【黒の花嫁】闇封印
|
■シリーズシナリオ
担当:夢村円
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:16 G 29 C
参加人数:15人
サポート参加人数:7人
冒険期間:12月12日〜12月22日
リプレイ公開日:2006年12月20日
|
●オープニング
昔、あるところに若い貴族の兄弟がいました。
彼は領主の長子であり、才に溢れまた、容姿にも恵まれていました。
弟もまた兄には及ばないながらも優れた若者でした。
年も近い彼らには、しかし大きな隔たりがありました
皆に慕われていた兄は、いずれは、父の跡を継ぎ領主になることを期待されていました。
全ては兄が優先。
それを羨ましく思いながらも、弟は自由を楽しもうと思うことにしました。
兄は恋はしても、いずれ親の決めた相手と相応しい結婚をするだろう。
ならば、自分は心からの愛を育てようと。
やがて彼らは、一人の女性と出会います。
年の離れた妹の召使としてやってきた彼女の、優しさ、慎ましさに彼らは惹かれていきました。
彼女も最初は主人として仕えていたものの、二人の情熱に心惹かれていったのでありました。
兄と弟二人の愛を受けた彼女は、最終的に兄を選んだのです。
父領主は言いました。
「身分違いの恋は熱病のようなもの。いずれ互いを不幸にする」
弟も言いました。
「兄さんは全てを持っている。なのに彼女まで手に入れるのか」
ですが、父の言葉も、弟の言葉も、彼には届きませんでした。
やがて、二人は結ばれ彼女に子が宿ります。
半ば追い出されるように屋敷を出された彼女は、シャフツベリーの街の片隅でひっそりと子を生む事にしました。
「いずれ、皆を説得して、君を妻に迎える」
その言葉を信じて。
父領主は息子を彼女から引き離そうと縁談を持ちかけます。
妖精の如き美しさを持つという女性と出会った彼は、彼女にも心惹かれますが、それでも恋人に誠実であろうと思っていました。約束を守ろうとしていました。
臨月。生まれた『我が子』と出会うまでは。
母親の髪は茶色、瞳は緑。
彼の髪は淡い金。そして瞳は聖者の蒼と呼ばれる一種独特の碧眼。彼の誇りの色でもありました。
ですが、生まれた子は黒い髪。そして、くすんだ青い瞳だったのです。
彼の心に暗雲が広がりました。それは疑惑という名の黒い雲。
恋人は必死でそれを否定します。
弟の髪は黒ではなく、弟の瞳も聖者の蒼。
それでも、彼の足は次第に恋人から遠ざかっていきました。
ある日、彼女が姿を消したと聞いても、追うことも探すこともしませんでした。
やがて父が亡くなり、領主の地位を継いだ彼は縁談で出会った令嬢を妻に迎え、二度と彼女の名を、リーナと言うその名を口にすることは無かったのです。
「これが、俺の知るアゼリーナとディナス伯の事の全てだ。無論、全て妻キャロルから聞いた事だから実際に見たわけでも知っているわけでもない。ことがことだ。当時でさえ、知る者はあまり多くは無かっただろう。詳しい話を知っているとしたら、それはもう伯爵本人だけかも、しれないな」
旅支度のヴァル、いや円卓の騎士パーシ・ヴァルはそう言って深く息をついた。
「妻キャロルは当時十歳足らずだった筈だが、召使だったその女性を慕っていて、消息を絶った彼女を唯一探した人間だったという。‥‥だからだろう。十数年たったある日、手紙を持った少女がキャロルを尋ねてきたのは。その手紙を読んだキャロルは自らの責任で‥‥当時すでに教会の司祭を退くことを決意していたから、かなり無理をして‥‥彼女を教会に迎え入れた。その頃、伯爵の奥方は娘を誘拐されて心を病んでいた。甥を娘と思い込む奥方に隠し子の事など告げられず、伯爵も彼女を認めなかったからだ。伝承者としての知識を彼女に伝えることで、いつか橋渡しができたら、と思ったのだろう。それは結局叶わなかったが‥‥」
キャロルの死後アゼリーナがどのような命運を辿ったのか、パーシでさえ知らない。
パーシもまたシャフツベリーを追われ、長き旅路を辿ってきたからだ。
寂しそうに彼は呟き、笑う。その魂が何を思うかは冒険者も知る由も無い。
だが、それは一瞬。
一度目を伏せた後は円卓の騎士の顔に戻り彼は告げる。
「‥‥事情は聞いている。今回の件についての責任の一端。アゼリーナを追い詰めた原因の一つは間違いなく俺にもある」
一枚の依頼書を差し出して。
「アゼリーナと共にヴェレファングを誘拐した者達は、キャメロットでかつて娘達を誘拐した者達と同一人物である可能性が高いと聞く。そして彼らの目的はシャフツベリーに眠る高位デビルの復活である、とも」
すでにヴェレファング救出にはベルの呪いの解除、町の治安維持と共にシャフツベリーからの依頼がかかっている。だが、それにパーシもまた依頼を乗せるという。
