●リプレイ本文
過去に縛られし闇の囚人に未来が手を差し伸べる。
「過去と向き合い、彼と貴殿の絆を取り戻しに、行こう‥‥」
思えば、何度この地を訪れただろう。
「随分、日が落ちるの早くなったよね。やれやれ‥‥もう冬至か」
アシュレー・ウォルサム(ea0244)は呟きながら落ちていく太陽を見つめた。
彼の言葉に空を仰ぎながらふと、イグニス・ヴァリアント(ea4202)はそんなことを思った。
春に訪れたのが最初だったが、この地への道のりも完全に覚えてしまった自分がいる。
セイラムの街、そしてストーンヘンジの景色。街も草原も遺跡も、何だかんだで結構気に入ってた。
「それがどうこうされるのは、やはり嫌だな‥‥。くっ。こんな感傷。らしくないか‥‥」
頭に浮かんだ自分自身の考えにイグニスは苦笑した。
どうやら最終決戦を前に感傷的になったようだ。
‥‥自分でさえこうなのだからさらにいくつもの依頼に関わってきた者達はより思いも格別だろう。
いや、関係ない。長さなど関係ないのだ。
「笑っても泣いてもこれが最後の戦いになるだろうね‥‥」
アシュレーの言葉に、決意に頷いてイグニスは目を閉じた。
(「この地を守り、未来へ希望を繋ぐ為に‥‥」)
誰に言うでもない。自分自身に確認して、彼は目を開き前を見た。
その目線の見えない向こうには遠い太陽と、古き石の神殿が静かに佇んでいる。
「と、いうわけだ。俺たちの知ったこと、知りえたこと。精霊達が言った事、全部伝えたぜ」
陸奥勇人(ea3329)の話は長く、重かった。特にタリエシン達に捕らえられ現状の把握が出来ていなかった領主ライル・クレイドは息を呑む。
「なんと、いうことだい。あたし達が命を賭けて守ってきたものが‥‥」
嘆息したコリドウェンはまだ考えを纏められたほうだった。
ソウェルは信じられないと冒険者を見つめルイズはただ‥‥涙を流している。
それはコリドウェンの思いとは、また違っていた。
「司祭は‥‥お兄様?」
彼女がローランドに抱いていた淡い思いを知っているが故に、ライルも言葉をかけることができずにいた。
「で、一応確認だ。今回の一件、最後まで任せて貰えるって事でいいんだよな?」
長い沈黙を勇人は切るように言った。
封印の真相。
ある意味、セイラムの民達の過去の過ちの被害者とも言えるタリエシンと月の精霊。
それを知った後、万が一、過去の民達のようにその力を望むことは無いかと、確認する意味も込めた問いかけにライルは無論、と頷いた。
「依頼内容に変わりは無い。本来であれば我が先祖の過ち。この地に住まう我らが償うのが筋であろうが‥‥力が足りぬ。彼らの長き思いを終らせてやってくれ」
「それは、ちょっとちがいますぅ〜」
ものおじしない声と、怖い者知らずの笑顔。エリンティア・フューゲル(ea3868)の言葉に領主と、冒険者は振りかえる。
「タリエシンとルイズを開放する。それは、僕達にとってのぉ、希望でもあり、望みでもありますぅ。筋とかそういうのではなくぅ、この地に関わった仲間としてぇ、全力をつくすですぅ〜」
気が抜けるような言い方は誰が相手であろうと変わらない。最初に出会った時からずっと。苦笑し、ライルは領主の顔で告げる。
「解った。全てを任せる。だから、必ず生きて戻ってきてくれ」
「ああ、任せておけ。ここまできたら、最後まできっちりと‥‥それに、若者達にちゃんとした未来を残してやりたいからな」
笑ってジェームス・モンド(ea3731)は指を立てた。それは心からの本心だった。
本心の中にはルイズやライル、タウ老や、ソウェル。そしてコリドウェン達に同行して欲しい、という意図も多少あった。
だが、それは命がけの戦いにおいて、明らかに不安要素となる。
四種の魔法を操るタリエシンと、月魔法の使い手が相手。
