【迷い杜の野疾】江戸の騒擾
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:やや難
成功報酬:3 G 71 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月09日〜11月14日
リプレイ公開日:2005年11月17日
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●オープニング
三公九卿、武職文官、五畿七道萬姓兆民、
皆楽治世、各誇長生、為御願寺、長祈国家区々之誠。
天高徳卑、綸紵依請、供養遂思。 ―――《中尊寺建立供養願文》―
■□
美しい建造物だった。
夜光貝の螺鈿細工、精緻な透かし彫り、漆の蒔絵‥‥巻柱や長押に至るまで、粋を凝らした眩いばかりの黄金の須弥壇には、救世の仏。
天蓋に満ちる日輪の雫を纏い輪郭をけぶらせるその様は、自ら光り輝いているようにさえ――。
幼心に美しいと想い。たちまち心を奪われた。
「この阿弥陀堂はね‥‥」
ただぽかんと口を開け、その芸術品と喩えても遜色のない建物を見つめていた子供の頭に手を置いて。その人は、言った。
「みちのくの民の祈りなのだよ」
群雄が覇を競って合い争う坂東・畿内と同様に、この地にも戦乱があったのだ。
長い長い戦乱に死歿した将兵と、僻地の民の供養。果ては、蝦夷一円の民がみな極楽往生できるよう欣求して。この寺は、建立されたのだという。
「それじゃあ、御仏は願いを叶えてくださったのですね」
彼女の目に映る“みちのく”は、他の何処よりも平和で豊かだ。
そう眸を輝かせた子供の言葉に、その人も笑う。――笑うと少し優しく見えるその顔が好きだった。
「そうだね。でも‥‥」
祈るだけでは、ダメなのだ。
大きく、豊かになったこの国を羨み、妬む者たちがいる。
権力を駒として虚栄と栄華を競い、疲弊をそのまま重い税として民に押し付ける朝廷。
より豊かな地、多くの民、戦力を欲して互いに牙を剥きあう諸侯。――その倦んだ目に、奥州の富はどれほど眩しく映るのだろう。
「‥‥私は、ね。この地を守りたいのだよ」
何処よりも美しいこの土地を。
夢があります。
そう言うと、隻眼の漢はひどく楽しそうな顔をした。――誰よりも勢いのある‥竜にも喩えられる男は、野心を好む。
無論、たかが小娘ひとり。何が出来ると、本気で思っていたワケではないだろうけれども。
「ほお。ならば、共に戦うか?」
ぽん、と。あまりにも軽く投げ出された言葉には、戦さがまとう血生臭さなど微塵もなくて。
夢に近づく嬉々とした昂揚だけが、いつまでも心に残った。
■□
刀は、持ち主の心を知るという。
だが、その所有者が携えた刀の心を知るのは稀だ。――物言わぬ心を理解する者に、刀は応える。
錆びて尚、力を失わぬその剣は、何を想い語ろうとしているのだろう。
「‥‥江戸を焦土に‥」
拵えに納められたまま放置された報いだろうか。昔日の姿など見る影もなく錆びた刀身に視線を落とし、鍛冶師は何かを怖れるように口を閉ざした。不吉を紡ぐ言霊は、言祝ぎよりも現にはねかえりやすい。
無残に朽ちた姿は江戸の行く末に重なるようで、いっそう気が滅入る。
鬼火が騒ぐ。
‥‥そして、現れた走狗たち。仮面に隠された顔を見る事は適わなかったけれども。その気配には覚えがあった。
江戸城の地下。
神剣争奪の行われた洞窟で、牙を剥いた影。あれは――
「螢惑がやると言ったから、きっとやるんだと思う」
争いを招く、赤い星。
「螢惑というのは?」