「キャロルから聞いたことがある。シャフツベリーに眠る悪魔は復讐と裏切りを司る呪いの悪魔。人の頃に闇を撒き、不和を振りまくと言う。‥‥お前たちも知っているだろう。今のイギリスの状況を。陰謀広がる空、疑心暗鬼漂う大地。デビルやモンスターの脅威がそこかしこにあるというのに人々の心は暗い。それは王や騎士でさえ例外ではない」
現に彼はこれから国を割りかねない人々の不和の元を止めに行くのだ。
だから‥‥彼は顔をあげパーシ・ヴァルの名にかけて依頼を出す。
「この非常時に、そんな悪魔などに復活されるわけにはいかぬ! 封印の場所はシャフツベリー ゴールドヒル。そこで冬至の日に行われる復活の儀式を阻止してくれ」
方法は冒険者に任せると彼は言う。
それは、娘ヴィアンカの去就も含めてだ。
「アゼリーナはヴィアンカも連れて来いと言ったのだろう? 俺は封印開封の方法などについては知らない。だがヴィアンカもまたその封印解除に必要かもしれないから連れて来いと言うのであれば、連れて行くのも、行かないのもまた一つの選択肢だろう。‥‥ヴィアンカは、行くつもりらしい。お姉ちゃん達とお兄ちゃんを助けるのと教会で大騒ぎだ」
苦笑しパーシは言う。
「俺も、今回の件が片付き次第シャフツベリーに向かうつもりだ。だが、急いでも冬至に間に合うかどうか‥‥。おそらく難しいだろう」
彼の依頼も厳しいが、冒険者達の戦いはより厳しい。
最低でも敵は白の司祭と、月魔法使い。そしてデビル。
デビルがモンスターなどを招き寄せていない保証はないし、何より高位デビルが本当に封印されていてそれが復活すれば命の保証はない。
それでも、と冒険者にパーシ・ヴァルは向かう。
「円卓の騎士として、頼む。デビルの脅威からイギリスを守ってくれ。そして一人の人間として頼む。妻の眠る地、我が故郷と‥‥家族達を守ってくれ」
膝を折り、頭を垂れる。
円卓の騎士の願いを冒険者達は、深い思いで見つめていた。
闇の中に、黒きドレスの『花嫁』が眠る。
黒き眼差し達の見つめる中で。
男は言う。
「このまま儀式を行ってしまうことはできないのか?」
女は答える。
「焦らないで。無理な儀式で封印をこじ開けて失敗したら元も子もないわ」
影は告げる。
『何千、何万の夜を超えて来たのだ。悲願が叶うときまであとわずか。御方の為に、お前達。油断するでないぞ!』
影と男が去った闇の中。女は静かに笑った。
「御方の為、ではない。全ては‥‥の為に」
銀の髪に口付けて彼女は笑う。
『花嫁』の瞳は未だ開かれてはいなかった。
●リプレイ本文
○運命の地へ
「‥‥間に合いませんでしたか」
キャメロットの門の下で、右左。
一縷の望みを託し、もう一度周囲を見るがその姿はやはりもうどこにも無い。
抱えていた箒と、肩とため息を落としてシエラ・クライン(ea0071)は街道を見つめる。
「間に合いましたか? シエラさん?」
心配そうに近寄ってきたリースフィア・エルスリード(eb2745)は首を横に振るシエラにそうですか、と呟くと北の空を見つめた。
「少しでも、望みを繋ぎたかったのですが‥‥」
遠い北の街に向かった『彼』は大丈夫だろうか? 用事が終わり次第直ぐに戻ると言っていたが間に合うかは定かではない。
「彼の方も今頃大変でしょう。ヴァルさんに頼まれては張り切るしかないですよ。彼を含め、来られなかった人たちの為にも、最良の結果を‥‥」
「‥‥何と言うか、心情的にはアゼラさんに味方したいくらいなのですけどその為に罪のない人達を巻き込み、ましてや高位デビルの解放なんて、許すわけにはいかないですね」
「上級デビルの復活が人類社会にとっては「災厄」でしかないのは確かなようですので断固として阻止しましょう」
ジークリンデ・ケリン(eb3225)の言葉に頷き合って彼女らは空に舞う。
約束の日までもう時間はあまり無かった。
天を行く冒険者と同じく、地を走る冒険者達もまた心は急いていた。
「今年はいつもより少し冬至の日が早いんだよね。間に合うかな?」
空を見上げるエル・サーディミスト(ea1743)に大丈夫だろう。とギリアム・バルセイド(ea3245)は呟いた。
「このペースだとシャフツベリーに着いた翌々日ってあたりかな? 日時を指定した敵さんのご招待だ。なんとしても受けてやらんとな」
口調は軽いがギリアムの目は真剣そのもの。唇も強く噛み締められている。
「そうだな。前回のような見落としは許されん。俺達は手ぐすね引いて待っている敵さんの懐に入って、姫君を救い出さなきゃならん」
「ああ‥‥今回ばかりは覚悟が必要なようだな」
マナウス・ドラッケン(ea0021)とギリアムの会話に一見、可笑しい所は何も無い。真剣な会話だ。
