【坂東異聞】 橋姫(参)
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:10〜16lv
難易度:難しい
成功報酬:6 G 98 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:04月26日〜05月03日
リプレイ公開日:2006年05月04日
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●オープニング
‥‥ざくり‥
突き立てられた鋭利な刃先が土を抉る。
乾いた大地は意外に固く、住職から借り受けた小さな鋤を振るう紅水の腕にもひと振りごとに痺れにも似た衝撃が駆け抜けた。
鈍い銀鼠色の光を湛えた花曇の空に響く読経の声が、塞いだ心にいっそう重く――
「‥‥こったらことして、怒られねぇだか?」
のたうつ長虫のようにも見える古木の根元を掘り返す紅水の傍らにしゃがみこみ、志乃はその手元を覗き込みながら心配げに顔をしかめる。
この木は、村の守護だと伝えられていた。
「だって、気になるんだもの」
古樹の根元に気を止めたのは、雪切だったか。炎の如き情熱を沈着の裡に潜ませた志士の眼に宿った火精の力は、そこに冷たい異物を認めた。
「ただの石っころかもしれねえだ」
大地に根を張る植物が、埋れた石に邪魔されて形を変えるのはよくある話。――二股に分かれた異形の大根などが、時折、巷の話題をさらう。
「うん。でも‥‥」
違うかもしれない。
優しげな容貌に似合わず意外に頑固な友人に、志乃はやれやれと吐息を落とした。
■□
ひそひそと小声で交わされる囁きは、どこか悪意に満ちている。
距離を無形の壁として外界を拒む小さな村では、月道渡りのレヴィンやティアラだけでなく、真幌葉もまた異郷の人だ。
未だ彼の家の人になりきれていない娘は、さぞかし居心地が悪いに違いない。
神経質げな容貌を強張らせたまま上座に控える男の隣で、少し俯き加減に弔問を受ける喪服の女を遠目に眺め、ぼんやりとそんなコトを想う。
「ああでも。どうなっちゃうのかしら」
同情とも感傷ともつかない想いに吐息を落としたレヴィンの耳に、ティアラの言は些か軽い。――いっそ軽薄に思えるほどの心の距離は、常に損得を秤にかける商人の癖なのか、シフールの特性なのか。あるいは、女ゆえの現実性か‥‥。
レヴィンの視線に、ティアラは悪びれることなく肩をすくめた。
「だって、上総さんと遠和子さんの婚姻をごり押ししたのは、あの御当主さまだって話じゃない」
全ては当主・佐伯大輔の一存で、他が嘴を差し挟む余地などなかったという。
「‥‥聞いた話なんだけど、奥方様がツタエさんを呼び寄せたのは、いずれは彼女を上総さんと娶わせるつもりだったらしいのよ。――まあ、他に頼れるアテもなかったんでしょうけど」
小さな身体と社交的な性格を生かして、葬儀を手伝う女たちの噂話を拾い集めてきたらしい。
「ご当主の大輔さんが亡くなった今、遠和子さんの立場って微妙よねぇ」
胸に手を当て大袈裟に肩を落としたティアラの吐息に、男たちは顔を見合わせた。
何かが胸に引っかかる。
西の礎石は、彼らが事件に関わる前に汚されていた。‥‥怨霊が村に入り込んできた事実がそれを告げていたのに。
怨霊騒ぎは布石のひとつだったのだ。
彷徨う怨霊を引き込んで注意を逸らし、想いを遂げる。では、その本懐はどこにあるのか。
当主である佐伯大輔を殺めるコト。
あるいは、もっとその先にあるモノに向かって手を伸ばそうとしているのか――
■□
「‥‥鍵‥?」
差し出された金属片に首をかしげる。
埋められていた小さな箱の中には、歪な形の金属の棒がひとつ。――ところどころ錆が浮いていたけれど、状態はそれほど悪くない。
「ずいぶん、古いものに見えるけど‥‥どこの鍵だと思う?」
