Russian Labyrinth〜雪の源〜

■シリーズシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:9 G 63 C

参加人数:10人

サポート参加人数:3人

冒険期間:06月03日〜06月09日

リプレイ公開日:2007年06月11日

●オープニング

●銀の婚約

 いつか訪れる日という物がある。セベナージ領主が長男リュドミール・ラティシェフにとって、それは今日だった。
「婚約ですか。相手は」
「ラリサ・ツェツェリフ、大人しい女だ」
「ツェツェリフ? ああ、赤天星の」
 ルーリック家直属の赤天星魔術団で頭角をあらわしつつある青年を思い出し、軽く頷く。実家は工房を兼ね備えた宝石商を営んでいる。この工房が質の良い品を作ると評判で、財力も高く、こちらも成長株。十年後二十年後を見越した先物買いとして婚姻するのには悪く無い相手だ。
 ラリサというその娘は見たことがないが、養子縁組した娘を養い始めたという話は耳にしたことがある。つまり向こうは由緒ある貴族と血縁を結ぶために養子を取ったのだろう。
 小さな肖像画を申し訳程度にちらりと見、リュドミールと父マルコは婚約を決めた。相手が自分の半分の年齢にも満たぬ少女で、それがとても美しい少女であっても、それらは大した問題ではない。家柄の他にはハーフエルフであり、後継ぎが産めることこそが重要なのだ。
 それはひどく事務的で、婚姻に利潤以外の何物も求めぬ、政略結婚そのものだった。
「母上は賛成しているのでしょうが、義母上は何と?」
「あれはお前に興味がない。今回のことも、アルトゥールのための閨閥作りと思っているだろうよ」
 二人の男は薄く笑い合った。ゴブレットのワインがとぷんと揺れる。クリスチーヌがどれだけ認めまいと、エカテリーナ大公妃がどれだけ気に入ろうと、アルトゥールは既に自由と研究を選んでいる。ここのところ何やらこそこそと動き領民からの人気が上がっているようだが、それもこの婚約が発表されれば風向きも変わろう。
 少し酔いの回った二人は饒舌に、正式な婚約の儀の話を具体的に相談する。
 肖像画に描かれた金髪のラリサは何も語らない。ただ利発さを匂わせる瞳が、虚空で焦点を結ぶだけ──


●純白の希望

 いつか訪れる日という物がある。キエフ在住の少年テオにとって、それは今日だった。
「聞いたか?」
 その噂はセベナージ領から流れ、キエフの民の口の端にも乗るようになっていた。
「何をです?」
「セベナージのリュドミールが婚約するって話だ」
 そう、リュドミール・ラティシェフが婚約するという話だ。庶民からみれば雲の上の話でも、有力貴族の婚姻となれば興味は湧くものなのだろう。
 しかし、それを耳にした少年は、とさっとバスケットを取り落とした。慌てて拾い上げ、ぼさぼさの前髪に隠れた目をきゅっと瞑る。
「リュドミール、さまが‥‥ご婚約‥‥」
 少年にとって、その噂は地面が消失するほどの衝撃だったに違いない。
 何故なら少年は、年齢も身分も、性別さえも越えてその男を愛していたから。愛し合っていたはずだったから。
 そして小さく俯いた。
 少年は知っていたのだ、いつかリュドミールは家のために妻を娶る、と。その日が来ただけなのだ、おそらく。
『例え妻を娶ろうとも、胸に住むことを許すのはお前だけだ‥‥テオ』
 ただ一度だけ聞かされた、彼の胸の内。その言葉を胸に信じ続けると決めた。
 けれど、幼い心に──数年前の一言は、とても遠く、朧で。揺らがぬ礎にはなり得なかったのだ。
「‥‥リュドミール様‥‥貴方の真実は、何処にあるのですか‥‥」
 本当に彼が愛してくれているのなら、全てに耐えようと心に決めて──テオは、駆け出した。

 遠いセベナージに向かって。


●極楽の歌と闇の瞳

 いつか訪れる日というものがある。極楽鳥と呼ばれる吟遊詩人にとって、今日はその日ではない。
「♪婚約の儀に〜私の歌を捧げさせて〜いただけるのですか〜。それは〜、身に余る光栄〜でございます〜」
 キエフの中をふらふらと移動する極楽鳥を探して貧民街にまで足を伸ばした使用人たちに敬意を払い‥いや、彼にとってはそれが通常であったのだが、いっそ胡散臭いほどに芝居掛かった所作で極彩色の衣装を身に纏った吟遊詩人はその申し出を歌うように快諾した。
 リュドミールの婚約の儀に招かれるという栄誉を。そして、周囲の子供たちのためにぽろろんとリュートをかき鳴らし、極楽鳥は歌う。