だが‥‥くすっそんな笑い声がした。
「何がおかしい? 深雪」
真顔のギリアムにいえ、と藤宮深雪(ea2065)は微笑する。
「ヴェルさんが姫君、というのに異論はありませんから。早く、助け出して差し上げたいですわね」
「ヴェルさんって男の子じゃなかったんですか? お義父様?」
「「‥‥あ゛」」
思わず二人は顔を見合わせた。欠片も不審に思わなかった。
「ヴェルさんは殿方ですよ。シェリルさん。ジークリンデさんも以前同じような事を言っておられましたが。ね? ギリアムさん、マナウスさん?」
膝の上の娘シェリル・シンクレア(ea7263)からのツッコミにマナウスは頭を掻く。
「彼の女装は年季が違うと聞いていますもの。ベルさんに瓜二つならそれは美しいでしょうね〜」
ギリアムの方は深雪を軽く睨むが、深雪は柳に風だ。うっとりと微笑んでいる。
こういうマイペースはいつもならエリンティア・フューゲル(ea3868)の得意技なのだが、今日の彼は真剣に、真面目に、考え事に没頭しているようだ。
何を考えているか、解るからこそギリアムは真剣な目で深雪を諌める。
「そう言う話はあいつを無事助け出してからにしような」
また深雪もそれに答えた。
「勿論です。それに私達が助け出さねばならない人は、彼だけではありませんしね‥‥」
横には閃我絶狼(ea3991)に馬の手綱を引かれたヴィアンカがいる。
一緒に乗っている馬上の狼。その背中を撫でる表情もどこか不安げだ。
「俺は、正直連れて来たく無かったんだ。いいか? ヴィアンカ。本っ当〜に今回は危険なんだ、くれぐれも我々から離れない様にな、ヴェルとか見つけても慌てて飛び出してったりするなよ、それこそ相手の思う壺だ」
「‥‥うん。わかってる」
言いながらもヴィアンカの表情は暗い。セレナ・ザーン(ea9951)はそれに気がついて慰めるように笑いかけた。
「大丈夫ですわ。皆さん頼りになる方ばかりです。ヴィアンカ様も、ベル様もヴェル様も‥‥そしてアゼラ様も助けられますわ」
「‥‥うん」
「皆が心配なのか。いい子だね。ヴィアンカは‥‥」
フレイア・ヴォルフ(ea6557)の言葉にヴィアンカは首を振る。
「いい子じゃないよ。でもね。アゼラ‥‥お姉ちゃんって、ちょっと似てるのだから、助けたいけど‥‥私にできることなんて」
誰に、とは誰も聞かなかった。言葉の意味をハッキリと知るものは深雪だけ。
だが、今すべき事は過去を掘り起こす事ではない。
「ヴィアンカ。時間が惜しいんだ。後で、休憩の時で構わない。そのゴールドヒルって遺跡の事を教えてもらえるか?」
「あ、私もそれをお願いしようと思っていました〜。どのような遺跡ですか〜? とても美しい場所だと聞いていますが、事前に知っておいたほうができることも増えるとおもうです〜」
「私にもできることあるの?」
惑う眼差しが、一筋、力を帯びる。レイ・ファラン(ea5225)もシェリルも、仲間達も笑顔で頷く。
勿論、と。
「わかった! 私もがんばるから、お姉ちゃん達を助け出そうね」
もう一度、全員の首が前に動く。
「決着をつけるさ。ここで、必ず!」
クロック・ランベリー(eb3776)が震えたのは寒さのせいではない。決意の表れだ。
そして、道行く足はいつもの通り早まる。
運命の地。シャフツベリーへと。
○縛られた過去
伯爵を前にして、冒険者達の眼差しは固く、冷たい。
「‥‥と、いう話をパーシ・ヴァルから聞いた。事の発端はあんたらしい。現実に向き合う覚悟が足りなかったようだな。おっと、彼を怒るなよ。あんたが話してくれなかった以上彼がもし、この情報を話してくれなかったら、俺達は真実を知らないまま決戦に挑まなければならなかったんだからな」
反論を先にギリアムに封じられ、苦い顔で唇を噛む。
「言い訳をするつもりは無い。あの女が今回の件の現況になったことは事実だからな」
「違うだろ! アンタが恋人を信じられなかったそれが全ての元凶だ。忘れるな。ディナス。今回の事件を招き寄せたのは誰であろう。あんたなんだと言う事を!」
「愛した女を信じられないなんざ男じゃないよ。誰かさんのことを怒れる身分じゃないない。‥‥あんたが原因の事が多すぎるよ! ‥‥ヴェルもベルもアゼラもあんたによって壊された‥‥壊されそうな幸せを増やすな」
「絶狼さん、フレイアさんもそのくらいで」
珍しく言葉を荒げた絶狼をリースフィアは手で遮った。
彼らも、それ以上詰め寄るつもりはなかったようで、直ぐに後ろに戻る。
ただこんなところはヴィアンカには見せられない。パーシの家に置いて来て正解だった、と冒険者達は思っていた。
「我が一族が始祖と言われる者からこの地を預かり数百年以上。聖者の蒼を瞳に持たぬものが直系に生まれた事など無かったのだ。例え異母であろうともな‥‥」
