●リプレイ本文
○後悔と決意
本当の所を言ってしまえば、今回は冒険者にとって事前にするべき事はあまり無い。
警備や護衛の仕事の必要は無く、ただ当日集まって皆で新しい夫婦、新しい家族の誕生を祝えばそれでいい。
けれど、それでも冒険者達は相談をし、それぞれができる事の準備を進めていた。
キット・ファゼータ(ea2307)もまたその一人である。
彼は崩れ落ちた壁を見つめ溜息をつく。
ほんの数日前までこの向こうの部屋にいた者はもういない。
「こいつはあのシフール一人の仕業じゃないな」
ぞくりと、身体を何かが走る。
目の前の光景と、消えたシフール。
それはキットにある最悪の敵の存在を予感、いや感じさせていた。
トゥーリトル・ディー。
それがあのシフールが自らを現す名として名乗ったものである。
「小さなD‥‥ちっちゃなデビル?」
「しふデビ? とか?」
「二つの‥‥とも読めるが‥‥どう考えても偽名っぽいな」
ギルドの片隅でキットと葉霧幻蔵(ea5683)。そして篁光夜(eb9547)は会話する。
口調はやや楽しげに聞こえるが‥‥、それを話す冒険者達の心は怒りに憤っていた。
冒険者達が捕らえた今回の事件の首謀者。月魔法使いのシフールの脱獄が知らされたのがその理由である。
「くそっ! 倒しただけで満足しちまった俺のミスだ!」
テーブルに怒りを叩きつけたキットの思いに、仲間達も暫く言葉は無かった。
人数の調整ミスがあった、という理由もある。
結婚式を守るというメインの事柄に気を取られたというのもあるだろう。
元より、冒険者は何も失敗してはいない。
依頼を成功させ、かつ今まで決して表に出なかった敵を捕らえたのだから十分な成功と言えるだろう
だが‥‥それでも勝利し捕らえたときに、冒険者には選択のチャンスがあった。
あのシフールを殺すか否かという‥‥。
冒険者が敗北感に打ちひしがれているのは、その選択を誤ったと思っているからだ。
「あいつを‥‥あの時殺しておけばよかった‥‥」
「キット‥‥」
何か言葉をかけようとしたのだろう。
手を伸ばしかけた妻、フレイア・ヴォルフ(ea6557)の肩は夫、尾花満(ea5322)の手のひらに止められた。
振り返るフレイアに満は無言で首を振る。
フレイアもその意味を理解して静かに、後ろに下がった。こういう時の男に下手な慰めはかえって無意味だ。
「自分で望んだ戦いだったのに‥‥俺に覚悟が足りなかったのか? ‥‥あいつなら、きっと、こんな時‥‥」
自分自身で悩み、苦しみ乗り越えるしかないのだ。
「私達は、あのシフールを噂話以上には知らない‥‥けれど、そのシフールが聞いたとおりの性格であるのなら、披露宴にやってくるかもしれないわね」
「確かに、禍根となるであろうな‥‥。警戒は怠らない方がいいと思える」
トゥルエノ・ラシーロ(ec0246)の言葉に満は頷く。
冒険者が招待を受けたパーティは明後日。
「そうか‥‥、奴はきっと来るな」
立ち上がるキット。その目には強い決意が輝く。
「あいつとも約束した。もうこれ以上奴に不幸にさせられる者を作らない!」
揺ぎ無い瞳に仲間達は安堵の笑みを浮かべながら
「その意気よ。これが最後になるかもしれないもの。皆でグレイスを祝福しに行きましょう!」
「実は、いい考えがあるのである。警備と余興を兼ねたもので‥‥」
相談を始めていた。
そうしてキットは牢屋にやってくる。
被疑者の脱獄を許してしまった事で周囲は以前にも増した警戒態勢が如かれている。
今更、という気もしないでもないが、キットは許可を得て現場検証をさせてもらう事にしたのだ。
今後の奴の出方を見る為に。
牢屋の警備にあたっていたのは王宮の騎士や戦士。
買収されていたり、ということはとりあえず今回は考えなくていいだろう。
何か幻覚を見させられたり、操られたりと言う事は無かったか。
何せ相手は月魔法使いのシフールである。
片手と口が使えればなんとでもできる厄介な相手。
けれど、それだけに警戒はしっかりなされていた。と関係者は断言する。
