●リプレイ本文
○差し伸べられた手
人が誰しも求め望むものとはなんだろう?
歪んでも、心が闇に落ちても人はそれを望まずにはいられないという。
「私は、それを闇の中に見出したのですわ。誰にも奪わせません」
闇に消えた娘はそう言っていた。
後に冒険者達はそれを幾度と無く考えることとなる。
今回の依頼内容は依頼人であるリリンが求める二人の人物を探し出すこと。
なのに屋敷の中に何故、これほど冒険者が集まっているのだろう。
口に出さないが依頼人であるリリンの表情がそう言っているのを冒険者達は感じていた。
「あの‥‥」
「大丈夫ですわ。ご心配なさらず。ご依頼はちゃんと理解しています」
にっこりと優しくセレナ・ザーン(ea9951)は笑いかけた。
「ただ、ご依頼のお二人を殆ど知らない我々が探すには情報が必要で、それを一番知るのはリリンさん、貴方ですから教えて頂きたいのです。貴方が知るお二人を‥‥」
セレナの誠実な言葉と笑顔は、不安と緊張を浮かべていたリリンの心を解くのに十分であり
「解りました。お願いします」
信頼を取り戻した目で彼女は頭を下げた。
「それじゃあ、容貌を教えてくれ。特にリリンはともかく、リック? そいつの顔はお前さん以外知らない訳だからな」
ペンをくるくると回す閃我絶狼(ea3991)の問いに
「彼は確か淡い金髪で薄い青色の瞳をしていて‥‥」
リリンは思い出しながら答え、絶狼はそれを似顔絵にしていく。
「そうだ。容姿を思い出すついでに教えてくれないか? そのリックって奴はどんな男だったのか? しゃべり方や癖とかでも構わない。どんな所が好きだったのか教えてくれると助かる」
今後の参考になるかと思ってさ? そう冗談めかして肩を竦めるキット・ファゼータ(ea2307)にリリンは幸せそうに微笑んで
「参考になるかどうかは解りませんよ。でも‥‥リックはとても優しい人です。私を包み込んでくれるようで‥‥」
愛しい人の思い出を語り始めた。
「へえ〜。その辺はうちの旦那にも似てるかな」
「ミシアさんのお話もお聞かせ下さいね」
話にフレイア・ヴォルフ(ea6557)も加わり話は広がっていく。
その様子はヴィアンカを誘拐しようとした元娼婦には見えない。
ごく普通の当たり前の少女である。
「元々、悪い子ではないんですよね。ただ、あまりにも辛い思いをしてきただけで‥‥」
独り言のようにシルヴィア・クロスロード(eb3671)は呟いた。
『正直な話、手が届くとは思えないな‥‥』
笑顔の少女を見つめる冒険者達の中にさっき絶狼が吐き出した思いが突き刺さる。
「確かに‥‥一度、自ら選んで闇に落ちたやからを『戻す』のは並大抵の事では無理であろうな」
腰の刀に手を触れながら尾花満(ea5322)は答えた。
「それに〜。思うとおりならあのアリちゃんが一度掴んだ獲物を離してくれる筈もないですからねえ〜」
ぴくっ。
シルヴィア達だけではなく、リリンの側にいた冒険者達も刹那、動きを止めた。
エリンティア・フューゲル(ea3868)がアリちゃんと可愛く呼んだその名。それが現す『意味』は聞き流せる部類のものではない。
「ええ‥‥。彼は最悪の存在です‥‥」
今、この場にリースフィア・エルスリード(eb2745)がいないことを感謝してシルヴィアは手を握り締める。
「でも、深い闇に居る人ほど助けを必要としているんです。望んで闇に落ちた筈は無いですから。なんとしても救い出してあげないと!」
『手が届くなら‥‥』
闇を知り戻ってきた少女はそう告げた。
救い出すのは簡単な事ではないと、その言葉自体も告げている。
‥‥でも、救いたい。
その思いをただ真っ直ぐにシルヴィアは手と一緒に握り締めていた。
トントン。
