【白夜】−肆・弟切草−
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■シリーズシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:11〜lv
難易度:やや難
成功報酬:5
参加人数:8人
サポート参加人数:1人
冒険期間:03月02日〜03月12日
リプレイ公開日:2008年03月09日
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●オープニング
違うのだ、と。
訴える彼に、黒い犬は嗤う――
何を今更、
択るべき道を選んだのは、他の誰でもない。
違う、違う、違う!
視界を覆う白い闇の中で、彼は懸命に声を張り上げる。
こんなことになるとは思わなかった。否、最初から望んでなどいない。
黒い犬は嗤う。
熾った石炭のような赫い眼に、ひどく愉しげな揶揄を浮かべて。
決めたのは、他の誰でもない。
そして、ひとたび奔しりはじめた狂気の行き着く先はひとつ。
戻る道など、用意されているワケがないのだ。
繰り返される悪夢の中で、
黒い犬は、嗤う――
■□
笹ノ井征士朗が高甫藩の正使として《ぎるど》を訪れたのは、冒険者たちが旅装を解いて程なくのことだった。
先日の山賊退治において功のあった者たちを、藩主自ら対面して労いたい。
との、慇懃なる申し出に、応対に出た手代は思案気に首をひねる。
この手の褒章話の取り扱いは、それなりに難しいのだ。
藩内での不始末であり、余所者である江戸の冒険者たちに遅れをとったと内心快く思わぬ者も皆無ではないだろう。ただ、素知らぬ顔を通すのも沽券に関わり、体裁がよろしくない。領民たちの手前、とりあえず形だけは取り繕っておくのが吉と見たのか。――江戸詰の経験もあり、冒険者たちと顔見知りでもある笹ノ井を正使に用いたあたりに、その辺の意図が垣間見えた。
「そうですね。まあ、悪い話ではないと思いますよ?」
形ばかりの書付を冒険者たちの前でひらりと泳がせ、手代はのんびりと肩をすくめる。
北信濃の小国は、手代にとって未だ遠い国であった。鬼が出たり、天狗が出たり、神の聖域があったりと、どこか現実離れした賑やかさが、いっそう国の姿を遠いものにする。
「小藩とはいえ、歴とした国ですし。腐っても鯛、と申します。歓迎してもらえるのではありませんかね」
それに、だ。
藩主公認での訪問となれば、こそこそ立ち回らずにすむ。――以前より、いくらか注目度は増してしまうような気もするが‥。
ちらり、と。
手代は依頼を書き付けた大福帳と冒険者を見比べる。
「やり残したコトが、あるんですよ‥ね?」
そう。積み重ねられたままの謎は、ひとつも解けていない。
ぼんやりと浮びつつある真実の姿は、未だ白く昏い闇の向こうで沈黙していた。
●リプレイ本文
視線を感じる。
《険を冒す者》なんて、他とはいくらか毛色の異なる職種を名乗れば、大抵の場合は目立ってしまうのだけれども。――高甫藩に足を踏み入れると、それはいっそう強くなった。
大半は好意的なもので。
領民を震撼させ恐怖の底に落としこんだ山賊を見事に打ち果たしたという功績は、感謝と賞賛の念をもって高甫だけでなく、その名声は周辺の宿(街)にも轟いていた。――中には、尾鰭、手鰭がついて姿を変えたモノもあったが。
十年後には、立派な英雄譚のひとつでも出来上がっているかもしれない。
手放しの快哉は己の働きにイマイチ自信の持てない夜十字信人(ea3094)にはくすぐったいばかりだが、山賊退治には直接携わっていないアイーダ・ノースフィールド(ea6264)の眼には彼らへの感謝の念が眩しくも映る。
殊に、山賊退治だけでなく近隣の病人に無償で慈善を施した雀尾嵐淡(ec0843)への歓待の声はひとしおで‥‥ありがたがって後背に手を合わせる者までいた。
「無料で診察いたしますので、 治療のため領内の村々を回る許可を頂きたく存じます」
必要とされることに気を良くし、再びそう申し出た雀尾に接待役の官吏は少し困惑した顔をする。前回の失敗を踏襲し、《ソルフの実》まで持ち込んだ雀尾の意気込は、彼らの警戒心を刺激するものであるようだった。
「――お気持ちは大変ありがたいのですが‥」
何事にも対価というものがある。
1度だけなら気前の良さ、あるいは、善意だと見過ごすこともできるけれども。対価を伴わなぬ施しは、いらぬ猜疑と慢心を呼び覚ますものだ。――例えば、栽培技術のないジャパンでは、手に入れるコトの困難な《ソルフの実》。それだけで、場合によっては報酬など飛んでしまう。その代価を、彼はいったいどこに求めるのか?
