●リプレイ本文
○彼方に捧ぐ誓い
その日の天気はあいにくの曇り空。
けれども花や布で美しく飾られた教会は冒険者達も息を呑む美しさだった。
通りを行く人々にも祝いの菓子が配られ、人々は口々に祝福の言葉を紡いでいく。
「おめでとう」「幸せに」
今日は貴族の息子と、金持ちの商人の娘の結婚式。
そろそろ招待客も集まってくるであろう開始間際。
レイ・ファラン(ea5225)は
「なんともやりきれない話だ‥‥」
祝いの席には似つかわしくない思いを言葉にして吐き出した。
厚く重なった雲は、この結婚式の行く末を暗示しているかのよう。
レイの言葉は今までの事、そしてこれから起こるであろう事への冒険者全ての思いであった。
冒険者達が最初に受けた依頼は結婚式を間近に控えた娘の護衛である。
護衛対象は豪商の娘グレイス。侍女のトリシアと一緒に依頼に来ていた。
彼女はその奔放な性格と行動から多くの人達の恨みを買い、結婚式を前に嫌がらせを受けていたのだ。
出かければ攻撃を受け、屋敷の前に動物の死骸が捨てられ、挙句花嫁衣裳が壊される。
エスカレートする嫌がらせを止めて欲しいと冒険者は依頼を受けたのだが、護衛と調査を続けるうち驚くべき事が判明する。
グレイスへの嫌がらせ。それを誘導していたのは誰であろう、グレイスが一番信頼する人物。
侍女のトリシアだったのだ。
確かに彼女であればグレイスの行動をリークしたり、ドレスを壊したりするのは容易い事だ。
警備が厳しい屋敷内であれ簡単に嫌がらせを行うことが出来る。
婚約者にゴーストを憑依させたり、その屋敷に自分の手の者を侵入させる事もだ。
そして、長年仕えて来た主人を裏切った真実の理由は自分の息子の復讐‥‥。
彼女の生き別れの息子がグレイスに弄ばれ自殺した事が、その息子がゴーストになってしまった事が全ての始まりだったと冒険者と、そしてグレイスが知ったのは本当につい最近の事だった。
トリシアは姿を消した。我が子のゴーストと復讐を支援するシフールと共に。
「グレイスにしてみれば悪気は無かったんだろうがな。ま、知らないって事も罪だと言う事だ」
ターバンで頭を押さえた篁光夜(eb9547)が苦笑するように答える。
恨みの言葉を残し消えた親子が、このままで終わるはずが無い。
いや、終わってくれればそれに越した事は無いのだが‥‥
「多分、そうはならないであろう。必ず彼らは結婚式にやって来る。招かれざる客として」
だから、冒険者はここにいるのだ。
『結婚式を守る』
グレイスから出された依頼を叶える為に。
「グレイスにも何か思うところはあるようだが‥‥」
「ああ、できるなら、誰も傷つけずに終わりたいものであるな‥‥」
尾花満(ea5322)は式用のサーコートに袖を通しながら呟いた。
何より一生におそらく数度とない、大事な思い出となる結婚式を血塗られたものにしては結婚式を守った事にはならないだろう。
トリシアとゴースト、カラン。
彼らも出来る事なら救いたい。
冒険者達は全員がそう願って、動いていた。
身を隠す場所を探す光夜。満は逆に教会の中央に打ち合わせへと分かれる。
満の行く先、司祭や教会の人々と打ち合わせをする結婚式の二人の主役。
彼らを守るようにフレイア・ヴォルフ(ea6557)とトゥルエノ・ラシーロ(ec0246)は付き従い、セレナ・ザーン(ea9951)は出席者の名簿を確認していた。
地の利を確保し、いざと言う時に供えつつ冒険者も準備を手伝っている。
そんな喧騒から離れエスナ・ウォルター(eb0752)は中庭の木陰に身を隠し窓から行われている結婚式の準備を眩しげに見つめていた。
「くうん〜?」
足元に心配そうに絡みつく狼を優しく撫でながら結婚式を守る。その為だけにやってきた少女は微笑む。