向けられた問いに、青葉はへしょりと力なく俯いたまま小さく唇を動かす。
「‥‥アタシの‥」
仲間。
本当はそこまで気心の知れた間柄ではないけれど。他に、適当な単語も思いつかない。そんな、関係。 棟梁――主人たるべき人の思惑に従い、行動を起こす。
「江戸が不穏に巻き込まれることを望んでいる者がいる。と、いうことか」
江戸の主君たる人がと言い換えた方が、あるいは適切なのかもしれない。
源徳公には、敵が多い。
例えば、上州。既に、きな臭い気配が漂いはじめていた。
西の平織、豊藤。上辺こそ平和的に事態を見守る形を装ってはいるが、隙を見せれば牙を剥く。
朝廷とて味方ではない。――源徳に弱体化を感じれば、より旨味のある勢力へ優雅に寝返って見せるだろう。
神剣争奪では共に手を携えた奥州とて、奥州の思惑がある。――都より遠く離れた蝦夷の地で独自の繁栄を謳歌するこの国々は、日本という枠組みへの意識がいっそう希薄だ。朝廷とその周辺だけが富を吸い上げる中央集権への不満も多い。
「‥‥しかし、江戸は源徳様だけの町ではない」
数十万といわれる町人が、ささやかならがも日々を営む町である。
江戸が火に包まれて困窮するのは、町で暮らす人々だ。――火に焼かれずに済んだ者も、生活の糧を失えば困窮する。
戦術としては、ごく当然の発想であるのかもしれない。
だが安易に過ぎると落とされた吐息に、青葉は応えず目を逸らせた。その視線の先、刈り入れの終わった田畑は、のどかな晩秋の光に包まれている。
「彼らを止められないのか?」
「むり。だって、あの人たち強いモノ」
邪魔をするなと釘を刺された。
あっさりと首を横に振った青葉に、鍛冶師は眉を顰める。
「‥‥刀には心が宿る」
ここへ来たのは、ひと振りの刀を直す為だった。
刀に導かれるようにしてたどり着いたこの場所で陰謀と出合ったのは、あるいは巡り逢わせというべきか。
「既に朽ちていておかしくないこの刀にわずかながらも力が残っているのには、まだ、成すべきコトがあるのだと思う」
「‥‥でも‥」
言いよどんだ青葉に、そして、彼女と共に刀に誘われた冒険者たちへと視線を向けて鍛冶師は静かに言葉を続ける。
「それに、貴方は彼らを同朋だと言ったが、その陰謀を知っても彼らと行かずここに戻った」
のみならず、顛末を人に伝え警鐘を促してさえいるではないか。
そもそもこの密談から完全に爪弾きにされていたことも、報せれば却って障害となると看做されていたのかもしれない。――無論、能力的な問題が皆無であったとは言い切れないが。
「や、だからそれは‥‥」
わたわたと両手を振って否定するも押し切られるのは時間の問題。いつもどおりの青葉の姿に、心のどこかで安堵した。
彼女は、きっと手を貸してくれるだろう。――1人前の野疾を気取ってはいるけれど、誰かが苦しむと知って、それを踏み越える非情さに欠けていた。
だから――
後は、己が腹を括ればいい。
●リプレイ本文
日本刀は、刃物の究極に完成された形だとされている。
機能としての優秀さだけでなく。その姿の美しさに加え、精神性を備えた武器。――それが、刀だ。
■□
この剣と共に祠に祀られていた人物は、“民草の国”を願っていたという。
明確な意思によって歴史から消された真実は、今となっては逸話の域を出ないものであったが。
携わった依頼で聞き込んだ話を思い返して、加藤武政(ea0914)は剣を眺める。――ボロボロに錆びついた刀身には、芸術の馨りなど微塵も残っていないのだけれど。
「‥‥この錆びた剣って、もしかして今回の凶行を止めるために‥」
そういえば、思ったんですが。
