お寺さまが危ない
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:1〜5lv
難易度:難しい
成功報酬:3 G 69 C
参加人数:6人
サポート参加人数:3人
冒険期間:06月17日〜06月27日
リプレイ公開日:2007年06月24日
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●オープニング
悄然と項垂れた頭がみっつ。
番台の前に並んだお馴染みの面々に、応対に出た手代は小首をかしげた。
今日は何やらしおらしい。
いつもの無駄に前向きな元気とやる気が形を潜め、お肌の色艶もくすんで見える。心なしか目の回りも赤いような‥‥
「何か心配事でも?」
不始末でもなければ、《ぎるど》を利用しようと思い立つ者は少ないのだけれど。
彼らに限って言わせてもらえば、《ぎるど》の正しい利用法を知っていたとは思えない(←手代の偏見)。
手代の問いかけに、小さな客はぴくりと肩を震わせた。
うう‥だか、ぐげ‥だか。奇怪な唸りが聞こえたような気もしたが、ますます小さくなってしまった依頼人に眉を潜め、手代はやれやれと肩をすくめる。
「――それで、何があったんです?」
決して、言葉尻をキツくしたつもりはないのだけれど。
手代の吐息に、溜めていた何かが切れたのか、彼らはわっと泣き伏したのだった。
■□
江戸から数里。
街道をふらりと外れ、道なき道を深く分け入った信濃の山のそのまた奥‥‥越後との国境に近い辺境に、《小さな隣人》パラと呼ばれる人々の暮らす村がある。
豊かな山と綺麗な水の他は何もない小さな村だ。
住人ともどもあまりにも小さいものだから、絵図にも載っていなかったりする。――これではいけないと立ち上がった村人たちは様々な村興しを展開し、知る人ぞ知る迷所になりつつあった。
そんなお気楽な村に翳が落ちたのは、つい先日、江戸の騒乱と機を同じくしての頃である。
「――お寺の和尚さまが行方不明になられたのだとか」
彼らが修験道とやらに現を抜かして信心を忘れていたのは、まだ記憶に新しい。
見込みなしと呆れ果てて本山に帰ってしまわれたのだろうと突っ込まれ、パラっ子たちは勢いよく盛大に首を振った。
「忘れてないって」
「ちょっと夢中になってただけっ!!」
世間一般には、それを忘れたと言うのだけれど。
ともかく、仏様の存在を思い出したパラの村の面々がお寺を訪れた時には、寺は蛻の殻――雨戸は打ち壊され、障子、襖は蹴り倒されての、泥棒でも押し入ったかのような有様だったらしい。
「‥‥北信濃の寺なら、たしか《善光寺》の‥」
記憶を探るように首をかしげた冒険者に、《ぎるど》の手代も神妙な顔で肯首する。
善光寺といえば、京の比叡山と肩を並べる東国仏教の一大聖地だ。――比叡山との関わりも深く表向きはその教えを是としているが、宗派に拘りなく信者を受け入れる合理的な一面も持ち合わせている。
土地柄、山岳信仰も根強く、少し余所見をしていた程度で癇癪を起こして帰ってしまうような者が(僻地とはいえ)寺ひとつを任されるとは聊か考えにくい。
「そう言われれば、何やらきな臭い気もいたします」
何しろ、善光寺といえば――
甲斐と越後。
巨大な国力と兵を有するふたつの勢力の緩衝地帯でもあるのだから。
「彼らも信心を疎かにしたと深く反省しているようです。少々、遠いですが。1度、見に行ってはもらえませんかね?」
●リプレイ本文
善光寺――
遡れば仏教伝来の騒乱にまで辿り着くという東国の古刹は、極楽往生を願う人々にとって、「一生に一度」は詣でたい寺として広くその名を馳せていた。
女人の立ち入りを拒む聖地の多い中、積極的に女人救済を唱えていることもあってか女性たちの信仰も厚い。街道を行く参詣者に女性の姿が多かったのは、そのせいだろう。
比叡山、高野山と並んで「三千坊三山」とものの本に記される賑わいも、本尊の分身仏を背負い縁起を唱導して全国各地を遍歴して回った民間僧たちの熱心な布教活動の賜物なのだ。
仏が牛に姿を変えて不信心者を導いたとか、
戸隠の聖域に足を踏み込めば、これまでの罪が消えるなど――
鬼灯(eb5713)には噴飯ものの逸話が大真面目に語り継がれているのも、ひとえに信心故――信じる者は、救われる――至言である。
さて、熱心な参拝者で賑わう善光寺に背を向けて、山に分け入ること1日余。