「それでも! 間違っているのはお父様です。アゼラさん。いいえ、アゼラお姉様を認め、受け入れていればこんなことにはならなかった‥‥」
「ベル‥‥」
たった一人の娘が告げる刃のごとき宣告に伯爵の顔と心は完全に下を向く。
その刃は、放ったベル自身も傷つけ俯かせるが、彼女には抱きしめてくれる手があった。認めてくれる微笑が、あった。
「アゼリーナという名前を彼女に贈ったのは〜、伯爵ですかぁ〜」
気の抜けるような物言いはいつものエリンティア。
それが、一瞬だけ伯爵の警戒を解いてくれた。
「ああ‥‥誤解するな。私はリーナを愛していたし、その子も愛そうとしたのだ」
「じゃあ、なんで愛せなかったの」
また、伯爵の表情は凍る。答えはない。
「‥‥ねえ、伯爵。ボクの銀髪は祖父譲りなんだけどさ、アゼラの祖父母か伯爵の両親に髪が黒かったりくすんだ蒼い瞳の人っていないの?」
エルの問いに伯爵は逃げるように顔を背けた。
「今回に限っては全て、話して頂きます。隠し事を許している余裕は私達には無いのです」
静かに、だが強く、決して譲らぬとの眼差しでリースフィアは伯爵を睨む。
「リーナの父母は知らぬ。だが‥‥妾であった弟の母君は黒髪だったのだ。そして、何よりあいつ自身が‥‥言った。あの子は兄さんの子ではなく、私の子である‥‥と」
それ彼女の裏切りを疑い、信じた最初にして唯一の根拠だったと、伯爵は言う。
彼女ではなく、弟を信じ愛する者を受け入れられなかった。それが罪だというのであれば、確かに彼は咎人であろう。
「家は私の前から姿を消したとき、完全に引き払っていたし、世話をしていた者も今は無い。‥‥何かを残していれば、また違ったのであろうが」
「弟に言われたり、外見がちょっと違ってたくらいで、愛する人を信じられなかったの? それって馬鹿だよ! 何でそんなに自分に自信がないの? 愛して、愛されてたんでしょ? 過去の亡霊に囚われてないで、今のアゼラを見て。しっかりと見て。伯爵に似ているところ、あるんじゃないの?」
「エルさん。‥‥それでは伯爵。リーナさんがどこかに何か手がかりを残している心当たりは本当に無いのですね?」
また、言葉が止まる。
「「「「伯爵!」」」」
異口同音、その場の全ての者の責めを受け彼は、重い口を開いた。
「‥‥あいつの家に、行ってみるがいい」
「あいつ?」
「パーシの家だ。キャロルは結婚後もアゼラの面倒を良く見ていた。リーナが何かを残し、それが残っているならあそこだけだろう」
ぽん、とリースフィアは手を打った。だからパーシは家の鍵を冒険者に託していったのだろうか?
「あるかどうかは、解らぬ。あの子は‥‥それを私に伝えてはくれなかった‥‥」
「解りました。皆さん、行きましょう」
伯爵の護衛役を志願したセレナ以外の冒険者達は名残を惜しむ事もせず部屋を出ていく。
「私はこちらに残ります。皆様、ヴィアンカ様達の事、よろしくお願いしますわ」
セレナさえも、警護の手はずを整える為に、振り返らずに部屋を出た。
そして、ベルも‥‥。
部屋の中は伯爵一人になった。静寂が部屋を支配する。
いや、ただ一人。会話にも混ざらず、壁に背を預け羊皮紙にペンを走らせていたマックス・アームストロング(ea6970)がまだ残っていた。
無視の様相のマックスに伯爵は微かに鼻を鳴らす。
「お前も、私を責めるのか‥‥。事の元凶よ。我侭勝手な貴族の男よと」
「そんなことは、言わないのである」
「えっ?」
手を止め、羊皮紙から顔を上げた男は伯爵の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「拙者が聞きたいのは一つだけ。貴公は‥‥愛しているのか?」
「?」
ぱさっ‥‥。
書き上げられた幾枚もの絵が、伯爵の前に散る。
妻、息子、娘、姪。生き生きとした笑顔がそこにある。そして最後の一枚が伯爵の足元に落ちる。
それはアゼラ。いや、アゼリーナ。もし、彼女がヴェルの立場で育っていたらこうなっていたかもしれない美しい笑顔で笑う美女。
「遺伝するのは“色”だけでは無い。我輩、リーナ殿の顔は知らぬ。だが描き手からしてみれば、貴公とアゼリーナ殿似ていると思えるのである」
絵を拾うことも無く、伯爵は立ち尽くす。
マックスもまた壁から背を離し、部屋を出る。もう一度。
「愛しているのか?」
その問いだけを、彼に残して。
人の住まない家はただの箱。
先日掃除もしたばかりだが、やはり昔パーシが住んでいたという家は年季が入っていた。
「何か手がかりはあるでしょうか?」
テーブルの下、本棚などを深雪は覗きながら言った。
後ろではシェリルやマナウスも本やスクロールの積もった埃を手で叩いている。
「さてあればいいが‥‥」
けほっ!
