【新章 魔法使いの一族】裏切りの娘
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■シリーズシナリオ
担当:夢村円
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:13 G 57 C
参加人数:10人
サポート参加人数:-人
冒険期間:02月26日〜03月08日
リプレイ公開日:2007年03月06日
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●オープニング
躊躇いがちに叩かれた裏木戸が、やがて細く小さく開く。
「どなたです?」
囁かれた声に『彼女』は答えた。
「エミリです。お話があるんです。ご主人様にお取次ぎを‥‥」
小さな頷きの気配と共に開かれた扉は。滑り込む『彼女』を吸い込むとまた沈黙した。
それから長い事、扉は開かれる事は無かったと言う。
揺れるテーブル。
「だからさ! あの女は怪しいのよ。マイト兄さんを騙すつもりなんだってば! 絶対!」
感情的に声を荒げる妹に
「証拠は何も無い。エリーさんを悪く言うな」
表情を変えず、兄はそう答えた。
それを見つめる弟はテーブルの上に置かれた十字架を手に取る。
シャラリ。十字架が左右に揺れた。
「まあ、確かにこれがエリーのものだって証拠は無いけど、冒険者の話を聞く限りそれは望み薄だぜ‥‥兄貴だってホントは解ってるんだろ? あの森は滅多に女が入るところじゃない。街の連中はこんなものをもっていたりもしない。そして、十字架に刻まれた名前を口にした。ならばこの十字架はエリーのものだ」
妹よりも冷静に追い詰める弟に、それでも兄は反論を探す。
「それが、エリーさんのものだとしても俺を裏切ったという証拠じゃない。彼女は俺を裏切ったりしない!」
「どこがよ! 男の名前が刻まれた十字架を持った女が、どうして兄貴にモーションをかけるの! それが裏切りや騙しじゃなくてなんだっていうのよ!」
「モーションなんかかけられていない。俺が、ただ彼女を好きなだけだ!」
重傷だ。弟は兄を見つめ深いため息をついた。
どこの誰とも知れぬ記憶喪失の女性に恋した兄は、おそらく何があろうとも彼女を愛し続けるだろう。
本当ならそれを邪魔したくは無い。
だが、彼の恋は彼だけの恋では済まないのだ。
今は国も、街もあまり穏やかな時ではない。
そして‥‥自分達の想像が正しければそれを狙って彼女は差し向けられた。作られた偽りの恋は決してこの純朴な兄を幸せにはしてくれまい。
「解った。じゃあ、こうしよう。彼女の素性を改めて調査し、その記憶を取り戻させる。その上で彼女が兄貴を裏切っているかどうか確かめるんだ」
公正に冒険者に依頼して。
考えた末の提案を告げる弟に、兄と姉は
「いいわ。それでもし、本当に彼女がマイト兄さんを裏切っていたら、私は彼女を許さない」
「いいだろう。彼女は絶対に俺を裏切ったりしないし、していない。俺は信じている」
それぞれの信念と共に頷く。
これで結果はどうあれ、話に結論が付くだろうと思われた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
その時、扉が前触れも無く開くまでは。
「エリーお姉ちゃんが、いなくなった!!」
妹がそう告げるまでは。
「で、今もってエリーの消息は掴めない。街を出てはいないはずなんだが‥‥困ったもんだ」
「つまり仕事は行方不明になったエリーとかいう女の捜索か?」
問われ依頼主、エーヴベリーの魔法使いウィンはああ、と頷いた。
「まずは、エリーを見つけてくれ。そして、彼女の記憶の回復と身元調査をしてもらえるとありがたい」
俺は直ぐに街に戻らなきゃならない。と旅支度を解く事もせずにウィンは言う
「エリーが行方不明になってからのマイト兄貴とファラ姉はもう本当に一触即発。よると触ると言い争いばかりだ。俺やララが間に入ってなんとか押えてるけど、時間の問題だ。とにかくどんな形でも構わない。エリーが戻ってきて、そして今回の事態に決着を付けないと本当に街が傾く」
彼は大げさに深いため息を一つつき、瞬間、真剣で冷静な顔つきへと表情を変えた。
それは普段は兄弟にも滅多に見せない街と兄弟を支える参謀の眼差しだと冒険者は気付く。
「冒険者の話を聞く限り、俺は彼女は記憶を取り戻してる。いや、失ってないんじゃないかって思ってる。そして、俺個人では彼女の居場所も実は見当が付いているんだ」
兄弟は行方不明になった彼女を懸命に探した。彼女は身の回りのものも、金も何一つ持っては行かなかった。
遠くに行ったわけでもなく、行くつもりも無かったはずなのだ。
それでも、エリーは見つからない。
小さな街だ。顔なじみの多いこの地で慕われる領主に望めば多くの者が手を貸してくれる。
それでも、彼女は見つからない。
彼らの手の届かない場所と言えば‥‥それは一つしかないのだ。
「あいつが黒幕なら、全てがつながる。エリーは自分の意思で失踪し、そして戻れない状況にあるのかもしれない」
だから助けてやって欲しいとウィンは言う。これは兄弟達には言わない彼の思いだ。
「あいつは、まだこの街で大もうけをすることを、まだ諦めてはいない。だから状況的に見れば多分ファラ姉の言う方が正しい。でも、心情的には俺は兄貴の味方なんだ。彼女、俺はそう悪い奴には思えない。できれば彼女の力になってやってくれないか?
