【坂東異聞】 漣-さざなみ- 前編

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:7〜11lv

難易度:難しい

成功報酬:4 G 96 C

参加人数:6人

サポート参加人数:9人

冒険期間:01月20日〜01月27日

リプレイ公開日:2006年01月28日

●オープニング

 お天道様の軌道を違えるコトができないように――
 世界の理(ことわり)は、人が思っているほど彼らを中心には回っていない。

 春夏秋冬、妖怪、精霊‥‥動物や小さな羽虫の1匹に至るまで。
 彼らには彼らの道理というものがあり、皆、その摂理に従って動いている。――人間の生活もその大きな理の1部に過ぎないのだが、ともすれば独り善がりになってしまうのが神ならざる身の限界だろうか。
 それは何も人間に限ったことではなく、
 空を吹く風、流れる水に宿る精霊たちにも、同様のことが言えた。

 創生を伝える経典に必ずといって良いほど語られる“善なる者”と“悪しき者”の鬩ぎあい。人間の心‥‥魂の行方を巡って合い争うのだが、彼らのように己の存在意義を人間に頼る必要のないモノたちは、ヒトの行いに対し概ね無頓着である。――もちろん、魔法や契約といった行動を強制するモノがなかった場合の話だ。
 手を貸すか、牙を剥くかは、その時々の気分次第。
 気紛れで掴み所がない上に一過性である場合が多いから、その結果が引き起こした問題についてはあまり関心がない。

 その日――
 彼女が水面をさんざめく漣の音に気を引かれたのは偶然で‥‥
 その何気ない気紛れは、ある者たちにとっては結果として幸運な出来事だったと言えるかもしれないが、この時点では多大な受難の始まりだった。

■□

「‥‥子供の草履が流れてきたというのです」
 集まった者たちを前にして、“ぎるど”の手代は詳細を記した大福帳を読み上げた。
 江戸湾に流れ込む大川の支流のひとつ。
 人の踏み込まぬ深い山間の峡谷を抜ければそこはもう江戸ではなく、遥か上州へと続く水運の路である。――といっても、街道のように各所に宿場町があるわけでなく、今の季節は寒々しい冬山を両岸に見上げての船旅となるのだが。
「舵取りの難しい瀬もあると聞きますから、岩に当ててしまったのかもしれませんね」
 筵や櫂、手桶といった舟の装備らしい漂流物に混じり、小さな草履は下流の集落へと流れ着いたものらしい。
 その前日、同じ集落の村人が荷を積んで川を遡る六艘つなぎのカンドリ舟を見かけていた。
「大方、その舟に何かしら不幸があったのだろうということになったそうです」
 ここまでは、さほど不審な点はないように思われる。事情を飲み込んだ風に冒険者たちを満足げに見回して、手代はおもむろに先を続けた。
「‥‥まぁ不幸なことではありますが‥‥滅多にないことでもありませんので、皆のんびり構えていたそうにございますが‥‥」
 どうにも、雲行きが怪しくなりはじめたのは、この古びた草履が拾い上げられてからだ。
「見た者の記憶違いでなければ、舟に子供の姿はなかったのだとか」
 子供の乗っていないはずの舟に、使い古された子供の草履。
 そういえば、筵や手桶、襤褸布といった舟の残骸らしきものはいくつか流れてくるものの、肝心の積荷らしきものがひとつもない。
 きわめつけが、最後に流れ着いた土左衛門である。
「‥‥胴丸に具足を付けていたのだとか‥」
 盗賊に備えて用心棒を雇うのは珍しいことではないのだが。山賊に襲われたということも勿論考えられる。――どちらかといえば、この土左衛門の方が盗賊くずれといった様子だった。
「正月早々、寒い依頼ではございますが。‥‥行ってもらえませんかね?」

●今回の参加者

 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3892 和紗 彼方(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea6144 田原 右之助(31歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea6154 王 零幻(39歳・♂・僧侶・人間・華仙教大国)
 eb0370 レンティス・シルハーノ(33歳・♂・神聖騎士・ジャイアント・ビザンチン帝国)
 eb3225 ジークリンデ・ケリン(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)

