●リプレイ本文
○最後の幕開け
最初にこの街に来た時は、まだあちらこちらに雪が残っていた。
あれからもう3、いや4ヶ月が過ぎようとして街は春から初夏の装いを見せ始めている。
花々咲き乱れる美しいイギリスの春。
だが、冒険者達には今、それを愛でている余裕は残念ながら無かった。
それぞれの手段をもって街道を高速で駆け抜ける。
「大丈夫ですか? ヴァンアーブルさん?」
その最後尾を行く藤宮深雪(ea2065)は自らの馬の後ろにちょこんと座るヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)を気遣うように声をかけた。
「あら、ありがとう。でも大丈夫なのだわ。ちょっと考え事してただけなのだわ」
「‥‥考え事、ですか?」
何を、とは深雪は聞かない。多分、自分のそれと同じであろうから。
脳裏を過ぎるはあの少年。デビルと共に消えた青い瞳。
「本当に‥‥このままでは救われないのだわ」
「ええ彼は、皆を傷付ける事で自分を傷付けてるのかも悲しい行動は辞めさせないとです」
手綱を握り締めた手が知らず汗を帯びている。
「二人とも。余計な話はそこまでだ。急ぐぜ」
冷たく言い放った閃我絶狼(ea3991)の足元で狼が心細げに鳴く。主の心を察するかのように気遣うかのように。
「そうですね。行きましょう」
彼らの、そして先行く仲間達の思いを感じたかのように馬達は知らずその足を早めていた。
○誘われし者達
「熱は‥‥少しあるね。体調はどうだった? ララちゃん?」
薬師の問いかけに患者ではなく側についていた看護人が答える。
「‥‥吐き気がする、って言ってた。最近、何も‥‥食べないの」
心配そうに答える少女ララを気遣うように
「大丈夫ですよ。ララさんは心配性で‥‥」
微笑むが患者の顔色は大丈夫、とは言っていない。
「エミリさん!」
頬を膨らませてエル・サーディミスト(ea1743)は腰に手を当てた。
「正直に症状を話してくれないと、どうしようもないんだよ。無理はダメ」
注意に目を伏せるエミリ。実際体調は最悪で立ち上がる事さえ困難なのだ。
「‥‥すみません。どうしても食べ物の匂いを嗅ぐとお腹の中が持ち上げられるような感覚がして、逆に‥‥頭から血がスーッと降りていくような感じが‥‥」
「吐き気か〜。身体と心が参ってるのかな?」
診察をしながらエルは薬草の袋の中をがさごそとかき回す。
麗蒼月が付き合って用意してくれたハーブでとりあえず心を落ち着かせる香草茶を差し出して。
薬の微調整をしながらエルはエミリの症状について考えていた。
(「眩暈に、吐き気ね。大事な弟がデビルと契約したショックかも‥‥ん?」)
思いながら調合を確認した時、ふとある思いが胸を過ぎった。
「ねえ、エミリ。ちょっと言いづらいかもしれないんだけど‥‥あのさ」
トントントン。
叩かれたドアの向こうから声がする。
「すみません〜。エミリさんに話があるのですがぁ〜、よろしいでしょうかぁ〜」
「向こうの話し合いも大体済んだよ。深雪達も着いてね。今、準備してるところだから」
聞きなれた声にララはととと近づき、ドアを開けた。
エリンティア・フューゲル(ea3868)とティズ・ティン(ea7694)はエルとララ。そしてベッドの上の領主夫人エミリに向かって会釈する。
「具合の方はいかがですかぁ〜?」
「もう、だいぶいいです。エルさんの薬とお茶で気分も良くなったので‥‥」
ベッドから半身を起こしたエミリ。彼女の様子に
「それは良かったですぅ〜。でもぉ〜」
そう告げながらもエリンティアは彼には珍しく、躊躇い顔で下を向き、言葉を探している。
「エリンティア‥‥」
どうしても? 気遣うエルの表情にかえって覚悟が決まったのだろう。彼は顔を上げた。
「エミリさん〜。お願いがあるですぅ〜。辛い事とは承知なのですがぁ〜」
「‥‥私に、できることでしたら‥‥」
「お姉さん?」
心配そうなララの表情とは対照的にエミリはもう覚悟を決めていたようだ。
その瞳と決意に頷いて、エリンティアは仲間達と打ち合わせた今回の計画について話し始めた。
別に覚悟が無かったわけではない。
いや、むしろ彼女は有る意味で、一番今回の件について覚悟を決めていた、と言ってもいいだろう。
だからこそだろうか?
