【北國繚乱】 −天紅−
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:7〜13lv
難易度:難しい
成功報酬:4 G 55 C
参加人数:6人
サポート参加人数:-人
冒険期間:10月01日〜10月06日
リプレイ公開日:2006年10月09日
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●オープニング
1日千両――
黄金の雨を降らせる町がある。
きらびやかな装いに身を飾った遊女が廓内を闊歩し、華やかな矯正が風に乗り、眩い明かに照らされる不夜の巷。
大名や豪商など江戸に知られた名士が客に名を連ねる気位の高いその場所は、衣食住のあらゆる面において超一流。流行の最先端を行く町だ。
■□
簾から架け替えたばかりの板戸を蹴破らんばかりの勢いで入ってきた娘の姿に、番台の手代は厄介ごとの到来を予感する。
どこかの商家の娘だろうか。うっかりすると派手になりがちな歌舞伎柄を瀟洒に着こなしている様子など、もの怖じしない性格であるらしい。そのいかにも勝ち気そうな様子の娘を追ってきた男衆の羽織った長半纏に染め抜かれた号を見て、手代は予感を確信へと置き換えた。
《吉原会所》
町奉行所の支配下にあるものの、鉄漿溝と高い板塀に囲まれた遊里は、江戸市中から隔離された別世界である。一般的な感覚とは異なる価値観、道理も多くあり、実際の自治と警護は奉行所の与力・同心ではなく、この吉原会所が担っていた。
そんな曰く場所に関わる者たちが閉ざされた廓の外‥‥それも、《ぎるど》に姿を見せたのだ。これが吉報であるワケがない。
「力を貸してもらいたいのよ」
千歳と名乗った娘は、番台につく手代の顔を見るなり開口一番そう言った。
吉原は仲之町の七軒茶屋、山口巴屋の娘であるという。――大門から一直線に伸びる目抜き通りを仲之町といい、花魁と遊客の間を取り持つのがお茶屋の仕事だ。
なるほど、と。
思わず得心するほどの綺麗な顔に浮かぶ勘気の色に、手代は喉元まで出かけた不埒な冗談をごくりと飲み込む。
「‥‥と、いいますと‥?」
「面番所に先を越されてしまって、事情がさっぱり判らないのよ」
賂で骨を抜きにした番所に出し抜かれたとあっては、会所の名折れ。憮然と肩を怒らせた千歳に、長半纏の男衆は面目ないと首をすくめた。
「京町の総籬・松葉楼の振袖新造、逢香がいきなり面番所に連れて行かれたのよ。理由がまったく判らないの」
前を訊ねても、逢染には殺しの嫌疑が掛かっていると返されるだけで、当人に面会させてももらえない。
廓の中での刃傷沙汰なら、会所が知らぬはずがないから、おそらく吉原の外での事件ということになるのだが‥‥。
「遊女の染香に、どうやったら廓の外の人を殺せるって言うのっ?!」
どんなに権勢を誇っても、所詮は自由に飛べぬ籠の鳥。――廓の中へと売られた娘が、大門の外へ出られるのは、吉原を去る1度きり。年季が明けるか、良縁に恵まれて落籍の幸運を得るか。あるいは、死して仏となるか。
かたく握り締めた拳で、千歳はどんと強く天板を叩いた。
「‥‥確かにおかしな話ではございますが‥」
奉行所だって、何の確証もなく染香に縄をかけたワケではないだろう。そう言いたげな手の心中を見透かしたのか、千歳は書台の天板に手をついたままずいと身を乗り出した。
「つまりね。その辺の事情を探ってほしいの。――無実を証明して、染香を助けて」
●リプレイ本文
女心と秋の空――
移ろいやすく安んじられぬモノの喩えであるとか、ないとか。
その秋の空を渡る雁もまた、蕭々と寂れ行く秋の心を暗喩する。――薄の白穂を揺らして吹く風の音も然り。秋はどこか物悲しい。
