●リプレイ本文
○結婚式直前の決意
「うわ〜、キレイだねえ。うん、うん、凄い美人さん」
結婚式前の控え室で、エル・サーディミスト(ea1743)は思わず素直な感想を手拍子と一緒に表した。
腕の中の猫も、同意するようにニャーと泣く。
「ええ、とても綺麗ですね。まるで天使か女神が舞い降りたようですわ」
神々しささえも感じさせる桃色のドレスは本当に春の女神のようだと藤宮深雪(ea2065)も思う。
「いいなぁ、花嫁衣裳! 私も早く着たいなぁ!」
「悔しいけど、本当にキレイよね。うん、兄さんも幸せものだ」
ワクワクとはしゃぐティズ・ティン(ea7694)の横で花婿の妹ファーラさえも頷く。
今日の花嫁の介添え役だ。
美しい花々に囲まれてこの部屋はまさに春の女神の控え室のよう。
その表情さえ明るければ‥‥きっと。
「どうしたの?」
俯く花嫁をティズの顔が心配そうに覗き見る。
「せっかくの花嫁さんがそんな暗い顔してちゃダメだよ。女の子にとって結婚式は一生に一度の大切な儀式なんだから」
「ですが‥‥私が花嫁になるなんて‥‥そんな事、やはり許されないような気がします。私が、幸せになるなんて‥‥」
「エミリさん。貴女は何故、それほどまでに結婚に怯え、マイトさんの愛を信じる事に臆病なのですか? やはりさっき、貴女が私達に言った言葉は嘘なのですか?」
涙ぐむ花嫁エミリの瞳をリースフィア・エルスリード(eb2745)の青い澄み切った眼差しが真っ直ぐに射抜く。
その瞳は真実を映し出す鏡のよう。だから、エミリもまた
「いいえ、私は本当に、自分自身の意思で今は、彼を愛していますから」
真っ直ぐに思いを返した。
「でも、私はいくつも罪を犯してきました‥‥。その上、未だ辛い思いをしているというフレドリックを残して私だけが幸せになっていいのか、と‥‥どうしても思ってしまうのです」
手は何かに縋るように祈りを組んでいる。
その手にそっと白いドレスの神の使いは自分の手を重ねた。
「聖なる母は全てをご存知ですわ。貴女の思いも、その苦しみも、全て‥‥。貴女の愛と心が偽りでないのなら相手を信じる事です。マイト氏は貴女の全てを受け入れて愛そうと言うのですから‥‥」
フィーネ・オレアリス(eb3529)の説教にエミリの顔がはっきりと上を向いた。
「‥‥はい。私は、私のできることをしようと思います。あの方の為に‥‥フレドリックの為に‥‥」
「?」
「大丈夫ですわ。マイトさんはきっと貴女を幸せにして下さいますし、‥‥もう一つの心配も、私達が必ず解決して見せますから‥‥」
深雪が微笑みかけた時、そのタイミングに合せるように、トトンとノックの音が鳴った。
「おい。用意はいいか? もう少しで始まるぞ」
同時に聞こえてきたクオン・レイウイング(ea0714)の呼び声に答えたのは、何故かエミリでも介添え役の誰でもなく深雪であり、
「解りました。今行きます! では‥‥エミリさん、また後ほど」
彼女はそっとお辞儀をして扉を開ける。
どうやらそこで誰かと出くわしたようだ。
「あら‥‥いいんですの? こんなところで‥‥。でも丁度いいですわ‥‥お願いが‥‥」
そんな楽しげな会話が遠ざかっていくと同時今度は入れ替わりに結婚式の護衛役、セレナ・ザーン(ea9951)がやってきた。
「もうじき式の用意が整います。ご準備をなさって下さいな」
事務的口調で言うセレナに残された女達は頷いた。
本当にいよいよ本番が近づいてきたのだ。
一度だけ祈った手に力と思いを込める。
ドレスの裾を返し立ち上がる花嫁。前に立ち誘導するフィーネ。少女達も、この場にいる冒険者も、いない冒険者もそれぞれの持ち場に付く。
デビルをも、そして神をも欺く一世一代の舞台の幕が今、開かれようとしていた。
○暗闇の中の少年
暗い屋敷の中は日中だというのに暗く、とても静かだった。
よく耳を潜ませなければ聞こえない微かな靴音と衣擦れ、そして呼吸音以外は何も聞こえない。
