●リプレイ本文
○村の独裁者
とりつくしまも無いとはこの事だ。と冒険者は思った。
エネベーザ・キャスニング。
目の前の老人は詳しいことは何一つ話そうとはしなかった。
ただ、こう繰り返すのみだ。命令に慣れた口調で
「ジュディスを、ヴァンフリートの所から連れ戻せ!」
と。
イギリスの六月は、もっとも美しいシーズンだと言われている。
この村だとて、決して荒れ果てているわけではない。
手入れされた建物、所々に咲く花々。
道の片隅に咲く野バラ。純白の花を、木々に美しく咲かせるリンゴの木。
丘の上に立ちこの村を最初に見た時は、まるで蜂蜜色の建物が金色に輝くようで本当に美しいと思ったのに‥‥。
「どうして‥‥、どうしてこんなに暗い雰囲気なのでしょうか?」
思わず口に出てしまった藤宮深雪(ea2065)の疑問には、聞き込みをした村人達が答えてくれた。
「そりゃあ、仕方ねえだろうよ。何せこの村はサー・キャスニングの村だからよお」
サー・キャスニングと彼らが呼ぶのはこの近辺一帯の村を治める領主である。
貴族としては末端の末端でしかない為、彼が村の外で持っている力は殆ど無いだろう。
ウィルトシャー州の中ですらエイムズベリーと呼ばれるこの村の事を気に止めるものは少ないのと同じように。
だが、この村の中においてのみ、領主サー・キャスニングは絶大な力を誇っていた。
「収穫、収入の7割が税? 正気かよ?」
驚きを隠せない閃我絶狼(ea3991)にこの村一軒だけの酒場兼宿屋の主人は仕方ない、と肩を竦めて見せた。
「この街は観光地という訳でもなきゃ、交通の要所という訳でもない。見事に繁栄に忘れ去られた街だからな。財産を貯めようと思うんならそりゃあ税金を高くしないとならないんだろうさ」
絶狼はさっき、ここに来る前に面会した『あの』老人の顔を思い出す。
確かにあまりいい人相では無かった。白い髪に痩せこけた手と皮と骨が目立つ。
そのくせ眼光鋭く異様なまでの威圧感を周囲の人に与える。
「横暴かつ、強欲。この村の名前もさキャスニング・ヒルにしろって強引に命令してるんだぜ。まあ、俺達の誰もそんな名前で呼ばないけどな」
聞こえてくる領主に対する噂話はどれもこんな感じのものばかりだ。良い噂はひとつも聞かない。
随分嫌われているもんだ、と絶狼は逆に感心してしまう。
確かにどう贔屓目で見てもよい印象を持てない人物だったのだが、まさかここまで嫌われているとは。
「ところであんた達何しに来たんだ? 用が無いならとっとと帰ったほうがいいんじゃないか? この村に余所者がいてあんまりいいことって無いと思うんだが?」
冒険者にとって一番の味方である筈の宿屋の主人ですらこれである。
情報収集はこりゃあ、手こずりそうだと思わずにはいられない。
それでも引くわけにはいかないのだが。
「いえ、私達はキャスニングさんの依頼を受けてきたんですよ。ジュディスお嬢さんがまだお帰りにならないとかで‥‥」
深雪は丁寧な笑顔で告げる。へえ、と宿屋の主人の顔つきが変わった。
「ジュディスお嬢さんが、かい? ‥‥でも、まああんまり心配しなくてもいいんじゃないかって思うぜ。あの嬢さん、以前、馬連れてソールズベリまで遊びに行ったりもしてたからなあ」
「そんなに良くある事なのですか?」
「ああ、あの子は気さくないい子だよ。明るくて、ちょっとおてんばが過ぎるところもあるが。あの子が領主になってくれれば、少しはこの村も良くなってくれるかと思ってたんだがなあ‥‥」
真剣に説明し話を聞く深雪達の後ろでクオン・レイウイング(ea0714)は黙ったまま、目の前で首をかしげる男を観察していた。
「思って‥‥た?」
彼は何かを隠している。そんな直感めいた思いが頭から離れない。
だが、質問して答えてくれるだろうか。悩み考えていた時
チリリン!
