●リプレイ本文
○それぞれの思い
十二月ももう半ばに近い。
聖夜祭節ももう直ぐ。キャメロットの街はざわめきを見せ始めていた。
そのざわめきは暗いものではない。
希望と笑顔で星のように輝く。
それは戦争やデビルの恐怖さえも一時忘れさせる聖夜祭節の魔法‥‥。
「待ちに、待った‥‥コンクールよね。甘いもの‥‥たくさん」
うっとりと微笑む麗蒼月(ea1137)は手の中で羽根と手を持って小さなシフールを躍らせる。
「‥‥ああ、よだれが‥‥出そう」
じゅるるるる。舌なめずりに飲み込む唾。
「ああ! もう、もう、もう出てますって! ああ、蒼月さん! お願いです。食べないでくださぁぁい〜! いやぁん!」
一歩間違えれば喰われるかも?
冗談にならない恐怖にルー・ノースは必死で羽根と手を動かして逃亡を図った。
蒼月の手から逃れて旅支度のエル・サーディミストの背に隠れる。
情報を伝えに着ただけなのに〜と、どこか涙目だ。
「蒼月。変なもの食べるとお腹壊すよ。あ、むしろ食べすぎでお腹壊すかな。今回の場合。はい、一応消化を良くする薬あげる」
差し出された薬を一応受け取りながらも蒼月は首を横に振る。
「見くびらない‥‥で。‥‥私が‥‥ちょっとやそっとで‥‥お腹を‥‥壊すとでも?」
思わない、とは口にせず、笑いながら彼女はサインをきって旅立って行った。
それを見送る蒼月。
彼女の戦いとは形も、場所も相手も違うが大切な戦いであることに変わりは無い。
「‥‥ルー。‥‥ありがと。さて‥‥地味な‥‥仕事‥‥面倒、ね」
当日のコンクールの開催場所や、既に決まっている審査員の名前や素性などは解っている。
コンクール当日にその場で選ばれる審査員もいるというが、そちらにはおそらく作為などは入るまい。
「でも‥‥美味しい、お菓子‥‥食べる為の腹ごなし。仕方ない‥‥わね」
蒼月の目は静かに、だが深く輝く。思い願う、何かの為に‥‥。
同じ日、同じ頃。
「?」
ルシフェル・クライム(ea0673)
は路地の裏手に目を留めた。
「では‥‥依頼の成功祈るでござるよ」
「我輩もである」
それは見過ごすにはあまりにも目立つ巨漢の騎士と着ぐるみ人間。
だが二人が纏う空気の深刻さにルシフェルはあえて言葉はかけなかった。
どちらにも見覚えがある。
葉霧幻蔵(ea5683)とマックス・アームストロング。
時に冗談のような行動をする彼らだが、いつも真剣に依頼の成功と依頼人の幸福を願っているのをルシフェルは知っている。
だから、声をかけなかった。
「おお! ルシフェル殿!」
逆に声をかけられるまで。
「そっちの方はどうだったい? 店で聞き込みしてたんだろう?」
さっきの様子は見ないフリをしてルシフェルはごく普通に声をかけた。
「おお! そうでござった。カヤ殿でござるがな、もうかなりな年配であるというのに町外れで一人暮らししているようだと、同僚の女性達が話していたのでござる」
そうして、幻蔵はルシフェルにさっき職場で聞いた情報を話して聞かせる。
人付き合いも良い方ではなく、いつも一人で静か。そして、どこか寂しそうな目をしている‥‥、という女性同士の噂話を。
「そうか‥‥。じゃあ、本当にあの話は‥‥」
「? どうかしたのでござるか? ルシフェル殿もカヤ殿について聞き込みをされていたのでござろう?」
ああ、と頷いてルシフェルは声を潜める。
集めた情報は断片的なものが殆ど。
だが、それをある一つの仮定に当てはめると、綺麗に繋がるのだ。
「なるほど‥‥だから‥‥」
「ナナが、気にするのも解るかな。同じ寂しさを知っているからだろう?」
二人は頷き合って別々の方向に歩き出す。
依頼人に犯人を報告すれば、もしくは雇い主にこの話をすれば、事は終わる。
だが、そうするつもりも予定も、二人には今は、まだ無かった。
「う〜ん、何だろう? 何か、足りないような‥‥。やっぱり時間かなあ? でも、時間はないし‥‥う〜ん! 誰?」
インデックス・ラディエル(ea4910)は頭を掻いていた手を止めて、振り向いた。
背後からの視線に反応したのだろう。
「‥‥まだ、何かしておいででしたの?」
「カヤさん‥‥」
閉店後、灯る明かりに気付いたのだろうか?