風は吹くもの、雁は限りなき空を渡るもの。
何ものにも縛られぬ自由が《ぎるど》に集う冒険者たちの心意気であるならば、廓の遊女たちを指す「籠の鳥」は、単なる喩えではなかった。
目的の為なら自らの容姿や肢体を利用することを厭わぬ御陰桜(eb4757)ではあるが、それを決めるのは桜自身。誰かに強要されて春を売ることはないし、その必要もない。
違いの大きさを知っているからこそ、もし嫌疑が濡れ衣であれば許せないと思う。
「まさか、あの事じゃないですよね〜」
人知れず頭を抱えたアイリス・フリーワークス(ea0908)の胸に浮かんだ暗い疑惑を共有できるのは御神楽紅水(ea0009)だけであったが。こちらはそれほど悲観してはないようだ。
「人殺しの下手人だって奉行所が連れてったのは、それなりの証拠や確証があっての事だろうけど‥‥」
何だか後ろ暗い部分があるような気もする。
そう勘ぐりたくなるのは、紅水の中にも奉行所への不審があるのだろうか。――思えば、件の事件も元を糺せば奉行所の不手際だった。
いやいや。ここでうっかり突付いて藪蛇になっては目も当てられない。ぶんぶんと首を振って苦い記憶を再び胸の奥に沈めて、アイリスは思慮深げに小首をかしげる。
「遊女さんが吉原から出られない事は、奉行所の人もよく知ってるはずです。それなのに、殺人容疑で捕まえるということは、よほど確かな証拠があるか。或いは、そうとう切羽詰っているとしか考えられないです」
因みに、アイリスは後者であると睨んでいた。
いずれにしても、事件の概要を掴まなければ憶測も立てられない。――彼らが知っているのは、染香が奉行所に連れて行かれた事と、殺人の嫌疑がかけられていることだけなのだから。
●閑話休題
「‥‥書き損じだそうです」
三菱扶桑(ea3874)と鑪純直(ea7179)の追及に、《ぎるど》の番頭はやれやれと肩をすくめて嘆かわしいと首を振る。
「あの者。生意気にも吉原に馴染みを作っておりまして、その贔屓の名前が逢染と申すのだとか」
尤も、ギルドの手代風情に総籬の上見世に通う甲斐性などあるハズがない。良く似た名前だと聞いている内に書き損じてしまったのだという。
気の短そうな依頼人が聞けば、さぞかしオカンムリであろうと番頭は遠い目をした。
●七軒茶屋と総籬
吉原大門からまっすぐ廓を二分して伸びる目抜き通りを仲之町という。
名前は町だがその実は道で、建物はない。
この仲之町の両側に引手茶屋と呼ばれるお茶やが並び、その間の横丁に建つ大小妓楼の張見世に遊女が座って客を待つ。――仲之町の裏、鉄漿溝に沿った道には河岸見世と呼ばれる安いだけの下級見世が並んでいた。
遊びなれない冒険者たちには、女を買って遊ぶ場所だという認識が強い吉原なのだが。実は、ふらりと行って好きな女を指名して金を払えばすぐに遊べるという類の場所ではない。
女の身体が目当ての下賎な輩は、河岸見世に直行すれば良いのだけれど。
一般の客は張見世で、上客であれば仲之町の茶屋に上がって相談してから登楼するのが通例で――しかも、それからが粋と見栄の虚礼が続く。
七軒茶屋とは仲之町に軒を連ねる引手茶屋の中で最も格式の高い茶屋の総称で、千歳の生家である山口巴屋は、その筆頭に挙げられる大店。そして、総籬の妓楼である松葉楼もまた、冠された「総籬」から察せられるとおりの構えであった。
おかげで、客として登楼した三菱は情報ひとつ得るのに法外な金子を支払うコトになったのだけれども。――千歳と会所の取り成しで、茶屋と松葉楼の取り分は戻ったが、飲食代と幇間への祝儀だけでも《ぎるど》から支払われる依頼料は消し飛んだ。
さて――
