●リプレイ本文
○絡み合う『始まり』
冒険者達は急ぎ足で行く。
歩いているか、走っているかと聞かれたら走っていると言えるほどに。
「リースフィア! 急く気持ちは解るが、あんまり先行しすぎるな。足並みが揃わなくなるぞ」
見上げてギリアム・バルセイド(ea3245)は空を行く天馬に呼びかける。
「すみません! 急ぎ過ぎないように気をつけてはいたんですが‥‥」
「焦り過ぎはダメですよぉ〜。向こうについてからが本番なんですからねぇ〜」
ギリアムほど響く声ではないが、エリンティア・フューゲル(ea3868)の声もちゃんと天馬とそれを操るリースフィア・エルスリード(eb2745)には届いたようだ。
少し羽ばたきが緩やかになる、
「気持ちは解るよ。でも、本当に無理させすぎちゃ後が大変だもんね。‥‥もう少ししたら休憩とってあげるから。頑張って!」
手綱を引きながらエル・サーディミスト(ea1743)は懸命についてくる馬の頭を優しく撫でた。
同じように馬の上から恨めしそうにこちらを見ている愛狼の眼差しに気付き、閃我絶狼(ea3991)はため息をついた。
「何度も言ったろう? 絶っ太。お前は足があんまり早くないんだから、大人しくそうしてろ。プライドなんか気にしてる場合じゃないんだからな」
そして、前を向いてまた走り出す。体力は温存しつつできるだけ早く。
「今回は、スピード勝負なんだからな」
「そうだね。リースフィアに言った手前なんだけど、できる限り急ごうか」
エルも頷いて足を早める。付いてくる動物達の方が辛くなるほどに冒険者の心と足は早っていた。
「お義父さま〜。シャフツベリーとはどのようなところかご存知ですか?」
深夜。道行の僅かな休憩の時、シェリル・シンクレア(ea7263)はそっとマナウス・ドラッケン(ea0021)に擦り寄り問うた。
「俺自身も、話に聞くだけで詳しいわけではない。さっきもシャフツベリーに詳しい者達から話を聞いて見取り図のようなものも作ってみたが‥‥やはり実際に行ってみないとな‥‥」
「本来は、とても美しい街ですぅ〜。金属工芸が盛んだそうでぇ〜、ソールズベリーでも、シャフツベリー製の見事な細工物を良く見かけましたよぉ〜。こんな時でなければ、可愛いアクセサリーとかお父さんに買ってもらえたかもしれませんねぇ〜」
自分はそれほど詳しい方ではないけれども。そう言い置いてエリンティアはいつもの口調でシェリルに話しかける。
「私も、ご領主の娘であるベルさんを知っているだけですの。シャフツベリーに詳しいといえば、なんと言ってもあの方ですわ」
藤宮深雪(ea2065)の指差す先には難しい顔をしながらマックス・アームストロング(ea6970)と打ち合わせをしているギリアムがいる。
ふと、自分が呼ばれ、指差された事に気付いたのだろう。顔を挙げ、話を止めギリアムは彼らの方に近づいてきた。
「呼んだか? 何か、聞きたいことでもあるのか?」
「呼んだ、というほどでは無いのですが〜」
少し悩むような顔をしてからシェリルは頷いて顔を上げた。
「ギリアムさんは、どうしてあの街に〜、デビルやオーガ達が集まっているのだと思われますか〜? 聞けば以前にもデビルに襲われたことがあるそうですし〜」
「‥‥それは、俺も考えていた。どうして、そんなに奴らが、ついでに言うなら何処から湧いて出てきたんだか、オークニーの残党ってわけでもないだろうに‥‥嫌な感じだ」
レイ・ファラン(ea5225)は呟くように言う。
「何か心当たりってある?」
冒険者、みんなの視線が一つに、ギリアムに集まる。
「俺には、まだ何とも言えない。ただ、今回の件は確かにいろいろおかしいし、そもそもシャフツベリーにだけ、これほどの災難が続くのもおかしい。聞けばここ数年、普通の街なら滅多にない集団のモンスターの襲撃を何度も受けているんだ」
そのうちの何回かに関わった男は慎重に言葉を選びながら言う。
「‥‥まだ、俺のカンに過ぎないんだが‥‥今回のデビル達の狙いはベル。領主の娘にあるんじゃないか。と思うんだ」
「ギリアムさん。あの‥‥事ですか?」
リースフィアの視線と問いかけにギリアムは小さく頷く。
彼女以外にも『あの事』に関わったものにはなんとなくピンと感じるものがあった。
「あの事? 何かあったのですか?」