「おかしいですね? 屋敷への侵入が成功したのはいいのですが、この家、こんなに人気が少なかったのでしょうか?」
「ボリスの供に付いてる奴もいるだろうが‥‥これは確かに静かすぎるかもしれないな」
深雪の呟きに先頭に立って周囲の様子に目を配らせていたレイ・ファラン(ea5225)も、仲間達も同意の頷きを返した。
「‥‥連れて行って欲しがってるのかも知れんぜ。アリ公は、さ‥‥」
誰を、と固有名詞は使わない。だが閃我絶狼(ea3991)の言葉が誰を指し示しているか、その場にいる全員理解していた。いやさせられていた。
デビルの悪意がどれほど周到で人を傷つけるものか、彼らは身に染みて知っている。
しかも、わざわざ出向き彼はヒントを与えていった。
『契約主』
彼の言う今回の事件の真の黒幕は‥‥
「思い返してみれば、あの時、あの御仁はボリスの事をご主人様、とは呼んでいなかったのであるな。だから、可能性は十分にあるのである」
自分の失敗を自嘲気味に思い返しながらマックス・アームストロング(ea6970)は呟き‥‥そして手のひらを強く握り締める。
「それでも助けない訳にはいかないのである。幸せな結婚式の為にも‥‥例え罠であろうとも突き破るのみ!」
「シーッ。マックス様、声が大きいですわ。お静かに」
横を歩く深雪に手を引かれマックスは慌てて口を押える。だが、深雪は微笑んでいた。
無論、仲間達も、だ。気持ちは同じだと言うように‥‥。
「とにかく、先に進もう。全ては彼を助け出してからだ」
横で寄り添う狼の頭を撫でながら絶狼は先に進んだ。
それが吉と出るか、凶と出るかはまだ解らないが、冒険者に他の選択は無いのだから。
そして、薄暗い地下の部屋。
牢屋と見まごう部屋の中に深雪は声をかけた。
「フレドリックさん! フレドリックさん! いらっしゃいましたら返事をして下さい!」
「‥‥誰? ボクを呼ぶのは‥‥」
扉の小さな覗き窓の向こうは闇。その中から、本当に小さくか細い返事が返ってきた。
「私、いえ、私達は貴方を助けるようにお姉さまに頼まれた冒険者です!」
返って来たのは返事だけ、応じる動きは見えない。呼吸音さえ、微かだ。
「クオンさん! 鍵は、なんとかなりそうですか? まだ時間がかかりますか?」
もどかしさに気がせく深雪は膝を付いて開錠作業を試みるクオンを見る。
後ろでは気絶させた見張りの懐に鍵が無いかと、絶狼達が探っているがなかなか見つからない様子。
あの様子では、救出は一刻を争うかもしれない。
「‥‥あと少し‥‥っ! 開いた!」
かちゃり。
言葉通り音を立てて鍵が動き、扉が開いた。
「フレドリックさん!」
「深雪殿!」
飛び込みかけた深雪はマックスの呼び声に、足を止める。
念のため。深雪の周りを祈りと共に白い光が包んだ。
「デビル、アンデッドの気配はありません。フレドリックさん!!」
今度は迷うことなく深雪は部屋の中へ飛び込んで行った。その背後を庇うように男達も。
そして、そこで
「うっ‥‥」
思わず顔を顰めた。
まだ三月だというのに薄い最小限の服だけを纏った少年が、ベッドの上に横たわっている。
「くそっ‥‥あの野郎」
ぎりと、絶狼は唇を噛み締めた。
少年の衰弱、彼の手や足に浮かぶ青痣。砕かれた膝。‥‥そして、胸元や首筋の印。それらが表す意味を彼らとて知らぬ木石ではない。
「‥‥貴方‥‥達は誰?」
震える手が彼らに向かって縋るように伸びる。
「お姉さんから‥‥頼まれてきました。もう‥‥大丈夫ですわ」
その手をとり、強く握り締めて深雪は少年にリカバーをかける。足の傷は塞がった。だが‥‥衰弱は直らない。
「深雪殿‥‥」
マックスは自分のマントを外すとそっと少年を包んだ。そして、そのまま抱き上げる。
安堵からか傷の痛みからの開放からか、少年の意識は遠ざかるように落ちて行く。
「眠っている、だけでしょうか? 命に別状は無いようですわ」
「なら目的は達した。もう長居は無用だ。早く戻るぞ!」