「やっぱり来たのですね」
無言で微笑む『彼』は彼女の行く先を遮るように立っていた。
「おい? リースフィアはどこに行ったんだ?」
館で迎えたリ・ル(ea3888)に問い詰められてその時レイ・ファラン(ea5225)は初めてリースフィア・エルスリード(eb2745)がいないことに気がついた。
「えっ? さっきまで、確かに一緒にいた筈なのに‥‥」
前後左右、前後ろ見てもいるのは、連れてきた少女二人だけ。
「本当に、一緒だったのか? 門を潜った時は三人だったけれども‥‥」
館の門で門番の役をかって出ていた山本修一郎(eb1293)はレイに問いかけた。
勿論と、レイは頷く。
レイとリースフィアは二人で街に出かけていた。
目的はエーヴベリーで連続して発生したという殺人事件の調査、である。
どのような手口で、被害者達が殺され、どのような武器が使用されたか。
「使用されたのは、おそらくナイフ。しかも、掠れば身体の自由を奪うような毒が使用されていた形跡があるな」
依頼を出された時点までの被害者については、既に遺体が処理されていたため調べる事ができなかったが、幸か不幸かつい昨日、五人目の被害者が出たというので冒険者達は検死に出かけていた。
毒はおそらく身体の動きを鈍らせる毒。エリス・フェールディンは麻痺毒を造ろうとしていたようだがそれに近いものだろうか?
「‥‥ええ、首元をナイフで一裂き。躊躇いの無い太刀筋ですね。‥‥朧丸!」
布で掴んだ凶器のナイフを拾い上げると、リースフィアは犬の鼻先へと差し出した。
「上手くすれば、街中で匂いを見つけられるかもしれませんから」
くんくんと鼻をひくつかせる犬をさておきレイは立ち上がってリースフィアを見た。
「こうなったら、やっぱり残った『被害者候補』の者達を、一箇所に集めた方がいい。守るにしても、何をするにしてもその方がやりやすい筈だ」
「そうですね」
最初の打ち合わせの時、それは、すでに決定に近い方策として出されていた。
生き残った、狙われるかもしれない商人ボリスの使用人たち。同じく狙われる可能性の高いサーガ家の兄弟達。
彼らを一箇所に集め、狙ってくるであろう容疑者フレドリックを裏で糸引くデビルを倒す。
その為に冒険者は万全の体制をとって待っていたのだ。
リルとマックス・アームストロング(ea6970)が二人、レイとリースフィアが二人を迎えに行く。
十人近いと聞いた商人ボリスの元使用人達はもう、たった四人になってしまっていた。
窓という窓にクオン・レイウイング(ea0714)は罠を仕掛け、タリスマンや対デビル用の装備や魔法の準備もされている。
待ち構えていると知らせる事で、犯人が寄って来ない可能性を、彼らは正直考慮しなかった。
デビルと、それに仕えるものがそれくらいのことで、目的を違える筈も無いという意図からだ。
仲間全員が同じ場所にいれば、互いに助け合う事もできる。イギリスと言う国を脅かすデビルと対峙するのに注意しすぎてすることは無いというのに!