「‥‥私、沢山の人から幸せを貰ったから‥‥今度は私が、そのお手伝いをする番だよね‥‥。がんばろうね、ラティ‥‥」
主の思いに答えるように狼は頭を摺り寄せていた。
エスナと同じ庭先で
「ん?」
クロック・ランベリー(eb3776)は頭上の彼方。
鐘楼に気配を感じて空を見上げた。そこには二つの影が浮かんで見える。
「一連の事件は、誰もかれもが自身の不幸を嘆いている処から始まっていると思うのでござる」
影の一つ。真面目な顔で言う葉霧幻蔵(ea5683)にもう一つ。キット・ファゼータ(ea2307)は答えない。
肩に止まる鷹を撫でるだけだ。
「これも“人の業”でござろうか‥‥」
「さあな。人は誰だって幸せになりたいもんだろう? 今回はその想いが最悪の方向で絡まっただけだ。絡ませたあいつのせいでな‥‥」
「どうしても、やるつもりでござるか?」
確認するように問う幻蔵にああ、とキットは頷いた。
「トリシアやゴーストについては皆に任せる。俺は、絶対にあいつを許さないし、逃がさない」
(「今まで多くの人々を不幸にしてきた奴を、今回は俺が不幸にしてやる」)
「なら、そいつはお任せするのである。飛影。しっかりキット殿のお手伝いをするのでござるぞ」
「カムシン。虐めるなよ」
主たちの言葉に答えるように鳥達はそれぞれの肩を離れ、空へと飛び立つ。
人々が式場に集い始める。
『さあ、始まるよ。復讐劇の最終章が。喜劇の幕明けだ』
誰にも聞こえない声と共に、鐘楼の鐘が高く、高く鳴り響いた。
招待客の入場が途切れた入口を見ながら
「そろそろ、始まるかしら」
トゥルエノは空を見上げる。
雲は変わらず厚いままで太陽の位置は解らないが入口は閉ざされた。
彼女の考える時間からはそうはずれてはいまい。
「教会‥‥か」
閉ざされた扉を見つめながらトゥルエノは自分の居場所に苦笑しながら肩を竦めた。
本当ならばグレイスの結婚式を側で見守りたい。
だが、自分はハーフエルフ。
始まる前の準備はともかく、厳粛な式に参加するのは拙いと外で警備する事になったのだ。
念のため耳は隠している。
「グレイス‥‥」
トゥルエノは思い出していた。結婚式の前々夜。
依頼を受けた日のグレイスとの会話を‥‥。
「どういうつもり! グレイス!」
ドン! 大きな音と共に豪華な木の扉が叩きつけられる様に開かれた。
中にいたのは名前を呼ばれたグレイス一人。
「何よ。結婚式前の夜に、レディの部屋に、いきなり入ってくるのは失礼だと思うわよ」
正論。
思わぬ切り返しにトゥルエノは、一瞬足を止めた。
その隙に息を切らせながら他の仲間達も部屋に集まってくる。
「トゥ‥‥ルエ‥‥ノ。も少し‥‥落ち着‥‥け。誰も、止めや‥‥しないから」
呼吸を整えキットが言う。彼だけではない。一緒に着いて来た仲間達も頷いている。
「みんな‥‥」
仲間達に頷いてから、改めてトゥルエノは椅子に座るグレイスの前へ立った。
冷静を装った顔で座るグレイスの前に。
そして大きく深呼吸し、サイドテーブルを全力で叩き声を荒げた。
「どうして私達に黙って結婚式を開くなんて決めたの?! シフールもカランのゴーストも‥‥トリシアも狙ってるのよ!? 解ってないの?」
「解っているわよ。十分。その上で決めた事だもの。貴方達にとやかく言われる筋合いは無いと思うわ」
揺れたサイドテーブルから飲み物を取って、飲みながらグレイスは答える。
「解ってる? なら‥‥なんで? まさか‥‥貴女!」
「グレイス様? 少し質問してもよろしいでしょうか?」
「何かしら?」
目を瞬かせるトゥルエノを手で軽く制してセレナが一歩前に立ち、礼を取る。
