●リプレイ本文
●パリからの出立
「今回の相手はかなり手強そうです」
「戦闘慣れしているオーガか‥‥望む所だ」
ギルドを訪れた水無月 冷華(ea8284)が掲げられた依頼書に目を通しそう言うと、先に依頼書を見上げていた王 娘(ea8989)が表情を変えずに呟きを返した。フードについた紐を引っ張り猫耳に似たオダンゴカバーをピコピコと動かしているところを見ると、十二分に乗り気であるのだろう。宙を飛んでいたターニャ・ブローディア(ea3110)が娘に気付き、フードの上にちょこんと乗っかった。
「娘ちゃん、あんまり危険なことしないでね? なんか‥‥嫌な予感がするの」
「冒険者の皆さんのペットや荷物を全て預かれるほどの場所もありませんし、世話に割く人手もありませんので‥‥預かり賃と世話代はきちんと戴きます、ご了承くださいね」
二頭の馬を預けようとしたオリバー・マクラーン(ea0130)、鷹とバックパックを預けようとした竜胆 零(eb0953)はこの依頼を担当していたギルド員リュナーティア・アイヴァンから決して少なくない金額を徴収された。
「どうしても、か‥‥確かに物理的に厳しいだろうし、仕方がない」
「ふむ、そういえば次回からは有料だと忠告を受けたね。忘れていたのは、確かにこちらの落ち度かな」
以前、クライフや近藤がペットを預けた際に、確かに、次回からは有料だと忠告を受けている。失念していたのは自分たちの落ち度に過ぎない。高い金額は気軽にギルドへ荷物やペットを預けられないように設定された高い敷居なのだろう。
「いよいよ最後となるのでしょうか」
バックパックの中身を再確認しながらウェルナー・シドラドム(eb0342)が感慨深げに口にすると、サーシャ・ムーンライト(eb1502)も表情を引き締めて頷いた。
「‥‥最初の依頼が此処と関わる依頼でした、最後となると感慨深いですが‥‥ぜひともこれを最後にさせたいものです」
「そうですね。弱き者の剣となる為、お互いに頑張りましょう」
「おいっすー、新顔みてぇだな? あたいは三味線バードのアリア・プラートってんだ、よろしくな」
「架神ひじりと申す。最初で最後の参加とはいえ鬼と聞いて手を貸さぬわけにも、手を抜くわけにもいかぬのでな」
アリア・プラート(eb0102)が初めて見る仲間、架神 ひじり(ea7278)へ片手を上げた。頭を下げ丁寧に挨拶を返しながらも、我が炎をもって灼き尽くしてくれようぞ、と今回初めて同行する架神もやる気が漲(みなぎ)っているようだ。
どこか見下すような笑みを浮かべてルシファー・パニッシュメント(eb0031)がそんな架神の肩を抱く。
「オーガどもの相手より、俺の相手をしてもらいたいものだがな」
「わしのような年上の者が好みか? 道中は長いようだしのう、気が向いたら相手をしてやらんこともないぞ」
肩に回された腕を腰に回させ、架神は艶やかに微笑んだ。このような男の相手には慣れている──無意識に色気を醸(かも)し出す女性はそんな一枚上手の笑みを返した。
「そういった話は全てに片がついてからにしてほしいものだね」
やんわりとマーヤー・プラトー(ea5254)が制止の声を掛け、バックパックを背負った。
長かったような短かったような、それでいて決して短くはなかった戦い──その戦いに決着を付ける時が来たのだ。
その決着は、オーガ種の殲滅という形でのみ付けられるものだった。
「では行こう。終わらせる為に、森を取り戻す為に」
クライフ・デニーロ、轟天王 剛一に一時の別れを告げ、マーヤーは先陣を切ってギルドを出た。
●悪意漂う森
「慣れないな、この森の感覚にも‥‥」