マイトの心はひょっとしたらエリーには届かないかもしれない。
それでも、全てにちゃんと結論がつけば、前に進む事ができるだろうから。
彼はそう言って兄弟の待つ故郷へと帰っていった。
ある館の一室で商人は『彼女』と向き合っていた。
暗い闇の中で、明るい金と、汚れた茶色と、暗い金が薄いランプの中、揺れる。
『ほほう、エミリ。どうしてもお前は私を裏切ると?』
「裏切りではありません。ですが‥‥私にはこれ以上あの方を騙す事などできないのです」
『それを、裏切りと言うのだ! まあ、お前がマイトに惚れた、というのは構わん。だが、お前が何のために差し向けられたかを忘れるなら、お前は大切なものを失う事になるだろうな!』
「フレドリックを?! お願いです。止めて下さい」
今まで、後ろに控えていた青年は掴みかからんばかりの彼女を止めて、静かに命じる。
『ならば、お戻りなさい。そして、貴女の役目を果たすのです。‥‥貴女の大事なものを失いたくないのなら』
「‥‥はい」
『いつも、貴女を見ているものがいることを忘れてはいけませんよ』
いつの間にか彼女の足元に現れた黒い影が彼女を外へと導く。
『まったく、女と言うものはころころと心を変えおる。まったくもって扱いづらいものだ‥‥。いいか? エミリから目を離すでないぞ。フレドリックからもだ!』
はい。
その言葉を確認し、明るい金に続いて薄汚れた茶色が部屋を出て行く。
開かれた扉から差し込む風が残された人物の髪を揺らし、炎を一瞬大きく燃やした。
『さて、ちょっとした遊びのつもりだったが、なかなか楽しくなりそうだ』
囁かれた言葉は誰にも『エミリ』にも彼が主と呼ぶものにも、それ以外にも勿論、聞かれることは無かった。
『エミリ』は凍える森の中で、一人立つ。
周囲にはデビルや獣の気配があるのに何故、誰も私を襲ってくれないのだろうと思いながら。
裏切りの女。
罪深き自分に触れる事は悪魔さえも拒絶するのだろうか。
大事な十字架が自分の手から離れてしまった事も、仕方ない事なのかもしれない。
涙さえ枯れはてた目を閉じ、彼女は雪の上にその身を横たえた。
今、彼女に出来るのは冬の寒さの中にその身体を埋める事だけ。
万に一つ。凍え死ぬ事ができることを願って‥‥。
遠くに聞こえる足音を聞きながら‥‥。
●リプレイ本文
○届けられた希望と届かない願い
キャメロットの広場から三筋の光が、西方に向って飛んでいく、走っていく。
正確には光ではなく、人の形をした希望だが。
「それじゃあね。先に行ってるよ。リースフィア。ツァイをよろしく」
「私も先に行っておりますね」
「解りました。それほど遅れないですむとは思いますが、向こうの皆さんと、エリーさんをお願いします」
「うん‥‥。じゃあね!」
「解りました。お気をつけて」
仲間を見送るリースフィア・エルスリード(eb2745)の胸で抱きかかえられた宝石猫がニャーと小さな声を上げる。
「大丈夫ですよ。エルさんは貴方を置いていった訳ではありません。ただ、フライングブルームでの二人乗りは危険ですから、私と一緒に行きましょう」
今度は同意を表す鳴き声。それに答えるようにリースフィアは自らも出立の準備を始めた。
「ねえ、お姉ちゃん。エミリとフレドリックは大丈夫?」
心配そうに自分を見つめる少女の無垢な瞳。それに気づいてリースフィアは静かに膝を折った。
「大丈夫ですよ。さっきのお姉さん達。エル・サーディミスト(ea1743)さんは彼女はスゴイ魔法使いですしセレナ・ザーン(ea9951)さんは腕のある騎士です。昨日先に行った山本修一郎(eb1293)さんや、他にも仲間がいますし‥‥私もいます。彼らを守る為にも私達は動いているのです。だから、大丈夫」
良かった。言って少女はもう一度、リースフィアを見つめる。
強い願いの眼差しで。
「エミリとフレドリック。大好きだったの。困っていたら助けてあげて」
「お約束します」
少女の白い手を握り締めてリースフィアは頷いた。
(「今回は単独行動は取らないぞっと! この森は鬼門だからな。森のせいじゃあないけど」)
自分に言い聞かせるように胸の中で囁きながら閃我絶狼(ea3991)はゆっくりと雪を踏みしめた。
足元には狼犬。周囲には同じように気配を探りながら歩くマックス・アームストロング(ea6970)がいる。
雪が解け始め、風もどこか暖かい。もう少しすれば足元に花も咲くだろう。
だがそんな気持ちいい初春の森の探索は
「ガウ!」
何かの気配を感じたような愛狼の唸り声と