「どうして、寄りにも寄ってこんな時で単独行動するんだ! 直ぐに追いかけて‥‥」
「待つのである!」
文字通り走り出しかねないリルを、屋敷の中から駆け出してきたマックスの低いが良く通る声が止めた。
「何故止める! マックス! もし、リースフィアにもしもの事が‥‥」
食ってかかったリル。だが、マックスの瞳もまた真剣だった。
一部の隙もない眼差しの意味に冒険者達は顔を向ける。
「気持ちは解るのである! でも、今はこちらも捨て置けないのである! 大至急離れの方へ!」
「離れ? まさか‥‥」
問いかけにマックスは静かに頷いて言った。
「もう、フレドリックが敷地内に潜入しているようなのである。おそらく、デビルの方も‥‥」
と。
もうじき夕暮れ。そして、夜。デビルと魔物の時間、である。
少なくとも夜明けまで人手はこれ以上動かせない。
「くそっ。無事でいろよ」
今は動きも、思いも見えない仲間に、祈りに似た思いを、思いだけを向けていた。
○物語の主役
緊迫した空気の中、彼らは一様に何かに怯えるような顔をしていた。
「フレドリックが‥‥私達を殺しに来る!」
「私達を恨んでいるのだわ」
「恨まれるようなことをしていたのか?」
レイの問いかけに沈黙が肯定を意味する。
娘達は涙ながらに語る。
ボリスの『虐待』から逃れるために、一番美しかったエミリとフレドリックの兄弟を彼らはスケープゴートにしていた。と。
特にエミリが館を離れてからはボリスの目を掻い潜り男達の数名はフレドリックの虐待に加わり、そうでない者もそれを黙認していたらしい。
無論、最初に被害に会ったのはそんな男達であったのだが‥‥
「命令って形で背を押されたとしても躊躇い無く殺して回っているなら、それは奴等に対する報復のつもりなのかもしれないな」
「何か自分やエミリの過去を消したいみたいだね。それは、解らなくもないかな‥‥」
自らの推察が肯定されてもレイの顔に笑顔は無い。思いは理解できなくもない。だが
「でも、人殺しはよくないね」
ティズの言うとおり認めることはできない。断じて。だが、彼が信念を持って動くのであれば対決は避けられないだろう。
「まあ、安心しな。絶対に守ってやるからさ。いいか? 互いに手を握ってだな‥‥」
保護するために集めた使用人達を安心させるように深雪は微笑み、リルは笑い‥‥円陣を組ませる。
テーブルや椅子で囲いを作る。自らの命を守る為であるから彼らも必死だ。
だから、彼らに聞こえないような小声でエリンティアは
「この人達の中に紛れてはいないようですぅ〜。でもぉ〜、本当に感じたんですよねぇ〜」
マックスに問うた。
静かに頷くマックス。
「今も、感じるのである。おおよその方角しかであるが、屋敷に忍び込みこちらを窺っているのを‥‥」
「なら、丁度いい。ここで全員待機だ。奴も忍び込んで来た以上ヤル気で来てるんだろうからな。マイトもここは多少壊れても構わないと言ってたし」
「ああ、物置代わりに使ってた所だから、居心地は良くないだろうがな」
「!」
背後からの声に冒険者達は思わず身構えた。
「マイトさん。皆さん、どうして、ここに‥‥エミリさんまで‥‥」
惑いの表情を浮かべる深雪にマイトは黙ってエリンティアを見つめた。
「僕がお呼びしたんですぅ〜。できるならエミリさんやマイトさんたちにここにいて頂きたいと〜」
「そんな! 危険です! デビル達がエミリさん達を狙ってくる可能性だって十分にあるのに!」
深雪の叫びにエリンティアは顔を背ける。
「デビルは狡猾だ。隙を作るべきでは無いと思うが?」
セルフィー・リュシフールが教えてくれた事を思い出しながらクオンも僅かに責める口調だ。
「それは、そうなんですけどぉ〜」
ある者は領主一家と使用人達を離すと言い、ある者は一箇所に集めると言う。