レイが見張りの青年達を縛り上げて仲間を促す。それに
「そうですね。早く‥‥」
という声と
「待ってくれ。まだやらなければならないことがあるんだ」
と言う声が同時に答えた。
「クオン?」
絶狼もまた縛り上げた見張りを転がして横に仲間の顔と決意を見た。
「本当は先にやりたかったんだが‥‥悪事の証拠を見つける。こいつにもうこれ以上人を傷つけさせたりしない!」
一歩間違えば泥棒ではあるが‥‥顔を見合わせた冒険者達は目を交差させ‥‥そして頷いた。
「俺らも付いていってやるぜ。単独行動は危険だからな‥‥」
「ここが正念場だ。下手を打つわけにはいかない。一気に勝負をかけてしまおう」
絶狼とレイに同意するように、絶狼の狼も唸り声を上げる。
「解りました。私とマックスさんはフレドリックさんを連れて先に外に行きます」
「ご武運を。外でお待ちしているのである!」
走り出す冒険者達の指で気付かれないほど微かに、石の中の蝶は揺れていた。
○愛ゆえに‥‥
新郎は心からの慈しみの眼差しで新婦を見つめる。
「男よ。何時は神の御許、御前においてこの女を妻とし、愛し慰め、信じ命の限り添うことを誓いますか?」
「誓います」
新婦は心からの敬愛の面差しで新郎を見つめる。
「女よ。何時は神の御許、御前においてこの男を夫とし、愛し仕え、信じ命の限り添うことを誓いますか?」
「‥‥誓います‥‥」
「あれが、嘘で演技だとすれば彼女は神さえも欺く名女優ということになりますね‥‥」
親族側に用意された席を断り、リースフィアは教会の外から少し離れた所で式を見つめていた。
「彼女がデビルと契約している事はおそらくないでしょう‥‥。そうですよね?」
護衛としてはセレナや山本修一郎(eb1293)が付いているし親族席には魔法使いの兄弟に加え、エルとティズ。それにエリンティア・フューゲル(ea3868)もいる。
彼女が側に付いていなくても大丈夫だろう。と言うのが親族席から離れた表向きの理由。
花の季節の始まり。
水仙や鈴蘭、花々で溢れた式は遠くから見ているだけでも美しいと思える。
二人の幸せそうな表情が加わって、最高の式と言えるだろう。
だが
「あれが、この地方の結婚式というものですか。いや、なかなかに興味深いですね」
今の彼女にはそれを心の底から感動したり、魅入ったりする余裕は無かった。
隣でそんなことを言って楽しげに笑っている『彼』こそがリースフィアがここにいる本当の理由。
すでに張り巡らせた緊張の糸を一瞬たりとも切る事はできないのだから。
「聞いているのですか? こんなところで結婚式を見ている暇があるのなら、一言くらい私の質問に答えて下さってもいいと思うのですが?」
「おや、随分、硬い顔をしておられますね。せっかくの結婚式です。美しい瞳が台無しですよ。少しは気を抜いたほうがよろしいのでは無いですか?」
「誰のせいで!」
とは口に出さずリースフィアは丁寧に首を横に振る。
「ご心配ありがとうございます。貴方の方こそこんなところにいてもいいのですか? いろいろとやる事が有るのではないですか?」
「いえ、正直、もうここでの私の仕事は終わりに近づいてきているような気がしますよ。先ほども冒険者にボリス様は手ひどくやり込められた様子。もはや、あやつの繁栄は黄昏に差し掛かっている。落日は間近だろう‥‥」
ふっ、と笑った彼の笑顔に、代わった声音にリースフィアは全身の血か凍る思いを感じた。
それでも、全身の力を手に込めて告げる。負けないように‥‥。
「無理とは思いますが、一応言っておきます。彼女は本当に苦労して、辛い思いをしてやっと、真実の愛を手に入れたのです。邪魔しないで頂けませんか?」
「愛か。人の口にする戯言の中でも‥‥愛とやらは格段に面白い。愛するものの為なら人はどんなことでもしようとする。結婚が愛の終着だというのであれば。神ではなく、私が祝福したいほどだ」