「おい! いたぞ。こっちだ!」
レイ・ファラン(ea5225)の呼び声で終わりを告げた。
駆け寄る絶狼とマックス。
「エリー!」
濡れるのも構わずに膝を付いたレイの腕の中には凍りつき身体に張り付いたドレス。冷え切った身体でその白い肌をさらに蒼白にする娘の細い身体が抱きしめられていた。
「くっ!」
思わず自分の中に芽生えたものを絶狼は振り払う。
その艶かしさに、美しさに一瞬見惚れてしまった事を否定するかのように。
レイやマックスも喉で唾を飲み込んでいる音がする。
「‥‥助け‥‥な‥‥い‥‥」
弱々しい声さえ、胸の中を熱くさせる。
(「傾国、ってのは本当にこういう女、なのかもな」)
思いながらもマックスがかけたマントで娘の身体を包んで仲間を促す。
「とにかく、話は後にしよう。女の世話は俺達じゃ難しいしな」
立ち上がったレイは頷いて娘を抱きしめたまま走り出した。後を追うマックス。
「‥‥いいんだ。今は放っておけ。絶っ太。行くぞ」
振り向きざま微かに唸り声を上げた狼の頭を撫でて、絶狼はそのさらに後から仲間の後を追った。
「助けないで」
そんな願いと、悪魔の存在を無視して走る。
彼の指で石の中の蝶が微かに揺れていた。
○戻ってきたエリー
雪の上に身体を横たえたはずなのに、今、自分がいるのは暖かいベッドの中。
「ここは?」
戸惑うように目を開けた彼女に
「おやあ〜。気が付いたみたいですねぇ〜。よかったですぅ〜」
最初に出会ったときから変わらぬ笑顔がそこにあった。
「貴方は‥‥ここは‥‥?」
「ここはエーヴベリーの宿屋です。大丈夫。まだサーガ家の人には知らせていませんから‥‥。エリンティアさん。ちょっと席を外してもらえますか? 女性の身支度ですから」
「そうそう。男子禁制!」
「あれぇ〜。そうですかぁ〜。解りましたですぅ〜」
押し出されるように遠ざかった柔らかい笑顔と入れ違いに、優しい笑顔と、元気な笑顔が前に来る。
「怪我はないようですね。でも、ダメですよ。エリーさん。一人で無茶をしては。サーガ家の皆さん。特にファラさんがかんかんに怒っていましたからね」
エリンティア・フューゲル(ea3868)が外に出たのを確かめてから藤宮深雪(ea2065)はそっとベッドの上のエリーを助け起こして、身体を拭いた。
「そうそう。マイトなんか今にも死にそうな顔してたんだからね。本当に愛されてるんだね。いいなあ〜」
暖かな着替えを肩にかけてティズ・ティン(ea7694)も無邪気に笑う。
だが『エリー』の顔から笑顔の返事は返らなかった。
「私には‥‥愛される資格なんて無いのに‥‥」
「エリーさん‥‥」
暗い顔で下を向くエリーその肩を
「ダメだよ!!」
ティズは思いっきりの全力で叩いた。
細く弱った身体が揺れるがそれよりも何よりも彼女の心はその言葉に揺らした。
「えっ?」
「エリーさんもマイトさんの事好きなんでしょ? 恋する乙女の目をしてるもん。恋をしたら、素直な気持ちをちゃんと伝えることが大切なんだよ。気持ちが通じ合ったら、二人で逃避行!」
口調は明るく冗談めいて。だが、ティズの目は真剣。真剣にエリーの手を強く握り締めた。
「‥‥悩みがあるなら、愛してくれる人に相談した方がいいよ。親身になって救ってくれるから。愛は持ちつ持たれつなんだし、頼るときは頼って、尽くすときは尽くさなくっちゃ」
真っ直ぐな思い、だが、今、彼女はそれに首を縦に振ることはせず、またできないようだった。
何かを思いつめたように毛布を握り締めるエリーは、突然、ハッとした顔で窓の外を見た。
その視線を冒険者も追うように見つめる。
「何も、いませんよ?」
そう。窓の外には何もいない。ただ、風が通り過ぎるのみ。だが‥‥
『‥‥忘れてはいけませんよ?』
その風が運んだような微かな空耳と、窓の外を過ぎった黒い影が彼女の心と思いをさらに沈黙させたのだった。
着替えも終わり、少しは容態も落ち着いたようだ。と言われ入ってきた男性冒険者達も含めて狭い宿屋の部屋の中はかなり人口密度が高くなってきた。
「どうしても、ダメかい?」
取り囲むのは一人の女性。ベッドの上で彼女は沈黙を続けていた。
ベッドサイドに腰をかけ、絶狼は彼女の目を見ようとする。
「悪いが、サーガ家に連絡した。じきにマイトがすっ飛んでくるだろう。多分ファラもな」
強く唇を噛み締めた彼女は視線を逸らすようにまた下を向く。
それと、ほぼ同時だった。
ドダダダダダダ! 古い石造りの家屋でさえ揺らす勢いが近づいてきて
ダン!
