【銀の一族】始まり 動き始めた闇

■シリーズシナリオ


担当:夢村円

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:10人

サポート参加人数:-人

冒険期間:08月23日〜09月02日

リプレイ公開日:2005年09月01日

●オープニング

「お父様、本当によろしいのですか?」
 息子はそう言って父親の目を驚きを持って見た。
「ああ、ケンブリッジに行って勉強して来い。大分遅くしてしまってすまなかったな」
 確かに、楽しみにしていたことでもある。学校での勉強は。だが‥‥
「いろいろ大変なんじゃあ‥‥」
 心配げな息子に父親は笑いかける。
「そんなこと、お前は心配しなくてもいい。夏の収穫も始まってきたし大丈夫だ」
「でも‥‥」
「今までお前には苦労をかけ続けて来た。少しは子供らしく甘えることだ。そして、様々な事を学びこれからの領地に活かしてくれ」
「ありがとうございます」
 くしゃくしゃ、頭を大きな手で撫でられる。それが息子は大好きで、嬉しかった。
「早く準備をしろ。荷物の用意は大変だぞ」
「はい!」
 満面の笑顔で息子が部屋を出て行くのを、その後姿を、父親は笑顔で、精一杯の笑顔で見つめていた。

 シャフツベリー領主、ディナス伯からの明るい依頼が来たのは聖杯戦争の影もようやく薄れてきた夏の終わりの事だった。
「えっと、息子がケンブリッジに留学することになったから、その子を送って行って欲しい。それからご婦人が長期療養に出るので娘のいる村に連れて行って欲しい。要は護衛依頼だな」
 殺伐とした依頼が多かっただけに依頼書を読み上げる係員の顔も明るい。
 二人をシャフツベリーに迎えに行き、ケンブリッジと村へ送っていく。馬車は使えないが村とケンブリッジはそう遠くないから夏の道をゆっくり歩くのもいいだろう。
 報酬はそれほど多くないが‥‥いろいろあった所でもあるし、難しいわけでもない依頼だから無理もない。
「暇なら行ってみたらどうだ? のんびりできるかもしれないぜ」
 楽しそうな係員の言葉、だが、依頼を手に取った冒険者の何人かは言葉に表せない、不思議な感覚を感じていた。
 言葉に出すなら、あえて出すなら‥‥不安。だろうか?


「ふふん、予定通りかな」
 闇の向こうで声がする。
「思いのほか戦争は早く終ったけど、燃え草なんていくらでも沸いて出るもんさ」
 ニャアー
 同意するような猫の声に闇の向こうの声が微笑んだ気がした。
「さあていよいよ、あの子と瓜二つと言う銀の乙女との出会いか‥‥さぞ、美しいだろうね。彼女を手に入れるのが楽しみだ‥‥」
 その暗い笑い声は他の誰にもまだ聞こえることは無かった。

●今回の参加者

 ea0043 レオンロート・バルツァー(34歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea0439 アリオス・エルスリード(35歳・♂・レンジャー・人間・ノルマン王国)
 ea0447 クウェル・グッドウェザー(30歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea0668 アリシア・ハウゼン(21歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 ea0780 アーウィン・ラグレス(30歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 ea1504 ゼディス・クイント・ハウル(32歳・♂・ウィザード・人間・ビザンチン帝国)
 ea2182 レイン・シルフィス(22歳・♂・バード・エルフ・イギリス王国)
 ea2207 レイヴァント・シロウ(23歳・♂・ナイト・エルフ・イギリス王国)
 ea3245 ギリアム・バルセイド(32歳・♂・ファイター・ジャイアント・イスパニア王国)
 ea7694 ティズ・ティン(21歳・♀・ナイト・人間・ロシア王国)