微妙にお互いの意思と役割分担が噛みあっていなかった為におきたこれは、結果である。
「それでもぉ〜、これはエミリさんが立ち会わなくてはいけない事だと思うんですぅ〜。結末を知らないところで終わらせるよりもどんな結果であれ見届けるべきだとぉ〜」
エリンティアのそれは信念。口に出さないが同意する者もいるようだ。それに‥‥
「それに‥‥私も望んだんです。もう一度、フレドリックと話をしたいと‥‥だから、お願いします」
頭を下げるエミリに幾人かの冒険者も渋い顔で頷いた。
「解りました。でも、決して無理はしないで下さい。絶対に一人で前に出るようなことはしないで。そして説得するなら憎しみに心を囚われないで下さい」
「ララもだよ。前に出ちゃダメ。でも、あの黒猫がいたら教えて。倒せばフレドリックの契約が解けるんだよ。それが、エミリとフレドリックとマイトが纏めて幸せになる唯一の方法だから」
深雪はエミリに、エルはララに言い聞かせる。
「ファーラも前に出るなよ」
レイは背中でファーラを庇うとマイト達は冒険者と視線を交わす。言うべきことはもう解っている。
「皆‥‥。聞いて欲しいのである。今回の奴らの真の目的は、我が輩達の魂を汚すことやもしれぬ。けっして己を見失ってはならないである!」
だが、マックスは渾身の思いの答えを聞くことはできなかった。
「キャアー! 誰か、誰か助けて!」
劈く悲鳴が、猛獣の唸り声が‥‥そして鈍く光るタリスマンが戦いの開始を告げたからだ。
外で見張りをしていたリルと、修一郎は暗闇の中空を飛び、降下してはまた飛ぶ猛禽のような猛獣との死闘を繰り広げていた。
門を正面から破り、冒険者に襲い掛かってきた翼持つ黒豹がアリオーシュのグリマルキンであることは数度、剣と爪を交差させただけで解っていた。
『動くな!』
身体を縛る黒の痣縄。だがそれを
「くそっ! 負けるかよ!」
リルは自らの刃で自らの腿を突いて振り払った。
攻防は一進一退。だがその中で
「時間稼ぎだな‥‥」
「ええ。そのようですね」
一向に本気の見えない攻撃を避け、かわしながら修一郎はリルの推察に同意した。
こいつは単なる陽動役だ。目的を果させるための‥‥足止め。
「中は大丈夫でしょうか?」
オーラの光を身体に纏わせながら修一郎はちらり、離れを見た。
「あいつらなら、大丈夫だ。絶対! だから、向こうに援護に行かせない為にも、約束を守る為にも‥‥今は、こいつを倒す!!」
「解りました!」
右からリルが、左から修一郎が剣を掲げる。必殺の構え。それに答えるように黒豹は大きくその翼をはためかせたのだった。
扉が開き、使用人の服を纏った少女が走りこんで来た。
「リーザ!」
名前を呼んだ主に向けて、少女は息を切らせながら報告する。
「大変なんです。今、玄関からデビルが‥‥。こちらに向かって来ます!」
「何? デビル? 本当か? それは‥‥どこ‥‥?」
もっと詳しく、と走り近寄ろうとするマイトをティズは片手で制した。
「貴方、誰?」
「えっ?」
リーザと言うのはこの家の使用人。ティズも面識があったはずだと不審な顔をするマイト。
「でも、リーザに似てるけど違うよね」
マイトはティズの言葉に目を瞬かせ、瞬時にエミリを背中に庇う形で後ろに下がった。
「よう、好き放題やってくれたそうじゃないか」
「我が輩達には解るのである。正体を表すのである! フレドリック殿!」
絶狼と、マックスの声に合わせる様にクオンが矢を放った。
狙うのは足元。動きを封じる!
だが、その矢が、地面に穿たれるより早く風のように『少女』は身を翻した。
来ていた服を冒険者に向けて投げるように翻し、その一瞬で中央の使用人達に肉薄する。
「貰った!」
懐から取り出されたナイフを真っ直ぐに躊躇い無く構え突進する。
「止めて! フレドリック!」
悲痛なまでの声に微かに足が迷った瞬間!
