●リプレイ本文
「さあて、行くかな? 俺たちのもう一つの居場所に」
笑声と一緒に歩き出した冒険者達を、カファール・ナイトレイドは、見送った。少し、肩を竦めて‥‥。
「さ〜て、どうしよっか。バザーの宣伝でもしようかなあ」
足元には小さな春の花が風に揺れていた。
「お帰りなさい。北の聖母亭へ‥‥。ようこそおこし下さいました。あの時は‥‥本当に、ありがとうございました」
改まったように客のように頭を下げる宿の主、レティシアに冒険者達は顔を見合わせた。
それはう〜ん、という唸り声だったり、おやおやという苦笑だったりする。
「あ、あの‥‥?」
「レティシア、そういう改まったような物言いはいらないわ。私達の仲じゃない?」
ポンポン、軽く肩を叩いたヴァージニア・レヴィン(ea2765)に同意するようにリース・マナトゥース(ea1390)も頷く。
「そうそう、ねえ、レティシア? 私達は仲間‥‥いいえ、家族でしょ?」
「ほらほら、バザーをやるなら準備が必要だろう。今日はマイほうきも持ってきたからな、バリバリ働かせて貰うぞ」
馬の鞍に積んでいたほうきを取り出したジェームス・モンド(ea3731)の横ではリト・フェリーユ(ea3441)がくすくすと笑っていた。
「おいおい、そんなに可笑しいか? マイほうき?」
「可笑しくはないですけど、‥‥家事がお得意とは、僕も見習わなくてはならないかな? ‥‥レティシアさん。お久しぶりですね」
軽く笑った青年騎士は、招待の相手に丁寧な騎士の礼をとる。
「貴方は‥‥確かアルテスさん?」
「覚えていて下さいましたか?」
アルテス・リアレイ(ea5898)は嬉しそうに微笑む。
仮にも宿の主。客の名前と顔を覚えるのは必須科目である。そしてレティシアの記憶力は悪くなかった。
「そちらはグラディさんでしたよね。あとは、デュノンさん」
名前を呼ばれグラディ・アトール(ea0640)とデュノン・ヴォルフガリオ(ea5352)はそれぞれに軽くサインをきった。
「私は正真正銘、初めましてですね。イェーガー・ラタイン(ea6382)と申します。『灯』を点す手伝いが出来るでしょうか?」
ジェームスは一緒に仕事をした仲間だと紹介する。
「あと‥‥レティシア。彼も来ているのよ」
彼、と促された男はファーラ・コーウィン(ea5235)の後ろからゆっくりと現れて、赤い帽子をそっと脱いだ。
「貴方は‥‥」
「先だっては申し訳なかったな。許してくれ、とは言わないが‥‥協力させてくれないか?」
ジョセフ・ギールケ(ea2165)の言葉に空気が揺れるが‥‥影は形を取らず、静かに消える。
「私は‥‥かまいません。こちらこそ、お願いします」
ふわり、彼女に灯った笑顔という灯りをステラマリス・ディエクエス(ea4818)は嬉しそうに見つめた。
「では、日が暮れないうちに、仕事を進めましょう‥‥どなたか手伝って頂けませんか」
馬から大きな荷物を降ろしながらよろめくフィーナ・ウィンスレット(ea5556)の側にアルテスが駆け寄って荷を支えた。
「私はちょっとセイラムの街まで行ってくるわ。買出しがあるの。ステラさん、行きましょう」
「あ、俺も行くぜ。荷物持ちしてやるよ」
ファーラとステラマリスの後ろからデュノンは馬を引いた。
慌しく動き始める冒険者達を見つめながらアルテスは腕の中の箱を見て思う。
(「重い‥‥一体何を持ってきたんだろう?」)
と。
春の長くなった日差しがそれでも地平の彼方に沈む頃、冒険者達はホールの椅子にそれぞれに腰を下ろしていた。
宿に泊まったお客が一度に食事が出来るほどの広さと数のテーブルにはさっきまで暖かいシチューが並べられていた。
焼きたてのパンも。
久しぶりに大人数分の料理を作れる事をレティシアは嬉しく思った。
(「前は本当に危なっかしい手つきだったのに、上手になったものね」)
娘を見守るような気分でファーラはシチューの鍋をかき回しながら忙しく働くレティシアを見た。
宿の掃除、シーツや身の回りの小物の洗濯、掃除。
品物の整理まで手分けして行ったので明後日には、新装開店を記念したバザーができる。