その戦いは僅かの隙が命運を分ける筈だ。
それを承知しているからこそ、ライルはあえて同行を口にせずに街の命運を握る冒険者に全権委任した。
これ以上、冒険者達の枷になる事は出来ない。セイラムの民に対しての責任もある。
ソウェルは、自らの未熟を、タウ老は自らの衰えを良く理解しているが故に遺跡に踏み込む事に首を横に振った。
無論、冒険者が望むなら同行するつもりだったが、それがメリットにならないと解っているなら、足手まといにはなれない。
「‥‥あの、私は、一緒に行ってもいいでしょうか?」
涙を拭き、躊躇いがちにルイズが言った。その申し出に
「あんたはダメだ」
はっきりと勇人は拒否を口にする。
「役に立たないのは解っています。でも、司祭様を‥‥」
「そうではありませんよ」
ケンイチ・ヤマモト(ea0760)はルイズの肩に手をやり柔らかく首を振った。
確かに、月の精霊相手にルイズの魔法は正直役には立つまい。ケンイチにも同じことが言えるが月魔法を使って月の精霊と戦うなどあまりにも無謀と言えた。
だが、冒険者がルイズの同行を認めないのは他に理由がある。
「ルイズ、あんたにも責任がある。ライルと同じように自らの一族。率いてきた者に対する責任が‥‥だ」
「‥‥あっ」
小さく声を上げて、ルイズは俯いた。自分が帰還した後の一族の心配と涙を思い出し、恥じ入るように顔を下げる。
「なら、せめて、遺跡の上で‥‥」
「それならいい。ただし、危なくなったら必ず逃げてくるんだ」
「あたしも行くよ。長く守り続けてきたものが消える瞬間。見届けなくっちゃ、あの子達にも今までのコリドウェンたちにも申し訳が立たない」
揺ぎ無い意思の嫗の申し出には否定はかからない。だが
「‥‥万が一の時には自らの命と引き換えに、無理を承知で再封印をなんて思ってはおられませんよね?」
夜桜翠漣(ea1749)は真っ直ぐに問うた。これだけは確認しておかねばならない。
「ああ。約束は守る。あんた達を信じて、待っているよ」
「それなら‥‥」
安心したように微笑んだ後、翠漣は何事かを巫女の耳に囁いた。
「そいつは」
「ダメですか?」
いいや、と老婆は笑った。
「思い出しておくよ。遥か遠い昔のことだけど、あんた達が戻ってくる前にね」
一つの約束が支えとなる。翠漣は頷いた。
「よし! 話は決まった。マックスが戻り次第踏み込むぜ!」
ライルは領主として全ての便宜を払い、冒険者は万全の上に万全を期する為に用意を整える。
決戦の日はもう迫っていた。
夕暮れ、建設途中の教会に、小さき伝道師膝を付き、祈りを捧げる。
ギルス・シャハウ(ea5876)の祈りを妨げる者はいない。
その横には彼よりも大きな犬たちが座っている。祈りを守るように。
どれほどの時が立ったのか、立ち上がった影にゆっくりと大きく優しい老人の笑顔が問いかける。
「何を、祈っておったのかね? 勝利への加護か? それとも‥‥」
「‥‥いえ、生への感謝と未来への誓いを」
過去に囚われた魔法王の解放と、ソールズベリの未来への希望を、ギルスは今、心の底から願っていた。
この戦い、必ず勝利し全員で生きて戻る。それこそが、未来への光となる筈だから。
自分と、神の力はきっとその為に役立ってくれる筈だから。
「そうか‥‥」
微笑む老人に大司祭様、と呼びかけてギルスは二匹の犬たちの背を軽く押した。
「僕が戻ってくるまで、この子達をお願いします」
「心得た。責任を持って預かろう」
神の家での約束に頷いて、ギルスは自らのパートナー達の前に浮かび立った。
「ルーニー君、ファニー君、最後の戦いに行って来ます。必ず迎えに来ますから、いい子で待っているんですよ」
尻尾を静かに下げて、彼らは主の言葉に従うように待つ。
「必ず、戻ってきますから」