優しいノックの音と、
「ヴィアンカ。大丈夫か?」
気遣う優しい声が聞こえた。
「! はい。どうぞ?」
声に促され部屋に入った冒険者達は見る。
ベッドから身を起こす円卓の騎士の娘の姿を。
「あ。キット。シルヴィアさん。絶狼さん。リースフィアさん。いらっしゃい。リリンさんの依頼受けに来てくれたんだね」
「そうです。体調はいかがですか? リトルレディ?」
「大丈夫か? 具合悪そうにしてるって聞いたけど」
「うん。大丈夫だよ。ちょっと眠れないだけ。よふかししすぎたのかな? 心配かけてごめんね」
顔色は決してよくない。食欲もあまり無いようだと使用人達は言っていた。
だが心配をかけまいと、ヴィアンカが笑顔を一生懸命作っているのが良く見えた。
「そうか‥‥」
だから心配ではあるが、キットはその強がりを尊重することにした。
「ヴィアンカは頑張ってるんだもんな。頑張ってるやつは応援してやらなくちゃ。いつでも俺達は側にいる。無茶するんじゃないぞ」
優しく頭を撫でて微笑む。
「まだ顔色悪いな、また何か悩んでるなら溜め込まずに吐き出しちまえよ。まあ俺とかには話しにくいことでもこいつになら話せるだろ?」
絶狼がこいつ、と指を立てる方向には勿論、キットがいる。
照れた表情を浮かべるキットにヴィアンカの顔にも笑みが浮かんだ。
「リトルレディ。これをどうぞ。最近手に入れたものなのですが、お守りに‥‥」
シルヴィアは小さな水晶を、ヴィアンカの細く小さな手に握らせる。
感触は冷たい石なのに、暖かいような光を放つそれにヴィアンカは首を傾けた。
「元気になる秘訣を教えます。今の自分に出来る事の数を数えるんです。円卓の騎士の娘の名は誰かを傷つける事も、助ける事もあるでしょう。でも名をどちらに転がすのかは貴女次第です、自分の力を信じて。負けないで下さい」
「ありがとう。私、頑張るから。大丈夫だよ」
冒険者の気持ちを受け取ってヴィアンカは笑顔を見せた。
「じゃあ、俺達は仕事に行って来る。無理せずゆっくり治せよ」
「行ってきます。良い報告を待っていて下さい」
その笑顔を確認し、キットとシルヴィア、そして絶狼は外に出て行った。
「いってらっしゃ‥‥?」
手を振って三人を見送ったヴィアンカは、あれ? という表情で横を見た。
入ってきたのは四人、出て行ったのは三人。一人残っている。
「リースフィアさんはどうしてここにいるの?」
「私の役割は皆さんの警護です。やるべき事はやったので、ここにいるのも仕事なんです。‥‥兄は来ましたか?」
兄というのがアリオス・エルスリード(ea0439)の事だと聡いヴィアンカのことなら説明するまでもあるまい。
「うん。来たよ。セレナさんたちと」
「あれも葉霧幻蔵(ea5683)さんと一緒に屋敷で護衛についています。心配はしなくて大丈夫ですよ」
微笑んでからリースフィアは枕元に腰をかけ、ヴィアンカとその瞳を合わせた。
「何か心配事があれば相談して下さい。悩みというのは口にするだけでもだいぶ軽くなるものですよ」
「大丈夫だよ。ホント。ちょっと変な夢見るだけなの。本当。だから‥‥」
視線から逃げるように横を向いたヴィアンカの顔を、リースフィアはすっと手を当てこちらを向かせる。
冷たい頬、赤みをおびた目。
「口で言うほど良い顔色はしていませんね。‥‥昔の、教団の夢はそんなに苦しいですか?」
「!」
他の冒険者があえて聞かず、また口に出そうとしなかった事。
「私は直接関わった訳ではありませんが、話は聞いています。先日の戦いの時、あの羽虫もそう口にしていましたしね。‥‥だから、気になったのですよ。貴方の調子の悪さの原因は心。しかも過去にあるのではないかと‥‥」
「リースフィアさん」