●リプレイ本文
やわらかな初夏の陽光に、芽吹いたばかりの緑が滴る。
何かを抱え込むように重い深藍の底でひっそりと息を殺していた里山は、気が付けば眩しいばかりの新緑にその装いを変えていた。
耕された大地から立つ土の匂い。水田を巡る小川のせせらぎ。
止まっていた歯車が、突然、回り始めでもしたかのように。世界は無情なほど性急に、その姿を変えていく。
足を止め、その移ろいをのんびりと眺めることができればいいのに。
里山の新緑にぽつり、ぽつりと彩を添えるかのような藤の紫を遠目に睨み、御神楽紅水(ea0009)は吐息をひとつ。掌中の鍵を握り締めた。
心の臓を一突き‥‥
錦の能装束よりも尚鮮やかな、生命の緋――じくじくと流れ出す様は、何度目の当たりにしても心が冷える。
そこに居合わせたのに。
今一歩足りずに止められなかった惨事は、記憶より引き出す度に忸怩たる傷みが胸につかえた。
「どったら得物でどったら向きにやられとっただか?」
剣術に心得のある者なら、傷口を確認すれば下手人の身の丈や利き腕を測ることができる。
いつになく真剣な田之上志乃(ea3044)の問いに、ウォル・レヴィン(ea3827)は当時の記憶を手繰り寄せ言葉に紡いだ。
「‥‥鈍器で殴られたとかそういう傷ではなかったな‥」
太刀で斬りつけられた傷でもない。
もっと小振りで軽い、例えば匕首や小塚といった用途の広い、軽い刃物だ。――用途の広い分、どこにでもあり誰にでも使える。
言外の示唆に、各々の胸にとある想いが飛来し、束の間沈黙が舞い降りた。
「折角、天女さまが報せてくれて、早ぅからおっ様に頼まれとったに‥‥なんもできなんだァ、情けねぇェ」
肩を落とした志乃の吐息は、そのままレヴィンの心情にも重なって‥‥
答えはすぐそこに見えているようにさえ思われるのに。一歩一歩、地道に近づいていくしかないもどかしさに、心が焦る。
●検分
怨霊退治の功によって態度を軟化させた村人に今一歩踏み込んだ内情を尋ねて回った真幌葉京士郎(ea3190)が得た話もまた、不吉な推測に道を開いた。
「‥‥元々は若君とツタエさんが連れ添うはずであったのが、ふたを開けてみればこの縁談。確かに、面白くはないだろうな‥‥」
佐伯大輔がいかに強硬な人物であったかは1度対面しただけの真幌葉にも十分感じ取れたから、大人しく善良なだけが取り得の上総には成す術もなかっただろう。――また、それほどふたりが想いを通じていたのかも謎だ。
「遠和子さんだって美人だし、都会育ちだし、お家柄も悪くないし‥‥こっちでもいいかなーて思っちゃう可能性だってあるわよね」
コレだから男って、信用できない。
真幌葉の先を引き継いで、ティアラ・クライス(ea6147)は自分の言葉に憤慨する。
「俺か? まぁそういう面倒ごとはならないようにしているさ」
「ちょっと、そこ! 笑って誤魔化すところじゃなくってよ!!」
視線に力を入れて睨めてみるも、相手がシフールでは可愛らしさが先に立つ。
それ以上の追求を諦めて、ティアラは昆虫の羽根を持った異国の人に物珍しげな視線を向ける村人に話題を振った。
「ところで。ツタエさんて、どういう字なんでしょ?」
思いがけない質問に面食らったのは真幌葉も同じだが、漢字と仮名を使い分ける日本語を学んでいる最中なのだと言いつくろえば、不信は抱かれない。
「‥‥ええ、と。確か《蔦》に《枝》と書くそうですが、ワシらには‥」
困ったような笑みに思い起こせば、ティアラの故郷でも文字は限られた知識階級のステータスのようなものである。
当てられた文字にどこか薄暗い印象を抱いてしまうのは、彼らの心が記憶する彼女の位置付けを表しているのかもしれない。
「最後にひとつだけ」
そう言いながら、取り止めのないお喋りを続けるのは女性の特権。
