ぽかぽか季節の農場記

■シリーズシナリオ


担当:やよい雛徒

対応レベル:5〜9lv

難易度:普通

成功報酬:3 G 29 C

参加人数:10人

サポート参加人数:5人

冒険期間:07月13日〜07月18日

リプレイ公開日:2005年07月23日

●オープニング

 白銀に煌めく体に白いたてがみ。
 何処までも澄んだ瞳が、人知れず深い森から農場を見るようになったのはいつからだったろうか‥‥


 日差しが強い。
 しかし天気は移りゆくもので、この時期のイギリスは雨が降り注ぐ日々も多い。
 大麦の収穫時期であるというのに、これでは合間を見つけて刈り取ってゆくしかない。広大な牧草の畑と、タマネギやカブの畑。二箇所の牧場、ニワトリ小屋が二つに、もうじき十一歳になるミゼリという少女とアンズという名の真綿のような白い犬。鶏九十羽、驢馬二頭、牛十二頭。
 そこはギール農場と呼ばれていた。

「ミゼリ、どうしたね?」
 窓辺に腰掛けていたギールが目を覚ます。ミゼリは心配そうな顔で養父の老人を見上げていた。小さな体は十の子供と思えないほど小さい。見ている分には八歳前後にしか見えないのは、精神的なものが強い影響をおよぼしていた。これでも成長した方なのだ。
「随分寝ていたな。そろそろ働かんと。のうミゼリや」
 少女は知っている。
 徐々に、養父の眠りが深くなっていることに。
「そういえば、また静かになってきたな」
「‥‥お爺さまが、お休みを出していたよ」
「そういえば。休みを出したことを忘れておったよ、ミゼリや。さて、彼らに交代で休みを出している間に手伝ってくれる者を探さないとのう」

 農場は広い。
 ミゼリはアンズを連れて離れたギルドへ歩き出した。

●今回の参加者

 ea0369 クレアス・ブラフォード(36歳・♀・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea1143 エイス・カルトヘーゲル(29歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea1493 エヴァーグリーン・シーウィンド(25歳・♀・バード・人間・イギリス王国)
 ea2698 ラディス・レイオール(25歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea4435 萌月 鈴音(22歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea4815 バニス・グレイ(60歳・♂・神聖騎士・人間・ノルマン王国)
 ea5021 サーシャ・クライン(29歳・♀・ウィザード・人間・フランク王国)
 ea5810 アリッサ・クーパー(33歳・♀・クレリック・人間・イギリス王国)
 ea5928 沖鷹 又三郎(36歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 ea7218 バルタザール・アルビレオ(18歳・♂・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

アリシア・シャーウッド(ea2194)/ 五百蔵 蛍夜(ea3799)/ タチアナ・ユーギン(ea6030)/ モニカ・ベイリー(ea6917)/ セラフィマ・レオーノフ(eb2554