 その吟遊詩人は、ルディと名乗った。

   ◆

 それは、闇に浮かぶ一対の瞳。
 瞳が見つめるは銀の髪か金の髪か。残念ながらほの暗い燭台の灯りだけで判別することはできなかった。
「いいぞ‥‥そうだ、全てを集めるのだ‥‥」
 影で糸を引いていたわけではない。
 ただ、ソレにとって都合の良い事態が目の前に転がり込んできた、それだけの話で‥‥
「‥‥それが息子のためだ‥‥」
 くつくつと笑う声。集まった所で一網打尽にすればよいのだから、ソレにとっては愉快極まりない話だろう。
 瞳が見つめる髪の主、その女性はひとつ頷いた。

 いつか訪れる日というものがある。闇に浮かぶ一対の瞳にとって、その日はもうすぐそこまで来ていた‥‥

●今回の参加者

 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea4744 以心 伝助(34歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea6738 ヴィクトル・アルビレオ(38歳・♂・クレリック・エルフ・ロシア王国)
 ea8785 エルンスト・ヴェディゲン(32歳・♂・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 ea9096 スィニエーク・ラウニアー(28歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 ea9909 フィーナ・アクトラス(35歳・♀・クレリック・人間・フランク王国)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb3225 ジークリンデ・ケリン(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)

●サポート参加者

パラーリア・ゲラー(eb2257)/ シンザン・タカマガハラ(eb2546)/ 藺 崔那(eb5183

●リプレイ本文

●6月5日 朝

 その日、依頼主アルトゥール・ラティシェフは酷く機嫌が悪かった。
「婚約の儀に招待してくれたのかと、少し期待していたのだがな、残念だ」
「勘違いするのは構わないけれど、三々五々集まるというのは声を掛けた僕に失礼だと思わないのかい?」
 真幌葉京士郎(ea3190)の言葉に、苛立たしげに机を指で叩く。姿の見えなかったジークリンデ・ケリン(eb3225)が表情も暗くアルトゥールの傍らに控えているところを見ると、どうやら彼女ともトラブルを起こしているようだ。最近は尖ることが少なかったが、元々彼は貴族にありがちな気分屋の色を酷く濃く持ち合わせていたことを思い出し、ヴィクトル・アルビレオ(ea6738)とミィナ・コヅツミ(ea9128)は小さく視線を交わした。
 そして、苛立たしげに組み替えた足のつま先でジークリンデを示し。
「彼女はね、なるべく多くの時間を調査に使わせろと、初対面の僕にそう言ったのさ。それならば今日ここに来なければ良かっただけの話だろう? 熱き血潮というより無鉄砲だと思うけれどね」
 ジークリンデのことだ、そんな口調ではなかっただろう。しかし、その心遣いは完全に裏目に出ていた。アルトゥールの様子を見る限りでは彼女がハーフエルフでなければ館から追い出されていただろうから、その点に於いてだけは幸運だったと言えようか。そもそもこの招待は強制されたものではなく、シュテルケ・フェストゥング(eb4341)のように断ることも可能だった。依頼主の機嫌を損ねぬことを念頭に置くなら招待に応じながら時間を作って調べ物をするのではなく、彼のように自分の調べたいことに全力を注ぐべきだった。が、今頃思っても詮無い事。シオン・アークライト(eb0882)は新たなる仲間のために助け舟を出し‥‥アルトゥールからの冷たい視線を浴びた。
「あまりに情報が不足しているから勇んでしまったのよ。調査をすれば、解ることもあるかと思ったものだから」
「そう思ったから炎の涙をキエフ内で受け取るだけの仕事に5日分もの報酬を出したんだけれどね?」
 確かに、貰った報酬は5日分。予期せぬ襲撃に意識を奪われたが、少し考えれば解ったはずだ──それが何のために用意された5日間だったかということが。それと解らぬように肩を竦め、京士郎は強引に話を振った。
「‥‥して、会わせたい相手というのは?」
「婚約の儀の客の一人だ。兄上らが飽きるまでお前たちと会わせることはできない。早めに呼んだのも、相手の身体がいつ空くかわからないからだ」
「それならば尚更、調査に赴く許可をいただけないでしょうか。それが無理なら、せめて書庫を閲覧する許可を」
「ジークリンデ!」
 厚かましすぎると考え口にしなかったヴィクトルの願いを堂々と言った少女に、ヴィクトルは声を荒げた。調査のため少し遅れていたスィニエーク・ラウニアー(ea9096)が運悪くそんなタイミングで場に現れ、哀れなほどに身を縮込ませる。だが、ジークリンデの瞳は揺るがない。
「しかし、時間を持て余すよりは許可いただける方が助かる。アルトゥール殿も目を通しているのだろが、違う目で見れば何か見えてくる可能性はある。何より‥‥書物と向き合う方が本業なのでな」
 一歩進み出てエルンスト・ヴェディゲン(ea8785)も不器用に頭を下げた。
「‥‥恐れを知らぬ爆炎の魔術師殿に免じて書庫は使えるように手配しよう。街へ向かうことも構わない。が、こちらは先方の都合次第。席を外す者は話を聞けぬままに終わるだろうこと、忘れるな」
 不快感も顕に席を立ったアルトゥールを以心伝助(ea4744)とエルンストが追う。残った執事にこの部屋と、用意された客間の話を聞き、フィーナ・アクトラス(ea9909)が率先して腰を上げた。ジークリンデの肩にぽんと手を置き、にっこりと微笑んだ。
「どうせ早くても夜でしょう。時間は有効に使わなきゃ、ね」


