Russian Labyrinth〜眠りの歌〜
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■シリーズシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:14 G 11 C
参加人数:10人
サポート参加人数:2人
冒険期間:06月20日〜06月28日
リプレイ公開日:2007年07月12日
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●オープニング
●二人の少年と黒豹
「おい、待てってば、テオ! さすがに勝手に入ったらまずいぞ!」
婚約披露パーティーの会場からは乱痴気騒ぎなのか、賑やかすぎる声が聞こえている。しかし全く関係のない赤の他人が加われば衛兵に止められ捕まろう。止めようと細い腕を掴んだ友人に、テオは振り返る。
「いいんです‥‥捕まっても、死んでも」
「俺は嫌だ」
行かせない。金髪の少年は、強い意志を秘めた瞳でテオを見つめる。
「‥‥このままなら、死んでいるも同然なんです‥‥。あの方の婚約が‥‥心からのものなら‥‥」
「婚約って‥‥え? テオはラリサって奴が好きなのか?」
そういう事情なら話は違う。金髪の少年には恋とか愛とか、そんな事はまだ解らないけれど‥‥それでも身分を越えて想いを添い遂げるような歌物語ならば酒場でなんども聞いたことがある。一瞬の間に色々と巡らせた思索はあっさりと打ち砕かれた──テオが、首を横に振ったから。
「え? でも婚約って‥‥あれ?」
引き止めた少年が首を傾げた隙に、テオは駆け出して。
しかし、すぐに足を止めた。目の前に、蝙蝠のような翼をもつ黒豹が立っていたから。
「どけ、テオ!!」
少年はスピアを振りぬいて衝撃波を放つと、それを追って走る! しかし衝撃波もスピアも黒豹を傷つけることはなく、少年はその黒豹がデビルだと気付いた。
少年の鋭い攻撃など意にも介さず、威風堂々と佇む黒豹は低く、甘く、囁く。
「ふた色を継ぐ子よ、望みは聞いた。神に背くその願い、我が主ならば叶えることができるぞ」
「デビルの戯言だ、聞くな!」
「望むものを手に入れられるだけの力が欲しくはないか? お前にはその資格がある」
自分を慮る友人の制止と黒豹の誘惑の間で揺れたテオは。
「僕は‥‥ずっとあの方と共に在りたいんです‥‥」
「ダメだ、テオ!!」
「‥‥邪魔するものは‥‥神であれ‥‥全て壊したい」
純粋な、深い愛情は。
漆黒に塗れた。
「いい答えだ。乗れ、願いを叶えてやる!」
「行くな、テオ!!」
「ごめんなさい。でも、僕は‥‥行きます」
黒豹が少年の脇を駆け抜けた!
ひらりと身軽に跨ったテオを背に、黒豹は夜空に翔け上がると瞬く間に姿を消した。
それは襲撃の混乱に乗じたほんの一幕のことだった。
●極楽鳥の依頼
オーロラの魔獣騎士の腕の中で、極楽鳥は派手派手しい装いをさらに鮮やかに染めていた──己の血によって。
「意識をしっかり持つのよ! 今、回復の薬を!!」
己を抱く腕の主に、極楽鳥ルディは穏やかな表情で首を振った。無駄なことは自分でも解る。
それでも、目の前で失われていく、護るべき命の煌きを‥‥認めたくなかった。
頬に張り付いた金の髪を払おうと儀典官がその手を添えたとき、極楽鳥ルディの唇がかすかに動いた。
「何?」
死にゆく識者ルディの言葉を1つたりとて逃さんと口元に添えられた、少し尖った耳。
告げられたのは、気高き白い狼を奉じる部族の現在の拠点と1つの依頼。
鍵を‥‥キエフの貧民街に住むテオという少年を、夏至までに蛮族の下に連れて行くこと。
「‥‥解ったわ」
力強く頷いたのを確認したのだろう、極楽鳥の身体から、最後の力が抜けた。
テオがグリマルキンの背に乗って消えたと報せられたのは、その直後のことである。
●交錯する情報
情報収集のために散った冒険者らがラティシェフ家の書庫や街、キエフなどで調べたのは七つの宝玉に関する情報やデビル・アバドンに纏わる情報から古い伝承など実に多岐に渡る。
