【新章 魔法使いの一族】狙われた恋心

■シリーズシナリオ


担当:夢村円

対応レベル:11〜lv

難易度:普通

成功報酬:8 G 32 C

参加人数:10人

サポート参加人数:1人

冒険期間:02月06日〜02月16日

リプレイ公開日:2007年02月14日

●オープニング

「断る」
 謁見を求めてきた来訪者の要望に、普段穏やかなだという領主代表と名乗る青年はきっぱりと拒絶の意思を表した。
「何故ですか? マイト様。この案は町の発展に大きく役立つと自負しておりますが‥‥」
 この街で近年商売を始めた商人は、食い下がる。
 ダメだといわれてそのまま引き下がっていては商売などできないのだ。
 だが、彼の答えは揺るがない
「この町で商売をすることに問題は無い。新しい住宅地を作ろうというのも別に構わない。周辺都市から移住を望むものも多い。需要もあるだろう。だが、それでもその石材に街の巨石を使おうと言うのは許可できない」
 窓を開ける。館の二階からは街の様子が良く見えた。
 街を取り囲む巨石のいくつかも。 
「発展も大事だ。だが、古いものがあるからこそ新しいものがある。先祖が伝えてきた事を守りつつ新しいものを取り入れていくのが真の発展と言うものだろう」
 計画の建て直しが無ければ許可は出さないとはっきり宣言し、退室する青年を部屋に残った者達は見送る。
「兄貴もけっこう長らしくなったじゃないか? なあ、ファラ姉」
「そうね。あれくらいしっかりしてくれれば、安心かな?」
 補佐役である弟妹達は嬉しそうに。
 商人は‥‥心から悔しそうに‥‥。

 そうして屋敷に帰った商人は出迎えた青年に憎憎しげに交渉の不満をぶつけた。
「若造が! エーヴベリーの代表者だ。魔法使いだというから下手に出てやれば偉そうなことをいいおって」
 主の言葉に青年はその通りだと、同調する。
「ですが、どうなさいます? 計画の見直しなどされましたら、経費がまた膨大なものになるのではありませんか?」
「確かにな。遠くから石を運ぶなどすれば儲けが出なくなる。さて、どうしたものか‥‥」
 悩み考える商人の横で、青年は‥‥微笑んでいる。
 その瞳を楽しげに輝かせて『主』の方を見る。視線に気づいた商人は青年に気づくとどうした?
 と、問うた。
「人の心など、移ろいやすいものです。いかがでしょう? もし、よろしければ私に、妙案が‥‥」

 それから少し後。
 一つの出会いがあり、そして‥‥

「キャメロットに来るのも久しぶりだな」
「私は始めて! 賑やかなところね!」
「はしゃぎすぎて迷子になるなよ。ファラ姉。っとここだ、ここだ」
 そんな会話をしながら二人連れの客が冒険者ギルドにやってきたのは冬も落ち着きを見せ始めてきたある日の事。
「いらっしゃい。‥‥ん〜、あんたの方は前に来た事があったか?」
 男女の二人連れ。その男の方を指差し係員は考える。
 へえ〜という表情を見せて頷くと男はエーヴベリーのウィン。と名乗って
「ほら! ファラ姉。ちゃんと挨拶しろよ」
 軽く隣の女性の背を叩く。
「私はファーラ。以前冒険者にはいろいろ世話になったから、一度ここに来てみたかったのよ」
 笑う二人に冒険者の幾人かはギルドに今も出入りする若い騎士を思い出し、さらに幾人かは随分以前、エーヴベリーという町で聞いた魔法使いの一族について思い出す。
「確か、五人兄弟だったよな? あんた達」
「そう。エーヴベリーのサーガ家は魔法使いの一族、と呼ばれてる。俺が火の魔法使いでファラ姉は風の魔法を使う」
「妹のララは水魔法が得意なのよ。で、今、頭首張ってる兄さんが大地の魔法使い。弟のカインは‥‥また違うんだけど兄弟でエーヴベリーの町を守ってるわ」
 彼らの表情は明るく、そして誇りと自信に満ちている。そして、言葉に感じる兄弟への思いも。
 以前は兄弟の関係でトラブルを持っていた彼らであるが、少なくとも今はそれは無いのだろうと、素直に感じる。
「で、何の用かな? 依頼に来たのか? 弟を探しに来たのか? それとも弟のように冒険者にでもなりに来たのか?」
 カインは確か別の仕事を請けて今はいないはず、依頼書を確かめながら言う係員にくすと笑ってファーラは告げた。
「それも面白そうね。冒険者になって世界を旅するのも魅力的だけど、今は止めとく。‥‥依頼に来たの。少し冒険者の力を貸してもらえないかしら」
 フッと笑みが消える。真剣な眼差しの娘の依頼を受ける係員も、また真剣な顔に戻した。
「私たちは今、カイちゃんが冒険の旅に出てるから家族四人と少しの使用人で暮らしてるんだけど‥‥今、その館に変な女がいるのよ」
「変な女?」
 頷くファーラの顔がさらに厳しくなる。
「少し前に兄さんが、森で助けたの。デビル達に襲われていて、今にもやられるってところだったって言ってた。で、意識を失っていた彼女を連れ戻って来て見れば、彼女は記憶を失っていた‥‥と」
「記憶喪失か?」
「ああ、自分がどこの誰かも、名前も解らないって言ってる。で、兄貴は『それは気の毒だ! ぜひ記憶が戻るまで我が館に!』って泊めちまってるんだ」
 ウィンもワザとらしく大きなため息をつく。
「素性も解らない上に、デビルに狙われてる女よ。唯の女である訳無いじゃない。なのに、ほんっっっっとうに兄さんはお人よしなんだから。‥‥まあ、確かに美人なのは認めるけど」
 ファーラ姉よりずっとな。いらんツッコミを入れた弟に鉄拳制裁を食らわせて、そこでファーラは係員に向かい合った。
「その女に惚れちゃって『こんな美しい人を疑うなんて!』ってな事まで言ってるバカ兄貴だけど、彼女の素性は調べなきゃならないし彼女がデビルに狙われてるもの事実だし、彼女の身元調査をすることには同意したの。でも、私とウィンはこれからちょっと用事があって出かけなきゃならないのよ」
「町に残るのが兄貴とララだけなのは心配だし、こういう調査は冒険者が得意だろうから、引き受けてくれないか?」
 依頼書を書き上げたウィンは告げる。こっそりと、何故か声を潜めて。
「今までエーヴベリーの近辺はあんまりモンスターも出なかったんだが、最近デビルやモンスターも増えてきているみたいだな。他所から流れてきた者も多くなってああ見えても兄貴もけっこう忙しい上に苦労してるから、ちゃんとした女だっていうなら兄貴の恋路を邪魔するつもりはないんだけどな‥‥」
「何言ってるのよ! あんな怪しい女。兄貴に相応しいわけないじゃない。ちょっと金髪が綺麗で、ちょっと青い瞳がステキだからって私は騙されないわよ。絶対にあの女の化けの皮剥がしてやるんだから!」
 背中の後ろから聞こえた膨れ顔、膨れ声にウィンは微かに背筋を潜めて小さく笑った。
「姉貴があんなだからな。頼む。エーヴベリーの近辺は今、雪でけっこう寒いから気をつけて行ってくれよ。俺達は‥‥多分、2〜3週間で戻れると思うから」
「お願いよ。絶対あの女の正体暴いて頂戴!」
 賑やかに去っていった姉弟の後には一つの依頼が残されていた。