●リプレイ本文

 太陽が燦々と輝く夏の日差し。
 農場主の一人娘であり養女の娘と会ったことのある者も少なくない。
 少女の名前はミゼリと言った。再会した者には成長ぶりが見て取れただろう。表情も明るく必ず前を、相手の顔を見る。子供の成長とは恐ろしいもので、背も何センチか伸びていた。ついつい甘い顔をして果物や菓子を与えてしまうのは、芽生えた親心からだろうか。
 仲間達に頭を撫でられていたミゼリだが「そうら、どうかな」と蛍夜が肩車の為に抱き上げた。子供の楽しげな声が聞こえる。それはさながら公園や遊技場で遊ぶ親子を彷彿とさせた。タチアナが「農場に着いてから読んでね」と羊皮紙にしたためた手紙と新曲の楽譜を名残惜しげに渡している。仲間に土産をせびるセラフィマもいた。モニカは農場の相談中。微笑む顔につられて笑う顔と顔。
「さぁミゼリ、ギール爺さん所にいくぞ。おいで」
 クレアス・ブラフォード(ea0369)の声に、ミゼリは肩の上から蛍夜を覗き込む。丸い瞳は「このままいかないの?」という風にも見えた。苦笑が零れざるを得ない。
「ミゼリ、すまんな。俺達は一緒にいけないんだ。仕事があるからな。忙しい時間をさいて、見送りに来てくれたんだ。お礼ぐらいは言おうな」
 楽しそうにしていた少女の顔が明らかに悲しげに変わった。彼らは一日しか時間がとれなかった身だ。ミゼリがよく懐いていた者に久々に出会えただけに、別れるのは悲しいのか。ぎゅーっとすりつくが如くしがみつく。しかし、それで彼らが来てくれるわけではない。吸盤でもついたように離れないミゼリだったが、やがて諦めがついたか。
「よし、良い子だ。それじゃあ私達は農場に行ってくるから後をたのむ」
 そこへ無言でクレアスの服をひっぱる手があった。早く気づいてやれという居残り組の目にそって傍らを見下ろせば、萌月鈴音(ea4435)が何か物言いたげにしている。相変わらず人見知りが激しい鈴音が無言でクレアスに訴える事はと言うと。
 あぁと抱き上げていたミゼリを地面に下ろすと、鈴音は勿論エヴァーグリーン・シーウィンド(ea1493)もまたトトトッと急ぎ足でミゼリの傍に歩み寄る。
「ミゼリちゃん‥‥元気でしたか?」
 撫で撫でとミゼリの頭を何度も撫でる鈴音。表情に柔らかい笑みが見える。背が伸びても鈴音とミゼリは同じくらいの背丈であることに変わりはなかった。エヴァーグリーンがミゼリの傍らで忙しなく鳴いていた白い犬、アンズを抱き上げて話しかける。
「農場のお勉強しましたですし、今回はばっちりですの」
 自信満々に話をしているので、じーっと見送りに土産をせがまれていたバルタザール・アルビレオ(ea7218)が面白くなさそうな顔をして「ずるいですよ」と言うなり近づいて膝をつき、むぎゅっと力一杯抱きしめた。以前別れ際に号泣していたバルタザール。
「元気でしたか? 森とトレントはどうですか? 変わりありませんか?」
 出発するはずが再び賑やかな場所に逆戻りする。唖然と様子を眺めていると。
「なかなか独り占めは無理そうね。うかうかしてられないわ、頑張ってねお母さん?」
 タチアナ君の言うとおりだな、と蛍夜が笑う。言葉を向けられた相手はクレアスだけではなく沖鷹又三郎(ea5928)も一緒。沖鷹は保父さん状態のため出会った為からかわれる事数回。
「なんでござるか、その目は。むしろ何処見ているでござるか。胸はないでござるよ」
 微妙に暈けた発言に、笑う者数名。クレアスも複雑な表情だったが、賑やかでいいさと答える辺りが農場仲間の証明だ。逆に遠目から眺めていても、優しい目をしているアリッサ・クーパー(ea5810)のように静かに見守るタイプも少なくない。
 また今回は初めて農場の手伝いをするという者達もいた。サーシャ・クライン(ea5021)とバニス・グレイ(ea4815)、ラディス・レイオール(ea2698)とエイス・カルトヘーゲル(ea1143)の四人だが、内バニスは以前農場で働いていた者の話も聞いているのか、モニカ達からせっせと仕事内容を聞いていた。非常に真面目である。
 エイスは以前ミゼリとピクニックに行く依頼時にあっているのだが、辿々しいしゃべりとともに踏ん切りがつかずにいると、見送り連中に背を蹴られ、そのまま人の渦にドボン。怒ったり戸惑う間もなく仰天したミゼリとばっちり顔が合う。物言わずに戸惑っていたエイスだが、おずおずと手を捕まれ、にこっと微笑まれるととまどいも吹っ飛ぶ。
「覚えて‥‥るん、だ。あの‥‥な、暇ができたら、また‥‥この前みたいに遊ぼう、な」
 僕もいきますー、私もー、とあっという間に人の渦に取り込まれるエイスを眺めていたサーシャとラディス。長い間を過ごすと自然と情も持つ。一見近寄り難くも見えるけれど。
「賑やかなのねぇ」
「いつもこんなものですよサーシャ様。一つ屋根の下、過ごしていると依頼という感覚が薄れていくんです。農家ですからたまに市で忙しいほか、静かですけど‥‥慣れますよ」
 そんなもんなのかしら、とサーシャが頬をかく。これから定期的に農場を訪れる事になるでしょうとアリッサが仕事や生活についてたんたんと語る。ラディスはラディスで、其れじゃあ私は鶏と牛小屋の面倒をみる事にしますと語ると一部の者の目が光った!
「な、なんですか、あなた方。そんな目で」
「そうか、ローストとブリュンヒルデ達の世話か。そうか、‥‥生きろよ若人」
 ラディスの頭にクエッションマークなるものが飛ぶ。何故か皆、旅立つ勇者を見る目でラディスを見やる。尊敬というか、敬意というか、むしろ励ましのような。しかも鶏は他にエイス、牛はバニスというから皆の熱い眼差しは忙しい。あっちを向いたりこっちを向いたり。特に両方の世話をすると発言したラディスは拍手まで受けた。
「女帝に育まれた猛者揃いですが、ラディスさん頑張って! 俺、骨は拾います!」
 バルタザール、それは純粋な励ましではない。
 不穏な言葉を放つのでラディスの額に冷や汗が浮かぶ。バルタザールを眺めつつ確認。
「いやあの、鶏と乳牛、なんですよね?」
「まああれね。暇な時間が出来たら草の上でお昼寝とかも気持ちよさそうだし」
 にまにまと長閑な事を頭で考えていると、何か思いついたらしいクレアスはおもむろに。
「おーい、みんな。サーシャがミゼリと一緒に仕事なまけて昼寝する計画たててるから、見つけた者は家の方に連行すること。忙しいから一緒にサボるなよ、恐怖の晩飯抜きだ」
 クレアスの表情は至って笑顔だ。一緒におサボり厳禁の釘をさされた者はうっ、とひるむが其処は其れ。農場は朝から晩まで働きづめでも足りないくらい忙しい。
「「「「はーい」」」」
「えぇ、ちょっと待ちなさいよ〜!」
 遠慮なくからかわれるサーシャ。見送る者達に手を振りながら、彼らは農場へと赴いた。