「各地に散る蛮族は当然一枚岩ではない、セベナージもまた然り。中でもフロストウルフの蛮族は周囲との接触を極端に嫌う部族だったようだ」
厳ついクレリックがそう告げれば、目深にフードを被ったウィザードは
「魔術的観点から調べてみましたが‥‥宝石や宝玉を媒介にすることは、あまり珍しくはありません‥‥皆さんが持っている指輪などもそうですし‥‥」
とメモを読み上げる。全般的に見てキエフの教会や図書館で調べたことよりも、セベナージ領内で調べた文献や伝承の方が有益そうだった。しかし、それも当然のことかもしれない。各地の伝承を網羅するほど、キエフは歴史のある都市ではないのだから。
街の教会に残されていた文献の片隅からは、ラティシェフ家がこの地を治めるようになる以前、それよりも遥か昔、この街は定住した蛮族が作ったのだということが記されていた。しかし、キエフの教会にはそのような資料はない。
「アバドンの情報もあんまり。七つの頭から色々なブレスを吐くというくらいね、目新しい情報は」
普段より笑顔の冴えぬクレリックが、そう告げた。
「やはり、手掛かりはこの歌のようですね」
色香を放つ学者は、手元の羊皮紙に視線を落とす。そこには記憶を頼りに書き出した極楽鳥の歌が記されていた。
七持つ魔物 封じし石は 七つに散りて 眠りを護る
銀の縁取り 眠りの誘い 金の幻惑 夢の彼方
眠り覚ますは 熱き血潮 目覚めし壱は 七へと連なる
ふた色の鍵 壊れし刻 目覚めし数は 零を求むる
ふた色継ぎし 瞳と共に 七を統べるは 白き獣
七つを以って 七つを封ず 意思持ち散りし 石の守護者
ふた色封ずは 七持つ魔物 七色封ずは 七色吐息
紅き鉄なる 流れにて 意思は散りて また息吹く
「七持つ魔物はアバドンのことで間違いはないでしょうね。一行目は七つの宝玉がアバドンを封じていることも示している、という解釈で間違いないでしょう」
問題は残りの文意である。この解釈次第では、最悪の状況を忌避することも可能かもしれない。
●ラティシェフ家の憂慮
アルトゥールが細く長く息を吐いた。デビルの出現で婚約に泥が塗られ当主マルコは頭を抱えている。クリスチーヌは三十年近くも連れ添った愛猫がデビルだったことに衝撃を受け、寝込んだ。リュドミールはなんとかその場を治めたものの、直後から招いた吟遊詩人の葬儀を執り行い、精神と肉体の疲労から顔色が悪い。
「不幸中の幸いは極楽鳥から話が聞けたことと、破談にならなかったことかな」
「ツェツェリフ家はわざわざ養子を迎えたみたいでやしたし、けちのついた娘さんにこれ以上の縁談は来ないと踏んだんでしょうね」
同じく顔色の悪い忍者は、自己嫌悪と後悔の念に苛まれ続けているようだ。もっとも、それは彼に限ったことではないのだが。
「極楽鳥の依頼と合わせて僕からも依頼を出す。最悪の事態だけは回避してくれ」
必要なら『森の揺篭』を貸すことも構わないし、同行することも厭わない。
他にも、可能な限りの助力はすると宣言し、アルトゥールは冒険者の顔を見た。
「問題の少年がデビルの手に渡ったのなら──デビルの手に堕ちたと、正直に言うしかないだろう」
それが蛮族との間にどんな火種を撒くかはわからない。しかし、極楽鳥の言葉を伝えるためには、起きてしまった事実を共に語るしかないのだ。
浮名を流す赤髪の冒険者は、語られなかった一点についてだけ、アルトゥールに尋ねた。
「そういえば、あの場にグリマルキンを抱いて現れた女性‥‥リューラといったか、彼女はその後?」
「‥‥忽然と姿を消したよ」
流浪の歌姫だったというリューラ。
彼女がもしあのグリマルキンの甘言に誑かされているのなら、いずれまた合い見える日もあるだろうか。
●リプレイ本文
●序〜悪夢〜
視界が赤く染まった。目を護るよう掲げた手に文殊の数珠が千切れる感触が伝わり、小さな玉が呆気無いほどあっさり吹き飛ぶ様が自分たちに重なり、スィニエーク・ラウニアー(ea9096)は掲げた手をしっかりと握り締めた。フードが吹き飛び爆風に煽られる中、スィニーは必死に抵抗し、瀕死ながらも生をもぎ取った。