ドアを開けた。
「エリーさん!」
「! マイト様‥‥」
「良かった。無事で。心配したんですよ。でも‥‥大丈夫ですよ。何があったか知りませんが、もう、大丈夫です! ああ、本当に無事でよかった」
誰も、何も口を挟めない勢いでエリーに近寄りを抱きしめるマイト。
冒険者もそれを止めることさえできなかった。
それを止められたのは、
「も‥‥う! ‥‥兄さん、こういう時だけ‥‥は、足早いんだから‥‥、でも、本当に、戻ってきたんだ‥‥エリー」
後を追いかけてきたファーラだけだった。
「どいて。兄さん!」
「おい!」
呼吸を整え、絶狼を追い出し、兄を突き放し、ベッドのファラはエリーの前に仁王立つ。
「どの顔下げて、戻ってきたのよ。何日も行方知れず。しかも同じ場所で倒れていた、ですって? いなくなった間、どこで何をしてたのよ。もう、記憶喪失なんて言い訳、通用しないんだから!」
エリーの腕を捻り上げ無理やりベッドから立たせようとするファーラ。
「キャア!」
「止めろ。ファーラ! エリーさんには理由があったに違いないんだ。彼女に乱暴する事は俺が許さないぞ!」
エリーを庇おうとファーラの前に立ちふさがるマイト。
「兄さんを裏切ってるって解ってるのに、まだこんな女を庇うの?」
一触即発、触れたら爆発しかねない二人を
「こら、待て止めろ! 少し落ち着くんだ」
「はい、そこ迄にして下さいねぇ、少なくともお二方共正しいですしぃ、間違っていますよぉ」
絶狼とエリンティアがそれぞれ止めに入った。
引き離されでも、互いをにらみ合う二人を、窓枠に身を預けていたレイが、外に見えたものと交互に見つめ、頷いた。
「二人とも、少し席を外してくれないか? どうやらうちの仲間が戻ってきたようだ。少し仲間と相談してから、俺達の方針を決めるから」
「方針って何よ。私は間違ってないわよ。どう見ても、悪くておかしいのはエリーの方なんだから‥‥」
「はいはい。少し頭に血が上りすぎだぜ。ファーラ。‥‥ティズ。この二人頼む。話が終わったら呼びに行くからさ」
くるり、背中を返され押され
「ちょっと、まだ話は終わって‥‥な‥‥」
絶狼にくってかからんとするファーラを
「りょーかい! ねえねえ、一つ聞きたかったんだけど、ファーラってお兄さんラブ? 喧嘩気味なのにマイトをちゃんと心配しているところがそんな感じなんだよね〜」
「な、なんで私が? あんなに頼りなくてお馬鹿な兄さんだから、仕方なく私がねえ〜」
「あ〜、はいはい。解ったわかった」
がっしりと腕を絡めて確保してティズが部屋の外へと連行していく。
「ほら、あんたも。大丈夫。悪いようにはしないからさ」
冒険者の促しに、妹よりは幾分素直に。だが、明らかに後ろ髪惹かれる思いを残してマイトも静かに部屋を出た。
「やれやれ。マイトはまだあんたを信じてるよ、今時珍しいよなあ、あそこまで一途なのも、だからこそあんたにはきちんと本人に真実を話してやって欲しい、あんた自身の口で‥‥よう、お帰り」
前半はエリーに、後半は入り口のドアに向けて告げる。前半に答えは返らなかったが、後半はヤッホーという挨拶と嬉しそうに振られた手が答えた。
「遅くなってごめ〜ん。ちょっといろいろあってね〜」
「ただいま戻りました。その代わり、大事な情報を手に入れてきましたから‥‥よかった。エリーさんもご無事でしたのね」
すれ違いに入ってく冒険者が四人。部屋を見回し仲間と、そしてエリーを見つけた。
「エリーさん。いえ、エミリさんと、お呼びするべきなのかもしれませんが‥‥」
静かなリースフィアの言葉に、強く瞼を閉じ絶望の色を浮かべる『エミリ』
(「もう、終わりだ。解ってしまったのだ‥‥」)
彼女が何を望んでいるのか解っている。真実を突きつけることは彼女にとっておそらく言葉に出来ないほど辛い事だろう。
それを知っていても、リースフィアは調査組の仲間達と視線を合わせ、頷いた。
「深雪」
「解りました。人が悪魔と戦える最大の武器は、信じる事と立ち向かう事です。自分と私達を信じて‥‥下さいね」
「悪‥‥魔?」
いぶかしげな顔で、一瞬だけ顔を上げたエリーに微笑み、深呼吸をして話し始める。
