【黒の花嫁】闇の誘惑
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■シリーズシナリオ
担当:夢村円
対応レベル:13〜19lv
難易度:難しい
成功報酬:7 G 8 C
参加人数:12人
サポート参加人数:4人
冒険期間:11月09日〜11月19日
リプレイ公開日:2006年11月17日
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●オープニング
西ウィルトシャー シャフツベリー
この街には自慢できる宝が5つあると人々は言う。
豊かな台地、実りの森、見事な腕の彫金師、黄金でも作れぬ美しき丘。
そして心優しき領主一族の蒼き瞳‥‥。
手の下にはキラキラと夕日を弾いて輝く、銀の乙女の欠片。
それを捧げ、黒い猫は頭を下げる。何かに呼びかけるように。
『花嫁を見つけました。ご主人様。いつか語ってくださった聖女に、きっと勝るとも劣らぬ美しい娘。ご満足頂けるかと‥‥』
大地が微かに揺れる。嬉しそうに微笑むかのように‥‥。
『花嫁を、最高の舞台にてお届けいたします。どうか、いま少しお待ち下さい‥‥』
嬉しそうに言って、デビルは振り向く。
『‥‥出番だ。しっかりと働くがいい。願いを叶える為に‥‥な』
そうして頷いた影は静かに闇に消えた。
「あの猫が‥‥デビルだったなんて‥‥」
ベルは部屋の中で、自らの手を見つめながら呟いた。
忙しさの中でそんなことを考えている間さえ、無かったが小さな生き物がいるというのは、実は心和むものだったのだ。
まあ、時折髪にじゃれつかれたり、手を引っかかれたりしたがそれさえも、可愛いと感じていたのに。
「デビルは、人の心のほんの隙間に忍び込んでくるのね‥‥」
美しい部屋。ハイセンスで豪華な調度品に囲まれた『我が家』は、正直今もって落ち着かない。
‥‥村は、今頃紅葉に包まれているだろうか。
目を閉じれば思い出すあの光景‥‥。だが、瞳は彼女に懐かしい故郷を見せてはくれなかった。
「逃げてはいけない、ってことかしら‥‥えっ?」
瞼を開けた筈の自分に、ベルは驚愕する。
手を目元に当てる。確かに瞼は開いている。なのに、何故‥‥
「見えない! どうして何も見えないの!! 誰か! 誰か助けて!!」
彼女の悲鳴に、まず使用人が、ヴェルが家族が駆けつけてくる。
状況を知るや否や、医師が呼ばれ、教会の者達も呼ばれた。
そして‥‥早馬が走る。
キャメロットに向かって。
冒険者達は依頼を思い出しながらギルドのテーブルで考える。
「『銀の髪の聖女よ。その美しき瞳に祝福を。
大いなる主との婚姻が整うまでその瞳、開く事無かれ』‥‥か? あの呪いの意味は‥‥なんだったんだ?」
「シャフツベリーの領主の一族は、蒼い瞳の者が多いと聞いたことはあるな。聖者の血筋は蒼眼だとか‥‥」
「少し、独特な蒼ですよね。深みのあるとても綺麗な蒼‥‥」
そんな会話を楽しむ冒険者達の空気を
「た、大変です。ベル様が!」
駆け込んできた使いの者は一瞬で、緊迫したモノへと変えた。
「ベルがどうしたんだ?」
「ベル様の目が‥‥見えなくなったのです。おそらくは‥‥デビルの呪いで‥‥」
「なんだと!!」
椅子を蹴って立ち上がった冒険者達に、使者は語る。
冒険者達が街を出て数日後、ベルは突然部屋の中で悲鳴を上げた。
突然何も見えなくなったと怯える彼女を勿論、ディナス伯は医者に見せたが、原因は不明。
教会からアゼラや司祭達もやってきて、調査が行われ‥‥彼女が、デビルに呪われているのであろうと結論づけられたのだという。
「一時的に視力を回復させることは、リムーブカースの魔法で可能らしいのですが、また直ぐに同じように目が見えなくなる。その繰り返しにベル様の消耗が激しいので、今は解呪もままならないのだとか‥‥」
冒険者達には心当たりがあった。
『銀の髪の聖女よ。その美しき瞳に祝福を。
大いなる主との婚姻が整うまでその瞳、開く事無かれ』
「でもあの呪いにはデスハートンの白い玉が、必要なのでは?」
「その点は私には解りかねます。ですが‥‥ベル様が呪いに侵されているのは事実なのです」
ベルは領主の館の中で守られている。
今のところは、まだ‥‥。