 慕われる青年領主と美しい娘。
 町で連れそう二人を見つめる人々の視線は暖かい。
 猫が走り人々が笑顔で笑う小さな町。その中で一人不安げな眼差しを見せる娘の手を
「大丈夫ですよ。たとえデビルが襲ってきたとしても俺は貴方を守ります」
 彼は強く握り締めた。
「俺は、貴方が好きです。貴方が誰でもいい。側にいて頂けませんか?」
「マイト様‥‥」
 燃え上がる素直な恋心は、人々の心を微笑ませる。

 だが、それと同時に、人知れず陰謀の炎が燃え上がっていることを今、知る者は少ない。

●今回の参加者

 ea1743 エル・サーディミスト(29歳・♀・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea2065 藤宮 深雪(27歳・♀・僧侶・人間・ジャパン)
 ea3868 エリンティア・フューゲル(28歳・♂・ウィザード・エルフ・イギリス王国)
 ea3991 閃我 絶狼(33歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea5225 レイ・ファラン(35歳・♂・ファイター・人間・イスパニア王国)
 ea6970 マックス・アームストロング(40歳・♂・ナイト・ジャイアント・イギリス王国)
 ea7694 ティズ・ティン(21歳・♀・ナイト・人間・ロシア王国)
 ea9951 セレナ・ザーン(20歳・♀・ナイト・ジャイアント・イギリス王国)
 eb1293 山本 修一郎(30歳・♂・侍・人間・ジャパン)
 eb2745 リースフィア・エルスリード(24歳・♀・ナイト・人間・フランク王国)