外の見張りと牽制に出た深雪の言葉通り、この真実が事態をきっと先に進めると信じて。
○悲しい真実
あるところに、旅芸人の一座がありました。
それほど大きくはない一座の殆どが家族。そうでない者も家族のように暮らしていた仲の良い一座でした。
中で一番人気だったのはまだ若い兄弟の舞台。
絶世の美女と名高かった母の後を継いだ『エミリ』は一座の看板女優として観客の人気を集め、その助手を務める弟フレドリックもまたその純粋さ、愛らしさで人々から愛されていました。
一座の団長である父。病の為一座の主役を降りたものの、優しい母親に、家族のような仲間と共に彼らは幸せな旅を続けていたのです。
ですが、ある時一座の、そしてエミリたちの母親の病が悪化しました。
また仲間の何人かに高齢者や怪我人が出たこともあり、彼らは今まで持たなかった拠点を作り、そこで座員達を休ませる事を考えたのです。
拠点となる場所を作る為にはお金が要りました。また母親の病の治療の為にもお金が要ったのです。
人気の高い一座とはいえ、旅芸人の彼らにはお金はあまりありませんでした。
また人気はあっても流れ者である旅芸人になかなか拠点を与えてくれる場所はありません。
困り果てた彼らの前にボリスと名乗る商人が彼らの前に現れて援助を申し込んでくれたのです。
一座の婦人のファンだったという彼は、一座に自分の持つ家を無償に近い形で貸し与え、治療費なども請け負ってくれました。
そうして一座は念願の拠点を手に入れたのでした。
ですが、ある公演中、悲劇が起こりました。
拠点から大きな火が出て火事になったのです。火事は拠点だけでなく周囲の民家にも少なくない被害を与えました。
拠点に残っていたのは病人や老人が殆どだった為、ほぼ全滅。生き残ったのは公演に参加していた芸人達だけ。
焼け跡からは生前の面影を察する事が出来ないほど焼き焦げた婦人の遺体も見つかったとか。
悲しみに泣き濡れる親子。
ですが、事態は彼らを静かに悲しませてはくれませんでした。
第一に一座は拠点に置いていた財産のほぼ全てを失っていました。
第二に火災を巻き起こした者達の一味と周囲に見られて、公演をすることはできなくなりました。
第三に火災の被害にあった者達が、残された一座に憎しみをぶつけるようになり嫌がらせが始まりました。
家族を失った座員も多くがショックから芸ができなくなり、一座を離れていき、それを追うように他の者達も一座から抜け、残されたのは姉弟とその父だけになりました。
そんな苦しみの中でも姉弟を預かろうと言う商人の申し出を断って、親子は三人で懸命に暮らしていこうとしていたのです。
‥‥父親が先の戦争の最中、アンデッドの襲来に巻き込まれて亡くなるまでは‥‥
「これが私達がキャメロットで聞いた『エミリ』と『フレドリック』の名に纏わる唯一の事件です」
長いリースフィアの話に口を挟める冒険者は誰もいなかった。
暫し、沈黙が場を支配する。
「その後、姉弟は一時教会に預けられた後、商人の下に身を寄せたとか。その商人は今までにも子供を何人も引き取っていた篤志家と名高かったので教会も不審に思うことなく二人を託したのだそうですわ」
「他には行方不明とか、そういう話はあんまり聞けなかったんだ。だから‥‥うん、多分間違いないと思う」
話を継いだセレナとエルは修一郎とも顔を見合わせあって、また戻す。リースフィアに。
そしてリースフィアは懐から一枚の羊皮紙を取り出して差し出した。
「キャメロットで一座の事を覚えておられた方は、皆さんこの絵がエミリさん、もしくはお母様の面影があると言って下さいました。話して下った方は別れた旅芸人一座のお一人だったとか。エミリさんのこと、フレドリックさんのこととても心配しておられましたよ」
彼女の顔はもう作られたエリーの仮面を被ってはいなかった。
「もう、記憶は戻っておいでですよね。エリー。いいえ、エミリさん。これが貴女の過去では無いですか?」
俯く顔、震える手、揺れる肩、涙に濡れる瞳。その全てが無言で答える。
そのとおりである。と。
だが言葉での返事は、なんとしても返らなかった。
『ふむ、答えられない理由は、フレドリック殿‥‥であるかな?』
ぴくん!