「私達が依頼を受ける際、係員から聞きました。グレイス様はこうおっしゃったそうですね。『トリシアのいない結婚式なんて元々意味が無い』と。つまり、グレイス様は『元々』トリシア様の為に、トリシア様に見せる結婚式の準備をしていたのですね?」
「別にその為だけじゃないけどね」
否定ではない答えがグレイスの口から返る。
冒険者達の間にざわめきが走った。
「何故、侍女である彼女がいないと意味が無いのか。ひょっとして何か約束でも? トリシア様を説得するのに必要かもしれません。良かったら教えて頂けないでしょうか?」
こくり。持っていたカップを飲み干してグレイスは息を吐き出す。
「別に大した話じゃないわ。ただ、単に母親がいなかった子供がいて、一番側にいた女に甘えて愚痴をこぼしただけの事。そしてお馬鹿な子供は、その時侍女が言った他愛もない提案を忘れられなかっただけの事‥‥」
『トリシア‥‥。どうして私にはお母さんがいないの? 家族がいないの?』
『お嬢様には旦那様という家族がいらっしゃいますわ。それにお母様はいつもお嬢様を見守って下さっています』
『でも‥‥お父様はいつもお仕事。私は一人ぼっち。そんなの家族じゃないわ!』
『離れていても、心が通じ合っていればそれは家族ですよ』
『そんなの嘘よ! 私はイヤ!』
『ならばお嬢様が新しい本当の家族を作られればいいのですわ』
『新しい、本当の家族? 私が作っていいの? じゃあ、トリシアは私のお母さんね!』
『お嬢様‥‥』
約束と言うにはあまりにも儚いほんの一時の慰めの言葉かけ。
けれどもそれが孤独な少女には心に灯った灯火だった。
「つまり、グレイス。あんたにとって、トリシアは母親にも等しい家族。結婚式にいないと意味が無いほどに。そしてできれば新居にも一緒に来て欲しいと願っていた‥‥」
「‥‥ちゃんとお義母様にも、お義父様にも許可を得ていたのよ‥‥。なのに‥‥、なのに‥‥」
「えっ?」
あまりにも突然の事に冒険者達は目の前で起きた現象が信じられなかった。
一滴の水滴がテーブルに落ち、濡らす。
「グレイス‥‥殿?」
「泣いてる‥‥の?」
「な、泣いてなんかいないわよ! ただ、目の中にゴミが入って、だ、だから!」
「グレイス」
真剣な顔と声で、トゥルエノは目を擦るグレイスの名前を呼んだ。
「何よ」
「まさか、貴女、ワザと彼女に‥‥なんて事は考えていないわね」
「当たり前よ!」
椅子を蹴り、彼女は立ち上がった。
「確かに悪いのは私だけどだったら冒険者に依頼なんてしないわ! 私はトリシアを取り戻すために結婚式を開くの! 助けてくれないの? 冒険者!」
グレイスとトゥルエノ。二人の視線が真っ直ぐに交差した。
あの時確かに交じり合ったのだ。
思いも、気持ちも全てが‥‥。
だから、自然に口からついて出た。
「その気持ち。信じるわ。貴女が幸せになる事を諦めないのなら、私達は全力で力を貸すから‥‥」
と。
あれは誓い。
彼女との約束である以上に、誓いだとトゥルエノは思っていた。
ハーフエルフは神に祝福されない存在だと言われている。けれど‥‥。
「一生懸命な彼女は好きだわ。幸せになって欲しい。だから、守ってみせる」
教会の鐘の音を聞きながらトゥルエノは自分自身にそう誓っていた。
○呪われた結婚式
「Something old
Something new
Something borrowed
Something blue」
花嫁に幸せを与える四つのおまじないを介添え人役であるフレイアは歌っていた。
身支度を整え、式場へと進み出るのはもう間もなくの事だ。
「なかなか綺麗にできたじゃないか?」
美しく整えられたグレイスの花嫁姿を見ながらフレイアは微笑む。
「ありがとう。ま、当然だけれどね」
元よりかなりの美貌を持っていたグレイスだ。花嫁衣裳を身に纏ったその姿は女性でさえ見惚れる程に輝いて見える。男達を魅了して来たと言うのも納得できる。