手は拘束され、目隠しに猿轡。
全身をほぼ拘束され、排泄と食事以外で外される事は無かったとも。
「ということは‥‥誰かが外部から‥‥」
壊れた石の壁を手で確認しながらキットは呟く。
王国側もほぼ同じ見解のようだ。
壁は内部から破壊されたのだろう。粉々に砕け散っている。
全ての魔法を熟知している訳ではないが、神聖魔法黒にはこういう現象を起こす魔法がある。
ある悪魔達の存在がキットの脳裏に浮かんだ。
かの悪魔達はデビル魔法だけでなく神聖魔法黒も使いこなす筈‥‥。
「やはり‥‥奴らか‥‥」
キットの言葉に確固たる答えを与えるものはいない。
石の中の蝶も、未だ沈黙を続けていた。
「なあ、ご老人」
沈黙を続けているのは石の中の蝶だけでは無かった。
フレイアは溜息をつき、肩を上げる。
この事件におけるある意味最大の被害者。
孫である後継者を失った仕立て屋の老人。
彼は通ってきて二日。
フレイアを始めとする冒険者と口をきいてくれようとはしなかった。
冒険者達が持ってきた差し入れも食べようとせずベッドから出てくることも殆ど無い。。
世話役のロゼッタが釈放されるまでは、何も口にしようとせず衰弱死寸前だったというのに‥‥だ。
冒険者を彼が嫌うのは仕方ないと思う。
結果的にとはいえ自分の孫の命を奪った娘を助け、孫をこの世から完全に消滅させたのだから。
だが‥‥
「あんたの気持ちは解る、なんては言わないよ」
大切な肉親を失い、心を閉ざす老人にフレイアは告げる。
「大事な孫を失った事、簡単に納得できる筈は無い。本当に大切な者を失う恐ろしさ、悲しみは同じ、家族を持つものとしてこっちは解るつもりだから」
それはフレイアの本心だった。
もし、自分が、自分の夫が、子供達が失われたとしたら。同じような目にあったとしたら。
そんな事など考えたくも無い程だから。
けれど、顔を上げフレイアは老人に告げる。
「ただ、一つだけ。お孫さんは納得して、天の階を望んで登った。無念のまま、無理やり消されたんじゃない。それだけは伝えたかったんだ」
よいしょ、とフレイアは立ち上がり扉を開けた。
「冒険者‥‥さん」
「ロゼッタ。もう直ぐキットが来る。後は、彼の指示に従っておくれ。‥‥ご老人の後をよろしく頼んだよ」
優しく微笑み部屋を去ろうとするフレイアの背中に
「待て」
静かな声がかかった。
「なんだい?」
フレイアが振り返った先には代わらず顔も姿も無い。
だが、思いは確かに届く。
「曾孫には、望むなら服を作ろう。そう伝えてくれ」
「ああ‥‥確かに」
微笑んでフレイアは静かに部屋を後にした。
○招かれ去る客、復讐の代行者
その日は絶好のパーティ日和だった。
夏の青空が広く広がり、それでいて時折涼しい風も吹いてくる。
浮かぶ雲の白も鮮やかで眩しいほどだ。
手入れされた庭には薔薇を始めとする美しい花が咲き誇り、文字通り花を添えている。
緑の芝生の上には大きなテーブルがいくつも並べられており、周囲を取り巻くように集められた楽師が賑やかで楽しい音楽を奏でていた。
花と音楽に迎えられてパーティの開始時刻、門を潜りやってきた冒険者は五人。
彼らは自分達の為に用意された宴席にそれぞれ、差はあるものの一様に目を丸くして驚いた。
「ほお、たった六人のパーティには勿体無いほどだな」
並べられた料理は、質、量共に料理人たる満をそう言って感嘆させるほど見事なものであった。
ローストチキンにビーフ、スープ数種に、焼きたてのパン、ジャムやケーキ、果物。
エールやミード、ワインからジュースまで。
六人ではとても食べきれず飲み切れないほどの食べ物飲み物が用意されている。
やがて音楽に導かれ美しいドレスを身に纏った花嫁と彼女をエスコートする花婿が、冒険者の前に姿を現した。
「この度は、私達の結婚式をお守り下さいましてどうもありがとうございました」
「今日は、思う存分楽しんで!」
夫婦の口調や性格は、どうやら相変わらずのようではあるが、しっかり組まれた手と手。