見上げたギルスの上に、作りかけの伽藍から澄みきった蒼の光がまるで神の加護のように射していた。
冴えた夜風の中、精神集中の為に剣を振るう黒畑緑朗(ea6426)は街道の向こうからやってくる影を闇の中に見つけた。
「マックス殿!」
影はやがて近づき、軽く地面に立つ。手にした箒を握り締めたマックス・アームストロング(ea6970)の顔は暗いように思える。
「どうしたのでござるか? コグリ殿は?」
エーヴベリーの遺跡のコグリを連れてきたい。出来るならば、タリエシンと向かい合わせてやりたい。
そう言って彼は飛び出して行った。あの幽霊を迎えに行った筈だ。
「やっぱり、無理だったのでござるか?」
心配そうに駆け寄る緑朗にマックスは自分の斜め後ろの夜気をそっと前に押しやる。
その手にふわりと背中を押されるように舞い降りたのは少女の外見を持つゴースト‥‥。
『‥‥恥と、悔いを承知で参りました。どうか‥‥』
静かに膝を折り、祈るように告げた少女の言葉は悲しいまでに透明に感じられた。
翌朝。決戦の朝、冒険者達は真っ直ぐにストーンヘンジへと向う。
もう、どこへ寄り道する必要も無い。
ただ、目的へと突き進むのみ。
「ここで待ってるんだ。いいな?」
自らの背後で待つ者達に、勇人は確認するように声をかけた。
太陽の少年、月の娘。そして最初と最後の巫女。
長い歴史を紡ぎ、見つめてきた血族は今、その終わりを見届けようとしている。
「皆さん、気をつけて‥‥」
少年は、それだけ言うのが精一杯だった。
「待っているよ。必ず勝って帰って来ておくれ」
巫女は、守ってきたものの終結を予感しながらも、未来の勝利を神に祈った。
「司祭様を、どうか‥‥助けて下さい」
娘は願いを飲み込まずに告げた。
難しいことは解っている。願ってはならないことも。そしてこの思いの行き場の無さを。
それでも願う。大切な人の無事を。心から。
『あの方を‥‥救って下さい』
少女だった者はそう、口にする。かつて彼を裏切り、そんなことを祈る権利さえ自らには無いと解っていても、願わずにはいられなかった。
結界に阻まれ、彼女は遺跡に入ることが出来ない。向かい合い、謝ることも許されない。
彼女にはそれが、王のと精霊の拒絶に思えた。
再会が叶う時があるとすれば、それは‥‥。
「なあ。コグリ嬢ちゃん?」
『嬢ちゃん?』
ふと、俯いていた幻がゆらりと動いた。
自分より遥か年下の男性が、優しく柔らかく微笑みかける。
『貴方は‥‥』
「嬢ちゃんは未来に何を望む? 俺は、そうだな、まぁ、道は若い奴らに譲るとしても、これからも俺の出来る範囲で、皆が日々を充実して暮らせる世界を護って暮らしていくこと、それが望みだな」
『私は‥‥』
彼女の答えが沈黙から解かれる前に、竪琴の最後の調律を終えてケンイチは立ち上がった。
「準備は出来ました。‥‥いきましょう」
「さて、それではこの続く因縁に決着を付けに行くとしますか」
重なるアシュレーの決意に冒険者は頷く。
人ならぬ者を押しとどめる結界は、今、中に入っていいのは冒険者のみだというように無言で口を開く。
「じゃあ、行ってきますぅ」
晴れやかな笑顔で闇に向う冒険者達を見送る者達。
『私が未来に望むのは‥‥子らが同じ苦しみを味わうことが無い様に。繰り返さないで欲しい‥‥過ちを‥‥』
永き歳経た亡霊の思いは静かに太陽に解ける。
それぞれの神にそれぞれの願いを込めて、彼らの無事を祈っていた。
何度も上り下りした筈の階段が、いつもより長く感じたのは多分気のせいだろう。
全員が降りた階段の先はいつもと同じ漆黒の空間。
照らしたカンテラの光に闇の向こう、扉が見える。
「やっぱり‥‥ルイズ達が出てくる気配は無いな」
いつもと変わらない静寂の空間に勇人は静かに呼吸を確かめる。
