【道を継ぐ者】奪われし道
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■シリーズシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:11〜lv
難易度:普通
成功報酬:7 G 21 C
参加人数:8人
サポート参加人数:4人
冒険期間:05月19日〜05月27日
リプレイ公開日:2008年05月25日
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●オープニング
●領主
ロシア王国首都キエフの北に隣接する地は、マルコ・ラティシェフというハーフエルフの治める領地である。その存在が国王ウラジミール1世、並びにロシア公国に与える影響は大きい。
主要な流通手段である水路、その主たるドニエプル川の分岐を領内に抱える地は流通の拠点の1つであること、物流から得る収益から領内が潤っていること、歴史の浅いキエフ公国とほぼ同程度の歴史を持つ古い貴族であることなどがその理由として挙げられる。
しかし何より、領主夫人クリスチーヌの存在が大きかった。彼女の異母姉は、古き都ノブゴロド公国の実質上の為政者、大公妃エカテリーナ‥‥首都に隣接する要所に住まうエカテリーナの異母妹は、喉下に突きつけられたナイフも同然だった。
そんなセベナージ領で、クリスチーヌの血を継ぐアルトゥール・ラティシェフ(ez1098)が次期領主として立つ日が近付いていた。大公妃エカテリーナの溺愛する甥、その存在は国王ウラジミールの頭痛の種になるに違いない。
当のアルトゥールは栗色の髪の優しげな風貌に鋭い瞳を持つ青年である。母や伯母に似て策謀を巡らせる事を好みはするが、大それた野心など(少なくとも今のところは)抱いていない。彼にとって重要なのは国王と伯母の確執などではなく、野望などでもなく──領主の座を望まない代わりに手に入れていた、今は奪われた自由と趣味だった。
「‥‥早々に政略結婚でもしておくべきだったかな」
溜息に煽られ、ほんの僅か、粉末が舞う。混ざらぬよう羊皮紙で幾つかの器を覆い、アルトゥールは深く椅子に座した。
領主の館、その敷地の外れに設けられた離れはアルトゥールの城である。様々な薬草や毒草、モンスターの一部などが所狭しと並べられ──薬研や書物なども置かれている。それらは全て、薬学者としてのアルトゥールが積み重ねてきた研究の一部。趣味であり仕事でもあるそれらには、領主となれば殆ど触れることも叶わぬようになる。
「リュドミールの件は不幸な事故ですよね、自らの運命を嘆いていても仕方ないのでは?」
「ま、そうなんだけどさ‥‥まだ、調べたいこともやりたいこともあるんだよ」
同席しているのは理解ある従兄弟のペトルーハ。北の公国ノブゴロドの次期大公ピョートル2世である。ロシアの貴族らしからぬ素直さと熱を秘めたまっすぐな青年は、策謀に長けたロシア貴族への矯正のためにと、彼を溺愛する母エカテリーナの手でセベナージへ送られて久しい。
器の縁を撫でると、うっすらと積もった埃が指の腹に附着した。既にしてこの状態。領主の座を継ぎ、仕事に慣れ、自分の時間が取れるようになるころには──目も当てられぬ惨状になっているに違いない。
「‥‥冗談じゃない」
がたんと立ち上がると、小さな城の尊大な主は踵を返した。その瞳には、苛立ちの色が滲んでいた。
「どうするつもりですか?」
「後継者探しさ。領主が継がれるんだ、研究が継がれてもおかしくないだろ?」
不機嫌な従兄弟殿に笑みを浮かべ、黒髪のペトルーハはその隣を歩いた。
「領主の仕事が軽んじられるべきとは言いませんが‥‥ロシアの人々のためとなる尊き研究でしょう? それならば受け継がれるべきです、アル」