長い沈黙と凍りついたような場を動かすように、硬く握り締められた手が微かに揺れた。
顔を上げるエミリの前には腕組みしたままこちらを見つめるマックスの顔が‥‥。
『エリー殿、腹を割って話しをしたいである。我輩達を信頼して欲しい、我輩達は貴殿の力になりたいのであるよ』
視線と表情の変化に、冒険者達もマックスが何をしているかを察した。
彼女が、語らない、語れない理由。それは、冒険者達も十分に理解しているからだ。
ポン、と手を打ちエルはバックパックをがさごそ。そして幾枚かの羊皮紙を差し出した。
『監視を警戒してるんでしょ? 外で仲間が見てるし、今は悪魔探知の指輪も反応していない。それに、これだったら多分、ばれないんじゃないかな?』
羊皮紙の上でペンを走らせるエル。マックスはテレパシーを使っているが、こっちなら全員が見ることも出来る。
『このままでは状況が悪化するばかりなので、悪いようにはしないから協力して頂けませんか?』
冒険者が一言、一言、思いを文字で紡いでいく。そして、最後に
『僕らの依頼は貴女の身元調査。けれど貴女の証言があればその依頼にフレデリックさんの事も含める事が出来るんですよねぇ』
エリンティアがペンを置いた直後、
「!!」
震えるエリーの手がペンをとった。動揺を表すように揺れる文字。
だがその一番初めには確かに
『フレドリックを‥‥助けて下さい』
そう、綴られていた。
ポン。
笑顔で肩に置かれた絶狼の手。
そして、自分を見つめる冒険者達の暖かい眼差しに、彼女は今度はしっかりと指に力を入れたのだった。
文字と思いを羊皮紙に映し出す為に。
○隠されていたもの
街を回ってみる。徒歩で歩いてもそれほどかからない小さな街だ。ここは。
その中でも、目的の家は一種独特な雰囲気を醸し出していた。
「ここか‥‥。あの男の家は‥‥」
下手をすれば領主の館と同等かそれ以上の感じがする、とレイは思った。
あんまり長く立っていると警戒されるので、さりげなく通り過ぎるようにしながら観察を続ける。
石材商人ボリス。
今はまだこの街に拠点を移してきたばかりで、それほどいい評判も悪い評判も無いがこの街の穏やかな空気とはちょっと異質なものを感じるのは事実だった。
「こっちの家が表向きの仕事などに使う家。そして、奥が使用人の家、か‥‥」
壁に囲まれた家。庭も広いのに殆ど誰も出てこないのは何故だろう。
「っと、あんまりこの辺でうろうろしているのも拙いかな。そろそろ他の連中との待ち合わせ場所に‥‥ん? あれは?」
返しかけた踵をレイはふと、驚きの顔で止めた。
門番に挨拶をしているあれは‥‥
「マックス? 何をしているんだ? あいつ」
とっさに身を隠したレイは、そのまま物陰から門の方へと近づいた
様子を伺おうと思ったのが理由である。
だが、あれよあれよと言う間にマックスは一人屋敷の中に入っていく。
『はぁい、皆、我輩達もしっかり演技するであるよぉ〜』
ボリスが怪しいと解っているが、確証が得られていないフリをするように‥‥などと冒険者に言っていた彼が、何故一人で商人の家に行こうとしているのか?