疾走の術を使い先行する竜胆はオーガたちの足跡の無い場所を選ぶよう──と言っても全力で走りながらなので気をつける程度のことしか出来なかったし、忍び歩きも出来てはいないのだが、だからこそ少しでも安全な道を選んで進んだ。
「‥‥この辺りか」
自分たちが作り上げた地図。
地形も、鬼種たちの棲み処も、わかる限りすべてが書き込まれた地図。
ターゲットの居場所に大きく×印の付けられた地図。
ただ1つの道案内として頼った地図と現場、それらから導いた、拠点にするべき場所。
周囲の安全を軽く確認し、地図に書き込み記憶に刻み込んだその場所にベースキャンプを張ることに決め、急ぎ仲間たちの下へと戻った。
──例え竜胆であろうとも。一人でいるには、この森は危険すぎる。
●襲うべき砦
拠点とすべき場所を定めると、娘の提案でひとまず荷物を地面に埋めた。簪(かんざし)を付き立て、目印に残す。
上着に木葉や泥を塗り込み始めた竜胆に倣い、仲間たちも同様に自分へと泥や草木の汁をすりつける。視覚や嗅覚で発見され難い様にするための偽装だ。
仲間たちの偽装やバックパックを隠すという作業が終了するまで待つことなく、疾走の術を用いた竜胆は一人砦へと先行する。オーガ種に注意を払って簡単な調査を行い、足跡が余りない安全そうなルートへと後に続く本隊を誘導するためだ。
先行し、そして仲間たちに向けた目印を残す。
それぞれの目印はあまり離れていてはいけない──見失っては困るから。
けれど、あまり近すぎてもいけない──怪しまれてはいけないから。
何物にも気を抜くことなく、竜胆はオーガたちが住み着いている砦へと近付いた。
ぐるりと周囲の森を用心深く歩く──オーガたちは過去の戦闘から学んでいると聞いた、それならば罠を仕掛けていないとも限らない。後々になって罠にかかるのは御免だ。
周囲を簡単に探索すると、落とし穴程度の稚拙な罠が数箇所発見できた。
「‥‥オーガどもの頭ではこの程度だろうな。見つけておくまでもなかったか」
万が一を考え罠を無効化しながら、竜胆は小さく頬を歪めた。そして思い直し、罠をより見つかり辛く、より危険なものへと変えてゆく。オーガどもの頭ならこれで掛かる可能性は高いだろう。
「毎度毎度危険を冒させてしまってすまない」
追って到着した本隊のオリバーは改めて忍者竜胆へ頭を下げた。
「静かにしろ──歩哨だ」
ルシファーが二人に注意を促した。砦からは2体のオーガと2体のコボルトが現れ、薄暗い森の中へと消えて行く。
「任せて!」
テレスコープの呪文を詠唱し、高い木の幹に添って身を隠しながら上へと向かう。木の頭頂部で葉から少し顔を出し、去っていった4匹の姿をじっと目で追い続ける。ある程度距離が離れたのを見計らって、仲間たちへ小さく合図を送る。
「離れたみたいだけれど、どうしようか。追って叩くか、戻るのを待って歩哨の間隔を掴んでおくか」
木の根元へ腰を落とし姿を隠しながら、オリバーが仲間たちを見渡した。当初の作戦では、巡回などで砦を離れたオーガどもを叩き、まずは頭数を減らす、という作戦だったのだが‥‥想定していたよりも砦を出たオーガたちの数は少ない。
「行きましょう、オリバーさん。遅かれ早かれ敵は叩かないといけないんです。奴らが何度砦を離れるかも判りませんし、機会があるなら叩いておくべきだと思います」
ウェルナーはそう考えていたようだ。
「あの4匹を叩くためだけなら俺たちも全員で行く必要はないだろうが‥‥砦の奴らが異常を察知して追ってくるまでどれだけあるか判らん。まぁ、全員で叩くほうがより確実ではあるだろうな。‥‥面白くはないが」