誠実で素直なペトルーハにとって、医師は領主より人々の身近で人々を支える尊き仕事なのだろう。本心からの言葉に少しだけ機嫌を直し、アルトゥールは予てより考えていた計画を実行に移した。
●依頼
それはとても特異な依頼だった。
「キエフ内の巡回‥‥?」
そんなものをセベナージの次期領主が依頼する理由がない。理由がない以上は、れっきとした越権行為である。
アルトゥールと対峙するギルド幹部は返答を決めあぐね、多少なりとも情報を得ようとアルトゥールの顔色を窺う。
「言語学研究施設があるだろう? あそこにちょっとした仕事を頼んでいるんだけれどね‥‥それがどうも、厄介な方向を刺激してしまったようなのさ」
ゆるりと踏ん反り返りハーブティーを口に含むアルトゥールからは、切羽詰った気配など感じられない。しかし、策謀を巡らせているような表情はいつものことなので、やはり本心は計りかねた。
「厄介な方向とは‥‥?」
「平たく言えばデビルだね。古い羊皮紙を運んでいたうちの使用人とセベナージの屋敷がデビルに襲われた。幸い使用人は冒険者に助けられて一命は取り留めて羊皮紙も研究施設に届けたというし、屋敷でも撃退に成功したけれど‥‥だからこそ、施設をデビルが襲撃しないとは限らないだろう?」
「‥‥あくまで警護なのですね」
「先方に要らぬプレッシャーをかける気はないし、陛下に策謀を疑われても面白くない。その辺りは十二分に気を使ってもらうよ」
そのように依頼書を認(したた)めましょう、と話を切り上げたギルド員へ、しかしアルトゥールは視線を注ぎ続けた。
「それが依頼だね。だけど、残念ながら本題はそれではないんだ」
──本題?
上げかけた腰が椅子に落ち着くのを待ち、ハーブティーの入ったカップをテーブルに戻すと栗色の髪の青年は再び口を開いた。
「僕が領主の地位を継ぐことになったのは知っているだろう? そのせいで、薬学の研究を諦めなければいけなくなってね。研究を継いでくれる人を探しているんだ」
「それは短期の依頼というわけには参りません。ギルドでお受けするわけには‥‥」
否定の言葉を打ち消すように、貴族は強引に言葉を被せた。
今回の依頼で相手を見定め、アルトゥールの研究に関わる仕事を幾つか任せて実力と人間性を見、信頼に足る人物かどうか総合的に判断させてもらう、と。
「ですから‥‥!」
「もちろんタダでとは言わない、ギルドへは報酬を支払うよ。大きな負担を負わせる冒険者へは‥‥面倒だけれど、師匠としてウィザードへの道を示すよ。それなりの人物だと解れば、希望するなら騎士として取り立てても構わない」
それ以外にも、たとえば情報屋として雇うこと、楽師や画家のパトロンになることも厭わないと告げる。ウィザードとして弟子を取る負担や金銭的負担などを考えれば、彼がひと時の思いつきや冗談で話を持ちかけてきたわけではないことは明白。
(「本気であれば‥‥」)
アルトゥールへと貸しを作るこの機会、ギルドマスター・ウルスラならば請け負うだろう。そう判断し、ギルド幹部は頷いた。
そうして、様々な思惑を孕んだ依頼書がギルドの一角へ掲示されることとなった──‥‥
【注意】
このシリーズに置いて特定の条件を満たした場合、最終話に以下のクラスへの転職を選択することができます。
■ウィザード
アルトゥールを師匠とし、研鑚を積むことでウィザードへの転職が可能となります。
条件:全話継続参加し、かつアルトゥールの信頼を得る。
■ナイト
条件1でセベナージ領、条件2でノブゴロド公国に仕えるナイトへの転職が可能となります。
ロシア王国におけるセベナージ領の扱いはオープニングのとおりです。ノブゴロド公国については、ワールドガイドをご一読ください。