●サポート参加者

滋藤 柾鷹(ea0858)/ 野乃宮 霞月(ea6388)/ ヴァルフェル・カーネリアン(ea7141)/ リュヴィア・グラナート(ea9960)/ 花井戸 彩香(eb0218)/ リノルディア・カインハーツ(eb0862)/ 慧神 やゆよ(eb2295)/ フィーネ・オレアリス(eb3529)/ シターレ・オレアリス(eb3933

●リプレイ本文

 胸騒ぎがする。
 鋭利な刃物のように頬を突き刺す川風に眼を細め、レンティス・シルハーノ(eb0370)は櫓に切り裂かれ波立つ水面を眺めた。
 日本の川は、流れが速い。
 大陸の悠長な流れに親しんだ目には、ずいぶん性急であるようにも映る。――その原因が山と海との距離にあることは、知識として理解しているのだけれど。
 舟腹に当たって砕ける水音に、彼は漠然とした不安を募らせ眉をしかめた。
 江戸の土を踏んで1ヶ月余。時間のある時(武闘大会への参加に“ぎるど”の依頼、ペットとの触れ合い旅行などにも充実した時間を費やしたので、それほど長時間とは言えないが)は、舟仕事手伝っていたシルハーノである。
 慣れ親しんでいるはずの水の流れに、ぴりぴりと言いようのない焦燥を感じたのは初めてだった。

 ‥‥この川は機嫌が悪い‥

 心当たりのない誰かの苛立ちは、和紗彼方(ea3892)とジークリンデ・ケリン(eb3225)のふたりの胸にも翳を落とす。
「‥‥落ち着きませんね‥」
 羊毛の入った防寒着に身を包んだジークリンデの呟きに、水の冷たさを確かめるように流れに指先を泳がせていた彼方もこくりと首を頷かせた。
「だね」
 精霊を操る術を身につけた身は、他より少しだけ大気に満ちる精霊の動向を感じる取る技に長けている。
 吹き荒れた容赦ない打擲に仰天し、息を潜めて成り行きを窺うような‥‥
 一触即発の緊張と苛立ちは流れに乗って川に広がり、掬い上げた指先から彼方の胸に。
「‥‥河童? ‥‥人魚‥‥セイレーン‥??」
 記憶を総動員して、滋藤柾鷹が短い時間で持てる知識の中から挙げてくれた水妖の名を繰ってみる。
 ジークリンデを見送ったオレアリス姉妹の妹、フィーネも図書館で心当たりを調べてくれたのだが、日本語にあまり堪能ではない彼女にも少しばかり敷居が高かったようだ。
「嫌な予感がするのぅ」
 ぼそりと呟いたのは姉のシターレだが、こちらは特に確固たる根拠があったわけではない。
 荷運び舟に何があったのか?
 原因を突き止めぬまま消えた舟の足取りを追い同じ水路を遡るのは、なかなか勇気のいる冒険だ。


●積荷
「――ってぇことは、だな。お前ぇさんは、ここから舟が通るのを見てただか?」
 田之上志乃(ea3044)の確認に、村人はこくりと首肯する。
 集落から川岸へと続く急勾配の小道で、ここから眺める水色は対岸の山を映した黒味が勝った濃い緑。流れが蛇行している加減で、こちら側は浅瀬になって流れがいくらか緩やかであるらしい。
「なるほど。それで漂流物が流れ着いたのか」
 何やら得心しているシルハーノの隣で彼らをここへ導いた漂流物を想い、彼方は僅かに顔をしかめた。
 舟の残骸らしきものと、子供の草履。
 それから、
「‥‥‥土佐衛門‥かぁ‥‥」
 気の重い彼方の呟きに志乃と田原右之助(ea6144)、検分に同行した村人は見合わせる。顔色が冴えないのは、きっと寒さのせいばかりではない。――ジークリンデとシルハーノのふたりも、言われてぴんとくる単語ではなかったがそこはかとなく漂う雰囲気に事情を悟って気まずく視線を泳がせた。
 水に落ちた遺体が無残なことは、事情通でなくとも良く知られている。
 慣れぬ者がぞろぞろ行っても気の悪い思いをするだけだ、と。そちらの検分には、僧職にある王零幻(ea6154)と野々宮霞月のふたりが赴いていた。
「もう1度、確認するけど。‥‥舟に子供は乗っていなかったんだよね?」
 彼方の問いに村人は、少し困った風に眉根を下げる。
 問題の舟は猪牙舟よりひとまわり大きいカンドリ舟で、舟を操る漕ぎ手と舵取りが船首と船尾に各々1名。それが6艘繋がって、川を遡って行った。――何人かは件の土佐衛門と同じく、軽い鎧を身に付けていたという。
 それ自体は、決して珍しい光景ではなくて。よくよく注意して見物していたワケでもないから、それと見て子供と判る人影はなかったという程度であるらしい。
「何を積んでいたのか判らねぇだか?」
 積荷は莚に包まれていたせいで、モノまでは判らなかった。ただ、それほど嵩の張るものではない。
 その答えに、志乃は眉間に皺を刻む。
「‥‥そういや漂着物の中に積荷が見当たらねぇってのも、不思議な話だな」
 やや尖り気味の顎を撫でながら独りごちた田原の言に、志乃の皺はいっそう深さを増した。