●サポート参加者

シャノン・カスール(eb7700

●リプレイ本文

○人の集う場所
「ソールズベリーに、シャフツベリー、そして今度はエーヴベリーか。ベリーって後ろについてる街には何がしか問題が起こるのかね? おまけに悪魔がらみかよ」
 呟きながら閃我絶狼(ea3991)は腕を肩の上に上げてう〜ん、と伸びをした。
「エーヴベリーか。どんな所なんだろうね」
 通いなれたウィルトシャーへの道。
 今までとは違って、あまり急ぐ必要も無い。ティズ・ティン(ea7694)のように今まで行った事の無い街への希望に胸を躍らせながら歩いていく。
 ‥‥因みに絶狼は知るまいがベリーやバル、バラと言うのは城砦、都市、集落、集合体を意味するイギリスの言葉である。
 イギリスには他にもベリーと語尾に付く街や都市が沢山ある。
 語源は古い言葉にあるという伝説もあるが、ベリーと言う名が災難を呼ぶというのは偏見であるという事以外、薀蓄は今は意味が無い。
 間違いでは‥‥無いのだが‥‥。
「今は、まだ災難ってほどじゃないみたいだけどね。でも‥‥記憶喪失か‥‥。できればなんとかしてあげたいな。薬師として」
「それが、嘘でなければであるがな」
「そう‥‥ってあれ?」
 エル・サーディミスト(ea1743)は首をかしげた。
「今、僕口に出した?」
「いいや?」
 黙って首を振るマックス・アームストロング(ea6970)にああ、そうか。エルは頷いて納得した。
 きっと皆思っているのだ。感じているのだ。あのシャフツベリーでの事件に立ち会ったものならなおのこと。
 自分のこの不快感。何かいつも喉に小骨が引っかかってるような気分と同じものを。
 その証拠がマックスとレイ・ファラン(ea5225)の会話だ。
「‥‥考えすぎだと良いんだが、以前請けた依頼で遭った黒い奴が喜んで付け入る条件が揃ってる気がするんだよな、向かう街は‥‥」
「確かに金髪に青眼の記憶喪失の女性‥‥あのアリオーシュがまた関与してたりは‥‥まさか‥‥であるが‥‥」
「エーヴベリーは、とっても素晴らしい街なんですよ! ソールズベリーやシャフツベリーに比べるとそりゃあ小さくて、街というよりは町。村に近いですけどその分人の心も穏やかで街も活気に溢れていて、他所では見られない巨大石の見事な列石もあって、村全体が遺跡に包まれた歴史ある街なんです」
 不安を打ち消すように藤宮深雪(ea2065)は大きな声でワザと否定する。今それは、逆に悪魔がエーヴベリーを狙う価値ある土地だと証明する事になってしまう。
「人を見るたび悪魔と思え、というのは流石にやりすぎ行き過ぎでしょうが、否定してもどうしようもありません。彼の存在はいつも視野に入れておかないと」
 リースフィア・エルスリード(eb2745)は冷静に言う。無意識に首に手が行った事に彼女は気付いているだろうか?
「まあね」
 意識的にエルは返事をそこで切った。とりあえず、今は彼の関与の可能性は予感だけだ。
 リースの言うとおり心の端に止めて、目の前の事態を解決していくしかない。
「ねえねえ‥‥深雪。深雪ってシャフツベリーの兄弟に詳しいんだよね。ちょっと‥‥聞いていい?」
「何でしょう? ティズさん。私に解る事なら。‥‥何か問題でも?」
 少し声を潜めた真面目な問いかけに、何事かと深雪は真剣な顔で手招きするティズの方に顔を寄せた。
 ティズはその耳元で囁く。
「‥‥ファーラってもしかして、ブラコン?」
「はい?」
 頓狂な声が思わず口から付いて出た。
 ぶっ! 周囲からいくつも吹き出された息も飛ぶ。
 聞き耳を立てていたのかというツッコミは後にして
「あの、どういう意味なのでしょうか?」
 深雪は首をかしげた。
「だって、随分とお兄さんに厳しい事言ってたじゃない。しかも、お兄さんの恋人にもツッコミも激しいし、嫌ってるし。あれはさあ〜、お兄ちゃん大好きの裏返しと見たんだけど‥‥」
「えっと‥‥それは‥‥なんとお答えしたらよいのか‥‥」
 真剣に悩んだ顔の深雪とは真逆に、妙に感心した顔でエリンティア・フューゲル(ea3868)はぽん、手を叩く。
「なるほどぉ〜。そうだったんですねぇ〜? 人間と言うものは一〜二度出会っただけではその本質は解らないのですねぇ〜。いや、勉強になりましたぁ〜」
「勝手に納得して完結しないで下さい。エリンティアさん!」
 楽しげ(?)な様子に山本修一郎(eb1293)やセレナ・ザーン(ea9951)はくすくすと笑っている。
 エーヴベリーはあと少し。冒険者達は思った。
 疑問が解決するのも、きっともう直ぐだ。と。
 ‥‥ブラコン疑惑も含めて‥‥。
 
○傾街の娘
「ここに来るのも久しいであるな」
 マックスの呟きに頷くものも何人か。
 もっともあの頃は、自分達の抱えるものに精一杯で、のんびり観光などはできなかったが。
「あれが、巨大列石群ってやつか、本当に街を取り囲んでいるんだな」
 感心したように巨石を見上げるものも何人か。始めて見た者にとってはこの光景はなかなかに圧巻なのだろう。
 かつても自分達がそうであったように。
「でも変わりませんね。この街は‥‥」
 少し、ホッとしたように深雪は街の活気を見つめながら思う。
 かつて自分達がこの街での依頼を受けて、通ったのは丁度春から夏にかけてだった。
 冬の、列石に雪の積もった光景を見るのは勿論初めてだし、細かい点でもいろいろ違いはある。
 人の数も心なしか増えた気がしないでもない。
 だが‥‥根本の所は変わっていないと感じたのだ。当たり前の人々の命がそこにある暖かな街。
「サーガ家の皆さんが、大事に守っている街ですからね」
 心からの思いで深雪はそう言った。そして、心から思う。
 この街を守りたい‥‥と。