●リプレイ本文

 8月も終わりに近いが太陽はまだ高く、熱く眩しい。
「あっつ〜〜。今年の夏は長いなあ〜」
 ティズ・ティン(ea7694)は軽く額の汗を拭きながら空を見上げた。街道を照らす太陽はジャイアントにも小さな少女にも平等に容赦なく、降り注ぐ。
「今年の夏はいろいろあったから、妙に長く感じますね。でも、秋ももうすぐですよ」
 空気の色を確かめるようにクウェル・グッドウェザー(ea0447)は目を閉じる。いろいろあった。その言葉を否定する者はいない。
「確かにな。おかげでこんなあっさりした依頼も随分、ご無沙汰の気がするぜ‥‥久しぶりにのんびりできそうだけど」
 ぐっと大きく伸びをしてアーウィン・ラグレス(ea0780)は身体をほぐす。油断する気は勿論無いが。この穏やかな日々が何故か、嘘のように感じてしまうのは戦乱の直後だから、だろうか‥‥。
「あら? どうしたんですの? 浮かないお顔ですこと」
「あ、アリシアさん」
 ふと、アリシア・ハウゼン(ea0668)は後ろを歩く友の様子に気付いて声をかけた。
 考え事か、それとも‥‥俯いていたレイン・シルフィス(ea2182)は慌てて顔を上げて、でも悩んだ顔を消しはしなかった。
「どうしたんだ? ベルとの久しぶりの再会だろう? もっと喜んでるかと思ったのに‥‥」
 ギリアム・バルセイド(ea3245)も顎を撫でた。もう随分と長い付き合いのこの二人には‥‥隠せない。根拠は無いのではっきりとは言えなかった事をレインはぽつり、口にする。
「何か、嫌な予感を感じるんです‥‥」
「嫌な予感?」
「ええ‥‥」
 彼の目線の先にゼディス・クイント・ハウル(ea1504)がいる。かつて、彼と共に受けたあの依頼。
「先の戦争でシャフツベリー軍を名乗ったあの男達の正体も解っていませんし‥‥それに‥‥」
 レインの言葉はそこで途切れた。二人もムリには聞き出さず、旅の空を行く。
(「本当に、何だろう。この思いは‥‥」)
 黒く胸に広がる言いようの無い不安。その正体を考える事を、今レインは放棄した。
 確かに楽しみにしていた。久々に会えるのだ。彼女と。再会に暗い表情は似合わないだろう。彼女に余計な心配をさせたくは無い。
「今回は貴族の護衛か。まあ乱が終わったとはいえ、敗残兵や治安の乱れを突いた盗賊などが出る虞もある。油断はしないほうがいいな‥‥ん?」
 言葉どおり鋭い眼光で周囲を見ていたアリオス・エルスリード(ea0439)はふと、後ろを見た。最後列のさらに背後を行く仮面の戦士。
「彼は、一体何を?」
「‥‥いろいろあったようです。暫くそっとして置いたほうがいいでしょう」
 馬をゆっくりと歩かせながらレイヴァント・シロウ(ea2207)はワザとそちらを見なかった。
 遠ざかり、もう遥か彼方に消えたキャメロット。そしてさらに遠い後悔のかの地。
 空を見上げ地を見つめ、レオンロート・バルツァー(ea0043)は小さな声で呟く。
「‥‥己を偽り、強さを示そうたした結果が‥‥。俺に我が道を語る資格も、この仮面を着ける資格も有る筈も無い!」
 彼は顔の上半分を覆っていた仮面を、ピン! 指で外す。
 光が瞼に直接突き刺さり、それが自分を責めるように感じて彼は目を閉じた。閉じずにはいられなかった。
「我は今一度、誓う二度と我が道に背かん事を。自信と言う名のオーラをまとい光り輝くその時まで‥‥さらば仮面よ」
 誰も、聞かなかった。聞いたとしても解らなかったろう。その決意。
 だが、それは彼にとっては必要なことだった。自分自身の思いを断ち切るために。
 仮面を外した戦士に、冒険者達の中には驚きの表情を見せた者も実はいる。
 だが、仲間達は誰も、何も聞かず、仲間の全てを受け入れ、共に歩いていった。

