【楽園の幻影】 〜伍・影追い

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:01月14日〜01月19日

リプレイ公開日:2006年01月22日

●オープニング

 鏡開きも滞りなく済んで――
 お屠蘇の酔い心地もそろそろ冷めようかという江戸の“ぎるど”に、その依頼が舞い込んだのは朝のずいぶんと早い時間だった。
「イリス・ナミュールという女性を覚えていらっしゃいますか?」

 窺うような手代の問いに、短い沈黙が部屋を包む。
 咄嗟に思い出せなかったのは冒険者たちのも記憶力のせいではなく、年末から江戸に停滞する不穏を纏った暗雲のせいだ。
 神剣争奪に始まって、江戸市中の実に3割を焼いた火事。あるいは、源徳公への悪意に満ちた事件の数々。――しわ寄せは全て火の粉となって市民の上へと降りかかり、疲弊するその身を焦がす。
「皆様には一連の事件について数々の骨折りをしていただいていたところ‥‥生憎の大火と重なり、危うく有耶無耶になりかけていたとでも申しましょうか‥」
 イリス・ナミュールは、その事件の当事者のひとり。――廻船問屋・湊屋の裏の商いに手を貸したとされるジル・アウダヤンの連れ合いだ。
 手に手を取って月道を潜ったものの、その後に続く苦難に絶望し未来を見失っていたところを冒険者たちに助けられて今日に至る。
 仕事を覚え、少しづつではあるがこちらの生活にも馴染みつつあるそうだ。
「大火に焼け出される事も免れたと言いますから、ようやく運が向いてきたのかもしれませんね」
 手代の言葉にホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、素朴な疑問が頭に浮かぶ。――万事、上手くいっているのなら、“ぎるど”を頼ったりはしない。
「それが‥‥。イリスの申すところによると、彼女の連合い‥‥ジルとかいいましたかな。先日の件を彼なりに気に病んでいたとか、それとなく湊屋の行動を探っていたというのです」
 ところが。
 肝心の湊屋は大火の折に飛び火をもらい、店は跡形もなく焼けてしまった。
 「尤も、被災したとは言っても、廻船問屋の財産は“船”でございますから被害はあってないようなもの」

 蔵町の土蔵なども、民家に比べれば火に強い。
 そんなワケで、湊屋には早々に店を再建する動きがあった。――ジルはその周辺を調べて廻っていたのだという。
 ‥‥そして‥
「昨日、船を調べに行くと言って長屋を出たきり、戻らないのだそうです」
 精神的に不安定なところのあるイリスをひとり残して外泊するような男だとは思えないから――
 嫌な予感に見合わせた互いの顔は、同様に胸の不安を顕していた。
「皆様の助けが必要かもしれません」
 手代の吐息は、そのまま彼らの想いだったかもしれない。

●今回の参加者

 ea0009 御神楽 紅水(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea0282 ルーラス・エルミナス(31歳・♂・ナイト・人間・イギリス王国)
 ea0908 アイリス・フリーワークス(18歳・♀・バード・シフール・イギリス王国)
 ea2331 ウェス・コラド(39歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea5011 天藤 月乃(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6177 ゲレイ・メージ(31歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea7918 丙 鞆雅(35歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