加藤の肩越しに剣を覗き込んでいた陣内晶(ea0648)は、ふと頭に浮かんだ考えを言葉に乗せた。
口にしてから、その突飛さに思わずにやりと笑ってしまう。
お笑い芸人を目指す者には、この思い空気はなかなか落ち着けない。緊張感を保つのは、得意ではないのだから、ついつい余計なことを考えてしまうのだ。
「いやいや。まさかねー」
「‥‥‥‥」
苦笑する陣内を視界の端に、結城友矩(ea2046)は無言で巡り合わせと因果について思いを馳せる。
通常、刀を保管する時は、白木の鞘を使用するのが一般的だ。――拵えのままでは刀身が錆びやすく、また、錆び除けに塗られた油が拵えの漆を傷める。
刀が鞘から抜けなかったのは、そのせいだと後から聞かされた。 おそらく、それが真実なのだろう。――それでも今、この場所へと結城を導いたのは、間違いなくこの刀であった。
あるいは、本当にこの刀が結城を選んだのなら‥‥。
結城を見込んで江戸を、願いを託したのであるならば――必ず、その想いに応えてみせたい‥‥いや、みせる。
「そういえば」
錆びた金属のざらざらと粉っぽい感触を確かめるように指の腹をそっと刀の上で滑らせて、加藤は再び記憶を覗き込んだ。
彼の人の寓話には、奥州で最後を迎えたのだという説がある。
そして、今。加藤が向き合おうとする敵は、おそらく奥州から放たれた凶犬。――これも、偶然なのだろうか‥。
「あっちには飼い主がいて。俺はそれを失っている」
あまり考えない方がいい。それで、十分だと思う。
●足元の影
平和で豊かな国のために‥‥。
政(まつりごと)に携わる者が、必ず口にする言葉。
さしたる力を持たない民草が、切に願うもの。争いが起こらず、衣食住に困らない‥‥豊かであれば、いっそう良い。
強く、強く。神に供物を奉げて稀うほど、大切な願いであるのに、その姿はひどく漠然としている。
例えば、“くに”とは何か‥‥?
志士である鑪純直(ea7179)が心に思い描くのは、幼い神皇を頂点にした“日本国”。
都から遠く離れた田舎からお姫様に憧れて江戸へやって来た田之上志乃(ea3044)の感覚なら、お姫様のお父上――お殿様が治める領地でも、ひとつの“国”だ。
日本国には、たくさんの国がある。
制度も、掟も。国の数だけ。
乱立する無数の国と、その中で生きる領民。――生まれた郷から出ることさえなく、天寿をまっとうする者さえ珍しくない狭い世界。
彼らにとっては、遠い都での取り決めよりも、この地を治める領主の顔色が全てだ。――それを潔しと享受できずに疑問を抱き、気が付けば社会よりはみ出していた者。それも、冒険者の姿である。
より、平和で豊かな国を手に入れるため。
重ねられる戦さの度に、繰り返される言葉。――江戸も、京都も。その繰り返される戦乱の上に繁栄を築き上げてきた。
栄華を嫉み。
あるいは、その足元に埋れた怨讐に呼び込まれたのかもしれない。
ただ、向けられた悪意に言葉を失くす。
「そりゃァ、源徳のお殿様は悪巧みしとるかもしれねェし、悪い奴も沢山おるだ」
まことしやかに“狸”と称されている男だ。叩けばいくらでもホコリは出るだろうし、本人も特にそれを否定はしない。
“ぎるど”も、日々、繁盛している。
起こるべくして、降り掛かった災厄。そんな風に見えるのだろうか‥‥。
「そんなのって酷い」
刻々と降り積もって折れそうになる暗い思考を振り払うように、御神楽紅水(ea0009)は声を上げた。
「だって、1番苦しむのはお殿様じゃなくて、江戸に住んでいる人たちなんだよ?」
「んだ。悪い奴もおるだが、全く関係のねェモンがたっくさん、お天道様の下で暮らしとるだよ」
冗談でねェ!!
