【坂東異聞】 橋姫 (壱)

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:10〜16lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 82 C

参加人数:6人

サポート参加人数:4人

冒険期間:03月09日〜03月16日

リプレイ公開日:2006年03月18日

●オープニング

 橋姫をご存知ですか?
 ‥‥おお、さすがに博識でいらっしゃる。
 仰るとおり、能楽などに用いられる道具のひとつで、いわゆる“怨霊面”と呼ばれる類のものにございます。
 嫉妬に狂った女性の顔を模したものであるのだとか。般若面のようにひと目でそれと判る角などはございませんが、泥金の施された眼など、それはもうそら恐ろしいもの‥‥このような形相で睨まれでもすれば、まさに命の縮まる思いでしょう。
 生前の煩悩に囚われ成仏の適わぬ魂を慰め、昇華させてやるというのがこの手の演目の趣向にございます。
 神楽舞などと申しますように、古来より舞いの奉納は神事に欠かせぬもの。‥‥何か神憑り的なモノがあったのやもしれませんね。
 尤も、昨今は芸事のひとつと嗜まれる方も多いとか。いえ、むしろそちらの方が主流になっている様子。――いえいえ、嘆かわしいなどと申すつもりはございませんよ。それだけ市井にも親しまれているということでしょう。
 とは、言いましても。
 この手合いは、踏み込めば奥が深い。
 突き詰めれば果てのない道にございますが、人というのはなかなかそこまで悠長に構えてはおれぬのでしょう。
 名品、逸品と呼ばれる業物を欲しがるのは、はやる気持ちの顕れなのかもしれません。――いくらか造詣の深い者より齧った程度の者の方が饒舌なのが、時に滑稽であったりもしますが。
 名のある品ほど持ち主を選ぶという話もございます。
 使いこなす技量がなければ、宝の持ち腐れ。蔵の肥やしで済めば良いのですけれど‥‥。


 おや。話が逸れてしまったようです。
 本題に入りましょう。
 江戸から2日ばかり歩いたところに、小さな村がございます。
 ここの分権者でもある家の御当主殿も、たいそう能楽を好まれるお人なのだとか。
 屋敷に舞台を作らせる。頻繁に能楽師を招くなどはまだ序の口。遂には息子の嫁取りにまで話が及んだとあっては、開いた口が塞がりません。――それはまあ、両家が納得づくのコトならば、ワタクシなどが口を差し挟むいわれはございませんけれど。
 とにかく、この手のお人には周囲が何を言っても聞く耳を持っていないのは、お察しの通り‥‥先日、とある能楽師のご息女を都よりお迎えになったそうです
 経緯はどうあれ、とりあえずはめでたいと言うことで収まっていたのでございますが――
 今月に入って、ちょっとした異変があったのだとか。
 いえ、それが‥‥なんと申し上げていいのやら。ワタクシにはちょっと、判断がつきかねておりまして。
 この家の菩提寺に植えられた紅梅が、ひと枝だけ花を咲かせたというのです。
 これがまたずいぶん古い木のようでして、村の年寄りたちの記憶にもこの木が花を咲かせている姿がないのだとか。
 そんな枯れた木を今まで後生大事に残して置いたのは。そして、皆様にこんなお話を持ち込んだのも、この木に伝わる由来にあるというわけでして‥‥。

 つまり、
 この梅の木が彼の家。牽いては、村の守護である、と。

 こうなりますと、皆、疑心暗鬼に囚われてしまうのでしょう。
 あちらで犬が死んでいたとか(ずいぶんな老犬だったそうですが)、こちらで裂かれた鶏が落ちていた(大方、狐や山犬にでもやられたのでそしょう)と過剰に反応する始末。――さて、どうしたものかと相談を受けました次第です。