「できうる限りの警護をベル様に回していますが、そうすると呪いをかけているデビルを捜索し、倒す手が足りないのです。‥‥先の襲撃で自警団にも少なくない被害が出ていて、派遣されてきた騎士団を足してもなお街全てをカバーするには‥‥。ですからどうか、冒険者の皆様。シャフツベリーにおいで下さい。そして、ベル様をお助け下さい」
使者は報酬と依頼を置いて、大至急またシャフツベリーに戻る。
この報酬の量、少し節約すれば、もう一人か二人、仲間を増やす事が可能だろうか‥‥。
今回は調査が主となる。しかもシャフツベリーはキャメロットほどではないとはいえ、かなり大きな街だ。
その街から当然隠れ潜んでいるであろうデビルを、探さなければならない。
「それに‥‥」
冒険者達は感じる。デビルを見つけて倒せない限り、ベルの呪いは解かれないだろう。
しかも、呪いはあくまで彼らの目的の第一歩にすぎない筈だ。彼らの目的は
「‥‥花嫁‥‥」
おそらく探さなければならないもの、調べなければならないものは、デビルだけではない。
たとえ、回り道になったとしても‥‥。
胸に走る嫌な予感を蹴り飛ばして、冒険者達は依頼に手を伸ばした。
‥‥夜毎、ベルは見えない眼に幻を見る。
美しい人物、見たことも無いほど輝かしい男性が暗闇の中に立っている。
自分に向かって手を差し伸べてくる。
見れば、自分の服装は純白のドレス。美しいヴェールを纏い花嫁のごとくだ。
差し伸べられる白い手。
‥‥ベルの心はそれを拒もうと思う。
だが、身体はまるで操られるように彼に引き寄せられていく。
彼が、ベルの肩に触れる。触れられた場所からドレスが漆黒へと染まっていく。
同時に心さえも‥‥。
「イヤぁーーー!」
声と共に起き上がる彼女は、自らを抱きしめて泣き崩れた。
誰か、この無限の悪夢を止めて、と。
自らの心が堕ちる前に‥‥。
●リプレイ本文
○絡み合う糸
「‥‥この手紙をベルに渡して下さい。お願いします」
帽子を脱ぎ、手紙と共に差し出す青年の表情は暗く沈んでいた。
「解りました。必ずお届けします」
「‥‥任せておけ。お前の気持ちは間違いなく伝える」
レイン・シルフィスが差し出した羽根帽子はリースフィア・エルスリード(eb2745)に手紙はギリアム・バルセイド(ea3245)にしっかりと握られた。
頭を下げる彼を軽く一瞥して
「行きましょう。少しでも早く着いたほうがいいでしょうから」
箒を握り締めたシエラ・クライン(ea0071)はエル・サーディミスト(ea1743)とリースフィアを促す。
「了解。この子よろしくね。クロックさん。皆についていくんだよ、いいこにしててね。ヴィヴァーチェ」
戦闘馬の手綱を渡されたクロック・ランベリー(eb3776)は頷いた。
「確かにお預かりする。俺にも馬はいるが、戦闘馬の方が早いだろう」
「俺達も直ぐに後を追うから。向こうを頼むぞ」
二本の箒と、白き天馬に跨って彼女らは空に舞い上がった。
「向こうで待ってるからね〜」
エルの落としていった言葉を、残された冒険者たちも拾い上げ、握り締める。
「とにかく急ごう。行くぞ。シェリル」
「はい。お義父さま」
マナウス・ドラッケン(ea0021)は愛シェリル・シンクレア(ea7263)娘を馬の上に引き上げると、手綱を強く打ち付ける。
軽い音が合図となり、馬も人駆け出していく。
それをレインもメグレズ・ファウンテンも祈るような思いで見送っていた。
夜。
前回野営した場所とほぼ同じ場所で、冒険者達は炎を囲んだ。
今回はあの時ほど切羽詰っているというわけでは無い。
冒険者の到着が遅れれば街が滅びるかもなどというタイムアタックが課せられているわけでもない。
だが、気持ちは急いていた。ある意味あの時以上に。
「‥‥ハッタリかなにかかと思ったのに。くそっ。あんの野郎こんな所にまで‥‥」
悔しげに閃我絶狼(ea3991)は唇を噛んだ。足元に擦り寄る狼が心配そうに主を見る。
「呪いが、ダイレクトに目に来たようだな。一体どうしたらいいんだろうな」
レイ・ファラン(ea5225)の口調も明るいものでは勿論無い。
「焦りは禁物です。‥‥どうせ秋の夜は長いのです。もう一度、今の状況を確認してみませんか?」
宥めるように優しく、シェリルは微笑む。
確かに事態は複雑で、どうしようもないほど先が見えない。だが