●同日 昼

 吊るしたダウジングペンデュラムがゆらりゆらりと弧を描く。その弧が徐々に狭まって、小さな弧を描き続ける。
「やはりここだな」
 エルンストが振り子を机に置いた。縮尺の小さな地図は都市部のもので今回のダウジングには向かないため、今は縮尺の大きな地図を開いていた。しかし、縮尺の大きな地図は領内にまで大きく食い込む暗黒の国と呼ばれる例の森を含めたもの。振り子が示した先は、暗黒の国の一部だった。先に伝助が試した時も同位置を示していた。氷の虹も、大地の夢も‥‥所在の解らなかった雪の源と眠りの歌も、全てがそこを示した。
「アルさん、もっと詳しい地図は」
「あれば暗黒の国などと呼ばれはしない」
 伝助の問いにフンと鼻を鳴らす。
「しかし、この結果を見ると‥‥デビルに奪われたシリーズと蛮族の所有するシリーズは同一か、もしくは近い場所にあるということになるな」
 エルンストはまじまじと地図を見つめるが、そこにはただ森が広がり。
「何に使う物かすら知らず集めているが、これは一体どんな代物なのか伺っても構わないだろうか」
 沈黙を嫌うように尋ねたヴィクトルに返されたのは冷たい瞳。
「知らないと言わなかったかい」
「え? じゃあ、なんで宝玉を集めるようになったんすか?」
「あの蛮行を見ただろう、伝助。それがあることで無関係の民が蛮族の襲撃に遭う。ならば、護衛の兵力を抱くここに集めるのが被害を最小限に食い止める手段だ。違うか?」
 珍しく強いアルの眼差し。当然ながら、エルンストの持つ蝶は反応を示さなかった。家督は兄に譲っても、薬学者の道を選んでも、彼は領民を護らねばならないことを知っている貴族なのだ。


●同日 午後

 見覚えのある白髪の少年が、ふらふらと歩いていた。
「あ、テオ!! こんな所で何してるんだ、親父さんが心配してるぞ!」
「シュテルケ、さん‥‥」
 大きな宝玉に見覚えのあるような気がしていたシュテルケは、フロストクィーンがそんなものを持っていたことを思い出していた。ならば誘拐されていた少年が何か覚えていまいかと家を訪ねたのだが──待っていたのは息子がまた行方不明になった大騒ぐ父親。シュテルケは単身で調査をし、北に続く街道を歩いていたという目撃証言からテオを追っていた。
 ここへは、状況報告の道すがら立ち寄ったのだが‥‥
「テオ!」
 突然テオが倒れた。咄嗟に抱きとめたテオは、とても軽かった。
「参ったなー‥‥」
 とりあえず手近な宿屋へ担ぎ込み、ベッドへと横たえる。以前よりやつれた姿に不安を覚えながら、宿の主に医者の手配を頼んだ。


