【白夜】 ―壱・勿忘草―

■シリーズシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:8 G 76 C

参加人数:8人

サポート参加人数:4人

冒険期間:01月20日〜01月27日

リプレイ公開日:2008年01月28日

●オープニング

 夢であることは理解していた。
 近頃は、この夢しか見ないのだから。
 ねっとりと肌にまとわりつくような濃い霧の中で。いっそ息苦しささえ感じるほどの静謐に圧し込められて、彼はただ懸命に気を張り詰めている。――その蒼惶たる緊張が、悪夢を招くことも知らないで。
 否、彼は結末を知っていた。
 惨劇を止められぬと知っていて、それでも、止めようと必死に足掻く。あるいは、単に悪夢より逃れたいだけなのかもしれない。

 ‥‥早く‥‥
 ‥‥‥早く、目を醒まさなければ‥‥

 嗄らした声は、虚ろな白い闇へとただ吸い込まれて消えるだけ。
 震える腕の、渾身の力で刀を握り締めているせいか白く血色の失せた指の色がひどく記憶に鮮明で。――次に目を止めた時、その手は赤黒く濡れていた。
 出口を塞がれた悔恨は、未だ癒えることなく悪夢となって彼を詰る。

■□

 年が明けて、半月余。
 小正月とはいうものの、世間の気分もそろそろハレより日常に戻りつつある頃合だろうか。《ぎるど》の番台にてのんびりと暇を持て余していた手代は、塵ひとつなく磨かれた天板につと影を落とした来客の姿に無意識の動作で眉を顰めた。
 新年早々、なにやら雲行きのあやしげな‥‥。
 依頼を選り好みするワケではないけれど。どうせなら、明るく仕事を始めたかった。

「お初にお目にかかります。――妾、美濃屋の内儀でかさねと申します」

 名乗って、丁寧に頭を下げる。確かに纏った着物や結い髪は、日本橋筋に店を構える蝋燭問屋のお内儀らしい町人風であったけれども。例えば、ぴんと伸びた背筋とか、そこはかと漂う品の良さは、どこか武門の血筋を想わせた。

「美濃屋さんに、何かお困りごとでも?」
「‥‥いえ‥妾の、個人的なお願いなのですけど‥‥」

 手代の問いに、かさねは少し困った風に言い淀む。束の間の逡巡は、去りし日への追憶にも似て。――刻が癒した古い傷跡を覗き込むには、やはり少しばかり勇気が必要だ。

「こちらのお力で探していただきたい人がいるのです。――韮崎伝馬殿と仰るお侍なのですけれど‥」
「韮崎様‥で、ございますか」

 経緯を尋ねるのは、《ぎるど》の定石ではあるのだけれど。
 うっかり出歯亀根性を刺激されて興味を覗かせた手代の顔色に、かさねは訪れた時と同じ憂い顔のまま吐息を落とす。

■□

 韮崎伝馬を名乗る浪人者が、かさねを尋ねて美濃屋の戸を叩いたのは年の瀬に沸く師走の初頭ことだった。
 侍の名に心当たりはなく、家人たちの顔色もどこか不審で。それでも、会ってみようという気になったのは、韮崎がかさねの実家――鶉尾家の事情に詳らかであったせいだ。
 と、言っても、由緒のある大層な家柄というほどのものではない。信濃の豪族に仕える下級武士で、両親は彼女が十八の年に流行り病にかかり相次いで他界している。
 そんなワケで、家督を継いだ三歳年下の弟を支える為に、かさねは以前より縁のあった美濃屋に輿入れしたのだけれど。‥‥その甲斐なく、と言えばどこか語弊があるような気もするが‥‥江戸で暮らす彼女の許に、弟・鶉尾左馬輔の訃報が届いたのは、ちょうど1年程前のことだ。
 任務中の事故であったという。
 左馬輔が携わっていた任務の内容と事故の経緯については、藩の事情に触れるからと伏せられたままだった。――韮崎がかさねに告げたのは、まさにこの空白を埋めるモノだったのだ。

「‥‥弟は事故ではなく‥その、藩の不正に関わり殺されたのだと‥‥」
「―――ははあ‥」

 そう思いたい気持ちは、理解らなくもないけれど。
 手代の視線を見てとって、かさねも少しくたびれた風な苦笑をこぼす。――彼女自身、韮崎の言を信じあぐねているらしい。
 以前は藩士であったというが、今は流転の身で困窮しているようでもあった。金の無心もあったという。
 弟の夭折を悼む姉に、この裏話は金になると踏んだのだろうか。疑う反面、それでも思い当たる部分も確かにあって。