 さて。
 奇妙な因縁にたどり着いたところで、少し話題を変えましょう。
 一昨年の夏。
  妖狐に率いられた魑魅魍魎の大軍が、祭りに浮かれる江戸の町を襲った一件。――なにやらずいぶん昔のような気もいたしますが、覚えていらっしゃるでしょうか?
 その混乱に乗じて、寺がひとつ押し込みにあいました。
 由緒ある寺ではございませんが、こちらの和尚というのが少しばかり変わり者と言いましょうか、サイケなところのある御仁でございまして‥‥。
 よく相を見るということで、方々から様々なもの――例えば、心中の手首を繋いだ手拭いですとか、首をくくった荒縄といった始末に困る、いわゆる“いわくもの”を預かっておられたのでございます。
 まぁ、大半は験が悪いだけの迷信でございますが、稀に“当たり”とでも申しましょうか、“そういうもの”も確かに存在するのでございますね。
 持ち出された品の中には、それなりに値打ちのものもあったということでございますから、知らぬ者には宝に見えたのでしょう。――思えば、こちらも何やら因縁めいた話にございます。
 失われた“いわくもの”の中にも、能面がございました。
 寺の覚書によりますと、恋人の心変わりを恨み自ら果てた娘を憐れんだ能面師が、その娘が首を縊った梅の木を用いて彫り上げ寺に納めたものだとか――

 ‥‥などと、尤もらしく申し上げたのですが、実のところこの能面が障っているという確証があるわけではございません。
 “いわくもの”の能面と、能楽を好む好事家。
 能面の材となった縊(くびくくり)の梅と、ひと枝だけ花を咲かせた守護の梅。――いくつか重なる処があるというだけで。
 そうですね。
 とりあえずは、村へ出向いて様子を見て来ていただけないでしょうか。それだけでも、心強いと感じる者はいるでしょうから。

●今回の参加者

 ea0050 大宗院 透(24歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea3827 ウォル・レヴィン(19歳・♂・ナイト・エルフ・イギリス王国)
 ea6147 ティアラ・クライス(28歳・♀・ウィザード・シフール・ノルマン王国)
 ea6228 雪切 刀也(27歳・♂・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

御神楽 紅水(ea0009)/ ジェームス・モンド(ea3731)/ 火乃瀬 紅葉(ea8917)/ 天馬 巧哉(eb1821

●リプレイ本文

 ここ数日の陽気が嘘のように、寒が戻った。
 山裾にちいさく肩を寄せ合う異国の集落に目をやって、ティアラ・クライス(ea6147)は漠然と旅愁を感じる。
「‥‥静かだな‥」
 何気なく呟き落ちた雪切刀也(ea6228)の嘆息も、思いがけず重い。
 冬は沈黙の季節だと言うけれど。
 この静謐の底にあるものはやがて訪れる春を待つ目蕩みではなく、息を殺して混沌を見つめる不安。ぴりぴりと肌を突き刺す冷えた大気を通して、それは訪れた者たちの心にも形のない影を落とした。


