【護衛騎士】命ノ価値

■シリーズシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:16 G 29 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:10月25日〜11月04日

リプレイ公開日:2007年11月03日

●オープニング

●依頼人ペトルーハ

 収穫祭が近付く。国王ですら動くという大きな祭となれば、当然、数々の陰謀も動きを見せる。
 そんな最中、約束どおり収穫祭の依頼を求め、ペトルーハがギルドへ姿を現した。今までと同様に、質素な服装。しかし相変わらず清潔な衣類に身を包んでいた。一連の依頼であるためか、先日と同様に担当することになったらしい三つ編みヒゲのドワーフギルド員へ、肩を竦めて見せる。
「収穫祭がこの時期ならば、腕試しは10月に入ってからでも良かったな」
 少々肩肘の張った言葉遣い。しかし収穫祭の雰囲気を感じ取っているのだろう、少年のような面立ちそのままに、そわそわと辺りを見回している。エメラルドを宿す両の瞳は好奇心の輝きを帯びていた。
「ということは、そろそろ‥‥?」
「ああ。会わねばならない人がいるので、その護衛を。それから、収穫祭を見て回る際の護衛だな。他にも、急遽予定が入る‥‥ということがあるかもしれない。10日ばかり見てもらえれば大丈夫だろう」
「なるほど。それでは冒険者へ連絡を取りましょう」
「それから、1つ頼みがあるのだが」
 なんでしょう、と訊ねたギルド員を、ペトルーハは真剣な眼差しで見つめた。
「できればあまり物々しい格好は避けてもらえないだろうか。収穫祭は皆が楽しみにしていた祭‥‥私のことで雰囲気を壊して台無しになどしたくないですから」
 少年は本気だった。口調を偽ることすら忘れるほどに。
「解りました。期間中の予定をお聞かせ願えますかな?」
「時間の許す限り収穫祭を見て回りたい。そこにある札の、屋台村というイベントにも興味をそそられるな。それから、先方の予定次第で日程が未定なのだが、とある貴人と会う。最終的には従兄弟殿の家まで送ってもらいたい」
「従兄弟殿は、どちらにお住まいで?」
「セベナージに。キエフからは2日間ほどかかる場所だが、1日に馬車を手配してある。3日間もあれば往復できるだろう」
 なんとも手回しの良い依頼人である。いや、『従兄弟殿』とやらの手回しが良いのか。ギルド員は顔には出さずにそんなことを思う。
「貴人、というと‥‥どちら様ですかな」
「む‥‥‥ヴォロージャ様だ」
 あごに手を当てて少し考えた末、ペトルーハはそう答えた。
 しかし、ヴォロージャ、という貴人に、ギルド員は心当たりが無かった。仕事柄、それなりの貴族や商人であれば名前くらいは知っているはずなのだが。
「伏せられると、手練の冒険者とて護衛に支障を生じるとも限りませんぞ? 先方に迷惑をかける可能性も考慮しておられるというのならば、構いませんがの」
 聞き分けの無い孫に語るように、ギルド員はそっと、しかし力を込めて語る。
 先方に、といわれれば考え直さざるを得なかったのだろう、しばし黙した後に口を開いた。
「27日に、ウラジミール陛下へご挨拶に窺うようにと、母から」
 周囲に漏れぬよう小さな声で、しかしはっきりと。ペトルーハは告げた。
 驚愕ゆえか、ギルド員はベテランらしからぬミスを犯す。
 1つは、母の名を尋ねなかったこと。
 そして1つは、ペトルーハの隠している真実の名を聞かなかったこと──


●暗躍する、影

 たっぷりとした黒ひげを撫でながら、 くつくつと、喉奥で笑う人物がいた。
 病的に白い肌、暗く青い瞳、こけた頬。その容姿は、多くの者が追い求めている姿。
「ペトルーハ、ですか‥‥」
 彼は、愛称を名乗って名を偽ったつもりなのだろうか。
『‥‥‥』
 ──闇より暗い場所で、いくつもの紅の瞳が瞬く。
「しかし、名を明かさぬままに動くとは‥‥狐の子の割に素直なのか、知恵が足りないのか」
 どちらにせよ、この国で大公を名乗るには少々役不足の感は否めない。
 このロシア王国では、その素直さに付け込む輩は掃いて棄てるほどいるのだ──彼のように。
「‥‥お手並み拝見、と参りましょう。ピョートル二世、殿下」
 暗い笑みを浮かべて、小声で何かを命じた。
 そして彼自身も、素直すぎるもう1つの手駒を動かすため、闇に消えた。