「させません!」
白いフィールドが間一髪完成した。
「ちっ!」
弾かれた刃に舌打ちをして後退する『少女』。壁を背にナイフを構える彼女に
「貴方、フレドリックなの?」
マイトが庇う手を避けてエミリは問うた。
「ばれちゃってたんだ〜。入り口に冒険者がいたり、いた筈の家がもぬけの殻だったりした時から嫌な予感はしてたんだけどね」
『少女』が頷いた訳ではない。
だが彼が纏う空気が、魔法が、何よりその言葉が彼がフレドリックだと告げていた。
「どいて、くれるかな? あの方と共に行く為のテストなんだ。黒き魂を捧げ、清き命を手に入れる」
「彼らが、黒き魂だと言うのですか?」
怯むことなく言い放つ深雪に当然、と『フレドリック』は答えた。
「だって、僕らがどれほど苦しい思いをしてたか知ってた癖に何もしてくれなかったんだよ。そいつと、そいつは僕の食べ物を掠めたりしてたし‥‥」
びくん、と少女が肩を竦めたのを冒険者は見た。フレドリックの言う事は紛れも無く事実なのだろう。
だが‥‥
「馬っ鹿野郎!」
絶狼の叫びにも似た怒声が部屋を震わせるように響く。
「ごちゃごちゃと理由をつけようと、だ。お前がデビルの手先になって人を殺している事に変わりはねえ。それが罪だってこともな!」
「だって、そいつらは僕や、姉さんを苦しめて来たんだ。だから、その報いを背負うべきなんだよ。僕に力があればそんなことはさせなかった。でも、今は違う。僕は僕の思うとおりにするんだよ」
ナイフをペロリ。楽しげに笑う少年に
「もう、止めて下さい! もう自分を傷付けるのは!」
自らの守りの結界から歩み出て深雪は手を大きく広げた。
「私には貴方が、自分に虚勢を貼って、悪者になって自分自身を傷つけているように見えます。もう間に合いませんか? 私達は貴方を助けたいんです」
「色々とあると思うけど、人殺しはよくないよ。それにね、過去は消し去ることはできないんだから、ちゃんと受け止めて、自分が幸せになることを考えないと」
フレドリックは答えない、ただ口元に持って言っていたナイフを知らず、降ろしていた。
溶けるように少女の姿が少年の姿へと還って行く。
「お前は、間違っている。お前の姉ちゃんは幸せにはなれんよ、お前がデビルの手先である限りはな、実の姉弟だったってのにそんな事も判らなかったのかよ‥‥それすらもどうでも良いってんならお前には話をする価値もないな」
彼の全てを否定する絶狼。
「戻っておいでよ。今ならまだ間に合う。エミリの幸せにはキミが不可欠だって、知ってた筈だよ!」
手を差し伸べるエル。
「今のままですとお姉さんは幸せにはなれないんですよぉ、お姉さんが幸せになれる方法をもう一度考えてみませんかぁ?」
心からの笑顔を浮かべて告げるエリンティア。
「お前がどう思おうと関係なくエミリはお前の罪を一生背負って生きるだろうさ、そういう人だ‥‥。後悔するならやり直せ!」
差し伸べられる手、手、手。思いと思い、そして‥‥願い。
「フレドリック‥‥。もう止めて」
「姉さん‥‥」
エミリがフレドリックに向けて歩み出す。
「貴方が本当に望んでいた幸せは何ですか? それは、本当は近くにあったのかもしれません。どうか思い出して下さい。解って下さい。貴方を心配する人がいることを‥‥」
深雪が祈るように告げる。
手に握られたナイフが微かに揺れ、あと一歩で姉の手が弟を抱きしめると言うその時。
「! いや、イヤ。イヤアアア!」
「危ない! フレドリックさん!」
冒険者がまったく想像していなかった事態が動いた。