(「前に来た時よりも活気が出てきたな」)
 ギリアムはそう思った。
 久しぶりのシャフツベリーは少しずつ、冒険者の知らない昔の豊かな大地の力を取り戻し始めているようだった。
 農業と彫金細工を主工業とするこの街。
 それは人々の力と技が支えている街、なのである。
 領主の館に招かれた冒険者達。程なく応接間の扉が開いた。
「皆さん、またお会いできましたね」
 懐かしい顔達との出会い。レインは笑顔で礼をとる。
「また、世話になるな」
 ディナス伯の頼みにハーイ! と元気よく手を挙げティズは答えた。
 伯爵の後ろには彼の愛する家族達。
「貴族のご家族の護衛とお世話は、私の生業にピッタリです〜。ティズ、がんばりま〜す♪」
「奥方さま、ご機嫌は如何ですか?」
 明るく優しい少女達に心か弱き婦人は、薄く微笑んだ。息子と娘とよく似た銀の髪が揺れる。
「ありがとう。最近はとてもいいのです。これから娘のところで過ごせばもっと良くなると言われましたのよ」
「それは、良かったですわね」
 そう言ってアリシアは頷いた。おそらく彼女に伯爵は知らせていないのだろう。‥‥戦争の訪れ、財政の危機も知らず、彼女は夢の中にいる。
 少しずつ現実を見つめ始めたとしても、今はまだ‥‥。
「彼女の心が少しでも安らぐように、無事にお連れしないといけませんわね」
 同行の仲間達を紹介し、身支度の手伝いと、荷造りの確認。早速女性二人は動き出していた。
 冒険者達にとっても依頼対象の二人と初対面となる者が殆ど。きっかけを逃がさず彼らはそれぞれに挨拶を交わし始める。
「はじめまして、少年。ご婦人。私はエルフで騎士で交渉人のレイヴァントです。結構、鍛えてます」
「あら? お若くていらっしゃるのに大変ですわね」
 穏やかな婦人とはまた違う笑顔で、元気で美しい少年もまた微笑みかけた。
「ギリアムさん。アリシアさん。お久しぶりです。皆様、始めまして。僕はヴェレファングと申します。ヴェルと呼んでください」
「よう! ヴェル、あれからどうだ? 元気にしていたか?」
 少年を見てアリオスの目が少し微笑むように細くなった。
「ほお、随分旅をしてきたが、同じ色の髪と目の人間と会ったのは初めてだな。この取り合わせは意外と珍しいらしいが‥‥ここでは良くあるのか?」
「はい。ディナス伯爵家は青い目の人間が多いらしいです。街の宝と呼ぶ人もいます」
 頷く少年に隣からクウェルも手を差し出す。
「ケンブリッジに行かれるそうですね? 君はフォレスト・オブ・ローズへ? 僕も同じ学園に属する者です。旅の中、いろいろお話いたしましょう」
 楽しげな笑い声に、弾む会話にそっと背を向け、ゼディスは同じように話の輪からあえて外れて、様子を見ていた伯爵の側に寄り彼を見つめた。
「‥‥伯爵。あれから、どうだ? 何かあったのでは無いか?」
「何故?」
 潜められた声にゼディスは目を開く。だが、返った答えは静かなものだった。
「まだ、何も無い。何も無いからこそ、これから何かが起きそうな‥‥そんな予感がする」
「予感?」
 また、予感か? ゼディスの口元が微かに歪んだ。
 無論、根拠の無いものではない。小さく頷き裏付けるいくつかのことを、静かな声で伯爵は語った。
 シャフツベリーを名乗って悪事を働いた軍の行方は未だ知れず、その正体も真相も明らかにはなっていない。
 ゴロツキなどが急にいなくなって、シャフツベリーそのものは驚くほど静かだが‥‥それが、嵐の前の静けさに思える。
「また、小さなことだがこの街の金物商が、何故か街に援助を申し出てきた。それも、何の見返りも無くだ」
 お陰で街は息を付くことが出来たのだが‥‥それを素直に受け取れるほど領主は甘くなれない。
「なら、何故この時期に‥‥。‥‥いや、なるほどな」
「伯爵、ちょっと失礼。出発してからのコースについてなんだけどさ」
 手招くアーウィンに伯爵は答え、ゼディスは後ろに下がった。羊皮紙などを広げ話し合う伯爵を横目で見ながら彼は外を見る。
 窓から覗く街は輝いていて、楽しげで、平和そのものに見える。
 だが、旅路でレインが言っていた、そして伯爵が言ったあの言葉。
『予感』
 それを今、ゼディスもなんとなく感じていた。
 