「そうですねぇ〜。新しく入って下さった方の為にも少しぃ〜整理をしておいてもいいかもしれませんねぇ〜。特に深雪さん〜。この間の書物と手紙の事をもう一度詳しく話して頂けますか〜」
エリンティア・フューゲル(ea3868)の促しに藤宮深雪(ea2065)は静かに前に進み出た。
「解りました。よく解らない点があったらお許しくださいね。私、先だってのシャフツベリーの襲撃の後、ご領主様に頼んで書庫を調べさせて頂きましたの。伝承そのものに目新しい何かが見つかったわけではないのですが、少し気になる手紙を見つけたのです」
一度見ただけだったが、内容はよく覚えている。思いの篭った言葉だったから。
一言一句。静かに丁寧に仲間に伝える。
‥‥お兄様。
私はあの人と行きます。
教会の後継は、どうかあの子にお願いします。
伝説の聖女のように、この愛に殉じても私に後悔はありません。
白と蒼の祝福がお兄様の上に、いつもありますように。
いつか、お兄様が私の思いを理解して下さいますように。 キャロル‥‥‥‥
「キャロルさんは確かディナス伯の妹さんでパーシさんの奥さんでしたよねぇ?」
「ああ。確かアン‥‥じゃなくてヴィアンカの母親、の筈‥‥だな?」
ええ、確か。と仲間達に深雪は答える。それを見たときには大した意味があるとは思えなかったが、今、思うと何かがひっかかる。
「ここ暫く後手に回ってるからな。何故デビルがあの一族に拘るのかも解らないし‥‥。グリマルキン、だったよな。あの種はデビル魔法を使えるのか? あいつ‥‥、どうも他のやつとは違うように思えるんだが‥‥」
「あいつの目的はベルを『花嫁』にすること。それは解っている。そして蒼い瞳めがけて呪いをかけた。あの瞳に何か意味があるのか?」
仲間達の話に何かを思い出そうとしていた絶狼は、突然
「‥‥あああああ!」
大声を上げた。
「何か引っかかっていると思っていたんだ。‥‥そうだ、リゼットだ、デスハートンで魂の一部を奪われたあの子も一日だけだが視力を失っていた! キャメロットであいつらは蒼い瞳の娘を狙い、その中で候補と思われる娘に何か魔法をかけたんだ! 瞳を縛り、視力を奪う事に何か意味があるのかもしれないぞ」
「あの時の依頼で教会関係者を襲っては何かを捜すデビルが居たがついに奴等が本命を見付けたって事か?」
レイと絶狼は思い出し声を上げる。
首を傾げるもの、噂には聞いているが当事者ではなかった者達に二人は説明する。
少し前、キャメロットで起きた事件。
蒼い瞳の少女を襲っていたデビルは、候補と思しき人物の魂をデスハートンで奪い、瞳を奪う呪いをかけた。
「まさか‥‥瞳を奪う。それが『花嫁』の印か? しかもデスハートン‥‥ということはベルも魂を奪われているということになるぞ」
冒険者達の間に夜風よりも冷たいものが走る。
事態がもう、それほどまでに悪化しているのだとしたら‥‥。
「嫌な事しか思い浮かばないが‥‥大前提としての謎がある。それを突き止めないとまた相手に先手を取られてしまう」
「デビルの目的が何か‥‥ですね。お義父様。その調査は私が受け持たせて頂いてもいいでしょうか? 今回はベルさんの目を治す事も大事ですが、ベルさんの警護は縁深い方に、調査はシャフツベリーに詳しい方にお願いした方が良いように思いますので」
マナウスにシェリルは微笑んで告げる。
「それならぁ〜。僕もご一緒させて下さい〜。文献調査とかは結構得意ですよぉ〜」
ニッコリとエリンティアは、だが真っ直ぐな眼差しで告げる。
どちらも語学に長けている。確かに文献調査にはうってつけだろう。
「解った。なら俺は街の人々、特に古老などに失われた伝説などについて聞いてみる。‥‥警護やデビル捜索の方に、あまり力になれないかもしれないがいいか? 無論終わったら入るが」
「了解だ。ベルは守る。だが‥‥ことは、それだけでは済みそうにないからな」
役割分担を決め、冒険者達は身体を休める事にした。
空は曇天。星も見えない。だが、雲間から微かに月光が覗く。
「グリマルキン、キャメロットの事件‥‥そういえば‥‥」
今まで沈黙していたマックス・アームストロング(ea6970)は、ふと思い出して炎の前に戻った。
羊皮紙にペンを走らせる。一人の肖像を記憶から写し取る為に。