●某所

 浅黒い肌の男が、葉巻をふかす。
 目深に被った帽子のつばを指で押し上げ、空を眺め。
「きな臭ぇな‥‥」
 小さく呟いた。
 長いため息。零れた煙が揺らぎもせずに、まっすぐ立ち昇る。
 風がない時、空気は淀む。
「‥‥ちっ」
 苛立たしげに投げ捨てた葉巻を踏みにじり、帽子を被りなおした。

 淀んだ空気が、膿を生じる気配を感じて。

●今回の参加者

 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea3693 カイザード・フォーリア(37歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea4744 以心 伝助(34歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5766 ローサ・アルヴィート(27歳・♀・レンジャー・エルフ・イスパニア王国)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9128 ミィナ・コヅツミ(24歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb5758 ニセ・アンリィ(39歳・♂・ナイト・ジャイアント・ロシア王国)

●サポート参加者

神剣 咲舞(eb1566)/ シャリン・シャラン(eb3232)/ シターレ・オレアリス(eb3933

●リプレイ本文

●尽くす者、逸す者

 青空を遠く感じる朝、ペトルーハはギルドに姿を現した。随分着たのだろう、くたびれ始めた、けれど清潔なチュニックに防寒の上着を羽織っている。服装だけ見ればキエフの一般人だ。しかし、そんな少年にシオン・アークライト(eb0882)は臣下の礼を取る。
「お待ちしておりました」
「まあ、そうそう物騒なこともないと思うけれど‥‥よろしく頼む」
「‥‥騎士として、命を賭けてお護り致します」
 頷くペトルーハの視線は、一点に注がれていた。
「ところで、前回とは顔ぶれが異なるようだが?」
「ビザンツの黒騎士カイザードと申します。以降宜しくお願いします」
「ロシアとビザンツの様に、我々も信頼関係を築けるよう努力せねばな」
 首を傾げていた依頼人はカイザード・フォーリア(ea3693)へ微笑んだ。
 その髪をツンツンと引っ張って、フォーノリッヂで思い通りの回答を得られなかったシャリンが訊ねた。
「ねえねえ、ベトルーハって偽名なんでしょ、本名は?」
「‥‥礼を逸する者に伝える名は持ち合わせていない」
 恐らくシャリンが名前を間違えたことが原因なのだが、頭ごなしに決め付ける態度はペトルーハでなくとも気分を損ねよう。しかも、彼が名を伏せている理由も鑑みず名を明かせとは、苦心して信頼関係を築き上げた冒険者仲間を貶すも同然の行為である。
「シャリンさんも悪気があったわけでは‥‥」
 おろおろしたフィニィ・フォルテン(ea9114)のフォローは仲間にも響かない。開いていた心を態々閉ざさせたかもしれないのだから当然である。折を見て尋ねようと思っていた仲間も閉口するばかり。
「ペトルーハさん、作戦の一環と思って目を瞑っていただけやせんか」
「‥‥作戦?」
 しかし流石にこの空気は拙いと、以心伝助(ea4744)は依頼に絡めて話を逸らした。
「周囲の目を誤魔化すため、期間中は友人同士に見えるようにしたいんです。失礼っすが、あっしもぺトさんと呼ばせていただきやす」
「それから、合流などの予定も頭に入れておいてくれ。多少窮屈だと思うが、名の知れてる冒険者が多いので偽装する理由を考えてないと、不自然すぎる」
「友達‥‥解りました、僕も気をつけます」
「察しがいいじゃない♪ ペトルーハ君、なかなかやるわね」
 大歓迎だと頷かれ、ほっと胸を撫で下ろした伝助は途端に態度を切り替えたローサ・アルヴィート(ea5766)に驚嘆した。伝助のように仕事で他人になりすます場合でも、修練を積まねば突然切り替えることはなかなか難しい。生来の性格の違いだろうか。
「ふふ、何だか収穫祭が一層楽しくなりそうですね」
「あたしは屋台村が楽しみなのよねー。腕自慢の友達が屋台を出してるのよ」
「それはぜひ遊びにいきましょう」
「残念、オレは外陣だから一緒に回れなさそうダ。目を離さない程度に楽しむことにするゼ」
「万一の時以外は楽しんでくださいね、折角の収穫祭ですから」
 ローサとニセ・アンリィ(eb5758)に向ける笑顔は心からのもので、ミィナ・コヅツミ(ea9128)も伝助も嬉しくなった。本当の友達になれれば──そう願っていたから。しかし同時に、胸を締め付けられた。もし、彼の方の嫡男であれば‥‥青空のような笑顔を向ける相手もいなかっただろうから。