「お疲れ様でした‥‥。ゆっくり休んで下さいね」
運ばれてきた香草茶は以前冒険者達に習ったものだ。丁寧に入れられたお茶を深く飲み込んだ後ステラマリスはなるべく、さりげなく聞いてみた。
「レティシアさん、相談したいことって何です?」
「‥‥それは‥‥」
棚の上に無造作に置いてある箱を一瞥すると俯いてしまう。
凍った空気を少しでも入れ替えようとイェーガーはレティシアに語りかけてみた。
「貴女はかつてクレリックだったと聞いています。ちょっと、聞いてみてもいいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
冒険者達は黙っている。彼の意図がなんとなく見えた気がしたからだ。
「ある方に残酷な真実を伝えたのですが、その事は正しいと思いますか? ‥‥俺は、後で真実を知って傷つくよりはましだと思いますが‥‥」
「残酷な‥‥真実‥‥」
言外に示された言葉の意味。それを察して止まったレティシアの震える肩をリースの細い手がそっと抱きよせる。
「目を背けちゃ駄目ですよ‥‥」
「ねえ、レティ‥‥辛い事実だけど色んな事がありすぎたわ。中途半端に知るよりきちんと知る方がレティの為になると思うの」
「どうするか悩んだんだが‥‥やっぱり黙っておくわけにも行かんと思ってな。‥‥聞けるか? 真実を」
長い静寂の後、小さく首を前に動かした少女に椅子を勧め、ジェームスはヴァージニアと目を合わせた。
ゆっくりと、言葉を選んで話すヴァージニアの説明を、所々、ジェームスやイェーガーが補足する。
「‥‥箱を隠したお父様をランドルドは‥‥殺めたということなの。でも、箱は見つからず、鍵も一つしか手に入らず‥‥箱を捜す為に彼は、セイラムの街でずっとこの宿を手に入れるチャンスを伺っていたのだということよ」
「行方不明のお父さんも、この宿のどこかに眠っている、ということだから‥‥」
「やっぱり‥‥あの箱なんですか? あの箱が‥‥全ての原因なんですか? 私から母さんや、兄さんだけじゃなく‥‥父さんまでも‥‥奪っていたんですか?」
細い肩が嗚咽で上下する。リースの手も思わず引かれてしまう。まさにその時だ。
「レティシア‥‥あっ!」
止める間もなくレティシアは椅子を蹴り、立ち上がる。
箱を掴み、頭上に高く掲げて。
「こんな‥‥こんなもののせいで、これが無ければ‥‥」
乾いた苦しみの声とは反対に、彼女の眼は涙で溢れている。
ランドルドは居ない。彼女の行き場の無い、やるせない思いの全てが一つの箱に今は集中していた。
壊したい、捨てたい、でも‥‥動けないレティシアに向かって最初に動いたのはイェーガーだった。
「僕は、今回の件については部外者に近い、殆ど事情を知りません。でも‥‥だからこそ言います。この箱には貴方のお父さんが命をかけて守ろうとした『想い』が残っている筈です。その箱を壊してしまったら、『残された貴方のお父さんの想い』まで『死んでしまう』事になりますよ」
「‥‥あっ‥‥」
その言葉は確かに彼女に忘れていたことを、思い出させた。自分を見つめる眼差しから後ずさるレティシアの背に柔らかい何かが当たる。
「レティシア、皆貴方のことを愛してるわ。貴方は‥‥一人ではないのよ」
「ファーラさん、フィーナさん‥‥」
「苦しい事は、分かち合いましょう。だって、私達は友達で、仲間で‥‥そして‥‥」
「家族なんだからな。自分の手で未来を切り開いていける、レティシアはそんな強い娘だと俺は信じているから‥‥」
ジェームスの言葉が、まるで殆ど顔も思い出せない父からのメッセージに聞こえて、レティシアは静かに箱を下に降ろした。
「ちゃんと、見ましょう。大丈夫。しっかり、手を握っているから‥‥ね」
「解りました‥‥。これをお願いできますか?」
左手をリトに預けたレティシアは片手で服の下の鎖を掴んだ。服の下から引き出した二本の銀鎖の一本をジェームスに渡し、もう一本を自分で持つ。
「ああ、開けるぞ?」
「はい‥‥」
微かに、目に見えないほどの震えが浮かんでいるのをしっかりと止めるようにリトは強く手を握った。
カチッ!