条件1:最終話までにアルトゥールの信頼を得る。
条件2:1に加え、ペトルーハ(ピョートル2世)の信頼、又はエカテリーナ大公妃の寵愛を得る。
●リプレイ本文
●言語研究施設
その施設はキエフの一角にある。建物自体はさほど大きくなく、立派でも、壮麗でもない。想像と違ったのだろう、シュテルケ・フェストゥング(eb4341)は建物を見上げながらぽつんと呟いた。
「重要な施設‥‥なんだよな?」
「国の施設ではありませんからね‥‥所持金には限度があるというだけのことだと思いますよ」
素直すぎるシュテルケに、キリル・ファミーリヤ(eb5612)は好意的な笑みを浮かべながら教授する。私設の機関はそんなものなのか、と内心で首を傾げながらもシュテルケは頷く。そんな間に現れた男性へ、エカテリーナ・イヴァリス(eb5631)が背筋を正し頭を下げた。
「ロシア王国に剣を預けし騎士、エカテリーナ・イヴァリスと申します」
「セーラ様にお仕えしております、神聖騎士のキリル・ファミーリヤと申します」
キリルが続くと、シュテルケも慌ててそれに倣って頭を下げる。
「シュテルケ・フェストゥングです、こんにちはっ」
緊張の覗くシュテルケは一歩下がり、カーチャとキリルが依頼人アルトゥール・ラティシェフ(ea1098)の名を出した。
「セベナージ領にいられるアルトゥール様とのやり取りは時間がかかってしまう為、輸送役の依頼と、その間の連絡役を仰せつかり参りました」
「アルトゥール・ラティシェフ様の? 解読には少々お時間が掛かるとお話ししたはずなのですが‥‥」
「ええ、伺っております。こちらの都合で申し訳ないのですが、依頼の都合上、解読終了までは手持ち無沙汰になるもので。少々付近を散歩することが多いかもしれませんが、お気に留めずに置いてくださいますようお願いいたします」
「それは構いませんが‥‥」
戸惑いを隠せぬ施設の者へ責任者がカーチャであることを告げ、同時に滞在先の宿の名を告げる。解読が終了した時には連絡を貰いたい旨も忘れずに伝え、3人は礼を失さず施設を後にした。
多忙なため既にセベナージへ戻っているアルトゥールへ名を出す許可を貰えずに行ったことだけを、少々気に掛けながら。
●言語学研究所・正面
昼日中。近隣の住宅に配慮したか、遠慮がちな歌声が街なかに響く。時折りチャリンと響くのは窓から投げられる硬貨の音。短く告げられる曲を笑顔で歌うフィニィ・フォルテン(ea9114)の手元では細い指に応じて妖精の竪琴が繊細な音色を奏でていた。
耳を擽る心地良い音色に耳を傾けることなく、黙々とロードワークをこなしていたニセ・アンリィ(eb5758)は眉根を寄せた。
「関係者以外お断りってことはセキュリティもそこそこあるんだと思ったんだがナ‥‥」
彼の目から見ると、どうも警備が心許無い。冒険者が切磋琢磨するキエフの闘技場に於いて上位に名を連ねる力量がある彼だからこそそう見えるのか、それとも警備に難があるのか。‥‥フィニィに訊ねれば後者ではないでしょうか、と控えめな答えが返されることだろう。
(「ソレトモ‥‥部外者ガ入ったらスグ解るように関係者以外お断りナノカ?」)
預かっている文書に万が一のことがあっては拙い、というのは解る。アルの羊皮紙だけでなく、他所からの依頼も請け負っているのだろう。
(「警備に回す金がないのカ?」)
ううむと悩むが答えは出ない。しかし、この穴だらけの建物をきっちり警備するのはとても難しいことのように思えた。
デビルを積極的に探すほうがいっそ簡単ではないかと思えるほどに‥‥
「はっ、はっ、はっ」
規則的な呼吸で走り続けるニセは花屋の前で散歩中の男女とすれ違った。
「どんな花がお好きですか?」
「‥‥花は綺麗だと思いますけれど、そういえばあまり気にしたことがありません‥‥」