ルシファーもほぼ同意見のようだ。戦闘の緊迫感に身を浸したい彼としては、11人という人数で3分の1程度の4体を退治するというのは全くつまらない仕事に過ぎないようであるが、その後の大規模な戦闘を見据え、ここは堪えることにしてくれたらしい。
棒切れを拾い、歩哨を追うと地面に小さく書くと、木の上のターニャは了解というように手を振った。
その場は任せ、4体を叩くためにターニャを除く全員で歩哨を追った。
『グガァ!!』
「ふん、貴様ら如きでは面白くもないわ!」
ミミクリーを使って間合いを変化させつつサイズを振り、ルシファーは毒舌を吐く。
「愚者は排除されるのみだ」
コボルトの首を掻き切るように斬り捨て、ふん、と鼻を鳴らす。
オーガは通常のオーガと、それより強いオーガ──オーガ戦士と呼ばれる、より戦闘慣れした個体だった。
「クライフ殿に調べてもらって正解だったな」
オーガには赤い肌を持つものと青い肌を持つものがいる。それぞれ、どちらがオーガでどちらがオーガ戦士だ、ということはなく、白い肌と褐色の肌の人間という程度の差でしかないのだそうだ。
黒いオーガについては判らない。けれど、恐らくはオーグラだろうという想像は語ってくれた。
所用で共にこの地を訪れることの叶わなかった仲間が、それでも自分たちが出発する前に調べてくれたことはそんなオーガたちについての情報だった。
「シフール便がもっと早けりゃ、ギリギリまで粘って調べさせたのによ」
「瞬間転移するわけでもない。シフールは私たちの倍で移動できる、それだけのことだからな──ないものねだりはするな」
「わぁってるよ、娘」
チャームやメロディを使うまでもないと判断し、それでも呪文の効果範囲内で応援に徹することを決め込んだアリアは独り言すら聞き逃さずに突っ込んだ娘に小さく舌打ちした。
そしてそれほど労力をかけずにオーガ2体とコボルト2体の息の根を止めた。
砦へ引き返すと、今度はターニャの出番だ。
「オーガさんたちに幻影を──マジカルミラージュ!」
仲間たちが隠れているのとは砦を挟んで反対側に、冒険者の幻影を作るターニャ!!
『──グガ、ガァア!』
徐々に近付くその幻影。反対側からは気付かれぬようアリアが、そしてアリアを守るべくオリバーとマーヤーという二人の騎士が、徐々に近付いていった。
追うように、少し角度を変えた箇所からは冷華と架神、サーシャ、竜胆の4人。
また、少し離れた地点からは王、ルシファー、ウェルナーの3人。
「♪鬼さん 鬼さん 気合いを入れな
近付けちゃったら 危険がいっぱい
命が惜しけりゃ 武器を取れ♪」
アリアの歌声が砦の付近から響く。砦は広く、すべてに届くほどメロディの効果範囲は広くはない。が、歌声を聴いたコボルトたちは弓を手に、幻影やアリアたちを狙い撃ち始めた!!
──ギィン!!
──ギィン!!
マーヤーのヘビーシールドとオリバーのライトシールドに阻まれ、アリアの身体に矢は届かない!!
「わしの炎を喰らうがよい──ファイヤーボム!!」
架神の火球が砦の入り口を直撃!!
攻撃した架神をコボルトの弓が狙う! が、ターニャのサンレーザーがその攻撃を阻害する!!
コボルトの拙い技術という幸運もあり、矢を消費させるという作戦は成功しているようだ! マジカルミラージュに翻弄され、サンレーザーやファイヤーボムの餌食となるコボルト!! 一体、また一体と犬に似た容姿を持つ鬼はその姿を消して行く。
しかし、優勢だったのはそこまで。コボルトの矢がマーヤー、アリア、架神の3人を貫き、マーヤーが毒を受けたのだ!!
「っつっ!!」
「マーヤー殿!!」
主力を欠いた所へ、赤と青のオーガが3体ずつ飛び出してきた!!
──ガギィィン!!
──ギィィン!!
鉄と鉄とがぶつかり合う音が響く!!
