迷子札 −前編−

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:4〜8lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 40 C

参加人数:6人

サポート参加人数:5人

冒険期間:09月23日〜09月28日

リプレイ公開日:2006年10月01日

●オープニング

 江戸の町には、迷子が多い。
 武家屋敷や寺社の多い山の手であればともかく。町人たちの多く住まう下町の界隈は、狭い内府に大勢が肩寄せ合って暮らしている。
 祭や縁日ともなれば、繁華な通りは人で溢れ、復興祭の折などは、いったいどこからコレだけの人間が湧いて出たのかと思うほどの活気と熱気に包まれた。
 そんな狂気にも似た賑わいの中で、うっかり小さな子供を迷子にしてしまうと、見つけ出すことができずにそれっきり生き別れになってしまう。
 しかも、俗に八百八町などと揶揄されるこの街は、ひとひとりを探し出すにはぞっとするほど広いのだ。
 探すと言っても、全て人手を頼っての人海戦術。
 人を雇う。あるいは、数日、数ヶ月、探し歩いても喰うに困らぬ内証の豊かな者ならばともかく、その日暮しの貧しい者たちにできることはたかが知れていた。

 《ぎるど》の番台に座って大福帳を改めていた受付の手代は、結城松風に手を引かれて入ってきた小さな人影に、厄介事の気配を感じて眉をしかめたのだった。

「‥‥迷子、ですか‥」

 迷子は番所に、届け出るのが暗黙の決め事である。
 金にならない仕事だから‥と、厭うワケではないけれど。《ぎるど》だって、慈善事業では身代が立ち行かない。
 掛札場と迷子石。――迷子や身元不明者の氏名や年齢、特徴などを告知する掲示板のようなモノもちゃんと設けられているのだから、できればそっちを利用して欲しい。
 非難がましい手代の視線に、結城は人の良さそうな朴訥とした顔に困ったような表情を浮かべた。

「‥‥それが、少し面妖な事態になってしまって‥」

 ごにょごにょと口の中で歯切れの悪い言葉を紡ぎ、結城は洗いざらした袖の袂から紐のついた木の札を取り出した。
 差し出された木片を受け取ってちらりと視線を落とした手代は、結城の隣にちょこんと腰掛けた小さな子供と手の中のソレを見比べる。

『たろう むらまつちょう とくべえたな さんじ たね』

「迷子札じゃないですか」

 子供の名前は、太郎。
 家は村松町の徳兵衛店、親の名前は、サンジとタネ――これ以上はない、身元の証だ。
 わざわざ《ぎるど》に頼まずとも、結城が少し足を伸ばして村松町へ届けてやれば解決する。――感謝の言葉と、運がよければ酒の一杯でも飲ませてもらえそうなものだけど。

「‥‥それが‥」

 手代の言葉に、結城は眉間に刻んだシワを深くした。
 わざわざ手代に指摘されずとも、早々に子供をつれて村松町へと行って来たのだという。怪訝そうに首をかしげた手代に、結城はゆっくりとコトの次第を話し初めた。

■□

「結論を先に言いますと、村松町の長屋にサンジとタネと言う夫婦者は住んで居なかったのでございます」

 そう言って、手代はちらりと大福帳の書付に視線を落とす。

「正確には、もう住んでいなかったというのが、正しいのですが‥‥」
「つまり、以前は住んでいたってコトね?」

 察しの良い冒険者を前に、手代は重々しく頷いた。

「以前、‥‥大火の前は、確かに徳兵衛長屋にはサンジとタネという夫婦者が住んでいて、太郎という子供がいたと言うのです。ところがですね、長屋の者たちの申すところによりますと‥‥」

 昨年暮れの大火の折に、
 一家は火に呑まれてしまったのだという。

「村松町の辺りは特に火の回りが速かったとか。――大方、逃げ遅れてしまったのでしょう」
「ちょっと待て。それじゃあ、その子供はどこから‥‥」
「不思議な話でございましょう? その真相を皆様に突き止めていただきたいのでございますよ」