思いもかけず優しい音で同時に回された鍵は蓋を閉じる仕掛けを解除して‥‥ゆっくりと開いた箱。
彼らは食い入るように中を見た。
「‥‥これは‥‥?」
入っていたのは盗賊長の宝物に相応しい金銀財宝、魔法の武器、ブランの細工の数々‥‥などでは無い。
たった一つの古ぼけた銀の十字架と‥‥僅か、数本の羊皮紙だったのだ。
「これが‥‥盗賊長の‥‥宝?」
丸められた羊皮紙の一本をレティシアは手に取って広げると‥‥
「あっ‥‥」
声を上げて彼女は床に蹲った。落ちた羊皮紙をアルテスは拾って‥‥見る。それは、若い夫婦の結婚式の絵だ。
「これ‥‥お母さんです‥‥。きっと、こっちは‥‥お父さんなんだわ」
顔も覚えていない父の幸せそうな顔をなぞるレティシア。
「こっちは若い男性の絵‥‥。レティシアのお父さんですね。その隣にいるのは‥‥」
「赤ちゃんの絵。これ、レティシアじゃないかしら?」
他の羊皮紙も冒険者達の手で開かれた。その全てが絵で‥‥見る者を幸せに誘う笑顔と愛情に満ち溢れている。
レティシアの父親の隣に立つ青年。その肖像画にも見覚えがある。
(「確か、レティシアさんのお母さんの部屋で‥‥えっ?」)
手に取った羊皮の隅にフィーナは小さな走り書きを見つけた。
『△月■日 ケンブリッジとの別れ。それぞれの道へ‥‥』
『●月×日 親友達の結婚式 ‥‥幸せに』
『○月○日 未来に繋がる命、誕生 おめでとう。美人になるぞ』
‥‥‥‥‥‥。
「これが‥‥一体どうして盗賊の‥‥宝なのでしょうか?」
「いや、違うね。盗賊の宝じゃない」
絵の一枚一枚を見つめ呟くリトにアルテスは軽く首を振る。
「じゃあ‥‥何なんです?」
「これは‥‥『先代の盗賊長が自分にとって最高の』宝なんだよ。きっと、思い出という‥‥」
「‥‥こんな話はどうかしら?」
ポロン、ヴァージニアは竪琴を軽くかき鳴らした。
「‥‥昔、一人の少年がおりました。一人ぼっちの少年は学校で学び、そこで命と心を助けられ、生涯の親友を得たのです。友と生きる幸せな日々。ですが、ふとしたきっかけから彼は盗賊に身を落とします。そして過去の思い出を箱に封印したのでした。友に家族に累が及ばぬように‥‥と」
歌うような優しい語りに冒険者達は耳を傾ける。
「‥‥長い時を経て、彼は闇の地位ある者に昇ります。ですが、ある時知ったのです。部下が自分の地位を、宝を狙っていることに。地位はどうでも構わない。だが、家族の形見、古き思い出、それだけは絶対守りたく、大事な友に託しました。友もまた、親友の頼みを聞き入れて‥‥友の思いと家族を‥‥命をかけて守ったのでした‥‥」
静かなる沈黙を、やがてヴァージニアの竪琴が再び破った。
確証は無いし、確かめる術も無い。だが‥‥
「この絵を描いた人は、きっとレティシアさんのお父さんも、お母さんも‥‥レティシアさんも大好きだったんですよ。でないと‥‥こんなに優しい絵は、描けませんもの」