少し考えてギリアムはもう一度頷いた。
「丁度いい。皆も聞いておいてくれるか? 知っている者も、知らない者にも話しておく」
そう言ってギリアムは領主の娘を付けねらう影について説明した。
最初はキャメロットで若い娘を狙っていた通り魔。
彼らは聖なる力を持つ、蒼い瞳の少女を探していたようなのだ。
「そう言えば『黒の花嫁を探す』‥‥奴らはそう言っていたな」
ああ、頷きながらギリアムは話を続ける。
そして、先の事件。デビルがシャフツベリーで人を襲っていたあの事件で、デビルたちは『蒼い瞳の娘』を探していた。聖なる力を持つ‥‥。
「二つの事件を切り離していいとは、俺には思えない。ひょっとしたら今回の襲撃そのものが陽動である可能性だってあるんだ」
「二つ、じゃなくて三つ、かもしれないな‥‥」
冒険者達は一斉に一つの方向を向いた。そこには手の中で指輪を弄ぶ絶狼がいる。
「どういう‥‥事です〜?」
「この間シャフツベリーに来た時、羽ばたいていた。蝶が‥‥確かに」
「この間? まさか、ヴィアンカの時か?」
ギリアムの言葉に絶狼は答えないまま言う。
「街に、デビルが隠れているかもしれないということ。‥‥言わなかったんだが依頼の趣旨と違っても、言っておくべきだったな。何かにつけて後手後手に回ってるな、気にいらねえ!」
悔しそうに手を握り締めて。
「ヴィアンカ。‥‥彼女まで今回の件に巻き込まれている、ということはないであるな?」
ヴィアンカを知るマックスは心配そうだが、それは無い、と絶狼は首を振る。
「来る前に教会で無事を確認してきた。念のため、リゼ‥‥シスターに目を離さないように言っておいたし、普通の人が知る話じゃない。今回は大丈夫だと思う」
「ベルさんにしろ〜、ヴィアンカさんにしろ〜、ついでにもう一人心配な人もいるんですがぁ〜、それよりまず問題なのはぁ〜『花嫁』には一人ではなれない、と言うことですぅ〜。『花嫁』を迎える『花婿』がいる筈ですよねぇ〜」
「そして『花嫁』を探すのが人間じゃないってことは‥‥まさか」
「デビル‥‥ですか。デビルが『花嫁』を探すとなれば、生贄にして何かを復活させるのがお決まりですが‥‥今の状況でそんなことをさせるわけにはいきません」
「でも‥‥いろいろと心配なのはわかるけど、今はまず街の人たちを助ける事が、優先、でいいよね? 僕、怪我人がいるなら放ってはおきたくないんだ」
無論、とエルの言葉に全員が頷く。
今の話はあくまで予想を入れた推察だ。
「まずは、襲撃されている街を助ける。人々を守る。その過程でベルやヴァル達も勿論助ける。デビルなんぞの勝手にはさせんさ」
「デビルの思惑は断固阻止! です」
このペースなら明日にはシャフツベリーに着けるだろう。夜更かしは禁物だ。
話を切り上げ、冒険者達はそれぞれに身体を休め始めた。
冴えた冷たい夜風の中で、シェリルは手を胸に組みながら祈るように遠い空を見る。
「まだあの戦いは残っているのですね〜。もっと静にしていて欲しいですが〜」
そして祈る。空に向けて。
「ここに来れずに心配している方たちの分も、頑張りますからどうか‥‥」
街の人たちが無事であるように。と。
○街角での戦い
ここ数日、モンスター以外の存在を見ない見張り台の上。
キャラバンさえも避けて通る人の無い街道に、その見張りの兵士は久しぶりの希望を見た。
人影と言う、希望を。
「冒険者だ。依頼を受けてこの街の救出来たと伝えてくれ!」
ギリアムは大声で見張り台の上に声をかけた。
「はい!」
という返事と共に見張り台の上から人が駆け下りていくのが見える。
「貴方は‥‥。ありがとうございます。おいでを心からお待ちしておりました!」
「ディナス伯はどこだ? 館か?」
「いえ、領主様は今、ヴェル様と共に自警団の詰め所の方で、守りの指揮をとっておられます!」
「なら、そちらの方へ案内してくれ」
「はい!」
ギリアムと兵士の会話を聞きながらレイは、チッ! と舌を打った。
「最初に聞いていた話よりも多くなってるな。減ってもいない。まだ集まってくるのか?」
我が物顔で道を歩くオーガが見える。あちらこちらにはオーガが食い散らかしたような食べ物、残骸なども。
向こうにはふらふらと彷徨うスケルトン。そちらで騒いでいるのはインプだろうか?