「弟は姉の妾が言うのもなんですが、文武に優れ剣の腕もなかなかのものでした。正義感も強くて、不正を黙って見過ごせるような性質ではありませんでしたから‥‥」

 歳末という慌しい折のこと、年明けに改めてくれるよう頼んで引き取らせたものの。時間が経つにつれ、重く胸に溜まるものがある。
 そぞろ気分で年を越し、年賀を終えてようやく訪れた約束の日‥‥韮崎はついに美濃屋に現れなかった。あるいは、ただの冷やかしであったのかもしれない。脈なしとみて、他へ流れたとも考えられる。
 逃した魚は大きいと言うけれど。堅く閉ざされた扉の向こうにちらりと映った過去の影もまた、いかにも真実味を帯びて見えるものであるらしい。
 ‥‥ただ‥、
 形振り構わず追いかけるには、それはあまりにも現実より乖離していて――

「‥‥妾はもう鶉尾の家を出た身でございますし、左馬輔の死によって彼の家も絶えております。今更、再興を願うべくもございません。‥‥ですが‥」

 このままでは、あまりにも寝覚めが悪い。
 晴れぬ心を抱え込み鬱々と気を揉んでいるところへ、《冒険者ぎるど》の評判を聞いたのだという。
 藁にもすがるというのは、大袈裟としても。
 彼女の中では、ずいぶん比重の大きな出来事であるのかもしれない。
 よろしくお願いします、と。丁寧に頭を下げて席を立った依頼人を見送って、手代はいつの間にやら気負っていた肩の力を抜いた。

●今回の参加者

 ea2741 西中島 導仁(31歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea5979 大宗院 真莉(41歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea9450 渡部 夕凪(42歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 eb3701 上杉 藤政(26歳・♂・陰陽師・パラ・ジャパン)
 eb7679 水上 銀(40歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ec0244 大蔵 南洋(32歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 ec0843 雀尾 嵐淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)

●サポート参加者

イフェリア・アイランズ(ea2890)/ 磯城弥 魁厳(eb5249)/ 尾上 彬(eb8664)/ 土御門 焔(ec4427

●リプレイ本文

 ゆらり、ゆらりと振り子が揺れる。
 細い鎖の先で宛てなく振れるその様は、どこか人の心にも似て‥‥
 手持ちの占い道具をずらりと並べた土御門焔を始め、尾上彬から貸し出されたダウジング・ペンデュラムと《サンワード》を試みた上杉藤政(eb3701)もまた、行方の定まらぬ振り子に心を揺らした。――人事を尽くして天命を待つとは言うけれど。行き詰まる前からアテにされては、天もさすがに困惑気味といったところか。

『‥‥判ラナイ‥』

 陽精の戸惑いにも理由がある。
 韮崎と名乗る浪人がかさねを訪ねて美濃屋の暖簾をくぐったのは師走の初旬、ちょうど年越しの仕度が始まる頃だ。日本橋筋にある美濃屋にも、得意先だけではない一見の客が常以上にやってくる。浪人だと思われる身なりをした者もひとり、ふたりではなく‥‥何よりも、人目を憚る秘密を抱える者は概してお天道様の目を避けるものなのだから。
 誰と顔を会わせるか判らない繁華な場所では、尚のこと。大蔵南洋(ec0244)のように顔を隠そうと務めていれば、陽精にも確かな事は伝わらない。

「――ずいぶん、人相の悪い男だねぇ」

 雀尾嵐淡(ec0843)が美麗の筆を駆使して大量に作成した人相書きの1枚を指先で摘んで斜めに翳し、水上銀(eb7679)はふぅんとつまらなげに鼻を鳴らした。大宗院真莉(ea5979)も、「これなら夫の方が断然佳い男ですわ」と思ったが黙っている。
 実際、据えた光を湛える双眸に荒んだ険を纏ってこちらを見つめる男は、雀尾の画力を鑑みても風采が良いとは言えなかった。脂っ気の抜けた髪、刻まれた皺は深く、頬も削げ落ち‥‥痩せ窪んだ目の下に貼りついたどす黒い隈も気に障る。