「いくつかの歯車が狂って、悲しい結果になってしまったけど、レティ‥‥きっと、貴女のお父様は後悔していないわ。お母様も‥‥」
「‥‥はい‥‥」
幸せそうな両親の絵を、生まれたての自分の絵を抱きしめるレティシアの目には涙がとめどなく流れ止まらない。
それをそっと拭いながらも手を繋ぎ続けるリト。くしゃくしゃと、優しく髪を撫でるデュノン。
緩やかなヴァージニアの竪琴の音色に寄り添うようにアルテスは横笛を重ね‥‥静かな祈りを紡いでいた。
‥‥せめて、皆が心安らかであるように‥‥と。
「さあて! 宣伝もしてきたし、明日のバザーに向けて、用意開始よ!」
「「「「はい!」」」」
楽しげで賑やかな厨房から、甘く柔らかい匂いが漂ってくると、バザーの準備を続ける冒険者達の胸と、おなかも期待に弾んでいた。
「いい匂いだな」
「本当に‥‥私も混ざってくれば良かったかしら‥‥」
笑い合うジェームスとリースの後ろでアルテスが周囲をキョロキョロと見回す。
「まだ荷物があるようなんですけど‥‥デュノンさんと、ジョセフさんは?」
「ジョセフさんは、部屋に篭って何かを作っているみたいです。デュノンさんは厨房に‥‥」
集めてきたハーブで香り袋を作っているリトの話にアルテスは首を傾げた。
「厨房? 一体何を‥‥?」
「何って‥‥料理に決まってるだろう? 男でも美味い菓子作れるんだ!」
ワッ! 驚き顔のアルテスにデュノンは笑いかける。
「という訳で試食タイムだ。皆、休憩しないか?」
とっておきの茶を入れるぞ、との誘いにわあっ! と歓声が上がる。
昨日、深刻な打ち明け話と相談の場となったホールを今、賑やかで和やかな空気が取り巻いている。
「これは、明日のバザーで売ろうと思うのよ? どう?」
そう言ってファーラが並べたお菓子はそろそろシーズンの終わりの林檎をベースに作った甘い焼き菓子だ。
林檎の輪切り揚げ、焼き菓子、タルトなど‥‥少し焦げた匂いがしたり、ダマの残ったものもあったりしたが‥‥味は十分美味しかった。
「うん、なかなかいける」
「美味しいですね。でもあと‥‥甘さをもう少し‥‥」
ステラマリスやフィーナ、レティシアは試食係からの忠告を心に書き留める。
「おっと、俺のも試食頼むぜ!」
そう言ってデュノンの差し出したのはいろいろなパン。
飾りを施したパンは流石に生業がパン職人だけあって目でも、味でも楽しめる出来だった。
「あら、美味しいじゃない! 皆のもなかなかよ!」
「そうか? そうだろう、そうだろう!」
ちょっと鼻高々のデュノンのパンを食べ終わったファーラは手の粉をパンパンと払う。
「じゃあ皆、後は数を作って売れるように準備しましょう? 今度は慎重にね」
笑いかけられたのはレティシアだろうか? ステラマリスだろうか。それとも‥‥フィーナであろうか?