 青空のような笑顔は、この秋空のように──未だ、遠い。


●小さな恐怖

 収穫祭の人波は途切れることを知らぬかのように、見渡す限り続いている。遊びに来る者以外にも様々な思惑の者が近隣の村からも押し寄せているのだろう。
『にゃ〜』
 足元で鳴いた黒猫に滑稽なほど真剣な眼差しを向けた真幌葉京士郎(ea3190)は、擦り寄る猫の喉を撫でながら苦い笑みを浮かべ、言い訳のように呟いた。
「あの件以来、ペットも刺客のように見えて仕方ないな」
「すっごくよく解ります。あたしも、特に黒猫が怖くって!」
 石の中で眠る蝶を確認していたミィナも繰り返し頷く。幸いなことに、この黒猫はデビルではないようだ。
(「何かありましたか?」)
 脳裏に響いたフィニィの声に何でもないと答え、京士郎は猫を放す。
「祭だからって、見逃せない事もあるゼ?」
 耳に届いたニセの声。振り返った京士郎の目に、腕を捩じ上げられている男の姿が飛び込んだ。
「お財布、もう盗まれないように気をつけてくださいね」
 フィニィに財布を手渡された女性は何度も頭を下げて足早に雑踏に消え。
「金が欲しければ、芸の1つでもすれば良かろう。収穫祭中なら御祝儀でも貰えるだろうからな」
 カイザードの鋭い眼差しに射抜かれた不埒者はがくりと項垂れ、駆けつけた官憲に引っ立てられた。
 ペトルーハの直ぐ傍に佇む3つの影。
 付いたり離れたりしている仲間らしい2つの影。
 そして離れていても一際鋭い眼差しを向ける3つの影。

 ──それらが数名の男を退けていたことなど、彼らは知る由もない。


●謁見の間

 冒険者には意外と馴染みのある謁見の間。毛足の長い紅の絨毯が訪れた者を玉座の前へと導く。
 しかし、ペトルーハの訪れたのはその隣室。玉座よりは幾分簡素ながら、同等の豪奢な椅子が数脚並ぶ所を見ると‥‥臣下ではなく、貴賓との語らいに用いられる部屋なのだろうと連想された。
 シオンや伝助、カイザードの眼差しがウラジミールの護衛や給仕の騎士を舐めるが如く見つめる。同様に、護衛や騎士からも厳しい審査の眼差しが冒険者たちに送られた。
「御拝謁の栄を賜り光栄です、国王陛下」
「遠路よくぞ参られたな」
「収穫祭の熱気に触れて疲れも吹き飛びました」
 ウラジミールを国王と崇めた事が余程意外だったのだろう、どこか冷徹な国王の眼差しが総てを見透かさんとペトルーハを射る。
「髪も瞳も母上殿譲りのようだが、ピョートル殿の性格は大公殿譲りのようだ」
「母には甘すぎると良く叱咤されます」
 しかし、屈託のない表情は素の表情。言葉は選ばねばなるまいが、張り詰めた蜘蛛の糸のような緊張感が緩んだに違いない。
「エカテリーナ殿の御心に適う人物になることなど、生半可な事ではあるまい。精進されることだ」
「はい。ウラジミール陛下のためにも、ノブゴロドの人々のためにも、大公位に相応しく在れるよう尽力します」
 二人の口から毀れた最も古き『新しき都』の名に驚く者は皆無。それらの単語は充分に想定されたものだったから。
(むしろそのままで居て欲しいです‥‥)
 ミィナの心情は、恐らく冒険者に共通する心情に違いない。
 公国の林立する環境がそうさせたのだろうが、この国の貴族は総じて陰謀を好む傾向が強いように見受けられる。その中で、環境が違ったのか、それとも若さゆえか、実直で純粋なペトルーハは驚く程に正直で、危うい。
(お護り申し上げなければ‥‥)
 オーロラの名を下賜されたシオンは、沸き立つ想いを噛み締める。