「こンのお侍だば、どっか具合でもよくねェだか?」

 病気とはおよそ無縁の田之上志乃(ea3044)が、思わず首を傾げるほど。かさねをはじめ応対に出た美濃屋の者たちの主観が多分に混じっているとは言え、尋常ならざる荒廃ぶりが伺えた。
 かさねに語った経歴が事実なら、1年前は鶉尾左馬輔と共に北信濃で藩の任務についていたはずなのだが。仮に追われる身だとしても、この凋落ぶりはいかがなものかと西中島導仁(ea2741)は眉を顰める。
 某筋より手配中の身である大蔵や渡部夕凪(ea9450)と比べれば、差は歴然。――いささかも後暗さを感じさせぬ自信は、自らの選択を悔いてはいないせいなのかもしれない。


●波風
 鶉尾左馬輔が生きている――
 銀の音頭で上杉、大蔵らが仕掛けた揺さぶりは、波紋のように輪を広げながら凪いだ水面を騒がせた。
 死んだと思っていた人間が、未だ生きていると知らされたなら‥‥きっと真意を確かめたいと思うはず。あるいは、探さずとも尋ね人の方から何らかの行動を起してくるかもしれない。

「藩内の不正に単身立ち向かって謀殺されるというのは有り得る話だ」

 彼は正義感の強い強い男であったと聞いた。
 西中島の洞察が正しければ、風聞に穏やかでいられないのは韮崎だけではないだろう。
 高甫藩の屋敷が置かれた界隈を狙って噂を流したのは、既に流浪の身となった韮崎より、むしろそちらを意識しているようだ。

「――本当は我々に用があるようにも思われるのだ‥」

 冒険者を使い、何を成すつもりであるのか。
 自意識過剰だと嗤われるかもしれないが、雀尾の意見には確かに頷かせる説得力のようなモノもあり、皆、無意識に韮崎個人よりそちらに比重を置いてしまっているようだ。
 不用意に騒ぎ立てれば鼠は却って身を潜めてしまう危険もあるのだけれど。韮崎の言葉が真実であれ偽りであれ左馬輔の死に彼の国が関わっていることだけは確かであるから、突付けば何かが動き出す。

「瓢箪から駒がでるかもしれないしね」

 とは、銀の弁。そんなワケで、彼女と共に聞き込みの合間にそれとなく藩邸を観察する上杉だった。
 小なりといえど公に知られた藩のこと、足を使って聞き込めば多少のことは見えてくる。磯城弥魁厳やイフェリア・アイランズの助力もあって、冒険者たちが彼の国を知るまでにはさほどの時間はかからなかった。
 高甫は善光寺平よりいくらか東に位置するする北信濃の小国で、あるいは地元の豪族と喩えた方が近いだろう。山の多い信濃国の例にもれず領土の大半が耕地には向かない山岳地帯で、石高も多くはない。単純に国力だけを比すれば、とおに近隣の武田氏や上杉氏に呑み込まれていても可笑しくはない小さな国だ。
 存えているのは上手く立ち回る術を心得ているだけではなく、もうひとつ。覇権を争う諸国にとっては迂闊に踏み込めない理由があった。

「鉱物資源に恵まれているようだな、それを精錬する技術も持っている」

 自身が調べ上げた内容を報告し、大蔵はわずかに口角を歪めた。
 鉄を始め、銅や鉛といった金属は武器の材料にもなることから、どこへ行っても高値で取り引きされる。これが藩の体裁を支える財源であり、また北信濃における情勢膠着の一因なのだろうとも想像できた。――かさねの話によると、左馬輔はこの鉱山のひとつを管理警護する役に就いていたという。
 いずれ関わることになるかもしれない。
 密かにそんな想いを抱いたのは雀尾だけでなく、真莉もまた自身とかさねの人脈を頼りに北信濃のへのツテを探した。

「――それでしたら、笹ノ井様がよろしいですわ」

 高甫藩に知己がいないかと尋ねた真莉に、かさねは深く考えるコトもなくさらりと答えた。
 笹ノ井征士郎は親の代から鶉尾家とは親しく付き合っていた幼馴染で、今は江戸の藩邸に詰めているという。左馬輔の急死をかさねに告げに来たのも、笹ノ井だった。