「カーチャさんらしいですね。祖国のために己を磨くことを優先されていたのでしょう?」
「そんな大層なことではありませんが‥‥面白みのない人間ですみません」
できるだけ何気ない会話をと目に付くものを話題に上げて、キリルとカーチャはのんびりと歩みを進める。
すれ違いざま、ニセとしっかり視線を交わしながら。
●言語学研究所・裏手
正面も裏手も周囲の町並みに大きな差はない。犬猫を連れ散歩を装ったサラサ・フローライト(ea3026)はぽつりと呟いた。
「狙われた羊皮紙、か‥‥」
デビル、という言葉を飲み込んで思いを馳せる。内容に心惹かれないと言えば嘘になる。歌の題材としても面白そうだとも思う。‥‥が、デビルに渡れば碌な事にもならないという理性は恐らく正しく、自身の興味よりも仕事を選び取った。
そんな主の心中を慮ったのか、愛猫ナチュラルがにゃあと鳴いた。
「‥‥政治が絡むと厄介な事この上ないな」
深緑の猫へ苦い笑みを添えて呟いた。ケット・シーのナチュラルは言葉の意味を解したのだろう、ふいっと視線を背けて家屋の屋根へと駆け上った。できることをすればいいと言われた気がして、サラサは1つ頷いて。
「あまり離れるなよ」
視点を変えた愛猫へ声を掛けるのだった。
そんなサラサの帰りを別の場所で待つ仲間がいた。
「さり気なくかぁ。どーんといってがーんとはいかないんだよな、相手が相手だけに。貴族のめんどくささとの合わせ技だな‥‥っととっ」
貴族たるアルトゥールに仕える騎士になるためには、大っぴらな貴族批判はできない。
「あはは、言ったりしませんよ。大丈夫ですって」
慌てて口を噤んだシュテルケに笑ったミィナ・コヅツミ(ea9128)は、依頼人への借りを数え‥‥そろそろ返さねば大変そうだと改めて気を引き締めた。もとより口の堅い双海一刃(ea3947)は会話には触れず、依頼に添えられていたもう1つの依頼──研究を継いでほしい、という話に思索を巡らせていた。
「なるほど、ノウハウというものは受け継がれねば意味が無いものだからな‥‥」
「ですね。人々を助ける医療には興味がありますし、何かお手伝いできるならしたいですけど‥‥薬草研究ってどんなのなんだろ?」
首を傾げるミィナ。医療に使用する薬だとは思うが、詳しい話は聞かされていない。あくまで今回の依頼は羊皮紙を奪われないようにすること、なのだ。
「サラサはまだか‥‥あまりいつまでも藤丸に窮屈な思いはさせたくないのだがな」
あまり何人もが同時に何時間も散歩するのはあまりに胡散臭いだろうと順に警戒に赴いているのだが、待つ間は長い。宿や酒場、食堂などもペットを連れて屋内に入ろうとすると顔を顰められるため、厩の一角に鮨詰め状態だ。躾が行き届いている自負はあるが、愛ペット家としては笑顔になれぬ状況である。
『焼くや藻塩の 身もこがれつつ‥‥か』
呟かれた古き歌はジャパン語故にシュテルケには理解できず、理解したミィナはそっと目を伏せた。
彼女が待つのは、サラサか、デビルか、それとも──‥‥
●蝶の舞い
変化が訪れたのは5日目。
「セベナージへ届けるとなると、今日中に羊皮紙を受け取らないといけないわけですね‥‥」
キリルの言葉に焦りが滲む。
「期間中はきっちり警備する、それが仕事だもんな。届けるのは『もし期間中に解読が終わったら』だろ?」
「そうですけれど‥‥」
シュテルケの言葉は慰めにならない。セーラと知に心に住まうもう一人の主、アルトゥール。ウィザードへの転職を考える仲間と同様、彼のみに仕える決心は未だつかない。
「まず神の声に耳を傾けるが良かろう。次に貴殿の心の内と対話せよ。誰を真の主とし、誰の為に己を費やしたいのか」
弁当と共に送られたイリーナの言葉が未だ耳に残っている。遠くセベナージに馳せた心を引き戻したのはニセの一言だった。