 冒険者の来訪と面会にエーヴベリーの長とその妹は快く応じてくれた。
「良く来てくれた! ぜひ、ゆっくりしていってくれ」
「マイトさん、お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」
「お久しぶりですぅ、相変わらず素敵な巨石群ですねぇ」
「ありがとう。あの巨石群は俺達の先祖が残した誇りだと俺も思っている。」
 かつて世話になった深雪は勿論ほかの冒険者にもマイトと呼ばれた青年は素直な笑顔を向ける。
(「領主としてはいささか落ち着きに欠ける感もありますが‥‥まじめで一生懸命な好青年に見えますね」)
 リースフィアは少し離れたところから仲間のとの会話を聞き彼をそう分析した。
 決して悪い印象を持つものではない。だが
「身元不明の女性の調査と言う事で依頼を受けましたが‥‥こう言っては失礼だが、ギルドに来た二人の意見はどうにも偏見がある様な感じで、状況確認も兼ねてではありますができれば領主であるあなたからきちんとその女性について聞いて見たいと思いましてね」
 そう絶狼が聞いたとたん印象は豹変した。
「まったく、心配性なんだから二人とも。ああ‥‥エリーさん。あの美しい人が悪い人のはずはない。と何度も言っているのに!」
 そんな言葉で始まった仮称エリーさんの話は
「‥‥ですからね。エリーさんはですね‥‥。家事も良くできて‥‥、しかも料理が得意で‥‥でしてね」
(「‥‥聞くんじゃなかった」)
 思わずそう後悔するほど長く続いている。
 これも手がかりと思い黙って聞いているが、一時間にもなるというのにまだ話は終わらない。
「雪の中現れた彼女は本当に白い服を着ていただけで‥‥まるで花の精霊のようで」
 と。
(「一途で見かけより情熱的なのかもしれません。でも‥‥、さてどうしましょうか?」)
 言葉に出さずリースフィアは考えた。
 思った以上に彼はその『エリーさん』にベタぼれのようだ。
 残っている理性もこの分では風前の灯。
(「よーし、なら先手必勝!」)
 エルは手をこっそりと握り締めて笑いかける。
「そっかあ、そんな素敵な人なんだ。僕らも会ってみたいなあ」
 マイトの考えに同意した後、
「僕たちさ、ファーラたちが留守の間の戦力として滞在するように言われてるんだ。最近デビルが増えてきているんでしょう?」
 いいかな? なるべく自然にエルはそんな風に話を誘導する。
「記憶喪失で困っているなら僕たちも力になれるかもしれないからね。こう見えても薬を扱う腕や、情報収集の手腕は確かなんだから」
「それは、勿論問題ありませんよ。モンスターの増加には俺たちも頭を悩ませていたところです。手伝って頂けるのなら助かります」
 機嫌も良かったのだろう。彼は思ったより本当に簡単に、同意してくれた。
「今、エリーさんの部屋にはララが行っている筈です。ご案内しましょう」
 先に立って歩き出す彼に、のろけ話から解放された喜び半分、いよいよ噂の現況との対面と緊張半分を胸に持ち冒険者は静かに付いていった。

「あれ?」
「む?」
 エルと絶狼は同時に微かな声を上げた。
「どうかしたのか?」
 心配そうに問うレイに後でと手を振り、エルは緊張の面持ちで扉を開ける。
(「今、ほんの一瞬だけと石の中の蝶が動いたような‥‥」)
 ひょっとしたらデビルが‥‥? そんな心配が胸をよぎるが
「まあ、マイト様、お越しくださったのですね」
 出迎えてくれた金の笑顔がかき消してくれた。まるで太陽のように。
「これはこれは‥‥」
 思わずそんな思いが付いて出る。
「あら? お客様でいらっしゃいますの? マイト様?」
 そう言って笑いかけてくれる彼女は、確かに黄金の花の様に美しかった。
 穏やかな物腰、柔らかく微笑む青い瞳。
 男性がほれ込むのも解かる気がする。人を魅了する美しさがそこにある。
(「まさに傾国‥‥と、いうところでしょうか?」)
 静かな思いは言葉に出さず
「よろしくお願いしますね。エリーさん」
 挨拶した冒険者に
「お願いします」
 彼女は丁寧に美しく、完璧な礼で頭を下げたのだった。