「‥‥弟とは本当に兄弟のように仲がよくて‥‥何をするのも関本の康二郎様と3人で‥‥‥」

 かさねは懐かしくそう眸を細め、そして、やはり寂しそうに微笑む。江戸の商家に嫁ぎ、生家である鶉尾家も途絶えた今、彼女と故郷を繋いでいるのは笹ノ井だけなのかもしれない。母であり、妻である己に通じる部分を持つこの女性の哀しみは、真莉には少しばかり重かった。


●悪所通い
 大勢の人が暮らす江戸の市中は、人が隠れるには都合の良い場所だった。
 源徳公の治世であればともかく度重なる混乱に乗じて周辺から入り込んだ人の数は膨大で、闇雲に当たっていたのではキリがない。
 いかに的を捉えて絞り込むかが、冒険者たちの智恵の見せ所だろう。――上杉が試みた占いも、そのひとつだ。

「ずいぶんまとまった金子を必要としていたようだが、どう見るか」

 かさねから聞き取った韮崎の様子を思い浮かべて考え込んだ大蔵に、志乃も彼女には珍しく思案を巡らせる。
 衣食住どれをとっても、江戸で暮らすには少なくない金銭が必要だ。
 浪人の仕事といえば、手習や道場の師範、用心棒、傘貼り、楊枝の製作‥‥志乃の偏見の中に、幸い《冒険者》は入っていない‥‥どれも大金の稼げる職種ではない。
 江戸に出たばかりで未だ、職に就いていなかったのか。
 あるいは、何かとモノ要な年の瀬の事、付け払いの勘定に困っていたとも考えられる。流転の身であれば困窮もしていただろう。――無論、強請りたかりの可能性だって捨てられない。

「だども、約束に日さ来なかったつぅのがなァ」

 危惧を孕んだ志乃の指摘に、夕凪、西中島も頷いた。
 情報を持っている人間がそれを欲しがっている者を見つけて、そう簡単に離れるとは考えにくい。時間を稼いで値を吊り上げようと目論んでいるのか、あるいは――

「年明けの頃ァ冷えた日もあっただから、ちょいと番屋に顔を出して師走の頭からこっちに見つかった行き倒れの帳簿さ見せて貰うべ」

 ぽりぽりと指先で頬を掻いた志乃との同行も考えた夕凪であったが、追われる身であることを思い出して自重する。――いくら奥州の支配圏に置かれたとはいえ、未だ源徳を主と仰ぐ者は多い。番屋に顔を出すのは、豪気というより迂闊だ。代わりに流民や無縁仏の流れ着きそうな寺を巡って、人相書きに似た仏が運ばれていないかを確かめることにした。足を伸ばして覗いておきたい処には、子供を連れて行きにくい場所もある。
 格安の一膳飯屋や流民の溜まる端の下への聞き込みは志乃に任せることにして、銀もまた顔見知りの多い賭場や酒場へと足を運んだ。

「‥‥どうにも胡乱臭いな男だったな‥」

 銀の見せた手配書に、壷振りは目を細めて煙草臭い吐息を落とす。
 雀尾の人相書きもさることながら、悪所通いの客たちの記憶に残ったのは韮崎らしい男の振る舞いだった。

「遊び方を知らないワケでもなかろうに、まるで出鱈目な逆張りばかりだ。当たれば確かに大きいが、擦った額の方が大きかろうよ。――正気の沙汰とは思えなかったな」
「金を持っていたのか? 困っていたと聞いたのだが」

 聞きなおした銀に、男はさもありなんと首をすくめる。無一文で行き倒れていても不思議ではない。そう言いたげな表情に、銀は気難しげに考え込んだ。
 一方で湯水のように金を浪費し、そのツケを他者に求める。どこにでもありそうな話だが、賭け事を愉しんでいた風はないという。
 そして、夕凪もまた‥‥韮崎らしき男の奇行に不審を感じて眉を顰めたのだった。

「眠りの浅い御仁だったよ」

 袖を引いたという夜鷹の言葉に、夕凪はちらりと我が身を省みる。追いかけられる身であれば、少しの物音にも過敏になるものであるけど。

「――いつも悪い夢を見たと言ってね、声を上げて飛び起きるんだ。なんだか気味が悪かったねぇ」

 そうしてぷつりと姿を見せなくなったという。
 金銭が尽きたのか、あるいは、他に理由があるのか‥‥
 拾い集めた痕跡とそこから浮かび上がる幾つかの疑問が、目の前に広がる闇をいっそう深く昏いものにした。