明らかに過大な手当ての裏に、どんな意図を隠しているのだろう、と。
雀尾にとっては純然たる善意だが、受け止める者はそうではない。返す宛てのない施しに慣れてしまえば、人は適正な報酬さえも出し渋るようになる。正当な報酬さえ得られなければ、この地に医者は根付かない。‥‥ひいてはこの国の為にならない。
それを危惧する者もいた。
「‥‥阿ることで相手の歓心を買おうとするのは、場合によっては失礼になりますよ?」
依頼人の代わりに依頼料を払うと申し出て、《ぎるど》の手代に睨まれた時と同じく。好意と僭越の境界を見極めることも必要だ。
善意の陰にある落とし穴をおっとりと指摘する大宗院真莉(ea5979)の隣で、西中島導仁(ea2741)もまた、礼儀作法について気を引き締める。
小なりといえ、一国の藩主と会い見えるのだ。
侍として‥‥否、自分自身の矜持にかけて、一分の隙のない完璧な応対をしなければ。誇らしくもあり、少し不安でもあるような。――戦場とは違う高揚に、心がざわめく。
「藩主様からのお招きたァ、これでまた、お姫様さ近づいただ!」
手放しで喜ぶ田之上志乃(ea3044)は、江戸に出た頃の夢を未だ捨ててはいなかったらしい。――お呼ばれした先で素敵な若君と出会って恋に落ち、正真正銘、お姫様に選ばれる可能性だってないワケでは、ないのだから(うん、多分)。
嬉しげにはしゃぐ志乃を子供だと微笑ましく見守りつつ、幼少時の夢を思い出して思わず苦笑する渡部夕凪(ea9450)だった。
無論、皆、浮かれているばかりではなく、掴みかけた真実の影にどう取り組むか。――蟻の一穴とはいうが、穿つ方向を間違えれば決壊に巻き込まれる危険だってある。何事にも細心の注意が必要なのだ。
●山間の陰
鉱山、金属精錬と呼ばれる産業に従事する者たちを取り巻く環境は苛酷である。
これは高甫藩に限った話ではなく、どこの鉱山、作業場でも共通していえることなのだけれども。有する者の力に直結する価値と技術は、他国には秘しておきたい最重要事項であると同時に、崩落や落石の危険にさらされる重労働。‥‥重い罪を犯した者の流刑地とされている場所も少なくない。
江戸の騒乱に巻き込まれて田畑や家を失い行き場を失した浮民を集め、こういう場所へ斡旋する者もいたようだ。領主の許しなく土地を離れることもまた、死の覚悟がいる重罪で。――曰くある者たちであるから、地元の民よりも遥かに軽んじられて待遇も悪い。仮に病を発症しても手当てはされず、半ば使い捨てのような形で消費される。
発生する毒のせいなのか、労働の過酷さが因なのか。人によっては非人道だと眉を顰めたくなる話だが、事情に通じている者の目には日常茶飯。付け入る隙にするのは難しい。
鉱山の稼動を示す白い煙を谷の底から睨むように見上げて、上杉藤政(eb3701)は密かに唇を噛んだ。
山の神が、毒を吐く。
志乃が伝え聞いた迷信も、もたらされる結果の上では間違いではないのかもしれない。――ある種の鉱石が生体に有害な物質を含んでいることやその抽出法は、犬鬼でも知っていた。
鉱物についての広い知識と経験を積んだ熟練の錬金術ならば、アイーダの期待に応えて神の力を借りなくとも発生の仕組み合理的に解き明かせるかもしれない。残念ながら、今すぐに、とはいかないけれども。
「聖職者の端くれとして、死者のために祈りたい」
そう言って件の集落に乗り込んだ夜十字が、善意を装った解毒剤を手に人心に猜疑を囁くまでもない。単純に毒物を検出するだけならば、夜十字の派手なパフォーマンスを隠れ蓑にアイーダが細心の注意を払って集めて回った物証だけでなく、鉱山の周囲にあるもの全てが高い確率でヒットしそうだ。
それでも――
敢えて、隠さねばならぬ理由があったのではないだろうか。