悲鳴と肉の焦げる臭いが胃を刺激し、口元を抑えて周囲を見回したスィニーはボロ布と化した服と使い物にならないスクロールに目を見開き、昏倒する仲間の姿に言葉をも失った。
煤けても輝きを失わずに足元に転がる『大地の夢』を拾い上げた。全ての始まりだった、この杖を。
●壱〜迷宮〜
ヴィクトル・アルビレオ(ea6738)がアルトゥール・ラティシェフ(ez1098)から借り受けた二つの宝玉はスィニーの調査により魔力を帯びていることが正式に判明した。後から追ってくるというフィニィ・フォルテン(ea9114)が一向に現れないのが気掛かりだが‥‥フィーナ・アクトラス(ea9909)は仲間を振り返った。
「私じゃないもの、迷ったりはしてないわよね」
「目的地ですら確たる所在は解らないのだ、その道中で合流するというのは流石に無理があったのだろうな」
真幌葉京士郎(ea3190)の言葉にミィナ・コヅツミ(ea9128)は頷き同意を示す。目的はリュドミールとの対話だというが、相手は警戒心とプライドの塊。本音を引き出すのがどれだけ困難か、それは身に染みて解っている。仮に首尾よく行ったとて、キエフとラティシェフ家、そして蛮族の集落は魔法の靴や箒を使ったとしても間に合うか微妙な距離だ。
「きっと追いついてくると、彼女を信じやしょう」
金髪の少女が真顔で、しかも男の声で言った。シュテルケ・フェストゥング(eb4341)は大きく咳払い。
「すいやせ‥‥すみません」
リュドミールの婚約者ラリサに扮していた以心伝助(ea4744)が小さく頭を下げた。
「シュテルケさんが聞いたデビルの言葉と、伝承の詩‥‥真実の瞳はテオさん自身なのかもしれませんね‥‥」
「そうだとすれば、封印の鍵であるテオくんをわざわざ浚ったということは、時と場所の合致が不可欠ということでしょうか」
スィニーの言葉に、ジークリンデ・ケリン(eb3225)は知恵を絞る。
しかし、悩んでいられる時間はそう長くはなかった──木々の茂る濃い森の中、テントを張った蛮族の集落が見えてきたのだ。
「さて、極楽鳥の最期の依頼‥‥完遂するために行きましょうか」
民は死者の為に涙を流すが、騎士は死者に心残り無きよう最期の願いを完遂するもの。シオン・アークライト(eb0882)の想いは揺るがぬものとなっていた。そしてそれは、京士郎や他の冒険者とて同じ‥‥兜の緒を締め直し、歩みを進めた。
●弐〜逢瀬〜
「止まれ!」
突如飛来した矢が京士郎の足元に突き立った。
「今すぐ引き返さねば次は眉間を射抜く」
「ちょ、待ってくれよ! 俺たち、極楽鳥‥‥ルディの依頼を受けてきたんだ!」
偽ラリサを背後に庇ったシュテルケが声を張る。番えた矢が眉間を狙っていることを感じながらヴィクトルはちらりとミィナを見、石の中の蝶を垣間見た彼女が小さく首を横に振るのを確認してから宝玉を取り出した。
「本当はふた色の瞳の少年を夏至までに連れてくるよう依頼を受けたのだが‥‥これで信頼して頂けないだろうか」
「それはっ。‥‥こちらへ投げろ」
命じられるままに森の揺篭と炎の涙を蛮族たちの足元へ投げると、用心深く拾い上げた蛮族たちは目を見開いて互いに顔を見合わせた。弓を下ろし顎で集落を示す。
「付いて来い。ただし、怪しい真似をしたら──」
「ええ、解ってるわ」
無意識に、腰に下げた剣を確認しながらシオンが頷いた。村にデビルがいないとは限らないのだ‥‥。
●酸〜伝承〜
通されたのは集落の中でも上等な毛皮の屋根を持つ家、長老と呼ばれる者が棲んでいる家。
「‥‥という歌を、極楽鳥さんから聞いたわ。アバドンの封印に関する歌なんでしょう?」
婉曲な話をする間が惜しいとフィーナが核心を突いた。蛮族とてそれは同じようで、壮年の精悍な男が頷いた。