●急転
 大門脇の通用口からするりと通りへと踏み出した侍と目が合った瞬間、閃光にも似た予感が上杉の脳裏を翳めた。
 こういう時には何かが起こる。その幽かな高揚が、反応を遅らせた。視線を断ち切る隙を与えず、彼は躊躇することなく拾い歩幅で通りを横切り上杉の前に立つ。
 門前の見張りは、ただ立っているだけではない。胡乱な噂と同時に見慣れぬ輩が藩邸の周囲に姿を見せれば、当然、関わりを疑うものだ。――対立する強国に挟まれた小さな国が、単なる運や偶然で存えることは出来ないのだから。

「――鶉尾左馬輔の名を騙るのは、貴様らか?」

 押し殺した低い声には、警戒よりも強い瞋恚が込められていた。
 秘密、もしくは不正を知る者をなるべく少なくするのは、悪事を企む際の鉄則である。――例えば、高甫藩が不正を抱えているからといって、全ての者がその秘密に関わっているワケではないはずだ。むしろ、不正の影さえ知らされていない者の方が多いだろう。
 そもそも江戸から離れた本国で死んだ一介の隊士の名前や事情が、江戸の藩邸に知らされるコトこそ普通ではない。
 笹ノ井征士郎にとって、噂は笑って済ませられぬ由々しき意味を持っていた。

「私は左馬輔の埋葬に立ち会った。康二郎は左馬輔だと言い、私もこの目で確かめたのだ。それを今更、生きているなど‥‥誰がそのようなふざけた話を――」

 笹ノ井の怒りは本物だった。
 人を見る眼には少しばかり自信のある真莉だけでなく。西中島もまた、揺ぎなく真正面から見据えてくる男の気概を偽りだとは思わなかった。
 藪を突付いて飛び出した蛇に、果たして毒牙があるのかどうか‥‥銀、そして大蔵にも俄かに判断がつきかねた。

「‥‥韮崎という男を捜しているのですわ‥」

 かさねの名前を出さぬようそれだけに腐心して、真莉は鶉尾左馬輔の死にまつわる不審を口にする。――いくらか予定は狂ったが真莉としては元よりその心算であったから、大きな誤算ではないはずだ。
 絵描きとして人を見る癖のある雀尾としては、話を聞く笹ノ井の表情がどんどん険しくなって行くのが気に掛ったが‥‥ともかくも激昂することなく話を聞き終え、笹ノ井は厳しい表情のまま深い息を吐く。

「――韮崎伝馬は左馬輔と同じ任についていた男だ」

 なるほど、と。密かに得心し、上杉は韮崎が握る情報の正否を推し量った。それならば、左馬輔の死の真相を知っているのも頷ける。
 其々の思惑を巡らせて考え込んだ冒険者たちを見回して、笹ノ井は溜息をひとつ。気の重い調子で言葉を続けた。

「左馬輔は精錬された鉱石の横領を手引きしていたのだ。その現場を抑えられて刀を抜いた、と‥‥証言したのは韮崎だ」

 思いがけない言葉に、西中島と大蔵は思わず顔を見合わせる。
 かさねの話では、そのような悪事に手を染める気質の人間ではないと聞いていた。韮崎がかさねに語ろうとしたのは、こんな望まれぬ内容だったのだろうか。
 冒険者たちの動揺には気づかぬ様子で、笹ノ井は組んだ手にいっそう強く力を込める。

「‥‥康二郎と韮崎と‥他にも‥‥皆がそう口を揃えて――」

 康二郎という響きに、真莉は小さく首を傾げた。かさねの口からも、その名を聞いたような気がする。左馬輔とはもっと親しい間柄であるように聞いていたのに。
 何やら覗き込んではいけない箱の中身を空けてしまったような気分で口を噤んだ皆の間に、沈黙が舞い降りる。
 笹ノ井の言葉は真実だ。少なくとも、彼自身に偽りを口にしている自覚はない。
 かさねの想いも嘘でないなら、全ての謎を握るのは韮崎の証言ということになるのだろうか‥‥だが、その言葉さえ韮崎ひとりのものではないというのなら‥‥。
 掴んだはずの手がかりはひとつまたひとつと新しい疑問を生んで、終わりのない夜の向こうに呑み込まれていく。

 大川の淀み、枯れた葦の茂みに捨てられていた土左衛門の身元を志乃と夕凪が突き止めたのは、その翌日のことだった。