そして、傍目にはあまり実のない時間つぶしにつき合わされてしまうのは、きっと男の宿命だ。
●四神の鼎
「やっぱり。ココかな‥って、思うんだよね」
この村が四神相応の地形をもって守られているとするならば。
悪しきものは丑寅の方角から入り込んでくるという。――それを紅水に示唆したのは、野乃宮霞月だったが。――その善からぬモノの侵入を塞ぐ為に、障壁となる礎を置くのが通例である。
京の都には、比叡山。江戸の町なら、寛永寺。
そして、村の真ん中に立ち四方を見回した時、その丑寅に位置しているのが、この佐伯家だった。
「今まで誰もあの梅が花を咲かせた姿を見たことがないって話だから、箱が埋められたのもずっと昔ってことだよ」
鍵の入れられていた箱は長らく土の中に置かれていたせいか箔や漆の装飾が剥げ落ちてしまい、模様や様式からの判別は難しい。だが、逆にその傷みが置かれた時の長久を物語っている。
「‥‥なるほど。村で最も歴史があるのは、佐伯家だな」
梅にまつわる昔話に、その名が出されていたのではなかったか。
紅水同様、村を巡って鍵に関わりのありそうな事象を拾い集めてきた雪切刀也(ea6228)も記憶を反芻するように顎を撫でた。
小さな村のことだ。古いモノが残されているとすれば寺か、この分限者の屋敷だろう。
最近、梅の周囲を訪れた者がいないかどうかをそれとなく尋ねた雪切に、住職は少し困った顔をして首をかしげた。
咲かないはずの梅が花を咲かせる。
噂ひとつで村中の者が顔を出し、また、怨霊騒ぎやその後に続いた葬儀の執り行いもあってひどく慌ただしくあったから、気づかれぬように梅に近づくのは容易かったはずだ。
「鍵穴といえば、扉か蓋についているものだが――」
その中には何が仕舞い込まれているのだろう。
「死体とか、善くないモノだったら困るね」
「‥‥‥‥‥そうだな‥」
育ちの良さそうな外見には似合わぬ意外に物騒な紅水の想像力に、ちょっと裏切られた気分になった雪切だった。
●其々の事情
現場不在証明――
事件の現場に居合わせなかったこと。つまり、潔白である事を証明するのは、意外に難しいものだ。
ひとり、ひとり。屋敷の者たちに話を聞いて回りながら、レヴィンはそんなことを実感する。
まさかこんな事件が起こるとは想像もしていないから、皆、それほど自分の行動に注意を払っていないのだ。また、確固たる裏付けを取れる者も少ない。――ともに行動している者がいれば良いが、各々自分の仕事に集中していれば他事には気づかないということもありえる。
結局、佐伯大輔の指示で、村の被害状況を検分するため留守にしていた上総の他は、確かな裏付けを得ることはできなかった。
殺された佐伯大輔は、能舞台で遠和子を待っていたという。――この屋敷で舞いに造詣が深いのは大輔と遠和子のふたりだけで、当主が彼女を呼び出して舞を所望するのはこの屋敷ではよくあることだった。
と、言っても。
それを証言した采女は、大輔の使いで遠和子に呼び出しを取り次いだだけで、実際に遠和子が能舞台に行ったかどうかは知らないと言う。
「‥‥はい。確かにお義父上からのお召しはございましたわ」
事実確認を頼んだレヴィンに、遠和子はさほど表情を変えずに答えた。死んだ佐伯大輔は彼女にとってはたったひとりの見方であったはずだが、さほど悲嘆している風には見えない。
「ですから、支度をしていたのですけど‥‥あんなコトになってしまって‥‥」
言われてみれば、彼女が現場に姿を現したのは少し遅かったような気がする。
ツタエと奥方も似たようなもので。体調の優れない奥方は自室にて引きこもり、ツタエは屋敷の周辺を散歩していたのだそうだ。――共にそれを、真実だと証明してくれる人はいない。
「なんだか色々噂されているでしょう? ‥‥他の人と顔をあわせ辛くなってしまって‥」
こちらも納得に足る理由ではある。