「7色のブレスを封じた7つの宝玉は7人の守護者に託された。本体を封じたのは二色の鍵。これを持つ者はフロストウルフと共に7人を統べる」
フロストウルフ、という言葉にジークリンデはゲリの背を撫でた。この場にいない守護者たるフロストウルフ。それが姿を現すとき、同じくフロストウルフのゲリがきっと役立つ‥‥そう信じて。
「7つの宝玉の封印が1つでも解ければブレスと共に目覚めた頭が7つ全てを求めるだろう」
「けれど、散っていた部族は本当に散り散りになってしまった‥‥?」
尋ねるように返したフィーナの言葉に、辛そうに頷く男。ある部族は自然の脅威に負け、ある部族はデビルの襲撃に散り、またある部族は開拓民とのトラブルで討たれた。二色の瞳を持ち得る人物は徐々に減り、宝玉の行方も知れぬようになっていった。
「二色とは金と銀。宝玉によって増幅した月と陽の精霊魔法が眠らせ隠蔽した本体の封印」
7つの頭は眠っているだけ。宝玉によるブレスの封印を解くのは、赤き鉄なる流れ、熱き血潮──即ち、血。
「古来より各地では、夏至や冬至‥‥四節に祭りを執り行ったと聞く。魔法というからにはいつかは解けてしまうものだろう‥‥それを避けるため、ある周期ごとに儀式を行い万一にも封印が弱まらぬようにしていたのでは無いのだろうか?」
「──いくつもの宝玉を失っても鍵さえあれば儀式はできた。しかし、まさか村を飛び出した女が孕んだ児に鍵が継承されるなど、考えてもいなかったのだ‥‥!」
忌々しげに吐き捨てた。それは女に対する苛立ちか、運命の皮肉に対する怒りか。京士郎には判別できなかった。
「揺篭などなくとも時は満ちる、ふた色の瞳を持つハーフエルフの少年を連れて逃げた‥‥彼を拉致したことには意味があったのだな」
離れていた点と点が線で繋がっていく感覚。静かに聞いていたヴィクトルが深い溜息とともに言の葉を吐く。
重苦しい静寂が屋内を支配し──‥‥
「鍵たる者が短命のハーフエルフとは‥‥混血はあれだけ禁じたはず!」
響いた派手な打音は蛮族の長老の怒り。他国での迫害を思い出しビクッと身を強張らせるスィニーの手を支えるように握り、フィーナはぴしゃりと言い放った。
「ハーフエルフかエルフかなんて今は関係ないんじゃないかしら? 言った所で何が変わるわけでもないんだし」
にこにことした笑顔が放つ迫力に気圧されて長老が視線を逸らすと、畳み掛けるようにフィーナは問いかけた。
「それで、極楽鳥‥‥ルディさんは私たちに何をさせたかったの? 私たちは何をすればいいの?」
「‥‥お前たちに利益はなかろう。何故そんな事を」
「護れなかったルディさんの変わりに、彼が望んだことをすると決めたんです」
「俺は友達を取り返すためだ。テオのことを極楽鳥さんは鍵って呼んだ。つまりテオを守れば封印も守れるってことでいいんだよな?」
ミィナが悲しげに微笑み、シュテルケは白くなるまで拳を握り締めた。しかし、どちらの瞳にも迷いはない。
「それに‥‥罪のない、人たち‥‥デビルの脅威に、晒すわけには‥‥いかないから」
ラリサの言葉を借りて、伝助も言い切った。歌を通じて蛮族たちとも交流を図ろうとしたお気楽な思考の極楽鳥。長い年月を経て築いた絆を、長老は信じた。ルディが認めた者たちならば、力を貸してくれるだろう。
「‥‥ならば」
口を開いた長老の言葉は、しかし危機を報せるシオンの叫び声に堰き止められた。
「敵襲! デビルが攻めてきたわ!!」
●偲〜飛来〜
魔法の箒で集落の外れに舞い降りたフィニィに気付いたのはシオンだった。
「全然見つからなくて‥‥どうしようかと思いました」
「でも良かったわ、無事に辿り着けて。で、どうだった?」
当然の質問に、フィニィは表情を曇らせる。
「取り付く島もありませんでした‥‥テレパシーも、抵抗されたり無視されたりで」
テレパシーは脳裏に語りかける魔法。黙秘もできれば嘘をつくこともできるのだ。
「彼が相手じゃ仕方がないわ。誰のことも信用してなさそうだもの」
肩を叩いてシオンはフィニィを労った。次の瞬間、穏やかだった表情が凛々しく引き締まる!