「おや、お客さんですか?」
「おお、ヴァン! 終わったのかい?」
自分達以外の客はいないと思っていた山本修一郎(eb1293)は頭上で開いた扉の音に慌てて顔を上げた。
ドアの上につけられた鈴が楽しそうに歌う
「はい。容態も落ち着いていますからもう大丈夫ですよ。上のテーブルにお薬置いておきましたから。何かあったらまた呼んで下さい。お金は後でいいですよ」
そして開いた奥の扉から、素直そうな黒髪の青年が籠を手に階段を降りてくる。
「いつもすまないな。なら、せめてこれ持ってきな。焼きたてのパンだぜ」
「ありがとうございます! それじゃあ! 皆さんもごゆっくり!」
元気良く青年は走り去っていく。
「皆さん、仲がよろしいのですね。あの子もこの村の人ですか?」
「ん? あ‥‥ああ、ヴァンかい? あの子は最近この村に流れてきた薬師なんだ。いろいろ助けて貰ってるんだよ。ただ、ご領主に見つかると気に入らない奴は追い出されるし、居ていいと言われても薬にでも何にでも税がかかる。あんたらも人探しが仕事だっていうのなら邪魔をする気は無いが、変な告げ口だけは無しに頼むぜ」
判りました。宿の主人に頷いたセレナ・ザーン(ea9951)はふと、気づいて顔を考え顔の仲間に向ける。
「ここで得られる情報はここまででしょうか? ‥‥でもあの子? もしかしたら‥‥」
「やっぱりそう思うか?」
絶狼の問いかけにセレナは頷く。
「ええ、家令さんがおっしゃっていた外見にそっくりですから‥‥。あら? どうか致しましたの? 深雪様」
頷きながら首をかしげる。深雪の表情は手がかりを見出した仲間達のそれとは同じではない。
「私も、そう思います。ただ‥‥何でもないのですが‥‥」
深雪の表情は、言葉とは正反対に微かな陰りを乗せる。
冒険者の顔を何か決意をこめた眼差しで見つめていた、あの青年の顔を思い出して‥‥。
「ここまで依頼人が非協力的だと、かえって気持ちがいいのである。所謂あれであるな。諦めの境地! ハハハハハ‥‥ハァ」
開き直ったように笑うマックス・アームストロング(ea6970)は最後に自分の心情を全て吐き出す息に表した。
自分で依頼を出しておきながら冒険者に対して、ここまで何の情報も与えない依頼人は珍しい。
「ホントですねぇ〜。ホントに困った人ですぅ〜」
エリンティア・フューゲル(ea3868)も軽いため息をつく。彼をしてここまで言わせる存在というのも珍しい。
領主からの情報収集は失敗に近い形に終わった。念のため言うが冒険者に非は殆ど無い。
一度、冒険者全てで依頼人に挨拶した後、彼らは二手に分かれ調査に回ることにした。
酒場や村人住人の家を回り、最近村に来たというヴァンフリートについてや館の場所について調べている筈の仲間達。
彼らの仕事も楽では無いだろうが、それでも彼らは自分達よりも確実に情報を集めているだろう。そう思うと自分の無力にワケギ・ハルハラ(ea9957)も顔を上げられずにいた。
ことは数刻前。
「領主殿は何をご存知であるのか? お教え頂けまいか?」
冒険者達は依頼を受けた時の最初のステップである情報収集を依頼人である領主キャスニングに求めた。
仕事を円滑に進める為に冒険者への情報提供は依頼人の義務であるとさえ言えるのに、目の前の老人は
「ワシは、何も知らん!」「ジュディスはあやつに誑かされておるのじゃ。早急に連れ戻さねばならん!」
そうそっけない態度で繰り返すのみだ。
かろうじて聞き出せたのはヴァンフリートというのが黒髪の青年であることと、年上の人間が従者として付き従っていることくらい。
「ですがぁ〜、どうしてこの様な状況になったのかを知らないとぉ〜、ジュディスさんを無事に連れ戻す事が出来ないかも知れないですよぉ〜」