○隠し事と秘め事
 シャッ。シュッ、シャッ。
 部屋の中に軽い音が響いた。
「何をしてるんだ? こんなに夜遅くに」
 問うマイトにマックスは走らせたペンを止め
「マイト殿も欲しいである?」
 羊皮紙を一枚差し出した。
 それは絵。仲間が行う身元調査の手がかりにと書いていたのだというそれはエリーの外見特徴を描いた肖像画だった。
「欲しい」
 即決の返事にマックスは羊皮紙の端を持つ手を離した。
「どうぞである」
「ありがとう」
 差し出された絵の中、エリーは本当に優しい笑顔で微笑んでいる。
 絵を見つめにへらと笑う兄を、くすくすくす。
 少女は笑顔で見守っていた。
「何がおかしい? ララ」
 顔は朱に染まり、声にも感じる熱い熱。
 笑い声はいつの間にか様子を見守る冒険者たちにも移っていた。
「あら、別におかしくて笑っているわけではありませんわ。恋する瞳の輝きは本当に美しいものであると思うだけですわ」
 ねえ? ララ様? セレナの出した助け舟に乗ってララはこくこくと首を縦に動かす。
「‥‥お兄ちゃん、‥かわいい‥‥」
 そして、とどめの一言が飛んだ。
「大丈夫、わたしは恋する人の味方だから応援するよ。それに障害があった方が恋は燃えるものだからね! それでさ、もうキスとかした?」
 目を輝かせてにじり寄ってくる少女にマイトはさらに頬を上気させた。もう顔面はりんご状態。
「ば、バカッ! からかうな!! 俺は寝る! 冒険者も早く寝ろよ。ララも夜更かしするんじゃないぞ」
 振り返り逃げるようにマイトは部屋を出て行った。しっかり絵を握り締めて。
「あちゃ〜、マイトお兄ちゃん怒らせちゃったかなあ? 少しやりすぎた?」
 少し心配そうに見送るティズにだいじょうぶ、とララは頷く。
「お兄ちゃん‥‥照れやなだけ。エリーお姉ちゃんが大好きなの‥‥。ララも好きだよ」
 もう一人の『姉』を慕うまなざしで見つめる妹。それを受け止める『姉』の表情は‥‥寂しげだった。
「ねえ、マックス。もう少ししたらそろそろ終わらない? さっきからだいぶ時間もたってるし、エリーさんも疲れただろうからさ」
 ティズが気づいたエリーの様子に少し遅れてマックスも気づく。
 そして‥‥ティズの意図にも。
「おお! これは失礼をしたのである。もう絵もだいぶ完成したし終わるとしようかである。しかし、本当に美しい御方である。まるで妖精の女王のようである」
 最大限の賛辞であるのだが、それを受ける側は少しも楽しそうでも嬉しそうでもない。むしろ、逃げるように立ち上がり頭を下げた。
「ありがとう‥‥ございます。少し‥‥失礼してもよろしいですか?」
「どうぞである」
 彼女は、もう一度頭を下げると静かに退室していく。
 ティズは小走りにその後を追う。
「ララ様も、少しお部屋に戻りましょうか? ずっとエリーさんのお相手をなさっていたからお疲れでしょう?」
「‥‥ううん? ネコさんと遊んだりしたから‥‥平気よ」
「でも、お兄様に怒られますわ。また明日遊びましょう」
 促されてララも部屋を出る。言葉には出さなくても結構無理をしていたのかもしれない。
 口元に手を当てる少女を促して、セレナも静かに部屋を出た。
 マイトが消え、エリー、ララが去り、冒険者達だけが残された居間。
 その静寂の空間を
「何か、隠しているようであるな」
 マックスの一言が切り裂いた。
「やはり、皆さんもそう思われますか? 私も同意見です。彼女は何かを隠している、そしてマイトさんの愛を受けることを躊躇っている」
 今まで言葉を挟まず、じっと彼女の様子を見続けていたリースフィアと絵を描くという彼女の本質を見つめる作業をしていたマックスの二人共通のそれが印象だった。
「でもさ、ちょっと問診なんかしてみたけど、記憶喪失が完全な嘘って感じもしなかったけどなあ。不安げな顔とか。あれが演技だとしたらものすごい女優、って感じ?」
「悪魔が変身しているとかぁ〜、魔法がかかっているとかいう可能性もありませんよぉ〜。その辺はこっそりですが確かめましたぁ〜」
「銀の髪飾りも嫌がらずに着けてたよね。高価なものは頂けませんって返してもらっちゃったけど」
「確かに記憶喪失は本人が言うことだけが頼りですから、嘘だと完全に断じるのは難しいと思います。ですが、何かを隠しているということは何か隠すべき記憶を持っているということではないでしょうか? そしてそれを言わない以上疑惑を持たれても仕方がないと私は判断します」
 それに‥‥、エリーが発見された時に着ていたと言う服を手に取りながらリースフィアは呟く。
「私は彼女の衣装や、仕草にも疑問を感じていたんです。この衣装は上質の素材で作られていましたがこの季節外に出る時に着るには不似合いなほど薄く、飾りが付けられています。まるで誰かに見せる為の服のよう。あながち‥‥さっきのエルさんの言葉が真実を付いているのかもと私は思いますが‥‥」
「さっきのって、女優?」
 ええ、リースフィアはエルに向かって頷いた。そして仲間にも。
「彼女の手は美しく、家事労働などに従事している手ではありませんでした。外見も気を使わなければあの美しさはなかなか保てませんし、上級の芸人は高い地位を持った人の前で演じる時の為に礼儀作法も身につけると聞いています」
「でも‥‥だな、もし仮にあの女性が女優で領主を騙しているとするなら、その目的は何だ? 単に地位や金目当てってこともあるだろうが『デビル』に襲われていたって話なんだぞ。悪魔がらみなら黒幕がいて、何か特別な目的があると考えるべきじゃないか?」
 ええ、もう一度リースフィアは頷く。そここそが今回の鍵になるに違いない。
「なら、明日俺達はその辺を聞き込みに回ろう。女性陣とマックスは屋敷と住人の警護をしていてくれ」
 レイの指示に冒険者達は同意する。
「でも‥‥彼女、そんなに悪い人には思えなかったけどなあ」
 明日の為にと動き出す仲間達の横で、いつの間に戻ってきたのかティズは小さく小さくそう呟いた。
 