図星をさされ、また視線を下に向けるヴィアンカ。
その目元に浮かんだものに小さく息を吐いてから
「‥‥おせっかいだとは思うけどね。よく聞いて。ヴィアンカ。貴方にとってはきっと大事なことだから」
リースフィアは震えるその手に自分の手を重ね‥‥静かに話し始めたのだった。
○現れた『リック』とミシア
リリンの話を聞いた時点で冒険者達の半分には既に解ったことがある。
「ん〜、リック‥‥気になる名前だよなあ」
「絶狼。やっぱりそうだと思うのか?」
「多分な。俺はリースフィアみたいにあの時以降の奴に会っていないから、確信は持てないけど、エリンティアが幻見せた時も似てるってリリン言ってただろう?」
歩きながら絶狼は二枚の似顔絵を見比べる。
一枚は自分がリリンの証言を元に書いたもの。そしてもう一枚はリースフィアが以前出会ったある人物の顔を描いたもの、だ。
どちらにも多少印象は違うが、優しい笑顔の金髪蒼眼の青年が描かれている。
「フレドリック、だったか? アリオーシュが手駒にしてるっていう子供は」
「当時、子供。あれから随分経ってるだろうからけっこういい男になってるだろうけどな」
「そのいい男が、リリンにちょっかいを出したって訳か」
もし、そうだとすれば自分達が今している聞き込みなどは、実は無意味だろうと冒険者達は既に解っていた。
軽く調べただけでも、リリンの言う『彼の家』には誰もいなかったし、痕跡も残されてはいなかった。
そもそも誰一人、彼の事を知る者もいないのだ。
リリンの恋人、と記憶している者は僅かにいても、彼自身を知る者は誰もいない。
酒場でリックが飲んでいるのを見た、という者さえ一人もいないのは、最初から彼が目的を持ってリリンに近づき彼女の心を奪う。その為だけに動いていた事を意味する。
そこにはおそらく当然のように悪意が眠っている。
「でも何でリリンなんかに手を出したんだ? ただの金目的なら娼婦なんかよりもっと別の相手もいるだろう? ‥‥整った顔してやがるんだし」
「確かにな。結果としてリリンは姉の伝からヴィアンカに手を出したがそこまで狙ってやってたのか‥‥」
リリンに手を出したのがリックであり、アリオーシュであるのなら目的は一体なんだったのだろうか?
「とにかくもう少し調べて情報が出ないのなら、向こうに戻ろう」
「そうだな。これが茶番だとしても、デビルのそれだとしたら最後の一幕はある筈。向こうから何かしかけてくるかもしれない」
二人は時折石の中の蝶を気にしながら帰路に着く。
その範囲から離れた屋根の上から、自分達を見つめる黒猫に気づくこと無く‥‥。
何の情報も得られなかったリックの調査に比べれば、もう一人、ミシアの調査ではまだ、いくらかの情報を集めることができたというべきだろう。
ミシアはリリンやフー。他の多くの裏町の子供がそうであるように、この街の住民として生まれ、捨てられた訳ではなかったようだ。とセレナはミシアを拾った人物から聞くことができた。
彼は教えてくれた。
彼女は五歳に満たない時、この下町に置き去りにされていた子供だった。
衣服は上等のものを身に付けていたが体中は傷だらけ。
飢えて死ぬより先に傷で死んでいたかもしれない。そういう状況であったと。
そんな彼女を拾ったのは下町の子供同士の互助組織のようなもので、拾われ、生き延びただけでも幸運であったのだろうが、ミシア自身はそう思ってはいないようだった。
頭がよく、才もあったことでシスターへ抜擢されると言う幸運を掴むまで、彼女は『家族』と共にありながらも常に自分の着ていた服を見つめ、何かを思う日々であった。と。
セレナは思っていた。
(「教会を去り、妹弟を捨て、悪魔に魂を売ってまで、ミシア様は何を望んだのでしょう?