埃を吸い込んだマナウスは窓を開けた。外からヴィアンカと狼の顔が覗く。
「中に入るなよ。ヴィアンカ。埃吸い込むぞ!」
けほ。
これ以上無い説得力のマナウスに頷きながら、それでもヴィアンカは部屋の中を見つめている。
「そう言えば〜、ここはヴィアンカさんのおうちですね〜。何か覚えている事はおありですか〜?」
「あのね。ベッドの下。なにかない?」
「「「ベッドの下?」」」
三人は同時に声をあげ、寝室の隅。
古いベッドの黄ばんだマットをそっと持ち上げた。
「これは‥‥」
古い木箱がそこにあった。小さく頑丈な箱。鍵はどうやらかけられていない。
「そこにね。何かあったと思うの。ひょっとしたら、だけど」
「大当たりです。ヴィアンカさん!」
キャロルにとって、大事なものが収められていた箱。
その中に捜し求めていたものも収められていた。
「これは〜キャロルさんにリーナさんが出した手紙ですね〜」
「かしてみろ。シェリル」
「はい。お義父さま」
「! そんな‥‥」
声を上げる深雪。マナウスは‥‥無意識に手を握り締める。
羊皮紙が音を立てて潰れる。
「お義父様?」
「何でもない。‥‥明日の夜は決戦だ。ヴィアンカもシェリルも早く寝るんだぞ」
手紙を持ったまま歩き去るマナウス。それを追う深雪。
シェリルとヴィアンカは意味も解らぬまま、その後姿を見つめていた。
○決戦‥‥そして
「ようこそ、おいでくださいました。皆さん」
暗闇の中、黒いドレスを纏ったアゼラが舞台の中央に立っていた。
横には彼女とお揃いのドレスを身に纏い、黒いヴェールを被った『花嫁』がいる。
「ヴェル!」「お兄ちゃん!」
「‥‥アゼラ」「アゼラさん‥‥」
夜空を照らすのは月光。舞台を取り巻くのは冒険者という観客。そしてさらにその周囲を取り巻く殺気にも似た感情。
(「ちっ! 随分デビルがいやがるな。アンデッドの気配もある。こいつは‥‥本当に気が抜けねえぞ」)
絶狼は少し前のミカエル祭で舞った銀の乙女、その舞を思い出す。あの時の主役はベル。だが今中央にいるのはアゼラ。
そう、ここは正しく彼女の舞台だった。
「今夜は冬至、そして尊き方の婚礼の夜。どうぞお祝い下さいませ」
「あんたの境遇には同情するが、復讐ならディナス本人にしな、周りを巻き込むんじゃねえよ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってか? 悪魔にも利用されてるだけだぞお前さん」
「いいえ、私が悪魔を利用しているのですわ。私の、目的の為に‥‥」
絶狼の声など、彼女の耳には入っていないのだろう。
「それで姫君方。どちらが婚礼を挙げて下さるのでしょうか?」
「ベルさんも、ヴィアンカさんも、お渡しできません〜。どうか、ヴェルさんを放して抱けませんかぁ?」
右手を差し伸べたアゼラ、左手はナイフを持ち『花嫁』の首に当てている。
『花嫁』は微動だにしない。
その二人に向かい一歩、エリンティアは前へ踏み出した。その後ろにはギリアムが背後を守るように、タイミングを見計らうように立っている。
「お二方のお気持ちはどうなのですか? ヴェルさんを見捨ててもいいのですか?」
「‥‥お許し下さい。お姉さま。私は‥‥花嫁になれません。私には好きな人がいるし‥‥まだやりたいこと、いいえ、やらなくてはならないことがたくさんあるんです」
マックスの後ろから呪いが消えた蒼い瞳が真っ直ぐにアゼラを見つめた。
「ベル‥‥」
ギリアムは微かな驚きの目で銀の乙女を見つめた。伯爵家に迎え入れられて以来、消えてしまったかと思った少女ベルの強さがここに輝いている。
「では、貴女はどうです? ヴィアンカ? 貴女はある意味私と同じ。親を持たず苦しんできた、私の思いが解りませんか? 永遠に罪の苦しみを抱いて生きるよりはそんなもの捨ててしまいたいと思ったことはありませんか?」
「私は、死にたいなんて思ったこと無いもの!」
「ヴィアンカ?」
ふいに強く握られた手にマナウスは気付いた。
小さな手は、勇気を振り絞るように手に力を込めている。
「苦しかった事いっぱいあったけど、それでもいいことあるから! 神様が、一緒にいるから!」
叫びにも似た声が遺跡に木霊する。一瞬風の音も、呼吸の音も全てが消えたような錯覚が遺跡に奔る。
その静寂を、破ったのはアゼラだった。
「‥‥そう。幸せでしたのね。お二人とも。私は‥‥そうは思えなかった。この世から消えることだけを願っていた。でも、できなかった。私は、私の目的を果たすまでは‥‥」
震える手、震える思い。震える心が堰を切ったように心の叫びとなって溢れ出る。
「花嫁と交換にならないのなら、もう彼も用無し。この子は花嫁にはなれないでしょうけど物は試し、こんなに美しいんですもの。薄情な聖女達に変わって命を捧げてもらいましょう」