「ここまで来れば余計な小細工などする必要も、つもりも無いのでしょう‥‥。大丈夫ですか? ロットさん」
歩みの遅れたロット・グレナム(ea0923)を気遣うように翠漣は後ろを向いた。
「大丈夫さ。ちょっと‥‥こいつが重いだけ‥‥」
こいつ、と指したダークを握りなおし、ロットは小さく息を吐き出した。
「重いなら‥‥、いえ、愚問でしたね」
「ああ‥‥持っていく。ろくに武器なんて使えないけど、これを持っていくことで‥‥あいつが見ていてくれるような気がするから」
「‥‥ならば、ここはお任せするでござる」
側に控える柴犬の頭を撫でながら緑朗は最後の扉の前から退いた。自分の役目にロットは頷き扉の前の床の隙間にダークを差し込む。
漆黒の闇に淡い光が広がっていくような気がする。
五分の間。冒険者達は準備を整える。自らを研ぎ澄ます魔法と、何よりも折れることが許されない心の準備。
微かな感覚が、結界の完成を告げる。振り返ったロットはそこに万全の準備を整えた仲間達の姿を見た。
ならば、後はこの場の誰が口にしてもおかしくない言葉を、口にするだけだ。
立ち上がり
「行こう。あいつらが待ってる」
決意と一緒に扉を開けた。
『‥‥来たね。待っていたよ。冒険者』
何も驚いた風も無く、平然と『彼』は冒険者達を出迎えた。
思ったよりもその部屋は広かった。四種の精霊達が守っていた部屋とほぼ同じか、それ以上。
その中央に、ただ一人の人間が立っていた。
灯りの殆ど無い、漆黒の闇の中『彼』が冒険者達にハッキリ見えるのは肩に止まる銀の鷹が月色に輝いているから。
『彼』と対峙するのは三ヵ月ぶりだろうか。
穏やかな大人の声が告げる少年の口調が、冒険者の心を掻き乱す。
「来たぜ王様。暇な間に何を取り戻したいのか思い出せたかい?」
軽口を叩く勇人の言葉を無視して『彼』は自分の思いを吐き出していく。
『僕が動けない間。随分と派手に暴れまわってくれたみたいじゃないか。まあ、精霊達を還したのは別に許してあげるよ。でも、ソウェルを消したことだけは‥‥許せない。僕の大事なものを、よくも‥‥』
軽い口調がだんだん怒りを孕んだものへと変わっていく。
彼は『自分の大切なもの』が奪われた事を何より怒り、憎んでいるようだ。
「ソウェルは自らの意志で笑顔で還りましたぁ」
だから、エリンティアの言葉にも解りきった返答が帰る。
『嘘だ! 約束したんだ。僕が無くした大事なものを、一緒に取り戻そうって!』
「精霊達は自らの地へ還りました。もう一度聞きます。貴方が、貴方達が本当に望むものはなんですか?」
翠漣が静かに問いかける。中央の『彼』に向って静かに間合いを詰めながら。
「なぁ王様よ。お前が本当に取り戻したかったのは幸せだった筈の日々、大切な友人や愛した相手と共にあった時間なんじゃねぇのか。なら、それは、もうここには無い。過去は過ぎ去り、もうどんなに望んでも、取り戻すことは出来ないんだ」
ゆっくりと歩を進めながら、勇人は哀れに思う。目の前の『彼』。
皆、忘れていた‥‥たった一つの事を、思い出して欲しかった。
『煩い! 封印はもうじき解ける。僕が復活すれば全ては元に戻る。光の都が、あの輝かしい日々が蘇るんだ!』
「あの時代の人はもういないんだ。例え封印から逃れたとしてももうあの時には戻れない、それが解らないのかい!?」
穏やかだが、決意を込めた声が静かに弓を引く。
『黙れ! 行くぞ。ルイズ。あいつ等を滅ぼす。そして、全てを取り戻すんだ!』
『‥‥王の望みのままに‥‥』
肩に止まっていた鷹がふわりと地面に降り立って女性の姿に立った。
「このような形で会いたくなかった。敬愛する月の光よ」
歌うようなケンイチの言葉に、ほんの少しだけ月の女の頬が笑った。
横に立つ青年が手を前に上げる。
間合いはまだ遠い。だが、仕掛けられるより先に仕掛ける!