 そうして到着した先、此処は農場。
 皆が一通りの挨拶を済ませ、手順を聞いて即、蜘蛛の子を散らすように広大な農場へ散ってゆく。緑の広がる農場、出かけた日の燦々と輝く日差しと異なり、その日は曇っていた。明後日は雨が降るという。雨が降れば作業が大変になる為、可能な限り働くぞ、という話なのだが、今朝農場の鶏小屋へ赴いたエイスとラディス。一見、こっこっこ、と普通に見える小屋の前で立ち往生していた。散々脅かされた後である、ごくりと生唾飲み込み覚悟を決め、卵を回収した時は問題はなかった。しかし戦場と思え、等と言われては楽そうには思えない。
「あの‥‥な、まず、俺は小屋を洗ってしまおうと‥‥思うんだが‥‥いい、か?」
「え、あ、分かりました。じゃあ屋根が終わったら中にきてください。先に作業しておきます。その後糞や餌屑の掃除とか手伝ってください」
 ラディスが小屋に入る。エイスが小屋を見上げる。
 クリエイトウォーターで屋根の上にざばざば水を発生させ、ウォーターコントロールで洗い流す‥‥というのがエイスの計画だったが、正直な話それくらいで落ちたら手伝いはいらない。こびりついた鳥の糞や泥、汚れの諸々はしつこいのだ。一通り試してがっくりと肩を落としたエイスは、いつになく真剣な眼差しで小屋裏にある頑丈な梯子を持ち出すと、立てかけて屋根によじ登り、道具で丹念に汚れを落としていく。重労働のエイスだが、彼は掃除をしながら叫び声を聞くことになる。それは勿論、小屋の中のラディスの声だ。
「とくに大変じゃないですね。驚かされてそんをしました、順調順調」
 此処では食事は自給自足。市に備える為たまーに我慢して軽く飢える事もあるが大したことではない。市の時期が遠かったり日持ちがしない物や収穫が多ければ、取り立ての野菜や卵が食卓に並ぶ。自分で収穫した材料の味も格別といえよう。小屋の中で放し飼いになっている鶏を一羽ごとに籠の中へ入れ、あるいは追い込んでゆく。取り忘れた卵が藁の間に隠れて転がっている事も多いので、時折気づかず踏んでしまうが慣れの問題。
「さてあと半分‥‥ん?」
 ラディスが振り向いた先に剣呑な眼差しと取れる鶏達が群をなしている。目立つ紅い鶏冠は雄鳥の象徴。その鶏達が、なんと身長178cmのラディスを前にどんと胸を張っているではないか! 鶏達の眼差しはまさしく次のような意味で受け取れた。
『捕まえられるもんなら、捕まえてみなベイベ。俺達に触ると火傷するぜ!(注:幻聴)』
「成る程‥‥あなたが噂のローストですね。私はのんびりやろうと思っていたのに」
 デッカィ鶏その名もロースト。ローストチキンにしたら美味しそう、と呟いた某女性が命名した鶏は、その巨体を誇らしげにそらせて悠然と構えていた。そう、今日初めて小屋に踏み入ったラディスは完璧に侮られていたのだ。しかも鶏に。ここで彼らを捕まえなければ掃除は全く進まない! かっ、と一時的に根気を出したラディスだが飛べない翼をバサバサさせて暴れ回る鶏はすばしっこいと言うより厄介だ。素手だと美肌に傷がつく。
「どう‥‥したん、だ?」
 雄叫びを聞きつけ、また屋根の掃除をおえたエイスが鶏小屋に踏み入ると、羽根だらけになっているラディスが剣呑な目をしていた。見るからに大いに苦戦中である。エイスを発見した雄鳥たちは勢いづく。デブィ鶏ローストに率いられつつ新たなる得物が! とばかりに果敢に立ち向かおうとした。無謀なのか勇気なのか計り知れない。エイスは素早く出入り口を閉め、右手を顔に添え、考え込むように腕を組む。『うらぁ、うらぁ、まいったか人間め』とばかりにボテンボテン体当たりしてくる鶏達を見下ろして静かに一言。
