【北國繚乱】 −天紅−
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:8〜14lv
難易度:やや難
成功報酬:4 G 98 C
参加人数:6人
サポート参加人数:1人
冒険期間:10月27日〜11月01日
リプレイ公開日:2006年11月04日
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●オープニング
廓通いには、金が掛かる。
揚げ代は遊女個人へ報酬だから、席を盛り上げる幇間、遣り手、若い者への心付は別途に用意するのが常識。その上に、まだ総花と呼ばれる仕組みがあって、妓楼の使用人全員と茶屋、船宿にまで金をばら撒かなければ、つまらぬ客だと鼻白まれた。
その上、紋日と呼ばれる縁日には、遊興に掛かる費用が全て倍となる。――揚げ代だけでも職人の日当数ヶ月分に相当するから、吉原で上客として扱われるには相当の出費が必要だった。
大金をいつでも自由に出来る者はそう多くない。
いかにして贔屓をつくるか。そして、その馴染みの客をどうやって繋ぎとめておくか‥は、遊女たちの頭痛のタネである。
艶かしい紅にて封された口説き文――《天紅》も、そうして考え出された手練手管のひとつであった。
無論、誰にでも送るものではない。天紅の文をもらった客は、自分だけが特別なのだと勘違いして舞い上がる。何はおいても、吉原へ足を向けるという寸法だ。
さて。
紙問屋伊勢貴の当主・清治郎は、染香からの誘い文を行きつけの床屋で受け取った。
男の吉原通いに良い顔をする家人や主人は、まあいないだろう。そういう事情も慮って、遊女からの文は船宿や茶屋、床屋に届けられるのが通例だ。
天紅付きの文をもらったのはこれが初めてで、巻き紙に残る鮮やかな紅の痕に清治郎はすっかり舞い上がってしまったという。
床屋の客全員に見せびらかし、挙句に花魁の口移しだとか言いながら、口説き踏みの天紅を舐め――
「途端、苦しみ出して、そのまま死んでしまったそうです」
「‥‥でもさ、口紅を舐めたくらいじゃ死なないでしょう?」
品質の善し悪しはあるだろうが、唇に塗るモノだ。――遊女だけでなく、経済的に余裕のある女性なら、1度くらい手に取ったことがあるのではなかろうか。
こんなものにアタったなんて話は、いまだかつて聞いたことがない。
「それが、天紅に附子が塗ってあったとか‥‥」
附子は秋口に可憐な紫色の花を咲かせるトリカブトの根を乾燥させたもので、鎮痛の薬として使われることも多いが、ひとつ扱いを間違えると死に至る猛毒である。
手紙にそんな細工が出来るのは、限られている。
文使いの羽根妖精に清治郎を殺さねばならぬ動機も因縁もないとすれば、残るのは――
「なるほど。それで、染香が疑われたというワケね」
バカバカしい‥と、言いたいけれど。
そう容易く測れぬのも男女の仲というコトだろうか。
●リプレイ本文
毒による殺傷は、
古代より女性が好んで用いる手法であるという。
紙問屋伊勢貴の旦那、清治郎を殺めた毒が遊里よりもたらされた誘い文‥‥天紅に仕掛けられていたことは、床屋の主人をはじめ、居合わせた客の証言からもどうやら間違いはなさそうだった。
「そのお手紙は、本当に染香さんが出したですかね〜?」
庶民の殆どは、字が読めない。
例えば、誰かが染香の名を騙って手紙をしたため天紅を真似た紅の痕を残しても、真贋を見極めることは出来ないだろう。
鑪純直(ea7179)の疑念と同じく、可愛らしく小首をかしげたアイリス・フリーワークス(ea0908)に、山口巴屋の娘・千歳は気遣わしげに眉根を寄せて吐息を落とした。
「文を書くのが女郎の仕事だと言うもの」
いかにして客の足を廓へと向けさせるか。――吉原から出ることの適わぬ遊女たちが、客と繋ぎを取る唯一の方法。それが、手紙なのである。
「普通は流しの文遣いが、御用を訊ねて回るものだけど。松葉楼さんには、専任の文遣いがいたはずよ」
総籬の格とでもいうのだろうか。
文を持ち込む相手がいつも決まっているのなら、贋作を疑う根拠もなくなる。――手紙が本物であったとすれば‥‥
「あぅ。やっぱり、お手紙が通った道筋を全部辿らないといけないですかね〜」