「関連する報告書ヲ読んだが、狙われテル羊皮紙ハ悪魔ノ封印に関係シテイルらしいゼ」
「‥‥それは、万一にも奪われるわけにはいきませんね」
決意を新たにしたミィナの言葉は、仲間たち全ての心中をも代弁しているようだった。
そしていつも通りに繰り返される巡回。
変化が訪れたのは正面側。青空の下で今日もリクエストに応じ歌声を披露していたフィニィの手元。
微かに蝶が羽ばたいた気がして視線を落とすと、確かに羽ばたいていた。歌を止めたフィニィが淡い銀の輝きを帯びる。
『サラサさん、石の中の蝶に反応がありました』
『わかった』
短い交信。けれど、その間は確かに襲撃者にとって有利なラグとなっていた。
「ミィナ」
「はい! セーラ様‥‥!」
祈りを捧げたミィナのデティクトアンデッドは魔力の消費を犠牲に最大限の効果を求めたもの。そして中には反応が──
●積み重なる誤算
「9体、施設に入ります!」
裏手にいた4人が急行できる距離ではない。
「月の矢よ──」
ムーンアローに求めた条件は、施設に最も近い変身しているデビル。表に向かった矢は、ニセの眼前で燕を貫いた!
「ウリャ!!」
古の巨人の名を冠した大剣が唸りを上げ‥‥燕は地面へ叩き落された!!
「蔭りし月の輝きよ──!」
レミエラの力を借りたフィニィの前に再度光点が浮かび上がる。結界を嫌った燕が息絶えたのだろう、二度目の詠唱が実を結び、月の輝きを帯びた結界ムーンフィールドが施設の入り口を封じた!!
「リュミィ!」
名を呼んだ主に向けられたのはきょとんとした一対の瞳。
「お祈りして、早く!」
『く?』
人型をしていることで混同されやすいが、妖精の知能は決して高くなどない。言うなれば家畜と同程度‥‥数ヶ月前に一度やっただけの行為など、覚えていまい。ましてやヘキサグラム・タリスマンは10分の祈りを必要とする。とても間に合うものではない。
駆けつけたキリルはホーリーキャンドルに炎を点し、施設の窓辺へと置く。その背を、カーチャの剣が舞い、守る。
「すみません!」
「礼はいりません、剣を」
言葉少なに答えると、カーチャは青空から飛来する燕に睨みを効かせた。武器の重量をも乗せた衝撃波を舞い飛ぶ燕に浴びせ掛ける──!
「‥‥手立てが少なすぎます‥‥」
落下した燕はキリルとニセが確実に退治する。が、如何せん敵は上空。フィニィのスリープで眠った敵も落下の衝撃で目覚めてしまい、効率が悪い。
そして、そこでまた誤算が生じた。施設の入り口を封じる結界は直径9メートル。燕に化けずとも、多くのデビルは空を飛ぶ──つまり、入り口が1つでない限り封鎖は意味を為さぬ。どころか、騒ぎを聞きつけ飛び出そうとした施設の者の行く手を、結界が阻んだ。
「何だ、これは!!?」
「デビルです、お願いします、外には出ないでください!」
そう叫んだカーチャの言葉が精一杯のフォローだった。
●反撃の狼煙
苦慮しつつ剣を振るう正面と比較すれば、裏手は静かだった。それは嵐の前の静けさだったのかもしれぬ──反撃の狼煙は、たしかにそこから上がったのだ。
誤算を重ねるその中で、冷静を貫く者がいた。闇氷の二つ名を戴く漆黒の忍び、一刃である。
「‥‥参る」
短く呟く一刃の正面には光点が浮かび、左腕の振るう霞小太刀の軌跡から衝撃波が燕を襲う。
端から小動物や虫に焦点を絞っていた一刃が、襲撃者が結界を越えて侵入する可能性を何故考えなかったのかは謎だが‥‥飛行する相手に抗する手段だけは忘れていなかった。
「貫け──!」
誤射は避けたい。しかし侵入はさせられない。葛藤を抱くサラサの放つムーンアローは最も近しいデビルを貫く。
「セーラ様の聖なる裁きを──!」
ふらついた燕へ、ミィナのホーリーが襲い掛かる!!