珍しく怒りを面に出した志乃の憤懣に、青葉はただ黙って視線を外す。
平和で豊かな江戸の町。――この街が謳歌する安定は、ひとえに源徳公の政治力と軍事力の賜物なのだ。
誰かの悲しみの上に成り立つ栄華。
虚しいと思う。精一杯生きている人々を目の前にすれば、迷いも生まれた。――だが、江戸の夢は江戸だけのもの。
上州では、上州の民が。
奥州では、奥州の民が‥‥心安らかにいられる日々を願っている。
●奥州公
霜月ともなれば、流石に夜は寒い。
強い風に押し流される雲を見上げ、鑪は手に息を吹きかけた。
「寒いのう」
暗がりにほの白く揺れる吐息に苦笑を浮かべて、結城も呟く。
「だが、引くワケにはいかぬ」
誰にともなく落とされた独白に、鑪はこくりと首肯する。もはや、彼らの肩に乗せられているのは、己の命だけではなくなっていた。
静かに流れる水路に沿って大きな蔵が立ち並ぶ界隈は、昼間の喧騒が嘘のようにひっそりと静まりかえっている。
筋ひとつ挟んだ奥には照降町の長屋があり、火が付けば足も早いだろう。志乃と鑪のふたりで防火の水をいくらか用立てたが、基本の消火は破壊が主軸。――時節柄、焚きつけの薪などが積まれている場所もあった。
火が付けば、それで終わりという感もある。
「あちらこちらがきな臭い」
火付けの密談を奉行所に届け出た鍛冶師は、そう言って顔をしかめた。
ずらりと“ぎるど”に並んだ依頼。――関連も共通点もない。ただ、火の気配だけが強く漂う。
「青葉殿」
いくらか硬い鑪の声に少し先で、陣内から温泉旅行のお誘いを受けていた青葉が振り向いた。
「単刀直入に尋ねる。そなたの御舘とは何者だ?」
できるものなら、直接あって話がしたい。――もし、鑪が想像している人物であれば、付け火など容認するとは思えないから。
その希望は、残念ながら叶わなかった。計画を外れて行動しているのは青葉の方であり、また、螢惑の目もある。
「御舘は、御舘よ。‥‥奥州の‥‥」
「やはり、あのお方なのか?!」
愕然と目を見張った鑪に、今度は青葉が不思議そうな顔をする。
「御舘を知ってるの?」
「‥‥‥先日、江戸の“ぎるど”を隻眼の美丈夫が訪れたという‥‥」
あの人が、何故――
呟いた鑪の言葉に、青葉はますますワケが判らないといった様子で首をかしげた。
「え? 御舘は江戸にはお出ましになっていないハズだけど。それに、眼帯をしているのは御舘ではなくて――」
■□
みちのく。
字に顕せば、陸奥――白河以北。その名の通り、京都よりもっとも離れた山深き蝦夷地である。
日本の中に数えられるが、双方共にお互いの認識や依存度は薄い。
この国の名が江戸で頻繁に聞かれるようになったのは、ごく最近のことだ。
神剣争奪の騒ぎの折、難しい立場に立たされた源徳公に協力を申し出たのが奥州公だったのである。
そして、その名代としてひとりの漢が江戸にやってきた。
その風貌、居出立。派手好きな言動は江戸の町民の間にも“独眼竜”のふたつ名は、広く知られることとなり、逆に奥州公の名はその影に隠れた。
神剣争奪戦の結果は、東国側には不本意なものであったにも関わらず、なんら動きを見せることもなく、ことさら静かに。
いっそ不気味にさえ思える沈黙を守ったまま――その人は、“みちのくの民”の願いを手繰る。
●争乱を招く星
不吉を象徴する火の星、螢惑――
手勢の中から特に優れた者を選りすぐって、その名が与えられたのだという。
先日の一件だけでも、強さの片鱗は窺えた。
油問屋の蔵が落とす漆黒の闇の裡からするりと抜け出した影に、思わず息を呑む。
黒装束に、鬼の面。
逃げだすことが出来れば、楽なのに。
「‥‥思ったんですけどー」
間延びした声に、精一杯の心を込めて。まずは降伏の勧告を。
「こんな事をしても何の解決にもなりませんよー。‥‥ていうか、余計こじれるだけだと思います」
「そうだよ、それが本当に為になるの?」
その日、その日を一生懸命生きて。ようやく手に入れたささやかな幸せに、心を満たす。そんな1人ひとりが集まって、江戸の町はできているのだ。
歪な月が投げかける細い光に、鬼面の泥金が禍々しい光を跳ね返す。
「‥‥争乱が起これば、奥州に野心を抱く者はなくなる」
目指すは京都。