 思わず顔を見合わせた冒険者たちに、手代はさらりとすました顔で出されたばかりの依頼文を読み上げた。

●今回の参加者

 ea9249 マハ・セプト(57歳・♂・僧侶・シフール・インドゥーラ国)
 eb2408 眞薙 京一朗(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3757 音無 鬼灯(31歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 eb4803 シェリル・オレアリス(53歳・♀・僧侶・エルフ・インドゥーラ国)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)
 eb5421 猪神 乱雪(30歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●サポート参加者

甲斐 さくや(ea2482)/ 南天 輝(ea2557)/ 木賊 真崎(ea3988)/ レダ・シリウス(ea5930)/ メイユ・ブリッド(eb5422

●リプレイ本文

 性善説を頭から信じるワケではないけれど。
 年端も行かぬ子供の不幸を見るのは忍びない。――涙に弱いマハ・セプト(ea9249)だけでなく、親探しに名乗りを挙げた冒険者たちは皆、大柄な結城松風の腕に抱かれた太郎の稚いけない姿に胸を痛めた。
 己が置かれた状況を理解していないのだろう。大柄な結城松風の腕に抱かれ、きょとんと黒い目を見開いて物珍しげに《ぎるど》の様子を眺めている様子も可愛らしく。物怖じをせぬ小さな動きのひとつひとつに、音無鬼灯(eb3757)をはじめシェリル・オレアリス(eb4803)、猪神乱雪(eb5421)など女性陣から感嘆に近い吐息が落ちた。――日頃は、男性的な言動の多い鬼灯や、性差による違いを厭う乱雪だが、幼い子供を前につい頬が弛みがちになるのは、思考ではなく魂に刻みつけられた本能の成せる技だろう。
 そんな鬼灯の姿に笑みを深くし、セプトはその視線を、集まった優しくも頼もしい仲間たちへと投げかけた。

「親と行き別れた子は坊だけではないじゃろうが‥‥。せめて、目の前の太郎坊だけでも親元へ戻してやりたいの」

 穏やかな中にも決意を秘めた響きに、眞薙京一朗(eb2408)と磯城弥魁厳(eb5249)だけでなく、彼の呼びかけに応えて協力を申し出てくれたレダ・シリウス。そして、甲斐さくやと南天輝も強く頷く。

「よろしく頼みますの、皆の衆」

 承知した、と。
 方々から上がった声‥‥各々、担った役を果たすべく散っていく朋友の姿に、世の中まだまだ捨てたものではないと悦を落として、老シフールもまた仕事にかかった。


●太郎
 結城松風が拾った子供は、『たろう』と名の記された迷子札を身につけていた。
 本人に名を尋ねても、

「たろう、ふたぁつ」

 と、指を折って答える。
 セプトが《テレパシー》のスクロールを利用して、直接、太郎の心に問うても、同じ答えが返った。――尤も、子供が自分の名前を『たろう』だと認識しているからといって、必ずしもそれが正解であるとは限らないのだけれど。
 2歳といえば、まだまだ赤ん坊に毛が生えた程度。

「太郎」

 と、呼び続けられれば、自分は太郎だと思いこむ。近頃、冒険者たちが好んで連れ歩いているペットとそれほど大差ない。
 それでも、幼い子供がそう思いこむ程度には、「太郎」と呼ばれる環境にあったコトだけは確かだ。
 親の名前を聞き出すことは適わなかったが(−母の姿がないコトを思い出した太郎が泣き出し、《ぎるど》は一時、騒然となった−)、これはどちらかというと習慣の問題だろう。親は子供の名を呼ぶが、子供が親の名を呼ぶことはあまりない。――『ととさま』、『かかさま』、『おっとう』、『おっかあ』。親の呼び名は、どこへ行っても共通だ。