●同日 深夜

「アルトゥール様」
 部屋の主が戻ったことに気付き腰を上げたシオンは臣下の礼を取り──彼の背後に立つ金髪の男に、目を瞬いた。フィーナは微笑みを引きつらせている。その男は、一同が今まで見た中で恐らく1、2を争うほどに派手だった。
 ただ一人、動じなかった者がいた──顔見知りらしい伝助である。
「会わせたかったというのは、極楽鳥さんっすか」
「流石だね、伝助」
 にやりと笑い席を勧めた部屋の主に恭しく一礼し、極楽鳥は肘掛のない椅子に腰掛けた。
「極楽鳥は蛮族に詳しい。根無し草だから捕まえるのも容易ではないのだけれどね」
「それが吟遊詩人というものでございますから」
 優雅に笑んで、リュートを爪弾いた。
「何か、蛮族の関わることで知りたいことがあられるとか」
 貴族の前ゆえ礼儀作法に則っている極楽鳥だが、歌うように話すのが彼の本来の姿。落ち着かないのだろう、さりげなくリュートを引き続ける姿にミィナは微笑みを零した。
 思惑巡る中、まず口火を切ったのは伝助だ。
「6つの宝玉関係の詩なんてないものを知りやせんか。というのも、先日教えて頂いた廃墟にとある宝玉が眠ってたからなんすけど」
「6つの宝玉というのは存じ上げませんね」
「それなら『気高き白き狼を奉じる部族』はどうかしら?」
 蛮族が残した言葉を極楽鳥に告げるフィーナ。知っているとすれば彼だという崔那の情報を信じ、藁にもすがる気分だった。
「‥‥彼らは古の盟約に従い、7つの宝玉の伝承を伝える部族です」
「7つ? 6つではないのですか?」
 ジークリンデの言葉に頷くルディ。
「7つ‥‥アバドンは7つ頭のあるドラゴンの姿をしているそうですよ」
 マッパ・ムンディや悪魔学概論によれば、一度現れれば全てを破壊し尽くすという七つ首の巨大な悪魔──それがアバドン。ミィナの言葉に言葉にジークリンデは頷く。
「‥‥嫌な符合ですね」
「その『7つの宝玉の伝承』はどんなものなの?」
「彼らの意向を無視して語ることはできません」
 微笑みと共に断固として拒絶した極楽鳥。平行線となりかけたその時、全身を埃まみれにし、同じく埃まみれの羊皮紙を抱えたエルンストとスィニー、そしてヴィクトルが姿を見せた。
「アルトゥール殿の『森の揺篭』は、ここを拝領した数代前の領主がここに在った村の長から受け継いだものらしいぞ」
 ヴィクトルの言葉に振り返る一堂。
「これを見ろ」
 エルンストとジークリンデが羊皮紙を広げる。書庫の奥深くに眠っていたかなり古いものらしく、虫食いが酷い。二枚、三枚と広げていくと、ぱらぱらと表面が崩れた。手入れも行き届かぬほど忘れられた存在だったのだろう。スィニーは自分の気付いた文章を指差した。
「‥‥虫食いで読みにくいのですが、こことここ、それからこちらが‥‥同じ文章です‥‥。この3枚を組み合わせると‥‥」
「──この、地、を治め、る者、眠り、を、妨げ、ぬた、めに揺篭、を、守護す、る‥‥」
 ぽつりぽつりと拾い読みしたシオンの声に、フィーナはハッとアルトゥールを──正確には彼の手にある杖を、見た。そしてフィーナの中で、かちりと何かが嵌った。
「使命を忘れた部族‥‥これが、使命? つまり、宝玉にはそれぞれ守護者がいるはずだった‥‥?」
「ご明察のとおりです。貴方がたが当事者であるのなら、伏せる必要はありませんね」
 ぽろろん、とリュートをかき鳴らして、極楽鳥は歌い出す。

♪七持つ魔物 封じし石は 七つに散りて 眠りを護る
 銀の縁取り 眠りの誘い 金の幻惑 夢の彼方
 眠り覚ますは 熱き血潮 目覚めし壱は 七へと連なる
 ふた色の鍵 壊れし刻 目覚めし数は 零を求むる

 ふた色継ぎし 瞳と共に 七を統べるは 白き獣
 七つを以って 七つを封ず 意思持ち散りし 石の守護者
 ふた色封ずは 七持つ魔物 七色封ずは 七色吐息
 紅き鉄なる 流れにて 意思は散りて また息吹く ♪

 それが、問題の蛮族に伝わる伝承。七持つ魔物をアバドンとするのなら、彼らこそがアバドンの封印を護り続けた存在。
「‥‥それじゃ、7つ目の宝玉は‥‥」
「彼らは『真実の瞳』と呼んでいます」
 会いたいのなら案内しましょう、と極楽鳥は微笑んで。
 優雅な一礼と共に席を辞し、ホールでのパーティーへと戻っていった‥‥
「裏付けを取りましょう。改めて、調べられるだけの真実を集めましょう」
 ミィナの言葉に異論を唱える者はなく、予定通り三々五々、街やキエフに消えていった。


