迷子札 −後編−

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:6〜10lv

難易度:難しい

成功報酬:3 G 71 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:10月20日〜10月25日

リプレイ公開日:2006年10月28日

●オープニング

 女はひどく思い悩んでいる風だった。
 顔色が悪く、着物の上からもそれと判るほど痩せ細った貧しい身なりは、いっそ思い詰めている風にさえ。
 それほどまでに思い詰めているモノが何であるのか。
 ちらり、ちらりと。気遣わしげに伺う先には、札掛場。――迷子や失せモノを拾った者、探している者が其々に報を寄せる。
 朝早くから取り付いて、掲げられた栞を熱心に読んでいる者たちの姿もあった。
 そちらを気にしているくせに。何度も足を踏み出しかけては何に後ろ髪を引かれているのか、躊躇いがちに目を伏せる。

■□

 すっかり長屋の女房衆を虜にした子供は、身につけた迷子札に記された《太郎》ではないという。――徳兵衛長屋の差配人だけでなく他の住民たちに尋ねてみても、みな口を揃えて別人であると断言した。

「それはまた、雲を掴むようなお話でございますねえ」

 首を傾げたのは、《ぎるど》の手代だけではない。
 地蔵菩薩の縁日で太郎を拾った結城松風も、お手上げだと肩を落とす。可愛らしい子供の姿にほだされて何かと面倒をみてくれる女房衆の善意に、いつまでも甘え続けるワケにもいかない。

「そろそろ然るべき処へ連れて行った方が良いのでは?」
「それはそうなのだが‥‥」

 何も知らずに機嫌よく過ごしている子供を見ると、なかなか踏ん切りもつかず。ずるずるといたずらに日だけが過ぎていく。

「関わりになってしまった以上、《ぎるど》の皆も気を揉んでおります。――活路を見出していただければ良いのですけど‥‥」

 皆様だけが便りです。
 いつになく深刻に吐息を落とした手代に、並んだ者たちも今一度、気をひきしめた。

●今回の参加者

 ea9249 マハ・セプト(57歳・♂・僧侶・シフール・インドゥーラ国)
 eb2004 北天 満(35歳・♀・陰陽師・パラ・ジャパン)
 eb2408 眞薙 京一朗(38歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb3757 音無 鬼灯(31歳・♀・忍者・ジャイアント・ジャパン)
 eb5249 磯城弥 魁厳(32歳・♂・忍者・河童・ジャパン)
 eb5421 猪神 乱雪(30歳・♀・浪人・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 ‥‥‥面倒な仕事を引き受けてしまった‥‥

 猪神乱雪(eb5421)の嘆きは、尤もで。
 幼子の未来という冗談でなく重いモノを背負わされる割には、できる事は意外に少ない。地道で単純な作業の繰り返しは、とかく前のめりになる心を消耗させる。――その上、時間が経つ程に情が移って別れ難くなってしまうという他にはない落とし穴まであった。
 人懐っこい太郎は冒険者たちにもすぐ馴染み、磯城弥魁厳(eb5249)の姿にも怯えずすぐに屈託ない笑顔を向けるような人好きのする子であったから‥‥早く親を捜してやらねばと思う反面、この笑顔が見られなくなるのかと寂しさにも似た未練が胸に燻る。
 親からはぐれた子供。
子を見失ってしまった親。そして、子供を保護した善意の第三者にも――いずれにせよ、罪作りな落し物にちがいない。


●痩せた女 結城松風が迷子の太郎を保護した地蔵堂。
 そして、迷子の標が置かれた札掛場にも姿を見せた痩せた女。――近くの者に尋ねれば、見かけるようになったのはごく最近であるという。

「その札掛場付近でうろついていた痩せた女性。‥‥『太郎』と申す子供に縁のある人物でございましょうか」

 思慮深気に嘴の端を撫でながら紡がれた磯城の言葉に、マハ・セプト(ea9249)もシフールには珍しい老成した風情を漂わせて頷いた。
 眞薙京一朗(eb2408)にも、否はない。――異存はない、というよりも。眞薙の思考は、そこよりさらに深いところへ出口を求める。

「拙者と猪神で後を尾けましたところ、飯田町の長屋へ行き着きました」

 迷子札に記された村松町からは、随分と距離がある。
 長屋の者を捕まえて訪ねたところ、女は名を「つゆ」といい、大火の後に小さな子供を連れて長屋に住み着いた寡婦であるとか。――長屋の者たちには、夫は大火で焼け死んだと話したのだそうだ。

