【北國繚乱】三千世界、焔立つ 〜前編〜

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:6〜10lv

難易度:やや難

成功報酬:3 G 71 C

参加人数:5人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月28日〜11月02日

リプレイ公開日:2005年11月04日

●オープニング

 1日千両――
 黄金の雨を降らせる町がある。

 きらびやかな装いに身を飾った遊女が廓内を闊歩し、華やかな矯正が風に乗り、眩い明かに照らされる不夜の巷。
 大名や豪商など江戸に知られた名士が客に名を連ねる気位の高いその場所は、衣食住のあらゆる面において超一流。流行の最先端を行く町だった。

 唯一の出入り口である大門から廓を左右に分断して一直線に伸びる仲之町。
 ずらりと軒を連ねる引手茶屋の中でも、特に名を知られる七軒‥‥七軒茶屋と呼ばれる店のひとつ。
 “山口巴屋”の号を掲げたその店の最奥で、男は差し出された短冊に眼窩の奥の細い目を更に眇める。
 4畳余の小さな部屋は、造りや調度こそ店の名に相応しい贅を凝らしたものであったが、他の座敷のような眩いばかりの華やかさはない。――客を迎える場所ではなく、店の主が廓の行方を想う場所だった。
 男は、名を三浦屋四郎兵衛という。
 これは吉原の私警組織である四郎兵衛会所の総名主が代々世襲する名で、この街が抱える闇を知り尽くした者の名前でもあった。
 その吉原奉行・三浦屋四郎兵衛は、今、気難しげに白いモノが勝った眉を寄せ、差し出された短冊に色のない視線を落とす。
「‥‥確かに‥」
 ゆるゆると伸のばされた枯れた手が、火盆の煙管を取り上げた。
「戯言と捨て置くには、些か不穏」
 穏やかな声に四郎兵衛の前に膝を着いた男は、深く頭を垂れる。
 そして、舞い降りた静謐に、淡く紫煙が馨った。ゆるやかに流れる時間の中で、男は静かに主が一服吸い終えるのを待つ。
「‥‥いかがいたしましょう?」
 そして立てられた伺いに、老いた男はのんびりと首を傾げた。
「捨て置くには不穏。かと言って、果たして目くじらを立てる程の信憑性もいまひとつ‥‥」
「問い詰めても、宴席の戯れ句だと躱されましょう」
 仮にそれが事実であれば、警戒を知られてしまうことになる。
「‥‥近々、あちらの御方がお運びになるともっぱらの噂。万にひとつも間違いがあってはご公儀の体面にも傷がつく‥‥」
 さて、いかがしたものか。
 淡く緋色を漉き込んだ短冊を指先で弄びつつ、三浦屋四郎兵衛はそ老いを重ねた表情にぽつりと淡い苦笑を零した。

□■

 短冊を差し出して、番頭は冒険者たちの顔色を窺う。
 謎をかけるようなその視線を訝しく思いつつ手を伸ばし、やわらかな女性の筆致でしたためられた句に、視線を走らせた。

 ――― 霜降りて 八百八町 火の粉舞う

 二十四節気のひとつ“霜降”が過ぎれば、そろそろ暖が欲しくなる頃‥‥江戸中の全ての炉に火が入る。
「普通に読めばそんな感じですかね。ただ‥‥」
 文面に何やら不吉な気配が漂うのは、気のせいだろうか。
 江戸の限らず、木材と紙によって造られる日本の街は火に弱い。――火の扱いは、庶民の間でも特に神経質に管理されている部類のものだ。
「‥‥なんと申しますか。放火を案じているようにも解釈できるのですよね」
 この句を読んだのは、吉原の遊女であるという。
 金を得るために身を売った者。
 艶やかで華やかな栄華の夢と、地獄が共にある場所。‥‥色里の生活に疲れ。あるいは、里心を抑えられずに、自由を得ようと火をつける者も皆無ではない。
「加賀屋の春駒という女郎だそうですが」
 江戸の郊外、亀戸あたりから売られてきた娘だというが‥‥田舎出の娘にしては器量もよく読み書きも達者で、末は太夫も張れる上玉だと目されているのだとか。
 とは言うものの、当の本人は一向に吉原の暮らしに馴染まず、また愛想もよくない。客を怒らせる事もしばしばで。――そろそろ“言って聞かせなければ”いけない頃だと、考えていた矢先のことだ。
「推測の域を出ぬ話ですから、大っぴらに会所が出張るワケにはいかないとのこと。――こういう時こそ皆さまの出番ですよ」
 にっこりと顔を綻ばせた番頭の笑顔は、普段にもまして深い。
 “ぎるど”にとって格好の上客を掴んだ会心の笑顔に、冒険者たちはやれやれと顔を見合わせる。