『シスターになれたことが唯一の幸せ』なら、妹弟との生活にも安らぎを感じなかったのでしょうか?」)
おそらく安らぎを持ってはいなかったのだろう。
ミシアの心の中にはいつも、自分がかつて持っていたであろう光の日々があった。だから、それを失った事が信じられず、また認められなかったのかもしれない。
もう一度光の当たる場所へ。それだけを思い努力を続け、シスターまで上り詰めた。
‥‥だがそこには光に包まれたヴィアンカがいて‥‥そして‥‥
『ミシアはね。ある結婚式の手伝いをしてから、ちょっと変わっちゃったんだよ。それは貴族の人の結婚式だったんだけど‥‥』
ヴィアンカがミシアの事をそう話してくれた事を思い出す。
「ヴィアンカ様というのはあくまで口実、一番近くにいた貴族への八つ当たりだったのかもしれませんわ‥‥」
「彼女はもうここには何の未練も持たず、残していくつもりもないのかもしれませんね‥‥」
シルヴィアの手の中にはハンカチに包まれたものがある。
焼け焦げたそれは古い子供服の切れ端であり、縫い取られた貴族の紋章であった。
「近くの教会等に身を寄せている様子も無いようです。これ以上の捜索による発見は無理でしょう」
「ええ。ただ手がかりは少しでも掴んでおきたいですから、シルヴィアさん、お付き合い頂けますか?」
「勿論です」
二人がある場所で、ある情報を掴んだのはリック達の調査班から遅れる事数刻。
それを知っていた訳ではあるまいが、パーシ・ヴァルの館にシフール便にて手紙が届いたのも同じほどのタイムラグを挟んでいた。
二通の手紙はそれぞれ、同じ人物をある場所へと誘う招待状であった。
そして先に届いた手紙を持って、リリンは指定の場所へ向かう。
冒険者と共に。
後から届いた手紙は受取人とは違う人間が持って、やはり指定の場所に向かった。
冒険者と一緒に。
「やあ、待っていたよ。リリン」
「リック‥‥。探していたのよ」
「お待ちしていましたわ。皆様、ヴィアンカ様」
「どうして、こんなことになっちゃったの? ミシア」
冒険者がどんなに探しても見つからなかった二人は今、目の前で微笑んでいた。
○払いのけられた思い
それは、冒険者達にとって正直予想外の展開であった。
冒険者の多くが勿論、闇に落ちた二人の来訪を予測していた。
リースフィアなどははっきりと
「向こうが来るのを待つ方が可能性が高いと思います」
と屋敷に網を貼っていた程だ。
だがまさか、向こうから呼び出してくるとは誰も想像だにしていなかった。
しかも、まさか
「まあ座りなよ。リリン。ここの料理よく一緒に食べたろう?」
こんな夕食時、人の多い料理店に呼び出してくるとは。
窓に程近いところに席を取り、リックと呼ばれた男はやってきた給仕に注文をする。
まるで冒険者など気にしていないように、いつものデートにやってきた男のように。
「皆さんもどうぞ。そんな怖い顔をしていると、周りの人が心配しますよ」
あまりにも堂々とした態度。自信に満ちた顔に、一瞬、絶狼は自説に自信を失っていた。
だが、エリンティアは違うようだ。
「そうですねえぇ〜。フレドリック君とも久しぶりに会うんですしぃ〜、食事くらい一緒にしましょうかぁ〜」
ねえ〜、と後ろに立つ仲間達に微笑んで席につこうと促す。
「今、ここで騒ぎを起こすのは拙いですぅ〜。石の中の蝶を見て下さいぃ〜」
剣に手をかけかけた仲間の肘を突きながらエリンティアは小声で囁く。
「!」
見れば石の中の蝶はデビルの反応を伝えている。
これ以上ないほどはっきりと。これは店の中に既にデビルがいることを現している。