互いを見つめ合う信頼の眼差しに、冒険者達はそれぞれ、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「どうやら上手くやっているようだな」
「ホントに」
頭のターバンに片手をやりながら光夜は、片手で杯を掲げ持つ。
隣に立つトゥルエノと軽く杯を鳴らして飲み干したその時、
「この暑いのになんでそんなもの被ってるの?」
頭を横に引かれ
「わっ!」
光夜は声を上げた。
「グレイス!」
気がつけば横にグレイスとリストが微笑んでいる。
今日は身内だけのパーティだから、彼らは接待役を努める積もりなのだろう。
「失礼しました。お料理はいかがですか?」
頭を下げるリストに光夜はいやいや、笑いながら乱れたターバンを巻きなおしながら答えた。
「十分、楽しませて貰っているよ。でも、俺の事を彼女は解っているのかな?」
肩を竦める光夜。
ずっと影ながら守ってきた。リストは勿論グレイスともまともに顔を合わせたのは結婚式の時とあと僅か位だった気がする。
「解っているとは思いますよ。貴方が耳を隠しておいでなのも気がついていたようですから」
その言葉に微かに頭が動いた。
光夜の問い詰めるような目に、リストは柔らかく微笑みを返す。彼も解っているようだ。
「ハーフエルフに偏見は?」
「恩人に偏見など持つ筈もありません。我々が皆さんに持つのは心からの感謝だけです」
真っ直ぐに返った答えに光夜はまた杯に唇をつける。
「‥‥そうか」
どこか嬉しげな表情でまた杯を干した光夜はそれをテーブルに置くと
「別に気に入っていた訳ではないぞ。念のためにな」
苦笑しながらターバンの留めを外した。美しい髪と長い耳がはらりと揺れる。
何も隠さない姿になって心からの思いを花婿と花嫁に贈る事にした。
いろいろ言いたい事はあるが、出た言葉は一つ。
「‥‥おめでとう。末長く幸せに‥‥な」
「ありがとうございます‥‥。必ず」
返った誠実な返事に光夜は彼らの幸せな未来を確信した気持ちになっていた。
光夜とリストの会話を聞きながら
「誠実な人ね‥‥」
花婿を見つめながら花嫁に、トゥルエノはそう告げた。
「彼‥‥大切にしてね。カランの想いを受け止めてそれでもグレイスを愛してくれると言ってる。そんな相手はもう現れないと思うから」
花嫁にだけに向けた言葉だけではない。側に静かに控えるトリシアにもそれは伝えたい思いだった。
その思いにグレイスは
「勿論よ。彼と一緒に、私は必ず幸せになるから」
はっきりと答える。揺ぎ無い眼差しは見ているこちらが恥ずかしくなるほどで
「あらあら、余計なおせっかいだったかしら」
トゥルエノは大げさに肩を竦めて見せた。
「その為にも早く子供を作るのでござる! そしてカランと名づけるのでござる!」
いきなりのウサミミ忍者が、ぬっと大きな顔と共に話に割り込んだ。
「な! 何よ! 急にそんな事を言うなんて失礼にも程があるわ!!」
顔を真っ赤に染めた花嫁はドレスの裾を持ったまま逃げる忍者を追いかける。
披露宴が追いかけっこに早変わりだ。
花嫁が花婿以外を追いかける様子に出席者も、演奏者達も生暖かい笑顔を向けている。
「ははは‥‥。ゲンちゃんはもう! 仕方ないんだから」
トゥルエノも苦笑は隠せないが、少しその表情を真剣なものに戻すと
「ねえ? トリシア」
一人佇むトリシアに声をかけた。
さっきの問いにトリシアの返事は貰っていない。
「私にはね‥‥、貴女の無念はわからないじゃない。いえ、わかるなんて言うことすらおこがましいくらいだと思う。だけど、貴女は今、ここにいる。それは復讐よりも大事なものを見つけたから‥‥でしょう?」
トリシアは答えない。微かに目を伏せるだけだ。
でも、瞳はトゥルエノを見つめている。だから、トゥルエノも自分の気持ち、思いをはっきりと言葉にした。
これが、最後のチャンスかもしれないから、後悔はしたくなかったのだ。