「噂のローストとやらは‥‥まだいるのかな?」
「ええ、貴方から見て斜め右にふんぞり返ってる雄鳥がそれらしいです」
 確かに一際デブィ。エイスは傷と羽根だらけになりながら鶏をゲージに押しこめるラディスとは異なり、舐めるようにじぃっとローストを観察する。ふふん、と優越の眼差しのローストに向かって、何の前触れもなくがしっと掴み。
「‥‥食べられるために育てられた鶏が、どれほどの味なのか確かめてみたいが‥‥」
 ビョオオオォォォォォ!
 一瞬真夏なのに鶏達の背中には冬が見えた。ぴたっとエイスを凝視して固まっている鶏を、ラディスが「今のうちですね!」とばかりに回収してまわる。ローストと無言のエイス。別に何もしていないのに両者の間に火花が散って見えるのは農場の神秘である。
 ローストに新たなる敵現る! そんな言葉が脳裏を過ぎるが、其れはさておき掃除がようやく開始された頃になって、近隣にある牛小屋の方からバニスの雄叫びが聞こえてきた。
 一人で牛の世話というのは大変なためか、頃合いを見てラディスが掛け持ちの手伝いに向かうところだったのだ。何が起きたのか、と声に仰天したラディスは、エイスに鶏小屋を任せ「様子を見てきます!」とすぐ傍の牧場へ走り出した。小屋を飛び出し柵を乗り越え、すでに掃除で体力を使い果たしているラディスが心配になって見に来た先では。
「これはこれはラディス殿ではないか。どうかなされたか」
 どうかなされた、ではない。心配になって飛び出してきたことを話すと、バニスはあぁさっきのか、とあっさり答えた。何でも昼間餌を与えに来た時は問題なかったらしいのだが、いざ掃除を始めようと牛達を牧場へ放したところ、内の一頭、カウベルにブリュンヒルデと彫られた牛がバニス相手に無駄な闘志を燃やして向かってきたのだという。
「色々と話を聞いていたんだが、どうも牛に戦闘教育でも施していたような話をきいてな。元々血の気が多い牛だったらしいが、暴れ出す時が多々あって仕置きをしていたそうだ」
 アイスコフィンでファイト一発、が定番だったらしい。無茶苦茶だが牛達には其れが染みついているらしく時折闘争本能を確認する為なのか飼育員に向かってくるそうだ。バニスが最初の一撃を回避すると、ブリュンヒルデ(牛)は柵に激突。後で柵を修理しなければならない事に。ついでに牛が押してくるので腕力でおしかえしたという
「まだまだ若いと思っていたが、流石に老体にはこたえるな」
「いや、普通の牛はそうじゃないと思うのですが」
 此処は大自然のサバイバル。カウベルに名前が彫られている牛は注意すべしというから大変だ。鶏だけでも相当ならすのに時間がかかりそうだというのに、牛も同様。
「先任ほど派手では無いが堅実にいってみせるつもりだ。しかし血の気が多い雌牛だな」
 いや、本当はそんな気合いはいらないはずなのだが牛が牛なので身構えていないと我が身が危険だ。牛小屋掃除と牛の世話、どちらも一日が終わる頃までに終わるかどうかは非常に疑問なところだが、これも慣れ、全て慣れ。慣れこそ恐ろしいものだ。
「ローストやヒルデ達に振り回されていそうでござるな」
 家で夜食の仕込みをしていた沖鷹の危惧は的を射ていたりする。
 ちなみにこの程度で根を上げると体が持たない。根性で頑張れ、担当三人組。