 襲撃者からも、環境の荒波からも。


●雑踏

 商人ギルドが主催している屋台村の中、異国風の屋台が軒を連ねる一角。
 一際雑音の多いその場所で、ペトルーハ‥‥いや、ノブゴロド公国次期大公ピョートル二世は頭を下げた。
「いつまでも隠し通すつもりは、なかったのですけれど」
「賢明だったと思うぞ」
 京士郎がピロシキ片手に微笑むが、解せない、とカイザードはパンを千切る手を止めた。
「サロンでの情報が彼に行き着かなかったのは何故だったのか‥‥」
「彼は母親に溺愛されていて、北の地から踏み出す事はなかったそうですよ。遠い地ですから、こちらとの交流も薄いでしょうし」
 他人事のような会話。キエフ公国とノブゴロド公国は往復に1ヶ月以上を費やす距離。対立する公国へわざわざ訪れようとする酔狂な貴族など、皆無に近い。息子の存在や年齢、髪や瞳の色や名前が解ろうとも‥‥それが一人に結びつくほど、南北の交流は深くなかった。
「お待たせしました、友人の屋台で買ったものなんですが‥‥味ももちろんおススメですよ♪」
 串焼きやシチュー、パジョン、お好み焼きなど友人の屋台から買い込んだ料理をテーブルに並べる。
「少しは話せやした?」
「お客様がすごく並んでいて、あまりに忙しそうなので挨拶だけにしました」
 尋ねた伝助も屋台に行っていたフィニィも、どちらも残念そうだ。屋台の友人たちも残念そうにしていたのが救いか。
「でも、折角なのでこれを頂いたら器を返しながら感想を言ってこようと思ってるんです」
「きっと喜んでくれやすよ」
 ペトルーハが大喜びで食べている姿を示し、伝助はフィニィと微笑みあった。
「昔アルさんの依頼でモールドの胞子を採りに行ったんダゼ。ちょっと変わってるけど、医学を志す殊勝な人物だナ」
 串焼き片手にそう切り出したニセは、初対面からペトルーハという名がピョートルの愛称だと気付いていた──それと気付かぬ素振りで。明かされた後も、彼の不利になる場合を除いては、特に態度を変えるつもりもない。ペトルーハにはそれが心地よいようで、従兄弟を褒められた事も相俟って破顔している。
「私もアルトゥールさんとは依頼人として結構何度もお会いしていますし、あの方のお人柄には好感を持っています」
「母上と同じくらい、気分屋みたいですけれど」
 苦笑したペトルーハは、愛らしく頬を膨らませ戻ったミィナに視線を転じる。同様に興味を示したのはローサだった。
「もう、ディックさんってば!」
「ミィナちゃん、どしたの?」
「一曲でいいって言ったのに、見世物みたいで恥かしいって半分くらいで逃げちゃったんですよ」
 ちゃっかり葉巻は受け取っているらしいが、彼にとってそれとこれとは話が別なのだろう。
「ダイちゃんは相変わらずってところねぇ」
 そういうローサもちゃっかりと酒を酌み交わす約束を交わしている。どうやら、彼女等の戦いはまだ先が長いようである。


●月の無い道

 楽しい時も終わりを告げる。
 終焉を告げるかのように月が姿を消した日、ペトルーハは用意された馬車に乗り込んだ──ドゥーベルグ商会の紋の付いた馬車へと。
「本当にこれで行くの?」
 苦笑したローサは、紋を指で弾いた。アルトゥールの口利きでルシアンが馬車を用意したのだろう事が容易に推察できた。
「ま、ラティシェフ家の家紋でなかっただけ良いじゃないですか」
 肩を竦めたミィナは荷物を抱えて荷台へと乗り込んだ。気を利かせ用意された毛布のお陰で多少は乗り心地も良さそうだ。
「ペトルーハ様、こちらへどうぞ」
 シオンは毛皮の敷物を広げ、そこへ招く。一番奥、襲撃者の武器が届かないであろう場所へと──
 全員が乗り込んだことを確認したニセはと荷台から御者台をトントンと叩く。
「多少揺れるが、少し急ぐぞ」
 カイザードが手綱で数度馬を打つと、足早に馬が駆け出した──


