●リプレイ本文
「ここが正念場ですね」
誰にともなく洩らした大宗院真莉(ea5979)の感想は、この場にいる幾名かの想いを代弁していた。――江戸から遠く離れた場所である故、必然、家を空ける時間も長くなる。主婦の不在で不自由を強いた子供や夫の為にも、誇れる成果を持ち返りたい。
そして、最初の依頼人であるかさねにも。
弟の無実を信じる姉に――鶉尾の無実は既に周知のものとなっていたが――やっと、すべて終わったのだと安堵させてあげられそうだ。
死者が生き返らせることはできないが、慰めにはなるだろう。
「まずは、笹ノ井殿の行方を追うことから始めようかね」
「私は先に関本様のお屋敷を当たろうと思う」
「俺は城へ出向いて、鉱山への入山許可を得る。――可能ならば、その間の操業を止めてもらえぬか掛け合うつもりだ」
役目を辞してまで、真犯人を追う道を選んだのだ。何某かの手掛かりを得て動いている可能性はある。あるいは、他に目的があるのかもしれない。
渡部夕凪(ea9450)の言葉に首肯したと西中島導仁(ea2741)に、上杉藤政(eb3701)と大蔵南洋(ec0244)は各々自らの思惑を当たると告げる。
手掛かりの全てがあの鉱山を指していた。
藩は渋るかもしれないが、多少強引にでも踏み込まねばならぬ時なのだと思う。――そして、戦いの場になるのなら、これ以上、誰かを巻き込んではいけない。
関本康二郎の兄は、高甫藩の家老職にあった。
彼は、弟が犯した間違いにどこまで気づいていたのだろうか。――何も知らなかったのかもしれないし、単純に兄として愚かな弟を庇っただけであるのかもしれない。だが、全てを知った上で、何かを企んでいたのだとしたら‥‥。
「俺の善意は貴藩には伝わらなかったようです。‥‥藩の役人に睨まれた私では貴方達の力になれない」
集まった村人たちに申し訳ないと謝る雀尾嵐淡(ec0843)に、村人たちも涙する。
前回、善意の医療活動を咎められて雀尾は激しく落胆していた。薬草知識こそないが、僧兵としての信用と応急手当の技量、更に負傷を治す奇跡。それらが無料で施されるのだから有り難がらない筈はない。もし重傷を負った者が運ばれてきたら、自分はどうすれば良いのだろう。雀尾の心は乱れていた。
「お顔をあげて下され。役人が決めた事なら仕方がない」
「ですが、無念で‥‥俺は皆さんに申し訳がない。この上は、鉱山に向い、この一命を賭しても調査を行う所存」
その雀尾の脇をすり抜け、夕凪は毅然と顎を上げて前を見据えた。
闇に潜み糸を操る見えざる敵を追い詰めて‥‥一手も、二手も先を行く相手の思惑を飛び越え、陽の当たる場所に引きずり出す布石を打つ時間は、どれくらい残されているのだろう。
●思惑の糸
怪訝に思わなかったワケではない。
まさかそこまで大きな裏があるとは、さすがに想像していなかったのだけれども。
身内の不祥事に謹慎中だという関本家を訪ねた上杉に、関本康太郎は苦しい胸の裡をぽつりと洩らした。
「あれは昔から周囲と比べられ、肩身の狭い思いをしていたのだろう。必要以上に、失敗を恐れるところがあったように思う‥‥」
関本の家名を傷つけることを恐れたのだろうか。
あるいは、現実を受け入れることができなかっただけかもしれない。背を向けて逃げるのは簡単だけれども、立ち向かうには勇気がいる。
「尤も、知っておれば止めたのかと聞かれると答えられぬが‥‥」
「‥‥‥‥‥」
家名、あるいは、体面と。大なり小なり何らかの権力に与する者には、開き直って前に進むコトのできぬ柵が付いて回るようだ。――大蔵と夕凪も、その壁に挑んで業を背負ったのだから。
領民の命よりも、藩の大事が優先する。高甫藩に限らず、いずれの藩。武士だけではなく、教会、朝廷にあっても普通に見られる理だ。
今更、唾棄しようとも思わぬが、好意も持てない。
「――それで、あの鉱山は‥」
ほんの少し。僅かに緩めた口元の笑みで、関本は言い挿した上杉の言葉を止める。
重大な秘密を預かる者の強い意志。ちらりと障子の向こう側へと投げられた視線が、ここも安全ではないのだと告げていた。
そして、大蔵もまた。
「それは聞かぬがよろしかろう。――これ以上は、本当にあなた方を江戸に帰すワケに行かなくなる」
やんわりと。だが、どこか恫喝にも似た拒絶の中に、人の想いが揺れる。
彼らはまだ、恩ある人なのだから。
●影追い
「やっと追いついた。――探したよ」
「まったくだ。余計な心配はかけんでもらいたい」
嘆息の混じった夕凪と大蔵の憎まれ口に振り返った笹ノ井は、はやり驚いた顔をする。
その鼻先にずいと指を突きつけ、西中島は広い胸郭いっぱいに息を吸い込んだ。――無謀とは、友情とは、忠義とは。諭してやりたいことは、たくさんある。