顔を見合わせた彼女達を仲間達の笑顔が包み込む。
自分は幸せだと、レティシアは‥‥心から思っていた。
さらに翌日。
晴れ渡った明るい青空の下、北の聖母亭でバザーが開かれた。
セイラムから少し遠い距離にあるにも関わらず、始まるとほぼ同時、おかみさんと呼べるような数名の女達がやってきたのを皮切りに後は人が切れることなくやってきた。
明るいヴァージニアの竪琴やアルテスの笛の音がムードを盛り上げる中、お客達は様々な品物を手に取っていく。
冒険者達も楽しそうだ。
「よ〜し、何としてでも売ってやる。目指せ、大もうけ! だな」
華美なローブを纏い、エクセレントマスカレードを目元に付けたジョセフは真っ赤な帽子を頭に乗せた。
「さてさて、お得な、お得なバザー、楽しい、楽しいバザー、さあさあ買った買ったアル!」
口調といい外見といい、どこから見ても見事な怪しい商人(?)である。
お客に見えない表情で彼は歯軋りする。
(「くそ〜、磁石、作って売りたかった〜」)
知識はあっても材料の入手が出来なかった。
そもそも、どこに材料があるかも解らない。自分なりに作ってみようとしたが失敗したのだ。
だが‥‥
「おじちゃん、これ頂戴?」
「このローブ、頂けるかしら?」
店そのものは結構繁盛していたようだったのは喜ばしいことだろう。
大きな武者鎧のディスプレイはなかなか迫力がある。
子供が怯えかねないか、と思いきやフィーナの周辺には人が集まっている。
手品をするお姉さんと何時の間にやら評判らしい。
「では、ごく普通のこの石、ただの石ですが‥‥呪文をかけると‥‥えい!」
握り締められた手が開かれるとそこには‥‥
「すげええ!」
輝く黄金があった。
一度も視線から離れていなかった筈なのにどうして?。
子供達の瞳がキラキラと輝いていく。
照れたようにフィーナは笑う。答えは勿論秘密のままで。
リースの店番する店には小さな小物が多く並べられていた。その中のアイテムを見つめるカップルに彼女は気が付いた。
声を‥‥かけようとして慌てて口を閉じた。
「この駒鳥‥‥可愛い」
「なあ、見ろよ。これ‥‥二つくっ付くみたいだぜ」
雄の駒鳥が羽ばたいている。雌の駒鳥が囀っている。
二つのブローチがそれぞれ、一つずつ男性と女性の手に乗り‥‥そして一つに結びつく。
寄り添うブローチの駒鳥のように、二人は肩を寄せ合った。
「これ、下さい」
男性が差し出したブローチをリースは、思いを込めて渡した。
「ありがとうございます。‥‥お幸せに」
「いらっしゃ‥‥あら? そちらの様子はどう?」
「まあ、ぼちぼちです」
ヴァージニアは店の前にやってきたグラディにニッコリと笑いかける。
「で、お願いなんですけど‥‥あれ、譲って頂けますか?」
「ええ、ちゃんととってあるわ」
店の奥から重い品物と軽い品物を取り出すとはい、と手渡した。
「ありがとうございます‥‥欲しがってたんですよ。友達が‥‥」
「‥‥優しいですわね」
歌姫に褒められて‥‥少し照れたような顔で彼は下を向いた。
もし友達が来ていたら、きっとからかわれたろうな、などと思いながら。
今回の店の中でも特に大繁盛だったのはイェーガーの店だったようだ。
「このソリちょーだい?」
「香り袋下さいな」
お客はひっきりなしに訪れるのでレティシアが現在助っ人中だ。
「あ、ハーブワインが売ってるのね」
「はい、ほのかな香りがいい感じですよ‥‥なんだ、ヴァージニアさんですか?」
仲間の来店に顔を上げたイェーガーの物言いもどこか明るい。
「ちょっと欲しかったので‥‥そのハーブワイン下さいな」
「はい、ありがとうございます」
「あと、その刺繍入りハンカチーフも‥‥」
「えっ? ハンカチ買うんですか?」
レティシアはヴァージニアを見た。ちょっと、困ったような顔?