韋駄天の草履を使い、稼いだ時間を費やして調べた状況は決して満足できる答えをもたらしてくれたワケではないけれど。それでも、実際に己の目で確かめれば、見えてくるものもある。
集落ひとつが滅ぶほどの毒が流れたとなれば、さすがに領民たちも黙ってはいられないはずだ。
「危険があったらすぐにお上に言うんだぞ」
夜十字の言葉のとおり、きっと大騒ぎになるだろう。
それこそ、藩主‥‥あるいは、他藩の耳に入るほどの‥‥。
●謁見
「――先ず、礼を申し上げねばならぬ」
高甫藩主、井高遠光は御前に並んだ冒険者たちを見回して、そう口を開いた。
一見、穏やかな――武将というよりは、どこか学者然とした風貌の――温和な雰囲気を持つ人物である。
「あまつさえ、本来ならこちらから礼に出向かねばならぬところ。2度までもこのような辺境の地へご足労いただくこととなった。非礼をお詫びすると共に、重ねて礼を申し上げる」
「そんな、恐れ多いこと。こうしてお招きいただいただけでも、身に余る光栄にございます」
「自分は神に仕えた身。世の《悪》を斬るのは至極当然のことにございます故‥‥」
畳に三つ指を揃えて丁寧に頭を下げた真莉の隣で、夜十字はにやりと口角を上げ悪役風の笑みを作った。その表情に如何なる想いを抱いたにせよ、藩主も居並ぶ家臣たちもそれを面にはあらわさない。
きっちりと裃を纏い背筋を伸ばして座る西中島と精一杯のおめかしをした志乃は、そこに剣を使わぬ戦場を見る。――甲斐と越後と。ふたつの大国を相手に存えるには、相応の理由があるのだ。
敵愾心や警戒心といった非好意的な視線はいくつも感じたが、だからといって明確な害意があるわけでもない。
山賊の殲滅に胸を撫で下ろしているあたりは真実であるようだ。
その功績を労うのが会談の目的であるから、当然、話は山賊退治における苦労話や方策についてが中心で。藩政や内情についは、冒険者の立場や内容の繊細さから微妙に立ち入りにくい話題でもある。――ひとりひとりと個別に会談するワケではないので、真莉の想う人の目が気になる話ほどやりにくい。
「‥‥そういえば、山賊共の供述についていくつか事実と食い違っている部分があったような気がするのですが‥」
小さな気がかりを思い出したという風に言葉を捜した上杉に、ああと肯いた井高の視線を受けて、傍らに控えていた家老のひとりが膝を進めた。
「村を襲ったのは自分ではないと申し述べた件。――己の罪業を軽くしたい一心とはいえ、見苦しい限り。厳しく詮議いたすよう申し付けてございます故、早々に白状いたしましょう」
強要された自白が真実であるとは限らない。
そんなことを思わないでもなかったが、口を出せる問題でもないので胸に留めるだけにする。
「こちらの偉ェ方々にゃ、知らねぇ名前かもしれねェが」
そう、前置いて。
志乃は世間話を装い、最近、なにかと高甫藩に縁があるのだと笑ってみせた。
「韮崎ってェ、お侍様のお弔いに立ち会っただよ」
「ほう。その者は、高甫に縁のある者であったのか?」
「んだ。あっちの鉱山にお勤めしていたって聞いただよ」
鉱山という言葉に、井高の表情がわずかに厳しくなった。――韮崎の名前に覚えはないが、鉱山については何かある。
鉱山の内部をこの目で見たい。
その申し入れは、やんわりと拒否された。急速に戦乱へと傾きつつある時勢を読めば、鉱山は重要な戦略の要所なのだから。――今のところ敵ではないものの、完全な味方でもない。状況次第でどちらにもなり得る冒険者を相手に詳らかに手の内を明かすほど、彼らは迂闊でも短慮でもなかった。
鶉尾左馬輔の名前を出したい衝動を真莉はかろうじて飲み込む。彼は山賊の内通者として断罪された者なのだから。この場に持ち出すのは却って警戒を深めるだけだ。
とはいえ、何度か同じようなやりとりを繰り返せば、秘してはいても焦点は自ずと見えてくる。
弾まぬ会話にどこか白々とした空気が流れ始めた頃合を見計らうように、誰かがため息交じりの揶揄を零した。