「ほう。子供とな」
「子供の名前は、『太郎』というらしい」

 決まりではないか。
 猪神の言葉に、安堵とも疑惑ともつかぬ空気が流れる。そのどこか収まりの悪い空気をさらに掻き回すかのように、猪神は白々とした笑みを浮かべて大袈裟な吐息を吐き出した。

「ところが、だよ。こちらの『太郎』は、事情があって親戚の家に預けられているんだそうだ」

 嘘か真実かはともかくとして。
 つゆは長屋の者たちに、太郎の姿が見えない理由をそんな風に説明している。――長屋の店子は家族も同然。子供が迷子になったと言えば、皆、探すのを手伝ってくれるだろうに。


●噂の形
 迷子札に記されていた長屋の近くで起こったという匂引しの噂。
 迷子の太郎と何か関わりがあるのかどうか。確信があるわけではなかったが鬼灯は、村松町界隈へと足をむけていた。
 鬼灯が切り出した噂話に、井戸端に集まり話し込んでいた古女房は痛ましげに眉根を寄せる。――子を持つ親としては、他人事ではないのだろう。

「そうそう。赤ん坊がいなくなっちまったんだよ」
「お美代さんも気の毒にねぇ」

 匂引しにあったのは、蝋燭の流れ買いを生業とする弥助と女房の美代の間に生まれた子供で名は六太。――その名の通り、六番目の男の子であった。匂引された時はまだ半年ほどの赤ん坊だが、生きていればちょうど太郎と同じくらいだろうか。
 弥助夫婦は六太を入れて8人の子を抱える子沢山で、貧乏暇なしというか‥‥弥助はもちろんお美代も繕い物などを引き受けて家計を助けていた。家事や他の子供達の世話もあるから、畢竟、乳飲み子とはいえ六太ばかりには構っておられぬ。
 六太が機嫌よく眠っていれば、目を離すこともあっただろう。匂引しは、そんな生活に追われる夫婦の隙を突くような形で行われたのだった。

「‥‥貧乏人の子沢山とか、食い扶持が増えたとか口では文句ばっかり言って喧嘩の絶えない夫婦だったけど。でも、やっぱりあれは本心じゃあないんだねぇ‥」

 1年が経った今でも、夫婦は懸命に匂引された六太の行方を捜しているのだと聞いて、いつもは明るく朗らかな鬼灯も肩を落とした。


●迷子の標
 確かに、彼女は何かを探している風であった。
 それも傍目にそれと判るまでに心を痛め、探し回らなければいけないほど大切なものを。
 にも、かかわらず――
 彼女はそれを公にしようとはしない。否、むしろ人の目を気にし、憚っている風さえあったのは如何なる理由だろうか。
「まずは、その子の素性が公に出来ない場合でしょうか」

 例えば、高名な家の出自であるが存在を公にできぬやんごとない事情(双子であるなど)によって、本来の名を隠し偽りの迷子札を持たされていたのかもしれない。
 淡々と語る北天満(eb2004)の表情からは、言葉と同様、特に感情の起伏は見受けられないが彼女の場合はこれが素だ。知らぬ者が見れば能面のような仏頂面だが、これでも親友の南天を始めマハ老や音無鬼灯(eb3757)の前では和やかな笑顔を見せることもある。

「誘拐された子で騒ぎが大きくなると本来の親元に取り返される怖れがある、とか。大火の際行方知れずになり、半信半疑で探している故‥‥」

 眞薙の眉がぴくりと動く。
 迷子札に記されていた太郎のふた親。――父である三次は確かに死んだと聞かされていたが、母親のお種、そして、太郎自身も骸は見つかっていないのだった。
 見つからないふたりの亡骸。
 そして、その時までは「太郎」が身につけていた筈の‥‥今は違う坊の手にある迷子札。

「ひとつ。カラクリを仕掛けてみましょうかの」

 そう言って、セプトは文使いのシフールに駄賃を払って文を言伝る。
 掛札場を利用するのに難しい規則はない。「失せモノ」と「拾いモノ」の特徴と札を書けた者を明かにして、掛けておくだけだ。
 明日の朝には、件の標に新しい札が掛けられるだろう。

《先の吉日。
 地蔵堂の縁日にて、2歳の男児を保護しているのじゃ。
 名は、太郎。
 心当たりは、こちらまで――      老僧のマハ・セプト 》

 あて先には、仮宿の所在を記したが、これは万が一の用心のためだ。
 棲家には知人たちも訪ねてくるから人目を憚る風なあの女には、敷居が高かろうという心遣いも含まれている。


●太郎と六太
 迷子の標に、『太郎』の札が掛けられて二日。
 その二日の間に、セプトが借り上げた長屋を訪ねてくる客はなかった。――大掛かりな匂引しの組織が絡んでいる可能性も考えて、他の者たちも遠巻きにするように長屋を囲んでいたがそれも杞憂であったらしい。