先に帰ったはずの『同僚』の呼びかけに彼女はうん、と頷く。
「コンクールはもう直ぐだから。あ、店主様達には許可を得たんで心配しないで大丈夫だから。どうも、なんだか一味、二味足りない気がして‥‥」
「別に、心配しているわけでは無いのですが‥‥、随分熱心に練習なさっておいでですのね」
普段はあまり話しをすることのない彼女が、声をかけてくれたことにインデックスは少し微笑んで、また頷いた。
「せっかく参加するなら正々堂々と自分の実力を出し切りたいから。それに‥‥ね」
「それに‥‥?」
真顔で自分を見つめるカヤにインデックスは心からの笑顔で思いを告げた。
「せっかく作るんだもの! 皆に美味しい、って言ってもらえたらステキじゃない。美味しい笑顔って人を幸せにするんだよ」
「美味しい笑顔‥‥」
「さあて、もう一度。材料も無駄に出来ないから、明日作ってダメだったら、もう一発本番だよね! あ、明日良かったら味見をして欲しいなあ。お願いするね。カヤさん」
腕まくりして厨房に向かうインデックスの言葉が、聞こえたかどうかは解らない。
「おいしい‥‥笑顔‥‥」
彼女はその言葉を、何度も、何度も繰り返し呟いていた。
○コンクール開幕
店の前の広場を借りてお菓子コンクールは行われる事になった。
下ごしらえなどは事前にしてきていい事になっているが、仕上げはコンクール会場で行うのが原則なので数日前から簡単なかまどなどが用意され、材料の準備などもなされている。
ギャラリーの中から審査員が何人か選ばれる、という話もあって始まるにはまだ少し早いというのに人はもうぼちぼちと集まり始めていた。
「ふむ、なかなか盛大に行われるようだな。ここは、一つ腕試しと行くか!」
参加者の中でも一足早く、会場にやってきた尾花満(ea5322)は武者震いのように肩を大きく揺らすとぐるり回した。
「‥‥コンクール参加の方ですね。マイ・グリン(ea5380)と申します。今回はどうぞよろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をして、丁重な挨拶をするマイ。彼女の礼儀正しい挨拶に
「いや、これはご丁寧に。こちらこそ、どうぞよろしくお願いする」
満もまた心からの礼を返した。視線が合い、交差する。
「材料のご用意はお済みですか? どうか料理人としてお目にかなう良いお品を選んで下さいませ」
‥‥コンクールの主催者である一家に小さなトラブルがあったのは満も知っていた。
このコンクール自体にも妨害が入るかもしれないと依頼も出ていた。
満自身にはあくまで参加こそがメインであるが、コンクール関連の依頼ということで彼も依頼に関わり、マイと顔を合わせて、話を聞いてもいた。
だから、彼女がここで初対面を装って忠告してくれた事も解っている。
それでも、満は暫し言葉を止めた。
この会場で目をかわした一瞬で、二人はおそらく同じものを感じたのだ。
無論、恋ではない。
(「「この人は‥‥できる!」」)
それは同じ技を持つ者同士の‥‥シンパシーに近いものだったかもしれない。
「ご忠告感謝する。お互いに全力を尽くすと致そう」
「どうぞ、お手柔らかに」
お互いにお辞儀をしあって持ち場に向かう。満もまた用意された材料の確認に向かったようだ。
彼なら心配はいるまい、と確信し、マイは用意した道具や材料を台の上に置くと軽く周囲を伺った。
さっきの満の他にインデックスやイーシャ・モーブリッジ(eb9601)など冒険者の参加者もいる。
だが、同時に周辺の食料品店や酒場の料理人など料理の腕が自慢の一般人も多い。
万が一にもトラブルにならないように気をつけなければならないだろう。
「‥‥皆さん、流石に腕に自信のある方が多いようですね。その中で‥‥気になるのは先ほどの方と‥‥あの方でしょうか?」