 シャフツベリーの夜。
 街の小さな酒場に明るい歌声が響いた。賑やかで朗らかな笑い声と共に。
「では、次はリクエストに答えて恋歌を‥‥」
 いい声で美形の吟遊詩人が来ていると、口コミで広がった客はいつの間にか酒場の外、窓の向こうにも集まっている。
 戦後の復旧で働きづめの人々。ここ暫く祭りも無くて、日々をひたすら真面目に働いていた。
 だが、今日は一休みしてもいいのではないか?
 場に居合わせた者達はそう思って杯を開け、歌を歌い、踊りを踊った。
 元々情報収集の為にやってきたレインだったが、もう、そんなことはいいような気持ちになっている。
 自分の音楽にこれほど喜んで貰えるのであれば‥‥。
 思いを込めて、竪琴を爪弾く。
「皆さんに祝福と‥‥希望を」
 楽しい宴、小さな祭りは夜遅くまで続いていた。

 翌朝、ほんの少し寝不足で兎目のレインを含め、冒険者達はシャフツベリーを後にした。
 ここからが、仕事の本番。
 二人増えた旅の道連れに気を配りながら彼らは道を進んだ。
「大丈夫ですか? お疲れではありませんか?」
 駿馬の手綱を引きながらクウェルは馬上の婦人を気遣うように声をかけた。
「ありがとうございます。大丈夫ですわ」
「流石、貴族のご夫人、乗馬術は心得ておいでか」
「僕も少しは‥‥貴族の息子としてはまだまだですけど」
 母と子。二人はそれぞれの馬首を並べ、静かに馬と共に歩んでいく。
「ケンブリッジと娘さんがいるという村まで、途中までは一緒に行けそうだな」
 路程を確認しながらアーウィンは行動予定を考え仲間と今後の計画を立てる。
 街道の途中から村とケンブリッジへの道のりは西と、北に分かれる。
 できるところまでは一緒に行き、道が分かれてからは婦人を送る側と、息子ヴェルを送る側に分かれようと彼らは決めていた。
「お子さんが二人とも手元を離れて行ってしまいきっとお寂しい筈。せめて最後まで親子水入らずにしてさしあげたいですわ」
 アリシアの提案に冒険者達は頷き、応じた。
 一泊は宿屋に泊まれるが、次の一泊。二人にとっての最後の夜は野宿になるだろう。
 だから、この旅路が少しでも楽しいものになるように。冒険者達は全力を尽くすつもりだった。

 最初の宿屋での一夜は何の問題も無く過ぎた。
 その宿屋の女主人の笑顔と、若い夫婦の気持ちの良いもてなしは冒険者達を一時くつろがせてくれた。
 勿論
「なるべくなら窓には近づかないほうがいい」
 ゼディスを始め冒険者達は警戒を怠りはしなかったが。
「ギリアムさん」
 婦人の部屋の前で警戒する戦士にレインはそっと清水のカップを差し出した。
「お、すまんな!」
 受け取って喉を潤したギリアムはレインとそっと目を合わせる。
 彼ら二人はこの宿で働く夫婦に実は見覚えがあった。ヴェルとも因縁は浅くない。
 だが‥‥
「放って置いてやろう。俺達は何も見なかった」
「ええ、そうしましょう‥‥」
 二人はそう決意していた。
 ヴェルもおそらくは気づいていただろう。彼は微笑んでいた。かつての婚約者の幸せそうな姿に。