広大で肥沃な善光寺平とはまるで異なる峻険な山の間に細く刻み込まれた谷の奥‥‥果たして訪れる者がいるのだろうかという辺鄙な場所にぽつんと置かれた荒れ寺の有様に、池田柳墨(ec3065)は思わず眉をひそめた。
「‥‥これはひどい‥」
諸行無常は世の常とはいえ、打ち壊しに遭ったかのような荒れ寺は‥‥所々に元はそれなりに栄えていたであろう面影があるだけに物悲しい。
同じく僧籍にある空谷響(ec2529)も、荒々しく踏み抜かれた濡れ縁に叩きつけられ泥を被った篇額に痛ましげな視線を向ける。黒い漆に金泥で埋められた額面は、「宝界寺」――荒らされて無残な姿を晒してはいるが、健在ならさぞやという趣のある寺だ。
住職を務める和尚も剃髪したばかりの駆け出しなどではなく、きっと徳を積んだ者であったはず。その辺りを考慮にいれれば、やはり檀家衆の不信心に呆れて下山したのだと萎れるパラたちの見立ては筋違いであるように思われた。
●不帰路よりの影
嫌な予感がする。
このところ立て続けに日の本を震撼させる数々の凶事に、間宮美香(eb9572)は艶やかな色を感じさせる表情を曇らせた。
妖狐の襲撃に始まって、黄泉人、長州、そして、奥州――
個々の繋がりは何ひとつ見えない。
それでも、こうも立て続けに綻びが生じると、何かあるのではないかと疑ってしまう。――あるいは、騒乱の根っこはひとつであって欲しいという無意識の願望であるのかもしれないけれど。
「それにしても、見事に荒らされているな‥‥」
半ば呆れ気味に洩らされた山本剣一朗(ec0586)の感想どおり、寺に刻まれた数々の凶痕は明らかに何者かの手に拠るものだ。それも、並ならぬ悪意を感じる。
「寺が荒らされているなら、盗賊の線も考えられるか。――その、何だ。最近はお参りする者が減っていたんだろ?」
桂武杖(ea9327)が付け加えたひと言に、パラっ子たちはうぐと奇矯な呻きを挙げた。思わず押さえた胸も冗談ではなく痛かっただろう。この事態を止められたかどうかはともかく、信心を放置していたのは違えようのない事実だ。
そんな彼らに一瞥をくれ、軽く右手を上げて仏を拝んだ池田は、先に中をのぞき込んだ空谷に続いて堂内に踏み込む。‥‥否、踏み込もうとして、不可視の手に止められた先人の背に戸惑った。
「‥‥なんと‥」
荒らされているとは、予め聞かされていたのだけれども。
兇賊、盗人の類なら、寺に納められた宝重――仏具や経典、仏像――の類を狙うはず。空谷だけでなく、池田、そして、桂も漠然とそれを想定していた。たしかに、それは全くの見当違いではなくて。
寺に押し入ったモノたちは、寺の命ともいえるそれらの宝を見落とさなかった。
ただ、ひとつ。想像と大きく異なっていた点は‥‥
それらの貴重な財産はいずこかへ持ち去られたワケではなく、徹底的に破壊され尽くしていたのである。
「ひどい‥」
美香の声も、嫌悪に震えた。
穢れ無き場所であるはずの堂内に、陰鬱に澱む悪意を感じる。
犯人が複数であると予言したのは桂の知己である南天輝だが、板の間を蹂躙する泥だらけの足跡は、確かにひとり分ではなさそうだ。
それでも何か残されたものはないかと、引き裂かれ踏み躙られた経文や書付を拾い上げようと背を屈め、美香はそこに残された痕跡に気づく。
「――引き摺った跡がある‥」
泥に混じって床を汚す、赤黒く不吉なその色は――
●影を取り巻く闇
街道筋で最近の人の動きを尋ねた南天陣に、人々が口を揃えたのは源徳公の新田氏討伐に同調した武田と上杉、両氏の起兵だった。
鬼灯がパラの村で得たものも、似たり寄ったり。そこに暮らす者たちにとっては、天下を揺るがす大事変より領主の顔色こそが何よりも恐ろしい。
殊に近年、ここ善光寺平では北信濃へ勢力を広げる武田氏の侵入著しく、その諜略によって多くの土着の豪族が武田氏の軍門に下っている。
「――ほな以前は、どっちかゆーたら上杉はん贔屓やったてことなん?」
「そう」
鬼灯の問いに、パラっ子はこくりと頷いた。
上杉謙信が信仰心の篤い武将であることは、誰もが知るところである。政治的な思惑で仏に帰依する領主たちに比べれば遥かに純粋で、その言動にも宗教家としての性格が強く顕われている。
緩衝地であるとはいえ宗教的に大きな意味のある土地であるから、善光寺平に所領を持つ豪族たちも上杉氏とのつながりが深かった。