護衛対象である筈の少女が一人。怯えか、それとも別の何か理由からか。
ぴくと身体を震わせたかと思うと、服に隠し持っていたナイフでフレドリックに向けて突進してきたのだ。
フレドリックに全ての注意を払っていた冒険者達は一瞬対応が遅れた。
ただ一人以外は。
「危ないんだわ!」
高速で紡がれたヴァンアーブルのスリーブに、少女は瞬時に倒れこむ。
ナイフを持ったまま前にフレドリックと、それを庇うように立ちふさがったエミリに向かって。
「キャアア!」
「エミリ!」「エミリさん!」
冒険者が駆け寄り少女に押し倒された形のエミリを助け起こす。
ナイフはわき腹を微かに掠った程度。だが、エミリは腹部を抱えて唸り声を上げていた。
「まさか! 深雪! お願いだよ。治療を、早く! でないと赤ちゃんが!」
「赤ちゃん?どういうことだ?」
レイの問いかけにエルが上げた声はもはや悲鳴だった。
「きっと、エミリのお腹には赤ちゃんがいるんだよ! それが、今の衝撃で!」
「何だって!」
「姉さん!」
フレドリックの表情に憤怒が浮かんだ。そしてエミリに駆け寄るより早くそのナイフを、今は人事不省になっている少女に向ける。
「許さない! 死ね!」
「止めろ! フレドリック」
「ダメ!!」
幾陣もの刃が、光が稲妻のごときフレドリックの動きを止めに入る。
加減の暇は無い。躊躇う事はできない。
そして‥‥、彼は地面に倒れ伏した。
砕けたナイフ。肩に突き刺さった矢。右手も左手もその機能を失った少年は、今、血と共にその命を流れ落そうとしている。
治療はできる。
‥‥だがそれが許される事なのか。
逡巡の時はおそらくほんの一瞬。だが冒険者にとっては永劫に近かった。
「‥‥マイト殿、ララ殿。お願いで‥‥ある」
吐き出すようなマックスの言葉を、願いをそして魔法の光を‥‥冒険者は誰も、止めることはしなかった。
宵の入りの町並みにはまだ、まばらとはいえ、人がいる。
だが、二人はまるで別の空間の中にいるように互いを見つめていた。足元にいる筈の朧丸の存在さえ感じられない。
その中でリースフィアは精一杯の、自らでさえ虚勢と解るそれを『彼』にぶつける。
「何がしたいのです? 何の為に姿を現したのです? アリオーシュ!」
平然と、飄々と悠然と、絡みつくように『彼』は彼女をリースフィアを見て‥‥
『くくっ‥‥』
声を上げ、楽しげに笑ったのだ。
「何を! 何がおかしいというのです!」
『いや、さても人と言うのは楽しませてくれると思ったまでよ。俺はお前こそが最前線に立ちてその手を濡らすと思っていた』
「む、‥‥無論。悪魔との契約と言う最悪の選択を為した彼に終焉を与える覚悟はできています」
『なれば、何故お前はここにいる。人が人と対峙する時、別を選択する。それが逃げでないというのなら、ああ、そうか。お前は俺を誘っているのだな?』
差し出された手がリースフィアの首元に伸びる。魔法で束縛された訳でもないのに彼女は指一本動かす事はできなかった。
「違う! そんな事は絶対に!」
『人の世は戯れなる舞台。人は皆、我らの手の内で踊る道化に過ぎぬ。中で、お前達冒険者は楽しませてくれる。その葛藤、慟哭、苦悩はなかなかに甘美で芳醇だ』
「‥‥あっ」
リースフィアの身体が崩れるように地面に倒れた。実際に触れられたのはかつて付けられた唇の痕だけ。
なのにまるで全身を嘗め回されたような痺れる悪寒が彼女の身体を支配する。
空を黒い影が舞う。それを見ると『彼』はことさらに大きな黒い翼をはためかせ空に舞った。