「あの時、デビルと行動していた奴も関係してるであるか‥‥?」
炎が羊皮紙に浮かんだ反面が爛れた男の顔を静かに浮かび上がらせていた。
○聖者の蒼
ギリアムは、ギリと知らず歯を噛み締めていた。
「みなさん。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
自分達の訪れを知り、出迎えてくれた娘。彼女の事は良く知っているつもりだった。
最初に出会った時からずっと。村で、暮らしていた時のあの瞳の輝きには彼ならずとも魅了されたものだ。
だが、今、その瞳は色ガラスのように虚ろで光を映していない。
そして、彼女自身も気付いていないだろう。
細くなった頬、心なしか薄くなった髪の銀。
側に付いていたシエラが微かに目を伏せた。
まだ話を詳しく聞いたわけではないが夜毎、魘されているという彼女がどれほど苦しんでいるか見ているだけで解る。
だが、それでも彼女は笑うのだ。冒険者を気遣い、心配をかけないように‥‥と。
「無理しなくてもいいんだぞ? 無理して、笑わなくてもいい‥‥あいつなら、きっとそう言うだろう?」
ギリアムは静かに近づいた。そして、膝の上にあるものに気付き、腰掛けるベルの肩にそっと自分の手を乗せる。
ベルの手に羊皮紙を握らせて。
「これは?」
「あいつからの手紙だ。いいか? 読むからよく聞いてくれ。‥‥『ベル、貴女に大変なことが起こっている事を知り心配です』」
「!」
別に声色を変えているわけではない。だが、ベルにはその言葉が誰のものか直ぐに解った。
「『ベル‥‥君を愛してるこの気持ちが少しでも貴女に勇気を与えてくれることを信じ、仲間に託します。僕もついています‥‥負けないで!』依頼と言う形式である以上、選に漏れたアイツは来れない。だがアイツの想いは確かに届けたぞ」
ベルは胸の中に羽根帽子と手紙を抱きしめて。下を向いた。帽子を渡してくれた時のリースフィアの言葉を心の中で思い出しながら。
「お行儀の悪い使い方ですけど、少しでも心安らぎますよう‥‥。イリュージョン」
シエラはスクロールを広げ、呪文を唱える。
やがて‥‥ベルの目の前には彼女にしか見えない光景が広がり、光と共に溢れ出る。
「これは‥‥」
懐かしい故郷の村。もう一人の父。家族のように暮らしてきた村人達。
そして、心から信頼する冒険者と、愛する人の面影が‥‥。
『悪魔がたくさんいますが、今は天使がいます、私達もいます‥‥大丈夫ですよ』
『もう、誰も傷つけさせませんから』
『ベル‥‥愛しています‥‥』
止め処なく流れる少女の涙を大きな指でそっと拭ってギリアムは場所を変えベルの前に膝を折った。
自分の顔が見えないであろうことは承知の上だ。
「ベル。俺は絶対に、なんて安請け合いはしねぇ。俺が約束出来るのは”全力で守る”、それだけだ」
だが、その約束だけは守ってみせる。そう言って強く握る。ベルの手と手紙を誓いをかけるように。
「いいか? 諦めるな。諦めない限り光はある筈だ。俺達が支えになる。お前は、それをちゃんと知っている筈だ」
銀の髪が揺れて、顔が上がる。
「はい」
ベルの答えは微笑みとそれだけ。
だが、何も映していない筈の瞳に彼らは聖なる蒼い輝きを見た気がした。
書庫は、普段あまり人が使っていないのだろう。
掃除はされているようだが、それでも埃があちらこちらに綿を作っている。
時々咳払いをしながらエリンティアとシェリルは羊皮紙の山、本の山と格闘していた。
「どうですかぁ〜。そっちは? シェリルさん〜」
「けほっ。あんまりめぼしい情報は無いみたいです。そっちもですか〜」
「はい、こっちもですぅ〜」
やれやれと、肩を落としながらエリンティアは手にしていた本を横に置いた。
「ここに手がかりはなしですねぇ〜。次は教会に行ってみましょうかぁ〜」
シェリルを促して外に出たエリンティアは、
「あの? どこに行くんですか? エリンティアさん?」
ふと思い出した、というようにふらふらとディナス伯の執務室に寄って扉を叩いた。ノックの返事も待たずに入室してきた冒険者に、ディナス伯は顔を顰めたが口に出して、文句を言いはしなかった。
「何のようだ? 調査とやらは終わったのか?」
「はい〜。目ぼしい情報が無かったのでぇ〜、今度は教会の方にお邪魔してみようと思いますぅ〜。すみませんが、紹介状を書いては頂けませんかぁ〜」