「この近辺にモンスターが一番多いんです。住民の避難は済んでいます。どうぞ、こちらへ!」
剣を握り締め、見張り役の兵士が前に立つ。
「よし。蹴散らして進むぞ。絶っ太! 遅れるな!」
兵士と冒険者達は一気に道を走る。
『人間』の存在に気がついて迫ってくる愚かなモンスター達もいる。
だが、そんな連中はそれこそ絶狼の言うように蹴散らして。
風のごとく、冒険者達は駆け抜けていった。
そして、数刻後。
「いいか。無理はするんじゃないぞ。怪我をしたら直ぐに下がるんだ。街は広いし、先は長い。あいつらは殲滅させなきゃいけないんだからな。一匹も見逃す理由は無い」
「はい。お義父さま」
マナウスの注意にシェリルは真摯な目で頷いた。
自警団の詰め所にたどり着いた時、冒険者達は驚いたものだ。
被害を最小限に食い止めるために頑張っていた自警団の兵士達と彼らを指揮する伯爵に。
ほとんど不眠不休であったろうに、疲労に倒れそうになりながらも彼らの目はまだ、光を失ってはいなかった。
「依頼に応じてくれて、感謝する。モンスターが何故、この街を襲ってきたかが解らぬ以上、この襲撃から逃れるためには殲滅しかありえない。だが、この街の兵士の数や武器ではそれは不可能だった‥‥。人々を避難させ、これ以上被害が広がらないように守るのが恥ずかしながら精一杯だったのだ」
「でも、騎士団の派遣にキャメロットも応じてくれて、数日中にはこの街に駐留する部隊が来てくれる筈なんです。だから、あと、最低数日持ちこたえれば‥‥」
街の見取り図や文書を冒険者達の前に広げた領主の息子ヴェルは冒険者達にそう告げた。
一度、街に潜入したモンスターが駆除され、騎士団が駐留するようになれば奴らとて、そう簡単には襲ってくることはあるまい。と。
「そうであるな。こちらの戦況が少しでも好転すれば、オーガなど打算するだけの知能のある者は逃げにかかるはずである‥‥ならば、その数日の間に、敵を片付けるである! 我輩の目の黒い内は、怪物の跳梁跋扈なぞ許さぬであるぅ!」
マックスの力の入った激に兵士達の顔にも笑顔が戻った。
素早く情報を交換し、シフトを考え、冒険者達は自警団と共にモンスター殲滅に出る班と、教会で防衛線を布きながら負傷者や住民を守る班へと分かれた。
そして、討って出る。
マナウスとシェリル。そしてレイ、マックス、リースフィアの部隊は自警団のグループとなった。
今頃エルは自警団の怪我人達の手当てをしているだろう。
「本当なら、オーガだけでも食べ物でおびき寄せたかったのですが‥‥」
リースフィアは悔しそうな顔をして剣を握り締めている。
出発まで何軒もの薬師の下を回り、オーガにも効く下剤を探して回ったのだが、入手することはできなかった。
下剤入りの食べ物で、オーガをおびき寄せて‥‥という作戦は根幹から崩壊してしまった。
あとは、素直に各個撃破しかないだろうか。
不安そうな自警団の若い兵士の手を取りシェリルは優しく微笑む。
「街を守るお手伝いをさせて下さい。自分にできることを人がしっかりと行って最善を尽くせば、そう悪い方向に陥る事は無いですからね」
「‥‥ありがとうございます」
「シェリル!」
前で養父が自分を呼ぶ。タタと駆けつけた彼女にマナウスはそっと道の先、曲がり角の向こうを指差した。
「今、あそこで人影が見えたんだ。こちらを察して身を隠した感じだな。‥‥解るか?」
「はい!」
シェリルは目を閉じ、そして開いた。
「呼吸の気配はオーガではありません。アンデッドか、デビルでは無いか、と」
「デビル‥‥アイオーン!」
一緒に来た馬などは自警団に預けてきた。だが、ペガサスだけは連れて来たリースフィアが首を叩いて問う。
返事は、羽ばたき。
「デビルのようですね。この匂いに、おびき寄せられるでしょうか‥‥」