「だから今すぐとは言わないわ。でも少しずつでいいから‥‥グレイスと上手く付き合ってあげて。カランもグレイスも間違いなく貴女の子供だと思うから。それを受け入れて欲しいの。グレイスも言っていたわ。貴女がいない結婚式なんて意味が無い。貴女がいないと幸せになれないって」
全てを言葉にしてからトゥルエノは慌てて唇を手で押さえる。
「ごめんなさい、そんなの私に言われるまでもないわよね」
余計なおせっかいかと思うトゥルエノに、はっきりとした返事が返った。
「新しい目標ができましたから。それまではお側におります」
「新しい目標?」
それが何かまではトリシアは答えなかった。
グレイスを見守るトリシアの笑みは優しくて‥‥
「そう‥‥。それなら良かった。もう、大丈夫ね」
トゥルエノは心からそう思うことができた。
山なすご馳走、乾く事の無い杯に注がれた酒。
「おまけに食器まで銀器だよ。凄いね〜。貴族ってのはさ」
細工の利いた銀のスプーンを感心するように眺めながらフレイアは呟いた。
料理も流石貴族のお抱え料理人が作ったもの。
「ふむ、これは絶品。後でレシピでも教えて頂こうか」
満もそう絶賛する程にどれもが美味だった。
(「心配事さえなければ、のんびり楽しめるのにねえ」)
周囲に警戒の網を張り続ける夫婦の後方から
「それは皆さんへの感謝の気持ちですわ」
静かな、だが強い声がかけられた。
「誰?」
「奥様」
身構えかけたフレイアとは対照的に満は慌てて振り返り、礼をとる。
「奥様‥‥って、ああ。リスト殿の。始めまして。フレイアと申します」
満の行動の意味を察してフレイアも警戒を解き横で頭を下げた。
「こちらが噂の奥様ね。お美しい事。今回は息子がいろいろお世話になりました。心から感謝申し上げます。お陰で孫が見られる日もそう遠くない事でしょう。ありがとうございました」
思わない褒め言葉と感謝にに微かに頬を赤らめながらフレイアは、少し照れながら
(「あれ?」)
ふと、ある事に気がついた。
ここに来る間際あの仕立て屋、の老人が言った言葉が急に脳裏を過ぎる
(「曾孫には、望むなら服を作ろう」)
「どうしたのだ? フレイア」
青ざめたように立ち尽くすフレイアの肩を満は揺すった。
だが、フレイアの頭は混乱するばかりだ。
「奥方は子ができなくてリストを養子に迎えた。なんであっさりとあれだけの大騒動をおこしたトリシアを許したのかってずっと思ってたんだ」
「リストがどうしてあんなにカランに同調したのか、それは、ひょっとして‥‥」
「あの時はトリシアの子がグレイスで、その子と思ったけど‥‥。そうだよ! あの老人は『孫達』って言ったって聞いた。ロゼッタはトリシアが親に預けた子供達と言った。なら‥‥まさか‥‥。ロゼッタ! トリシア!」
「フレイア!」
フレイアが走り出そうとしたその時だった。
突然、楽しげな追いかけっこを続ける幻蔵とグレイス、パーティを楽しむ冒険者、演奏を続ける楽師達。
彼らの眼前に、突然
「うわあっ!」「なんだ? これは!」
漆黒の闇が広がっていったのは。
○失われた家族の真実
「やられたか!」
突然広がったシャドゥフィールドに木陰に隠れ様子を見ていたキットは悔しげに唇を噛んだ。
周囲の様子は何も見えないが、おそらく術の中心はあのパーティ会場の中央。
パーティに参加した楽師達の一人にあのシフールが紛れていたのだろう。
一瞬、銀の光をキットだけは確かめた。
仲間達は動けまい。
キットはそう確信していた。
今回はあくまで冒険者達は招待を受けた客。
楽師や関係者の中に化けるか紛れ込まれるかされたら探し出すことは不可能だ。
シフールが真正面から襲ってくる事は想定していて、準備はしていてもいきなりの闇に閉じ込められる状況までは考えは及ぶまい。
かくいうキット自身もまさか、自分の居場所まで闇に覆われるとは思ってもいなかった。
「でたらめな射程範囲だぜ!」
このまま少し後退すればシャドゥフィールドの範囲からは抜けられる。
だが、今のままではそれは根本的な解決にはなりそうに無かった。
シフールはこの闇の中にいる。そして何かをしようとしている筈だ。
幸い、要人達の側には運よく冒険者がついている。