メイが目を留めたのは、若い料理人だった。
『ノルマンに料理の修業に行って帰ってきたばかりなんです。よろしくお願いします』
軽いノルマンの訛りがあったが、清清しい笑顔の青年。
だが、彼の腕は間違いなく確かだと直感する。優勝を目指すなら彼もまた大きなライバルになるだろう。
「‥‥まあ、私は優勝が目的では無いのですがね‥‥。とにかく、全力を尽くしましょう。このコンクールとナナさんの思いを守る為に」
マイは遠くに目をやり、軽く会釈をすると大きく、深く、深呼吸した。
コンクール開始直前、審査員席に向かおうとする蒼月はふと、足を止めた。
「‥‥何の御用かしら。コンクール‥‥もう少しで始まるのだけど‥‥」
「先ほどは‥‥何をしておいでだったのか聞いてよろしいかな? 麗殿? あの‥‥男性と」
かかる声がある。
姿見せず、ほんの少しではあるが苛立ち、腹立ちを含んだ‥‥声。
「‥‥何も、無いわ。審査員に‥‥買収とか、されている人がいないか‥‥確かめてみた‥‥だけ」
答えた返事に抑揚は無いが、同時に嘘も無い。
「そうか‥‥、なら良かった」
ホッとした空気があからさまに広がっていくさまに、蒼月はくすり、小さな笑みを浮かべた。
「‥‥大丈夫。‥‥多分、買収されている人は‥‥いない‥‥から。色仕掛けも使って‥‥確かめたから確実‥‥。後はよろしくね。ルシフ」
「解った。異物混入などは絶対にさせぬと約束しよう。犯人の動機にも目星がついた‥‥から‥‥って、麗殿! さっき何を?」
慌てた声が後を追ってくるが、今度は足を止めずに蒼月は前に行く。
ルシフェルには言わない。さっきの男性審査員との会話。
終わったら一緒に食事でも、という彼の誘いに蒼月が答えた返事を。
「悪い人も好きだけれど‥‥誠実な人の方が好きなのよ。それで凛々しければ言うことないわね」
誰を思い浮かべたかも‥‥。
「‥‥大変。もう始まってしまう。‥‥急がなくっちゃ」
蒼月は少し足を早めた。
もうコンクールは始まろうとしているのだから。
「これからお菓子コンクールを始めます!」
開会の言葉が拍手と共に高らかに宣言された。
○コンクールの裏と表
大鍋にお湯を入れ、祈るような気持ちでインデックスは布巾に包んだプティングを吊るした。
「お願いだから崩れないでね‥‥。ああ! もうもっと早く準備しておけば良かった!」
彼女が作るのはクリスマス・プティング。本体はもう用意してあるから、あとは蒸して暖めて‥‥飾り付け用のクッキーを作るだけだ。
「粉と‥‥砂糖と‥‥。卵‥‥あれ?」
皿に取り分けられた『砂糖』をぺろり、なめてインデックスは微かに眉根を上げた。そして‥‥
「あ、すみません。この砂糖、ちょっと水が入ってしまったので、少し、ちょっとだけでいいです。追加してもらえませんか?」
「‥‥申し訳ありません。私も‥‥この砂糖。ケーキの飾り付けに使うので、固まっているのは困るのです。交換して頂けると‥‥助かるのですが‥‥」
「はい! ただ今!」
材料係のカヤは、慌てて皿を受け取ると参加者に背を向け、壷の蓋を開けた。
小さく、唾を飲み込み‥‥そして‥‥
「カーヤさん! 違いますよ〜。その壷はお塩の壷です。やだなあ。間違えたらお菓子美味しくないですよ〜。うふ♪」
「えっ?」
背中を震わせて、カヤは振り返る。そこにはエプロンとスカートを摘んでニッコリと笑う『お姉さん』がいる。
「‥‥ゲン子‥‥さん?」
「は〜い! 皆様お待たせしましたあ♪ この大会の為に特別に用意されました貴重な砂糖です。大事にお使いくださいねぇ〜」
素早く壷を交換し、『ゲン子』は砂糖を必要量ずつ配布する。
ポン。
カヤは肩を叩く手に振り返った。そこには強い眼差しで彼女を見つめるルシフェルがいる。