「何か古いものは、家に伝わるアクセサリー、何か新しいものは新しく作られた花嫁衣裳。何か青いものは彼から贈られたサファイアの指輪‥‥。でも、本当にいいのかい?」
最後、グレイスの髪に髪飾りを刺したフレイアの問いに、ええと。グレイスは頷いた。
「花嫁衣裳には少し、ミスマッチな気がするけど‥‥」
「いいの。冒険者が言うとおり、これが一番だと思うから‥‥」
「そうかい? じゃあ、そろそろ行こうか」
グレイスの手を取り、自分のドレスも整えるとフレイアは彼女をゆっくりと入口で待つグレイスの父親の所へと連れて行く。
「お父様‥‥」
殆ど初めてに近く出会うグレイスの父は、確かに体格も恰幅もよく、その目には鋭い光を宿していた。
実力のある商人と聞く。確かにやり手であろうと想像させるに難くない人物である。
けれど、そんな人でさえ今日は目に優しさを湛えている。
愛する娘の幸せを祝福する想いが確かにそこにあった。
「さあ、お行き‥‥」
花嫁の手を父親に渡し、花嫁は父親の手を取り共に歩き始める。
教会の入口から中に、そして父親にエスコートされて、人々の見守る中、ゆっくりと最奥で待つパートナーの下へと進んでいくのだ。
自分の時とは違う、けれども厳粛な式に少し緊張しながらフレイアは、同じように花婿の側で介添えを務める夫の方を見た。
彼も油断なく周囲を伺っている。
列席者はそれほど多くない。
グレイスが冒険者の要請を受けて厳選してくれたのだ。
それを入場の時点でキットやセレナが入念にチェックした。さらに
「現時点では、ゴーストは列席者、関係者の誰にも憑依してはいないようですわ」
花嫁を見送ったフレイアの横に、シスターの一人が優雅に礼をして声をかける。
フレイアは苦笑した。この人物がさっき、客席の前で『幸運の儀式』と言ってゴーストを祓う『鳴弦の儀』を行った美形青年と同一人物だとは誰も思うまい。
ゴーストはいない。不審者も列席者の中にはいない。
だが、教会は広い。式を動かす為の教会関係者も少なくは無い。
窓も多いし、灼熱の夏。全てを閉じてもいられない。
全てをチェックしきれてはいない可能性もある。見落としもあるだろう。けれど、
冒険者達は固唾を呑んで式を見守っていた。
式が始まる。
とりあえず、参列者の中にはトリシアも、シフールもゴーストも不振な人物はいないようだった。参加者のチェックにあたっていたキットは安堵の表情を浮かべる。
でも。気持ちを引き締める。油断はできない。全てはこれからが本番だから。
「う〜。どうしましょう‥‥」
頭を押さえながら微かに呻くエスナに
「どうしたんだ?」
クロックは心配そうに声をかけた。
「ブレスセンサーで感じる呼吸の数が多すぎて、目的のシフールの呼吸が絞りきれません〜」
鳥とシフールはサイズ的にも似ている。教会の窓の所や空の上。
周囲の木々にも似た感じのものがあって、このままではどれがどれだか確証を持って捜すのは不可能だ。
「それなら‥‥やっぱりあの方法しか無いですね」
「あの‥‥方法?」
何かを決意したようなエスナの眼差しにキットは眉を顰める。
「やるつもりなら、言葉を選べよ。魔法が返って来たら大変だぞ‥‥」
心配する少年にエスナは大丈夫、とニッコリ微笑む。
「少しくらいの傷なら我慢できます‥‥ってえっ!?」
長い耳をそばだてる。この聞こえる音は気のせいでは無いだろう。
「中で‥‥何が起きているの? グレイス!」
トゥルエノは駆け出した。教会の中に向かって。
彼女が走り出すと同時、冒険者の耳にもいくつかの音が響く。
教会の天井付近から何かが壊れる音。そして、教会の中から悲鳴。
何かの苦しげな鳴き声と天上から風を切り落下する音。あれは‥‥鳥!