●今回の参加者

 ea4653 御神村 茉織(38歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea4927 リフィーティア・レリス(29歳・♂・ジプシー・人間・エジプト)
 ea6194 大神 森之介(33歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ea9861 山岡 忠臣(30歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb1600 アレクサンドル・リュース(32歳・♂・ファイター・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)

●リプレイ本文

 秘めた想いを歌に託す。
 その行為自体は、珍しいものではない。月道の向こうにも吟遊詩人と呼ばれる人々が存在し、歌うことで生計を立てていた。――リフィーティア・レリス(ea4927)は舞踊手となることを選んだが、朋輩の中には歌を選んだ者もいる。
 それでも。
 ひっそりと夢の終わり‥‥祭の後に訪れる倦怠にも似たどこか寂しい静謐を湛えた街を眺めて、レリスは眉根を寄せて首をかしげた。
 日本の文化は小難しい。
 想いのままにと言うくせに、何よりも洗練された形を重んじ逸脱を嫌がる。
 決められた言葉。決められた形。‥‥字数まで決められているなんて‥‥制約ばかりでげんなりしそうだ。
 表現の形こそ異なるが同じ精神世界の継承者である大神森之介(ea6194)や、粋な遊び人としてそれなりの嗜みを持つ山岡忠臣(ea9861)等とは違い、正直、この句が上手いのかどうかも判らない。
「読み書きはもちろん、俳諧にまで嗜みのなる貧農上がりの女か‥‥」
「ありえんな」
 あまり感情を感じさせぬ口調で伝えられた情報を反芻したアレクサンドル・リュース(eb1600)の呟きを、着流し姿で町を歩く御神村茉織(ea4653)はそっけなく肩をすくめて切り捨てた。
 貧しい出自がおかしいのではない。
 遊里に集められた女たちの大半は、貧しさ故に身を売った者たちである。
 童女の頃に身売りされ、吉原で育った女だと聞かされれば納得もした。――山岡が憧れてやまない太夫となるべく育てられる少女には、読み書きはもちろん、俳諧、三味線、舞いや小唄に至るまで、莫大な金と時間を費やして一流の教育が与えられるのだ。
 また、没落した武家や名家の女も皆無ではないから、高級な女郎でなくても読み書きの出来る者はいる。
「だが、農家ってのは教養なんざ身につける余裕ありゃしない。まして、ここに身を売ろうって所帯なら、尚更ありえねぇ」
「‥‥‥‥‥」
 ここ(吉原)がどういう場所であるのかを、詳しく知っているワケではないが。
 ゼロ以下の場所で生きる‥‥這い上がる難しさは、リュースも良く知っていた。彼だから理解ると言うべきか。
 殊更、素性を隠すのが気に入らない。