■□

 今ばかりは、この厳冬に感謝しなければ‥‥
 横たわる遺体を前に、王は小さな吐息を落とした。
 王と野々宮が到着するまでに既に数日が経っていたが、腐敗はそれほど進んでおらず、状態もいい。ざっと診たところ目立って大きな外傷はなく、水に呑まれて溺れ死んだのだろうと思われる。
 顔色が悪いのは死体だからだとしても――
 まず、侍には見えない。
 ひどく痩せており、栄養状態もあまり良くなかったようだ。――貧しい農民。あるいは、大火に焼け出されて困窮した者だろうか。そんな推測を立てながら、王は手にした数珠を胸の前に握り、小さく深呼吸して精神を統一させる。
「願わくば、来世への道を辿らん事。今生に遺し未練は、自分に伝えよ」
 ぽぅ、と。
 もたらされた奇跡の発現に、王の身体が神々しい白光に包まれた。

《‥‥‥水‥‥》

 意思あるモノであるかのように、逆巻いて。
 圧倒的な力で襲い来る、水。

《‥‥‥手‥‥》

 絡み付き、深い水底へと引きずり込む――

 死者が黄泉へと誘われるその間際、強く胸に焼き付けたもの。
 奇跡によって拾い上げられた残留思念は、王の瞼に鮮明な影像となってふたつの単語を刻みつけた。


●舟人
 悪い予想は良く当たる。
 防寒具に身を包んでいても、水面に踊る川風は痺れるような冷気を広げて訪れた者たちを包み込んだ。
「さみ―――ぃ」
 小さな集落を後にして、炭焼きの邑へと向かう舟上で。手のひらで抱えた腕をこすり、田原は冴えた大気に白く息を吐き出す。
 言っても仕方のないコトだと理解っているけど、言わずにおれない。
 小刻みに船底を叩く落ち着きのない足に苦笑を零し、それぞれ拾い集めた情報を持ち寄って先のコトを検討しあう。
「‥‥舟の連中さ人買いで、荷の中身ァかどわかした童っ子っつぅことがねェとええんだども」
 先ほどからの難しい顔のまま。ぼそりと落とされた志乃の言葉に、弛みかけた空気が再び強く張り詰めた。
 江戸の火事で親とはぐれた子供も多い。
 舟がひっくり返ったとして。運良く岸に泳ぎ着いていたなら、積荷が見つからないコトの辻褄もあう。
 先だっての火事以降、江戸の町は治安が悪くなる一方だった。
 生活の術を失って困窮した者たちの中には夜盗や追いはぎに身を落とす者も出始めているという。江戸を捨て他国へ移ろうとする国抜けが後を断たず、それに目を付けた人買い出てきても不思議ではない。
「‥‥世知辛い世の中だな‥」
 舟べりから白く泡立ち飛沫を弾けさせる川面に視線を投げて、田原がせつねぇと呟いた。
「舟の転覆についてなんだけど」
 土佐衛門がその名のとおり川に呑まれたのだと説明した王に、彼方は少し考え込むように首をかしげて、ちらりと櫓を操るシルハーノと視線を合わせる。
「この数日で、舟を転覆させるほど天候が荒れた日はないみたいなんだよね」
 それに関してはシルハーノの知人であるリュヴィア・グラナートも、“グリーンワード”を用いて川岸の植物から同じ答えを確認している。
「‥‥でも、間違いなく何かがあった‥」
 舟を転覆させ、精霊たちが浮き足立つような何かが。
 事実を噛み締めるようにジークリンデは、胸元で組み合わせた手ぎゅっとツ世句を握り締めた。元々は上品にも見える容貌の持ち主なのだが、顔に巻いた眼帯のせいか何やら凄みが増している。
「それって、川に何かがいるってコトだよね」
 やはり、水妖の類だろうか。
「そりゃあ、龍神だとか川の神が‥‥」
 実在しているかどうかは、ともかくとして。
 川や沼に隣接する集落には、大抵、ひとつくらいは水の神を祀る祠がある。――米作りをはじめ畑や生活用水など。水の恵みは欠くことのできない大事なものだ。