「どこだ? どこにいる?」
だが黒猫の姿はどこにもない。いるのは食事をし、酒を飲み、楽しそうに笑う人々ばかり。
「僕の友達が側にいますし僕だって身を守る術はあります。まあ、本気で戦えば負けるでしょうけど、その前にこの店の人の笑顔、半分くらいは持っていけるんじゃないかな?」
「どういう意味? リック?」
『リック』の目が楽しげに笑う。それを見て、唇を噛みながら冒険者達は席についた。
リリンには解かるまい。彼はここで戦いを始めたら、店にいる何の関係もない者たちを殺すと言っているのだ。
「なんだかぁ〜、すっかりと悪い大人に染まってしまったようですねぇ〜。フレドリックくん〜。お姉さんが悲しみますよぉ〜」
カマをかけるようなエリンティアの言葉を綺麗にスルーして、
「僕を探してたみたいだね。リリン。僕も君に用事があったんだ。何の用だい? お金ができたという話?」
リックは状況を理解できずに戸惑うリリンに笑顔で声をかけた。
それに正気を取り戻しリリンはリックに呼びかける。
「違うの! お金はできていないんだけど‥‥でもお金以外の解決方法がきっとある筈だから。私、それを冒険者やお嬢様に教えて貰ったから‥‥。だから、一緒に考えようって言いたかったの。そしてまた私と‥‥」
真剣なリリンの言葉。思い。だがそれを
くすっ。
リックはそれを明らかな嘲笑で払いのけた。
「貴様! 何が可笑しい!」
「キット!」
フレイア達が止めなければくってかかっていたかもしれない。
「お嬢様や冒険者、にお金以外の解決法‥‥か。リリン。君は本当に運がいいね」
くく。笑い続けるフレドリックはやがて、その目を真剣に変え
「お別れだ。リリン。君はもういらない」
リリンにはっきりと引導を渡した。
「ど、どうしてそんな事を言うの? リック。お金がどうしても必要なの? それならお願いして‥‥」
縋るように側に来たリリンをリックは手で強く払いのけた。
よろけるリリンをフレイアと満が支え、リックの顔を見た。
「君は本当に堕落してしまったんだね。前を向こうとする気持ち、人を押しのけてでも目的を叶えようとする思いはどうしたの? まあ、仕方がないか。幸せな生活というのは人を変える。人の事を考える余裕が出ると自分の事などどうでもよくなってしまうのかな?」
さっきまで僅かにあった恋人を見る目はそこにはない。
あるのはシビアで冷たい、例えて言うなら腐った果実、失敗した料理を払いのけ捨てる料理人の目。
「僕が欲しかったのは闇の中で、それでも必死に上に上がろうとする君の魂だ。生ぬるい平穏を見つけ、それに甘える堕ちた魂に興味はないよ」
「魂‥‥ってお前はまさか‥‥」
絶狼には彼の答えがもう解いた。リリンには辛いことになるだろう。と。
「君は本当に運がいい。僕は、今までいくつもの魂を我が主に捧げる為に同じ事をしてきた。今回は冒険者に邪魔をされて失敗したけれど、別の収穫もあったし後始末さえつけておけば構わないとおっしゃって頂いたしね」
「あと‥‥しまつ?」
「そう。君の魂の抹殺」
手を伸ばした、払いのけたリリンの元へ一歩先に進もうとするリック、いやフレドリック。
「さよなら。リリン。永遠にお別れだ」
「させるか!」
騒ぎになるのを覚悟の上、冒険者達はフレドリックを止めようと椅子を蹴る。
だが、その瞬間。
「キャアア!」
突然、冒険者の背後、まさしく店内で爆発が起きた。
粉々に砕かれた机の破片が冒険者を襲う。
「な‥‥に?」
その時、アリオスは今まで、体験したことのない感覚を感じていた。
背後を取られ、首筋を切り裂かれる感覚を。
アリオスは無傷。