酒の小樽を開いて、リースフィアは前に投げる。地面に零れ落ちる酒の甘ったるい匂い。
「来た!」
レイの言葉に冒険者達は前を見る。酒に酔うような顔で近づいてきたのは‥‥数匹の小柄な悪魔達。インプやグレムリン。
「兵士殿。我輩たちの背中を任せるのである。頼むのである」
自らを奮い立たせる魔法をかけて、後ろに声をかけて、マックスは前に進み出る。
目の前には美しい少女。前方には自分達の街を守ってくれる冒険者。
その信頼に答えようと、兵士たちも心を奮い立たせている。魔法では無い力で。
「突出はし過ぎるな。仲間を信じて戦うんだ。‥‥我らに加護を、我らに加持を。其れは死者の魂に永遠の安らぎを与えんが為!」
マナウスの祈りに答えるようにタリスマンが光を帯びる。
その光が合図となり、街角での戦端は開いたのだった。
○教会での戦い
この状況が信じられない。
冒険者達は息を殺し、様子を見つめていた。
自警団の詰め所から仲間達と別れてすぐ、冒険者達はこの教会にやってきた。
教会はエリンティアが知るシャフツベリーのものに比べれば格段に小さいが、それでも街の人々の礼拝などが行われる場。
荘厳で美しい建物で、かなりの広さを持っていた。扉もかなり頑丈そうでまだ破られてもいない。
『ベルさんは、そこで怪我人や女子供の世話をしています。アゼラさんや教会の他の人もいるし、護衛もいるので少しは安全だと思うのですが‥‥』
心配しながら言ったヴェルの言葉に間違いは無さそうだ。
一緒に行く、共に戦う、手伝わせて欲しいともヴェルは言ったが、それをギリアムは首を横に振って止めた。
「いいか? 俺達みたいに前に出るだけが仕事じゃないはずだ。いずれ上に立つ人間として、何をすべきか良く考えるんだ。お前にはその義務がある」
共に前線に出ても多分、役には立たない。ヴェルにはそれが何より解っていた。
ならば、自分がすべき事は戦う事ではない。冒険者が運んで来てくれた救援物資の分配、配布。避難民の把握に伯爵の指揮の補佐。
「解りました。ベルを‥‥よろしくお願いします」
ギリアムは黙って彼の頭を撫でて、他の仲間達と共に教会に向かって走って行った。
何度と無く通った街だ。なんとなく道は覚えている。
途中、アンデッド数体を絶狼と共に袈裟懸けにした剣を一時鞘に戻して、扉を叩く。
「誰だ!」
護衛だろうか? 誰何の声に。
「ギリアム・バルセイド。冒険者だ。他に藤宮深雪、エリンティア・フューゲル、閃我絶狼。不安なら、ベルに確かめてくれ。中にいるのだろう?」
「ギリアムさん!」
待つ必要は無かった。扉越しでさえ聞こえる歓喜を孕んだ声。何かを促し、頼む声。
そして開かれた扉から、冒険者達は中へとなんとか滑り込んだ。
「皆さん」
銀の髪の少女が、安堵の笑顔で手を広げる。
少しやつれたように見えるが、その姿は以前と変わらぬ輝かしい光を内側から放っている。
「ベル」
「ご無事で良かった。助けに来てくださってありがとうございます‥‥」
微かにベルの目元から流れ落ちた雫をギリアムは手でそっと拭う。
(「あいつが見ていたら怒るかもしれないな」)
などと思いながら、少女の頬にそっと手を当て、笑いかけて。
「よし、無事だな。ここからは俺達が守りに加わる。お前と、ここにいる者達は俺達が必ず守ってやるからな
「ギリアムさん‥‥」
「おっと、ご迷惑を、なんて気にするなよ。ベルになにかあったらアイツに怒られちまう。それに二人の仲を見守る立場としては、お前さんが無事でないと困るしな」
おどけた様に言うギリアムに、クスとベルは微笑んだ。
「ベルさん、お久しぶりです。私も応急手当は少しくらいなら出来るので、怪我人の手当てとかを手伝いますね。どのくらいらっしゃいますか?」