人々のざわめきを気にも留めずに
『励むがいい。冒険者。美しき光の花を咲かせるがいい。‥‥次なる舞台を楽しみにしているぞ』
おぞましい笑い声と予言を残して『彼』が消えたときリースフィアは知った。
彼の言う『舞台』の終焉を‥‥。
○物語の終幕
遺跡の真ん中に置かれた岩にリースフィアは
「本当に良かったのでしょうか?」
独り言のように話しかける。
物語の終幕、アリオーシュの手で最後まで踊らされた役者に『決断』を下す事を冒険者達は躊躇った。
そしてストーンの魔法で血を止められ、アイスコフィンの魔法で凍らされた少年は、かつて先祖が封じられていたという遺跡に氷の棺のまま、保管されることとなったのだ。
「‥‥リースフィア殿。では、他に方法があったと? 『決断』することが正しかったと、そうおっしゃるか?」
彼女の呟きは独り言のようであって、独り言ではない。
「フレドリック殿は、力があればと‥‥悪魔に魂を売った。では我が輩達は? 力がある筈なのに? 足りなかったのだ、思いが! 彼を救う事が出来なかったのは、我が輩の“罪” 彼のした事もまた我が輩の罪‥‥我が輩は、彼と共に罪を背負おう。そしてフレドリック殿の魂を取り戻す!」
マックスの言葉にリースフィアは首を縦にも、横にも振らなかった。
「あの場にいなかった私に、何も言う権利はないと解っています。でも‥‥」
「これ以外に彼を生かして救う方法は無かったと思うのだわ。あのまま死なせてはあんまりにも救われなさ過ぎるのだわ。アリオーシュの思い描いた悲劇そのものになってしまうのだわ」
「彼は、あの時、一瞬足を止めてくれた。私達の言葉が、エミリさんの思いがきっと通じたと信じたいです。だから、どうか彼にもう一度チャンスを‥‥」
ヴァンアーブルや深雪の思いが解るからこそ、リースフィアは無言でその場に背を向ける。
「もし、もう一度出会うことがあるとすれば、私は決して躊躇いません。間違いません、逃げません。エルスリード、いいえ‥‥私の名に賭けて」
これで終わりだとは無論誰も思ってはいない。
『さても人というものは楽しませてくれる。‥‥次なる舞台を楽しみにしているぞ』
あの玲瓏かつ邪悪な声が予言したという再戦を、誰もが予感しているのだから。
「ごめんね。助けてあげられなくて‥‥」
エルは帰路。エーヴベリーが見えなくなったのを確認してそう呟き、涙を流した。
使用人もエーヴベリーの兄弟達も無事。
連続殺人事件の犯人も捕縛。この依頼は決して失敗ではない。
だが、小さな命は一つ。この世に生まれることなく消えた。
「もし、もっと早く気付いていたら、ひょっとしたら‥‥」
後悔の上に、後悔を重ねるエルの肩をクオンは静かに一度だけ叩く。宝石猫もそっと足元に擦り寄って主を気遣う。
「どんなに後悔してももう時間は戻らない。あいつが再戦を約束してくれるって言うんならあのしたり顔を引きつらせてやるだけだ!」
「ああ、次こそは、必ず‥‥」
頷きあう絶狼とレイも同じ思いを握り締める。
グリマルキンも結局逃がす形となった今、サーガ家は世話になったと依頼料を満額支払い、保存食や薬の全てを負担してくれたが依頼完遂の喜びを感じる事はできなかった。
弟と我が子を失ったエミリの心情を思うだに修一郎だけでなく、冒険者全ての胸は痛む。
ことは明らかにアリオーシュの望んだ悲劇に終わった。
だが‥‥それでも
「フレドリックに何かしたいなら、幸せになることだと思うよ」