冒険者達の足と思いが一気に駆けた。
「俺たちは過去を断ち切りに‥‥そして、未来を紡ぎに来た。俺の夢、ソウェルとの約束を叶える為にも‥‥終わりにするんだ」
ダークの切っ先が、この場にありえない光を弾く。
と同時、炸裂した炎の花が戦いの幕開けを告げた。
戦いは苛烈、過酷を究めた。
本来なら二対十一。
しかも、戦闘に慣れいくつもの死地を乗り越えてきた冒険者達は有利の筈だ。
だが、ここに至り彼らは最初から解っていた苦戦を強いられる。
一つは敵の連係能力。前衛で素早い動きと、幻惑の能力で敵を撹乱するルイズを、的確に背後の『彼』は援護していく。
「うっ!」
鋭い爪の攻撃がイグニスの頬に紅い筋を作る。その隙に炎が爆発した。
回避が成功しなければ火だるまだったかもしれない。
「後ろである!」
背後から一直線に走る月光。前にいたと思った敵は、いつの間にか後ろから光の矢を放っていた。
四種の魔法を的確に駆使する魔法王と、その攻撃を確実に通す為の獣の如き動き。
冒険者の魔法は闇にかき消され、逆に攻めに入られた魔法は、確実に冒険者の傷とダメージを増やしていった。
永き年月を共に生きた王の知恵と部下の動き、完璧なコンビネーションがそこにあった。
魔力を惜しまない相殺と、仲間同士の連係。そしてギルスの聖なる加護と治癒があればこそ彼らはまだ立ち上がり、戦うことが出来た。
勇人は満身創痍の中、月の守護を押し通り『彼』に肉薄する。
「いい加減に、しやがれ!!」
強い意志の元、振り下ろされる剣は素早く回避された。
苦戦の理由の第二。『彼』の肉体能力を甘く見ていたことだ。
『司祭の割に、身が軽いんだね‥‥っと!』
後方から援護射撃を続けるアシュレーは舌を打った。閃光の如き一矢さえも紙一重でかわされる。
生来の能力が高いのか、よほど身体が馴染んでいるのか。
なかなか『彼』への攻撃が通らないのだ。
そして、第三。
『へえ、この身体を殺すの? 別に構わないけど』
本気で武器を振り下ろせない心の動きが、彼らを劣勢としていた。
司祭ローランド。彼から取り付く者を引き剥がせねば‥‥。
『随分、ちょこまかと動くね‥‥。でも、そろそろ終わりにしようよ。ルイズ!』
王の命令に上空に逃れていた鷹は、その身を矢の如くして真っ直ぐに前衛に向けて突進していく。
前衛が幾たびも王に肉薄し、後衛がルイズを狙う。その戦いの裏を付いた攻撃だった。
「うわああっ!」
風が後衛にいた冒険者達を襲う。中衛は前衛の補助に走り間に合わない。
聖なる守護に守られていたギルスを除く三人が、空高く舞い上がり、そのまま地面に叩き落されていた。
「‥‥うっ‥‥くっ」
呻く三人の中、一番体力が無いと見たのかその中の一人、エリンティアに『彼』は近づいていく。
『そろそろ、終わりにしようか‥‥。さようなら。誰かさん』
困憊した冒険者に止める術は無く、そのまま命が奪われるのか。
だが、その時エリンティアの手で何かが光った。渾身の思い。ギルスは一心不乱に幸運を祈り、ジェームスは伸ばした手で、懸命に足を止める。
「今だ!」
言葉と同時、今、その瞬間に踏みにじられるかと思われた命が、立ち上がり『彼』の首に抱きついた。