「‥‥貴方はボリスの落陽を止める気は無いのですね。ならば、貴方の契約者とは‥‥」
「ほら、式が終わりますよ。では、また後ほど‥‥」
「あっ! 待ちなさい!!」
リースフィアは叫び手を伸ばしかけるが、その手は人ごみに遮られ、声は歓声にかき消され届かなかった。
消えた『彼』を見つめるリースフィアの後ろで花嫁と花婿は教会から出てきていた。
それは美しい笑顔で‥‥。
その日、結婚式と、街での披露宴は神に祝福されたが如く速やかに、そして無事終了した。
太陽が西に沈み、月と星が輝く宵。
ランプと蝋燭に照らされたサーガ家の応接間は、本当に親族だけの穏やかな時間を迎えている。
(「なかなか来ないなあ。デビル‥‥。仕掛けてくるなら絶対に式や披露宴の最中だと思ったのに‥‥」)
窓際で空を見上げたエルの後ろでは思いを知ってか知らずか
「フィーネさん。助手役‥‥お疲れ様でした。これは、今日のお祝い用に用意されたシードルですわ、宜しかったらどうぞ‥‥」
「あらあら、新婦自らお運び頂くなんて、光栄ですわね。‥‥今日の結婚式、とても素晴らしかったですわ」
エミリが一人ひとりに、そっと杯を渡しているところだ。
それを
「ありがとう」
「あ、どーも!」
「私未成年だけど‥‥、ま、いっか。祝い酒だもんね」
「ありがとうございますぅ〜」
「お気遣い感謝いたしますわ」
「頂きます」
冒険者達はそれぞれに受け取る。
他にウィン、ファーラ、ララ‥‥マイト。
そして、最後に‥‥
「お義父さま。今まで、ありがとうございました」
中央のソファに深くふんぞり返るように座るボリスへとエミリは杯を配っていった。
「‥‥良かったな。エミリ」
一応祝いの言葉を口にするが、それを言うボリスの表情は不機嫌をそのまま絵に描いたようだった。
式の直前。彼は図らずしも口にする事になってしまった。
「‥‥ご領主様の意図と異なる開発は致しません」と。
エリンティアの誘導にまんまと引っかかってしまったことが原因だが
「貴方も義理とはいえ、父親の立場ならお子さんの幸せを望んでいますよねぇ? だったらお子さんの新たな故郷、お孫さんのふるさと。そして新しい息子さんの大事な土地を壊すような事はしない方がいいとおもうんですぅ〜」
と式の直前来賓や人々の眼前で問われて否、と言えるものがいるはず無かった。
(「まあいい。いずれエミリが領主になればなんとでもできるだろう。ひとまずは油断させておくか。細かい計算違いあってもまだ、この街を手に入れる手段が消えた訳ではないからな」)
そんな誰にでも読めるような結論を表情に出して
「我が娘を、どうぞよろしくお願いします。ご領主様‥‥」
ボリスは立ち上がった。手には杯。乾杯を促しているのだろう。
「勿論だ。我が妻を私は永遠に愛すると誓う‥‥。我らが結婚に祝福があらんことを‥‥乾杯!」
高く掲げられた杯が揺れてそれぞれの唇に運ばれる。その時
「えっ? これは!?」
唯一エルだけが喉に通った酒の微妙な苦味に気付いた。舌が微かに痺れるような感覚。
慌てて吐き出すが微かな酩酊感が彼女でさえを支配する。
「‥‥まさか、これは‥‥エミリさん!」
「大丈夫です。皆さんへのは唯の痺れ薬ですから。‥‥お願いです。私を止めないで下さい」
身体の自由が利かなくなってきた冒険者達はその時、始めて見落としていたエミリの思いに気がついた。
『私は、私のできることをしようと思います。あの方の為に‥‥フレドリックの為に‥‥』
「まさか‥‥エミリさん。やはり貴女は‥‥」
「これは‥‥私の復讐です。家族を苦しめ、私達を辱め‥‥私達の幸せの全てを奪った彼を許せない‥‥。お義父様。貴方が渡された毒の味は如何ですか? それが、貴方が苦しめてきた人々の涙の味なんです」
エミリの手にはいつの間にか短剣が握られていた。泡を吹くように喉を押さえ、胸をかきむしるボリスに一歩、また一歩と近づいていく。
振り上げられたナイフが今まさに、ボリスの胸に落とされようとした瞬間!