リストの側に光夜とトゥルエノ、リストの母君には満とフレイア。グレイスには幻蔵が。
「突入して倒すか、それともここで待つか」
キットは大きな選択を再び迫られていた。
その頃、闇の中では
「おっと、動いちゃいけないよ。そのまま、そのまま」
冒険者達の頭上に不思議に明るい声が振ってきていた。
聞く者の心を不安にさせる『声』
持ち主も誰かちゃんと解っている。
「現れたか、復讐の代行者。祝いに来たのではないのだろうな」
この復讐劇の闇の指揮者。シフール、トゥーリトル・ディー。
彼の手の内は解っている。シャドウフィールドで冒険者の足を止めその隙を狙って撹乱する。
けれどだからこそ、動けなかった。
この真の闇の中では下手に動けば同士討ちになる可能性がある。
外に一旦出れば視力は回復するだろう。だが
「ここから‥‥遠ざかれば奥方達に被害が及ぶ。下手に攻撃すれば無関係の楽師達も」
満は正確に状況を判断し、腰の剣に手を当てていた。
周囲の様子は頭に入ってる。
あとは、周囲の人が巻き込まれないようにタイミングを見計ってシャドウフィールドの解けた瞬間、一斉攻撃すればいい。
「貴様! 一体何用だ? ここは招待客のみの結婚披露宴。呼ばれていない者は来る資格は無い!」
背中で夫人を守りながら、満はいる筈のシフールに向けてそう言い放った。
「そうだね。確かに僕は招待されていない。けれど、最後だから一つプレゼントをあげようと思ってね」
耳を済ませる。聞こえてくるは訳も解らないで戸惑う楽師達の声と、それに紛れる微かな羽音。
そして竪琴の音。
「プレゼント。だと! ふざけるな!」
挑発して自分の方に攻撃の意識を向ける。
そんな計算は確かにあったが、いざ出会ってみればそんなものは吹き飛んだ。
「僕はあくまで代行者だから。伝えに来ただけだよ。去っていったものの思いをね」
彼の一言一言が、怒りを沸き立たせる。
人を安らがせる筈の音楽が、抑えきれない憎しみを増幅させる。
全身の感覚が目の前の相手を敵と認識しているのだ。
仲間達もきっと同じであろう。
「呪われし夫婦に悪魔の祝福を〜♪。
人を死に追いやって、それでも自らの幸せを追い求める愚かな女〜♪」
「ダメよ! グレイス! 耳を傾けちゃダメ!」
耳を押さえるグレイス。だが、音は心に響いてくる。
「カランは安らかに天に昇った。そんな事を思ってはいな‥‥」
グレイスに近寄ろうとトゥルエノは走り出しかけ‥‥
「えっ?」
足を止め振り返った。シフールは歌の続きをこう歌ったのだ。
「弟から、愛する人を奪って生きる、地位と愛の盗人よ〜♪」
「お‥‥とうと?」
「人を傷つけ、人を奪い、その果てにあるものは何なのか?
見せてご覧。
呪われし夫妻。地獄から僕は君達を見ていよう〜♪」
その瞬間、闇はまるでカーテンを取り払うかのようにサッと消え失せた。
冒険者達がその瞬間、見たものはシフールを背に、飛び去る翼持つ黒豹と、肩と腕を押さえ膝を折るキット。
そして‥‥
「弟‥‥。まさか‥‥彼が?」
グレイス以上に呆然と佇むリストと、俯く母親の姿だった。
○新しい家族
デビルと共に消えたシフールは、冒険者と一家に小さくない傷を残していった。
冒険者の怪我はキットのもののみ。
それも怪我そのものは大したことは無かった。
単独行動でシフールを警戒していたキットはシャドウフィールドが消える瞬間に鷹との連携攻撃でシフールを倒そうと決め、そのタイミングを計っていた。
幸い、満達に気を取られたか、自分の歌に酔っているのかシフールがこちらを気にしている様子は無い。
シャドウフィールドが消える瞬間、飛び込めば他に被害無く仕留められる! だがそう思った瞬間、キットの眼前に大きな黒豹が立ちふさがったのだ。
「お前は‥‥アリオーシュのグリマルキン! 貴様がいやがるって事は‥‥やっぱり」
『今日のところは手を引け。ご主人のお楽しみを邪魔するなら、キャメロットに血の花が咲き乱れる事だろう。お前にその覚悟はあるのか?』
振り上げられたキットのソードは一瞬動きを止める。