●籠の鳥が想うのは
 相当な変わり者であるらしい。
 会所の口利きで牛太郎(用心棒)のひとりとして加賀屋にもぐりこんだ山岡は、この数日の成果に肩をすくめた。同じく会所のつてで吉原に乗り込んだ大神も、それについては同意見。やれやれと曖昧な苦笑を浮かべ、優雅な所作で茶杯を傾ける。
 遣り手や楼主、会所には言えない胸の内も、親しくしている女郎仲間や禿になら話しているかもしれない。
 外回りの聞き込みを引き受けたレリス共々、そんな期待を抱いていた。
「それがなぁ」
 ここ数日の成果を想い、山岡は苦笑いを浮かべて額に手をおく。
 どうにも取り付く島がない。 誰にも馴れ合わず、心を開く様子もない。――同じ見世の女郎たちともソリが合わず、ひとり孤立している感があった。
 そんなこんなで、今のところ判ったのは、春駒が江戸近郊小梅村の水呑み百姓末松の四女・奈緒であるということくらいだ。「最初、連れて来られた時は、太夫にまで上がれる玉だと思ったね。相当な大枚が女衒に渡ったと聞く‥‥」
 山内に水を向けられた加賀屋の牛は、冷酒を煽って皮肉っぽい笑みを落とす。
「ところが、本人は格子の中から客を取る女郎でいいと言い張ったとか。――世の中には変わった女がいると思ったね」
 太夫と格子女郎では、店の扱いにも格段の差があった。わざわざ、選んで辛い地位に甘んじるとは、確かに既得だ。
「客の方はどうなんだ?」
 それだけの美貌の持ち主なら、贔屓にする客もいるだろう。
 尋ねたレリスに、またも山岡は苦笑を零した。
「そっちもな。どうも、えり好みするというか‥‥」
 部屋に上がっても勿体をつけるとか、なんとか。
 怒って帰った客もいるという。――器量が良いから客の目は惹くけれど、裏を返すほどの馴染みになる客はいない。
 足しげく通わせ、金を払わせるのが吉原のからくりであるから、馴染みが付かぬというのは困りものだ。
「例の俳句ですが、師匠が各々好きに詠めと促したものだそうです」
 問題の句がどういう状況で読まれたものか。
 訪ねた山岡に大神は、自分が掴んだ事情をかいつまんで伝える。
 廓という狭い世界で無聊をかこつ女郎たちへの慰めに、師範を呼んで講習を行うのは良くあることだ。――大神が大門をくぐる肩書きも、舞いの所作や、演目への解釈、見所などを遊女たちに講義する為となっている。
 自由のない籠の鳥に教養と娯楽を与える反面、彼女たちの動向を暗黙の内に監視するという役目もあり‥‥春駒の句が会所の目に触れたのには、そういう経緯もあったのだ。
 張り巡らされた網に、掛かったという見方もできる。
「因みに、彼女が句会に姿を見せたのは、その時が初めてだそうですよ。――彼女はあまり社交的ではないようですね」 誘われても、滅多に頷くことはない。
 春駒を知る者に、それとなく和歌を託してみたのだが、今のところ動きはなく返答待ちといったところか。
 己の調べたことをひと通り報告し終え、大神はちらりと何やら腕を組んで考え込んだ山岡へ視線を投げた。
 気の置ける友を作らない。
 のし上がる気もなければ、客に対してもどこか冷たくぞんざいである。
「‥‥彼女はここで生きる気概がないようにも思えますね‥」
 なんとなく、ですが。
 思いを口にした大神に、山岡はちょっと首をかしげた。
「だが、最低でも加賀屋が女衒に払った金を返さなければ、吉原からは出られねぇと思うんだがなぁ‥‥」
 奉公の年季が明けるまでは、親の死に目にも立ち会うことは許されない。
 抜け出そうにも廓は周囲を壁に囲まれ、その向こうには鉄漿溝と呼ばれる深い堀。――唯一の出入り口、大門には奉行所の隠密同心と会所の衆が常時詰めており人の出入りは厳しく監視されている。
 余程のことがなければ、逃げ出すのは不可能だ。
「‥‥‥火事‥‥」
 なんとなく呟き落ちた言の葉に、ふたりは顔を見合わせる。