「カムシン!」
キットは落ちてくる存在に向かって駆け出し、それを地面落下直前でキャッチする。
羽を打ち抜かれたそれは、相棒。
「ちっ! 向こう側にも何か落ちてくる。フレイア達の鳥か?」
レイは教会の反対方向に駆け出す。セレナは意を決したように目を閉じるとスクロールを広げた。
「ムーンアロー! 『この近辺で一人でこそこそしているシフール』を撃て!」
光の矢はほぼ垂直。教会の上に向かって飛んでいく。
「セレナ! こいつらを頼む!」
駆け出すキット。セレナはハイと返事をしてから
「ラティ!」
狼に合図する。
「ウォオオオオン」
その嘶きは教会全体に響き渡った。
○開かれた扉
教会の中央扉は内側から固く閉ざされている。
「セレナ! そこにいる? いるなら開けて!」
ドンドン!
渾身の力で扉を叩くトゥルエノの呼び声に答え扉が開くまでは、時間にしてほんの僅かであっただろうが、トゥルエノにはそれがとても長く感じられた。
「トゥルエノさん!」
「わっ!」
薄く開いた扉から中に身を翻したトゥルエノは思わず一歩、後ろにあとずさった。
目の前に広がるのは真の闇。
その先にどんなに目を凝らしても、奥にいる筈のグレイスとリスト。司祭や仲間の冒険者どころか近くに座っている筈の列席者の姿さえ見えなかった。
「何があったの?」
横にいる筈のセレナにトゥルエノは問う。
「結婚式が始まって、誓いの言葉が行われようとするその時‥‥」
『神の前に集いし者達に問う。この結婚に異議ある者は申し述べよ。さもなくば黙し給え』
司祭の言葉が進もうとした瞬間。
「異議あり!」
そんな言葉と同時にカシャン、と何かが壊れる音がした。
頭上高く、窓のどこかが壊れたのかもしれないと思った瞬間だった。
「さあ♪ お前の望みを叶えるがいい」
目の前に漆黒の闇が広がったのは。
セレナは動けなかったし、動かなかった。
もしこの場を離れて余計な敵の侵入を許したら、と思ったのだ。
「じゃあ、皆、あの中なのね」
頷くセレナの気配。
彼女の顔さえ見えない闇の中。
このまま動けば同士討ちになりかねない。次の手をどうするかと考えていた矢先。
「えっ?」
驚くほどに静かに、唐突に闇は消えていった。
目の前に今まで闇に閉ざされていた光景が開かれる。
聖書を、開き手を掲げた司祭。闇の空間を解いたのは彼だろう。
突然の展開に驚き、列席者の多くが席から動けないでいた。
その中で身構えていたのは花嫁と花婿の一番近くにいた満とフレイア。
だがその二人でさえも動けずにいた。
「動かないで!」
教会の中央で一人のシスターが、花嫁グレイスの首にナイフを当てていたからだ。
「トリシア‥‥、カラン」
そう、そのシスターはトリシアであった。
「どうやって‥‥」
彼女の頭上には、トリシアを守るように黒い影が浮かんでいた。
「神聖なる結婚式で花嫁に一体何を‥‥」