アゼラはナイフを高く振りかざした。
「待って下さい。アゼラさん!!」
そのナイフの下に走ったのは‥‥エリンティアとマックスだった。
ナイフは重力の勢いに負けて、止まらずそのまま彼の背中に落ちていく。
「何を!」
「ヴェル!」
ヴェルを突き飛ばしナイフが刺さるのを覚悟の上でエリンティアは、‥‥アゼラを抱きしめた。
ギリアムがヴェルをアゼラから引き離したのは感じた。だが、それを確かめている暇は彼には無かった。
覚悟していた痛みは無い。それを幸いに彼はエリンティアはアゼラを、その細い肩を抱きしめる手に力を込めた。
「前にも言いましたよねぇ、アゼラさんの生まれがどうあれアゼラさんはアゼラさんですぅ」
微笑んで、優しく。心から優しく曇りの無い笑顔で。
「でも‥‥私は‥‥罪と穢れに塗れている。神に仕える身でありながら‥‥悪魔に魂さえも売って‥‥恨みを‥‥」
「手を伸ばされよ。我が豪腕は、救いを求める者に手を差し伸べる為にある」
そうして、差し伸べられた手。
誰かに優しく抱きしめられるという事。
たったそれだけの行為が彼女を揺ぎ無い信念を持つ悪女から、普通の女性、いや、少女にした。
「人は誰でも嫉妬や憎しみ等の負の感情を持っていますぅ、悪魔達はそこにつけ込んでいただけですからぁ、他の誰も許さなくても僕が許しますぅ」
優しい笑顔、温かな腕。自分を見つめて受け入れてくれる者。
アゼラは、泣き出した。自分でも驚くほど涙が止まらなかった。
何故だろう。自分が欲しかったのは、たった、それだけだったなんて。
‥‥と。
「ふう」
フレイアは放った矢の行く先を確認して息をついた。
「お見事ですわ」
ゴールドヒルは石の壁や石碑が乱立していて狙いが付け辛かった。
アゼラの振り上げたナイフを打ち落とせたのは幸運とタイミングに恵まれたとしか言いようが無かった。
だが、その矢がきっかけに遺跡は乱戦に突入している。
上空を飛んでいたデビルが、周囲を取り巻いていたアンデッド達が仲間に襲い掛かっているのだ。
「まだまだ、これからだよ。シェリル。魔法で援護‥‥って、ん?」
フレイアは慌てて遺跡を見つめた。デビルは確かに空にいる。
だが、何故アゼラやヴェル達を襲わないのだろう?
もう一度瞳を凝らす。そしてやっとあることに気付いた。
「シェリル! よく見て! あそこにグリマルキンがいない。カゼルも一度も動いてない!」
「まさか!」
かつての苦い思い出が胸を過ぎる。
「シェリル! テレパシー! 間に合う?」
「やってみます。お願い。間に合って‥‥」
祈りの言葉と共に思いは空に飛んだ。
エリンティアがアゼラの心に勝利した頃、‥‥ギリアムは一つの戦いに敗北していた。
「ヴェ‥‥ル」
彼が指し伸ばした手は黒いドレスの人物ではなく、地面に伏すバードに向けられていた。
操られているかも、という考えはあった。念のため聖水をかけて確かめてなお慎重を期したつもりではあった。
‥‥だが冒険者達の頭から抜け落ちていたことがある。いや先入観と言っていい。
思い込んでいた。
敵は、必ず敵の姿で現れる。と。
だからヴェル救出の時、躊躇い無くレイはギリアムと連携を取り、アゼラの背後、立ち尽くすガゼルに攻撃を入れた。
ほぼ無抵抗で彼は倒れる。
微かなうめき声。
「なに!」
ギリアムは違和感に気付き、自分が抱いていた少年の筈の者を見た。
しかし、時既に遅い。シエラがシェリルからのテレパシーに気付き
「ギリアムさん!」
声を上げた刹那
「ヴ‥‥ル」
彼の腹部には深くナイフが刺さっていたのだ。
「えっ?」
ギリアムを蹴り飛ばしナイフを引き抜くと『ヴェル』はヴェールを投げ捨てた。そしてアゼラとエリンティアの間にナイフを放ったのだ。
「きゃあ!」「アゼラさん!」
「待て!」
飛びかかりかけたマックスは、だが一瞬躊躇する。
少年は操られているのではないかと。
だがその隙にマックスの影は縛られ、エリンティアはナイフを喉に突きつけられる。
乱戦とはいえ、戦いは冒険者主導で進んでいた。
連携と攻撃は的確で地形を把握したジークリンデの魔法は前線でズゥンビを倒すクロックや絶狼の援護となり、ベルとヴィアンカ。二人の聖女を守る聖壁は聖槍の守護者に守られている。
そして天上では空飛ぶデビルの殆どが魔法の援護を受けたリースフィアに屠られ、残ったグリマルキンさえ、ギリギリに追い詰められていた。
冒険者の勝利は目前だったのに。
それがたった一人の伏兵に破られてしまったのだ。
「ガゼル‥‥」
アゼラがそう呼びかけるたった一人に。
「女はどうしてこう甘いんだ? あれほど伯爵が憎いと言っていた癖に‥‥。まあいい。アゼラ! 裏切るなんて許さない。さあ、封印を解け!」
さもないと、こいつを! ガゼルはナイフをエリンティアの首に立てた。