●聞き込み
春駒を加賀屋に仲介した女衒・伝三が営む小さな見世の前には、数名の人足が集まって松戸屋の手先から明日の仕事の割り振りを命じられていた。
そのどこか“ぎるど”を彷彿とさせる光景を横目に、大戸をくぐって薄暗い三和土に入った御神村は、奥に入りかけた中年の男を呼び止める。
「アンタが伝三さんかい?」
 上がりかまちに腰を下ろした御神村の後ろで、リュースはどことなく後ろ暗い臭いを感じさせる男を斜めに眺めた。
 吉原で耳にした女衒伝三の評判は芳しくない。
「‥‥伝三に持ち込まれた若い女が数日後に、どこぞの侍と心中を企てたことがございました‥‥」
 そんな曰くつきの娘を何人も吉原に仲介しているという。
「普段なら、付き合いません」
 が、伝三が連れて来た春駒の顔――磨けば光る上玉だ、と。つい、手を出してしまったのだと細められた山岡の視線に加賀屋の楼主は恥じたように肩を落とした。
「先日、アンタが加賀屋さんに仲介した小梅村の百姓、末松の四女・奈緒のことで聞きたいことがあって参上した」
 御神村の言葉に、伝三は板の間に腰をおろすと煙草盆を手元へと引き寄せる。待つほどもなく奥から子分らしき男たちが4、5人現れて、伝三の後ろに控えた。
「奈緒、ね。本人が女郎になりたいとうちに顔を出したんだ。わしは奈緒を加賀屋さんに仲介しただけで深くは知らねえ」
 身売りの金も口利き分を差し引いて親に渡した、と。するすると紡がれる予想通りの応えに御神村は口元を薄く歪める。
「なら、親の居場所を教えてもらえるか?」
「それはできねぇ。親はこのことを世間に知られるのを嫌っていてね」
「困ったな」
 はは、と。心にもない乾いた笑みを落とした御神村のため息に、後ろに控えていた男のひとりがゆっくりと立ち上った。その懐に右手が差し込まれている。
「親分がああ言っていなさるんだ。とっとと帰りねぇ」
 上から凄む男に御神村はやれやれと肩をすくめた。
「‥‥物分りが悪いねぇ」
「なにっ?!」
 足蹴にしようと上げられた足をさらりと躱し、御神村はその反対の足を手で払う。男は上がりかまちから体を浮かせて、背中から床にたたきつけられた。
「やりやがったなっ!!」
 懐から匕首を抜いて飛び出してきた手下たちに、御神村はすいと身を引く。本気を出すほどもない三下だ。
刃物を低く構えて突っ込んできた男の腕を叩き折って蹴り飛ばす。
虚空で反転したリュースの刀が後続の手下の肩と足を叩いた。――潜り抜けた修羅場が違う。あっという間に、3人が床に転がった。
白刃を抜くこともなく敵を片付けた日本刀が、ぴたりと伝三の鼻先に突きつけられる。
「なぁ、伝三さんよぉ」
 思い出したかい?
 冷たい笑みを吹くんだ御神村の落ち着いた声が響いて、伝三はがくがくと首を縦に振って言い出した。
「こ、小梅村の百姓の娘というのは真っ赤な嘘だ‥‥」
 伝三の自供によれば、奈緒は、今は先の戦乱で取り潰された小国に仕えた藩士の娘であるという。そして、彼女を伝三のところへ連れて来たのは、その小国の家老の次男――今は、北割下水のあたりで徒党を組んで悪さをしている逸見琢磨という男であった。


●江戸の騒擾
「‥‥山犬だってさ‥」
 聞き込みを終えて戻ったレリスは、少し呆れたような顔をして突き放す。
 逸見琢磨の悪行は、想像以上に悪かった。
「徒党を組んで悪いことのし放題。若い女を荒れ寺や空き家に連れ込んでは悪戯する。商家に押しかけては銭をゆする。――十七、八の若造ばかりらしいよ」
 噂じゃ、水路に浮かぶ死体の大半は彼らが関わっているとか、いないとか。
「奈緒はその琢磨とつるんでた女のひとりじゃないかって、話だったかな」
 ここしばらく、姿を見せない。
 彼らの馴染みの居酒屋にそれとなく尋ねたところ、琢磨は奈緒の身売りをまったく気にかけていなかったらしい。
「2ヶ月もすれば、戻ってくる。――あいつは吉原に楽しみにいったんだって‥‥」
「‥‥戻ってくる、か‥」
 どこか遠くを見るように目を細め、山岡は吐息を落とした。
 物見遊山で身を落とす場所でも、易々と帰してくれる場所でもない。
「‥‥と、なにか考え事でも?」
 ふと目にとまった大神の思案げな表情に、首を傾げる。
「いいえ、ただ」

 ―――女郎花 衣は擦らむ 降る霜の 今は昔と おもひそめしか

 送った和歌に返されたのは‥‥

 ―――迸る 炎に映ゆる 女郎花 昔はものを 想わざるかな

「‥‥何故、彼女は火にこだわるのだろう?」
 ぽつりと落とされたリュースの疑問に、山岡はそうだなと軽く笑んで扇を広げた。
 美人に悪いヤツはいない。
 その持論に深い根拠はないけれど。
「彼女は放火の計画を知ってるんだろう」
 どこかで聞いた。
「‥‥あるいは、彼女自身が放火犯として逸見琢磨に送り込まれた‥」
 さらりと言いにくいことを優雅に言ってのけた大神を恨めしげに横目で睨む。
「‥‥でも。彼女が放火の実行犯だとすれば、こうも執拗に放火をほのめかすことはしないような気もする」
 レリスの言葉にその通りだと頷いた山岡を遮って、御神村も思いを巡らせた。
「すれているように見えても、まだ十八歳だからな。放火を命じられたはいいが、本当は怖くて仕方がない。誰かに訴えいのだが、逸見も裏切れない。――それで、こんな手段を思いついたのかもしれないな」

 助けを求めているのか。
 あるいは‥‥