「何か悪いモノに取り憑かれておる卦は出ておらぬのう」

 少し離れた場所で古びた《しゃれこうべ》をぽくぽくと叩きながら強く念を込めていた磯城も首をふって緊張を解く。不死者に反応して歯を鳴らすというおどろおどろしくも便利な髑髏は、沈黙を守ったままだ。――ギルドの隅で壁と向き合い、ぶつぶつと念をこめながら髑髏を叩いている姿は、それが磯城でなくてもちょっと‥‥いや、かなり怖い。
 河童である己の姿が太郎を怯えさせてはいけないと慎み深く身を控えた磯城だったが、泣かれるとすればその原因は種族の壁ばかりではない気がする。
 シェリルが試した《インフラビジョン》と《ブレスセンサー》のスクロールが導き出した結果もまた、同じ答えを導いた。

 迷子の『たろう』は不死人ではなく、何処にでもいるただの子供だ。
 ほっと胸を撫で下ろして太郎の小さな頭に手を置き、必死で子供の行方を捜しているであろう親を想う。――こんなに可愛い子供を見失った親の絶望はどれほどか。きっと、死ぬほど心配しているはずだ。


●祭の後
 江戸の庶民は信心深い。
 稲荷に、天神、八幡さまに仏さま。――方々に散らばる寺社仏閣では、毎月、決まった日に縁が立ち、大勢の人々が詰め掛ける。
 結城が太郎と出会ったのも、そんな縁日で賑わう地蔵堂の門前だった。
 同じ長屋に暮らす共働き夫婦に頼まれ、無聊をかこつ彼らの子供を数人引き連れての帰り道だったという。

「頭数が増えているような気が致してな‥‥」

 数えてみれば、ひとり多い。それが、太郎であったらしい。
 出会った場所を起点にするのは、人探しの基本であるが‥‥。
 結城の言に、鬼灯と磯城は思わず顔を見合わせて互いの思惑を探りあう。――大きな縁日であれば、わざわざ遠くからも参拝者がやってくる。
 地蔵菩薩は子供の守り神であるから、子供を連れている者も特に多かった。

「‥‥子の壮健を祈願に参って、肝心の子を見失うとはのう‥」

 本末転等だ、と。渋い顔で呟いた結城の隣で、鬼灯もどうしたものかと首をかしげる。
 与り知らぬ子供を拾ってしまった結城は、もちろん番屋に届け出た。――番屋には同心と彼らの手下である目明しがいて、彼らの采配で界隈をひととおり探して歩いてくれたのだが。

「見つけられなかったんだね」
「‥‥面目ない‥」

 大きく息を吐き出した鬼灯に、結城は悄然と肩を落とした。
 親も必死で子供を捜しているハズなのだから、どこかですれ違っているはずなのに。どういうワケか、すれ違う。――御仏に慈悲はないのかと恨めしく思う瞬間だ。
 井戸端で話し込んでいた土地のものらしい主婦を掴まえて、鬼灯は太郎の詳細を話して心当たりはないかと尋ねる。

「まだ2歳なんだよ。僕は親に会わせたいんだ、知らないだろうか?」

 白い歯を見せて爽やかに微笑む鬼灯に、主婦たちは顔を見合わせ。そして、申し訳なさそうに首を横に振った。あきらめずに、根気良く。体力には少しばかり自信のある鬼灯にも疲れが忍び寄ってきた頃。呼び止めた飴売りは、頬に手を当てて考える素振りを見せた。