●6月6日 午後

 邪魔な前髪を避けて、額に冷やしたタオルを乗せた。開けた窓から吹き込んだ風がテオの頬を撫でる。擦過傷の跡が残る手にスカーフを巻いてやると。
「‥‥あれ、僕‥‥」
「目が覚めたんだな、大丈夫か? いきなり倒れたんだぞ」
 青と茶の淡い一対の瞳がシュテルケを見、ベッドから飛び出し。そしてまた、ぐらりと崩れこんだ。
「無理するなよ。お医者さんは心と身体の疲れだろうって。何かあったのか、俺で良ければ相談に乗るぞ?」
「‥‥何で‥‥」
「うーん。友達になりたいから、とかじゃ駄目か?」
 にかっと笑って手を差し出したお日様のようなシュテルケに息を呑みつつも‥‥恐る恐る、少年はその手を握り返した。
「‥‥ありが、とう‥‥」
 握ったまま、シュテルケはテオの手を引いた。
「そんなになってまで、行きたいとこあるんだろ。どこだ、連れてってやるよ」
「僕の‥‥一番大切な人の、ところに‥‥」
 逡巡を見せたテオはそう答え、口を噤んだ。
(あれ?)
 涙で潤んだ淡い瞳が陽光を受けて金と銀に輝いた、ように見えた。
「っと。待てって、テオ!!」
 見惚れた隙に駆け出した少年を追って、シュテルケは走り出した!


●同日 夜

 昨日の婚約発表から一昼夜、祝辞を持って駆けつける者の波も山を越え、煌びやかな席も終わりを告げようとしていた。全日通して参加していたシオンと京士郎は、流石に疲労感を隠せない。
「エカテリーナ様はいらっしゃらなかったわね」
 僅かながらも期待をしていたシオンは溜息を漏らした。京士郎が呟くように返す。
「多忙なのだろう。血縁と認めていないのかもしれんが」
 良く見ていればクリスチーヌは愛妾の子を視界に入れぬよう立ち居振舞っている。人目があってこれなのだから、その嫌悪は窺い知れよう。
 不意に場がざわめき、ミィナが緊張の面持ちで空気の変わった方を見ると‥‥黒猫を抱き、リュドミールに面持ちの似た銀髪のハーフエルフ女性が立っていた。黒猫が愛猫だと気付いたクリスチーヌがリューラを睨む。
「リューラ、クリスチーヌも」
 マルコが叱責の念を滲ませる。修羅場の気配にエルンストが呆れ視線を落とすと‥‥蝶が、羽ばたいていた。さり気なく指輪の嵌った手を上げると、仲間たちはその意味に気付いたようだ。
 ──ニャア!!
 その隙にリューラの手から逃げ出したノーシュが高らかに鳴くと、十数匹のインプが飛び込んできた!
「アルトゥールさん!」
 ミィナの結界がアルトゥールと杖を護る。シオンのレイピアと京士郎の鉄扇がインプたちを迎撃し、エルンストのウィンドスラッシュが空を切る。が、インプもフォースコマンドで貴賓を盾にし或いはトランスフォームで貴賓をインプへ変身させ、徹底抗戦を図る!
「きゃああ!!」
 悲鳴が上がった。突如表れた黒豹──正体を現したグリマルキンが極楽鳥に襲い掛かったのだ!
 護るべき者たちに阻まれ、魔法だけが黒豹を襲うが‥‥黒豹が攻撃を加えるほうが早かった。
「揺篭などなくとも刻は満ちる」
 結界に守られた杖と冒険者へ忌々しげにしゃがれ声を残して、黒豹は姿を消した。
「ミィナ、ディスペルマジックを!」
 攻撃を封じられたエルンストの声が飛ぶ中、シオンは極楽鳥を抱き起こした。命を留める術は、もう、ない。
「───‥‥」
「‥‥解ったわ」
 小さく残された言葉を継いで、シオンは頷いた。
「誰か!! テオが、黒豹に乗って消えた!」
 駆け込んできたシュテルケの言葉が、遅れて駆けつけた──まだ屋敷に残っていた伝助やジークリンデにまで更なる混乱を齎した。


 此処にいれば運命はやってくる、そう考えていた。
 しかし、それは間違いだったと、今なら言える。
 既に運命は流れている。此処は、その流れに浮かぶ木の葉に過ぎぬのだ、と。