だがその衝撃と、呪符が身代わりになって塵になったのを感じて、彼は膝をついていた。
『ほお?』
振り返ったそこには給仕の娘が大きなナイフを構えて立っている。
『何か懐に仕込んでいたか。まあ、今回は別に本気で戦うつもりでもなかったから良いがな』
ナイフを舐める娘。『彼女』がアリオスを『殺した』のは間違いないようだ。
「貴方方はもう少し警戒心を持ったほうがいい。‥‥確かに、貴方方は世界でも指折りの戦士達でしょう。でもデビルがいつでもデビルの形をしているなどと思ったら寝首をかかれますよ。まあ、閣下のお知恵ですけどね」
「貴様!」
『潮時だ。フレドリック。行くぞ!』
ミミクリーを解き、黒豹の姿になったデビルに、店の中はパニックになった。
デビルは店の中を駆け回り、やがてフレドリックの背後の窓を開ける。
「リリン。君は本当に運がいい。せいぜい幸せに暮らすといいよ。さようなら」
「待て!」
満が渾身の攻撃を放とうとする。
衝撃から立ち直ったアリオスも矢を番える。
だが、彼らのそれよりも一瞬早く、フレドリックと黒豹は闇に消えた。
彼らを追跡することも可能だったかもしれない。
けれど、血と瓦礫に包まれた酒場から、冒険者達が離れることができたのは、随分時が過ぎてからの事であった。
その騒ぎからほんの少し後の時間。
やはり、同じような店で同じように。
「お久しぶりですわ。皆様」
冒険者とミシアは顔を合わせていた。
同じような脅迫を受けて、同じようにテーブルに着く冒険者達。
首筋に感じる気配にそれが脅しでない事を感じながらリースフィアはそれでも、ヴィアンカから離れようとはせず剣の柄から手を離さずにいた。
「ミシア様。貴方はどうして闇を選んだのです? シスターになれて幸せだったのではないのですか?」
セレナは問いかける。だが、彼女の目は凍りついたように作った笑顔を浮かべるのみだ。
「傷つけて奪って幸福感を得ることは出来るかもしれません。でも全てを奪い尽くして、その先に残るのは本当に幸福ですか?
貴女がシスターに憧れ、なった理由を思い出して」
シルヴィアも真剣に呼びかける。ミシアを救いたいという思いに嘘や偽りは決してない。
だが
「くすっ」
「何が可笑しいのです?」
奇しくも仲間達と同じやり取りを冒険者はすることになる。
差し出された思いを払いのけた、闇の心とのやり取りを‥‥。
「シスターになるというのは確かに一つの目的でした。しかし、私の本当の願い、目的は別にあったのです。家にいた時は勿論、教会でも手に入れられなかったものを私は、それを闇の中に見出したのですわ。誰にも奪わせません」
「闇が貴女に与えてくれたものはなんだというのです! 大切な人たちの笑顔よりも大事なものとは一体なんだと!」
「貴女方のような幸せな方には決して解せんわ。人が誰しも願うもの。でも、それを手に入れられるのは運のいいものだけ。運を持たない者は掴み取るしかないのですわ。自分の手で‥‥」
彼女はそれだけを言って立ち上がると去ろうと扉に向かう。
「止めようよ! ミシア! リリンとフーが待ってるよ。帰ろう!」
向けられた背中にヴィアンカが呼びかける。
だが、ミシアは静かに頭を振った。
「ヴィアンカ様、お別れです。自分のご幸運をどうぞ大事になさいませ。さもなくばその幸せ、摘み取られることになるやもしれませんわよ。私のように、それを羨む者の手で」
「待って下さい!」
セレナとシルヴィアが同時に立ち上がる。
だがその瞬間
「えっ?」
突然の暗闇が酒場に広がった。
「! ダークネス!」