竜 太猛(ea6321

●リプレイ本文

 海は少し荒れているようだった。
 冬雲を浮かべた鉛色の空を映した江戸湾は、遮るもののない彼方より吹き寄せる潮風に波頭を白く逆立て水面を揺らす。
 時折、風花の散る冷たい凍てた空気に首をすくめ、アイリス・フリーワークス(ea0908)は白い息を吐き出した。
「うう〜、寒いですよぅ」
 大きな廻船の停泊する河岸は活気に溢れ、忙しく積荷を運ぶ人足たちの身体からは汗が伝い白い湯気があがっていたが、周囲に気を配りなるべく衆目を惹かぬよう隠密行動を心がける身には木枯らしが身にしみる。
「まったくよね。こーゆー仕事はさっさと終わらせてしまうに限るわ」
 ものはついでという言葉もあるのだ。面倒くさいが、関わってしまったのだから仕方がない。
「こんな場所に異人なんて早々いないから、見つけやすいと思うしね」
 顔を知らなくてもなんとかなるわ。と、楽観的な天藤月乃(ea5011)の言葉に、田之上志乃(ea3044)は少し考え込むようにこくりと首を頷かせた。
「んだ。異人で“えるふ”つぅとやっぱり目立つだからな。‥‥だども‥」
 それは、ジルを煙たく思う湊屋にとっても同じ条件。
 ちらりと見かけたという目撃談を聞くだけでも、たちどころに正体がばれてしまうに違いない。戻らないのは、おそらくそういうことなのだろう。
「目立って人の記憶に残りやすい分、そう簡単に始末できないのが救いといえば、救いだな」
 ウェス・コラド(ea2331)の指摘に、隠密行動にはそれなりの経験と実績を有する志乃と月乃は無言で顔を見合わせた。
 河岸で働く人の全てが湊屋の息が掛かった者ではない。また、物流の要所であるということもあって、奉行所やお城のお役目方が頻繁に出入りする場所でもある。
 そういう意味で、ジルは少しばかり幸運だった。――掴まってしまったコトは、不運だけれども。
 “ぎるど”の手代の言葉どおり、ツキが巡ってきたのかもしれない。
 一足先に日雇いの人足仕事を手伝いながら情報を集めていた竜太猛の手引きもあって、湊屋の所有する船が停泊する河岸を見つけるのは思った以上に簡単だった。
「おっきな船ですね〜。これじゃあ‥‥もが‥っ」
 探すのが大変ですよ〜、と。ちらりと零れた本音に、志乃が慌てて羽根妖精の小さな口を押さえる。
 河岸に入り込んだジルの姿は、数人の港湾関係者の記憶に残っていた。
 ほとんど日本語の話せない異人――それも、人間とは少しばかり様子の違うエルフとくれば、いかにも奇異に映ったに違いない。
 彼なりに思うところはあったのだろうが‥‥
「ジルさん、無事だといいですよ〜」
 はぁ、と。心配そうに眉をしかめて白く吐息を落としたアイリスをちらりと視線の端で一瞥し、コラドはそっけなく肩をすくめる。
「とりあえず、船の場所は突き止めたし。もう少し、周辺をうろうろして‥‥行動を起こすのは、夜の方がいいわね」
 忍び込むには、賑わう河岸は些か人目が多すぎる。
 面倒だけど‥と、呟いて。潮風に吹き散らされた髪を押さえた月乃は、指にはめた見慣れない装身具を熱心に見つめる御神楽紅水(ea0009)に少し顎をひいた。
「それ、なあに?」
「これ? 外国のお土産にもらったんだ」
 ほっそりした指を飾る金属の輪には、大粒の貴石。――よく見れば、宝石の中に、蝶の姿が掘り込まれている。
「“石の中の蝶”って、悪魔に反応する指輪なんだって」
 先の依頼で冒険者たちの前に現れたのは、“縊鬼”と呼ばれる悪魔であった。
 月乃自身、忍び込んだ湊屋で“邪魅”と顔をあわせている。紅水、志乃、ゲレイ・メージ(ea6177)の3人にも、対峙した記憶があった。
 湊屋の周囲に出没する悪魔たち。
 単なる偶然だと片付けられるほど暢気ではない。――今はまだピクリとも動かない蝶を見つめて、紅水は張り詰めた寒気に息を吐く。


●真実の探求
 調べる事、集めた知識を基に推論を組み立てる精神作業は、キライではない。
 ルーラス・エルミナス(ea0282)を伴ったゲレイ・メージは、依頼記録の残された書庫、宮廷図書館と精力的に飛び歩いていた。
「私が思うに、湊屋は人ではないのだろう」
 膝に抱えた愛猫を撫でながら、もったいぶってパイプを咥える。――大量の紙を扱う書庫では火気厳禁と止められたので、火はついていないのだがいつもの癖だ。
 一連の事件についてはほとんど予備知識のないエルミナスは、メージが薀蓄をたれるには格好の相手である。
「江戸は今、魑魅魍魎が跳梁跋扈する厄介な状態だけど、人に混じって悪事を企むことができる妖怪はそんなに多くないんだ」
 どこか嬉しそうに語られる聞きなれない単語の羅列に、耳を傾けるエルミナスは眉をしかめた。要約すると、人と同じように話をしたり立ち回ることのできる妖怪は限られているということらしい。
「‥‥それで、湊屋が人ならざるモノだったとして。その正体は判るのか?」
「まあ、大体は。」
 自信ありげな笑みを浮かべ、メージは猫を抱いたまま立ち上がる。
「後は実際に顔をつき合わせて、確かめるだけだ」
 単に、湊屋本人に指を突きつけて、

 ――お前の正体は×××だっ!!!