○走る影
「やれやれ、ここも空振りですか」
 肩を落とす修一郎に仕方がないとレイは応じた。彼自身のその言葉にも苦笑が浮かんでいるが。
「それに、それ以外の収穫はあったろう?」
「そうですね。まだあくまで点と点の段階ですけれど」
 顔を見合わせる二人に向けて
「やっとみつけましたぁ〜。さがしましたよぉ〜。待ち合わせ場所。決めておけばよかったですねぇ〜」
 息を切らせながら走って来たエリンティアに何事か、と二人は目を丸くする。
 こんなに急を要するほどの情報とは、一体なんだろう?と。
「どうしたんだ? 本当に」
「はい。あのぉ~、実は大変な情報が手に入ったんですぅ〜」
「大変な情報?」
 息を飲み込み耳を欹てる二人に息を直したエリンティアは
「実はぁ〜、この街の石碑を狙う商人がいるらしいんですぅ〜」
 ねえ、すごい情報でしょ? だが二人はがっくりとよろめき崩れた。
「あれぇ〜。どうしたんですかぁ〜」
 天然のボケにレイはツッコむ。
「いや、それわかってるから。近頃結構な噂なんだ。この街で新しく商売を始めようとしている商人がいるって、石碑を使って安い住居を作ろうって話だろ?」
「はい〜。そうなんですぅ〜、なんでもぉ〜石材代を節約することによってよりリーズナブルな価格で住居を提供できるってことが売りのようなんですぅ〜。でもぉ〜この街の人たちは石碑に愛着がありますからぁ〜おおむね反対でぇ〜よそから戦乱とかで家をなくした人とかを対象にしているようなんですよぉ〜」
 それも解かっているという顔で二人話を聞いている。また、エリンティアの顔がシュンと下がるが、ふと、また力を取り戻した。
「あ、でもぉ〜、これはご存知ですかぁ〜。その商人さんこちらで商売を始めるにあたりぃ〜結構たくさん部下を連れてきたようなんですぅ〜、その中にすっごい美男美女が何人もいたって話なんですよぉ〜。いい年をして好色ですよねぇ〜」
 ふむ、とレイはあごに手を当てた。それは、知らなかった。
「以前〜。ソールズベリーでも石材流通から財を成した商人さんと出会ったことがありましたぁ〜。石材商人さんって『そういう人』が多いんでしょうかぁ〜」
「いや。そうとは限らないが。石そのものの価値はそんなに高いものじゃないから、より利鞘を出そうと思うなら『そうなる』こともあるかもいれないな。正直エリー嬢の身元は。今のところ酒場をいくらあたっても空振りだったんだ。保護される前後に何か変わったことは無かったか、と聞いてもその商人の件くらいだと言っていたしそうか、女を宛がったのかも‥‥ん? エリンティア? 絶狼はどこだ?」
「はい? さっきまで一緒に聞き込みしてたんですけど、いらっしゃいませんか?」
 ふと、気が付いた顔で、レイはエリンティアの頭上から周囲を見た。やっぱりいない。
「いないから聞いてるんだが?」
「いえ、最初にエリンティアさんがいらしたときは後ろにいらっしゃったと思います。でも、その後は‥‥」
 気づいて三人は顔を青ざめた。周囲を見回してもいない、という事は‥‥。
「ちっ! 単独行動になったか? エリンティア? どこかに行きたいとか言ってなかったか?」
「ああ、そういえばぁ〜、実際に襲われたところを見に行ってみたいとかぁ‥‥」
「実際に襲われたところ! 森か?」
 三人は同時に駆け出した。
 間に合うように、と。全力で。
 