「――なにやら、ずいぶんあの鉱山にご執心の様子。その理由をお聞かせ願うワケには行きませぬかな?」
返答の如何では、彼らへの手当ても変わる。
暗にチラつかされた形なき最後通牒に、上杉と夕凪は瞬間的に視線を交えた。――踏み込むべきか、あるいは‥‥
「卒爾ながら。山賊の塒を探る際、見遣った地に懸念が御座います」
「‥‥懸念、とは?」
「鉱毒の兆しにございます」
為政者には取るに足りない事象であるのかもしれないけれど。
領民をはじめ、そこに暮らす者にとっては命に関わる重大事なのだから。――訴えずにはいられなかった。
●山の神、山の魔物
地中より生まれた毒は、大地へと還す。
彼らは決して発生した毒をただ放置していたワケではなかった。――ある意味、放置であるのかもしれないが。
「‥‥あそこか‥」
剥き出しの岩肌に不自然に打ち付けられた木の板を見上げて、西中島は束の間、思考をめぐらせた。
事件の後、しきりに鉱山の周囲を気にしている者がいたという話を笹ノ井から聞いたのはまだ記憶に新しい。鉱山周辺を調べていたアイーダが行き着いたのも、谷底の村から見上げた岩壁だった。
精錬の過程で生まれる毒は、気体だと聞かされた。
空気よりいくらか重いその気体を、彼らは地中深く導くことで毒を封じていたのだという。――抜本的な解決ではなかったが、少なくともこれまでは問題は起っていなかったのだ。
人の手で切り崩された山の斜面に植物の姿はない。
起伏に溜まり凍てついた雪が消えても、目に見える形は残らないだろうけれども。
「土砂止めでもなさそうだし。なんだか、慌てて塞いだみたいに見えるわね」
下手に触ってそこから毒が噴出せば、逃げる場所がない。凍てついた岩壁を攀じ登って冒す危険と併せても、アイーダには少し荷が重いだろうか。
■□
異変に気づいたのは夜明け前のことだった。
谷の底が妙に静かだと言い出したのは、鉱山で働く山師のひとりで。――闇の中で白く煙ぶった谷底の靄が悪夢の始まりを告げていた。
「――左馬輔は起こった事態を明らかにするべきだと言ったのだ‥」
関本康二郎はそう言って深く息を吐く。
病床から天井を見上げる病み衰えたその顔は、医術には明るくない夕凪の目にも這い寄る死の影は明白で‥‥雀尾が持つ《秘蔵の品》も、生きようとする意志のない者にはあまり効果がないようだった。
「‥‥何が起こったのか‥理解らなかった。‥‥皆、知りたくなかったのかもしれない」
夜明けを告げる山風が谷底の霧を払うのを待って、谷に下りた者たちが見たものは。
空気との比重によってゆっくりと山肌を這い降りた毒霧は、夜をかけて谷の底に溜まる。夜明けの風が吹くまでの数刻。――そこは、文字通りの地獄と化した。
まず、喉を焼かれて声を失う。皮膚が、内臓の粘膜が爛れ‥‥体液が流れ出す。死に至る毒ではない。毒の霧に包まれた人は、肺腑に溜まった自らの体液に溺れて死ぬのだ。
「‥‥敏い者なら‥死体を見れば、何があったかを悟るだろう‥と‥‥」
だから、燃やした。
動揺に付け込み、囁く者がいたのだという。――事故が明らかになれば、周辺の住民だけでなく、藩、そして他国にも噂が広がるに違いない。隠すべきだ、と。
毒の効果は、人それぞれ。
場所によっては、まだ生きている者がいたかもしれない。罪を隠すための、殺戮と放火。その様子を思い描いて胃の辺りに違和感を感じ、夕凪は膝に置いた拳を握り締めた。
「‥左馬輔だけが‥‥」
生気のない声は、細く途切れる。
その先は、尋ねずとも推測がついた。――彼だけが、囁きに惑わされなかったのだろう。罪からは逃れられぬことを知っていたから。
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黒い犬は嗤う。
ひとつの罪を隠すために、さらに罪を重ねる愚かさを。