「‥‥もう良いですぅ、後は貴方の血を引く者達を信じませんかぁ。‥‥サイレンス」
『な、なんだって! ‥‥うっ』
飛び退ろうとする動きは、この細い腕のどこにあるのか、という力とカチリと首にかけられた首飾りに封じられる。これは預かった残された者達の思い。
抵抗するように彼の手がエリンティアの首にかかる。それでも、彼は手を放さなかった。
いや、逆に笑顔を向ける。
心残りも無い晴れやかな優しげな嘘偽り表裏の無い笑顔、恐らくかつてのタリエシンもしていたであろう笑顔を。
『や、止めろ‥‥』
苦しむように身をよじる『彼』に後衛と、前衛の補助に行ったと思われた中衛の絶妙に見切った総攻撃が入る。エリンティアは息を吐き出し地面に転がった。
『‥‥くっ、この身体を』
「ローランドさん。子供達が待っていますよ。ソールズベリの未来を担う子供達が。過去の呪縛になんか負けないで下さい」
「ルイズ殿が待っているのである!」
彼を捕らえる手は無い。だが、身体が動かない。
一矢、一刀のダメージが入るたび、『彼』の呼吸が荒く乱れる。耳と心に訴えられる思いがそれに拍車をかける。
『こ、こんな‥‥。この身体を殺すつもりか?』
「俺たちは、信じてるんだ‥‥お前もいい加減目を覚ましやがれ。ホリン! いやローランド!」
「あんたを待ってる人達がいるんだ。過去の亡霊なんかに負けてないで、とっとと戻って来い!」
自らの心の叫びと共に、重いダークを渾身の力と共にロットは『彼』の腹に刺し貫いた。
微かに身体が揺れ、動き、悶える。
崩れる足。崩壊する心。全身から、心から流れる血。それは冒険者の手の届かない所で行われていたもう一つの戦いだった。
完全に主導権を奪われていた身体が、今、冒険者の援護を得て、声にならない声を上げる。
(「返して下さい。私の大切なものを‥‥奪わせない」)
『止めろ。お前は‥‥僕の‥‥うわああっ!』
瞬間、黒い影が弾き出された。崩れ落ちる身体にロットはかつて最初の戦いをなぞる様にアイスコフィンをかける。
満足したような笑みさえ浮かべる司祭の身体が硬い音を立てて、床に横たわる。
吐き出された黒い影は、呆然と立ち尽くすようにその場に浮かんでいた。
冒険者達は武器を構えたまま、影に近づいていった。
警戒は解かないが‥‥そこには、最初に感じた恐ろしいまでの余裕もプレッシャーも感じられない。
蘇った自分自身である筈の者の拒絶に彼は、呆然としていた。
『何故、何故だ‥‥。僕は、取り戻せる筈だったんじゃなかったのか? 失った全てを‥‥もう一度』
『‥‥間違っていたのですわ。王。何物をも、何物の代りにはなりはしない。‥‥そして失われたものは返らない。そんな当たり前の事を、あの頃の私達は、誰も‥‥気付けなかった』
『ルイズ‥‥』
微笑みながら膝をつき、王の側に立つ月の女。その存在はもう希薄になっている。終わりが近いのだと誰もが気付ける程に。
冒険者と『彼』の戦いの最中、それを止めるように見えたルイズの動きを、前衛の冒険者達は渾身の力で組み伏せていた。
彼らの刃を全身に受け、冒険者に傷を与え、彼女はその場から逃れ王の元に寄り添った。
それは冒険者の目的どおりであったが、魔法を使わぬ彼女に同時に微かな違和感を与える。まさか‥‥と。