「ハンカチ買うの‥‥ダメ?」
「できれば‥‥その‥‥」
「解ったわ。じゃあ、後でまた」
手を振るヴァージニアが持ち場に戻った後、イェーガーは首を傾げた。
「どうしたんです?」
「内緒‥‥です」
何か理由があるのだろうと、それ以上は聞かなかった。
また、お客だ。
「いらっしゃいませ!」
「美味しいお菓子はいかがですかあ? 甘い林檎のお菓子をどうぞ〜」
籠に水仙の花と菫の花。
いい香りと甘い香り、混ざり合う二つの匂いにひきつけられる蜂のように人々は集まってくる。
ステラマリスは嬉しそうにお菓子を配っていく。
一角にはデュノンの暖かいお茶とミルクのサービスもある。
そろそろ昼過ぎ。小腹がすいたお客達にここも大人気となった。
「これ、今度北の聖母亭でも出るんですよ」
さりげなくPRするファーラにへえ、と若いおかみさん達は頬を緩ませた。
「作り方、今度教えて頂こうかしら? また来るわね」
「どうぞ、ご贔屓に〜」
(「‥‥私って宣伝係かしら‥‥?」)
小さな呟きは本当に微かだったから、仲間以外には聞こえていないだろうが‥‥、それもいいか、とファーラはニッコリと笑って肩を上げた。
何時の間にこんなに買ったのだろう?
ジェームスは宿の中で考えていた。
シェリーキャンリーゼ、レースの褌、ラブ・フンドーシVE、ドライシードル[ザ・シングル]、毛糸の靴下‥‥。
「まずいな‥‥母上に怒られそうだ‥‥酒に褌か‥‥」
つい、目に止まったものを買いすぎてしまった。
ローズキャンドルと、カップを売りに出したが、その収入の数倍は軽く使っているだろう。
「まあ、母上には毛糸の靴下でも贈って機嫌を取るか」
思案のしどころではあるが‥‥‥今は忙しい。とりあえず、その話は棚の上に上げた。
「休憩の時間ですよ。レティシアさん!」
「えっと、私は‥‥」
「ダメダメ! ほらほら、働いてるだけじゃバザーの楽しさの半分しか味わえないんだから、一緒にお買い物しましょう? ね?」
リトに半ば無理やり引っ張り出されたレティシアを冒険者達も軽く押しやる。
「‥‥はい」
照れたようなレティシアとしっかり手を組んでリトは軽くスキップをしてそれぞれの店を覗く。
「あの白いブーツ‥‥ステキ。買っちゃおうかなあ」
「少し安くしてあげるわよ。仲間割引でね」
ヴァージニアの笑顔にリトは即決即断でお金を払うと、レティシアの手を繋ぐ。
「レティシアさんは‥‥何か欲しいもの無いんですか?」
「私は‥‥あっ!」
声を上げた彼女の視線の先にあるものをリトは見た。白い真珠で繋がれたティアラがキラキラ輝いている。
「人前に出せるものは、これだけでした。僕は男ですし‥‥お安くしておきますよ」
レティシアがアルテスの提案に考える頃、デュノンは、ポン! とリトの前に何かを放る。
「デュノンさん? これは?」
「お揃いにしたらどうだ? 似合いそうだぞ」
ニッ! 親指を立てる彼にリトはそれを胸に抱いて頷いた。
「レティシアさん、これ、一緒に買いましょう? 今回の記念に、思い出にお揃いで‥‥」
「ハイ!」
二人は買いたてのティアラをちょっと頭に乗せてみる。
「似合いますわよ。ほら‥‥」
銅鏡の中では二人の小さなプリンセスが、嬉しそうに、楽しそうに、微笑んでいた。
そろそろ閉店の準備中、ジョセフはひ、ふ‥‥と自分の売れ残りアイテムを捜しながら頭を捻る。
「どうしたんだ?」
ジェームスの問いに彼はそこ、と指差してみる。
「そこにマタタビがあった筈なんだが‥‥」
いつの間にか無くなった??