「貴女は神をも呪うほど辛い目にあった。これからは存分にその負債を返してもらう番だ‥‥マイト達も俺達も、フレドリックだって貴女の幸福を願っている」
そう言った冒険者に無理にかもしれないが、微笑んだエミリと彼女を守る兄弟達の笑顔が、冒険者の胸に小さく、暖かな希望という名の光を点していた。
一人の娘の未来と希望。
それが、この依頼で冒険者が守った最大のものだった。
エリンティアは微笑み祈る。
「エーヴベリーの兄弟達に光あれですぅ〜」
と。
○望まれぬカーテンコール
封印と言うのはするだけでは意味が無い。
有る意味一番大事なのは封印を為した後、それをどう守るか。である。
解き放つべきではないものを封じ続ける事、封印を守り続ける事こそ人の身には困難なのだと、長き間封じられていたこの者は誰よりもそれを知っていた。
閉ざされた岩も彼には何の意味も為さなかった。
砕かれ散った石の横。
階段をすり抜け、道を歩み彼は静寂と暗闇の支配する間の中で『それ』を見つめた。
『‥‥ラウアール!』
『はい』
横に立つ黒猫は主の言葉に一歩前に進み出た。
豹の姿に変わったグリマルキンは神への祈りを魔法解除の呪文に変える。
『ニュートラルマジック!』
黒い光は口から吐き出されるように目の前のそれに絡みつき‥‥微かな音と共に氷を消滅させた。
自らを捕らえた檻から解放された少年の石像はそのまま床にぶつかり硬い音を立てる。
そしてもう一度。グリマルキンが同じ呪文を少年に向けて紡ぐと‥‥
「あ‥‥ぐ‥‥っ」
その一瞬の後石室には暫くぶりの呼吸音が響いた。
今にも消えそうな微かな音ではあったれど。
『覚えているか。フレドリック』
そこは真の暗闇。目の前の人物さえも見えはしない。だが、少年にはそれが、誰か解った。
「‥‥アリ‥‥オーシュ‥‥様」
『選べ。フレドリック。このままここで人として息絶えるか。それとも我と共に闇行く道を選ぶか‥‥』
命が血と共に流れ出ていく。
『我に集めた魂を差し出し、魔法使いの一族の命を一つ取った。お前が闇を選ぶなら同行を許す。選ばぬなら人としてここで死ぬるがいい』
それは、最後のチャンスだったのかもしれない。
人として生き、死ぬ為の。
姉の為を思うならそうすべきだったかもしれない。
だが‥‥彼はその時初めて思った。真の死の直前。冷たい石の上で、たった一人で‥‥。
(「死にたくない。こんなところで‥‥まだ、死にたくない!」)
「死にたくない‥‥。我が神よ。どうか‥‥」
差し伸ばされた手にアリオーシュは満足そうに微笑むと小さくメタボリズムの呪文を唱え、指を鳴らす。
黒い光が彼を包み傷が消えた。
『立てるか? フレドリック?』
「ありがとう」
横に立つ黒豹に掴まり立つと背を向けた主の後を追いかける。
躊躇いは一瞬。姉と兄弟達そして
(「エミリの幸せにはキミが不可欠だって、知ってた筈だよ!」)
(「お前がどう思おうと関係なくエミリはお前の罪を一生背負って生きるだろうさ、そういう人だ‥‥」)
(「今のままですとお姉さんは幸せにはなれないんですよぉ、お姉さんが幸せになれる方法をもう一度考えてみませんかぁ?」)
冒険者の問いかけが耳に木霊する。
「僕の‥‥望み。本当の幸せ‥‥」
(「貴方が本当に望んでいた幸せは何ですか?」)
「‥‥姉さんの為じゃない。僕は、自分の為に生きる! 力を手に入れて誰にも見下されない為に!」
胸に突き刺さる冒険者達の言葉を振り払って、彼は走っていく。
闇の中に咲く彼の光、たった一つの花を追いかけて‥‥。
そして、彼らの姿は闇の中へと消えた。
次に物語の幕が開くまで‥‥。