「カヤさん! 料理の方ももう佳境に入ってきましたし、この砂糖配布が終わったら、少し休憩しましょうよ。お話も‥‥ありますから」
振り返ってカヤを見る幻蔵の眼差しもルシフェルのそれと同じ。
手を握り締め、俯いて‥‥
「‥‥はい」
カヤはそう囁くように答えた。
「何故、このような事を?」
会場の賑わいから少し遠ざかった静かな部屋。
関係者以外立ち入り禁止の準備室で幻蔵とルシフェルは小柄な女性を怯えさせないように、だが逃がさないように前後から挟み込んだ。
幻蔵の言葉にカヤは答えず、下を向くのみ。
だが、ルシフェルにはその一瞬で彼女の、今回の行為の動機が理解できた。
下を向く直前、彼女は会場の一人の人物に眼差しを送っていたのだ。
彼は確か、近くの食料品店の息子。ノルマンで修行して戻ってきたという料理人。
今回の優勝候補の一人だった筈だ。
「カヤ殿。‥‥貴方はあの青年の母君なのでは?」
「違います! 私は‥‥私などは‥‥」
否定しながら下を向いた顔がさらに下に落ちる。
それは‥‥間違いなく肯定の意だろう。
「噂で聞いた。あの店の近くにできた商店の一軒が、お客を奪われ閉店の憂き目に合ったと。主人はやる気をなくし酒に溺れ、奥方は生活に疲れ家を出てしまった‥‥と」
今度は否定の言葉さえ出ない。それは、容赦の無い真実。
目の前にいるのは夫と家を捨てた婦人なのだと解っていても、ルシフェルは非難する気にはなれなかった。
話を聞く限り、彼女はまだ40前後の筈。
だが彼女はもう60と言っても疑えないほど疲労をその皺に、苦悩をその額に刻んでいたのだ。
「‥‥ご自分の息子を優勝させる為、でござるか。その気持ち、解らないでも無いのである。だが‥‥」
切ないまでの彼女の思いが、胸に突き刺さる
「だが、それでもカヤ殿。貴女のなそうとした事は良くない事でござるよ」
振り切るように幻蔵は彼女の目を見つめ言った。同感、とルシフェルも頷く。
「悪い事をしている。それは解っています。ですが‥‥、ですが‥‥あの子を、家を捨ててしまった私にとって、他に出来る事はないのです。せめて、あの子の為に‥‥何かをしてやりたかったから」
膝を折り、カヤは泣き出す。
「拙者、人の思いにどうこう言う権利は無いと解っているでござる。だが‥‥それが本当に息子殿の為にはならないとも思うのでござる。事情は、どうあれ、正々堂々本人の実力で勝利しなければその者の為に成らぬし、その者が実力で勝利したのでないと知ったら悔やむやもしれぬでござるよ」
優しく諭す幻蔵の言葉と共に、カヤの脳には一人の女性の笑顔が浮かぶ。
『正々堂々と自分の力を出しきりたいから』
『皆に美味しい、って言ってもらえたらステキじゃない。美味しい笑顔って人を幸せにするんだよ』
「カヤ殿。我々が何故ここにいるか、解るかな? ナナ殿の依頼を受けたからなのだが、その依頼内容は‥‥貴方を悪者にしないで。だった」
「私を‥‥? あの子が‥‥?」
目を瞬かせた彼女の瞳に、大粒の雫が浮かぶ
彼女が何を願い、何を思い、そして何をしようとしたか。
「調理終了! これから審査に入ります!」
‥‥だが、震える老女とその涙を前に二人はこれ以上、追求しようとも、罰を与えようとも思わなかった。
彼女を置いて、コンクール会場を後にする。
自分達がここでやるべきことは終わったのだと。
差し出された皿は真っ白。
だが返された言葉に
「まだまだ、ね‥‥出直して、いらっしゃい?」
イーシャは青ざめ‥‥悔しそうに唇を噛み締めた。
「‥‥ヨークシャー・プティングは、お菓子じゃ無いわ‥‥これは肉料理の付け合せ。お腹を膨らませる‥‥パンのようなもの‥‥。盛り付けも悪くは無いけど‥‥少し、工夫が足りない‥‥わ」
「味はよろしいが、お菓子コンクール、という今回の趣旨からは残念ながら外れておりますな」