蔵から戻ってきた仲間の足音を識域下で感じながら、腕組みをしたレヴィンは気難しい表情で吐息を落とした。
●解き放たれたモノ
「こんなものがあった」
そう言って、雪切が突き出したのは白木の鞘に収められたひとふりの太刀。――その大きさ重さから見て、野太刀と呼ばれる大ぶりの刀である。
「銘は見当たらん。だが‥‥」
云われずとも先は判った。
共に見つかった拵えも見事なものだ。
ずしりと重く手に伝わる存在感に真幌葉は、じわりと腹の奥から高揚が湧き出すのを感じる。
逸る心を抑えるために深く息をすって呼吸を整え、尚更ゆっくりと意識して鞘を払った。刹那、
こぼれるような怜悧な光が、勇壮な白刃に冴え冴えと彩を走らせる。
「なかなかの業物だな」
感嘆がこぼれた。
土蔵の片隅。いくつも置かれた能装束の葛篭や、面を収める桐の箱に埋れた隠し文庫の扉に鍵穴を見つけたのは、能狂いと称される当主が集めた所蔵の多さにひとしきり感心するやら呆れるやらした後のことだった。
「それから、これ」
今度は紅水が袱紗に包まれた箱を差し出す。
「‥‥橋姫‥?」
レヴィンの問いに、紅水はこくりと首肯した。
「あ、開けて大丈夫だろうか?」
善からぬモノであるかもしれない。
上目遣いに尋ねたレヴィンに、紅水はまた頷いた。それでも躊躇を浮かべた仲間の表情を読み取って雪切が補う。
「箱を封じていた札が剥がされていた。――もう中も外も関係ないだろう」
「‥‥そうか‥」
呟いて、真幌葉は未だ刀の重みが残る掌をぐっと強く握り締めた。
依頼人が最初に語った能面にまつわる悲恋。
裏切られた娘。
ここへきて、符号が合った。
「嫉妬に狂った心を能面の怨念につけ込まれたか――」
羨望や嫉み、独占欲、復讐心など、精神的に落胆している女性の暗い情念につけ込む魔物がいるという。能面に封じられ‥‥あるいは、巣喰っていた魔物にとって、この家は格好の温床となったのだ。
「‥‥もし、彼女が嫉妬に狂って障害を取り除いているのだとすれば‥」
言いかけた、言葉が途切れる。
その可能性に気づき、彼らは無言で顔を見合わせた。
●錯綜する糸
「おんや。今日はよぉく顔をあわせるだな」
花を差した手桶を下げて道を歩いていた娘は、志乃が浮かべた屈託のない笑みにつられてにっこりする。子供特有の幼い風貌は不思議と人の警戒心を削ぐものらしい。――憧れのお姫様からは多少遠のいているような気もするが。
「外歩きするには気持ちの良い陽気ですものね」
お散歩ですかと問われて、志乃もこくりと頷いた。
「おめぇは、お寺参りだか?」
「ええ。墓前に花を絶やさぬようにと思いまして。遠和子さまもご一緒だったのですけど、お友達の‥‥あの可愛らしい妖精さんに引きとめられて」
やわらかな物腰に不審な点はない。
それでも心の奥底がザワザワと粟立つのは、いくつもの試練を乗り越えてきた冒険者の勘のようなものだろうか。
「オラもお墓さ手ぇ併させてもらってもええだか?」
「ええ、もちろん」
小さな村の中のこと。
こっそりというのも限界がある。ならばいっそと同行を申し出たものの、ひどく緊張しているのを自覚した。
■□
「‥‥遠和子さん、上総さんのこと好き?」
唐突な質問に、遠和子は驚いた風に瞠目する。
質問を投げたティアラの意図を測るようにゆっくりと瞬きし、それから、娘はその綺麗な顔に酷く透明な笑みを浮かべた。
「いいえ」
おっとりと、唄うように紡がれたその冷たい音に、戦慄がはしる。
「あの人は、好きでも嫌いでもないわ。――ただ‥」
私はこの村に来たくなかった。
呟いて、娘はつと顔を上げて空を見上げる。
夏の近づく蒼穹の彼方へ視線を泳がせ、またゆっくりとティアラへと視線を戻した。
「‥‥お義父上がいなくなれば、実家に返されると聞いていたのに‥‥」
謳歌する命の鼓動に満ちた大気を揺らし吹き抜けた風は、思いがけなく冷たくて―――