背後には虫の息のギリアム。彼が本気である事は簡単に解った。
「お前も俺も悪魔と契約した。悪魔に魂を捧げた者が抜け出すなんて出来ない。解っているだろう!」
「そうだ! 命を捧げよ。アゼラ。お前の命で封印が開かれればお前の望みが叶う。証明される。お前が聖女の血を継ぐものであると。さもなくば‥‥」
グリマルキンはどこからともなく出した白い魂を口に噛む。
魂を盾にした脅迫。アゼラは頷いて歩み出る。
ただ、グリマルキンではなくヴェルの姿をしたガゼルに向けて。
「解りました。だからその人を放して」
「アゼラさん! そんな事をしたらダメです〜」
「ごめんなさい。でもこれは私のせいですから‥‥。それに本当は望んでいたんです。彼の言う通り証明を‥‥」
今までの冷たい笑みではなく美しい笑みをエリンティア達に向けてアゼラは自分のナイフを拾い上げた。
首元にそのナイフを当てた瞬間!
‥‥いくつもの事が同時に起きた。
気を取られたグリマルキンの羽根をリースフィアが槍で貫いた事。
ギリアムにフレイアが駆け寄った事、
光の矢でガゼルの額を撃ち、レイとクロックがエリンティアを助け出した事。
そして、そのタイミングを見計らってマナウスとエルが全力で駆け寄った事。
アゼラに向かって走り全力でナイフを掴む。
「ダメだよ! 死んだりしたら絶対ダメ!」
「本当に認めないのなら貴女にあの教会だって伯爵は預けやしない。無意識かもしれないが伯爵だって貴女を認めていたんだ」
ナイフは彼女の首に一筋赤い雫を作って止まった。
上空からグリマルキンが落下する。
地面に落ちる白い玉。
その玉と、ほんの一滴のアゼラの赤い血が地面に触れた瞬間。
遺跡全体が大きく揺れた。
「待って!」
エルが必死に玉に手を伸ばす。だが、玉はまるで溶ける様に大地に吸い込まれていった。
同時に、揺れはさらに激しくなり、シャフツベリー全体を揺らした。
立っていられないほどの振動。アンデッドも魔法使い達も膝を折る。
空中さえも揺れるその中で、だが空にいたリースフィアだけは見た。
遺跡が、黄金色に輝き‥‥『それ』が瞬きの間に現れたのだ。
金の髪、漆黒の翼、黒いローブ。上空を、自分を見つめる真紅の瞳。
美しい‥‥悪魔。
一瞬、ほんの一瞬見とれた。
その天使の如き輝かしさに目を奪われた。
だが次の瞬間リースフィアは首を振り、手綱を引いて声を上げる。
「行きますよ。アイオーン! 今、動けるのは私達だけですから」
頷いた天馬は嘶くとリースフィアに加護を与えて地面に向かう。
槍を構え思いを込めてリースフィアは駆けた。
「闇へ還れ! ここはお前達の在るべき場所ではない!」
地上に落ちる渾身の白い影。だがそれは
『止まれ』
あざ笑うようなたった一言の言葉と、無造作に翻った右手の一閃に簡単に地面に伏せられたのだった。
突進してきたリースフィアの天馬が動きを止め、その隙に彼の持つ巨大な斧に叩き落されたのだと冒険者が気付くより早く。地面の振動が静まって冒険者が立ち上がるより早く、地面に投げ出されたリースフィアの身体は『男』の腕に持ち上げられていた。
「は・放しなさい!」
腕の中でもがくリースフィア。だがその抵抗は『彼』は仔猫が暴れるのを見るように微笑んで自由にさせている。
冒険者達は、動けなかった。
力の差に油汗が止まらない。少しでも動けばリースフィアの命は簡単に落とされるだろう。
そして知った。
『彼』こそがシャフツベリーに封印されていた伝説の悪魔。裏切りと復讐を司る者なのだと。
「我が君! お目覚めをお待ちしておりました」
ボロボロの身体でグリマルキンは膝を付く。指を弾いた悪魔の手から黒い光が放たれるとその傷は見る間に回復していった。
『よくやった。良い座興だったぞ。数百年の退屈も紛れたわ』
『はっ!』
褒められて心底嬉しそうに身体を主に寄せるグリマルキン。
そしてもう一人、嬉しそうに傷ついた身体を起こし近づいていく者がいる。
悪魔の側に近寄り服の裾を掴むのはヴェル、いやガゼルである。
「約束だ! 悪魔よ。私の願いを‥‥えっ?」
彼は何が起きたのか解らなかったろう。
『無礼者!』
『男』は無造作に左手に持っていた炎のついた棍棒を彼の頭に落としただけなのだ。
だが頭蓋は砕かれ、身体は炎に包まれる。
偽りの姿のまま、一言の言葉を残す間もなくガゼルと呼ばれた男はこの世から消滅した。
「何てこと‥‥仲間だったのでは無いんですか?」
悪魔は鷹揚に笑う。
『服を汚した愚か者に罰を与えて何が悪い。醜いものに用は無い。我が興味あるのは清らかな魂。それが‥‥悩み苦しみ闇に堕ちていく姿こそ美しいからな』
悪魔の顔がリースフィアに近づく。
「!」
何とか腕から逃れようともがくリースフィア。その瞬間。
シュン!