エリンティアは気の抜けるような話し方と笑顔で言う。伯爵だろうと侯爵だろうと彼の態度は変わらない。
それに最初は怒りかけた伯爵であったが、今では表向きだけでも話を聞き、要求に応じてくれる。
(「ありがとうです〜。ライル様ぁ〜」)
セイラム候の信頼の証は、ウィルトシャーではなかなかに効果絶大のようである。だからと言ってひけらかすつもりはこれっぽっちもないエリンティアに
「あまり、あてにしないことだ」
表情を隠した顔でディナス伯は書いた書簡を差し出した。
「はい〜。勿論ですよぉ〜。ライル様の力を当てになんて普通はしませ‥‥」
「そうではない。あの女司祭のことだ」
「はい?」
エリンティアは少し、首を捻って伯爵の言うのが教会を預かる女司祭アゼラのことであると気付いてポンと手を叩いた。
「ああ、アゼラさんの事ですかぁ〜。でも、彼女がなにかぁ〜」
「あの女‥‥。いや、なんでもない。とにかくあの女には気を許さない事だ。一筋縄ではいかぬ女だからな?」
「? どういうことです? 伯爵?」
「隠し事があるとぉ〜、事態解決が困難になるとぉ〜、以前言ったと思うのですがぁ〜」
だが、冒険者が聞けたのは本当にそこまでだった。
半ば強制退室を促された形になったエリンティアはシェリルにわざとらしく肩を上げて見せた。
「やっと、眠ったようだな」
ベルの無防備な寝息を確認して、ギリアムはベッドサイドの椅子からそっと身体を起こした。
冒険者達が来て、少し安心したのだろう。エルの茶を飲んで暫くの後、彼女はそっと目を閉じ、身体を休めたのだ。
「昨日も、よく眠れなかったようなのです。目を閉じて暫くして、悲鳴と共に起きて、何かに帯びるように顔を伏せていて‥‥、あれはひょっとしたら呪いとは別のものなのかもしれません」
シエラも気遣うようにベルの顔を覗き込んだ。
「デビルの反応は無かったんだな?」
「はい、エルさんと一緒に確かめましたから。自警団の方たちには他のご家族の方の警護もお願いしていますので、完全とは言えないかも知れませんが怪しい人物らしい人はいなかったように思います。お客も、彼女を慰める為の吟遊詩人が一人くらいで‥‥」
シエラは冷静に答える。安堵の息を吐き出し、女性の寝室から出ようとギリアムが立ち上がった時だ。
「ギリアムさん!」
悲鳴にも似た声で彼は呼び止められた。
慌ててギリアムはベルをもう一度見る。
見れば解る。悲鳴の理由。突然、目の前でベルが苦しみだしたのだ。目を虚ろに開き、恐怖に怯えるように悲鳴をあげて。
「イヤ! 近寄らないで! 来ないで!」
「しっかりしろ! ベル! ベル!」
ギリアムはベルを抱き起こして肩を振る。同時に振り返ってシエラに問うた。
「石の蝶に反応は?」
「ありません! でも、この様子は‥‥まさか?」
「そうかもしれない。深雪を呼んできてくれ。早く!」
「はい!」
部屋を飛び出していくシエラ。その背中を見送ったギリアムはベルの肩を振る手を一時止めて、窓を開けた。
「聞こえてくれよ‥‥」
そして大きく息を吸い込み、夜の街に向けて大きな声で怒鳴った。
「敵だ!」
と。
○月の男
青年達が見送りに外に出てくる。口々にありがとう。また来て下さいね。などと口にしながら。
「じゃあね。こっちこそありがと! お大事に〜」
手を振りながら建物を後にしたエルは
「やっほー。そっちの方はど〜お?」
路地に向けてしゃがみこむマックスの背中を見つけ、ぴょん! と甘えるように抱きついた。
「わっ! エル殿。ネコが、ネコが逃げるである!」
「猫? わっ、ホントだ。可愛いねえ〜」
エルは顔を綻ばせた。マックスの前にはどこから集まってきたか猫の群れ。
「‥‥ふむ。解った。ありがとうである。ああ、無論それらは持っていって欲しいである。我が輩からの心ばかりの礼で在るゆえ」
その促しを確認したとほぼ同時、猫達は蜘蛛の子を散らすように路地や街角に消えていった。
「何してたの?」
覗きこむようなエルの問いに膝の土を払って立ち上がったマックスは聞き込みである、と答えた。
「聞き込み?」
「そう。ネコの事はネコに聞くのが良かろうとおもったのである!」
「猫? ああ、そうか、この間のグリマルキン、あの図体を魔力消費最小限にして隠すには仮の姿の猫になってたほうがいいもんね。それで、猫達に聞いてみたってわけか〜」