思わず頭を抱えたアイリスの落胆に、御神楽紅水(ea0009)も苦笑を零した。結局、地道に調べていくしか方法はないのだけれど。
「まずは、その文遣いを探して話を聞いてみないとね」
「ですね〜。あ、ちょっと会所に寄って行っていいですか?」
●永字八法
紙問屋である伊勢貴の暖簾をくぐるのに、書家である安積直衡(ea7123)の生業と知識は重宝だった。
懐紙の買い付けを口実に鑪と伊勢貴を訪れた安積は、心得のある手代、番頭を相手に楷書の基本的書法であるところの「永字八法」について高説し、不審を抱かれることなく店の者たちの筆致を得ることに成功した。
墨に置かれぬ客だと印象付ければ客あしらいも丁重になり、商談の合間に世間話を織り交ぜるのも容易い。
その安積を待つ手持ち無沙汰を装って、鑪はそれとなく店の様子を伺う。
主人の急死は伊勢貴の身代に少なくない衝撃を与えたはずだが、それを感じさせないのは店の心意気。――あるいは、商売についてはそれほど才覚のある旦那ではなかったという噂どおり、形ばかりの主人だったのかもしれない。
番頭を中心に、よく店を切り盛りしているという印象だ。その番頭は三十をいくつか越えた中背の男で、ゆくゆくは店を継ぐことに決まっているのか店の者たちの態度も慇懃である。
目に付いた者たちの顔と特徴を頭に入れて、鑪は知人であり安積同様、紙の買い付けに店を訪れたポーレット・モランに視線を送った。
モランの小さな後姿が店を出て行くのを視界の端に、安積は唐突に形相を変えて腹を押さえてばたりと倒れた。
「‥‥う‥っ」
「お客様っ?!」
「安積殿?! 医者を頼む!!」
突然、苦しみ出した安積の姿に、店内は流石に騒然と浮き足立つ。
慌てて駆け寄った鑪に煽られ、店の者たちは先日の奇禍を思い出しいっそうおろおろと正体を亡くした。
「‥‥だ、誰か‥早く祥庵先生を――」
大芝居の筋書き通り、伊勢貴の若い者が呼んできた医者は、清治郎の検死に立ち会った馴染みであった。駆けつけてきた総髪の街医者に、安積は大袈裟に痛みを訴えて鎮痛剤の処方を頼む。
「‥‥そういえば先日亡くなられたこちらの旦那も急な病であったとか‥」
性質の悪い流行り病ではないだろうか。
処方された苦い薬湯に閉口しつつ水を向けた安積の不安を漂わせた問いに、祥庵はぴくりと頬を動かした。
●跡取り息子
伊勢屋清治郎の死によって、利を得るのは誰なのか?
最も現実的な所に解決の糸口を求めた御陰桜(eb4757)は、伊勢貴の身代‥‥その跡目の行方に目をつけた。
先代の大旦那とお内儀の間に子はいない。そればかりが理由ではない気もするが、それを遊び歩く口実にしたのは確かだろう。
「清治郎さんは妾腹の子だって話だけど。‥‥妾腹の子って、清治郎さんだけなのかしら?」
悋気持ちであるらしいお内儀は、清治郎が跡目を続くことにも反対していたのだから。
存在を認められぬまま燻っている者が、清治郎が死ねば日の目を見られると思ったのかもしれない。――清治郎を疎ましく思っていたのなら、お内儀にも疑いの目を向けられそうだ。
いずれにしても考えているだけでは埒は明かない。
推論を裏付ける手掛かりを求めて、念入りに変装した桜の向かった先は、伊勢貴からほどちかい場所にある井戸端だった。
「‥‥えっ? つまり、番頭さんと清治郎さんは異母兄弟ってことかい!?」
見目の良い遊び人風の優男(桜の変装)を相手に、うっかり口を滑らせた事情通は慌てて周囲を伺った。
「もう、ずいぶん昔の話だけどねぇ。先代が女中に手をつけて産ませたのが番頭の清吉さんなのさ」
その時はお内儀の悋気が勝って、女中は店を追い出され、清吉は奉公人として育てられることになったのだという。
その後、しばらくの間は先代も大人しく身を慎んでいたが――
「清吉さんが生まれて五年ほど経ってからかね。品川あたりの芸者女を囲いなさって、その間に生まれたのが当主の清治郎さん。――お内儀さんも、最初は嫌だ認めぬと頑張っておられたのだけれど‥」
跡取りがいないのは致し方ないと周囲に説得されて、不承不承折れたのだとか。
その清治郎さんがこんなことなっては、伊勢貴の跡目を継ぐのは番頭の清吉さんしかいないのだから運命は判らぬものだ。