 と、いうのがやってみたいだけかもしれない。
 ちらりとそんなことを思ったが、エルミナスは意気揚々と歩き出したメージの後を追いかけた。
 メージの言葉のとおり、湊屋の正体が人ならざるものであるなら‥‥正面から渡り合えるのは、自分とここにはいない丙鞆雅(ea7918)くらいだろう。
 こういう予想は、ハズれた方が良いのだけれど。


●潜入
 番小屋の前に焚かれた不寝番の火が見える場所で、コラドは足を止めた。
「私はここで退路の確保にあたるとしよう」
 コラドと丙は客に扮して何度か店を訪れている経緯から、湊屋の者に顔を覚えられている可能性がある。
 それに‥‥
 海とはあまり相性がよろしくない。
 “地”の精霊を操る魔法使いであるコラドにとって、船はなるべくなら戦場に選びたくない場所でもあった。
「ええ、と。私と月乃さんは、番小屋。メージさんとエルミナスさんが船の人たちの気を引いている間に、志乃ちゃんとアイリスちゃんが忍び込むのね。――コラドさんは、ここで何かあったときに備えて‥」
 役割分担の確認を終え、紅水はちらりと指輪に視線を落とす。石の中の蝶は、まだ、静かに羽根を休めていた。
「‥‥せっかく前向きになってくれたイリスさんの為にも、絶対、ジルさんを助け出そうね」
 暗がりの中に消えていく人影を見送って、冴えた夜気を胸に吸い込む。
 酒が入った大きな徳利を抱えなおした紅水を視界の端に、月乃はこれからの仕事に備えて軽く身体の筋を伸ばした。
「それじゃあ、よろしく」
 差し入れを装った紅水が番屋に詰めた人足たちの気を引いている間に、月乃が中に忍び込んでジルを探す。――腕には自信があるので、不寝番が多くなければノシてしまうのも手っ取り早くて月乃好みだ。

■□

「知り合いがこの船に無理やり連れ込まれたのを見たと聞いたので、中を改めさせてもらえないか?」
 言葉の内容とは対照的に紳士的に切り出したメージであったが、船の見張りは胡乱げに眉を顰めた。
「――こんな時間に言いがかりとは穏やかじゃないねぇ。何か証拠はあるのかい?」
 応える声にも不審が宿る。
 あるいは、ジルと同じく異国の者であるメージとエルミナスの登場に、つながりを想像したのかもしれない。だとしたら、この船で正解なのだけど。
 実際に忍び込む志乃とアイリスから目を逸らす為、とはいえ正面から乗り込むとはなかなかいい度胸である。
「甲板には誰もいないようですよ〜」
 ふよふよと船を一周して舞い降りてきたアイリスに、“パラのマント”に身を包んで物陰に身を潜めた志乃はこくりと頷いた。
「つーことは、怪しいのは船底の方だか‥」
 ゲージと不寝番のやり取りも、少しづつ熱を帯びていく。
 賑やかな昼間と違い、夜の港は静寂が支配する世界だ。――広い分、音も声もよく通る。
 コトが衆目に触れてまずいのはお互い様だが、湊屋の悪事が明らかになっていない分だけ、少しだけこちらが不利だ。
「いそぐべ」
「はいですよ〜」
 先ずは、ジルを見つけなければ。


●闇に蠢くモノ
 黒い流星が夜空をかすめた。
 星ではなく飛影なのだと悟った時には、コラドは船にむかって駆け出していた。
 ほぼ同時に番屋の引き戸が勢いよく開き、紅水と月乃が飛び出してくる。
「ジルは間違いなく船に掴まっているそうよ」
 引き出した証言をコラドに告げると、月乃は後ろ手に腕をねじり上げるようにして捕まえていた不寝番を番小屋へと殴り飛ばす。
「それから、これ!!」
 突き出された紅水の指先で、神秘を宿した指輪がかすかな星影に煌く。宝石の中に閉じ込められた蝶が、ゆっくりと翅を揺らめかせていた。
「突然、動き出したの」
 近くに悪魔がいる。
 いつかの“邪魅”なのか、他にいるのか‥‥
 場所や数といった正確な情報までは把握できないのが、この指輪にたりないものだけれども。今回はこれで十分だ。
「船だな」
「‥‥よね」
 顔を見合わせて、三人は船へと走り出す。