直後の利き腕を狙ったグリマルキンの攻撃は、あくまでキットの足止め程度の意味しか持っていないだろうが、それは確かに効果を発揮していたし、逃亡するグリマルキンを追跡したキットの鷹も途中で射落とされていた。
「正面から戦えば、負けやしないのに!」
だが、それが負け犬の遠吠えに過ぎない事は彼自身が良く解っていた。
デビルやそれに近い者達に正面からの戦いを挑む事、それ自体が負けなのだ。
だが、一つ収穫は確かにあった。
あのシフールは間違いなく悪魔、アリオーシュと手を組んだのだろう。
人質をとり、心を操り、目に見えない傷を抉るように深く、鋭く付けていく。
それがデビルのやり口なのだから。
キットに付けられた身体の傷は、ポーションの一つで直ぐに消えうせた。
だが、もう一つ、シフールが付けていった傷は、幸せになる筈の家族を重い痛みに今も苦しめている。
「リストと‥‥カランが兄弟?」
「彼が‥‥あのゴーストが弟?」
グレイスは元より、トリシアでさえシフールが残していった言葉には驚愕を隠さなかった。
だが、それが真実であるとフレイアの検証と夫人の証言が証明した。
元は双子で生まれた兄弟を若いトリシアは育てきる事ができず、半ば奪われるようにして舅に託した。
それから五年後、リストを偶然見かけた貴族の夫婦が彼を養子に引き取り、カランは一人残されたのだと。
「私は彼と約束をしました。決して彼の素性を明かさず我が子として愛すると‥‥」
「母上‥‥」
舅はリストを死んだとトリシアに伝え、カランもリスト自身も兄弟がいた事さえ忘れてしまっていた。
微かな記憶を残していたのはロゼッタのみ。そのロゼッタでさえ、再会したリストが遠い日に消えた幼馴染であるとは思ってもみなかった。
「もし、ほんの少し運命の輪が揺れていたら私の立場にいたのはカランで、カランの立場にいたのは私だったのかもしれない。彼が言うとおり‥‥私が彼の幸せを奪ったのかも‥‥」
落ち込み下を向くリストを
「止めるんだ!」
フレイアは強い声と思いで一閃した。
「悪い方にばかり考えるのはおよし! 良かったじゃないか。あんた達は最初から本当の家族だったんだよ。後はゲンちゃんが言ったとおり生まれてくる子供をカランって名づけてあの子の分まで可愛がれば万事解決だよ!」
「えっ?」
戸惑うような顔で見上げるリストにフレイアはそっと微笑んだ。
「途切れた絆も強い想いで繋げれる。取り返しのつかないことなんて、この世には無いんだ。カランはそれを気付かず自分から未来を手放してしまった。だから、あんた達は忘れないで新しいカランに教えてやるんだよ。心は弱くもあるが‥‥強くもあるのだと。希望は自分で捨てない限りずっとあり続けるんだってね」
「フレイア‥‥」
「いつ、どんな出会いがあるか解らない。あれ、みたいな良くない出会いもあるけど、世の中そればっかりじゃないんだ。最高の出会いもきっとある。あんた達のように‥‥そしてあたしらみたいにね」
心配そうに手を伸ばしていた満に枝垂れかかりながらフレイアはウインクをする。
「だから、リスト。普段は甘くて良いから‥‥締めるところは締めてくれよ? 最後の最後で、グレイスが本当に頼れるのは今はあんたなんだからね。家族を守れるのも。出生の秘密なんかに気を取られてる暇は無いよ。あんたは間違いなくこの家の跡取りなんだから‥‥」
「そうよ。リスト。私達は貴方に跡取りを望んだわけではないの。他の人がどう思ったかは知らないけれど、私は貴方を本当の息子と思っていた。貴方は違うの?」
「母‥‥上」
リストは夫人の胸に顔を埋め、夫人は優しく、暖かく。けれどしっかりと息子を抱きしめる。
「‥‥これは、罰ですわね‥‥」
「トリシア‥‥」
涙ぐむトリシアの囁きはほんの小さなものだった。側にいる者ですら聞こうと思わなければ聞えないほどの。
自分自身で選んだとはいえ、我が子をこの手で抱く事ができない。それが許されない悲しい呟き。
けれど!
「何を言ってるのよ! トリシア!」
バン!