「あいつ! あれだけ単独行動するな! って行ってたのに!」
悔しげなレイの言葉はマックスには届かなかった。そして、彼は屋敷の中に一人で入って行ったのである。
別に単独行動をする意識は無かった。むしろ避けるつもりだった。
しかし、やっておきたいことがあり、他の仲間に一緒に行こうと言わなかったから、結果として単独行動になってしまったかもしれない。と、マックスは自分の行動を反省分析する。
以前の絶狼と実に似たパターンである。
だが、今回違うのはここが商人の館であり、敵、かもしれない相手の本拠地だということだ。
その危険性を考えなかった訳ではない。だが正直な話、彼はあまりこの敵を強力とか手出ししがたいとは思っていなかった。
だから、実に軽い気持ちでここにやってきた。
「ほお、マイト様のお使いでいらっしゃいますか? どのようなご用件ですかな?」
出迎えてくれた商人はにこやかにそう笑って手を差し伸べた。簡単に挨拶をしてマックスは
「この絵の女性に見覚えはお有りではあるまいか?」
テーブルの上にその羊皮紙を広げた。幾枚も書いた中で、これはけっこう出来のいい方の部類に入る『エリー』の肖像画である。
「これは?」
「我輩たちが今、探している女性の絵姿である。マイト殿はこの女性を心から愛しておられるのだが女性の方は、その愛を受けることを躊躇って逃げてしまわれたのだとか。もし、ご存知であるならばお教え頂きたくお願いする所存である」
少し大げさに、ポーズをとりながらマックスは商人の様子を見た。
絵姿を見る眼差しに驚きは、それほど見られない。
微かな驚きと、微かな動き、浮かんだ楽しげな笑み、それがマックスが見つけられたもの。
羊皮紙の絵を楽しそうに見つめる商人にマックスは、
「どうか、したのであるか? 何かお心当たりでも?」
と問うてみた。どんな答えが返るか緊張の面持ちでだ。
しかし
「いやあ〜、美しいですなあ」
帰ってきたのは気の抜けるほどの呆けた声。
「は?」
状況が解らず聞き返すマックスに商人は
「しかし、貴方もマイト様もコアなファンですな。昔の旅芸人のこんな絵姿を持っているとは?」
「はい?」
さらに意味不明な事を口走っている。
「これは旅芸人のリシールの絵姿では無いですか? 彼女の表情が良く出ている。もう数年も前の人なのにまるでつい最近描いたように色鮮やかで‥‥あれ?」
「だから、何の話である? この絵はマイト殿の思い人エリーの肖像画であるよ。リシールとは初めて聞く名なのであるが‥‥」
「エリー‥‥が?」
「ん?」
突然商人の言葉は消え、表情も真顔に戻った。そして
「これは失礼を。私がかつてファンだった女優に似ておったのでつい勘違いをしてしまったようです。いえ、心当たりはございません」
絵を差し出しマックスに返す。彼の言葉を信用などはしないがマックスは絵は受け取ってバックパックへとしまった。
「ボリス様、お仕事のお約束の時間でございます」
扉の外からノックの音がする。そろそろ潮時かとマックスは席を立った。
「お役に立てないようで申し訳ございません。マイト様にはよろしくお伝え下さい」
「いや、こちらこそ突然お邪魔して失礼であった」
扉に向かい外側から開けられたドアをマックスはすり抜ける。
「では、ま‥‥‥‥!!」
そこで、彼は言葉を失った。信じられず立ち尽くした。その場で、死んだかと思った。
相手はただ、ニッコリと笑って立っているだけなのに、首元にまるで斧を突きつけられたような気分がする。
「おや、お客様のお帰りですか? おもてなしもせずに失礼します。またお越し下さい。主もきっと喜ぶでしょうから」
その後、正直マックスは、どうやって自分が街に、仲間の元に戻ったか記憶が無い。
館の外で待っていたレイに肩を振られるまでその状況が指し示す意味も、解らなかったのである。
○黒き‥‥
点と点は繋がって一本の線となった。
後は、どうやってその線を引っ張り出して白日の下に晒すか。である。
「これは、なかなかに難しい話ですね」
修一郎の呟きに首を横に振れる者は誰もいない。確かにこれは難しい話だった。
あれからエリーの、いやエミリとの筆談でいくつかの重要な事が解った。
一番重要だったのはやはりエミリが、商人ボリスの命でマイトを説得し、陥落させる為に差し向けられたということだった。
『私は‥‥マイト様を騙していました‥‥。あの方の愛を受ける資格など無いんです』
エミリは俯くがそれは仕方あるまい。
エミリ達にとってボリスは自分達の保護者であり、主でもあるのだ。さらに
『弟フレドリックが、ボリス様の下にいます。あの子に教育を与え、守る為には‥‥私は‥‥』
「弟の為、かあ。そうなると仕方ないって思っちゃうあたり私も甘いわよねえ〜」
冒険者の説得で、兄弟にエミリが事情を話すのを聞いた後、ファーラはそう言って
「兄さんや私達を騙した事、許してあげるわ」
「ファーラ様‥‥」
エミリを強く、そして優しく抱きしめてくれた。