「まあ‥‥いいが‥‥‥ん?」
またも怪訝そうな顔のジョセフは仲間達に聞いてみた。
「どうしたのか? と」
彼の目線の先にはいつの間にか現れたような‥‥。
「これは一体?」
強烈な匂いのする魚の干物。
「‥‥皆のじゃないんだな?」
確認するが、返事は無い。
「なんなんだよ? 一体?」
「猫さんも買いに来たのかもしれませんね?」
ほんわり告げるレティシアの言葉は勿論冗談だったろう。
だが‥‥案外真実かも。
そんな笑い声が聖母亭に響いていった。
「レティシア‥‥いいか?」
「はい。お願いします」
玄関に灯った灯火と、いくつかのカンテラの灯りの中、男達は庭の一角に集った。
丁寧に花壇の側の十字架を避けると、なるべく花を傷つけないように掘って行く。
あの十字架の下に何かがある。冒険者達の等しい意見だった。
「貴女が否、というのなら、無理にとは言わないわ。でも‥‥このままにはしておけないことは判るでしょう?」
ファーラの言葉に彼女は否と言わなかった。
掘り返される土が小さな山を、いくつか作り始めた頃。
さくっ!
ジョセフとイェーガーのスコップが何かに当たった。朽ちかけた皮の隅から覗くものが‥‥予想通りであることを感じ、ゆっくりと周囲から掘り起こし、丁寧に穴から助け出す。
「大丈夫? レティシアさん」
「はい」
皮のマントらしい布をそっと外す。
白すぎる、細すぎる顔が見えた。骨から、判断することなど彼らにはできない。
でも‥‥彼女には解った。十数年ぶりのそれは再会。
膝をつき、手を取る。そして‥‥小さくキスをした。
「お帰りなさい。お父さん‥‥」
翌日、ちょっと出かけてくるという冒険者をレティシアは見送った。
何でもフィーナのサムライアーマーの買い手に届けるとかなんとかで。
「‥‥お別れが‥‥もう近いんですよね」
リトに習って香り袋を作っていたレティシアは、寂しそうに俯く。
否定する事はできないし、永遠にここにいるわけには勿論いかない。
「でもね‥‥」
言いかけてリースは言葉を止めた。
「何ですか?」
心配そうにレティシアは聞いた。
「私はこの北の聖母亭に来られて本当に良かった。私なりに自分のやりたい事と自分のできる事をそれぞれ再確認できたし、それにレティシアともお友達になれたから‥‥」
「リースさん‥‥」
「ねえ、レティシアさん、知ってる? この花の‥‥花言葉」
リトは手元に乾かした乾燥花を掬って落とす。
「いいえ、教えて頂けますか?」
「‥‥『思い出』誰かにとって最高の宝だったように、この思い出は決して消えない。そう思わない?」
明るく見つめるリトの言葉にレティシアは
「‥‥はい」
そう呟くのが精一杯だった。
「ランドルド‥‥」
暗い牢の中で、俯き続けていたランドルドは冒険者の来訪に顔を上げた。
「お前ら‥‥」
「ランドルドさん、あの宝箱の中に入っていたのは絵でしたよ。ただの‥‥家族や友達を描いた‥‥絵」
「そんな馬鹿な‥‥?」
人の思い出、暖かい光。それを信じる生き方をしてこなかったランドルドにアルテスは静かに告げる。
「人とは時に愚かですよね‥‥非情で冷たくもあります。でも‥‥貴方は知っています。人の『温かさ』を」
「伝言だよ。ランドルド。‥‥アイツからの伝言だ。『それではお休み。よい夢を』」
これ以上、言う事は無い。グラディは仲間達を伴って牢を出た。
二度と会う事は無いだろう。
だから、せめて‥‥。