「お願いします。いろいろ言いにくいこともあるかもしれませんが、どうか‥‥」
冒険者は精一杯の誠意を持って依頼人に接したつもりだった。
「犯人からの手紙の文面だとお爺ちゃんと知り合いみたいだよね‥‥良く何を言ってるかわからない単語があるんだけど。‥‥約束とか、何の話?」
誰が聞いても依頼人の返事は同じ。
「ワシが話す事は何も無い! ジュディスを連れ戻せ。お前達の仕事はそれだけだ!」
「ですが‥‥」
なおも食い下がるワケギの前で老人は立ち上がると、ツカツカツカ。
70歳近いとは思えない足取りで冒険者の前を通り過ぎる。
「うるさい! ワシは忙しいのじゃ。話があるなら家令に聞くがいい!」
バン!
音を立てて扉は閉じられてしまった。あまりにも硬い黒檀の扉がまるで老人の心のように見えて‥‥誰からとも無くため息が口からこぼれたのだった。
「どうする? エリンティア? 諦めて家令さんとやらに聞いてみる? 僕は使用人達さんにちょっと話を聞いてみようと思うけど。ついでにジュディスの部屋も見てね‥‥」
考え事をするように俯いて珍しく表情を曇らせるエリンティアにエル・サーディミスト(ea1743)は問いかけた。
あの調子では老人の説得は難しいだろう。
「‥‥奥の手、だったんですけどぉ〜、ちょっと試してみたいことがあるですぅ〜。マックスさんとワケギさんはぁ〜家令さんのお話を聞いてて貰えますかぁ〜」
「奥の手、ですか?」
「七光みたいなものだからぁ〜、できれば使いたくは無かったんですけどねぇ〜」
猫を抱き上げ苦笑に近い笑みで頷くエリンティアに瞳を合わせワケギとマックスは
「解ったのである。あの頑固じじ‥‥基、老人の方はお任せするのである」
「僕らは、家令さんの方から話を聞いてみますから」
「了解! じゃあ、夜に例の宿屋に集合ね。その頃には全員そろって情報交換できるだろうからね!」
そして冒険者達は頷きあい、それぞれの方向に動き始めたのだった。
情報という、道しるべを求めて。
○最悪の依頼人
普段は、常連の男衆が仕事帰りの酒を呑む。
そんな役割しか持たない宿屋の酒場に
「なんだって!」
その日、今までで初めてかもしれない声が響いた。
「ヴァンアーブル‥‥それ、ホント? 嘘‥‥だよね?」
震える声のエルに、無言でヴァンアーブル・ムージョ(eb4646)は首を横に振った。
「嘘だったら良かったんだけど、本当なのだわ。この間、遺跡に封じたあの子。連れて行かれたようなのだわ‥‥」
「どういう‥‥ことなのでしょうか?」
「何か‥‥悪いことでも?」
青ざめた顔の仲間達をセレナとワケギは心配そうに見つめる。
全員が先の依頼に参加したわけでは無いことを思い出し、エルは慌てて手と首を横に振った。
「あ、ゴメン! 悪いこと、と言えば究極に悪いことだけど、今回の件には関係ないことだから気にしなくてもいいよ‥‥。とにかくも、まずはこっちの依頼を片付けなきゃね」
「‥‥そうであるな。こちらを早々に片付けないとあ奴に付け入る隙を与えてしまうのである」
後で、詳しく説明しますからとセレナ達に囁く深雪。その横ではもう情報交換が始まっていた。
「とにかくね。ホン‥‥っとに! あのお爺ちゃんのいい噂って出てこなかったんだ。誰に聞いても。使用人もみ〜んな!」
エルは腕を大きく、大きく回した。
行動は大げさであるが言っていることは大げさではない。
強欲、意地悪、横暴、偏屈。ひとつ、またひとつと指が折られていく。
「村の方も、だな。租税率7割とか無茶苦茶聞いたぜ!」
「昔はまあ、まだ今より少しはマシだったらしいけど、それでも女好きで、泣かされた人も多くなかったみたいなんだって!」
「泣かされた‥‥? ですか?」
首をかしげるように聞くセレナにエルはそう、と頷く。女好きの噂は街でも聞いたが、泣かされたとは?