「‥‥痩せた女がひとり、同じところをうろうろして落ち着かないというか、何か探している風でしたね。ただ‥」

 名前を呼ぶでなし。番屋に駆け込むでなし。――迷子というよりは、落し物を探している風だった。
 そう言った飴売りの言葉に、気難しげに鬼灯は眉をしかめる。

 探しているコトを公にできない理由。
 そんなものがあるとしたら、どういった事情が当てはまるだろう。


●大火の禍痕
 火にまかれ消失した長屋はどうにか再建を果たしていたが、そこに住む顔ぶれは元通りとはいかない。
 逃げ遅れて死んだ者も多かったと聞かされた。
 徳兵衛長屋の店子であった通い大工の三次もまた、妻子を助けようと火に飛び込み、焼け落ちた柱の下敷きになって命を落としたのだという。――お種と太郎の亡骸は焼け跡から見つからなかったが、この度の火事では身元の判らぬ遺体、あるいは、骨も残らず焼けてしまった者も少なくなかった。
 三次がふたりを助けなければと叫んでいたコトを覚えている者もいて、結局、揃って火に巻かれたのだろうという結論に至ったらしい。
 それが、セプトと磯城が大火の折に、村松町とその周辺の住民たちが避難した寺社を巡って聞き出した詳細だった。

「三次が死んじまったのは、間違いねぇか」
「そうじゃな。じゃが、タネと太郎の方はどこかで生きておるかもしれぬのう」

 あるいは、太郎だけが生き残り、
 ふた親に縁のある者に引き取られたか――
 無言で顔を見合わせたふたりの間に、気の重い空気が広がる。どうやって、手を広げようかと次善策の思案をはじめたふたりの側に、寺の住職がおっとりとした足運びで現れた。

「‥‥迷子で思い出したのですが。あの大火の‥‥ふたつき程経っておりましたでしょうか‥‥」

 村松町から少し離れた長屋から、赤ん坊がひとり匂引されたという噂を耳にした。
 そう切り出した住職の顔に淡い翳を落とす憂いの色に、セプトもまた悄然と羽をすぼめてため息をつく。
 語るべき言葉を見つける前に、新しい報せは眞薙の友人、木賊真崎によって磯城らの許へともたらされたのだった。


■□


「‥‥では。あの子は前にこちらに住んでいた太郎くんではないのですね?」

 眞薙、乱雪と共に徳兵衛長屋のある村松町に出向いたシェリルは、長屋の差配人である徳兵衛の言葉に念を押した。徳兵衛の言を信じていないのではなく、途切れた手掛かりを認めたくなかったのかもしれない。

「はい。先日、結城様にも申し上げましたとおりにございます。――手前どもの長屋に住んでおりました三次とお種には確かに『太郎』という子供がおりましたが、あの坊やではございません」

 人違いだ、と。
 結城の言葉から薄々感じ取ってはいたものの、こうキッパリ否定されてはやはり肩を落とすしかなかった。言葉を失ったシェリルを視界の隅に置き、眞薙は件の迷子札を取り出して徳兵衛に差し出す。

「コレに覚えはないだろうか?」
「‥‥これは‥迷子札にございますね」

 迷子の太郎が身につけていたものであると聞かされて、徳兵衛もまた怪訝そうに眉をしかめた。

「これは、私が頼まれて書いてやったものでございます。三次とお種は、読み書きができませんでしたので、私が代わりに――」
「それでは、コレはこちらの太郎のものに間違いないと?」
「はい。相違ございません」

 迷子札は間違いなく本物で。
 だが、その札を身につけていた子供は、この長屋の子供にあらず。――まるで、何かの謎掛けであるようだ。


●迷子の標
 掛札場に迷子石。
 こんなところで手掛かりが見つかれば、苦労はしない。
 だが、万が一、というコトもある。
 南天輝が足を向けた掛札場は、大勢の人間に囲まれて盛況であるようだった。――こんなところばかり流行っても仕方がないのだけれど。
 残念ながら、そこに太郎に該当すると思われるような報せは見つけられなかった。だが、帰ろうと踵を返した南天は、掛札場に程近い辻に立つ女に気を止める。

 顔色の悪い痩せた女は、掛札場を前にして酷く気落ちし途方に暮れているようだった。