「「「「「「ダメです!」」」」」」
薬に抵抗した冒険者達がそれを渾身の力で止める。
フィーネとリースフィアがエミリを前方と後方から止め、セレナと修一朗がナイフを奪い取る。
エリンティアはボリスの前に立ち塞がり、ティズはマイトを支え‥‥エルは駆け寄りボリスに解毒薬を飲ませた。
まだ痺れているであろう苦しい身体を押してまで冒険者はエミリの刃から、ボリスを助けたのだ。
みるみる回復していくボリス。その姿を見て今までにないほどエミリは感情を爆発させる。
「どうして‥‥どうして邪魔をするんですか? その男を助けるんですか? そいつが生きている限り私達が解放されることは無い。あの子を残して、私は幸せになんかなれない! フレドリックの為にも、マイト様の為にもこの街の為にも私がその人を殺さなければいけないのに!」
「私達がお助けしたいのは、彼ではなく‥‥貴方、いいえ貴方方なのですわ」
「私‥‥達?」
セレナは言いながらエミリを見る。元々彼女は悪事に向いている人物ではない。説得できる。
それに、助けたいと思う気持ちは真実だ。
フィーネとリースフィアから聞いた彼女の告白。
女として生まれた事を恨みたくなるような苦しみをもし自分が体験したとなればどれほど耐えられるか解らない。
その中でやっと彼女は幸福を掴みかけているのだ。それを一時の恨みで手放して良いはずが無い。
なればこそ‥‥渾身の思いをぶつける。
「そんなことを、ご家族も‥‥フレドリックさんも望んでいませんわ!」
彼女の言葉を待っていたように、応接間の扉が開いた。
入ってきたのは息をきらせた‥‥冒険者達。そして‥‥
「フレドリック! 貴方‥‥」
「姉さん‥‥」
マックスの背中から下ろされた少年は、悲しげな思いを浮かべる眼差しで姉を見つめた。
「すまなかった‥‥。途中、グリマルキンの奴が‥‥俺達の邪魔に入ってきやがったんだ」
「調査にも、手がかかったが‥‥証拠は掴んだ。エミリ。殺すのなんて止めろ。‥‥今、殺さなくて、そいつはもうおしまいだ!」
失神している愚かな男が見ればそのまま卒倒するだろう悪事の証拠。その羊皮紙の束をクオンはばら撒いた。
彼は石材商の影で彼は様々な悪事を行っていた。借金をさせそれを盗んで奪い取るも茶飯事。
放火して住宅地を焼き、そこに家を作る。殺人をして土地や財産を奪うなども繰り返されていた。
その証拠書類がここにある。公開すれば間違いなくこの男は破滅するだろう。
「他にも多くの子供達、人間達が直接間接の犠牲者になったことが判明しています。エミリさん、フレドリックさん。貴方がこの男にどれほど苦しめられてきたか解ります。それでも貴方達は一人じゃありません。差し伸べられた手を拒まないで! 優しさを‥‥拒絶しないで‥‥」
深雪の言葉を背にフレドリックは一歩、姉の方に歩み寄った。
15歳はとうに超えている筈の少年は痣だらけで腕も足も細く、とても年齢相応には見えない。だがその青い瞳には強い意志が込められていた。
「止めなよ。姉さん。そいつの為に姉さんが罪を背負う必要なんか無い」
「フレドリック‥‥。貴方にだけは光の中にいて欲しかったのに。無力な私を許して‥‥」
フレドリック少年の姿は着替えている時間も無かったから、救出された時のまま。
ボロボロの袖なし服に身体のあちこちについた、いくつもの痣。
それが、何を意味するか。彼が今までどんな目に合ってきたのか理解したのだろう。エミリが胸の前に組んだ手が震える。
だが、少年は静かに首を振った。
「ボクは、姉さんを恨んだ事なんか一度も無いよ。姉さんには幸せになって欲しい。それだけをずっと願ってきたから‥‥。だから、あいつが、姉さんはお前を捨てたって言っても‥‥ボクは嬉しかった。姉さんに好きな人ができたのなら。姉さんが幸せになれるんなら‥‥」
「でも‥‥私は、マイト様を裏切って‥‥」
「裏切ってなどいない。誓った筈だ。君を信じ共に寄り添うと。俺は君を信じている。だから‥‥君も俺を信じてくれ‥‥」