●暗闇の主

 パチパチ、と炎が弾ける。

 ──今夜が山だと誰もが感じていた。

「京士郎さんも御者をし続けて疲れておられますよね‥‥」
「いや、カイザード殿が随分と担ってくれていたからな、それ程のことはないさ」
 沈黙を嫌うように顔を上げたミィナに、京士郎は苦笑しそう返す。まるで、話していれば襲撃は避けられると信じているように‥‥
「静かね」
 慣れたはずの森を覆う異様な空気に握り締めたスリングは頼りなく、心許無く周囲を見回す。
「ちょっと見てくる。シオンちゃん、代わるわ」
「気をつけて」
 真摯な眼差しを交わし森へ数歩進んだローサの背後を、炎が薙いだ!
「ペトルーハ様‥‥っ」
 半身を焼かれたシオンはそれでも盾を構え、痛んだ足を引きずりながら炎上するテントへ向かう。
 その背を護るべく立ち上がろうとした京士郎の髪も肌も炎を移し益々赤く染まる。懐を漁り、ヒーリングポーションを一思いに飲み干すと体が少しだけ、自由を取り戻した。
「何があった!」
 転がりだしたカイザードもまた手には剣ではなく薬。
「みつけた、伝ちゃんあそこよ!!」
 唯一難を逃れたローサが示す北の空──そこには星空すら見えぬ闇があった。そのシルエットは七の頭を持つ竜。
「今、一番会いたくない相手だな」
 こんな威力の攻撃ばかりでは依頼人を護ることすらままならぬと、京士郎の表情に余裕は無い。
「生きてるゼ!」
 ぐったりしたペトルーハを抱えたニセの声が僅かに希望の光を灯す。しかし絶望の海にその光はとても小さく。
「あなたが盗んだあの方の心、僕に返してください‥‥」
 竜の背では白髪の少年が、盲いた目から涙を流す。
「アルトゥール殿の従兄弟だ、それ以上でもそれ以下でもない!」
「邪魔をするのなら、タロン様の御許へ送らせていただきます‥‥」
 竜の首が1つ、カッと口を開いた。
「「ニセ! 後ろに!」」
 カイザードとシオンの盾がファランクスの如く並ぶ。ニセとフィニィはその後ろに身を寄せ、伝助とローサは木立ちを盾にした、その時──
「ミィナさん!」
 フィニィの悲痛な叫びが轟いた。ペトルーハと襲撃犯にばかり気を取られていたが‥‥焚火の傍らに伏すミィナは虫の息だった。ブレスが吐き出された瞬間、フィニィがミィナに覆い被さった!
 刹那、森を凍てつかせんばかりの息が周囲を包み込む!
「ぐ‥‥っ!」
 しかしリュートベイルを構えた赤髪の剣士が、更に二人を庇っていた。小さな盾で防ぎきれぬ氷雪が肌を凍らせる。
「飲んでください、お願いします‥‥!」
 護られたフィニィは薬液を口に含み、唇を重ねて無理矢理ミィナに嚥下させる。
「京士郎さん、保たせてくださいやせ!」
「ニセ君、こっち!」
 仲間よりも依頼人の安全を確保するため、伝助とローサが声を掛けつつ馬車へ駆け寄る。
「ペトルーハは火傷してるが無事ダ。ったく、とんだ野良デビルだゼ」
 伝助が放ったポーションを飲み干し、依頼人の代わりに大剣を携え、安全の確保に向かう。
「すみません‥‥翼に、枷を‥‥」
「キミの安全が最優先。皆も解ってるよ」
 辛うじて身体が動くようになったミィナは結界を張り、それを維持しつつ回復・支援両面から破壊竜の配下たちとの戦列に加わっていた。
 フィニィが眠らせたデビルは命すら燃やす京士郎とカイザード、そして死をも厭わぬニセの剛剣の前に霧散していく。
 疾走の術を活かした伝助は身体を張るシオンと共に依頼人に近付かぬよう最後の砦を努めていた。
「‥‥僕は、諦めませんから‥‥あの方を」
 三度目のブレスを残し黒き竜は姿を消したが、憎しみと悲しみを湛えた言葉と共に残された爪痕は──大きすぎた。

 数日の後。
 ラティシェフ家の門扉の前で振り向いたペトルーハは、じっと冒険者の目を見つめた。
「いつか、僕が公国を継いだら‥‥デビルや、背にいた彼のような悲しみを産まないようにしたい。その時は、お力添えいただけますか」
 己の不甲斐なさを噛み締めた次期大公の切なる願いに否と唱えられる者があろうか。
 姿勢を正した冒険者らがテントの代償に得たモノは、新しいテントではなく‥‥未来の為政者の信頼と、真っ直ぐな志だったのかもしれない。