 所変わって大自然。朝方曇っていたが今は憎いほど雲が見あたらない。
 小屋と違って日が照る中、ふくらみに膨らんだ穂を苅る作業は重労働だ。鈴音はふうふうと息を吐きながら小さい体を接せと動かして大麦を苅っていた。現在バルタザールとアリッサがそれぞれタマネギとカブの畑に向かっていた。圧倒的に人手が足りない。それでも休む間もなく勤しむ鈴音の働きあって、日が高く天上に昇る頃には区画の三分の一ほど完了していた。残り全面積の三分の二。牧草の区画は手つかず。気が遠くなる作業だ。
「暑い‥‥あ、大丈夫です‥‥よ?」
 大丈夫そうに見えない主人を心配してか、道端で休んでいたはずの馬と驢馬が鈴音の傍らに移動してきていた。鼻を鳴らして気遣わしげな目をしているが、あまり休んでもいられない。二頭は苅った大麦を運ぶのに重宝する。前回訪れたときより作業が楽になったのか大変になったのか。それでも鈴音は大麦を一抱えごとに縛ると、根元を手早く苅る。
 新しい束を抱えて立ち上がった時だった。ぐらりと鈴音の視界が揺れた。‥‥暗転。
「‥‥っと、ちょっと! しっかりしなさい!」
 一瞬の闇とともに意識が再び引き戻される。鈴音がぼうっとする頭に鞭を打つように首を動かすと、心配そうに顔を覗き込むミゼリとサーシャの顔が映った。倒れたのだ。
「気持ち‥‥いいです」
 額と首筋、腕と足下が気持ちいい。清水から汲み上げた冷水に浸した布が鈴音の肌にあてがわれていた。氷ほどではないにしろ、日光に照らされ続けた体には丁度いい。ようやく意識を取り戻した鈴音はゆっくり身を起こした。鈴音に「のめる?」と水を手渡す。
「まったくもう。丁度お昼頃だったからよかったものの、働き過ぎよ。少し休みなさい」
「でも‥‥まだ、終わってないですし」
「休み休みでやりなさいって事、体壊したらなんにもならないじゃない。いま丁度お昼ご飯配って回ってるところ、他の所に配り終わったら戻ってきて交代するから」
 休んでなさいよ? と笑ってサーシャは大麦の場所から離れてゆく。二人分の食事とともに残された鈴音とミゼリ。日陰に移動した二人は、木漏れ日の中で農場を眺めた。
「‥‥だいじょうぶ?」
「はい、大丈夫ですよ、ミゼリちゃん」
 言葉少なくも身を案じる少女とともに、鈴音は木陰で心地よい睡魔に誘われてゆく。