鬼と見紛うばかりの大男が開いた宴会は、仲之町でもちょっとした話題を呼んで。
思いつく限り賑やかに。来るもの拒まずの大判振る舞いに、気の良い鬼もいたものだと酔客たちも調子を合わせて、宴は大いに盛り上がった。
「所で。染香という振袖新造がいると聞いて来たのだがいないのか?」
酔ったフリをして訊いてみる。
さり気なく切り出したつもりだったが、その言葉は覿面で。宴席はしんと水を打ったように沈黙した。
染香が奉行所に引っ立てられたことは、吉原の者なら皆が知っている。――詳細が判らぬだけに、皆が不安げに顔を曇らせた。
コツン――
夢らか醒めたかのように白々と冷えた宴の興に、誰かが取り落とした銚子が乾いた音を立てた。はっと皆の注目が集まる。
「あれ、不調法な」
三菱の傍らに侍った女郎は殊更、のんびりと呟いてゆるゆると手を伸ばし倒れた銚子を拾い上げた。いくつもの視線が見守る中で、女は塗りの膳に銚子を置くと、おっとりと手を付いて頭を下げる。
「申し訳ござんせん。染香はちと都合がありんしてお座敷には上がれません。堪忍しておくんなまし」
ゆったりと思考を蕩かすような声が、冷えかけた場を取り繋いだ。
総籬の花魁らしい機転に、引きかけた興が再び満ちる。その様子を視界の端しに、安積直衡(ea7123)はそっと座敷を離れた。
●風評
更けるに従っていっそう賑々しさを増す夜の喧騒を遠くに聞きながら、鑪は両の手で抱えた茶碗を見下ろして吐息をひとつ。
きらびやかで享楽的な吉原の賑わいは、どちらかといえば苦手であった。――年齢的な気後れがあるのも勿論だが、やはり、性格だろうと思う。
小落雁や栗甘納糖、有平糖といった女性が喜びそうな気の利いた菓子を小分けに包んだものを持参した鑪が楼を訪れた時間は、客が見世にあがるよりはいくらか早い時間であった。
「単純に恨みをもつ者の犯行の汚名を着せられたとみたが‥‥」
染香への恨みなのか、
あるいは、染香に殺されたと言う被害者への恨みなのか――この辺りがはっきりしないので収まりが悪い事この上ない。
染香への恨みだけに絞るとすれば、とりあえず思い当たるのはふたつ。
「同じ遊女の嫉妬か袖にされた男が逆恨み」
「松葉楼や引手茶屋の小者にそれとなく尋ねてみたのだが、染香について悪い噂は聞かれなかった」
器量も抜きん出て良いし、気立てもいい。客あしらいも情があり、恨みを持たれるような要素も特に思い浮かばないという。
鑪と同じく安積が伺いを立てた者たちも、口を揃えて首を傾げた。
「松葉楼の稼ぎ頭は、菊華太夫だが。この菊華の跡継ぎが染香だと、楼でも認められていたらしいな」
染香に逢えぬは残念だと嘆いて見せた三菱に、同じくと吐息を落とした上客はひとりやふたりではなかった。
「その菊華が言うには、身請けの話も出ていたらしい。――こちらは、まだ決まった話ではなかったようだが‥」
「‥‥良くは判らぬが、朋輩の嫉妬はありえるな‥」
三菱の言葉に頷いて、鑪はまた掌の中の茶碗に視線を落とす。
一見、華やかな享楽に満ちた吉原は、だが、「苦界」とも称される地獄でもあった。――幸運を掴んで大門の外に出られる者は、きっと福袋の当たり目よりも少ない。
「‥‥でもねぇ‥」
冒険者たちの推論に、座敷の提供者である千歳はどこか釈然としない風に頬に手を当て小首をかしげた。
一見、筋は通って見えるのだけれど。
「廓から外に出られないのは染香だけじゃなくて、他の遊女も同じだわ」
廓の外に居る人間をどうやって――
他の遊女に可能なら、もちろん、染香にも可能であるということになる。結局、そこに行き着くのだと、顔を見合わせて吐息を落とした。
●天紅の文
「染香さんのご実家は、上州ですか〜」