「水臭いではないか! よいか、我らは――‥」
息巻く西中島をまあまあといなし、夕凪は改めて笹ノ井に視線を向けた。
目指すものが同じなら、いずれたどり着けるとは思っていたけれども。――以前より、少し痩せたかもしれない。心労か、あるいは、時間を惜しんで動き回った故の疲労か。きっと、その両方だろう。
山間に点在する村々を回り、得られる玉石混同の情報の中から必要なモノだけを精査して突き詰める。最初はただ集まるだけの四方山話で事足りるが、2度目、3度目からは意図して人を選び、誘導しなければ正しい情報は得られないのだ。
里内という男が殺されたのは――表向きは落石事故だとされているが――、鉱山について調べ回っていたからだという。
あの鉱山に、何があるのか。
鉱山から流れ出した排水や土は、先日、仲間のひとりが持ち帰っていたはずだが。生憎、それについて誰かが調べたという話は聞かない。
ただ、鉱山に興味を抱いたのは里内だけではなかったようだ。
時折、訪れる行商人や旅人の中には、夕凪と同じ問いを口にする者が少なからずいたという。何人かは、他藩より放たれた間者の類であったのだろうと察しもつくが。
「――どうにも不穏な気配があるようでね」
具体的な危険については何も明かさず、怪訝そうに視線を向けてくる村人たちに夕凪は大袈裟に肩をすくめてみせる。
「このままでは障りがあるかもしれないと、藩主様は江戸の冒険者に調査を依頼されたんだよ」
「ええ。近いうちに鉱山の内部も調べてみることになると思います」
夕凪の言葉に、真莉も上手く調子を合わせた。
鉱山に執着するモノならば、この噂に平静ではおられぬはずだ。――冒険者たちが何をするのか、どこまで気が付いているのか‥もしかすると、闇の中よりその姿を現すかもしれない。
●鉱脈の底にて眠るモノ
「確かに。お殿様からも報せはいただいておりますが‥」
訪れた冒険者たちにちらりと不安げな視線を投げ、鉱山を預かる官吏は改めて笹ノ井へと視線を向ける。役目を返上したのだから、立場的には彼も同じようなものなのだけれども。――気持ちの問題というやつだろうか。
「構わない。主上の言葉どおり、この者たちの指示に従ってほしい」
笹ノ井の言葉に、承服したようなしないような顔をしながらも。官吏は下官に命じて鉱山の見取り図を持ってこさせた。
時を重ねて掘り進み、幾重にも枝分かれした坑道は、蟻の巣のようにも見える。
「里内は死ぬ前に、鉱山の何かを調べていたということだが。何を調べていたか知っているか?」
「詳しくは‥‥ただ、この山にはもうひとつ、隠された鉱脈があるのかもしれないと」
「隠された?」
双眸を細めた大蔵の険しい顔に気後れしたのか思わず口を噤んだ山師に代って、下官が地図のある場所を示した。
それは、鉱山の最も深い場所。――谷底の集落を一夜にして地獄へと変えた、毒が蓄積されている場所だ。
「発生した鉱毒を掘尽くした坑道に貯めるようになったのは、もうずっと以前のこと――百年以上も昔の話で――真相を知っている者は誰も居ないが、鉱脈の形を予想するとこの場所が掘り尽くされたとは考えにくい。‥‥毒をもって何かを封じたというならば、あるいはその表現も頷ける」
「鉱毒を山の外に流したのにはワケがあったということかい」
閃いた可能性のひとつに、夕凪は歯噛みする。
村を滅し、山賊を蔓延らせ‥‥不安を煽り、人心を彷徨わせることすら、目的に達する過程で派生したモノであったというのなら。
それは、既に鉱山の中に潜伏している可能性が高い。
●石の中の蝶
相手に裏をかいたと思わせて囮を不意打ち、それを逆に不意打ちする。――それが、真莉が提案した策だった。
囮役には、雀尾が名乗りを挙げる。
「鉱山で騒動があった時、一番疑いの目を向けられるのは自分だろうから。必要なら《ミミクリー》で、相手が出てくるような人物に化けるが」
「相手が出てくるような人物に心当たりがあるのか?」
ない。
雀尾に限らず、その問いに答えを出せる者はいなかった。
だから衆目を集めようと村人の前で宣言したのだ。落胆した様子も演技だとすれば中々の芸達者だが。
とりあえず、《ディテクトライフフォース》と《惑いのしゃれこうべ》で感知できるものがないかを探りながら行くのが、雀尾の立てた作戦である。
《デティクトライフフォース》は一定範囲内の命あるモノを感知できる分、潜んだ敵が生き物なら反応があるかもしれない。――感知できないモノである可能性もあるのだが、それならそれで敵の正体を暴く鍵になる。