納得が言ったという顔のエルはついでに聞く。
「で、収穫は?」
「まあ、ぼちぼち、というところであるな。ネコ達に頼んだアルバイトは断られたのであるが、見慣れない怪しいネコが裏路地の方を歩いていたという情報は手に入れたである」
「あ・アルバイトってベルの屋敷の警護だっけ。まあ、猫に頼みごとなんてそうそう無理だろうね」
「であるな。そちらはどうであるか?」
「こっちもぼちぼち。自警団の人たちに聞いたけど聖女の伝説、って皆が知ってる割に詳しい事知ってる人、いないんだ。聖女がデビルを命がけで封じたってだけ。やっぱり教会でも聞き込みしないと無理かなあ‥‥ん!」
「どうしたのであるか?」
突然言葉を止めたエルにマックスは目を瞬かせる。彼女が何に反応したのだろうか、と少し身構えもする。
だが、彼女は周囲気を止めたのでも敵の気配を感じたのでもなかった。
エルの視線はマックスの左手に、正確には左手に握られた羊皮紙に。
「マックス! この羊皮紙の絵なに?」
「なにって、まだ見せて無かったであるか? ああ、先行されていたであるからな。この間のイギリスでの少女誘拐事件でグリマルキンと一緒にいた男であるよ。月魔法を使うバードで腕は確かであるが顔に酷い傷を‥‥!」
羊皮紙をマックスの手からひったくりエルは見つめる。表情が見る見る真剣なものへと変わっていく。
「どうしたのであるか?」
「これ! 知ってる。ベルのところに来てた吟遊詩人!」
「本当であるか!」
マックスも驚きの顔を隠せない。さっき猫たちはこの男も怪しい猫と一緒に裏路地で見かけたと言っていた。
「目が見えないベルを慰める為にって音楽を奏でていったんだ。まさか!」
その時だ。遠くから音が聞こえた。
呼子笛の音。
「何かあったんだ。マックス行こう!」
「了解である!」
二人は駆け出した。呼子笛の音はベルの屋敷の方から聞こえていた。
「出てきたのはお前の方だったとはな!」
小さく舌打ちしながらレイは剣を握りなおした。
仲間が来るまで、逃がすわけには行かない。
絶狼もデビルの方にばかり気を取られていた自分に歯噛みする。
今回の事件と、キャメロットでの少女誘拐事件が関連あるとは思っていた。
「あのデビルがキャメロットと同じなら、お前も一緒というわけか! ガゼル!」
月を背に悠然と佇む男はニヤリと楽しげに笑った。
「探し物と言うのは、以外に自分の足元にあるものなのだな。キャメロットで見つからなかった『花嫁』にまさかシャフツベリーで出会えるとは」
「シャフツベリー‥‥。この土地に何かあるというのか! 何故、この土地に、あの一族に、ベルに拘る!」
絶狼の叩きつけるような問いに、ガゼルはやはり、微笑を湛えるのみ。
「蒼い瞳に拘るのは私ではない。『主』だ。彼が我が望みを叶えるのに蒼い瞳の花嫁が必要と言うなら捧げるのみ。邪魔をするな。冒険者」
「そんな事を言って、俺達が聞くと思うか! レイ!!」
「おう!!」
二人は同時に目の前の『敵』に向かって走り出した。ガゼルは竪琴を鳴らし数音を紡ぐ。
戦闘には無防備、石の中の蝶の反応は無い。
「もらった! ‥‥なに!」
だが、渾身の力で踏み込む筈の冒険者の剣はその遥か遠くで、彼らの足と共に止められ敵に届かなかった。
「くそっ!」
呪文の詠唱を阻もうにも飛び道具も無い状況では難しかったかと、レイは手を握り締めた。
ガゼルの周囲に張り巡らされた光の幕が微かに見える。
ムーンフィールド。光の結界だ。
「あの娘の心も瞳も力も、全て我らのものだ。時、至れば頂いていく。重ねて言うが邪魔をするな。冒険者」
「そんなこと許せるわけは無いでしょう! ベルさんは渡しません!」
結果の中に射す影と声に、ガゼルは空を見上げた。
彼の守りたる月を背に空を舞うのは天馬と、金の髪の女騎士。
「間に合った? 遅くなってゴメン。さあ、もう逃がさないよ!」
「やはりお主が関わっておったか。だが、これ以上好き勝手はさせぬ!」
レイや絶狼とは反対側。挟み撃ちになる位置に魔法使いと騎士も現れる。
さらにその向こうからも近づいて来る影がある。
絶対的不利に気付いたのだろう。ガゼルは光の輪の中でくっと笑って手を上げた。