審査委員長にも言われ、はいとイーシャは下を向き後ろに下がる。
彼女で十五人目、審査を待つ残された参加者は後三名になっていた。
「今までのところはインデックスさんのクリスマス・プティングが上位でしょうか? さっきの木の実の焼き菓子も悪くは無かったのですが‥‥」
「もう少し、熟成した方が美味しかったと思うのですがね。ジャムとの相性もまずまずでしたし。次はどなたかな?」
「私です。よろしくお願いします」
マイの言葉と登場、それと同時に会場全体が驚きの歓声と拍手に包まれた。
彼女が運んできたのは驚くように美しい段重ねのケーキだったからだ。
「クランセ・カーケという北欧のお菓子だそうです。別名花冠のケーキ。アーモンドパウダーの入った生地を焼き重ね、粉砂糖や溶かした砂糖、蜂蜜などをかけてみました」
「すごく、綺麗。なんだか、胸がドキドキする」
ナナは魅入るように美しいケーキを見つめた。黄色の生地に白い砂糖がまるで雪を纏ったバラの花冠のように見える。
十八段のケーキが切り分けられ、審査員席に並べられた。
「‥‥外見は文句なし。‥‥味は?」
「これは凄い」
「‥‥美味しい♪」
うっとり、夢見るように蒼月は微笑む。
他の審査員達の表情もまた、同様で‥‥中にはおかわりまでする者もいた。それが、誰かは言わないが。
「ありがとうございます。その笑顔を見せて頂けた事は、私にとって最終的にどんな結果になろうとも最高の評価で‥‥私の幸せであり、誇りです」
まるで自分の主に取るように、マイは最高の礼を審査員と観客に取った。
また、割れんばかりの拍手が、会場に広がっていく。
進行役が現れなければまだまだ続いたかもしれない拍手は、とりあえず止まり、次の挑戦者を出迎えた。
リオンと名乗った彼は、自分の自慢の菓子だというそのケーキを差し出す。
「ブッシュドノエルと言います。焼いたケーキで薪の形を象ってみました。中には栗などが入っています」
クリームで飾り付けをしたそのケーキを輪切りにすると本当に木の年輪のような模様が覗く。
「ノルマンの伝統的な菓子です。聖夜祭に災いを焼く為薪をテーブルに置いたと言う故事に倣っています。どうぞ‥‥」
促されるまでも無く審査員達はケーキに手を伸ばす。丸めたケーキを摘んで、口に運ぶ。
「うわ〜。ふんわりしてる!」
「‥‥甘い。美味しい‥‥。ステキだわ」
かなりな好評。リオンはよし、と言わんばかりに手を握り締めてポーズを取った。
審査委員長、いや、主催者カルダスは、手を止め嬉しそうな青年を見た。
少し、申し訳なさそうな顔つきで。
「‥‥君は、我が家を恨んではいないのかい? 我が家のせいで君の実家の店は‥‥」
リオンは振り返り、少し驚いたように目を見開き‥‥そして躊躇い無くいいえ、と首を横に振った。
「店の経営が落ち込んだのは、誰のせいでもありませんから。それに、僕が帰ってきた以上、前のままにはしておきません。僕の力で店を前以上に守り立ててみせますから! 母もきっと帰ってくるし父も立ち直らせて見せます!」
「‥‥そうか」
嬉しそうに微笑んで、カルダスは質問を終えた。
溢れる拍手と、そして祝福。それは間違いなく彼の今後を輝かせるだろう。
「最後は拙者であるな? 前の二人ほど凝った作り、という訳ではないが‥‥どうかご賞味あれ」
言いながら登場した満は料理を差し出す。
薄茶色のケーキに、雪がかかったように塗された砂糖。
周囲を取り巻く焼き菓子は人の形をしていて、まるで山を目指しているようにも見える。
「かわいい! この焼き菓子、お人形さんみたい」
ナナは嬉しそうに声を上げるが、周囲の反応は薄い。
確かに前の二人ほどのインパクトは無いのだ。