 そして、3日目。
 この日を最後にしようと決めたその日は、明け方に降った冷たい雨の影響か、冷々とした風が路地に冬を告げて回った。 厚く空を覆った陰鬱な灰色の雲の下――
そっと長屋の様子を伺う女の痩せて骨ばった薄い背中に、眞薙は静かに言葉をかけた。

「おつゆさん、だな。‥‥いや、お種さんと呼んだ方が良いか」

 反射的に逃げ出そうと踵を返した女の前に、猪神が素早く身体を回りこませて進路を塞ぐ。戦う術を持たない女ひとりを取り押さえるのは造作もないが、今回は捕り者ではない。――あるいは、必要になるのかもしれないが。

「な‥ん、のコトだか。私には‥‥」
「太郎が心配できたのだろう?」

 太郎の名前に、ぎくりと身体が強張る。
 蒼白めて、ぶるぶる震える様子は全てを肯定していたが、それでも認めようとしない。どうしたものか、と。ちらりと交わした視線で意思を諮った眞薙と猪神の間を裂いて、声は初冬の空気を震わせた。

「‥‥っかあっ!!!」

 満がテレパシーを使うまでもなく。
 結城とセプトの手を果敢に掻い潜った幼子は、ぱたぱた軽い足音を響かせてまっすぐに女の側へと駆けてきた。
 そして、女も――
 駆け寄ってくる子供を抱きしめる姿は、紛れもなく母親のもので。零れた涙も、偽りではなかったけれど。

「‥‥太郎‥」

 太郎を除く皆が、この再会が終わりではないことを知っていた。
 酷いようだが幕を引かなければいけない。時雨はじめた細かい雨を見上げて、眞薙は深い吐息を落とす。


■□


「まず。これはアンタのだね?」

 鬼灯が差し出した迷子札に、お種は力のない視線を向けた。
 ゆっくりと受け取り、胸に抱く。しっかりと握り締める指を静かに見つめ、眞薙はその言葉を口にした。

「‥‥太郎はもうこの世にはいないのだろう」

 肉が削げ落ちた眼窩に、涙はなかったが。音もなく、ただ降り積もる沈黙は、眞薙の推測の正しさを指している。――江戸の町は、復興を遂げようとしているけれど。失われた命が、再び戻ってくることはない。

「夫も子供も、全てを失った種殿の気持ちは判らんでもないがのう」

 遣り切れぬ想いを抱いて、セプトはつと安普請の目立つ長屋の天井へと視線と向けた。
 火事の後、失意のあまり長屋にも戻らず無為の日々を過ごした種が身を寄せていた寺で、同じように焼け出され難民として生活していた者たちの中に、8人の子供を抱えて生活に追われる弥助一家がいたのである。
 あるいは、魔が差したのかもしれない。
 多すぎる子供を持て余し――いっそのこと、ひとり、ふたり何処かへやってしまえば、楽になるのに。そんな愚痴を耳にいれてしまったのだろうか。

 手を焼く程、余っているのなら‥‥

 ハッと我に返った時。子供を出いて街を歩いている自分に気付いて、愕然としたという。
 直ぐに戻せば良いことも判っていたが、一度、手にした赤ん坊の重みと温もりを手放すことはできなくて――

「‥‥我らの役目は『太郎』の身元を明らかにすることでございまする」

 誰が太郎を引き取り、育てるかは当事者同士が話し合って決めることだ。
 長い沈黙の後、ぽつりと呟いた磯城に、眞薙は首を振る。

「例え悪意から発せられたものでなくても、匂引しは大罪だ。太郎‥‥いや、六太の母親は、美代だけだ。彼女の手元に返してやらねばならん」
「そうだな。弥助も美代も、六太がいなくなって楽になったとは思ってないんだ――」

 7人の子供を育てながら。
 生活は相変わらずかつかつだけれども。それでも、少しでも時間ができると、六太を探しているのだ。

「キミの本当の罪は、だな‥‥」

 お種の膝の上で安心したように健やかな寝息を紡ぐ子供を眺め、猪神は言葉を噛み締めるようにゆっくりと想いを紡ぐ。

「その子はキミを母親だと思っている。今、親元に帰されても本当の母親を、母だ認識するのにも時間がかかるだろう。――この子は母親から引き離される悲しみを3度も味わうんだ」

 首を垂れたお種から視線を逸らして、猪神は屋根を叩く雨音を聞く。
 切なさとやりきれなさと。
 別に子供が好きだというワケではないし。――お涙頂戴の不幸話にはこれっぽちも興味はないのだ、と。何度も自分に言い聞かせながら。