「今日の所は退かせて貰おう。だが、私は目的の為には手段など選ばぬ。『主』が蘇ってイギリスが滅ぼうがいっこうにかまわぬしな。銀の聖女の蒼き瞳、必ず貰い受ける!」
「待て!」
「逃がすか!」
「許しません!」
地上の二つの剣、天上からの真っ直ぐな槍が躊躇わず光の結界に突進する。
冒険者の渾身の思いの前に微かな音を立てて砕ける結界。
だが、その結界の向こうにたどり着いた時、あの男の姿はどこにも見つからなかった。
「ムーンシャドゥ‥‥かな。夜に月魔法使いを捕らえるのは‥‥やっぱり難しいね」
エルは用意しておいた魔法を放ち、小さく呟く。
常に先手、先手を取られている。いつも、後手、後手に回る。
「くそっ! あの野郎。今度会ったら絶対にとっ捕まえてやる!」
叩きつけられた絶狼の悔しさと同じ思いを抱いて冒険者達は月を見つめていた。
○絡み合った糸の先
注意深く扉を開ける。
クロックの腕はもう剣の鞘に触れていた。
だが、その剣が抜かれることは無かった。
「〜ああ、やっぱりもう誰もいない。逃げられた、ってことだろうね」
呟くエルの口調は重い。
マックスが猫たちから、レイや絶狼が人間から聞き集めた情報でこの近辺に怪しい人物がいる、と知れたのは昨日の襲撃の直後だ。
その後、間を空けたつもりは無かったがガゼルを逃がしてしまっていた以上、逃亡はもう予測の範囲内である。
「手がかりを残すような間抜けではないと思うけど‥‥ん?」
打ち捨てられた小さな小屋。真っ暗で光も射さないそこにエルはふと床に落ちる小さな光を見つけた。
「これは‥‥髪の毛かな?」
かなり長く美しい長髪。勿論、この状況下でこの髪の持ち主がここに来たとは考えられない。
「そういえば、デビルの使うカースの魔法は範囲が無限だから媒介さえあればどこからでも呪えるって誰かが言ってたっけ。それに媒介が必要らしいけどデスハートンの玉でなければならないなんて誰も言ってないんだよね。ひょっとしたら‥‥」
こんな髪の毛一本ですら、ひょっとしたら呪いをかけられるのかもしれない。
自分の考えに思い当たってエルは自ら背筋を振るわせた。
「心配だなあ。特に僕達がここにいられない時がすごく。あとは、ベルさんと自警団のみんなに頑張ってもらわなきゃならないんだよね」
「もういいか? 調査が終わったなら長居は無用だ。これで終わりでは無さそうだしな」
クロックがエルに呼びかける。エルはうん、と頷き扉を閉める。
「今度は逃がさないからね」
目に見えない相手にそう宣戦布告して。
(「教会の書庫は整理整頓されていて、領主館のそれよりは調べやすいですね」)
シェリルはそんなことを考えながら、何本目かの羊皮紙を開いた。
シャフツベリーの伝承、伝説。由来、歴史などが書き記されている。
本来ならばこの教会を預かる司祭しか見れないのですよ。と蒼い瞳を曇らせて、しぶしぶとアゼラは書庫の入室と書物の閲覧を許可してくれた。
だが‥‥
「もったいぶるわりに手がかりはあんまりありませんねぇ〜。それに書庫の整理がなっていませんよ〜」
エリンティアは不満そうに、幾冊目課の本を横に置いた。
「どうしてです? ちゃんと整理してあるようですけど?」
シェリルが問う。エリンティアは答える。
「書物の抜けが多いんですぅ〜。ほら。この巻の前がある筈なのに見つからないんですよ〜」
「あ、そういえば羊皮紙もいくつか‥‥あっ!」
抱えていた書物を棚から取り出したとき、シェリルは棚の向こうを見て顔を顰めた。
「壁に虫食いの穴があいてます〜。ホントに整理や掃除がなってないんですね〜」
「石造りの壁に穴ですかぁ?」
ほら、とシェリルが指差す先には本当に穴が開いている。虫食いにしてはかなり大きな穴だ。
「なんでしょうねぇ〜」
「シェリル。エリンティア。調査の進み具合はどうだ?」
「あ♪ お義父さま!」
ノックと共にマナウスが入ってくる。心弾ませて走っていくシェリル。
エリンティアもその穴の前にとりあえず、書物を置いて彼を出迎える。
「いまいちですねぇ〜。そちらはどうですかぁ〜」
「こっちも大したことは聞けなかったよ。伝説については本当にあの婆様も昔話程度しか知らないようだしな。その分他の昔話はいろいろ聞いてきたが」
「「他の昔話?」」
「ああ、領主殿やキャロル嬢の昔話についてだ。聞きたいか?」
「「はい」」
その声に、マナウスは少し声を潜めて話を始める。