深雪が優しく語りかけると後方から出てきた黒髪のシスターが、こちらへ、と促した。
「アゼラさん。お願いしますね。深雪さんに教えて差し上げてください」
解りました、とアゼラは深雪と奥の祭壇付近にいるという怪我人のほうに向かった。
中には沢山の人がいる。奥に行くほどに、その数は増える。
殆どが怪我人だ。女や小さな子供もいる。
そして護衛と、教会関連であろうクレリック達。
「クレリックの方々はどの程度の魔法を習得されておられますか? いえ、この教会の守りについてどうしたらいいか考えていたものですから‥‥」
「ちょっと、気になる事もあったんですよぉ〜。ベルさんやアゼラさんが危ない目に合わない様に‥‥って、どうしたんですかぁ〜? 絶狼さん〜? 顔色が悪いですよぉ〜」
「どうしたんだ? 本当に。具合でも悪いのか?」
仲間達が心配するほどに、絶狼の顔は青ざめていた。自分でも、それは自覚している。
だが、どうしようもなかった。自分自身でもこの状況が信じられない。冷や汗が止まらない。
「絶っ太‥‥。動くなよ。俺が言うまで、絶対に‥‥動くな」
ギリアムにも言えない。この状況下で下手したら大惨事になる。
右手の指を左手で隠しながら絶狼は礼拝堂の中を見回した。
右から、左。左から‥‥右。視線を動かすその中で、絶狼は一人の少女に抱かれる一匹の猫を見つけた。
心臓が高鳴る。指の下で蝶が踊る。
(「あれか!」)
ゆっくりと、少女に近づきそっと手を差し伸べる。
「その猫は‥‥君の猫?」
「ん? ううん? 避難するときにね、一緒に来たの。どうか‥‥した?」
「‥‥なら、その猫。少し、お兄さんに貸してくれるかな?」
「えっ?」
刹那!
「ギリアム! 前だ。絶っ太! 行け!」
「何!?」
差し伸べた手で、無理やり猫の腕を掴むと、全力で絶狼はその猫を自分達が入ってきた、礼拝堂の扉に向けて投げつけた。
「キャアア!」
少女の悲鳴にも似た声がする。だが、次の瞬間に上がったのは本当の悲鳴だった。
ギャウン!
爪に弾かれ、床に叩きつけられる狼。慌て惑うように奥へと走る女子供。
扉を背にした黒猫から立ち上る、邪悪なまでに黒い気配。
こと、ここに至り絶狼以外の冒険者も気付く。彼の表情の意味に。
ギリアムはベルを背中に隠してそれを睨みつけ、深雪とエリンティアも人々を背後に庇い、ただ声も無く見つめていた。
引き裂かれたのだろう。腕から血を流しながら絶狼は目の前の存在を睨みつける。
この状況が信じられない。
冒険者達は息を殺し、様子を見つめていた。
絶狼にとってはなおのことだ。目の前に立つのはあの時、キャメロット出会った黒い豹。
まさか、すでに、教会にデビルが潜んでいたなどとは‥‥。
「お前‥‥一体どうするつもりで、ここにいたんだ? モンスター共が街の中で暴れていたのは、一体、なんなんだ!」
絶狼は、渇いた喉で声を振り絞る。デビルから目を離さず。
キキ、ともケケともつかない笑い声を湛えると、そのデビルは人の声で、あざ笑うように言う。
『‥‥見つけた。ご主人様の求める蒼い瞳の聖女。‥‥我らの花嫁。‥‥見つけた。確かめたぞ。この目で!』
「なんだと!」
ギリアムは自分の背にいる少女、彼女が触れた自分の肩が熱くなるような感覚を感じていた。
(「間違い‥‥ない!」)
デビルの黒い瞳は間違いなくベルを見つめている。
『まさか、我らが求める聖女が、こんな近くにいたとは‥‥。かつてご主人様が語って下さった封印の聖女に勝るとも劣らぬ美しさ。きっとこの花嫁なら、ご主人様も満足して下さるであろう』
「何を考えている! 言え!」
剣を掲げ絶狼は、スマッシュをデビルに向かって打ち込む。
だが、その黒豹のデビルはその背に蝙蝠の翼を広げ、教会の天井付近へ飛び上がったのだ。
剣の射程はもう超えている。魔法でさえ、届くだろうか?
