【北國繚乱】 三千世界、焔立つ 〜後編〜
|
■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:やや難
成功報酬:3 G 71 C
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月12日〜11月17日
リプレイ公開日:2005年11月20日
|
●オープニング
―――迸る 炎に映ゆる 女郎花 昔は物を 思わざるかな
繰り返される示唆に、疑念が深まる。
差し出された懐紙をためすつがめつ、三浦屋四郎兵衛は老いた顔に苦笑めいた色を浮かべた。――吉原の私警組織である四郎兵衛会所の総名主を務めるこの老爺は、常に泰然と構えを崩さず表情から腹の裡を読むのは難しい。
「‥‥逸見琢磨、ですか。――子供の遊びにしては、少々、お痛が過ぎるような気も致しますが‥」
奨められた茶で喉を潤す冒険者たちに頼もしげな視線を向けて、四郎兵衛はひとまず感謝の言葉を述べた。
「その逸見某について、何か吉原との因縁はないでしょうか?」
仕えるべき国が潰えた因が奈辺にあるのか‥は、ともかくとして。吉原を選ぶにはそれなりの理由があるはずだ。
「それにつきまして――」
後ろに控えていた男が、頭を下げる。
「数年前になりますか。件の女衒が仲介した娘が、吉原に来て数日後に若い侍と心中した事件がございました」
引き裂かれた恋人同士であったのか。――事件に対する見解については、冒険者たちと廓の重鎮との間には、埋め尽くせない深い溝を感じたが。無論、双方、それを口に出すほど愚かではない。
その事件の後、娘の弟だという若者が妓楼にやってきたという。
「姉が死んだのは伏見楼‥‥心中事件のあった妓楼でございますが‥‥での扱いが無体であったからだ、金を出せ。と、脅しをかけてきたそうです」
何十両もの大金をドブに捨てるも同然の仕打ちを受けたのは、女衒に金を渡して女郎に死なれた伏見楼の方だ。
伏見楼では、会所の手を煩わせるほどでもないと、大門の外で金を渡すと若者を大門の外に連れ出し――
「妓楼の若い衆がよってたかって殴る蹴るの袋叩きにして放り出したとか」
「それはまた‥‥」
それが逸見であったなら、確かに吉原に恨みを抱くだろう。
そして、学習したのだ。――ひとりではなく、徒党を組んで行動を起こすことを。
「いずれにしても、火付けは困る」
なんとしても、未然に防いでいただかなくては。
そう言って、三浦屋四郎兵衛はゆっくりと冒険者たちを見回した。
「皆様には、もうひと働きお願いすることにいたしましょう」
●リプレイ本文
吉原大門へと続く坂道を、俗に“衣紋坂”と言った。
遊客が少し身なり良く女郎にモテようと衣紋を繕うことから、この名で呼ばれるようになったのだという。
大門をくぐった野乃宮霞月(ea6388)が身なりを変えたのには、もちろん、遊女にモテたいという下心が働いたワケではない。
僧籍にある者が、色を漁るのはご法度だ。――実際に仏罰が下ったという例は今のところ寓話以外に聞いたことはなく、野々宮にもその意思があるわけではなかったが、世間の目というものは馬鹿にできない。
町奉行所の隠密同心が目を光らせる大門をくぐり抜けてなんとなく吐息を落とした野々宮に、吉原会所側の番所に詰めていた若衆のひとりが軽く頭を下げる。
「お帰りなさいませ。ご苦労様にございます」
つなぎ役の者であるようだ。
こちらの目的を伝えて段取りを頼み、他の者たちの動きを確認する。
山下剣清(ea6764)と木賊崔軌(ea0592)のふたりは、逸見某なる侍の所業を確認にいったらしい。
一味の顔が判っていれば、番所で取り押さえることもできよう。――江戸のそこかしこで相次ぐ不審火も気に掛かるところだ。
「大神様は先日同様、舞踊の師範という触れ込みで。ここしばらくは町が落ち着きませぬ故、女郎衆も無聊をかこっております。――良い慰めになろうかと」
半分は暇つぶしのようなものだが、中には教える側の大神森之介(ea6194)が感心するほど筋の良い者もいる。
それだけに教え甲斐もあり、酔客だけを相手に披露するにはもったいないような気もしたが、世の中、意外に上手くはいかないものなのだろう。
天より与えられた才能を摘む事なく伸ばし、活躍の場を与えられる境遇。――それが何よりも得がたいものであることを改めて想った大神だった。
「所所楽の件につきましても、お針の見習いとして暫く加賀屋に置いてもらえるよう話をつけております」