「恋人がいようと居まいと平気な顔で好きな女をものにする最悪のタイプ。正妻、妾合わせて五人‥‥だっけ? 子供三人、孫も五人いたらしいよ」
「ご‥‥?」
深雪は目をむく。
貞節な僧侶にはちょっと理解に苦しむ話であり相手だ。
その上、花嫁を奪われた相手や家族の多くは村を追い出されたというのだから、恨みを持つ人間もさぞ多かろう。
「ん?」
ふと、絶狼が首を捻った。頭の中で少し前領主館で出会った一族を数えてみる。
「その割にあの屋敷にいた人数って少ないんじゃないか? っていうよりあの家で老人以外の一族をまるで見なかったんだが‥‥」
「それに‥‥いた? 過去形などは何故だ?」
「それがねえ〜、呪いなんだってぇ〜」
「呪い?」
久遠の声に急に話のトーンを落とすエル。そのオドロしい声に冒険者は思わず唾を飲み込んだ。
「ここ数年の間にねぇ〜、あの屋敷葬式を十件近く出したんだって〜。しかも皆、若い人たちばっかりが。あのじい様、いろいろと恨みを持っている人が多くて、黒い影を見たって話もあるから誰かの呪いだってもっぱらの評判なんだよ〜」
「十件というのは確かに多いでござる。家令殿は皆、事故や病気であまり不審なところは無かったと言っておったでござるが‥‥」
「でも、不自然です。何かおかしいんですよ。あの家」
仲間達の報告に冒険者達も頷く。
「とにかく、だからあの家はもう跡継ぎはジュディス一人なんだよ。だからあの爺さまがジュディスにちょい過保護になるのは解からなくも無いんだけど‥‥」
「ああ! だからなんですねぇ〜。あのご老人があんなことを言ったのはぁ〜。ようやく納得できましたぁ〜」
今までずっと無言で話を聞いていたエリンティアがポン、と手を叩く。
彼の言動が唐突なのは今に始まったことではないが、冒険者全ての目がエリンティアに向けられる。
「あんなこと、って何だ? 一人で納得してないで教えろよ。エリンティア」
話を聞けば聞くだけ、すればするだけ依頼人に対する訳も無い苛立ちが話を聞く冒険者達の間に湧き上がってきていた。
冒険者としてはあるまじきかもしれないのだが‥‥。
だがまだ温泉程度のだったその『苛立ち』も
「なんであるとおおお!!!!」
ついには一気に爆発する。声を上げたのはマックス。起爆剤を投げ込んだのは、もちろんエリンティアだ。
「だからぁ〜。あのご老人はぁ〜、ライル様とジュディスさんの結婚を望んでいるですぅ〜。僕が知りあいだ、と言ったらこっちの情報収集そっちのけで仲介を頼まれてしまったですよ〜」
ライル、というのはウィルトシャー最大の都市ソールズベリのーの領主。
現在独身。婚約者有り、というのはあまり知られていない話だが、冒険者の中には顔見知りや信頼の証を受け取る者もいる。
「それは政略結婚ではないであるか! エリンティア殿! 無論、断られたのであろうな!」
「とりあえずはぁ〜、お役に立てそうにないと言っておきましたがぁ〜、簡単に諦めるタイプでは無いと思いますよぉ〜。その政略結婚の為の見合いに間に合わなくなるから連れ戻せってのがどうやら本心らしいですしぃ〜」
「なんだか、気が抜けるなあ。やる気が無くなっていきそ」
「つくづく我侭勝手な方、ですのね。ジュディスさんが家出されるのも解かりますわ‥‥」
肩を竦めるエリンティアとその話に、冒険者達の依頼人不審もそろそろピークに達しようとしている。
このまま依頼を投げ出していきたいくらいだが‥‥