●紅梅
 庭先で咲き初めの梅が馨る。
 万葉の時代から変わらず好まれる花だけあって、境内に幾本もの梅の木が配されていた。
 ほのかに漂う馥郁たる清涼を素直に愉しむことができないのは、今回の依頼に“梅”の影が見え隠れするせいだろうか。
 大地にのたうつように身を捩り、枝を伸ばした梅の木は確かにずいぶん古い木であった。
 剥き出しの根にも、乾いて灰色に変色した幹にも既に生気はなく。特に詳しい者でなくても‥‥幾許かの知識を有するウォル・レヴィン(ea3827)などには、一枝とはいえ花を付けたことの方が不思議に思えるくらいだ。
 その立ち枯れた灰色を切り裂くように差し込まれた精彩。
 いっそ衝撃的なほど、瑞々しく鮮やかな紅――
 たった一枝。
 一尺に満たない細く頼りない小末だけが紅く染まって、天を突き刺す。
「‥‥だども、御守の梅に花さ咲いて、何で凶兆なんだべ?」
 住職の案内で訪れた梅の古木を前に、田之上志乃(ea3044)は浮かんだ疑問を率直に言葉に乗せた。
 綺麗でねぇか。
 見たまま、感じたままの志乃の疑問に、真幌葉京士郎(ea3190)も首肯する。
 村を司る家の祝言に梅が開いた。春を寿ぐ梅の花が暗示するのは、むしろ吉兆の方が似つかわしい。
「何故、凶兆とされるのか。何か謂われがあるのなら、是非、伺っておきたいのだが‥‥」
「この梅で首縊った者さおったとか」
 出掛けにちらりとそんな話を聞かされた。
 さくりと踏み込んだ志乃の呼び水に、僧職は心底驚いた風に瞠目する。
「そんな、滅相もない。いやはや、皆様の想像力には適いませんな」
 そうやれやれと苦笑をこぼして、僧職はのんびりとした口調で語り始めた。
「まあ、隠すような話ではございません。‥‥村に伝わる他愛のない昔話のようなものなのですが‥」
 昔々――
 まだ、神や精霊があたりまえのように人間と共存していた頃のコト。
 この地を土地神から任されていたのはひとりの美しい天女であったという。天女と村人たちは力を併せて村を豊かに導いていた。
「ところが、ですな。こういった話の常で、富を得た人間はいつの頃からか慢心してしまうのです。――村の長であった佐伯家の当主が出来心を起こし、酒の席の戯れに天女に色目を使ったのだとか」
 怒った天女は、村を去ってしまう。それでも、非礼を詫びる当主と村人たちの懇願に、流石に思うところがあったのだろうか。
 天女は去り際に1本の枯れた梅の木を指差し、この梅の花が危急を報せるだろうと予言を遺した。
「‥‥枯れた梅が花を付けるようなことはございませんから、永遠にという意味が込められていたのでしょうが‥」
 その梅が、どういうわけか花を付けた。
 伝え語りの他愛ない逸話とはいえ、気味が悪い。
「‥‥なるほど‥」
 こういう話は、ちょっと苦手かも。
 内心を映さない無表情の下で大宗院透(ea0050)は、ほんの少しだけ困惑する。人的なもの調査なら専門分野なのだけれども。これではまるで‥‥
「おや、ツタエさん」
 それぞれの思案に口を噤んだ冒険者たちを見回して笑みを零した僧職は、ふと顔を上げ庭の向こうから姿を見せた女に声をかける。
「こんにちは、和尚様」
 名を呼ばれ愛想の良い笑みを浮かべた女は、僧職の周囲の見慣れぬ顔ぶれに気づいて足を止めた。
「ああ。こちらは江戸からお見えになったお客様でして‥‥こちらの梅をご覧になりたいと申されます故、こうしてご案内を」
 ほんの少し緊張を浮かべた女を安心させるようにそう言って、僧侶は冒険者たちに笑顔を向ける。
「こちらはツタエさんと申されまして、佐伯様のお屋敷の――」
「あらあら、まあまあ! キミが都から来たっていうお嫁さんね!!」
 賑やかに飛び出したティアラにさすがに驚いた顔をして、ツタエは慌てて否定の形に首を振った。
「いえ、私は‥‥」
 ほんの少し表情が翳る。
「違います、違います。ツタエさんは、佐伯の奥方様の遠縁にあたる方でございますよ。ああ、そうだ。こちらの皆様を佐伯家へお連れしてくださいませんか?――旦那様にご挨拶なさいたいと申されておりまして。ここでお会いしたのも何かの縁でございましょう」
 とりなすように言葉を継いだ僧職に、ツタエは快く頷いた。 寺を出る仲間の背中を見送って、大宗院と志乃はなんとなく顔を見合わせる。
「‥‥もうちょっと、調べてみようか‥と‥‥」
「オラは村ん中さ調べてみるだよ」
 双方、何か思うところがあるらしい。