「敵襲! デビルが攻めてきたわ!!」
シオンが見たのは空けやらぬ空から飛来するデビルの大群だった!
「私の心、昂ぶり私を高めなさい‥‥彼の元に帰れるように」
詠唱し剣を抜くと先頭のインプを貫いた!
「フィニィさん、使って!」
フィーナはソルフの実を仕舞った小袋を投げ、空中のグレムリンへと斧を投じる!
「‥‥!」
後方を飛ぶ黒豹の背でテオが何かを叫んだ。途端、デビルたちは第一の目標をラリサに変えた!
「パパさん。万一の事があった時は‥‥あっしは仕事で急に国に帰ったって彼女に伝えてください」
肯定の返事も否定の返事も聞かず、偽ラリサ──伝助は隠し持っていた双刀を抜きながらデビルの懐へ飛び込んだ!
「伝助! ‥‥私は断固として断るぞ」
スィニーの放つ雷光が十体近いデビルを叩き落し、地中から顔を出したジークリンデがファイヤーボムを空中に炸裂させる。しかし、その数にミィナも隙あらば狙われてしまいエボリューションとリカバーの援護が精一杯のようだ。京士郎とシュテルケは伝助の左右と背後を護るように剣を振るった。シルバリオスやゲリも善戦しているが、いかんせん数が多すぎる。スリープで地に落ちたデビルに止めをさす暇すらない!
「くっ、こう数が多くては‥‥!」
徐々に、グリマルキン=ノーシュが近付いてくる‥‥!
●誤〜封印〜
そして戦火の中、フィニィのテレパシーがテオに届いた!
『テオさん! お父様が待っておられます!』
「そんなこと‥‥今日もきっと仕事三昧ですから」
自嘲するテオ。
「さあ、隠れん坊は終わりだよ、アバドン」
心の痛みに屈した少年は、細い陽光を浴びて金に輝く眼球を抉り出し、ゆっくりと握りつぶした。
増幅されたイリュージョンが解け、目の前にまどろむアバドンが姿を現す‥‥
「テオさん、まさか操られて!?」
咄嗟に唱えられたミィナのニュートラルマジックではその動きを止められない──これは、彼自身の意思。
『ふた色の鍵 壊れし刻 目覚めし数は 零を求むる』
ふた色の鍵が真に示しているのがテオの瞳だと知り、シュテルケは弾けるように飛び出した!
「やめろ、テオ!」
サイレンスで言葉を奪われた黒豹が、それでも腕を蹴り切っ先を逸らす。
「シュテルケさん‥‥あの人のいない世界は闇も同然なんです‥‥もう、光も、見る価値もない。ほら、起きてよアバドン‥‥僕の願いを叶えておくれ」
「デビルの力で好きな人と一緒に居られる事になったとしても、その人が心の底から喜んでくれるなんて事はあり得ないわ!」
フィーナの叫びが悲痛な色を帯びる。アバドンを復活させるわけにはいかない。けれど、テオを攻撃するわけにもいかない!
「解ってます‥‥だから‥‥」
細い陽光を浴びて銀に輝く眼球を、躊躇わず抉り出す!