あちらは未だきな臭い噂が引きも切らない。
国が落ち着かぬから民もまた安息とは程遠く、生活も貧しく苦しいという。――行き詰まった百姓が見目の良い娘を女衒に売るのも良く聞く話だ。
「行ってみたかったのですが、ちょっと遠いですねぇ」
残念です、と。吐息を落としたアイリスに、紅水は大丈夫だと小さく微笑む。
奉行所の管轄は江戸市中であるから、おそらく事件は江戸で起こっているはずだ。
「そうなると、懇意のお客さんが、事件に何か深く関わってるですかねぇ」
「うん。彼女と関わりのある人が殺されたから疑われているんだろうし‥‥家族以外に付き合いのある外の人って言うと、やっぱりお客さんだと思う」
総籬の大店でお職を張ろうかという遊女の客であるから、客筋も並みではない。
大工の棟梁やら、大店の番頭やら、倅やら。松葉楼で聞き出した染香の客をひとつひとつ当たるのは地味で根気のいる作業であったが、事件を掴まなければ推論ばかりでひとつも進まぬ。
「‥‥吉原の? 染香に何ぞありましたかね?」
人の良さそうな問いかけに、曖昧に笑って言葉を濁す。――まさか殺人の嫌疑がかけられているとは、言い出せない。
何人目かの旦那の中に、文をもらったという者がいた。
「ここのところ仕事が立て込んで、親父の目が盗めねえ。しばらく足を向けてねえところへ、花魁からの誘い文だ。天紅の文を見せられるとぞくぞくきたよ」
「‥‥天紅ですか‥」
誘い文を書き上げた後、封をする前に客が来てくれるように念じて息を吹きかけ、最後に口紅を差した唇で封をする。艶かしい口紅の色が文に移って、受け取った男たちの心を躍らせるという手管のひとつだ。
「はあ〜、口紅付きの文ですか〜」
三菱あたりは喜んで周囲に自慢し、鑪は目を回すかもしれない。
そんな話をしながら次の旦那の在所に向かう。そうやって、日の暮れかかった大通りの門店にぽつりと燈った提灯にアイリスは目を丸くして、紅水の袖をひっぱった。
「あそこのお店、お通夜やってるですよ!!」
■□
「あら、亡くなったのは若旦那なの?」
桃は嫣然と笑みを浮かべて空になった杯に酒を注ぎ足す。
通夜の酒で既に足元のふらついている客を近くの居酒屋にひっぱりこむのは桃にとっては朝飯前だ。
誘いを掛けて訊ねてみると、亡くなったのは紙問屋伊勢貴の当主・清治郎――主人といっても、二年前に店を継いだばかりであるという。
「‥‥でも、若旦那って言うからには若かったんでしょ?」
「おうよ。先代とお内儀さんには子がなくてよ。そのせいか知らねえが、大旦那は遊び人でねぇ――」
酔っ払いの話は長い上に、回りくどい。
うんざりしながらそれでも辛抱強く酒を進めて、話を向けて。――それでも、話を渋る役人よりはずっと扱い易い相手だ。
「‥‥それで、当代の清治郎さんが跡を継いだのね?」
「5代目になられたが、まだまだダメだ。何しろ仕事が判っちゃいない。お内儀を説き伏せて家に入れた妾腹の子だが、似たのは遊び癖だけだ」
「吉原通いね?」
いよいよ核心に近づいたのだろうか。
身を乗り出した桃の後ろで、紅水とアイリスも一言も聞き洩らすまいいと耳をすませる。
「大旦那が生きてる間は、厳しかったんだがねぇ」
喪が開けて間もなく吉原通いが始まって、
その吉原でお職を張ろうかという振袖新造とやらにのぼせ上がっていたのだとか――
商いには熱心でなかっただけに、店の行く末を案じる者も多かったのだろう。桃を相手にひとしきり愚痴を零して、通夜の客は最後に大きな吐息を落とした。
「だがよ。その花魁に殺されちゃ目も当てられねぇ。‥‥伊勢貴ももう終わりかねぇ」
喜びを顕すワケにはいかなかったけれども。
事件の尻尾を掴まえた手応えに、3人は小さく頷きあった。