司祭が花嫁を救おうと突然の乱入者に向けて手を伸ばしかけた時
「止めて!」
救われる筈の花嫁がそれを制した。
ナイフに命を奪われるから、ではない。
深い何かを感じて司祭は手を降ろし、沈黙する。
「トリシア‥‥来てくれて嬉しいわ」
ナイフを突きつけられたままグレイスは、顔を動かさず真っ直ぐ前を見据えたまま、そう言った。
グレイスの視線がフレイアや満。そしてその後ろにいる冒険者達と交差する。
微かに頷いて動き始めた『二人』を確認してグレイスは、そのまま目を閉じる。
その時、人質に取られている花嫁よりも驚愕の表情を浮かべていたのは襲撃犯人の方だった。
「グレイス? 何を言ってるの? 私は貴女を殺そうとしているのよ。結婚式を邪魔して貴女を息子の為に、一緒に行かせようと‥‥」
震える手、揺れるナイフ。服の襟元に微かにナイフが当たる。
「それでも、私はトリシアに結婚式を見て欲しかったの。覚えている? トリシアは私の‥‥お母さんだもの」
「グレイス‥‥」
フレイアは微かに微笑した。式の前、グレイスに言った事がある。
『グレイス、心からの言葉言わなければ通じないよ‥‥』
冒険者達は知っていた。トリシアを止め、復讐を止めさせる事ができるなら、それはグレイスの心からの言葉しか無いのではと。
「まだ解らないの? トリシア! 貴女は復讐なんて望んでない! 自分が作れなかった家族、捨ててしまった家族を幸せにできなかった事に罪悪感を持っているだけなのよ!」
訴えるトゥルエノの言葉を継いでフレイアも、優しく微笑し声をかける。手に持っていた武器も、服に隠したそれも床に置いた。
「トリシア‥‥実の子と、実の子以上に側に居たグレイス‥‥なぁ話聞くことは出来ないかい? あんたの方がよく分かってるじゃないか? 彼女のこと。彼女が言っている事が嘘かどうか‥‥」
「確かにグレイス殿の行為には配慮が欠けた。それは間違いもない彼女の罪だろう。けれど‥‥それを諌めるべきは貴女だった筈。貴女は自分の罪悪感を、子供の為、カランの為と言い換えて復讐する事で楽になろうとしているだけだ!」
冒険者達の言葉が一言、一言、トリシアの胸に突き刺さってくる。
「戻ってきて。トリシア。私の‥‥お母さん」
いつの間にかグレイスの首元にあったナイフは、それを握っていた手は下がっている。
「今だ!」
「了解でござる!」
その瞬間。幻蔵と光夜はまさに絶対と言えるタイミングで同時に行動した。
息を合わせ物影から同時に飛び出すと、トリシアの身体を押さえ、ナイフを奪う。
グレイスの身体からトリシアを引き剥がし、膝を付かせる。
『!』
今まで冒険者の言葉を聞くかのように佇んでいたゴーストが、いきなり大きく立ち上がりグレイスを捕らえた二人に覆いかぶさろうとしている。
それともリストにまた憑依しようとしているのか?