しみじみと達観したように笑った事情通に礼を言い、桜はその手にいくらかの金子を握らせた。
●不興の客
鬼と見紛うばかりの体躯と風貌。
いくら隠密行動を心がけても、目を引くものは仕方がない。――千歳と共に松葉楼を訪れた三菱扶桑(ea3874)は、女将に頼んで染香の書いた習作を座敷に広げた。
吉原遊女は口説き文だけで嫖客を大門の内へと誘いこむ。それだけに、字の綺麗下手、文の上手下手は商いに大きな影響をもたらした。 女性らしいやわらかな筆致は、華やかでそして色香を湛えているようにさえ。書き手の教養の高さを想わせる。
「‥‥問題の文はやっぱり奉行所が抑えているのね。見せてもらえなかったけど、面番所の隠密同心が言うには染香の手に間違いないって」
大事な証拠物件だ。 猛毒が仕掛けられているとなれば、扱いも慎重にならざるを得ない。
それでも口惜しそうに唇を尖らせいる千歳に仕方がないと肩をすくめて、三菱は女将へと視線を向けた。
「吉原の客として、伊勢貴殿の評判を伺いたいのだか」
上客の双璧は、紀伊国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門。
吉原の中だけでなく、江戸に知られた豪商である。彼らほどのお大尽とはいかぬまでも、紙問屋伊勢貴清治郎は上々の客のひとりであった。
若く、また金離れも良い。――鑪の見立てたところ伊勢貴の台所事情は悪くなく。清治郎の吉原通いについても、苦笑いで済む程度のものであった。
「他の客の評判はどうだ?」
「さぁ、特に悪い話は‥」
誰かと喧嘩をしたという話も聞かない。
少し考えこむ様子を見せて、女将は千歳と顔を見合わせる。そういえば、と。思い出したのは、賑やかに始まった宴席が開く頃合だった。
「‥‥喧嘩というほどのものでもございませんが、菊華太夫のお客のひとりが不興を催してお帰りになったことがございました」
「不興というと?」
「いえ。伊勢貴さまが登楼されているとお耳にされた途端、顔を合わせるのが嫌だとか。理由の方は特に‥‥」
それとなく清治郎に因縁を問うてみたのだが、清治郎にはこれといった心当たりがなかったのだという。
もちろん、その場を取り繕ってそう答えただけなのかもしれないけれど。そう前置いて、女将が口にした名前を、三菱はしっかりと頭に刻み込んだ。
●文使いの行方
会所の若衆頭は、訪れたアイリスと紅水に笑顔を浮かべた。
最後に顔を合わせたのは、もうずいぶん昔のような気もするけれど。――知った顔との再会は純粋に嬉しい。
「全く面目ない話でね」
よもや奉行所に先を越されるとは。
苦い笑みを浮かべて肩を竦めた残月は、それでもどこか安堵した風に訪れた冒険者を見比べる。
「千歳さんが調べていると聞きましたが、おふたりが助太刀を買ってくださったとは運がいいや。何かお掴みなさったか?」
「それなんだけど。文遣いの玉蓬を知らないかな?」
「アイリスと同じシフールですよう」
松葉楼が抱える文遣いは、玉蓬という名の羽根妖精であるという。――朝と夕方の決まった時刻に妓楼を訪れ、遊女たちから文を預かり手紙の受け渡し場所へ持っていくのが文遣いの仕事であった。
染香から受け取った文を、清治郎行きつけの床屋に運んだのは玉蓬である。
その半日ほどの間に、玉蓬が立ち寄った先。そして、そこにいた誰かが染香の文に附子を細工したに違いない。
「玉蓬が見つからないんで?」
「ええ。昨日の夜、松葉楼さんに姿を見せたのが最後、かな‥‥」
長屋にも戻っていないと聞かされて、残月は剣呑に目を細めた。
「そりゃ、おかしい。玉蓬はあれでけっこう律儀者でね。お役目放り出して遊び歩いている性分じゃねぇはずだが」
玉蓬の行方を捜すのが、カラクリの謎を解く重大な鍵かもしれない。
不吉な予感に顔を見合わせた紅水とアイリスの後ろで、会所の板戸が大きな音を立てて開け放たれた。息を切らせて駆け込んできた男衆の背中で長半纏に染め抜かれた会所の文字が、ひらりと軽やかに翻る。
「残月兄ぃ――」
隅田川の淀みに、松葉楼抱えの文遣い玉蓬の小さな亡骸が浮いていた。
もたらされた報に、衝撃が走る。――それが単なる偶然ではないことは、途切れた糸の先に広がる闇の深さが教えてくれた。
鳩尾を灼く消失と、真実を掴み損ねた敗北感に眩暈がした。