「かといってそのまま放置しておくわけにも行きませんわ。とりあえず、ジュディスさんをお迎えに行って、そこからは家族の問題とさせて頂きましょう」
セレナはそう言って腰を上げた。今まで話し手役だった屋敷調査組が首を捻ってそれを見る。
「家出? 迎え? 何、もう居場所判ってるの? ジュディスの部屋、何も持ち出した様子無いのに!」
驚き顔のエルにまあな、とクオンは苦笑した。
「詳しい話は道々話す。あれは、たぶん誘拐のつもりじゃないぜ、本人も周りもな」
促されて立ち上がり歩き出す冒険者達。それでも‥‥
「気になります。タケシさんの方で、何か判っているでしょうか?」
誰に投げかけたのでもない、小さな呟きを残してワケギは長い事佇んでいた。
○逃げ出した花嫁
町外れの古い館。
長い事、人が住んでいなかったようで見かけは荒れているが、中からは明るい光が零れ、楽しそうな笑い声も聞こえてくる。
「ねえねえ、これ見て。ヴァンフリート! お隣のおばさんに刺繍教えてもらっているの。だいぶ上手になったでしょ?」
「そうですね。最初に比べれば上出来です。あれは花がまるで太陽のように大きくなっていましたからね」
「もう! 酷い! 少しは褒めてよ。ヴァンフリート。でないとあの花の服、着て貰うからね!」
「それだけはご勘弁を。お姫様♪」
窓の隙間から様子を伺う冒険者達。
目の前で繰り広げられる光景はどこからどう見ても、聞いても、クオンの報告どおり誘拐犯と被害者の光景には見えない。
それこそ仲良しの恋人同士にしか‥‥。
「! 誰だ!」
フッと楽しげだった空気が蝋燭をかき消すように消えて、緊迫感に包まれる。
消えたランプ。闇にまぎれるように二人の姿が家の奥に消え‥‥
ガサッ!
微かな音とともに唐突に扉が開かれた。
「何者! ヴァンフリート様を狙う輩か!」
「わっ!!」
それは、一瞬の出来事だった。
飛び出してきた黒い影が扉に一番近づいていたエルの肩を鷲掴んだ、身体を返し喉元にナイフを当てる。
「お前達、そこを動くな!」
ミドルトーンの良く響く声が命じるままに冒険者達は微かに頷いて後ろに下がった。
いきなり人質に取られたとはいえ、相手はエルだ。
実はそれほど心配はしていない。
それより問題なのはこのような錬金術師に様を付けて呼ぶ護衛と、それだけの護衛が付くほどの錬金術師ヴァンフリート。
彼の実力と彼の真意なのだ。
事と次第によっては戦いになるかもしれないと覚悟はしていたが、まさかいきなり護衛が襲い掛かってくるとは‥‥。
エルは闇に微かに目配せするとワザとらしく大きな声を上げた。
「ちょっと待ってよ! 物騒だなあ」
「黙れ! 侵入者! ヴァンフリート様の平安を乱す者には事と次第によっては容赦はしない! 私はヴァンフリート様を守るのだからな!」
「待って下さい!」
その時、僧侶が一人、護衛の前に立って両手を広げた。
そして誠実に頭を下げた。
「私達はヴァンフリートさんに害をなす目的でやってきたのではありません。ご領主の命を受けてジュディスさんを迎えに来ただけなんです!」
「ジュディス様を!?」
明らかに動揺したような眼差しの護衛の後ろから落ち着いた声が静かに告げる。
「‥‥剣を引いて。エスタ。彼らに入って貰うんだ」
「ヴァンフリート様‥‥ですが‥‥」
「いいんだ。それにもう中に入っている人も居る。彼らに本気を出されたら僕らの負けだよ」
『!!』