彼らとの出会いがランドルドにとって、救いだったのか、そうでないのかは解らない。
でも、無駄では無かったと彼らは信じることにした。
別の牢でも小さな邂逅があった。
「伝えましたよ。確かに‥‥。伝言です。『貴方のことは私が覚えていてあげる‥‥』と」
「‥‥もう少し、早く出会えていたら、良かったな。ありがとう‥‥」
『レティシアさんへ
今回の事件は色々とレティシアさんを悲しませたと思います。
ですが貴女なら必ず乗り越え、北の聖母亭の灯火を守っていけると信じています。
多額の借金も一人で返そうと頑張れた気丈な貴女なら、今回も乗り越えられると私はそう信じています。
いつかまた、今回と同じぐらい辛いことがあるかもしれません。
何かあったら一人で背負いこまないで、私達を頼って下さい。
遠く離れていようとも、私達は一緒です。
どうかお元気で。またいつかお会いしましょう。
レティシアさんに風と神のご加護のあらんことを。
フィーナより 』
もう何度も読み返した手紙をもう一度読み返して、レティシアは顔を上げた。
別れ際、冒険者達と約束した。
『ご家族の方が残して下さった灯火を大切に。そして‥‥今度は貴方が伝える番ですよ。灯火を‥‥思いを‥‥』
『なんといっても、これからはお前が、この宿屋の灯火を守る聖母になるんだからな』
『この灯火がいつまでも人々を照らし続ける事を、心から願ってる』
『‥‥どうかこの先、北の聖母亭に、あなたの進む道に、幸多からんことを。進んだ道々に、祝福を』
いつまでも落ち込んでいてはいけないのだ。
また、いつかきっと出会える。
だから、その時顔を上げて、彼らにまた出会えるように‥‥。
トントン
ノックの音。旅人がやってくる。
灯りを灯さなければ。
自分の心に灯りを灯してくれた冒険者達のように。自分も誰かの為に灯りを灯し続けたい。
「見ていて下さい。皆さん、見ていてね‥‥。母さん、兄さん‥‥父さん」
壁に貼った家族の肖像が優しく笑ったように思えて、レティシアの頬にも笑顔が浮かんだ。
扉を開いた宿は雲間から指す光に包まれた‥‥。
「聖母亭再開したら手伝いにでも来るかな? 人手は必要だろうし、流石に一人てのは辛ぇだろうし。それに男手ありゃ何かといいだろうさ♪」
デュノンはレティシア手作りの香り袋を弄びながら呟いた。
「喜ぶわよ。きっと」
(「レティシアったら‥‥」)
水仙の丁寧な刺繍を施されたハンカチーフを一度だけ手でなぞって、ヴァージニアはバックパックに入れた。
これはレティシアからの‥‥大切な贈り物だ。
『聞こえる? レティシアは‥‥もう大丈夫よ。だから‥‥』
人ならぬ者への最後のテレパシーが届いたかは解らない。
だが‥‥
「見て下さい。あれ‥‥」
ステラマリスが指差す先、三人と、一人の思いが眠る墓地から黒い影が、天上からの灯りに導かれ昇っていく。
影が光となり、宿全体を抱きしめる‥‥。
美しすぎて夢のような、いや夢かもしれない一瞬。
ジョセフは軽くサインを切った。
「‥‥成仏しろよ。あ、帰りの保存食まで売っちまった」
「臭い保存食、食べたら?」
明るい笑い声が響く。
聖母亭での思い出は、冒険者達の中で灯火となって輝いていた。
人が灯した心の灯りは、それを灯そうとする人と、守ろうとする人がいる限り決して消えることは無いだろう。
「お帰りなさい。北の聖母亭へようこそ」
今日も明るい笑顔が、小さな灯火となって旅人を照らしている。
シリーズ 終