歌いながらもアリアから差し出された解毒剤を飲み干し、マーヤーは当初の予定通り、砦内への侵入を試みる! それはウェルナーも冷華も娘も同じ意見だったようで、アリアと冷華、サーシャを庇いながらオーガを蹴散らし、じわりじわりと砦へ進んでいく。
最初に砦へ辿り付いたのは、当然ながら竜胆、当然ながら無傷だ!
砦内部からの敵を警戒しながら、仲間たちが追いつくのを待つ。
と、僅かな隙を突いて太い棒が無造作に振られた!!
「ぐうっ!?」
決して油断していたわけではない。けれど、竜胆が攻撃を受けた。そして骨の折れるような鈍い音を響かせながら吹き飛ばされ、血反吐を吐いて地面に倒れ伏した。
姿を見るまでもなく、人喰鬼オーグラの攻撃だと確信した。
「かはッ!!」
何とか顔を上げた竜胆は娘の見開かれた視線を追い‥‥黒としか言い様のない、濃い褐色の肌をした大柄で体格の良い鬼の姿を目にした。
「引き上げよう!」
歩哨と合わせてコボルト8体、オーガを4体、戦果としては上々、深入りは禁物!! と、オリバーが即断!!
「しかし、鬼に背を向けるなど!!」
「竜胆殿ですら避けきれぬ相手だ、態勢を立て直さねば!」
どんな乱戦になろうとも、今日はまだその身に一度たりとも攻撃を受けていなかった竜胆、その実力は架神も確かに認めざるを得なかった。
「わかった、この借りはいずれ返すぞ人喰鬼!!」
「足止めはあたしに任せて!!」
サーシャと冷華が竜胆に手を貸し架神が追いすがるオーガたちを牽制しようとすると、頭上からターニャのサンレーザーが降り注いだ!!
『ガアアア!!』
怒りの雄叫びを上げるオーグラを背に、冒険者たちは戦線を離脱した。
●闇に沈む夜
──ホゥ、ホゥ‥
どこか遠くで梟のなく声が、しんと静まり返る森へと響く。火を焚くと敵に見つかりやすくなるというデメリットを重視し、敵が見つけにくかろうとも、火は焚かないという竜胆の提唱した選択肢を選んだ。
テントにも草や枝葉を多い被せ、傍目からは判り辛いように偽装した。
温かく調理したばかりの料理を振舞うウェルナー。
「甘くはないと思っていましたが‥‥強敵ですね」
「ふ、倒しがいがある相手だと思っておけ」
器を受け取りながら不適な笑みを浮かべ、楽しそうにルシファーが返す。冷華も真摯に頷く。
「ですね‥‥倒せようが倒せまいが、倒さなければならない相手なのですし」
「予定以上に数を減らせたのは上出来だったね。問題は、オーグラらしい黒いオーガか‥‥。夜には強い方だし、出来るだけ起きているから、皆は──特に魔法を使う人たちは、食事が終わったらしっかり休んでおいて欲しい」
干し肉を戻したスープを喉に流し、オリバーは今後の戦闘について思索を巡らせる。
明日は決戦、片時たりとも油断はできない。
食事を終えると、一人、また一人と眠りに落ちていった。
オリバー、娘、ウェルナー、サーシャが受け持った第一班は、特に何事もなく時だけがゆっくりと流れた。
一班から引き続いて担当する娘、そしてマーヤー、ルシファー、冷華の加わった第二班。
「‥‥警戒するに越したことはないからな」
一刻も早く敵を見つけ戦闘に興じたいルシファー、仲間たちへそう言い残すとミミクリーで人間大の梟へと変化し偵察へ赴いたが‥‥特に敵影もなく、つまらない顔をして戻ることとなった。
そして夜半から朝方にかけてを受け持つのは2度目の当番となるオリバー、引き続いての冷華、そしてアリア、竜胆の4人だった。
「あ〜、良く寝た」
アリアが強張った身体を解すように肩を回す。竜胆も不測の事態に備えて軽く身体を動かしていた。
月は半分に欠ける姿を晒しており、木々に遮られ視界は悪いが、全く見えないという程ではない。
「このまま何事も無く朝を迎えられれば良いのだけれどね」
オリバーが冷華に漏らしたその言葉は、森に蠢(うごめ)く悪意を感じてのものだったのかもしれない。
どれほどの時が経っただろう。月は姿を消し、ほんのりと空が彩度を増していく、そんな頃合い。
「──いる」
竜胆が身をかがめ、周囲に蜘蛛の巣のように意識を張り巡らせる。誰も、その言葉を疑う者はいなかった。
「マーヤー殿‥‥気付いていることを悟られないように」
近くで眠りに就いているマーヤーをそっと揺さぶり小さく声を掛けるオリバー。薄く目を開いたマーヤーは耳に届いた言葉で目を覚まし、身体を動かさずに武器の所在を確認する。
『ガアアア!!』
──ガギィィン!!