 翌日も快晴。早朝出発した冒険者達は、穏やかな空気の中を緩やかに歩いていく。
「あの花は、なんという花ですか?」
「あれは、ヒース。こちらの白い花はデイジーですね」
 婦人の質問にクウェルは手持ちの本を広げてみせる。豪華な庭師の花を知っていても野の花に馴染みが少ないのだろうか。となんとなく思う。
「薔薇の美しさを知る者は、足元の小さき花の優しさをも知る‥‥。どのような花もそれぞれの美しさを持っているものですな」
「‥‥何故でしょうね。なんだか花の匂いよりもクサい何かを感じるのですが‥‥」 
 ぱたぱたと、手を閃かせるだれかのツッコミも気にせずレイヴァントは、優雅、かつ笑顔で答える。
 ムードメーカーをかって出たのは彼自身である。時折冗談を、時折クサい台詞を吐く事で場のムードを盛り上げていくつもりだった。
 婦人やヴェル。そして女性冒険者達の明るい顔を見れば、それは成功しているのだろうとレイヴァントは思う。
 男衆の表情と視線は少し冷たいが‥‥。
 笑い声と穏やかな道のり。楽しい冒険者達との一時。
 だが、それはもう直ぐ終わろうとしていた。別れと‥‥もう一つの理由の為に。

「奥方さま、お夕食の味はいかがですか?」
「とても美味しいですわ。ありがとう」
 足元の猫の頭を撫でながら、婦人はティズにそう礼を言った。
 メイドの本懐と、片づけをしながら思い出したティズの頬に嬉しさが浮かぶ。
 なお、イギリスにおけるメイドは「他家で花嫁修行や家事手伝いをする貴族令嬢や貴族女性」の事を指し、一介の給仕や侍女より身分は高い。
 ディズはロシア出身の為、「メイド=お手伝いさん」と捉えてメイドを名乗っているが、婦人も特に気にしていないようだ。
 今頃、同じテントの中で母と子は最後の夜を過ごしているのだろうか。
 明日の昼にはコースが完全に分かれることになる。
「ご婦人に野宿は申し訳ねえんだけどな〜」
 周囲の音に耳を立てながらアーウィンはテントを見た。
 四人用の簡易テントを二人で使っているのだ。ティズやアリシアが気を使って準備していたので中もそれほど寝にくくは無いはず。
 だが‥‥
「!」
 後ろ向きな思考を彼はそこで止める。今、草が鳴った。何かがいる?
「みんな! 気をつけろ!」
 アーウィンに言われるまでも無く、冒険者達の警戒は草の音に向けられた。
 剣に手をかけ、呪文を頭で確認し、彼らは息を飲み込む。
「た、助けて‥‥」
 草を掻き分け、現れた人物は冒険者達の前でバッタリと倒れこんだ。
 擦り傷、切り傷にまみれた『彼』は荒い呼吸を冒険者達の耳に聞かせた。
「おい! しっかりしろ? 大丈夫か?」
「今、薬を!」
 仲間がバックパックを探る間、アリオスは構えた弓を置き『彼』に駆け寄った。アリシアが差し出したポーションをアリオスはまだ若者と言える顔立ちの男に飲ませる。
 黒い髪、細く開けられた瞳は茶色をしていた。
「どうしたんだ? 一体?」
「‥‥盗賊に、追われて‥‥奴らは‥‥」
「大丈夫でしょう。いたのかもしれませんが、今は気配は無い‥‥?」
 がさっ!
 レオンロートは言いかけた言葉を飲み込んでもう一度草むらを見た。そこから出てきたのは‥‥
「猫? なんでこんなところに?」
「ミスティ! お前も無事だったか?」
 闇色の猫はそっと、主に近づいて頬を舐めた。その光景に冒険者達は少しホッとする。
「どうかしたんですか?」
 テントから顔を出した少年は周囲のただならない空気に喉に唾を飲む。だが、不安や心配を大きな手と笑顔が包み込んだ。
「大丈夫、俺達は伊達に冒険者はしていない。お前は母さんの側についててやれ」
「‥‥解りました。お願いします」
 そう言って頭を引っ込めた少年に微笑みながらもそう言いながらも、冒険者達は思いもよらぬ珍客の到来にその夜、安心の眠りを得ることはできなかった。

