してぽろりと扇子を取り落とす。
「どうしたの?」
大事なものでしょ。膝を屈めて扇子を拾い上げた紅水は、月代の表情に不穏を悟って口を噤んだ。
「‥あいつ、だ‥‥」
「あいつ? ‥‥って、あの‥」
痩せた男。
見るからに陰鬱で近寄りがたい雰囲気を纏った痩せた男。――聞けば、長屋の住人であるという。
丙が魔法を用いて存在を諮った時は、確かに呼吸があった。
人だと安堵したのだが。だが‥‥
「――たしか、首に縄を巻きつけているように見えたんだよな‥」
首を縊った死体を思わせる不気味な姿を見たのは、件の子供に毬をぶつけられたその時だけだ。だが、その不気味な様相は、忘れようがない。
「首に縄っ?!!! おかしいですよ〜。そんな格好、普通の人はしませんよ〜」
ぴょんと跳ねて紅水の千早の袖にしがみついたアイリスの言葉に、丙は困ったように視線を揺らせる。
「そうなのだが‥‥」
「とりあえず、行ってみようぜ」
悩んでいても始まらない。
壁の向こうに何がいるのか、相手が何であっても‥‥とりあえず、まっとうなモノではない。
その声を聞くだけで、特に理由もなく気分が落ち込む。
これが精神的に参っている時であったなら――
想像するだけで、ゾッとした。
□■
薄暗い部屋の隅‥‥ちょうどイリスが座り込んでいた場所と壁を挟んで隣り合わせに、男は立っていた。
小柄な男だ。ひどく痩せて落ちた眼窩の奥の目だけが、暗く不気味な光を宿している。
なにより、幾重にも首に巻きついた縄の存在が、男の異様さを如実に物語っていた。
「お前は何者だ!?」
丙の発した誰何の声に、男は顔をしかめる。
‥‥と。淡く銀色にゆらめく月光にも似たほのかな光が、男の周囲に揺らめいた。いつもなら味方であるはずの精霊の気配にアイリスは小さなうめきを零す。刹那、
男の身体は、溶けるように後ろの暗がりに消えた。否、突然、湧き出した暗闇に包まれたのだと気づくのに、少しばかり時間がかかる。
―――ドンナニ頑張ッテモ、義弟ハアンタノ元ヘハ帰ッテコナイヨ‥
耳元で囁やかれた声に、鳥肌が立った。
―――一生懸命ヤッタッテ報ワレルコトハナインダヨ‥
―――モウ嫌ニナッタダロウ? 楽ニオナリヨ‥‥
闇の中で、囁く声は聞く者の心を抉る。
絶望に追いやるかのように癒えかけた傷口を広げ、悲しみを増長させて気力を奪っていくのだろうか。
目を凝らしても見えるのは、闇。
「ま、負けるものかっ」
例え足蹴にされようとも、義弟への愛は永遠なのだ。
泣きそうな自分を叱咤して、丙は精神を集中させる。目に頼る攻撃はできなくとも、精霊の力を借りる魔法なら‥‥闇に遮られることはない。
闇の中に、淡い緑色の光が集う。
風精が起こした大気の歪みは無形の刃となって、暗闇を貫いた。
何かを切り裂く手応えと、声のない絶叫が闇を揺るがす。
その感覚に力を得、紅水、アイリスもそれぞれ魔法を完成させた。――水精。そして、闇を作り出した月の精霊も、その力を惜しむことなく。
―――オ‥ノ、レ‥
声なき声が、ぎりと無念を噛み締めた。
やがて魔法の効果が切れたのか、ゆっくりと薄れていく闇の向こうに傷つき斃れた骸がひとつ。――人の姿をした亡骸は、だが、部屋が明るさを取り戻すにつれしだいにその輪郭を薄くして、砂のように崩れ去る。
「‥‥魔物だったのか‥」
邪魅。そして、使わされた刺客――
湊屋の抱えた闇には、何が潜んでいるのだろう。