雄叫びをあげ飛び出してきたオーガの鋭い一撃を飛び起きて受け止めるマーヤー、オリバー!
「オーガです! 起きてください!」
雄叫びで目を開いた冒険者たちは冷華の声で状況を把握、即座に近くの武器を取る!
「わざわざ殺されに来るとはな! 冥府で己が無力を嘆くがいい!!」
ルシファー、振り向きざまサイズを一閃!!
喉元を切り裂かれつつも襲い来るオーガへ、振りぬいた勢いに武器の重さと自身のすべてを乗せ、サイズを叩きおろす!!
しかし敵も並みのオーガではない、紙一重で回避!! 戦闘慣れしたその動きは、それがオーガ戦士であることを冒険者に教えた。
「気をつけろ、オーガ戦士が混じっている!」
自慢の蹴りを避けられた娘が注意を促す。そのオーガ戦士2体を相手にするのは竜胆だ!
「砦にも近くにも動く影はないよ、それで全部!」
上空に飛び立ったターニャからテレスコープの情報が飛ぶ!
「一匹ぐらい味方にしてもバレねぇだろ」
野営地へと襲い来た8匹ものオーガにかっと笑い、チャームを詠唱するアリア! オーガ戦士1匹がアリアに興味を示した!
「あたいを他のオーガから守って」
芝居がかった動作でにっこりと笑ってみせるアリア。命の危険があれば裏切るだろうが、とりあえず自分の身の安全は確保したアリアは周囲を見渡す。
「明かり代わりじゃ!! ──バーニングソード!」
暗く、周囲の見辛いことを懸念した架神が桃の木刀に炎を纏わせた!
そして暗がりに浮かび上がるのはオーガと果敢に戦うサーシャ。
──その背後に立つ、オーグラ。
オーガに『お願い』をする暇は、なかった。
●鮮やかに散る鮮血
「危ねぇ、サーシャ!!」
「えっ‥‥」
突然突き飛ばされたサーシャ、反射的に振り返ったその瞳に映るのは、オーグラ渾身の一撃をサーシャの代わりに受けたアリア! その身体が鈍い音を立てて地面に叩き付けられる瞬間だった!!
「──アリアさん!!」
サーシャの悲鳴に振り返る仲間たち。10人分の視線を受け小さく苦しげな呻きを上げるアリア、そんな彼女の様相に硬直している間に、オーグラが再びその腕を振り上げる!!
もう一度──動けないアリアに、その胸元に振り下ろされる鉄の一撃。
──鮮血が、飛び散った。
「ぐ‥‥ぅ‥‥ガハッ!!」
鮮やかな紅の血を吐き、その動きを止めるアリア。それはとても長いようで、けれどほんの一瞬の出来事だった。
「起きろ、アリア‥‥寝ている暇はないぞ」
掠(かす)れるような娘の言葉に、アリアのその口から憎まれ口が毀(こぼ)れることはない。
サーシャの瞳に涙が滲んだ。
「アリアさん!! 嫌です、アリアさん!! うわあああ!! ‥‥よくも、よくもぉぉっ!!」
そして、怒りの炎が灯る。血の色に瞳を染め、銀の髪を逆立てて──我が身を省みず、ショートソードをしっかりと握り‥‥血の匂いに酔い痴れ、アリアの肉体を貪(むさぼ)ろうと涎を垂らすオーグラへ、僅かに無防備になったその懐(ふところ)へとその身を躍らせた!!