よろめきながらもティズに助けられて立ち上がったマイトは、そのままエミリを強く抱きしめた。
伝わってくるぬくもりにエミリの涙がとめどなく頬を伝う。
「マイトはね、約束してくれたんだよ。エミリを絶対、絶対に幸せにしてあげなくちゃだめだよ! って言ったら必ず、って‥‥だから信じてあげて」
「私との約束も守って下さいましたね。大事なのは想いを貫く事と、それを言葉にする事ですよ。マイト様」
ティズの言葉にかそれともマイトの優しさにか‥‥。エミリはナイフを床に落とし、泣きながら何度も頷く。
「良かった。姉さん。姉さんに‥‥いい人が見つかってさ。ねえ、結婚式、ボク見れなかったんだ。もう一度誓いのキス。見せてくれないかなあ」
無邪気な笑みを見せる弟の望みに頬を赤らめながらも頷きそして二人は口づけを交わす。
「サーガ家に加わった奥さんと新しい弟に祝福を‥‥」
深雪の祈りとフィーネの見守り。そして冒険者達の立会いの中、今日二度目の誓いの口付けを‥‥。
○真の契約者
「やれやれ‥‥取り越し苦労だったかな?」
縛り上げたボリスと、マイトとエミリ。それらを交互に見返しながら絶狼は肩を竦めた。
目の前に繰り広げられているラブシーンは少々目の毒だが微笑ましい事に変わりは無い。
「何も無ければ、それが一番である。エミリ殿も少々追い詰められていただけのようであるからな。これで一件落着、という奴であるか‥‥」
サーガ家の兄弟達の手当てをしながら嬉しそうに言うマックスにそうだな。と頷く。笑顔で。
「いろいろと嫌な予感がしていたんだが、アリ公も‥‥どうしたんだ? リースフィア。セレナ。さっきから何を探して‥‥」
‥‥もうハッピーエンドは目前、気を抜いたわけでは無かったが微かに生まれた油断があったかもしれない。
「エミリさんが、さっき落としたナイフが見つからないんです‥‥」
「「えっ?」」
二人の顔が同時に色を失った。
「まさか‥‥!」「フレドリック殿!!」
絶狼とマックス。いや、彼らだけではない。冒険者全てが彼の行動に気付いて止めようと手を伸ばす。
「! 皆! デビルが!!」
エルの叫びが一番早かった。だが間に合わない。
いつの間にかフレドリックの手に握られていたナイフ。そのナイフを彼は表情を一切変えずに
『「止めろ!! 動くな!!」』
止めようとする冒険者達の手をすり抜け‥‥躊躇うことなくボリスの心臓に向けて突き下ろしていた。
「キャアア!!」
「フレドリック!」
噴出す血。溢れる血。少年の髪と、手が真っ赤に染まる。
「フレドリックさん!! 一体、何を?」
「何をって、こいつに止めを。こいつには生きる資格なんて無いから」
平然とした顔で彼は自分の顔に付いた血を手の甲で擦った。
「なんで、こんなことを! お前だってこいつに殺す価値なんてないって言ったじゃないか!」
絶狼はフレドリックの首元を引き寄せるように掴んだ。だが返って来た返事は
「姉さんが殺すほどの価値が無い、って言ったんだ。こいつには生きてる価値なんか無いしね。一刺しでなんて優しすぎるけど」
一欠片の罪悪感も無い顔で、彼は微笑む。
「! ダメである。即死されては‥‥どんな薬も役には‥‥」
薬でなんとか命を繋ぎとめようとしたマックスだったが、悔しげに首を振る。
対照的にフレドリックの顔には笑みが浮かんでいた。満足げで、嬉しげな‥‥笑みが。
「本当は、もっと苦しめてやりたかったなあ。うん、優しすぎた。ボク達の苦しみ、悲しみの万分の一も知らせられなかったよ」
思わずぞくりと背中を走ったものを絶狼はあえて無視してさらに問うた。
「何故、こんな事をする! そんな事をして姉さんが喜ぶと思うのか? お前も姉さんの為とでも言うのか?」
「言わないよ。これはボクの私怨だ。姉さんは関係ない。姉さんだけは光の中にいて欲しい。それはボクの本心。でも、こいつを許すことだけは絶対にできない」
細い腕に信じられない力で絶狼の手を払い、
(「邪魔だからどいて」)