 
 翌日、暗い表情で馬を駆る少年ヴェルに
「どうしたのかな?」
 レイヴァントは自分の馬首を横につけて顔を覗き込んだ。
「お母様と離れて、寂しいのであるかな?」
「いいえ!」
 彼は大きな声で精一杯の否定をするが、その表情は完全に否定はしていない。できないようだった。
「はっはっは〜。隠しても無駄だよ。騎手の感情は馬に伝わるからね。それじゃ人馬一体の世界を覘くことは出来ないぞ少年」
 顔を赤らめ下を向くヴェルに冒険者達は苦笑する。
「くだらんな」
 と表情を変えないものもいたが。
「ねえねえ、坊ちゃん。なんで、ケンブリッジで学びたくなったの? 貴族として? 夢があるの?」
 明るい笑顔でティズは問いかけた。真剣な眼差しでヴェルは答える。
「僕は、約束したんです。お父様と、冒険者に、立派な人間になると‥‥」
「‥‥決意は結構だが、気負う必要はないぞ。無理する必要も無い。そんなことをしていたら、心も身体も持たん」
 アリオスは静かな声で、そう言った。ほんの少し緩んだ表情に優しい笑みを送って。
「学校では戦闘訓練を受けるのだが、そこでは自分にあった戦い方を身に着ければいい。力にこだわることはなく、それで劣るなら技や速さで補えばいい。より良くなろうとする姿勢は大事だがそれよりまず先に、自分に合った何かを探し出すことが重要なのだ」
「自分に合った‥‥何か‥‥」
「そうだ」
 頷いてアリオスは続ける。
「何かにこだわってムリをするとろくな目に合わない。例えば‥‥俺などは筋力が弱い。妹にさえ負けるほどに。だから、弓の道を選んだ。道は一つじゃない。歩もうと思えば道はいくつもあるものだ」
「どんなに長い道でも歩き続けていれば何処かに辿り着く。だが、歩き出さない限り先に進むことはできない。大事なのは一歩を踏み出す勇気。そして歩き続ける、続けようとする意思だ」
 そう言ってギリアムも笑ってヴェルを見た。ヴェルにとって彼は三人目の父のようにさえ、思える。
「お前は、母親を恋しがるだけの子供じゃないだろう? 勇気をちゃんと持っている筈だ」
「‥‥はい」
 一言一言を、胸にしまうようにヴェルは聞いて、そして頷いた。
「あのね〜、私の夢は、素敵なお姫様になって、かっこいい騎士様と恋に落ちるの」
「では、お嬢さん、私などいかが?」
「どこかに現れないかなあ? 私の騎士様」
「‥‥あのお?」
 明々後日の方向を向いて夢を見るティズに完全に無視された形になってレイヴァントは交渉人らしからぬ、でもちょっとした笑顔を浮かべる。
 くすくすくす、笑みが、ハハハハハ。笑い声に変わる。
 夏の太陽のように、艶やかに華やかに彼らの間の空気は輝いていた。

「いや〜、すみません。ご同行させて頂けるなんて申し訳ない」
「行く先が同じだと言うのであれば、仕方ありませんわ。私達も先を急ぐ身ですし」
 少し冷たいアリシアの言葉にも動じず、彼はベネットと名乗った青年は照れたように頭を掻いた。
 端正な顔立ちに、逞しい体躯。男としての十分な肉体を備えているが、彼はどこか飄々として見える。掴み所の無いそんな印象を冒険者達は感じていた。
「商人の一人旅なんて危険すぎるぜ。無謀にも程があるんじゃねえか?」
 依頼主を守る旅にいきなり現れたお邪魔虫に、アーウィンもなかなか好意的にはなれない。レオンロートなどは口もきいてはいなかった。
「この先の村に女神もかくやという美しいお嬢さんがいると伺って、どうしてもお会いしたくなってキャラバンをこっそり離れたのです。いや、本当に無謀でしたね」
 ぴくっ。
 歩いていた足の一つが止まった。
「どうしたんです? レインさん?」
 ベネットは無邪気そうな顔で止まった顔を覗き込んだ。
「‥‥いえ、なんでもありませんよ。奥方様、あと少しですから頑張って下さいね。ベルがきっと待っていますよ」
 顔を背けて視線を外すとレインはベネットから離れ、前に行ってしまった。
「どうしたんですか? 一体?」
 彼は訳が解らぬと言う顔で首を捻る。アリシアははあ、と息を吐き出した。彼女には理由が解りすぎるほど解っているのだ。
「まったく、本当にとんだお邪魔虫を拾ってしまいましたわね‥‥あら?」
 隊列の最後、周囲をキョロキョロと見回すクウェルがいる。アリシアは周囲の様子を見回し、大きな危険が無さそうなのを確かめてクウェルの方へ駆け出した。
「何をしているんですの? 何か、ありました?」
「いえ‥‥気のせいかとも思うんですが‥‥」
 クウェルの手の中には指輪がある。大振りな、彼の武装には似合わぬ派手な装飾のそれには大粒の宝石が填められていた。
 中には掘り込まれた、いや、閉じ込められたような見事な蝶が見える。
「それは?」
「これは、石の中の蝶といいます。戦いの邪魔になるので普段は付けないのですが‥‥」
 何故だか、嫌な予感がしてさっきはめてみたという。
「そしたら、この中の蝶が、今まで見た事の無いほど凄まじく羽を羽ばたかせたんです。ほんの一瞬の事ですけど」
「羽ばたいた? 石の中の蝶が?」
「これは魔法の品で、この蝶は、近くにデビルがいると反応するんですよ。もしかしたら‥‥」
「デビル? まさか」
 クウェルはアリシアと一緒に先を歩く仲間達を見た。いや、正確には仲間達と共に歩く一人の男を。
 今、指輪の中の蝶は反応せず、完全に沈黙している。
 触れるほどに近づいて見ても、だ。
「やっぱり、気のせいだったんでしょうか?」
 小さなクウェルの呟きにアリシアはイエスとも、ノーとも、言わなかった。言えなかった。