「これ以上、もう誰の血も流させないっ!!」
黒い鬼、オーグラの胸元へ、深く深くショートソードを突き立てる。怒りに目を見開いたオーグラの武器を握る手に力が篭る──しかし、その豪腕が唸るより早く、数メートルの距離を全力で駆け込んだマーヤーが背後から踊りかかった!!
「その腕は振るわせない!!」
勢いに渾身の力を込め、広い背中を袈裟懸けに斬る!!
一筋、二筋‥‥シールドソードの軌跡を斜めに赤い筋が走った!!
爆ぜた肉から鮮血が飛び散る!
「どいてマーヤー!!」
「娘君!?」
聞き覚えのある声の聞き覚えのない口調、勢いに押されその場を外れたマーヤーの居た場所へ駆け込んできたのは所持品も装備品も全てを投げ捨て、フードすら脱ぎ捨てた娘──髪を逆立て紅の目をした、強化した娘だ!
「よくもアリアを殺したこと、あの世で嘆け!! 喰らえ──告死鳥爪四連蹴!!」
オーラパワーをかけた自慢の健脚で、膝を狙った蹴りを3発!! そして体勢が崩れたオーグラの頸椎(けいつい)へ止めの鳥爪撃(ニャオ・ジャオ・ジィ)を叩き込む!!
──ぐらり、と倒れこむ黒鬼オーグラ。
飛び退ったサーシャの残したショートソードを抱き込むように、その巨体は揺るがぬ大地へと倒れこんだ。
より深く沈みこんだショートソードが、背中から顔を覗かせた。
「オーグラだけではない、油断するな!!」
倒れたオーグラへ尚も蹴りを浴びせ続ける娘を、竜胆の冷静な声が斬る!!
「でも、こいつがアリアを!」
「アリア殿は私が。娘殿はオーガを退治してください、一刻も早く教会へ辿り付ける様に」
「冷華‥‥わかった、任せて!!」
娘がまだほぼ無傷で動いているオーガへ迸る情熱のまま突進するのを見送り、冷華は武器を失ったサーシャに日本刀を押し付けるように預け、アリアの遺体へと向き直った。
「‥‥冷たいと思うけれど、少し耐えてください。苦情はあとで聞きます」
せめて顔だけは綺麗に拭い、五分五分より心持ち高いだけの成功率に挑む。
「頼む、氷の棺よ、アリア殿を‥‥──アイスコフィン!」
しかし詠唱は氷の棺を生むこともなく、魔力は宙に四散する。
しかし、出来ないとは言えない。出来ないのならば、出来るまで挑戦し続けるだけ!
『ガァァァ!!』
「百鬼夜行を灼き尽くす炎の翼を受けるがよい」
魔法に集中する冷華に攻撃を仕掛けるオーガへ、ファイヤーバードを纏った架神が容赦ない連続攻撃を与える!!
「力及ばぬかも知れぬが、しばしの間、わしが貴殿をお守りしようぞ」
「お願いします、架神殿」
効果が切れる前に日本刀を握りなおし、戦場から冷華を守るように立ち塞がる!!
オーグラさえ居なくなれば、たとえオーガ戦士が紛れていようとも‥‥一方的にやられる冒険者ではない!
「全て退治します。人々のためにも、僕たちのためにも!」
ウェルナーが霞刀を握りなおした。
そう、ここのオーガたちを倒すのは‥‥人々と自分たちの、明日を切り開くためなのだ!!
●一路、教会へ!!