若い頃の領主の恋愛譚。いくつもの恋の後、儚げな魂を持つ少女を愛し彼女を守りきると誓った話。
そして領主の娘、街の司祭として何不自由なく育った姫と、旅の冒険者の少年の恋と愛と別れを‥‥。
「なるほどな。だから、伯爵は話したがらなかったのか」
屋敷でもう一度、古老から聞いた話を仲間にしたマナウスの言葉にギリアムは腕を組む。
昔何があったのか? 何か今回の件に心当たりは無いか? ベルを守る為だからと何度と無く聞いても伯爵は過去の話に口を開こうとはしなかった。
冒険者に屋敷を開放し、自由に出入りする事、街でのあらゆる便宜を約束し、依頼の継続も許してくれていても。
「確かに愛する妹姫を冒険者の若造にかっ攫われてあげく恨みをかって殺されれば、許せなくもなるか‥‥」
「でも、本当にそれが人を愛した結果だとすれば、彼女に不満や恨みがあったとは思えませんけどね」
リースフィアは静かに目を閉じた。
その若造が誰であるかは、もう解っている。聖夜祭で彼があれほどまでにシャフツベリーの名に狼狽したのも解ろうというものだ。
「ところで、ベルさんの方はどうですか?」
気遣うようなリースフィアの言葉にギリアムは大丈夫と笑って見せた。
「深雪とシエラが側についてる。目を奪った呪いはともかく、悪夢の方は月魔法の効果だと解ったんだ。ベルも聖職者の端くれだし、心を強く持てばこれからそうそう悪夢に魘される事はなくなる筈だ」
「そうですか。良かった‥‥」
ほんの少しホッとする。
だが、まだ問題は何も解決していない。
ベルの眼も光を取り戻していないし、悪魔もその手先も見つかっていないし、彼らの狙いも解らない。
「情報が欲しいな。もっと、何か確信に繋がる何かが‥‥」
「そうですね。何か、鍵が足りない気がします。その鍵を握っているのは誰なのでしょうか?」
キャメロットに戻る時間ぎりぎりまでシエラと深雪はベルの側に付き添っていた。
「駆け出し時代の話ですけど、私も炎に‥‥ですけど目をやられた事がありまして。治るまで何も見えませんでしたし、魔法で料理を作ろうとするな! ってお師様に怒られてしまいました。でも、治るまでは親身に世話をして貰えて‥‥ってこれは内緒ですよ」
「解ります。目が見えないのは本当に怖いですけど、心配してもらえるのはちょっと嬉しいですよね」
娘同士の気遣いと会話が、少しでも彼女の心を安らがせてくれたら、と思ったのだ。
「あら、ベルさん。そのペンダントとても綺麗ですね」
ふと、深雪がベルの笑い声と一緒に揺れた鈴の音に気付いて声をかける。ああ、とベルは胸元を探って白い鈴を手のひらに乗せた。
「これ、我が家の家宝なんだそうです。ブランで出来ていて持ち主を守ると言われているから身につけているようにと、お父さまが」
「そうですか。ええ、精神に影響を与える魔法は、本人の心の強さで砕く事ができます。私達も多分、すぐ戻りますから心を強く持っていて下さいね」
「はい」
頷いて微笑むベルの笑顔に、キャメロットに戻る間の不安が少し拭われたような気がしていた。
冒険者がシャフツベリーを出る直前、二通のシフール便が届けられた。
情報を求める手紙への返事であるという。
一通はソールズベリからマックスに
「‥‥ふむ、直ぐにはわからぬか。でもいろいろ調べて下さるとの返事ゆえ、暫く待って‥‥どうしたのであるか?」
もう一通の手紙を手にして固まるリースフィアをマックスは手紙と一緒に覗き込む。
「パーシ卿は‥‥何を言っているのでしょうか? 姪? 二人?」
意味が解らないと頭を抱えるリースフィアの手の羊皮紙が秋風に揺れた。
『‥‥シャフツベリーの伝承については、俺は良くは知らない。
俺よりもヴィアンカの方が覚えているかもしれないくらいだ。
だが、シャフツベリーにはキャロルが可愛がっていた姪がいる筈だ。
ディナス伯の娘は小さかったが、教会にいた娘はかなり大きかったし、いろいろ覚えていると思うぞ。
状況がよく解らんが、戻ったら話を聞こう パーシ』
いくつもの事件、いくつもの出来事が複雑に蜘蛛の巣のように絡み合うこの事件。
その中央にいるのは絡め取られた銀の乙女ベル。
リースフィアは首を振った。
彼女に向かって鎌首を持ち上げる、あのデビルよりも大きな影が見えたのはきっと、気のせいだと。