お針というのは、遊女たちが身につける衣装を仕立てたり、直したりといった針仕事を引き受ける職人だ。妓楼に住み込み部屋を与えられて仕事をしているが、妓楼の子飼いではないので自由が利く。――当の所所楽林檎(eb1555)はというと、お針を生業にできるほど裁縫が得意なわけではなかったが、花嫁修業のようなものだと自分を納得させている。気の進まない遊女や女童のふりをするよりは、よっぽどましだ。
とりあえずは店の中にもぐりこみ、手持ち無沙汰な遊女達の話し相手などをしつつ春駒の監視を続けている。
火付けを示唆する歌を人の目に触れさせるのだから‥‥
まだ、躊躇しているのだと思いたい。――街が燃えれば、犠牲になるのは吉原に暮らす遊女たちなのだから。
●犲狼
逸見琢磨の悪評は、探るまでもなく悪かった。
木賊崔軌が訪ね歩いた商家でも逸見一派の行いにはほとほと手を焼いていたらしい。
最初は報復を恐れて係わり合いになることを拒んだ当事者たちも、彼らを懲らしめるためだと諭されて重い口を開いてくれた。
木賊の予想通り、一方的な言いがかりであるから隠すようなこともない。
火付けが横行していることからも判るように江戸の治安は、日増しに悪くなっている。奉行所に訴え出ても迅速に対応できなくなっているのが現状のようだ。――“ぎるど”にとっては商売繁盛で結構なことだが、町民にはたまったものではない。
「‥‥まったく、名奉行とは名ばかりで‥」
ついつい愚痴のひとつも零したくなるというもの。
悔しそうに唇を噛んだ店主の前で、苦笑いで相槌を打つ木賊だった。そうやって丁寧に広い集めた逸見一派の特徴を持ち帰って、整理する。
ならず者とはいっても、落ちぶれた武家の子息が徒党を組んで無体を働いているというだけで、死線をくぐりぬけてきた冒険者たちの敵ではない。
「逸見琢磨の他に気をつけなければいけないのは、2人くらいだ。――それに、場所が場所だけに皆で押しかけてくるわけにもいかないだろう」
大門の前には奉行所の面番所もある。
日頃は、やる気があるのかないのか退屈そうに詰めているだけの同心たちも、明らかに怪しい集団であれば警戒するはずだ。
「客に紛れて少数で入ってくるつもりだと思う。――逃げる場合も、その方が都合もいいしな」
相手の心理を読むのは、罠職人として獲物の行動を予想する作業にもにている。
「‥‥ところで。伏見楼の事件の真相はどうだったのだ?」
山下の問いに、野々宮は曖昧に首をふった。
「何しろ昔の話なのでな」
侍と心中したという遊女。
逸見がその遊女の身内と名乗って金を強請りにきた若い侍であったのか。――木賊の聞き込んできた人相を、それとなく伏見楼の牛太郎や男衆に尋ねたのだが。
「似ているようだとは言っていたが‥‥」
「‥‥恨む気持ちはわからなくもないのだがな‥」
ぽつりと呟いき、木賊はどこかやるせない気持ちをかみ締めた。
●女郎花
春駒はあまり熱心な生徒ではなかった。
もともと厭世的なところのある娘であり、誘い合わせて参加するような朋輩もいないのだろう。大神の講習にも参加したりしなかったりと、なかなか声を掛ける機会に恵まれない。
依頼を優先するのはもちろんだけれど、こと舞に関しては大神も妥協できる性格ではなかったので熱心な生徒に問いかけられればついついそちらにも力を入れてしまう。
ある意味、充実しつつも気を揉む日々が続いていたので、講義が終わりそれぞれ席を立って行く遊女達の中に春駒の姿を見かけたのは行幸だった。
「女郎花」
何気なく投げかけられた言葉に、春駒は顔をあげる。
ほっそりした面立ちに涼しげな眸をした。なるほど、確かに綺麗な娘だと思う。――どこか投げ遣りな雰囲気を漂わせているのは、心に支えるものを抱えているからだろうか。
「‥‥なにか?」
お師匠様、と。返された声は、どこか警戒の色を帯びていた。
思わず笑みが零れたのは、師匠というご大層な敬称になのか。あるいは、強がって意地をはろうとする娘の気負いが可笑しかったのかもしれない。
「いや」
わざわざ気づかせるように呼びかけたのだ。春駒も、大神が和歌の送り主であると気づいただろう。
追い詰めるつもりではなく。
ただ、懸命に救いを訴える重荷を少しでも軽くしてやりたくて。――ふうわり、と。わざと応用に笑んで見せた。
「あとは任せておけ」
それだけ告げて、大神はついと背筋を伸ばして遊女の傍を離れたのだった。
●火付け
三覚えのある顔が大門をくぐったのは、吉原が賑わいを見せ始める頃。
江戸の方々で上がった火の手に、訪れる客はいつもよりいくらか少なかったが、それでも中之町ちょっとした縁日のような様相を呈する。