「逃げろ!」
微かな音が風を切った。と同時腕を拘束していた力が緩み、リースフィアはやっと腕から逃れた。
追おうとする手の前に槍と銀の矢、魔法の風、左右からの炎が壁を作る。
「リースフィアから離れろお!」
地面が揺れ悪魔の身体が天上に舞い上がる。だが、地面から悪魔達の身体が離れただけ。
翼持つ二体の悪魔は、楽しげに地上を見つめていた。
自分を復活させたアゼラだけではない。銀の聖女達。仲間を庇うように立ちふさがる冒険者、そして駆けて来る黄金の髪の騎士。彼らを嬉しげに。
「面白い。数百年の間に魂の質はここまで上がったか。行くぞ! 当分楽しめそうだ」
天高く上がっていく二つの影。
「待ちなさい! 貴方達は何者です!」
リースフィアの呼び声に彼らは一度だけ振り返った。
「我はアリオーシュ・バルバドス。お前達が気に入った。また出会うこともあろうぞ」
「アリオーシュ?」
首筋に残る微かな感触に震えるリースフィア。それでも彼女は仲間と共に姿が完全に消えるまで目を逸らしはしなかった。
○蒼い空
冒険者達は、報告を終えるとシャフツベリーをその足で出た。
行きよりも二人、数を増やして。
「ギリアムさん。ゴメンなさい‥‥僕は」
「気にするな。俺はお前の名付け親。俺が無茶をしないで誰がする。伯爵とシャフツベリーを頼むぞ」
下を向く少年に腹を押さえながらギリアムは笑う。
「できたらアゼラさんも、気にかけてあげて下さい〜」
エリンティアの言葉にヴェルは涙を拭いてはい、と頷いた。
見送りに来たのはヴェルのみ。アゼラは体力が回復しておらず、伯爵は顔を見せようとはしなかったからだ。
そしてベルは
「いいのかい? ベル」
フレイアの問いに旅支度で頷いていた。
「私、いつの間にか守られることに慣れてしまっていた。だからもう一度勉強しなおしたいんです。大切な人を誰からも、守れるように」
彼女の決意を止められるものは、誰もいない。
父親でさえもだ。
「なあ、あんた。これ知っていたのか?」
マナウスはもう一人増えた同行者に古ぼけた羊皮紙を見せる。首を振るパーシにそうか、とだけ呟いて彼は紙をジークリンデに渡した。
彼女は無言で紙に炎の呪文をかける。
『‥‥どちらにしても、あの子が伯爵家の血を引いていることに変わりはありません。あの子に瞳が受け継がれなかったのは私の罪でしょう。ただ、できるなら愛した人の子であって欲しいと‥‥どうか‥‥』
微かに燃え残った皮と文字をレイは踏み潰した。風が空に秘密を運んで散らした。
「捧げるのは魂と血、確かに命を捧げよとはありませんでしたね」
「昔、別の場所での封印は、たった一滴の血で扉が開いた。それに気付いていれば‥‥」
まるで葬式のような暗い場を吹き飛ばそうとエルは明るく笑う。
「でも‥‥、デビルは復活しちゃったけどさ、誰も死ななかった。これは凄い事だよ。ね?」
パーシはああ、と同意して暗い顔の冒険者達に向かい合った。
「落ち込むな。全員生きている。それはお前達の勝利だ。死なない限り次は必ずやってくる」
「そうですね。次は‥‥必ず」
リースフィアは首筋を押さえ空を見上げた。
冬の谷間。もっとも長い夜を超えた空は不思議なまでに青く美しい。
あのデビルを空に隠しているかもしれないというのに。
一つの伝説と物語はここに終わりを告げた。
だが、それは新たなる戦いの始まり。
新たなる運命の始まりでもあった。