 別に単独行動をする意識は無かった。だが、他にその地点に興味を示したものがいなかったようだから、結果として単独行動になってしまったかもしれない。と、後で絶狼は自分の行動を反省分析する。
 仲間に一言言ってから行けば良かった。もしくは仲間を声を出して誘えば、と。
 だが、今は反省しても仕方が無い。
 キキーッ!
 こうして襲われてしまっているのだから。
「くそっ、ちょっと数が多いか‥‥」
 自分の周りにいるのは主にインプやグレムリン。単体であれば敵ではないし、数体くらいならなんとかなるが、十数匹に一編に襲われるとさすがにやっかいだ。
 念のため魔法の剣を装備して置いてよかったと、心から思う。
 足元に切り倒したインプが邪魔になる。雪にも足を取られる。
「ちっ!」
 インプを蹴り飛ばし、身構えかけたその時だ。絶狼が足元に雪に埋もれた光るものを見つけたのは。
「ん? ! しまった!」
 ほんの一瞬意識が戦いから反れた。その隙を悪魔は見逃さずに突いてくる。
「くそおおっ!!」
 三対の悪魔の同時アタックをそれでも絶狼は二体まで交わした。だが三匹目の爪は避けきれない。
 思わず目を閉じる。その時だ。
 何か、シュンと風を切る音がしたのは。
「えっ?」
 見ればデビルの眉間に銀のダガーが突き刺さっている。0距離で止まったデビルを前に蹴倒して後ろに下がった時、仲間達の声がした。
「大丈夫ですかぁ〜。絶狼さん〜」
「どうやら間に合ったか」
「ご無事で何よりです」
 駆け寄って自分の周りを守るように身構える仲間に、絶狼は
「すまない。助かった‥‥」
 心からの思いでそう告げた。
「気にするな。でも、やはりデビルか‥‥。雑魚とはいえ、この数。何かに引き寄せられているのか?」
 呟くレイはそれでも、デビルから目を離さない。
 だから、気づいたのだ。
(「羽ばたき?」)
 そう、デビル達の後方、金切り声の向こうに微かな羽ばたきが聞こえた気がした。
 そして、それを合図にするようにデビル達は動き出す。冒険者に向けてではなく、潮を引くように後方へ、と。
「逃げたのか?」
 やがて周囲からデビルの気配が完全に消え、石の中の蝶も動きを止めたのを確認して絶狼は剣を収めた。
「なんだったのでしょうね? あれは‥‥」
 修一郎の問いに答える言葉は無い。
 だが、無言で答えるヒントは実はあった。デビルの体の下。雪の中に埋もれていた小さな細工ものを絶狼は拾い上げる。
「ここが、エリー嬢とマイトの出会いの場所だと言っていたな。なら、ひょっとして‥‥これは‥‥」
 小さな十字架が彼の手の上にあった。
「彼女のものかもしれないな」
 ‥‥エミリとフレドリック。二人の未来をねがって‥‥
 そんな思いが刻まれた十字架は、絶狼の手の上で静かに銀の光を放っていた。

○遠い光
 冬にしては比較的暖かい陽気で、太陽の光を浴びるには丁度いい。
 暗い部屋の中に篭りきりなのは体にも、精神にも良くないと冒険者はエリーとララを誘って庭に出ていた。
「気分転換も大事だもんね」
 本当なら街に出ていきたいところだが、今は我慢する。
「マイトに恨まれちゃうかな。僕らが来てからずっと二人になれないもんね、あ、エリーにも」
「あ‥‥私はそんな‥‥」
 うつむくエリーの顔をティズは心配そうに覗き込んだ。
「エリーはマイトのことが嫌いなの?」
「いいえ! そんなことは!」
 帰ってきた返事は即決。こればかりは演技ではないと女性ならば誰もが確信できる。
「そういえば、聞いてみたかったんです。マイトさんのどこを好きになったんですか? やっぱり一途な所ですか?」
 柔らかく問う深雪に、顔を赤らめてエリーは頷く。
「はい。とってもお優しくて‥‥誠実で‥‥嘘が無くて‥‥でも‥‥」
「でも?」
 そう問うたのはリースだった。少し厳しい試すような口調だ。それを感じたのだろうか。寂しげに彼女は笑って告げた。
「あのような方に、私はきっと‥‥ふさわしくありません。どこの、誰ともしれない、私など‥‥」
「ん〜〜、そんなことマイトは気にしないと思うけどなあ〜。まだ少ししか会ってないけど僕だって解かるよ。マイトが本当にエリーを好きなこと、さ」
 唸りながら言うエルの横で、くいと白い手がエリーの服を引いた。
「‥‥お兄ちゃん。お姉ちゃんの事、大好き。‥‥傍にいてあげて‥‥」
「ララ様‥‥」
 返った返事は沈黙。否定するにはマイトへの愛が深く、肯定するには自らへの不安が大きいというところだろうか。
「ああ、そうだ。私、ちょっと調べたいことがあるんです。エルさん。皆さん、こちらお任せしてよろしいでしょうか?」
 勿論と仲間達の首は縦に動くエリーにティズ、ララにセレナ。おまけにエルとリースフィアがいるならちょっとやそっとの敵は近づけまい。
 安心して深雪は庭を離れ館へ戻った。
 その考えは勿論正しかった。
「あれ?」
 エルはまた自分の指を見つめる。気のせいだろうか? 微かに指輪の蝶が動いたような気がしたのは。
「また‥‥昨日の猫さん、来てくれないかな。なつっこくて‥‥可愛かったのに‥‥」
 探し顔で外を見るララ。
 だが、それとは正反対に『猫』。その言葉にエリーが微かに肩を震わせ下を向いたのを冒険者は見落としはしなかった。
 胸元に助けを求めるように手をやるエリー。だが彼女の不安げな指に答えるものはなくそして、その後、いくら太陽の光を浴びても彼女の顔が晴れ渡ることは無かったのだ。