 以前この村は春から夏が一番美しいと、この村の少年は言っていた。
 それが、事実である事を冒険者達は知る。
 蜂蜜色の壁に、咲き乱れる花々。天国とはこういうところではないかと思わせるほど長閑で美しい村。
 そしてまさにその空間を、天使が駆けてきた。
「皆さ〜ん。お待ちしてました〜〜」
「ベル!」
 頬を赤くして走る少女を、レインは誰にも譲らず前に出て、迎えた。
「元気みたいだね。会えて嬉しいよ。ベル‥‥」
「私も‥‥です」
 頬を赤らめて俯いた一瞬の後、母に礼をして、腕を背に回した。
「お母様‥‥」
 答えるように母も優しく、我が子を抱く。
「‥‥マリーベル」
 穏やかな母子再会の後、彼女は改めて冒険者達に花のような笑顔を見せた。
「皆さん。ようこそ、おいでくださいました。ありがとうございます」
「お久しぶりです。お会いできて嬉しいですわ」
 二人の様子を見守っていたアリシアの微笑みの横でアーウィンは腕を組んでから一礼する。
「いや、噂に違わぬ銀の天使、いや女神だな。ああ、俺はアーウィン。ヨロシクな」
「神聖騎士クウェル・グッドウェザーです。よろしく」
 見知った顔、見知らぬ顔、でも咲いた笑顔は少しも、変わらない。
「どうぞ、こちらへ」
 促された手を一人だけ断った人物がいる。自分は仕事があるから宿に行く、そう言った人物と彼らは分かれた。
 楽しげに進む冒険者達の背中を見つめる男、ベネットはにやりと笑う。
「予想以上だね。あの娘。そう思うだろ?」
 足元で黒猫がニャーと鳴く。
「さて、どう動こうか? とりあえずは‥‥商売かな?」
 もう一度同意するように鳴いた猫を抱いて、彼は冒険者に言ったとおり、宿屋に向かっていった。とりあえず。