「ミィナさん、あのネズミは!!」
「‥‥当たりです、お願いします!」
空中での大立ち回りを演じる燕の傍らでネズミがこっそりと建物へ向かうのを、シュテルケは見逃していない。勢い頷くミィナに後押しされ、シュテルケのゴートソードが地を駆けるネズミへと迫る!
「奪われるわけにはいかないんだ!!」
ひ弱な燕やネズミに変化していたことが仇となり、魔法も使えぬデビルたちは次々に絶命し、塵と化していく。
「増援、来ます! 5体‥‥恐らく燕です!!」
移動速度からそう予想したミィナの言葉通り、飛来したのは燕。しかし、小動物に化けている以上、多少の増援など無いに等しい。
「ジャマ、ヲ、スルナ‥‥!」
「どっちが邪魔ナンダカ?」
辛うじてインプの姿に戻った1匹はにやりと笑ったニセの痛烈な一撃を受け、断末魔を上げる間もなく消し飛んだのだった。
「‥‥状況をお聞かせ願う前に、これをどうにかしてもらえますか?」
「いくらナンでも、月ガ出るマデ結界ガあるノハ困るヨナ」
事情の説明を求める施設側の要求に応じ、ニセは強固な結界を一撃の下に粉砕し──‥‥長い長い釈明を行った後は、依頼で指定された期日が経過するまで再度の襲撃もなく、しかし解読が終わることもなく、淡々と時間が流れていったのだった。
●ラティシェフ家
後日、羊皮紙はセベナージ領の騎士ヴァレリーの手によってアルトゥールの元へと届けられた。
「仕事を確実に遂行しようとする気概は良いんだけど、さ‥‥」
ステンドグラスに差し込む陽射しが色鮮やかな影を落とす部屋で、豪奢な椅子に掛けたアルトゥールは足を組み替えた。
依頼人の名を出し、研究施設の信頼と引き換えに心理的重圧を与えたことに関しては、とりあえずは不問。名を出した上で、施設近隣の護衛を行った──羊皮紙の状態は悪く、解読に時間がかかることは承知していた依頼人にとって、結果的に催促と取られたことよりも、名を出したことでウラジミールの目を引いた可能性の方が脅威だった。アバドンのせいで領内が疲弊している現状で、さらにデビルの存在を匂わせるような──隙を見せる如き状況にならぬよう祈るばかりだ。
しかし、それらよりもアルトゥールにとって意味合いの大きかったことは‥‥冒険者の姿勢であろう。施設の護衛と共に言及されていたキエフの見回りを極力排除し、冒険者は待ちの姿勢を取った。
「忍耐力も必要だけれど‥‥研究には攻めの姿勢も大事なんだよ?」
「アルは攻めの姿勢が強すぎると思いますけれどね」
享楽的な次男坊の仮面の下に潜む本性は、極めて攻撃的。陰謀を好む性格がオブラートとなっているだけだと、聡明な従兄弟殿は見抜いたのだろう。バルコニーへ続く扉を開き風を招いたペトルーハは、森から届く新緑の香りに目を細めるとアルトゥールを振り返った。
「開拓者と後継者の姿勢は違ってしかるべきはないですか? 後者には護らねばならないものがありますからね」
「まぁね」
指摘されたアルトゥールはひょいと肩を竦めた。ペトルーハの言にも確かに一理ある。
そして結論は今回ではなく、もう少し様子を見てから出す予定だった。
「それじゃ、次は少し研究に触れてもらおうかな‥‥精霊魔法も教えないといけないし、ね」
立ち上がると二つのカップにハーブティーを注ぐ。昂ぶった気分を鎮める香りが溢れるテーブルへと従兄弟を招き、束の間の休息を楽しむのだった。