マーヤーがその身を己が血と返り血に赤く染め、シールドソードを振るのを止めた。
それがオーガたちとの戦闘の終焉だった。
「シールドソードにしておいて良かった。日本刀では、刃こぼれ程度じゃ済まなかったかもしれないな」
痛みに眉を顰め辺りを見回すと、同じように血にまみれたオリバーがサーシャを抱きしめていた。
「大丈夫、アリア殿の身体は水無月殿がしっかりアイスコフィンで氷漬けにしてくれたよ。落ち着いたら急いで教会へ向かえば、きっと蘇生の奇跡も間に合う」
狂化したサーシャを宥めるためのようだ。娘は、ターニャがフードを被せ、なんとか落ち着かせた後のようだった。
氷の棺に眠るアリアは馬もドンキーも無く、台車を作る知識もなかった一行にとって、運ぶことの困難な存在だ。触れ続けた程度では溶けることのない氷は冷たく、取っ手もないためただ持ち上げることも困難。
腐乱の心配が無ければクリエイトアンデッドで歩かせても良かったのだろうが、蘇生をするためにはタイムリミットが存在する。ゆっくりと移動するわけにもいかなかった。
「手伝えなくてごめんね‥‥」
申し訳なさそうに小さくなったターニャは、次の瞬間、バッと飛び立った!!
「先に戻るね!! 頑張って飛んで、馬か馬車で迎えに来る!!」
「待て、私も行く! 危険が去ったとも限らない。疾走の術を使えば、何とかついて行けるはずだ」
シフールは人の二倍ほどの速度で飛行する。荷物を持たずに疾走の術を使えば同程度で走ることができるはず。
「頼む、竜胆殿。オーガの巣を抜けた村で成功の報を聞くため領主殿が待機していると思う、そこまで行けば‥」
そんなことは先刻承知、とオリバーに頷き返し、濁った空の下、ターニャと共に走り出した!!
小さくなっていく2人の影を見送って、再び棺を担ぎ上げると、冒険者たちは歩き始めた。
更に一夜を森で過ごし、眠そうな冷華を励ましつつ歩みを進めると、うらびれた街道を駆け抜けて馬車が現れた!
「ごめん、お待たせっ!!」
「早く乗せろ、領主殿が港街へ司祭殿を待機させてくれるそうだ」
ターニャと竜胆だ! 冒険者と氷の棺を乗せ、馬車は街道を急ぐ!!
そして港町へ着くと、街の外れで執事を伴った領主ウィリアム・ガーランドが待機をしていた──といっても個人用の馬車で、だが。
「小さい教会だが司祭は一流だ、安心しろ」
領主の馬車の案内で教会に駆け込む一行。そして付き添いに志願したサーシャを残し、領主へと今回の首尾を報告した。
「サーシャ殿が回復役を一手に引き受けてくれていましたから、アリア殿も身を挺して彼女を庇ったのだと思います。詳しくは、ギルドからの報告書で確認していただければ」
オリバーがそう締めくくる。一刻も早く領主ウィリアムに安心して欲しい気持ちが確かにあった。
「そうか‥‥時に、蘇生の費用についてはどうなっている? 寄進が必要になるが」
「命の価値を値切る気もないしの。皆で出し合うつもりじゃ」
乗りかかった船じゃ、けちけちするようなものでもないしのう‥‥と大らかな架神。
けれど、蘇生費用は100G単位というとても高い金額で、皆で分担して支払うと所持金が厳しいという者がいるのも事実だった。
そんな懐具合を察したのだろうか、領主ウィリアムは気軽に片手を振った。
「それでは、皆で‥‥切りも良いし10Gずつ負担したまえ。不足分は補填しよう」
ただの気紛れかもしれないが、ありがたい申し出に仲間たちは頭を下げる。
そんな冒険者たちへ鷹揚に頷き返し、顎で執事に指示を出す領主。運ばれた品を無造作に掴み、教会へと踏み込んだ。
「アリアの様子はどうだ」
「蘇生には成功しました。けれど怪我は治りきっていませんから‥‥今は、パリに戻るためにぐっすりと眠って身体を休めています」
十字架のネックレスを握り締め、きゅっと目を閉じて感謝の祈りを捧げるサーシャ。