歯軋りする絶狼。唇を噛むギリアム。
彼らの背後、呪文が完成する音が聞こえた。
「ベルさん! こちらへ!」
ギリアムがベルを奥へ突き飛ばしたと同時。
「ホーリーフィールド!」
白い光が深雪から生まれる。目に見えない聖なる結界がベルと、深雪が背後に庇う者達を包み込んだ。
ゴウン!
デビルの手から黒い力が放たれるが微かに結界をたわませるだけで、遮断される。
「お前らの狙いはベルか!」
剣は届かない。叩きつけられるのは言葉だけ。だが、その言葉はデビルには何のダメージを与えてはいないようだった。
「おしゃべりはそこまでですぅ〜。サイレンス!」
エリンティアがずっと用意していた魔法を放つ。
だが、それをブンと肩と身体を回して砕くと、デビルは見下すように笑って言った。
『銀の髪の聖女よ。その美しき瞳に祝福を。大いなる主との婚姻が整うまでその瞳、開く事無かれ!』
「キャアア!」
背後でアゼラの甲高い悲鳴が聞こえる。それに冒険者が気を取られた瞬間、音が聞こえた。
バン!
『ケケケケヶ!』
「逃げるか!」
「深雪! 絶っ太、頼む!」
ギリアムと、絶狼は、外へと駆け出していった。
教会の天井側。明り取りの窓を砕き、外へ飛び出して行ったデビルの姿はもう見えない。
「‥‥聖女? 黒の‥‥花嫁? 私が‥‥どういう事?」
膝を付いたままベルは天井を見上げる。
それを、深雪もエリンティアも、人々も、その場に居合わせたものたちは何も言えず、見つめていた‥‥。
○果たされた依頼。果たされなかった約束。
「よっ! っと。ここの近辺の退治が終われば、とりあえず目撃、出現報告のあった場所のモンスターは全部殲滅できたかな?」
前と後ろから挟み撃ちを喰らいそうになったマナウスは、槍を高飛びのように上手に使って攻撃を凌ぎ、逆に敵の後ろに回りこんでその首を槍で刺し貫いた。
彼の死角を補うように戦っていたレイは頷いて、周囲を確認する。
「確かに、これで終わりのはずだが‥‥まだ気は抜かないほうがいい」
「‥‥そうだな。向こうのリースフィアやマックスと合流して戻ろう」
「はい」
頷いてシェリルはマナウスの後ろをとっとことついていく。
道のあちこちで、モンスターの死体を片付ける人。家の壊れたところを直そうとしている人などが見える。
人の気配が街に戻ってきたのは喜ばしい事だと思う。
「やっほー。みんな、そっちの様子はどう?」
「こちらももうモンスターの気配はありませんでした。ほぼ殲滅と思って大丈夫だと思います」
「‥‥ほぼ、ではあるがな。あやつは‥‥見つからなかった」
‥‥冒険者の、言葉と足が止まった。
あれから数日。冒険者達は教会の護衛と、周囲の探索を交互に、交替に行いながら街のモンスターたちの殲滅にあたっていた。
不思議な事にあれ以降、新たなモンスターが街を訪れる事はなかった。
故に、冒険者達の主な仕事は以降、街に居座るモンスターの殲滅となる。
冒険者達は順調に依頼をこなし街の復興活動にも力を貸している。
品物の流通が始まるようになり、街も活気を取り戻しつつあった。
領主の館に戻る。
冒険者が帰る前に礼をしたい、と伯爵が招待してくれたのに応じたからだ。
キャラバンから届いたという品物で、冒険者が用意した救援物資は補充され冒険者に返却された。
報酬も受け取った。
とりあえず、依頼は完遂したと言えるだろう。
だが‥‥
「お帰り」「お疲れさん」「ご苦労様ですぅ〜」
出迎えてくれた仲間が、一人足りないのに気付き、リースフィアは問う。
「深雪さんは、まだ書庫ですか?」
「ええ、気になる事があると言ってます〜。あのデビルが言っていたことに少し心当たりがあるのだそうですよぉ〜」
冒険者達の心には、まだ不安の火種はしっかりと残っていた。
あのデビル。
冒険者達が教会で出会ったあのグリマルキンが今回の騒動の原因であることは明らかだった。