奥州は、天下統一が成ってからでも遅くない。それが、天下取りの常道だから。――西国・東国の争乱は、奥州に百年の平安をもたらした。
「天下が乱れれば、付け入る隙も生まれる」
奥州公は、争乱を。
そして、更なる野心を隻眼の臥竜は天下を奪い取る隙を――
「何、寝言いっとるだ! そんな身勝が手許されるワケねェべ!!」
天下は、将棋盤ではない。
地団駄を踏んだ志乃の身体を包む淡い光に、男は僅かに顎を引く。――動いた手が印を結び、暗がりに同じ光が揺れた。
「くるぞっ!?」
陸奥流の手の裡は、加藤もよく知っている。
多彩な変化をすることで知られる流派だが、変化する事さえ判っていれば間合いを取って対処できるはずだ。
「ふふふ。こう見えても僕は剣術の達人の30歩手前‥‥」
この期に及んでまだ冗談を口にできるのは余裕なのか、単なるやぶれかぶれか。――とりあえず、打ち合うよりは威嚇と牽制を狙っているらしい。
目的は、時間稼ぎなのだから。疾走の術を宿して機動力を上げた相手に、命がけの行為ではあったのだけど。
その練り上げた闘気の魔法を剣に宿し、結城はゆっくりと剣を上段に構える。
「結城友矩、参る」
狙うは、相手の剣。
大上段から唸りを上げて振り下ろされた剣は、僅かな差で虚空を切った。渾身の力を込める分、動きが大振りになるのがこの技の欠点か。その隙をついて繰り出された白刃を左手の盾で受け止める。
「この国では、珍しかろう」
元来、両手持ちの剣である日本刀とそれを扱う新陰流の型に多少、無理があるような気がしないでもなかったが。なりふり構っていられる相手でないことはわかっていたから。
結城に加藤。
そして、陣内、鑪と。相手が間合いをとっているとはいえ、それだけの腕を持つ者を相手に戦い続けるのは不利であると覚ったのだろう。
男は、再び印を結ぶ。
「それはっ!!」
「させるかっ!!」
「もらった!!」
足が止まったその一瞬を狙い済まして飛び込んだ加藤と結城、結ばれた印を読んで手を伸ばした青葉を巻き込んで、一直線に走った炎が夜の底を震撼させる。
加藤の耳に、何かが砕ける音が響いた。
炎がかすめた肌の傷より、燃え上がった赤に目を奪われる。
「火が‥っ」
「こ、凍らせれば――」
そう口走った紅水が、アイスコフィンよりウォーター・ボムの方が有効であると気づくまでに、少しばかり時間が掛かった。
「焦らんでも、大丈夫だべ。ちゃあんと準備はしてあるだから」
鑪とふたりで用意した防火用水。――無駄になった方が、良かったのだけれど。
火を消し終えて気づいた時、鬼面の男の姿は消えていた。大量の血を後に残して‥‥。
●刀身に映ゆる生き様
折れた刀に加藤は、がくりと肩を落とした。
錆びた刀身はもはや刃物としての機能を失ってはいたが‥‥それでも、心から惜しいと思う。
「‥‥この剣は、役目を終えたのでしょう‥」
ここまで、彼らを導いた。
牙を剥いた邪悪な思惑から、江戸を守る。その目的は、達成された。――もちろん、これで全てが終わるワケではないのだけれど。
「むしろ、ここまで良くやった、と‥‥」
手厚く供養してやりましょう。
言葉をかけた鍛冶師に、加藤は聞き分けのない子供のようにぶんぶんと首を振った。
「でも――」
欲しかったんだよ、この刀が。 精神論でも、乙女チックな感傷でもなんでもなくて。――後ろで、陣内が思いっきり、すっ転ぶ。
本当に泣き出すのではないかと気を揉み始めた紅水の前で、鍛冶師は困ったような顔をして。それから、手に持っていたひと振りの刀を加藤に差し出した。
「では、代わりにコレを差し上げます」
「くれるのかっ?!」
ぱあ、と。顔を輝かせた加藤に静かに頷き、鍛冶師は嬉々と刀を受け取った男の前に指を立てる。
「ひとつだけ」
百も承知のことでしょうけど。
そう付け足して、鍛冶師は諭すように言葉を紡いだ。
「刀は美術品ではありません」
大切なものを守る為、とか。武人の魂である、など。――そこにどんな価値観を与えられていようとも。その本質は、人の命を断ち切る為に作られた道具である。
「だからこそ。刀は自分の生き様であると思ってください」
それを魂に刻み付け、その心に応えてほしい。 ぎゅっと両の掌で確かめるように握り締めた刀は、ずしりと冷たく重かった。