強く叩かれた背を返したトリシアは振り返り、そこに太陽を見た。
「貴方は私のお母さんでしょ。それにリストのお母さんでもあるなら私達二人のお母さんじゃない。引退なんかさせないわよ。いっぱい手伝って貰うんだから。子供を沢山作って今度こそ本当の家族を作る為に」
輝く笑顔で笑うグレイス。微笑む冒険者達。振り返ればリストと夫人も柔らかい笑みを浮かべている。
「ほら‥‥」
トゥルエノはそっとトリシアの背を押した。グレイスの前に立ったトリシアは、まるで抱っこを求めるように手を伸ばすグレイスを
「!」
迷いながらもしっかりと抱きしめた。リストと夫人がしたように。
パチ、パチパチ。
誰からとも無く拍手が上がった。
二人の心を、思いを祝福するかのように。
「宴会でござる〜〜!」
その後、邪魔者が消えたパーティ会場では長い日が完全に落ちるまで楽しい宴が続いた。
内容はほぼ葉霧幻蔵ワンマンショー。
カッコいい男ゲンジに化けて歌を歌ったかと思えば、ジャパンの巫女に化けて東洋風の祝いの式を疲労してみたり。
クライマックスに大ガマが飛び込んで旗を振って見せたあたりではもう、新婚の夫婦はすっかり観客になって楽しんでいた。
「あれはやけくそかねえ〜」
苦笑するフレイアにそうだな。と満は頷いた。
対シフールとして用意していた手が全てからぶりに終わった事はおそらく表には出さずとも彼の胸には見えない傷となったであろう。
「だが、あのシフール。何者なのだ? あの執念は尋常とは思えない。一体なにがそこまで奴を駆り立てているのやら‥‥」
「俺は逆に今回は妙な引き際のよさを感じたけどな。奴にしては甘いと言うか‥‥。でも、どっちでもいい。次は必ず仕留める。それだけの事だ」
「キット?」
落ちる太陽と共にお開きが近づいてきた。
「今回は、本当にありがとうございました」
感謝の言葉を告げる夫婦に
「ようやくここまで‥‥と言いたいところだが、これからが本番だぞ。なぁに、そう気負うことはない。相手の在るがままを受け入れ、二人で変わっていけば良いのだ」
「約束と‥‥いろんなもの、忘れないでおくれよ」
「月並みだけど、幸せにな‥‥」
「早く、可愛い子供の顔を見せるのでござる」
「おめでとう、グレイス。道のりは楽じゃないけれど‥‥本当に‥‥本当に幸せになってね」
冒険者はそれぞれに祝福の言葉や、祝いの品を贈った。
そして最後。頭を下げた二人を
「別に特に言う事はない。礼も必要ない。仕事をやっただけだ」
キットは手で制した。
「だが人生において結婚とは誰もが幸せを実感する瞬間だと言う。あんたらは今、幸せか? ならその幸せを大切にしろ。きっと生涯のものにするにはあの三人の誰かが欠けてもだめだと思うから」
家族を大事に。そして幸せに。
言外に伝えられた思いは確かに二人に届いたろう。
彼らは深々と、心からキットと冒険者に
「ありがとうございました」
頭を下げていた。
式の終わり。
つけていたブローチをグレイスは高く高く空に投げ上げた。
空中を舞って降りてきたブローチはトゥルエノの元へ。
「グレイス‥‥」
微笑んだ花嫁の笑顔はどんな宝石より薔薇の花より、輝いていた。
暗闇の中で声がする。
「大口を叩いた割には甘かったのではないか? 結局、結束を固めただけのような気もするが」
「それは、冒険者の邪魔もあったし、仕方ないと思って頂きたいなあ。でも、人の気持ちってそんな簡単でもないから不審、不和の種は撒いて来たって事で」
「まあ、いい。どちらでも良い。退屈が凌げればな。行くぞ!」
そうして彼らは闇に消える。
「ま、双子の兄弟ってのにちょっと甘くなっちゃったのは確かかな。らしくないらしくない」
羽音と共に消えたシフールの呟きを冒険者が知る事は無い。
あったとしても、ずっと先の事だろう。
これも冒険者が知るのはかなり先の話であるが、グレイスは後に幾人もの子を産み望みどおりの家族に囲まれて幸せに暮らす。
その後、彼女を悪女と呼ぶものは、もはや誰もいなかった。