彼の言葉に何より驚いたのはクオンだった。隠身の勾玉と魔法、そして忍び歩きで完全に気配を断っていたつもりだったのに目の前の青年は、気づいていたのだろうか? 自分のことを。
「そろそろ、おいでになる頃だと思って覚悟はしていました。どうぞ。冒険者の皆さん」
優しい声に招かれ冒険者達は家の中へと入っていく。
入ってすぐの部屋が応接間。平屋一階建てのこの家を館、というのはあまりにも過剰広告が過ぎるが、だからこそ冒険者達はすぐに顔を合わせる事ができた。
「お前さんは‥‥」
呟く絶狼に『彼』は小さく一礼し、笑う。
「貴方が、ヴァンフリートさん、だったんですね?」
目の前に立っている青年は、村の中で幾たびも見た村の若い青年薬師だったのだ。
「私は家に帰らないわ! 政略結婚なんて真っ平ゴメンなんだから!」
黙っていれば美少女、と言う言葉がぴったりくる黒髪の少女は開口一番、そう怒鳴って冒険者に唸り声を上げた。そのままだと飛び掛っていきかねない少女を、青年は軽く手で止めた。
「ジュディス。落ち着くんだ。‥‥始めまして。ちゃんとお会いするのも名乗るのも初めてですね。僕はヴァンフリート。一応錬金術師ということになっています。本業は薬師なんですけどね。この子はジュディス。ご存知のとおりご領主様の孫娘です。彼はエスタ。僕の護衛みたいなことをしてもらっています」
青年の背後でエスタと紹介された人物は、無言で立っている。
暗闇の中では気付かなかったが壮年と言える人物に見えた。
「わざわざおいで下さって恐縮です。何もありませんがゆっくりして行って下さい」
出されたのはハーブティ。やさしい香りで毒などは入っていないと解かるが、手をつける気にはなれなかった。
冒険者が驚くほどの丁寧でやさしい物腰の青年。
だが彼の口から発せられた言葉は、正直、冒険者驚かせるものだった。
「皆さんは、ジュディスの誘拐事件の捜索の為にいらしたのですよね。もうお解かりでしょうが今回の事件の犯人は僕です。僕が、ジュディスを連れてきました」
そう。驚き、あっけなく思う程、目の前の青年はあっさり名乗って微笑んでいる。
実は冒険者が驚いたのは彼が「ヴァンフリート」であること、ではない。それは最初から判っていた。
元々、今回の捜索について冒険者が思っていたほどの苦労は、何一つ無かったのだ。
ダウジングペンデュラムで目標を絞り、人間や動物の力を借りて聞き込み、調査、捜索をした。
家令から聞いた『ヴァンフリート』の外見は若い青年。
村人達は誰一人として、ヴァンフリートやジュディスを知っているとか、居場所はどこであると言うものはいなかったけれども、青年の外見を問えば知らないと言う者はいなかったし、妨害も‥‥しなかった。
『できれば、そっとしておいてあげておくれではないかい?』
そう言っていた者もいた。
絶狼は最初から思っていた。村に住んでいる人物の館が解からないということがあるのだろうかと。
ヴァンフリートが住んでいる事そのものを知らないなんて事でも無ければ、そのようなことはありえない。
だから冒険者達は気付いていた。
「違う! ヴァンフリートは何にも悪くないわよ! 私が政略結婚なんてイヤだって言ったから。でもただイヤだっていうだけじゃおじい様は解かってくれないから、だから家出するって言ったらヴァンフリートがならうちにおいでって言ってくれただけだもの!」
ジュディスが告白するまでも無くこれは誘拐ではなく計画的な家出。村人達は皆、ジュディスの為にそれに協力したのだと。