切り分けられたケーキの切り口からは色とりどりの果物やナッツが覗く。干し葡萄や砂糖漬けのベリーなどがとても美しかった。
でもなかなか手は伸びない。
しかも、最後の挑戦者。
既に審査員の口とお腹は、続く、続きすぎた甘いもので限界に近づいていたのだろう。
空腹が最高の調味料と言うなら彼にその助けは無かった。
だが、審査員としての勤めがある。
ゆっくりと彼らの手が菓子に伸びた。
まずはあっさりとしていそうな付け合せの焼き菓子へと。
「えっ!」「‥‥あ‥‥」「これは‥‥」
驚きの表情の審査員。観客も参加者達も何が起こったのかと目を瞬かせるが、一人満だけは満足そうに微笑む。
我が意を得たり‥‥と。
「‥‥これは、ジンジャーが入っているのね。ちょっと辛いの。‥‥でも、それが今は、とても美味しい」
「甘いものを食べ続けてきた故、舌が疲れていたのであろう? いわゆる舌休めというものだが‥‥いかがかな?」
蒼月の問いに満は答えるが、さらにその返事は返らない。
審査員達が真剣な眼差しでケーキに向かい合ったからだ。
そして、フルーツケーキを口にして‥‥異口同音こう呟いた。
「「「「おいしい‥‥」」」」
と。
「‥‥もう、これ以上‥‥甘いものはいらないと思っておりました。味のバランスも考えてこのような組み合わせにしたのですね」
「食べる人の事を考えた料理、か。腕もさることながらそれに感動しました。しかも、生地の味は控えめ。果物の甘みを生かしてある。この作り方なら比較的安価で一般にも提供が可能だ」
「お菓子を食べて‥‥ドキドキしたの久しぶり」
「‥‥そうね。余計な言葉はいらないわ‥‥。甘くて‥‥美味しい。幸せよ‥‥」
ぱち、パチ。
最初の拍手は観客席のリオンから放たれた。それはやがてマイにインデックスに、イーシャに、他の参加者から、やがて会場全体へと広がっていく。
ぱち、パチパチ、パチパチパチパチ!
やがて審査員からも拍手が贈られる。幸せそうな笑顔と残らず平らげられた料理と共に。
料理人にとって最高の賛辞。
‥‥満は感謝を込めて丁寧に、丁寧にお辞儀を返したのだった。
○幸せを運ぶお菓子
「‥‥どうぞ‥‥」
突然酒場の隅に呼び出されたルシフェルは、差し出されたモノに目を丸くする。
「これは?」
「‥‥気が、向いただけよ‥‥。材料‥‥余ってたし‥‥」
会場の隅から見ていたので、確信が持てる訳ではないがこれは、大会の優勝菓子フルーツケーキのジンジャークッキー添えではないだろうか?
しかも、まだ暖かい。出来立てだ。と、いうことは‥‥これの作者は満ではなく‥‥。
「‥‥いらなかったらいいわ。私が、食べるか‥‥!」
拗ねた様に後ろを振り向いた蒼月の背に大きく、暖かな重みが被さる。
ルシフェルは立ち上がって、背後から、そっと蒼月を抱きしめた。
「いらなくは、ない。‥‥嬉しい。とても‥‥嬉しい」
胸元に蒼月は手を触れた。ここが熱いのは彼の大きな手が触れているから、だけではあるまい。
「‥‥もう、恥ずかしいこと‥‥しないで。公衆の面前なのに‥‥」
上に上がった手は勢い無く降りて‥‥そっと彼の両手に重ねられる。
胸板に寄せられた頭。ぬくもりとぬくもりが互いの心と身体に交換される。
「一緒に食べよう。麗殿。この菓子だけでなく、これからも、たくさんの料理を‥‥共に‥‥」
「‥‥そうね。悪く、ないわね」
手を取り合い、二人向かい合って、彼と彼女は同じ皿の料理を一緒に口に運ぶ。
「いただきます。うむ、美味いな」
「‥‥あら?」
疑問符を浮かべた麗にルシフェルの手と、口が止まる。
「どうしたのだ? 麗殿?」
「‥‥おかしいわ。昨日、食べたときより‥‥美味しいの‥‥どうして?」
ルシフェルは、その答えを教えはしなかった。
ただ、目の前の女性。心から愛しき人を優しさを込めた眼差しで見つめていた。
店の厨房に笑い声が響く。