「アリッサさーん、アリッサさーんお昼の時間ですー」
 サーシャとともにアリッサを呼びに来たバルタザール。作業中はやはり体力がないエルフといった状態だったが、休憩時間は話が違う。サーシャはバルタザール達に昼食と冷水を届けると、小屋の方に向かっていったようだ。木陰に移動して手を洗い、食事とともにほっとした時間が流れてゆく。
「牧草地もカブの畑も相変わらず広いですね‥‥しかも暑いですし」
 無表情ながらアリッサの双眸が細くなり、何処か遠くを眺めている。気持ちは分からなくもない。以前農作業に勤しんだ時は寒い時期だったが、今はどんどん暑くなる時期だ。あまり無理をすると過労で倒れる。腹の中に燃料をおさめ、冷たい水を飲み干すと、バルタザールはごろりと横になった。
「嬉しそうですね、いいことでもありましたか」
「ええ、勿論。今日の日のために手にした秘密兵器で植物達のハートもがっちりです」
 とバルタザールが手にしているのはスクロールだ。この日中バルタザールは片っ端から状態の悪いタマネギに声をかけていた。「調子どう?」「水足りてる?」「ごはん足りてる?」「寝心地いい?」等々。とはいえバルタザールの魔力では七回の使用が限界である為、明日や明後日も同じように残りを繰り返してゆくそうだ。感心したアリッサが興味を示すが。
「聞いてみてどうだったんですか?」
「‥‥水をよこせ、肥料を持ってこい、枯れるだろ、根を切るな、‥‥ひねくれすぎです」
 めそめそめそ。心豊かな交流を望んだ彼の心意気は届かなかった。とりあえず荒んだ状態のタマネギ達は話にならなかったようだ。これからが重要である。悪い環境では育つ物も育たない。地面に張りついて植物達から浴びせられた心ない言葉に傷心のバルタザールであったが、ぐっと拳を握りしめて身を起こす。
「でも、諦めません。こまめに愛を注げばいいタマネギが育つと思うんです!」
 ネバーギブアップ精神万歳。バルタザールの意気込みにアリッサも畑を眺める。これから忙しい日々が始まる。そう思えばこそだろう。食事を届けたサーシャは必ず休んでから仕事に戻りなさいよと話していたのだが、アリッサは立ち上がった。仕事の合間を見てどうしても行きたいところがあったのだ。
「どうしたんですか、アリッサさん」
「ライズ様のお墓に行って参ります。また当分こちらにいる事やミゼリ様の報告を」
 夕方までに戻りますよと答える。無表情に滲む微笑み、とその向こうに潜む悲しみ。忘れられないことは誰にでもあるものだ。バルタザールは「そうですか」と言葉少なく返す。
「それじゃあ私もトレントに挨拶を‥‥あ」
 魔力使い切ったばかりである。仕事に熱心なのは良いことだが、がっくり項垂れたバルタザールは明日にでもトレントの所へ行こうと決めつつ、アリッサを送り出した。