「‥‥ただ家出、というだけでは若旦那様はジュディスの思いなど気にも留めないでしょう。だから、僕が力を貸しました。同じ事を僕以外の者がすれば、村人などがやれば被害が広がります。だから僕はジュディスが招待したという形にしたんです。僕らなりの気遣いだったんですけどね‥‥」
「やっぱり。そうかな、って気もちょっとしたんだ。まあ最初はあそこまで依頼人のじい様が堅物だと思わなかったし、理由も判らなかったからね‥‥」
エルは苦笑しながら肩を竦めた。人質に取られ、剣を突きつけられたがもうそれを怒る気はどこからも出てこない。むしろ、彼らに同情、同調したい気持ちの方が強くある。
それは冒険者全員も同じであるのだが‥‥。
「気持ちは解かるのである。でも、嫁入り前のレディが何時までも外泊というのはハシタナイである。そして、レディを何日も引き止めるのは紳士的ではないである」
マックスはあえて依頼を受けた冒険者としての立場で諭す。
「だからっ! 家に戻ったら嫁入りさせられるんだってばあ! 帰れないの! 帰りたくないの!!」
当然噛み付くような反論が帰る。だが
「もういいだろう? 帰りなさい。ジュディス」
それを止めたのは誰であろうヴァンフリートその人だった。
「えっ? ヴァンフリート?」
頼りにしていた人物にいきなり突き放され、ジュディスは頼りなげな目を向けた。
だが、彼は目を閉じて首を振る。
「おままごとは終わりです。それに旦那様も冒険者を雇ってまで君を迎えに来たのだから。君を大事に思っていることは判ったでしょう?」
「判らないわよ! それにおじい様は結局自分では迎えに来てはくれなかった! 私なんてどうでもいいんだから!」
「僕も、君の事はどうでもいいんですよ。そろそろ迷惑だから帰ってもらえませんか?」
視線を合わせず‥‥言い放つ。少女の肩がふるふると振るえる。そして‥‥
「‥‥ヴァンフリートのばかああ!!」
ジュディスは泣き出しながら外へと駆け出していった。
「ジュディスさん!」
女性達はその後を追っていく。
「あんた、あれでいいのか?」
クオンの問いかけにイエス、とも、ノーとも言わずヴァンフリートは呟く。
「彼女には‥‥愛する人の面影があります。幸せになって欲しいんですよ」
「愛する‥‥人?」
「ヴァンフリートさん。ちょっと、聞きたいことがあるんだわ。街で貴方と同じ名前の人の昔話を聞いたのだわ。他人の空似だとは思うけど聞いて欲しいんだわ」
意味が理解できないと言う様子のワケギの肩からヴァンアーブルはヴァンフリートのテーブルの上へと飛んだ。唯一残った女性ヴァンアーブルは、そう仲間達とヴァンに告げる。
彼女が聞いたお話は、昔、昔の話。
一人の少女と、二人の男性のよくある悲劇と喜劇の物語。
家から離れてすぐの木陰でセレナは物音を聞きつけたジュディスを見つけた。
木に頭を付けて泣く彼女を脅かさないように、
「ジュディスさん」
深雪が優しく問いかけた。
「‥‥ひょっとしたらヴァンフリートさんがお好きなんですか?」
「わかんない。恋人同士の好きじゃないと思う。ヴァンフリートは私には優しくしてくれるけど、何もしてくれないから。けど‥‥あの人といるとホッとするの。暖かい気持ちになれるの。‥‥大好きなの!」
「そうかあ。なら辛いよね」
涙もぬぐうことなく泣き叫ぶ少女をエルはそっと抱きしめた。
人に抱きしめられるのはどれくらいぶりだろう。
「でも、おじい様が心配してらっしゃるのは本当です。帰って差し上げてはいかがですか? またいつでも戻って来れますよ」