 翌日、彼らはキャメロットへの帰路についた。
 慌ただしい別れに婦人も寂しげな様子を見せる。
 心からの感謝と労いの言葉を受け取った冒険者は、村人に周囲の警戒と対処の指示をしていった。
 村に悪しき者の危害が及ばないように。と。細かく、しっかりと。
「解りました。できるかぎり気をつけます」
 村の守護を受け持つ狩人の少年はそう言って約束した。
 旅の疲れに熱を出した婦人の看病の為、仕事の為、見送りに出てきたのはベルと少年フリードの二人だけ。
「本当にありがとうございました」
「どうか‥‥気をつけて」
 髪に映える髪飾りを付けたベルは寂しそうに心細そうに、冒険者達を見上げる。
「そんな顔をしないで、ベル‥‥」
 そう言うとレインは少女の細い肩を優しく、しかし、しっかりと抱きしめた。
「君を、愛しています‥‥必ず‥‥必ずまた来ます!」
 耳元で囁かれた声に、ベルの顔は小さく前に動いた。
「随分、大胆になられましたのね」
 見送るベルから、村からもう大分離れたのに、まだ目線を逸らさないレインを、アリシアはちょっぴりつついてみる。
 でもレインは少し、顔を赤くしただけで逃げなかった。
「ええ、決めたんです。僕は‥‥」
(「彼女の為に強くなる‥‥絶対に!」)
 少し頼もしい背中を見せる友を嬉しく思いながらもアリシアの胸から暗雲は晴れなかった。理由の解らない暗雲が。
 そんな二人の後列をゆっくりと歩いていた戦士三人。
「ん?」「!」「えっ?」
 彼らは同時に後ろを向いた。何かが通ったような気がしたのだ。素早い黒い何かが。
 だが、それは一瞬。正体はまだ、彼らには見えなかった。
 クウェルのポケットの中で、石の中の蝶が大きく羽ばたいたのも、帰り行く冒険者達を森の中から見つめる瞳があったことも‥‥。


 ケンブリッジの門を潜り、緊張の面持ちでヴェルはタウン・オブ・ツリーへと足を踏み入れた。
「いいなぁ、あの制服可愛いな。このローブと合いそう♪」
 ティズは通りすがりの学生の服を見て羨ましそうだが、どうやら周囲を見ている余裕はまだヴェルには無いらしい。
 学校。それは自らの力で進まなければならない世界。
 付き添いもここまでになる。
「確かに送り届けたぞ。ここから先は、自分の足で進むんだ」
「はい‥‥」
 冒険者の言葉に頷いて見せるが、手が震えている。その手をレイヴァントはそっと握り締め、笑った。
「鍛えてないなぁ、少年。でもまぁ。鍛えたりなければ鍛えるだけだけどね。君ならできるよ」
「良く遊び、良く学ぶ。かけがえのない友人と大切な思い出を作る。友人は学園生活の宝だからな」
「頑張って! ファイト! 応援してるからね〜」
 楽しげな声、静かな声、元気な声。だが、共通してそこに存在するものがある。 
 それは、勇気をくれる優しさ。
「ヴェル‥‥」
 大きな手が髪を撫でる。深い慈しみの眼差し。
「前にも言ったな。しっかりと前を見据えて進んでいけ」
 服の下、お守りの鈴が、リン、と小さく鳴った。彼の代わりに答えて。
「はい!」
 今度は元気と力ある声でヴェル自身が答える。
 母親と離れて感じた不安。
 自分自身の心に居座り続ける新しい世界への恐怖。
 だが、もう大丈夫だとヴェルは自分に言い聞かせた。
 心に不安は残るけれども、前を向いて歩いていける。きっと。
 母は、抱きしめて愛情をくれた。
「愛しているわ。ヴェル‥‥私の子」
 ライバルと仰ぐ人物は言ってくれた。
「ヴェル、貴方の成長を楽しみにしていますよ‥‥絶対に勝ってみせますからね」
 そして、冒険者は勇気をくれた。
 自分が望んで、選んだ世界なのだから、歩いていこう。そう思える勇気を。
「ありがとうございます。行って来ます!」
 深く一礼して彼は前を向いた。戦女神見守るフォレスト・オブ・ローズの扉に向かって。
 強く、真っ直ぐに。
「若いというのはいい‥‥俺のようにはなってほしくないものだな」
 呟いたアリオスの言葉は静かに消えた。
 風に溶けるように‥‥静かに。

 シャフツベリーの伯爵の下には冒険者達から任務完了の連絡が届けられた。
 その手紙を見た彼の頬に、微かに笑顔が浮かぶ。
 安全を願って領地から離した家族達。彼らに危害が及ぶことはもう、そう無いはずだ。
 だが‥‥
「何故だ?」
 心に広がる不安という名の暗雲、黒く沸き立つ予感。それは消えるどころか一人一人の心に広まるばかりだった。