墓場の魔物を探し出すという《惑いのしゃれこうべ》に念を込めて歩き始めた雀尾の背を見送って、大蔵はちらりと左手の指に嵌めた小さな指輪に視線を落とした。――玉髄に刻まれた蝶々は、まだ静かな眠りについている。
●闇の中で嗤うモノ
暗がりがざわめく――
仄白く靄のように漂う鉱毒を眺めつつ、彼はのんびりと思惑を巡らせた。
毒は恐ろしいものではなかったが、だからといって全く邪魔にならないワケではない。地下に溜まった毒は、取り除いておく必要があった。
ここを封印した者は、よほどこの先に眠るモノを恐れていたのだろう。
賢明だった、と。言えるかもしれない。‥‥並みの者では、扱いかねて持て余すのがせいぜいだ。
おかげで、今もこうしてここにある。
あとは、どうやってこれを掘り出すか。――人間を道具として使うなら、やはりこの毒は邪魔だ。
『奴等ガ‥来ル、ゾ‥』
黒い犬――邪魅――の言葉に、彼は顔を上げる。
確かに、人の気配が迫っていた。
流れ出した毒の意味に気づくことができれば、場所を特定するのは難しくない。
「囮で誘っているように見えた方が、敵もきっと油断するでしょう」
だから、真莉は裏の裏をかくと言ったのだ。
残された毒は脅威だったが、そこに毒があると知っていれば当てられずに回避する方法も考えられる。
薄暗い坑道に響く足音に、しばし考え、彼はゆらりと身体を揺らして首をめぐらせた。
石中の蝶が羽ばたき始める。
■□
音のない蝶の羽ばたきに気づいたのは、当然とはいえ、大蔵で。
止まった足に躓きかけた西中島と、張り詰めた緊張感にそぐわない突然の不協和音に振り返った上杉も、異変に神経を尖らせた。
「誰だ!?」
笹ノ井の誰何は、低い笑声となって闇から戻る。
ひどく耳障りで神経を逆撫でるその声は、確かに耳から入っているのに、直接、頭に響くような不思議な感触を持っていた。
「名乗る名はないと答えてみようか」
「それは、俺の科白だ!!」
仲間を庇うように刀を抜いた西中島が、思わず眉を逆立てる。――悪党に名乗りを上げるのは爽快だが、他人に言われると何やら無性に腹立たしい。
じゃり、と。
具足をつけた太い足が砂地を踏んだ。
薄暗がりの中で黒い闇が動く。ゆっくりと動きながら黒い闇は形を作り、彼らの視界の中へと現れた。
「‥‥な‥」
ようやく明らかになったその姿に真莉は、思わず息を呑む。
真莉だけでなく、西中島、そして、夕凪も。――幾度も魔物と剣を交えてきた歴戦の者である故の違和感。
目の前に立つ男は、確かに人の姿をしていた。
だが、どこか歪(いびつ)に見えるのは‥‥人にはあるはずのない、牙と角。
「‥‥‥鬼‥?」
「いや。あのような鬼がいるとは聞いたことがない。それに、蝶が――」
装備した大蔵自身に強い震えが伝わるほど。石の中の蝶は、閉じ込められた玉石の檻を破壊せんばかりに激しく暴れる。
いったい、アレは何なのか。
混乱する意識を建て直し、真莉はキッと薄い笑みを浮かべた異形の者を睨みつけた。
「何故、この様な事をなさるのですか。――結局は物欲や地位に目が眩んだだけですか」
「それのどこが悪いというのだ?」
挑発を含めた真莉の言葉に動じる風もなく、彼はひどく愉快げに嗤う。
「対価に見合えば、いかなる望みも叶える。全うな取引だろう。――方策を知っており、実行する力もある。何故、迷う必要がある?」
その雄弁さと操る詭弁こそが、彼らの証だ。
挑発するつもりが逆に挑発されて唇を噛んだ真莉の隣で、夕凪は手裏剣を握る手に力をこめる。
踏み出すか、様子を見るか――
闘気を練り始めた西中島の様子にほんの僅か目を細め、彼は西中島から視線を逸らさぬまま揶揄するようにくつくつと喉を鳴らした。
「‥‥だが、存外早くここへたどり着いたな。おかげで、また別の手を考えねばならなくなった」
こわい、こわいと呟きながら。
彼はふと夕凪の上で視線を止めた。――このモノには本当に過去を見通す力でもあるのだろうか。
「俺は戻って、此処を手に入れる算段をする。――貴様らも此度は寡兵でこの謎を解いたことに満足することだ」
「何を馬鹿なっ!!」
笹ノ井でなくても息巻くのは当然だ。
打ち掛かった笹ノ井をふわりと思いがけぬ身軽さで跳退って躱し、男は口元を奇妙に歪める。人間にはありえぬ牙が白々と冷たく闇に霞んだ。
たったひとりで冒険者の前に姿を現す。
それだけで、自信のほどが伺えた。それでも雀尾は猛然ととびかかる。狙いは《メタボリズム》、しかし、かわされた。
男はそのまま闇に消えようとして。
「いけない!」
追いかけ、捕らえようと咄嗟に放った真莉の《アイスブリザード》が狭い坑道いっぱいに、味方をも巻き込んで吹き荒れる。
視界を遮る吹雪が立ち消えたその時には、男の姿は坑道のどこにもなかった。