大門脇の詰め所で客を検分していた木賊の合図に、野々宮も確かに聞いたとおりの人相だと見定めた。
逸見琢磨はひょろりと背の高い、やや骨ばった感じの男だった。顔立ちは悪くないのだが、圭角が突出していて、見るものにひどく危険な印象を与える。――逸見の他に、こちらは兄弟だろうか。やや太り気味のがっちりした体格の侍崩れがふたり。
ひとこと、ふたこと言葉を交わし、それぞれ夕暮れの中へと消えていった。
「ばらけさせては、まずいな‥‥」
気難しげに眉を寄せた野々宮に、山下がこくりと頷いた。
「おそらく、逸見が向かうのは加賀屋だろう‥‥もうひとりは伏見楼あたりと見た」
「あとのひとりは、オレが西河岸に誘導しよう」
西河岸には高級な店とは違い局見世が多い。騒ぎが起こっても、サンピン同士の喧嘩だとごまかしも利く。
手筈を簡単に確認し、冒険者たちは潜り込んだ山犬を追って華やかな町の闇へと静かに身を沈めた。
■□
「あの女にしよう」
籬(まがき)越しに部屋の隅を指差した男に、林檎は小さく息を呑む。
「春駒さんかい?――あの人は気難しいよ‥」
やんわりと言葉を濁した遣手の言が終わらぬうちに春駒は立ち上がって、部屋を出て行った。
「やれやれ、気まぐれな花魁だこと」
呆れたような遣手の声を聞きながら、林檎はぎゅっと手を握り締める。
きっと、今夜だ。
ひらめいた確信にさすがに鼓動が早くなる。いつもの冷静さを取り戻そうと、深く息を吸い込んだ。
「いいですか。隙を見て、あの人の脇差を隠してください」
大きな武器の持ち込みは禁止されているけれど。逸見のことだ、手ぶらということはないだろう。凛と響いた林檎の声に、遣手はただうなずいた。
■□
「ちぃと仕入れたネタだが、本当らしいな。‥‥山犬が炎の花を見物かい?」
すぅと背後に立った人影が耳元に落とした言葉に、男はとっさに懐に手を入れる。
「野郎っ!」
振り向きざまに大きく薙ぎ払われた手の中で鈍い光を反射した匕首が描いた軌道を余裕でかわし、木賊はたたらを踏んだ男の腕を後ろ手に捻り上げた。
ぎゃあ、だか。げぇ、だか。聞き取り難い悲鳴をあげた男の様子に思わず苦笑し、木賊は手際よく男を縛り上げた。
「まったく、向かう相手が違うだろう?」
同じ頃、山下と野々宮のふたりも伏見楼へ向かった男に追いついて、言葉をかける。
「そこまでだ、愚か者が」
明らかに喧嘩を売っているというか、穏やかではないが。
実際、そんな気分だ。
「大人しくするならば良し、そうでないなら‥‥」
「畜生っ!!」
ぴたりと背中に当てられた得物の感触に、それでも抗おうとするのは往生際が悪いのか。単に、危険への勘が鈍いのかもしれない。――と、言っても。既に完成した野々宮の白魔法に捕らえられ、指一本動かせなかったのだけれども。
「貴様らのような奴には、後でじっくり説法でも聞かせてやる」
■□
するり、と。
開いた襖の隙間から滑り出た人影に、廊下の端でじっと待っていた林檎は立ち上がって呼吸を整えた。
「火を付けるんですか?」
静かな怒りを含んだ娘の声に、春駒はびくりと身をすくませた。
「どういう経緯があって、この結論に達したのか知りませんけど‥‥」
このやり方には賛成できない。
回りくどい言い方は好きじゃないけど、精一杯言葉を選んで。でも、絶対に言っておきたいこともある。
「こんなことをしても、誰も救われませんよ」
むしろ、悲嘆に沈む人の方が多いのだから。
この吉原に暮らす遊女たちは、皆、辛い過去を持っていた。――その中で精一杯生きる者に、今以上の苦痛を与えようというのか。
しっかりと想いを紡いだ林檎の言葉に、春駒はがくりと糸が切れたように座り込んだ。
その様子を見届けて、大神は襖を開け放つ。
座敷に寝転びゆうゆうと煙草を吸っていた逸見が、弾かれたように飛び起きた。
「彼女は思いとどまったようだ」
「なんだと?!」
逸見の手が獲物を探してあたりを探る。が、林檎の助言どおりに脇差は隠されていた。
「畜生っ、謀りやがったな!!」
「吉原の組織を甘く見ると痛い目に合うのはそっちだ。ただのオイタで一生を棒に振るんじゃ割りに合わないじゃないかい?」
「うるせえっ!!」
咆哮を上げて掴みかかってきた男の手を、すっと弧を描いて回された大神の手刀が払いのける。自ら研鑚を積んだ大神の身体捌きは無駄がなく、どこか舞の所作にも似て優雅で美しい。
払いのけ、平衡感覚を失った男の肩を突き、床に転がす。
「火事と喧嘩は江戸の華って言うけど、吉原ではただの無粋」
今度は、粋に遊びたいものだ。
騒ぎを聞き駆けつけてくる足音を聞きながら、大神は取り押さえた逸見に優雅な笑みを浮かべて見せた。