 舟を沈めるほどの力を持った何か‥‥

 ふいに足元を支える船底が頼りないものに思われて。
 思わず天を仰いだ田原の視界に、ちらりと不穏を報せる影が映る。
「火だっ!!」
 叫んで立ち上がった男に、舟は大きくその身を揺らした。舟の扱いに長けたシルハーノが慌てて櫓を切ってバランスを保ったおかげで、転覆だけは免れたが。
 非難の集中砲火を浴びずに済んだのは、ひとえに、見つけた凶事のおかげだろう。
 炭焼きの火とは明らかに異なる、黒い煙がひとつ、ふたつ。川岸を塞ぐ木々の向こうからゆらゆらと風にたなびいて。
 気が付けば何かが焦げる異臭さえ感じるような‥‥
「少し急いだ方が良いようだ」
 落ち着き払った王の言葉に、シルハーノは櫓を漕ぐ腕に力を込めた。


●子供たちの行方
 炭焼きの邑を襲ったならず者は、合わせて5人。
 戦う術を持たない炭焼きたちには脅威であったが、それなりに場数を踏んだ冒険者たちの相手ではない。
 得物は持っていたものの、腕に覚えのある田原やシルハーノ、彼方にとっては少し物足りないと感じるほどの柔い相手だ。
 取り押さえてみれば、ひどく憔悴しているようでもあった。――聞けば、川に流され何とか泳ぎ着いた先から着の身着のまま、食料もなく歩いてきたという。
「‥‥っつぅこたァ、お前ぇさんら転覆した舟に乗ってたっつぅ人だな? お前ぇさんらを探してただよ。お前ぇさんらの舟に童っ子さ乗ってなかっただか?」
 志乃の強い口調に、取り押さえられた男たちはすっかり観念したようにがくりと頭を垂れた。
 後は、問われるままにコトの真相を語り始める。
 彼らは言葉巧みに拐かした子供たちを売り飛ばすため莚を被せて積荷に見せかけ上州へ運ぶ途上、突然、現れた水妖に襲われたのだと声を震わせた。
 水面にほの青い光が揺れた刹那、
 魂の消し飛ぶような咆哮が峡谷に響き、輝く水がまるで意思をもつかのように舟に襲い掛かってきたのだと。
「ちょっと待てや。――人買いっつーことは、上州に運ぶ子供はひとりじゃねぇってことだよな?」
 流れ着いた草履はひとつであったが。
 気づいてしまった事実に、田原は思わず顔をしかめる。シルハーノ、そして、ジークリンデも気遣わしげに視線を揺らせて。
「でもっ、でもね」
 胸に灯った希望の光にしがみつくように、彼方はそれを唇に乗せた。
 水妖が人買いの舟だと知って船を沈めたのだとしたら‥‥子供たちは助けられているかもしれない。
「土佐衛門になったのは、今のところ1人だけだもの」
 根拠なんて何もない。
 いかにも頼りない希望だけれども――