●佐伯家の翳
「俺は江戸の侍、真幌葉京士郎と申します。この度は嫡子殿が祝言を上げられたと聞き、わずかな時ですがこの地に滞在する身として、御当主殿に挨拶に上がらぬのは失礼と思い、お祝いの品を持って参上いたしました。旅の途中で大した物も用意出来ませんでしたが、よろしければこちらをお納めください」
「志士の雪切刀也にございます。真幌葉殿共々、暫くの間、よしなに願います」
 姑殿の厳しいお仕込みの甲斐あって大変見栄え良く仕上がったジェームズ・モンド謹製の献上品を前に置き、折り目正しく頭を下げた真幌葉と雪切に倣って、レヴィンもぎこちなく両手をついた。――礼儀の精神はともかく、足を組んで床に座るという行為が先ず慣れない。練習はしていたのだが、こればかりはまあ、ご愛嬌というものだろう。
 銘酒に、名器。
 見立ての方も万全である。レヴィンが贈ったティアラも、彼の国柄を偲ばせるモノだと好感を持たれたようだ。
「これはご丁寧にいたみいる」
 こちらも悠然と頭を下げた当主・佐伯大輔はそろそろ老境に差し掛かる骨ばった痩躯の男で、やや勘気の強そうな好事家独特の雰囲気を持っている。これに対して、息子の上総はというと、いたって平凡‥‥親の言下に唯々諾々と従うことに抵抗のない大人しそうな人物だった。
「‥‥おや、あちらに見えるのは能の舞台ですか‥俺も舞台を見るのは好きなんですが、しばらくイギリスに修行に行っていたもので‥」
「ほお。あちらの舞台というのはどの様なもので?」 そう水を向けた真幌葉に、佐伯大輔は興味を惹かれた風に身を乗り出す。細い双眸に力を与えるひたむきな光は、天馬巧哉や御神楽紅水、火乃瀬紅葉がそれぞれの知己に能楽のなんたるかを語って聞かせる‥‥その情熱にどこか似ていた。

■□

「お勧めは、ケンブリッジの制服各種。京都の貴族にも大受けの逸品!――若いご夫婦には是非、お求めいただきたいですわっ」
 何に使うのか‥は、大人の秘密ということで。多少、下世話な冗談を挟みつつ、ティアラは屋敷の下働きの者たちを相手に持参した舶来品を広げて商いを試みる。
 特に珍しいものを揃えたのは、奥向きの者たちの興味を引いて噂話や情報を引き出すためだ。
「こちらのご主人は能楽に興味がおありだとか。――ノルマンにも何とかって舞師の収集家がいて‥‥」
 金に糸目を付けずに買い漁っているのだとか。
 などと餌を撒き、大輔の所蔵する能面について探りを入れる。
「へえ、ノルマンにもねぇ。その方の作品かどうかは存知ませんが、遠和子さまがお輿入れなさった時にも、ご実家から幾つか面を持っていらっしゃったと聞いていますよ」
「あら! その遠和子さんってのが、お嫁さんの名前なのね!! ――都からいらっしゃったそうだけど、どちらの出? さぞかし名のある流派の方なのでしょう?」
 引き出した手掛かりに目を輝かせたティアラに、采女たちはなんとも曖昧な笑みを浮かべて顔を見合わせた。
 それは、どこかよそよそしく隔意を感じさせるもので‥‥
 遠和子という娘は、まだこの家に馴染んでいない。
 異邦人の疎外感。ぽつりと胸に落ちた染みのような漠然とした暗雲をティアラは、黙って飲み込んだ。


●礎石
「‥‥それじゃあ。犬が死んでいたってのは、この辺りなんだな」
 イギリスの仮面劇とジャパンの能楽の違いと類似点について。
 なにやら奥の深い精神世界へ連れて行かれた真幌葉をひとり残して村の検分に回ったレヴィンと雪切は志乃と落ち合い、村の東を流れる川縁の洗濯場へと足を運んだ。
「んだ。この桃の木の根元さ転がとったんだと。――カラスさ啄かれてちょっとひどい事なっとったって、村のもんが言ってただ」
「‥‥‥」
 思わず眉をしかめたものの、雪切は志乃が指差したあたりに視線を向ける。
 自然にできた低い堤の上にはこの桃の他に目立った木はなく、葉のない枝には開花を待つ桃の蕾が薄紅に色づいて膨らんでいた。
 誰かが供養にと置いたのだろうか、少し大きめの石が据えられている。どこから持ってきたのか、苔生して少し古びて見えた。
「鶏が裂かれたって、のは?」
「それは、全然、方向が逆だべ」
 志乃が指差したのは、山に張り付いた村の北側。
「山道への入口さ、椿の木が植わっとるあたりだって聞いただよ。――んで、色々聞いて回っただども、不思議な子供とかお稲荷さんさ見たっつーモンはおらんかった‥‥」
「‥‥‥は‥?」
 なんでもねぇ。と、不服そうに唇を尖らせた少女に、レヴィンは訳が判らなそうに肩をすくめる。
 その志乃の話に耳を傾けつつ、犬が死んでいたという桃の木を見るともなく眺めていた雪切りは何ともなく胸に浮かんだ記憶に腕組を解いた。
「俺たちが入ってきた村の入口。――街道の方にも木が植えてあったよな?」
「あれは柿木だべ。実が幾つか残っとったから、覚えとるだよ。根っこの所に、小っせえ道祖神さおいてあっただ」
「‥‥どう‥何?」
 聞きなれぬ単語に首をかしげたレヴィンの耳に、新しい音が飛び込んでくる。
 今度は、レヴィンにも雪切にもお馴染みの‥‥
 だが、歓迎すべからざる切羽詰った不吉の響き。