「そう、ゆっくり、あわ立てて下さい。焦らなくていいですから、ゆっくり‥‥ね」
「はい!」
一生懸命なナナの横で、手伝うインデックスは本当にゆっくり、だが、少しずつ完成していく料理と少女を微笑ましく見つめていた。
「確かに、あの料理キレイだったもんね。ナナちゃんが習いたいのも解るよ。パンケーキの応用で作れば、そんなに難しくも無さそうだし‥‥頑張れば一人でもできるかな?」
インデックスは軒下に吊るしたクリスマス・プティングを軽く突いて揺らす。
こっちの作り方も教え請われたが難しくて、流石に彼女一人では無理だった。
重ねられるケーキ。広がる甘い匂い。
聖夜祭特別お教室は、イーシャも招いて女三人+ナナでかしましくも楽しく続けられていた。
「私‥‥、コンクール見て、美味しいもの食べて思ったんです。‥‥大きくなったら、やっぱり美味しいものを、みんなに食べてもらいたいって‥‥」
ナナはそう言って女性達に料理の指導を求めた。
料理コンクール三位と五位と八位は、快くそれに応じてくれて、今に至る。
「私も、あの時みたいに、みんなに笑顔をあげたい。みんなを幸せに‥‥してあげたいなあって」
粉を混ぜながら呟くナナにマイは、優しく微笑んで手を添えながら告げる。
「‥‥美味しい料理は人を幸せにすると言われていますけど、私の尊敬する方曰く、それはただ料理の味が良かったからではなく、美味しい料理を食べた時、自然に零れる笑 顔を皆で分かち合えるから幸せになれるのだそうです。‥‥どれだけ美味しい料理を一人で食べても、二人、三人で食べた時ほどの幸せは感じられないと。‥‥私も同意見ですね」
「そうそう。このお菓子もね、ナナちゃん、おうちの人と一緒に食べて! そうしたら、きっともっと美味しいよ!」
「はい!」
最初に出会ったときとは見違えるように笑顔を輝かせる少女にインデックスは幸せを感じつつ、ふと振り返った。
視線を感じたわけでは無い。
「そう言えば、カヤさんは?」
「お店、辞められたそうです。‥‥おうちに戻るって‥‥」
「そっか!」
「あまり顔を合わせる機会もありませんでしたが、幸せになられるといいですね」
イーシャの呟きに、大丈夫! とマイとインデックスは同時に答えた。
「彼がついてるし!」
「あの味に嘘が無いなら、きっと‥‥」
と。
壷を抱えて歩く満は、ふと道の横で足を止めた。
ある一軒の店の前。
あれは、確かお菓子コンクール準優勝者の店で近日リニューアルオープンでまだ開店してはいないはず。
頭の中でそんなことを考えながら満はもう一度、確かめた。
開店前の店、その前を躊躇いがちに何度も行き来する婦人。
「何を、しておるのであろうか‥‥」
声をかけようと思って手を伸ばしかけ、慌てて身を隠す。
突然現れた何かが婦人に飛びかかって行ったのだ。
あれは、何だろう? 猫だろうか?
怪物であれば包丁侍として向かっていくところ。
だが、歴戦の戦士であれば解る。あれに害意は無い。
あれは‥‥いや、彼はきっと‥‥。
悲鳴を上げた婦人は腰を抜かしたように腰を落とす。
襲い掛かる影、だがそれは店の中から飛び出して、躊躇い無く女性の前に立ちはだかった青年に阻まれていた。
去っていく『化け猫』
そして‥‥声をあげ、抱き合う女性と青年。
店の中からもう一人、男性も現れて、涙を流す。
それは遠目に見ても判る家族の再会。
「‥‥やはり家族は良いものでござるよ」
どこからとも無く聞こえた囁き。
満は小さく笑って
「ご苦労さん」
誰に贈るでもないねぎらいの思いを小さく一人ごちた。
「さて、帰るとするかな。‥‥あれが帰ってきた時、美味しいもので迎えてやれるように」
壷を軽く叩いて、彼は帰路に着く。
幸せの味。
それは、決して一人では生まれない真心の味なのかもしれない。