身体ごとリストの前に立ちふさがった満。
「無念はわからぬでもないが、そろそろ楽になれ!」
コートの下から颯爽と武器を抜くとオーラの光を纏わせ、ゴーストに切りつけた。
『!!!!』
ゴーストの声なき悲鳴が聞こえてくるよう‥‥。手を握り締めたフレイアは
「グレイス! おいで!」
フレイアは強くグレイスの、花嫁の手を引き、守るように抱きしめながら後ろを振り向かせた。そして
「カラン!」
ゴーストに呼びかけた。トリシアの言うとおりグレイスを連れて行こうとしているのか。
半ば存在が消えかけてもなお、グレイスに近づいていく。
だが、グレイスの存在を眼前にしながらゴーストの、カランの動きは止まった。
彼に目があるとしたら彼がみつめていたものは‥‥グレイスの髪を飾る木彫りの髪飾りだった。
「覚えているかい? そうだ。これはロゼッタのだ。あんたの側の一番近くにいてあんたを思ってくれた相手だよ。これはあんたの手彫りだってねえ? ロゼッタは泣いてたよ。あんたに死んで欲しくなかったってね」
「貴方は本当に大切に思われていたのよ!貴方は死ぬべきじゃなかった‥‥」
冒険者達は思っていた。
おそらくトリシアは死ぬ覚悟でここに来たに違いない。
彼女とてもう復讐が成立などしないのは解っている筈。そしてここは教会。
ゴーストにとっては最悪の場所である事も。
(「だから、彼女の本当の望みは‥‥」)
「グレイス達に子供が生まれたら、その子はカランと付けさせるのでござる。貴殿らは、本当は一つの家族になれる筈だったのでござるだから‥‥復讐はもう終わりでござる」
変身を解き、元の姿に戻った幻蔵は言い、刃を投げ捨てた。
その前でグレイスとリストは二人。そのゴーストの前に膝を折った。
グレイスは謝罪する。生まれてきっと始めて。自分の非を受け止める。
「ごめんなさい。貴方がそんなに私を思ってくれていた事を気付かなかった。でも‥‥もう忘れないわ」
リストは頭を下げる。同じ人物を愛した者として。
「僕達は同じだった。本当に少し何かが変わっていたら、僕と君の運命は入れ違っていたかもしれない」
揺ぎ無い瞳でもう存在しない、彼を認め誓う。
「けれども、僕は彼女を譲ることはできない。彼女を大切にするから‥‥許して欲しい‥‥」
『‥‥‥‥‥‥』
憑依するでもなく、攻撃を仕掛けるでもなく、ゴーストは立ち尽くしたように漂っている。
まるで目を閉じて何かを待つようなゴーストの思いに気付き。光夜司祭に目配せをする。
司祭もその意味を理解したのだろう。呪文を静かに詠唱し始める。
冒険者達は武器を収め、それぞれが手を組んだ。
祈りの為に。
「どうか、安らかに‥‥」
白い光に包まれて、断末魔の悲鳴も無く、恨み言も無く、ゴーストは消え去った。
「カラン‥‥。何もしてやれなかった私を許して‥‥」
残ったのは母親の涙と、それぞれの心への記憶。
ただそれだけだった。
○祝福の鐘
「おや?」
思わぬ来客の登場を、この悲喜劇の演出家は楽しげに迎えた。
「君はこんな所に来ていていいのかい? 結婚式がどうなってもいいと?」
鐘楼へ駆け上ってきたキットは嘲笑するような相手の言葉を完全に黙殺した。
教会の中の様子は解らない。あの音の後、どんな結果になったのか。キットは知らなかったし、知ろうとも今は思ってはいなかった。
目の前の相手にただ、全ての集中を向けていたからだ。
「鳥達に何をした?」
この空に一番近いところにいるのは自分と目の前の相手二人だけ。
「勿論打ち落としたさ。いると解っていれば倒すのはそんなに難しくない」
鐘楼の上。ほんの小さな足場で彼らは向かい合っていた。
正確に言えば足場が必要だったのはキットだけ。羽を持つシフールにはそんなものは必要なかったのだが。
「貴様!」
飛びかかろうとする思いを、手の中の手裏剣を握り締め、必死に冷静さを保っていた。