■□

 その男が何処から現れたのか――
 メージと言い争う男たちの後ろに、ふわりと影が落ちたのだ。
 蝙蝠のようにも見えたその黒い塊はエルミナスの視界の中で悪夢のように膨れ上がり、気が付けば人の姿をとっていた。
 抜き身の刀が、夜を焦がす篝火にキラリと冴えた光を放つ。
 不寝番の男たちにも、この出現は驚きだったのだろう。――「うわぁ」とか「ぎゃあ」とか、意味を成さない悲鳴があがった。
 口を開きかけたメージの言を待たず、鞘走った白刃が風を切り裂く。
 会心の一撃。
 間合いも、踏み込みも。エルミナスの振るった切っ先は確かに男を捉え、致命的な傷を負わせる‥‥はず、だった。
 幻影を斬りつけるような手応えのなさに、エルミナスは目を見開く。
 男は確かにそこにいるのに。
「貴様、やはり悪魔だな!」
 メージの指摘に、男はにやりと口角をゆがめた。背筋を粟立てる邪悪な笑みが、そこから広がる。
 白く塗り固めた能面の表面に細かい亀裂が入り、胡粉が剥がれ落ちていくように。人の姿は失われ、褐色の肌をした悪魔の本性が姿を現した。
 “羅刹”と呼ばれる魔性の名前をメージは知識として知ってはいたが、実際に姿を見るのは初めてだった。これがそうかと感慨を覚える余裕は、さすがになかったが。
 かすかな光に流れるような刃文を白くきらめかせる刀が、ゆっくりと弧を描いて正眼に構える。
「‥‥マズいな‥」
 ちらりとメージを視線で撫でて、エルミナスは口の中で小さく舌打ちを落とした。
 悪魔を相手に通常の武器による攻撃は効かない。
 オーラパワーを付与するには魔法に集中する時間が必要なのだが、その時間を与えてくれる相手ではないだろう。
 どうするか――
 油断なく対峙したまま思考を巡らせた、その後ろで駆けてくる仲間の足音を聞いた。
 ちらり、と。そちらに視線を投げたその隙を突くように。白刃がきらめく。咄嗟にライトシールドを掲げた左腕に、重い衝撃が突き刺さった。
「ほぉ。オレの剣を受けるとは」
「‥‥貴方の事は知りませんが、闇を囁き惑わすモノを見逃すわけにはいきません」
「では、どうする?」
「もちろん、貴様を倒すまでだっ!!」
 メージの身体が淡い青色の光に包まれる。刹那――
 中空から溢れ出した水の塊が、羅刹の身体を弾き飛ばした。
 ひとつ、ふたつ、と。
 詠唱により放たれたウォーター・ボムと飛び散った飛沫が、ばたばたと鋭い音をたてて甲板を叩く。その水の幕の向こうで、悪魔はその顔を歪ませた。
「‥‥よくも‥」
 ゆらりと噴出した瘴気のように揺らめく怒りに、夜の底がいっそう冷たく張り詰めていく。
 オーラを付与した剣を構えなおしたエルミナスのほのかな輝きを宿した剣に、悪魔は僅かに目を細めた。
 油断なく、思案げに。何かを探るように冒険者たちの顔色を見回し、そして、小さく笑声を吐き出した。
「なるほど、あの男を捜しに来たというわけか‥‥」
 黒い光と共に突き出された腕から放たれた衝撃が、甲板の一角を吹き飛ばす。
「きゃあ!!」
 志乃とふたりで負傷したエルフを支えて甲板を登ってきたアイリスは、思わず翅翼を開いて開いた空へと舞い上がった。
「あ、こらっ! 急に手を離したりしたら‥‥」
「ああうっ。ごめんなさいですよ〜」
 突然増えた重量にさすがの志乃も支えきれずに均衡を失い――ようやく出口まで上り詰めた階段を転がり落ちていく音が盛大に響いた。
「既に道を踏み外した者。‥‥悪魔の甘言に唆された男など、今更助けたところで貴様らに利はないだろうに‥‥」
「ジルさんがいなくなったら、イリスさんが独りぼっちになっちゃうんだよっ!!」
 例え、神の教えにはない道であったとしても。
 心がふたりを助けてやりたいと思うのだからしかたがない。神の祝福は得られなくても、悪魔の手には渡さない。
 そう宣言した紅水に、悪魔は哂う。
「よかろう。今回は些か分が悪い。――だが、これで終わったと思うなよ」
 江戸は、魔を呼び覚ます不穏の温床だ。
 心を冷やす邪悪な笑みを揺蕩わせて、黒い光を纏った悪魔は夜の中へと掻き消える。――船底を洗う波の音だけが、静かに単調な旋律を刻み続けていた。
「‥‥逃がしちゃったわね‥」
 なんとなく吐息を落とした月乃の言葉に、何人かは口惜しそうな顔をする。
「まあ、今回は湊屋の正体が暴けたからな」
「それを言うなら、『ジルを無事に助け出せた』でしょ」
 少しすっきりしたと嘯くメージと依頼は果たしたと胸を張った月乃の掛け合いに、紅水も笑い出した。
「あ、そうだ。いなくなったら困る人がいるのにこんな無茶したこと、しっかり叱っておかないとね」
 通訳、よろしくね。
 極上の笑顔で告げられた女の子らしいお説教の宣告に、コラド、メージ、エルミナスの3人は少しだけジルに同情したのだった。