「冒険者の仕事は彼女の身元調査だろう? どうして、エリーを連れ出すんだ? 少しでも一緒にいたいのに‥‥」
 仕事を終え、エリーを誘いに来たのであろうマイトは彼女が留守と知るや、泣き出さんばかりの表情を浮かべたかと思うと、今度は右左にと落ち着かない様子で行き来する。
 敬語も忘れ、すっかり素の青年に戻っている。拗ねたその様子はまるで、主人に置いていかれた子犬のようだ。
「まあまあ。少しは落ち着くのである。それにマイト殿、彼女の身元が分かるまで熱を上げすぎぬ様に。何だか紳士的でないであるよ」
 護衛役であるマックスに諌められても不安げ、不満げな顔は消えることはない。
「俺は、エリーさんが好きだから。彼女が例え誰だろうと気にするつもりはないんだ。記憶が戻っても戻らなくてもきっとそれは変わらない!」
 やれやれとマックスは肩を下げる。ここ暫く護衛としてついてみて、領主としての有能さは持っているが、それ以上に熱い点もこの青年は持ち合わせている。
 曰く、恋は盲目、と言うやつであろうか。
「失礼します。マイトさんがこちらと伺って‥‥あら、お邪魔ですか?」
 いや、邪魔と言うわけでも‥‥、下がった顔を引き締めマイトは扉から顔を覗かせた深雪に頷いた。
 何があったのか、察した深雪であったがそれ以上は何も言わず、用件に入る。
「書庫を見せて頂きたいのです。あと、今度時間があったらでいいのですが‥‥エーヴベリーの遺跡もう一度調べさせて頂けませんか? 少し気になることがあって‥‥」
「勿論、それはどちらも構わないが‥‥、もうあの遺跡には何もないと思うが‥‥」
「まあ、私の思い過ごしかもしれませんので。そちらはいずれということで、では、書庫をお借りしますね」
 お辞儀をして去る深雪を黙って、でも首をかしげてマイトは見送る。
「あの遺跡。遺跡である以上に何かあるのか? 他所の商人なんかは石の塊って言って住居建設の材料にしようって言ってたりしたのに」
「ほお?」
 微かに横でマックスの眉が上がったのをマイトは気づかない。
「ララ殿が‥‥『お兄ちゃんとケンカした‥‥』と言っていたのはそれであるか? いつ頃の話である?」
「ケンカって程じゃない。意見の食い違いだ。エリーさんと出会う三日前か。街に住居を増やして身寄りのないものや、戦争で家を失ったものを受け入れては? という話があってな。俺としては意図はわかるができる限りは遺跡は守っていきたいと断った。発展は抑えられてしまうかもしれないけど、それでも」
「賢明であるな。遺跡を下手に触れないのは正しいと思う。まだ、何があるとも知れぬであるからして‥‥」
 言いながらマックスは考える。
 三日前。つまりそのトラブルの直後に彼女は現れたのだ。
 これは偶然だろうか‥‥。と。
 戻ってきた冒険者が、新たなるざわめきを起こすまで。

 書庫に篭っていた深雪は古い本の埃を手で払った。
 前の事件以降どうやらあまり使われていないようだ。それはいい。
 過去にとらわれず街には前に進んでほしい。
「でも、過去を知ることで未来に進めることもあるかもしれませんから」
 ウィルトシャーには三つの遺跡があり、結果としてみればそれぞれに街に害を及ぼしたものが封じられていた。
 ならば、あの悪魔に対抗する手段が何か残されていないだろうか?
 そんな微かな希望を持ってここに来てみた。調べ物には時間がかかるから簡単ではないだろうと覚悟して腕をまくるがその決意は。
「深雪! いる! ちょっと来て!」
 最初の一冊を開く前に遮られた。
「どうしたんですか? 一体?」
「森で絶狼がケガしたんだって、ちょっと見てやって」
「分かりました!」
 本を置いて部屋を走り出る深雪。
 読み取る者のいなくなった書庫は何も言わず、語らず今も沈黙している。

「大した事はない。ケガって程でもないから」
「確かにポーションを使うほどの怪我では無いかもしれませんが、だからこそ下手にしちゃいけません。じっとしてて下さい」
 心配そうに取り巻く仲間たちの中央で、絶狼は白い光に包まれた。
「ふう、ありがとう。すまなかったな。ちょっと油断した」
 治療はすぐ終わり、立ち上がった絶狼の手元から
 シャラン、小さな音ともに何かが落ちた。
「落し物ですよ。これは‥‥十字架?」
 深雪が拾い絶狼に差し出す。
「ああ、ありがとう。森で拾ったんだが‥‥!」
「うわっ! どうしたの? エリーさん!!」
 ティズは声をあげた。彼女の小さな体が突然倒れてきたエリーの体を必死で支えているのだ。
「エリーさん!」
 助けの手を差し出そうとしたエルやセレナを押しのけてエリーを支えるマイト。
 だが、それ故に聞こえてしまった。
「‥‥ごめんなさい‥‥。許して‥‥下さい‥‥。フレドリック‥‥」
 遠のく意識の中、エリーがそう呟いたのを。冒険者は、そしてマイトも聞いてしまったのだ。

 その後、エリーは暫くの後目を覚ます。
 だが、彼女の記憶はまだ何も戻っていなかった。
 銀の十字架のことも何も分からないと言っていた。

 ‥‥記憶は戻っていないと、言っていた。