「でも、今は武田はんの旗下なんやねぇ」
「うん」
また、こくりと頷いて。
パラっ子はそろりと周囲を見回し、内緒話をするようにほんの少し声を潜める。
「――甲斐のお殿さまは、戸隠中院の別当さまに越後のお殿さまの折伏を祈願したって、噂‥」
善光寺信仰の一翼を担う戸隠は山岳信仰修験道の聖地でもあり、一山を総括する別当職は、代々、比叡山より任命され赴任してくる高位の僧だ。
パラっ子たちが指差した峻険な山の一角にちらりと視線を走らせて、鬼灯は不穏な想像を巡らせる。――瑞々しい初夏の緑に包まれた森の中で聞くには、随分、血生臭い話ではある。
「それって、つまり‥‥」
つまり、そういうコトかもしれない。
幾重もの裏切りに謙信の怒りは、相当なものであるはずだ。信仰心に篤い仁将とはいっても、彼は決して寛容な慈悲の人ではない。――むしろ、烈火の如き苛烈な性質と知られた漢ではなかったろうか。
思いがけない拾い話に、鬼灯は艶やかな朱唇に酷薄な色を浮かべて考え込んだ。
●隠伏する影
守護不入之碑――
この土地の厳然たる仏の力と清浄な環境の下では、他領でいかなる罪を犯していてもその罪悪が浄化され、減罪されるという特別な力の存在を示唆するモノだ。……平たく言ってしまえば、治外法権の宣言のようなものだろう。
往来の人々が伏して拝んだとされる碑石を眺め、美香は小さな吐息を落とす。
この結界の中で犯された仏への冒涜は、果たして減じられるのだろうか。
兇賊の再襲を警戒し幾度となく試みている精霊魔法は、蠢くモノの多い山の中ではいまひとつ精度が悪い。――精霊が拾い上げる無数の振動の原因が何であるのか、精査し判じるには見識も経験も必要だ。
寺の内外に、人の気配はなかった。
音無鬼灯が池田に示唆したような隠し部屋もない。山奥の寺であるから、そこまでして隠さなければならないものもなかったのだろう。
引き摺られた血の痕を追って、冒険者たちは寺の外へと捜索の手を広げた。
桂の提案で主に和尚の行動範囲‥‥水汲みや修行の場を重点的に、何かしらの痕跡を求める。
時節柄、絡み合って群生する荊や笹を掻き分けての行軍は跡が残り易い。それが大人数であれば尚更だ。
獣道のような細い岨路も、根気良く先を追い――ほとんどは、クマやイノシシ、山犬といった山に住む獣たちの痕跡であったけれども。ひとつ、ふたつ、人の住む集落へ続いているものもあった。そして、明らかに人の営みとは相容れぬ‥‥鬼のものと思われる足跡に、追跡者たちを暗澹たる深みに誘う。
天を刺して聳える高い針葉樹の上から目を細めて世界を眺め、桂はその悠久なる神の息吹を感じさせる信濃の山景に息を呑んだ。
銀冠を抱いて連なる峰々に囲まれたこの高原地帯の長閑な初夏の静謐の中では、何もかもが夢幻であるかのような錯覚さえ覚える。――尽きることない人の欲望だけが、血生臭く罪深い。
「‥‥桂殿‥!」
少し上ずった女声に呼ばれて、桂は足元を見下ろす。
異郷の血が混じった彫りの深い顔立ちを緊張の色で装った美香が、彼を見上げて手招いた。異変を悟り、桂も神域への感嘆に埋め尽くされた心を強く引き締める。
「‥人が、雪渓の方で――」
■□
涼やかな水音を響かせて森を流れる幾筋もの沢の源流‥‥未だ融け切らぬ雪の残った冷ややかな谷間に、異様な色が散っていた。
駆けつけた冒険者たちは、その凄惨な光景に息を呑む。
雪と氷が織り上げた氷蒼を汚す禍々しいその色は、渓谷に立ち込める冷気によって鮮やかな彩を失わず、どこか金臭い臭気さえ漂ってくるようだ。
雪渓の上に無造作に放り出された、モノ。
獣たちに喰い散らかされた生き物の残骸は、ところどころ衣服らしいものを纏っている。――墨染めの衣、刺繍を施した麻布の袈裟‥
駆け出した冒険者たちの後を追ってきた、パラっ子がわひゃと頓狂な悲鳴をあげてひっくりかえった。
「‥‥これは‥」
合掌した池田、空谷の後ろで、山本も言葉を無くす。
いたたまれず視線を外した視線の先‥‥零れ落ちる水滴でぬかるんだ泥の上に残されたいくつかの足跡に、彼はいっそう眉間の皺を深くした。
四足の獣、
猿に似た二足歩行は、鬼だろうか‥‥小鬼にしては、ずいぶん大きい。
そして、これは何だろう?
一見、具足で踏んだようにも思われるけれど、
周囲に散らばる他の足跡に比べれば、ひどく軽やかな‥‥ふわりと翳めただけの希薄な痕跡が、何故だかひどく気になった。