「やっぱり、今回の件は陽動だったんだ。街中を巻き込んで、オークニーの残党を捨て駒にした大きすぎる陽動の目的は‥‥」
「ベル‥‥だな」
奴は、おそらく街の混乱の最中、ベルに近づき『花嫁』となりうる聖女かどうかを確かめていたのだろう。
普段、館や教会に篭りがちの領主の娘。
だが戦地であれば、彼女の警戒も緩まざるを得ず、接近が容易になる。
力の発動も確かめられる。
そして、それを確かめた。
きっと、あのデビルは確信したに違いない。ベルこそが彼らの求める『花嫁』候補である、と。
もし、冒険者が来なかったらそのまま誘拐、『花嫁』にさせられる。なんて展開もあったかもしれない。
「ご主人様、と言っていたのであるな? そのデビルは? 聖女をご主人様の為に『花嫁』に‥‥と」
「ああ。だが、それ以上のことは解らない。深雪が調べているが‥‥見つかるかな?」
「見つかっても、見つからなくても、ベルをデビルの花嫁に、なんてさせない。絶対だ! 俺は約束した。あいつを守ると‥‥」
手のひらが赤くなり、爪が皮膚を破ろうとする。それほど強く握り締めていてもギリアムは身体の痛みなど感じてはいなかった。
今回の件、依頼は果たせても約束は守れていていない。
もし、絶狼がデビルに気がつかなかったら。そう思うと背筋が凍りつく。
足元で静かに伏せる狼の頭を撫でながら絶狼は、小さく、小さく呟いた。
「これで、終わりになんかならない。心配なのは、俺達がここから去ってからだ。ベルに何もないといいんだがな‥‥」
伯爵に今回の件は報告した。騎士団の到着を待ってシャフツベリーに潜む悪魔の調査を始めるという。
ベルは‥‥、本来ならば人々の為に働く事を何よりも望むあの子は、今、領主の館にいる。
外出を禁じられて、半ば軟禁状態。
でも、それは仕方ない事だと、今は冒険者達でさえ思う。
「あいつは、ベルに呪いの言葉を吐きやがった。あれがハッタリか。それとも‥‥」
冒険者達は無言。
だが、その胸には一つの思いがあった。
きっと、また直ぐに来る事になる。
ここシャフツベリーに。
その時こそ、必ず‥‥と。
それは予感ではなく、確信。未来予知にも似た強い、確信と願いだった。
書物の山に埋もれながら、深雪は思う。
(「思い出しますわ。先に古老が語って下さったあの伝説。聖者に封印された闇の伝承‥‥まさか」)
深雪が思い出した心当たりは一つではない。
もう一年以上前になるが、同じウィルトシャーのエーヴベリーで出会ったある事件。
あの時、邪悪を封印した一族の血が、開封の鍵として狙われた。
「噂ではソールズベリにも同じような仕様の封印が遺跡に施されていたと聞きますし、もしかしたらここでも、同じ理由で聖者の末裔が‥‥」
確証はない。
書庫を漁ってもそれに繋がるような文書は出てはこなかった。
詳しく調べるには時間が足りない。
だから、この考えは、まだ仲間にも言えず、ましてベルや伯爵達にはとても言えない。
「そろそろ、戻らないといけませんね。‥‥っと、わああっ!」
積み重ねていた書物が雪崩を起こす。慌てて手を伸ばすが間に合わない。
いくつかの本が下に落ちた。
「わあ。どうしましょう。壊れたり、破けたりしていませんよね‥‥っと、あら?」
書物の中から、落ちた一枚の羊皮紙を深雪はなんの気なしに拾い上げた。
『お兄様。
私はあの人と行きます。
教会の後継は、どうかあの子にお願いします。
伝説の聖女のように、この愛に殉じても私に後悔はありません。
白と蒼の祝福がお兄様の上に、いつもありますように。
いつか、お兄様が私の思いを理解してくださいますように。 キャロル』
「これは、伯爵の大事な手紙、でしょうか?」
見てはいけないものを見た気がして、深雪はそれを素早く書物の間に挟んで書庫を出た。
この手紙が持つ意味を、今は知ることも無く。