「僕の全てと引き換えに、あの人も世界も等しく灰燼に変えて!!」
「契約成立だ、哀れな鍵」
幾重にも重なる地響きのような声。闇に浮かぶ気だるげな七対の紅い瞳。いや、闇と思えたのはその巨体。
首をもたげてフロストウルフを、そして巨体に敵意を向ける弱者たちを見据え‥‥ゆっくりと口を開いた!
●碌〜悪夢〜
「離れてください!」
鈴のような声。それが意図するところに気付いても、逃げるためには時間がなさすぎた。声が紡いだ詠唱。
「炎の精霊、猛り狂いて厄災を喰らい尽くすのです!」
勝利を確信した微笑み。
「伏せろ!」
炎を孕んだ爆発が起きるまでの刹那、警戒していたヴィクトルの存在が結果的には明暗を分けた。
どこから来るのか、それは確かめるまでもなくアバドン。リュートベイルが、緑色の盾が、ライトシールドが一斉にアバドンへ向けられ。敵に囲まれていないシオンとシュテルケは仲間を、ミィナとヴィクトルを背後に庇うため、駆けた──だからこそ、少なくとも冒険者は誰一人として死なずにで済んだ。
瓶の割れた沢山の回復薬が地に呑まれ、小さな品は吹き飛び、多くの品が焼け爛れた。
爆風と爆炎が治まったとき、周囲の地形は一変していた。
蛮族の集落も半分以上が巻き込まれた。子供の泣く声、母の悲痛な叫び。弦の切れた弓を捨て、消えかかった命でアバドンを目指す蛮族。アバドンに包み込まれ難を逃れたテオとグリマルキン=ノーシュの近くには焼け焦げたフロストウルフ2体──番のメスとゲリ──の死体が転がる。
「血を‥‥悲鳴を‥‥そして魂と屍を捧げよ‥‥」
幾重にも響くアバドンの声。黒猫を抱いたテオがアバドンの背に乗って悠然と消えていくのを、死と紙一重の冒険者たちは追うことができなかった。
突如。白い毛並みなど微塵も感じさせぬボロ雑巾と化して生き残った守護者たる1体がジークリンデへ踊りかかった!
「な‥‥!?」
首元へ牙を突きつける。その気になればいつでも食い破れる状態で──妻と同胞たちを失ったフロストウルフは理性を保っていた。
「ジークリンデ殿‥‥それだけはしてくれるなと、頼んだはずだ」
怒りを押し殺し静かに告げたヴィクトルはメタボリズムを唱えた。回復のためではなく、魔力を尽かせるために。
●死地〜救難〜
「待ってて。確か、まだバックパックにポーションがあるはずよ」
シオンが難を逃れたバックパックから取り出したヒーリングポーション。飲むようにと手渡されたヴィクトルは静かにこれを断った。
「この集落の方々の回復を、先にせねば‥‥」
「でも、傷を負ってると回復魔法も失敗しやすいんだろ?」
唯一残ったリカバーポーションを握ったシュテルケはじっとヴィクトルを見上げた。癒し手が傷を負っていれば回復も効率が悪い、それは事実。
「‥‥我々の責だ。通さねばならない筋がある」
効率のために自分たちを回復させ蛮族ばかりを後回しにすれば、彼らからはどう見えるか。それを思えば、否を唱えられるはずもなく。
「‥‥そうね。私は救護所を作るわ。スィニエークさん、辛いでしょうけど手伝ってもらえるかしら?」
「はい‥‥大丈夫、です」
切り裂いた服の裾で腕の流血を止めたフィーナは、拾い上げた杖を抱えたスィニーらと共にけが人の休憩所を作る。回復は司祭に任せて男たちは水を汲み、フィーナの保存食を使って煮炊きをする。
それが、彼らに示せる最大限の誠意。悪意ではないと思ったのだろう、傷を癒された長老は顔を出した太陽を見つめ、語った。
「我らには再度封印する手立てはない‥‥。大地の夢は持っていきなさい、何かの役には立つはずだ。いずれ運命の輪が交われば、合い見えることもあろう‥‥」