今まで姿を見せなかった人物の仕業であるとリースフィアは確信した。
「ヴィアンカさん、離れないで!」
片手でヴィアンカを抱きしめ、もう片方の手で剣を構える。
そんな彼女をあざ笑うかのように
「いずれ君を迎えに行くよ。待っておいで。ヴィアンカ」
『ミシアが求めるものは人が誰しも求め望むもの。
どんなに歪んでも人はそれを望まずにはいられない。
お前達が神と呼ぶ者は不公平で、全ての者にそれを与えることはしない。
そして人は与えられた者を羨み、妬み、そして奪ってそれを手に入れようとする。
故に人の心は我が領域。人は全て我が支配下なのだ。抗うのは不可能だと知るがいい』
二つの気配は去っていった。
冒険者に二つの言葉とヴィアンカ、そして後悔と敗北感を残して。
○人が求めるもの
冒険者達は決して油断をしていた訳ではない。
だが、リヴァイアサンというあまりにも強大な敵との戦いの後、忘れていた事があったのは事実であろう。
「デビルはぁ〜、決して自分達の思い通りには動いてくれないということですねぇ〜。その狡猾さには本当に頭が下がりますぅ〜」
エリンティアの呟きはまさしく真実を得ていた。
冒険者一人ひとりは強い。円卓の騎士にも匹敵する実力を持ち、真正面から戦えばどんな敵も討ち果たせるだろう。
だが、デビルの恐ろしさはそれをさせてくれない事だと冒険者は改めて思い知らされていた。
アリオスは首筋を押さえる。今はもう傷さえも残っていない。
だが、あの感覚は今でも忘れられない。一撃で命を切り裂かれたあの瞬間を。
「もし、俺はあの呪符を持っていなかったら死んでいたのか?」
魔王さえも射殺す神腕の持ち主である射手。
回避と格闘の腕も優れた歴戦の戦士だが、油断と隙を突けば殺すことは可能だとあのデビルはあざ笑ったのだ。
「剣士に勝つには剣を使わせなければいい。弓使いには弓を持たせなければ。敵が自分のフィールドで待ち受けているのなら、自分のフィールドに呼び寄せてしまえばいい。当たり前で単純な手口だが効果は絶大だな」
「くそっ! また俺は!」
絶狼の言葉にキットは壁を渾身の思いで叩いた。痛みなど感じない。
依頼そのものは失敗ではなかった。
リリンをリックと合わせ、ミシアと話をすることもできた。
だが結果はやはり『手が届かなかった』と言えるだろう。
パタン。
扉の音に反応した冒険者達。
それがフレイアであることに安心し、肩の力を微かに抜く。
「リリンは‥‥落ち着いたよ」
酒場からずっとリリンに添っていたフレイアは静かな微笑を浮かべた。
「魂の破壊って言ってたから心配したけど、大丈夫。心は壊れていない」
軽く微笑むフレイア。だが冒険者は知っている。
それは彼女と弟の功績だと。
酒場から戻り、意識を取り戻したリリンの衝撃は正視に堪えるものでは無かった。
正しく心が打ち砕かれていたと言えるだろう。
「‥‥そんなリックが私を裏切って‥‥いいえ、最初から‥‥イヤッ! そんなのイヤ! リック! リック! 私を捨てないで!!」
「リリン!」
「フレイア!」
興奮して髪を振り乱し、舌さえ噛み切りかねなかったリリンをフレイアは強く、抱きしめた。
「落ち着くんだ! 大丈夫。あんたは‥‥大丈夫だ」
「‥‥あ‥‥」
フレイアの胸の中でリリンは動きを止める。
その耳元にまるで子守唄を囁くようにフレイアは優しく語りかけた。
「闇を知るからこそ光の大切さ、尊さが分かる。それがな、分かっていれば崖っぷちで立ち止まれるようになるんだよ。辛いと思う。苦しいと思う‥‥。でも、あんたは必要な人間だ。リックがいなくても、一人じゃない。差し出される手があること、忘れないでおくれ‥‥。何度も言うよ。あんたは一人じゃない‥‥」