「大変でしたね。でも‥‥もう大丈夫です。必ず、俺は貴方も貴方の家族も助けてみせます。信じて下さい」
「はい‥‥」
無論、マイトは話を聞く前も後も、エミリに対する態度はまったく微動だにしなかったし、そんな二人を見つめるララとウィンの眼差しも優しい。
ここに、エミリとサーガ家の和解は完全に成立したのだ。
「けれども、問題は、まだ全然解決してないんだよねえ? どうしよっか?」
腕組みするエルが呟き、問題はぐるりと一回りしてまた元に戻ってくる。
木戸を閉めた部屋の中での密談。
監視役がいればこちらの様子を不審に思うかもしれないが、勿論話を聞かれるわけにはいかなかった。
「いくつか、方法はあると思いますの。ですが‥‥」
言葉を途中で切ってセレナは、マイトのほうへと顔を向けた。
「マイト様」
「なんだろうか?」
「『彼女』を本当の意味で助けたいですか?」
「勿論だ」
彼の答えには1秒の迷いも無かった。顔を赤らめるエミリの横で当然と言う顔で答える。
「まったく、本当にバカよねえ。兄さんはさ」
「愛は盲目って云うけど、私は下手な愛よりずっといいと思うなぁ」
ファーラはティズの言葉に肩を竦めた。楽しそうな笑顔で、同感と言うように。
「ならば、エミリさんを解放する手段を考えましょう。相手は悪魔の力を借りても犯罪を犯すことに躊躇いを持たない方ですから、時間が経てば経つほど状況は悪化していきますわ」
だから、例えば‥‥と具体例を出しかけたところでエミリは、怪訝そうな顔を浮かばせた。
エミリだけではない。サーガ家の者達も同じく。
「あの‥‥、前もそのような事をおっしゃっていましたよね。悪魔の力を借りて‥‥とはどういうことでしょうか?」
「本当ならば聞き捨てならないのだが。この地方も最近増え続けているデビルに困らされているからな。どこかにデビルの巣があるとか、デビルの陰謀があるとか、何か証拠があるのか?」
冒険者は顔を見合わせる。考えてみれば確かな証拠は何も無かったからサーガ家の者達には話していなかった。
デビルの事は。
‥‥あるのは気配と、予感だけ。
「エミリさん。貴女を監視しているのはあの黒猫、ですわよね」
深雪の問いにエミリは静かに首を縦に振る。
「はい。ボリス様の秘書の方の猫だそうです。猫の見たことは全て解るとおっしゃって‥‥、とても頭が良く、恐ろしい方なので、私は魔法の心得がおありなのではないかと」
「俺達は‥‥以前だな。黒猫の姿をしたデビルを見たことがあるんだ。あんたの周囲でデビルを探知するこの指輪の蝶が動いた事もあって、その猫が俺達は商人と契約したデビルかなんかじゃないかって考えてたんだが‥‥」
「ならば、森でエリーさんをデビルが襲ったのも、奴らの差し金か。俺が助けなければ死んでいたかもしれないのに、おのれ!」
「いや、兄貴。森でデビルがエリーを襲ったのなら、それはエリーを兄貴に助けさせる為だったんだから殺すまではしなったって。きっと」
突然入ったサーガ家の兄弟の合いの手は置いておき、冒険者は話を続ける。
「でも、あの猫は秘書の方の‥‥猫で‥‥」
エミリの口が徐々に重みを帯びる。彼女にもおそらく意味が解って来たのだろう。
「私達の知っているそのデビルも実は主を持っています。考えすぎかもしれませんが、その猫に化けたデビルは何らかの目的を持って人間に従っているフリをしているのかもしれません」
「従っている‥‥フリ?」
「デビルは狡猾ですからねぇ〜。人間を苦しめたり、魂を集めたりする為なら何でもすると思いますよぉ〜。ああ、そうだ〜。その黒猫を連れていたデビルはですねぇ〜」
ドガン!!!
突然、壊れんばかりの勢いで扉が開いた。
流石のエリンティアも開きかけたスクロールと呪文詠唱の手を止めて扉の方に目を向ける。
駆け込んできたのはレイと‥‥マックス。
「どうしたんです? マックスさん? 今は、大事な相談中であまり大きな声を出さない方が‥‥」
「わ、解っているである。でも、で、で、出たのである。く・黒い、あ・あ・あれが!」
「アレって、まさか‥‥ゴキブリですか?」
女性達の顔に恐怖が灯る。だが、
「ゴキブリならどんなに良かったかな? 今俺達が、多分一番遭いたくない、だが、ひょっとしたら現れるかもしれないと、ずっと思っていた黒い奴だ」
レイは冷静を装い‥‥言った。
マックスも、少し落ち着いたのだろう。呼吸を整えて頷く。
「まさか‥‥」
リースフィアの言葉にレイは何も言わなかった。変わりにエリンティアを目で促す。彼の手の中の巻物に気がついたのだろう。
「エリンティア」
「‥‥はい。わかりましたぁ〜。エミリさん〜。この人にぃ〜見覚えはありませんかぁ〜」
そして一瞬後、部屋の中に紡ぎだされた画像にエミリは指を指し、声を上げた。
「この方は館の!!」
部屋の真ん中で猫を従え、闇に舞う黒きデビル。
「やっぱり‥‥」
幾人かにとっては忘れようと思っても忘れられぬ顔。
そう。黒きアリオーシュの姿がそこに浮かんでいた。