 ―――誰か‥の、悲鳴‥‥


●軋み

 “御両名”は“怨霊面”を被った事はあるのですか――

 ちょっと、苦しい。


 至極真面目な顔をして−本人はいつだって大真面目だ−本日の駄洒落を捻った大宗院である。
 寺に残って梅の木をじっくり検分してみたのだが、さしあたって人為的に手が加えられたと思われるような箇所は見当たらなかった。
 ティアラと雪切が魔法を試してみたいと言っていたので、結論を断じるのはその後になるだろうが、やはり村人たちの思い過ごしではないだろうかと思う。――で、なければ、専門外のあちら側‥‥。
 そんな訳で。とりあえずは皆が戻ってくるまでの時間を有意義(?)に使おうと、寺を出たところで漸く介抱されて戻ってきた真幌葉と出くわした。
「‥‥皆はまだ戻ってないのか‥」
「‥‥‥です‥」
 長い講釈の後では仲間の後を追う気にもなれず、ひとことふたこと言葉を交わしながら寺の周囲を散策する。
 南に開けた寺の隣は、灌漑池となっていて今の季節は冬を過ごす水鳥たちが思い思いに羽を休めていた。
「あら、お客様方」
 振り返ると覚えのある顔。
「ああ、ツタエさん。お出かけですか?」
 礼儀正しく笑みなど浮かべて対応した真幌葉に、ツタエも少し微笑んで会釈を返す。
「遠和子様を探しに来たんです。お屋敷を抜けられるのが見えたので‥‥お会いになっていらっしゃいませんか?」
「‥‥いえ‥」
 それらしき人物とは会っていない。
 曖昧に首を振って否定を伝えた大宗院に、ツタエは困った様子で頬に手を当てて心もち首をかしげる。
「遠和子様とおっしゃいますと‥‥上総様の‥」
 都から輿入れしたという舞師の娘だ。
 知人たちが調べてくれたところによると、父親はさる大きな流派の中堅といった地位にあるらしい。或いは、佐伯家という後ろ盾を得て、高みを目指そうという腹なのだろう。
「ええ。確かにこちらにいらしたと思ったのですけれど。‥‥あら‥」
 ふと。一点で止まった視線を追って、大宗院は池の畔に立つ葉を落とした冬枯れの木の下に佇む人影を認めた。
「まあ、遠和子様ですわ」
 何をなさっているのかしら。
 独り言のような呟きに、改めて視界の中の娘を眺める。――光の加減か青くも見える黒髪を長く伸ばした、色の白い綺麗な娘だ。
 ただ。何をしているのかと問われれば、何もしていないように見えるのだけれど。強いて言えば、何かをジッと見下ろしている。
 どこか思いつめた表情は、闇夜ほどではないが冬場の日陰くらいには暗い。
 暫くそこに立ち尽くし、やがてふらりと立ち去った遠和子を見送って、ツタエは救いを求めるように、男たちに視線を向けた。
「‥‥行ってみましょう」
 コレも仕事の一環だ。
 何気なく近づいて、彼らが見たモノ。

 それは――
 首のない兎の死骸だった。