鳥達の援護は無い。
だが、彼らが少なくとも足止めをしてくれたおかげで奴が使える魔法の残量はそう多くないだろうとキットは状況を分析する。
教会の中に打ち込んだ魔法。通りすがりの人物を操った魔法。
トリシアにテレパシーで指示をしていたのならなおの事。
(「一気に決める」)
彼はほぼその事だけに全神経を集中させていた。
「ん?」
シフールは首を傾げるように横に向けた。目線は下。教会の中へ。
「な〜んだ。つまらない。あっさり説得されちゃったよ。やっぱ一般人はダメだね。根性が足りない。その点あの子達は面白かったのになあ」
「!」
シフールはキットを見た。明らかに挑発している。
「人間ってさ。面白いよね。皆幸せになりたくて足掻いてる。それを上から踏みにじるのは最高の娯楽だと思わないかい?」
「ふざけるな!」
キットは声が、少しずつ荒さを増していく。
怒りが胸を熱くする。
「人間を、何だと思っている。自分は何様のつもりなんだ!」
「人間なんてみんな玩具さ。シフールは選ばれたもの。僕は空の上からそんな奴らを見下ろして楽しめればそれでいい」
「人間を‥‥俺達を‥‥俺をコケにするな!」
剣を構えキットは渾身の力で振り落とした。
「おっと!」
剣から放たれる衝撃波。それをシフールはひょいとかわす。
「腕は上がったみたいだね。でも、まだまだ!」
「それなら次はどうだ!?」
ソニックブームの連撃。それも鐘楼の縁を壊すだけだ。
「今度はこっちから行くよ! ムーンアロー。目の前の男を討て!」
楽しげに踊るようにシフールは手をかざす。銀の光が彼を包み、指先から放たれた光の矢がキットの肩口に突き刺さる。
「ぐあっ!」
強烈な痛みが走る。だが、それでも今日のキットは止まらなかった。
「これくらいの痛みなんか大したことない! 今日は絶対に貴様を倒す!」
再びのソニックブーム。投げられた手裏剣もひょいと避けてシフールはまた、楽しげに笑う。
くるり、バック回転で鐘楼から空へと逃げて。だ。
「おやおや。命を捨てた特攻かい? でもそんなのに構っても僕には何のメリットも無いんだよね。そろそろ帰らせて貰おうか」
逃げる自信はある。そう言っていたシフールの楽しげな表情は
「また‥‥えっ?」
一瞬で凍りついた。シフールの動きが止まる。
キットの目はその瞬間を確かに目撃していた。
「キットさんと戦うシフールを討て!」
庭から真っ直ぐに手を伸ばすエスナ。彼女の手から放たれた光の矢がシフールの羽に突き刺さっているのを。
初級の魔法は所詮、居場所を突き止めるか、一瞬の足止めにしかならない。
けれど、今はそれで十分だった。
「逃がすかああ!」
その好機を見逃さない。
この一瞬に全てを賭ける!
シフールに向けて鐘楼を蹴ると渾身のソニックブームを打ち込んだ。
「グアアアッ! そんな、馬鹿な‥‥!」
真っ直ぐに地面に落下していくシフール。
その後を追うように落ちる筈だったキットの身体は
「無茶をするな!」
息を切らせるレイの腕に止められていた。
「あっ‥‥すまない。奴は!」
「下の連中が押さえてるだろう。大丈夫だ。捕らえた」
「良かった。あいつにはいろいろと‥‥ん?」
二人が再び鐘楼に足をつけた時。
リーン、ゴーン、リーン、ゴーン。
鐘が鳴り響いた。それは式の終わりを告げる約束の鐘。
祝福の鐘だった。
大きく開かれた扉の向こうからは幸せな夫婦が、鐘の音色と冒険者。拍手と人々の笑顔に送られて出てくる。
花嫁衣裳はあちらこちらが破れているけれど、その笑顔はまるで咲く花のようだった。
『汝らは互いに、愛し慰め、いついかなる時も寄り添う事を誓いますか?』
『命の限り‥‥聖なる神と友と‥‥消えた命に賭けて』
そして冒険者は数ヶ月に及んだ依頼を完遂する。
結婚式は守られた。
花嫁は今、祝福の中、幸せの扉を開けたのだから。