 家の方ではクレアス、エヴァーグリーン、沖鷹の三人が家の掃除を終え、片づけと洗濯と夜食の準備に取りかかっていた。農場も大変だが家の方も大変なのだ。庭で洗濯物を干し終わったクレアスが、籠と道具を携えて中央の部屋に戻ってくる。
「お疲れさまでござるよ、クレアス殿。ついでに其処の箱とって貰ってもよいでござるか」
「ああ分かった。ところで沖鷹、頼むから動かしている包丁から目を離すな。慣れているのは分かるが、心臓に悪いぞ」
 すたたたたんっ!
 気をつけるでござるよ、と暢気にクレアスと会話しながらの素晴らしき包丁捌き。確実にメキメキと家事の腕を上げている沖鷹はそのうち達人並の包丁捌きになるのだろう。実際、今の彼の腕ならしっかりした店が出せる。同じく家事担当のエヴァーグリーンもそこそこの腕前だ。二人の料理に口を挟む隙はない、という点では毎回材料が乏しくても美味しい夜食が期待できるので喜ばしいといえば喜ばしいことだ。何しろ疲れ切った農場班の人間は、大抵初日は食べて汗を流して寝る体力しかない。慣れない作業だ、当然だろう。
「それはそうとミゼリ殿遅いでござるなぁ」
 今日はレシピでも教えようかと思ったのでござるが、しょぼんと味見しながら呟く沖鷹。ギールから家庭菜園造りに使えそうな裏庭の区画で色々育てようとしたり、やりたいことは沢山あれども時間が足りない。何しろ次に来るであろう時は農場の売り上げを決める市が来る! となれば今回はそっちに向けて頑張るしかないわけで。
「ミゼリの事だ。おそらく畑か小屋の所で手伝う傍ら遊んでいるだろう」
「いわゆる引っ張り凧でござるな」
 午前中、ミゼリは沖鷹やクレアス、エヴァーグリーン達と家の中の掃除や片づけを手伝っていた。以前はかたづけるのにも何日もかかったこの家。今回は以前教え込んだ片づけがしっかりしていた為だろう。あっさり片づいてしまった。この分なら今夜は全員ふかふかのベットで眠ることが出来るだろう。
「健康的な生活だな。じーさんにも私達は元気だと教えることが出来たし」
「あ、クレアスさん洗濯物干し終わったんだ。お疲れさま!」
 エヴァーグリーンがギールの部屋から現れた。足下には真綿のような白い犬がまとわりついている。アンズはクレアスを見つけると丸い目できゃんっ、と一声鳴き三人の足下を障害物除けでもやるかのように走り回っていた。先ほどは足が砂まみれだったので床掃除に苦労した面々であったりする。
「アンズ〜〜、今夜の夕食はお裾分けもあるでござるからな〜〜」
 きゃん、と甲高い声で一吠え。洗濯物と一緒に洗ってもらったアンズはふかふかしていた。エヴァーグリーンが何処にあったっけ、と棚を探し回る。櫛で毛を梳かしてやるのも悪くない。微笑ましい光景だ。そうでござる、とエヴァーグリーンに続き沖鷹が冷水をカップに注ぎ、作っていた菓子を持ち出した。昼食かねて一休みするならギール殿と話してこられよ、とウインク一つ。
「ありがとう沖鷹、気が利くな。エヴァーグリーン、何かあったら呼んでくれ」
「分かりましたですの」
 紅茶はきらしているが、穏やかなティータイムは悪くない。扉の向こうへクレアスが消えると、台所近くの大きなテーブルにエヴァーグリーンが腰掛けた。沖鷹もエヴァーグリーンもこれからお昼休みである。昼食を口にしながら、エヴァーグリーンが部屋を見渡す。
「前の市はバターつくってましたけど、今度はチーズも作りたいですの。‥‥最後にパーティーしたのも此処でしたね」
「そうでござるなぁ。時間はあっという間に流れるでござるよ」
 足下でアンズがきゃんきゃん鳴いている。苦笑一つして沖鷹は床にアンズ用の皿を起き、牛乳を注いだ。そして再び席へと戻る。部屋から眺めた木窓の外は、依然と同じく眩しい姿を見せていた。血なまぐさい世界とは全く異なる、心癒される長閑な光景。
「あのね沖鷹さん、ギールさんが」
「知っているでござるよ」
 エヴァーグリーンが沖鷹を見た。沖鷹もその微笑みの顔を崩すことなく口元に笑みを浮かべただけでエヴァーグリーンのカップと自分のカップに冷水を注ぐ。沈黙が降りる。
「おそらく会った者は気づいているでござろう。初見の者も様子がおかしいことぐらいは気づいているはず。‥‥人は時に、どうにもならない事に直面するものでござるよ」
 知っていて、いわない。薄々気づいているけれど、口にはしない。そう言う意味だ。
「主治医さんにあってきても、変わらないのかな」
 言葉の其処には諦めたくない部分もあるだろう。けれど。魔法で傷は癒せても病は治らない。着実に忍び寄る何者かを、止めることは神ぐらいにしかできないことだ。
「エヴァーグリーン殿」
 沖鷹の声で顔を上げる。
「ギール殿は、まだ元気でござるよ。折角の毎日。今は其れで、充分と思わねば」
 
「爺さん」
 部屋ではクレアスが談笑をかわしていた。談笑というより半ば一方的。ギールから戻る返答は多くはない。出会った頃は頑固な爺の覇気が今はない。それが寂しさかどうか。
「クレアス・ブラフォード」
 窓を見ていることが多くなったとミゼリは言う。物忘れが多くなったとミゼリは話す。ギールから言葉が返るのは十に三つと数は減った。名を呼んで、ギールは振り返る。
「儂は今、幸せな毎日を歩いているという自覚がある。農場、しばらくの間になるがよろしくたのむぞ。市も近いんでな」
 元気と言えば元気だ。笑顔も偽りではない。クレアスは笑顔に答えた。
「‥‥そうだな。楽しくやろう、爺さん」

 こうして農場の毎日は過ぎていった。
 不穏な影も見ず、忙しくもありながら、ただゆっくりと静かにたゆたう水のように。