セレナの言葉にジュディスは夢が割れたように目を見開く。
「嘘! おじい様は私のことなんか心配してないし、ヴァンフリートまたどっかに行っちゃうから‥‥」
「なら、その気持ちをお話しましょう。きっと分かって下さいますわ。私達も決して悪いようには致しませんから‥‥」
「ヴァンフリートは本当は君のこと嫌ってなんかいないよ。君を返すためにワザとあんなことをいったんだ。きっと‥‥だから、もう泣かないで」
優しい言葉に包まれてジュディスは静かに涙をぬぐい‥‥頷いた。
○65歳の青年
「ねえ? 皆、どう思うのだわ?」
帰路、ヴァンアーブルは唐突にそんな言葉を口にした。
即答の返事は返らない。場に沈黙が流れた。
『僕は約束が果たされているかどうか、確かめに来たんですよ』
ヴァンフリートはそう寂しそうに笑って言った。
『ヴァンフリート』という名と領主の関係を調べた時、出てきた話は一つだけ。
それはもう知る者も殆ど居ないむかしの話だ。
今から五十年は経ようという昔のこと。
この村にヴァンフリートとエリスという幼馴染で恋人同士がいました。
二人の愛は周囲に祝福され、幸せの花を咲かせるはずでした。
ところが、地主の息子が彼の婚約者に横恋慕。
親と財産の力を借りて彼女を無理やり奪い取ってしまったのです。
絶望に囚われた青年は領主の息子の結婚式の夜、姿を黙って消しました。
無理やり奪われた花嫁は青年を思って涙を流したということです。
『若旦那様は僕よりも、自分のほうがエリスを幸せにすると言ったのです。そして、僕が消えれば彼女もその子孫も生涯愛し、大事にすると‥‥』
ヴァンフリートは言った。それが、自分があの手紙に書いた『約束』の意味。
ジュディスを幸せにして欲しいという願いだと。
「でもである! それを信じるならあの『ヴァンフリート』殿は軽く六十を超えていなければおかしいのである! でも、どう見ても彼はそんな年には見えなかったのである」
「年をとらない、もしくは若返るなどということがあるのでしょうか? もしあるとしたら彼はとんでもない秘術を身に着けているということになります。この世のほとんどの者が喉から手を出しても欲しがる秘術を‥‥」
冒険者はジュディスを保護し領主の下へ連れ戻った。ジュディスもまたヴァンフリートや村人の罪を問わない約束で、自ら屋敷へ戻る決意をしたという。
「これで、ことが終わりならいいのですけどぉ〜、またここに来る事になりそうですぅ〜」
エリンティアの予言めいた呟きが聞こえているのか、いないのか。
「ん?」
「どうしたの? 絶狼?」
足を止め手の甲を返す仲間にエルは気付き顔を覗き込んだ。
「エル。お前さんも石の中の蝶、持ってなかったか?」
真剣な顔で問いかけ返す絶狼。エルはへっ? という顔を一瞬浮かべるが、次の瞬間真剣な顔で服の隠しに入れていた指輪を取り出した。
美しい石の中で蝶は凍りついたように動かない。
「何か、あったのですか?」
「いや、気のせいならいいんだ。ただ、今、一瞬蝶が動いたような気がして‥‥な」
何でもかんでもデビルが関ってるとは思いたくないんだけどねえ‥‥。
そう苦笑しながらも絶狼も仲間達もある一つの覚悟を決めていた。
この地への再来訪と、最悪の敵との再会を。
『うまくいっているか?』
「はい。必ずの成功を‥‥」
闇の中から暗い瞳が冒険者を見つめていることをまだ、誰も知らない。