そう目で言うフレドリック。助けた時と同じ少年とは信じられない程、そこには揺るぎ無い意思があった。
『迎えに来たぞ。フレドリック。契約は果された‥‥』
どこか甘く、それでいて刺激的な、一度聞いたら忘れられない声が脳に響く。
レイはその時、気付いた。覚えの有る窓の外の気配。聞き覚えのある声の主。
そして、今回の首謀者の名を窓の外に向けて叫び呼ぶ。
「出て来い! アリオーシュ!」
『もう終わりか? なかなか、面白い見ものだったのに』
「お前にとっては、俺達も遊びの駒って事か。やっぱりお前が今回の‥‥全ての指揮者だな!」
少年を庇うようにレイは立ちふさがる。だが、それをあざ笑うように『彼』は鼻を鳴らした。
『何を今更。そんな事、とっくの昔に解っていたはずだろう? 私がいると‥‥。私の目的、助力。それを計算に入れず、フレドリックの思いに考え至らなかったお前達の甘さがお前らの敗因だ‥‥』
漆黒の闇の中、彼は薄い燐光さえ纏うように優雅に翼を広げ‥‥その空に佇んでいる。
「やはり、契約者はフレドリックさん、だったのですね。不覚でした。彼の目的はいろいろ考えたのにボリスさんの殺害だったとまでは思えなかったのは‥‥。そして、貴方がまさかそれを助けようとするとは‥‥」
『それが契約だ。自らの手で仇であるボリスを殺す。その為の助力と力を、という事こそが‥‥。その為にこいつは魂と自らの全てを私に捧げると約束したのだから‥‥』
「フレドリックさん! 何故、デビルの手を取ったのです? デビルとの契約は破滅のみをもたらすのです! 振り切って、帰ってきて下さい!」
リースフィアの叫びからスッと身を翻すようにして逃げると無言のまま、フレドリックはアリオーシュの窓へと近づいた。
「だって、神様も僕らを助けてはくれなかったから。僕は力が欲しいんだ。誰にも負けない為の強い力が!」
「フレドリックさん!」
「君らに何が解る? 自分を生み出してくれた母親を殺された。大事な家族を奪われた。財産を取られた。大事な友達が目の前で苦しんで、そして死を選ぶのをボクは‥‥目の前で見ているしかなかった」
「貴方達が、どれほどこの男に苦しめられたのか、私達には解りません。でも、それでも‥‥」
「それでも? 君はボクの代わりが勤めてくれるというの? 暗い部屋の中。自分のものはベッドだけ。そのベッドさえ安らぎを与えてくれない。回り全てが闇、回り全てが地獄。その中でたった一人手を差し伸べてくれたあの方は、ボクにとっては光だ。神だ! 例え、君達にとっては悪だろうとも」
窓に向って背を向ける少年。
彼の心の傷は深い。下手な説得は無意味だろう。でも‥‥
「フレドリック!!」
それでも彼を止めようと冒険者達は手を伸ばす。
『動くな!!』
だがそれさえも阻むように、あざ笑うようにアリオーシュの『言葉』が冒険者の身体を縛る。
「‥‥ねぇ、まさか直接攻撃なんてしないよね。だって、こんな回りくどいことをしてきたんだし。ってことで、今回はここらで退いてくれないかなぁ」
魔法を取り去れないか必死で挑むティズは時間稼ぎに唯一、動く口で牽制する。
その必死さが面白いのか、それとも‥‥小さく笑ってアリオーシュは腕を組んだ。
『いいだろう‥‥。だが、土産は一つ貰っていく。今回の手数料としてな』
「土産って‥‥まさか!」
動を奪われた彼らとそして『姉』と『兄』を見つめフレドリックは一度だけ微笑んだ。
「ボクは、アリオーシュ様と共に行く。‥‥姉さん。ずっと思ってたんだ。姉さんだけは‥‥光の中にいて欲しいって。僕はもう戻れないから‥‥。戻らないから。だから兄さん。姉さんをよろしく」
そして、躊躇うことなく闇に向けて窓を蹴って
「結婚おめでとう。ボクの事は忘れて」
‥‥飛び出していく。
「フレドリック!!」
冒険者が呪縛を打ち破り窓辺に駆けつけた時には、もうそこには誰もいなかった。
悪魔も、少年も、何も‥‥。
「フレドリック!!! ‥‥どうして」
ただ、結婚式の宵。弟を思って泣く姉の声だけがいつまでも、いつまでも夜空に響いていた。