「一人じゃ‥‥」
「おねえ‥‥ちゃん?」
フーは何も知らない。だが無垢な眼差しでリリンを見つめている。
その瞳に気づいたことを確かめて、フレイアは手を離した。
声を殺して泣く少女。だが、その心は確かに生きているとフレイアは確信したのだった。
「偶然だった、ということか。リック、いやフレドリックが魂を奪う為に接近したリリンとフーがミシアを介してヴィアンカを誘拐したのも‥‥」
「恋をしかけ、人の心を打ち砕く。魂集めと、ひょっとしたらお金稼ぎにフレドリックさんはあれから、そんなことを続けていたのかもしれませんね。もうすっかり闇の住人ということです」
噛み締めるように言う絶狼とリースフィア。
次に出会った時は容赦はできまい。元々、するつもりも無かったが。
「ミシア様も連れ戻せませんでした。彼女の過去が解っても意味がありませんでしたわ」
ミシアは貴族の私生児だったようである。後継者が生まれたからいらないと捨てられた‥‥。
認められなかった、必要とされなかった孤独が彼女の心を変えたのか。
「あのシフールもまだリトルレディを狙うつもりのようですし、何も変えることができませんでしたね」
「ここまで派手にやった後だ。暫くはまた闇に潜むだろうが‥‥諦めることはないであろうな」
「次こそは‥‥必ず!」
キットは手を握り締める。
何度こう誓ったことだろう。
闇の指揮者アリオーシュ。そして彼が操るマリオネット達。
彼らと冒険者は幾度と無く戦ってきた。
完全な敗北は無い。だが完全な勝利も未だ無い。
「一体、どうしたら手が届くのでしょうか?」
『ミシアが求めるものは人が誰しも求め望むもの。
どんなに歪んでも、心が闇に落ちても人はそれを望まずにはいられない。
お前達が神と呼ぶ者は不公平で、全ての者にそれを与えることはしない。
そして人は与えられた者を羨み、妬み、そして奪ってそれを手に入れようとする。
故に人の心は我が領域。人は全て我が支配下なのだ。抗うのは不可能だと知るがいい』
シルヴィアは無意識に手を伸ばす。
届かなかったその手は空。答えを掴むことはまだできなかった。
そして少女は立ち上がる。
ベッドから立ち上がり、自分の足で。
冒険者は言った。
『贖える罪はないのよ』
と。自らの罪は自分で背負っていくしかないのだと。
『贖罪をしても救われた気になるだけ。起こった事実は消せないから、一生背負っていくしかないのよ。
過去は荷物、でも無ければ未来へは進めない
だから過去から目をそらさないで。それこそ過去が、失われた命が無駄になってしまうから』
立ち上がる。大切な人の顔が胸を過ぎる。
彼は、自分に明るい光の中で笑っていて欲しいと言っていた。
けれど‥‥
『その上でどうするかは自分で答えを出すのよ。
安易な救いに縋る姿がどんなものかは昔居た場所でよく見てきた筈』
その言葉とミシアの姿が彼女に『答え』を与えた。
それが大切な人に悲しい思いをさせるとしても、自らの心が求めるものに嘘はつけない。
「自分ができることを数えて、自分の力を信じて‥‥」
ならば自分のできることしようと決意したのだ。
今の自分の力は小さいけれど救いを求めるより、与えたい。
何より彼らに守られるだけでなく共に立てる自分でありたい。
友がくれた指輪を嵌め、卵を抱き、立ち上がる。
「ごめんね。でも、一緒に来てくれる?」
卵に語りかけて彼女は歩き出した。
そして、冒険者に宣言する。
誇りを持った目で
「私、冒険者になる」
自分の生きる場所をその心に彼女は定めたのだった。