「──月銀の癒し手、か」
「何か仰いましたか?」
「お前がいなければオーガの巣は壊滅できなかったかもしれぬ、と聞いた」
領主の珍しく真剣な言葉に、大げさです、と頬を染めて首を振るサーシャ。
「アリア様やオリバー様、マーヤー様、娘様をはじめ、仲間の誰が欠けても無理でした」
穏やかな表情にふんと小さく鼻を鳴らし、受け取れ、とばかりに手に掴んでいた品──一振りのショートソードを差し出した。反射的に受け取り、不思議そうにショートソードと領主ウィリアム・ガーランドを見比べる。
「あの‥‥これは」
「魔力を帯びた武器だ。お前はショートソードを使うと聞いた。ならば他の武器よりもショートソードの方が使い易かろう?」
「そ、そんな貴重なもの、戴けません!」
咄嗟に返そうとしたサーシャへ尚も乱暴に押し付け、領主は言葉を重ねた。
「元より功労者に一品贈ろうと思っていたのだ。功労者はお前だと判断した、必要なければ仲間にでも譲るが良い」
手渡されたショートソードを逡巡した後に受け取り、大切に胸に抱く。そしてサーシャは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。これで‥‥もっともっと、沢山の人たちを守りたいと思います」
●暑い日差し降り注ぐパリで
「悪ィな、あたいのせいで面倒かけちまってよ。水無月のおかげで助かったぜ」
あっけらかんと笑うアリアへ、仲間たちは穏やかな表情を向ける。
氷の棺の運搬は確かに大変だった。けれど、こうして再び元気にアリアに会えたのだから、その努力が実を結んだと言えるだろう。
「良かったよ、アリア殿が無事にこうして戻ってきてくれて」
「いっそそのまま冥府で己が無力を嘆いれば良かったのだ。静かで戦力にもなって一石二鳥だったものを」
「ルシファー、ンなこと言って寂しかったんだろ?」
深く溜息を吐くルシファーへ、ニヤッと哂うアリア。身体にはまだ痛手を負ったままだが、けれど決してそんな事に負けない強さが、アリアから滲み出していた。
そして、その強さは仲間たちへも伝播し‥‥オリバーは穏やかで力強さを感じさせる雰囲気を纏い、仲間たちへ別れを告げる。
「一つの旅がこうして終了し、別れる訳だが‥‥また会おう、どこかで会えると良いな」
「パリじゃろうとジャパンじゃろうと、会おうと思えばきっと会えるのじゃ。お互いを思う気持ちさえあれば、のう?」
架神が微笑んだ。1つところに留まり続ける冒険者は多くない。けれど、会いたいと思う気持ちがあれば、会うことはできるはず。
「その前に。祝勝会でも兼ねて、皆で美味しいものでも食べましょう?」
ウェルナーの提案に頷く冒険者の中で、ただ一人首を横に振ったルシファー。その腕は再び架神を捕らえた。
「馴れ合いは好かぬ。それから、架神を借りるぞ? いつぞやの続きがまだだったからな」
「わしの胃袋が満足してからの話じゃぞ?」
腰に腕を回され、しなだれかかるように身を預けつつも、祝勝会への参加は絶対だと主張する架神。その胃袋が満足することにはルシファーはダウンしているのだろうが、そんなことはルシファーには判らない。架神だけが判っていれば良いことなのだった。
「一先ずは終わるわけだけれど‥‥人々に危機が迫るなら、この剣、いつでも振るおう」
「マーヤー、置いてっちまうぞー」
剣に誓いを立てていたマーヤーの腕をアリアとターニャが引っ張った。二人の勢いに負け、駆けるように足を動かすマーヤー。
この世界に生活を脅かす存在がある限り、剣を振るう機会も、再び相見える機会も、数え切れないほど存在するに違いない。
けれど、今日だけは。
再開を祈り、一時の平和に酔い痴れるのも良いかもしれない。
騎士は明るい日差しを受けて、明日に続く今日の道を歩くのだった。