『失われたものは‥‥取り戻せない? もう‥‥戻れないのか? あの幸せだった時。精霊と、人が共に生きていける理想の光の都は‥‥』
少年のように思えた口調は、緩やかに、優しく包み込むような口調に変わる。込められた力、思い。大切なものを思い出そうとしているように。
彼の問い。それに心からの思いを込めて冒険者は答える。
「古き王よ。貴方が人であった時、あまりに強い力は恐怖となる事を分かっていた。だから精霊と人間の間で苦悩したんですよね。それを思い出してくれたのなら、人を恨んだままでいてほしくない。もしどうしようもないのなら人ではなく、今貴方を滅ぼそうとしているわたしを恨んで下さい」
「今のソールズベリの街は、確かに良いことばかりではありません。でも、様々なものの共存という理想を目指しつつ現実を見据えて前に進んでいます。理想や希望は過去ではなく、未来にのみ在るのです。未来を‥‥信じて頂けませんか?」
その中でロットは一歩を強く踏み出した。
「もう光の都はない‥‥。だけど、俺はソウェルと約束した。いつか必ず『光の都』のように人と精霊が共に暮らす世界にしてみせると。‥‥あんたの思いは俺が引き継ぐ‥‥だから、もう眠ってくれ」
涙を頬に、でも思いは真っ直ぐにもう形さえ無い自分自身を見つめている。
『‥‥そうか』
抱きしめるように答えを抱いた『彼』は思い出したというように柔らかく、優しい空気をその身に纏わせた。
死地に思えた闇がまるで花園のような明るい空気に変わる。
『私は死の瞬間、後悔していた。最初は‥‥愛する者に精霊を見せてやりたい。この世界が美しいと伝えたい。それだけが望みだった。精霊を見出し、友となり、全てのものが同じようにこの地に住む全てのものと共に生きていけたらとそう思った。しかし‥‥』
同種族同士でさえ争い、心を繋ぐことが難しいこの世で精霊との共存は遠い夢。美しすぎて信じられぬ幻。
『そうだ。それが辛く認められなかった。気付けなかった。向き合うことが出来なかった。自らの内に篭った自分、それを守ろうとしてくれた精霊達。そして美しい夢を恐れ自らの手で壊しながら、取り戻そうと願った‥‥民たち。皆が思った願い。過去を取り戻したい。あの頃に戻りたい。その望みは間違っていたのだと‥‥』
どんなに美しい平和でも過ぎ去ったものは戻らない。後ろに手を向けても、それを掴み取り戻すことなど決して叶わないのだ。
『‥‥過去は取り戻せない。だが、もっと良くしていくことは出来るな?』
冒険者よ。その問いかけに、知らず下を向いていた冒険者達の瞳が上がる。
武器はもうその役目を終えていた。
問う存在はもう、亡霊でも悪霊でもないかつて人々を導いた偉大なる王。
彼は精霊さえも魅了した魂の輝きで告げる。
『過去は美しい。例えそれが過ちと困難しか無かったとしても、あの時は良かったと思う事が出来る。人は過去の輝きを糧にして生きるのだろう』
そして過去を糧にして作る未来が、かつてあったそれよりも美しく出来ぬ筈が無い。
自身は未来を見ることが叶わなくても、思いを継ぐものの存在を信じられるなら。目を閉じれば見えてくる。
心に今消え去らぬ光の都。だが、今胸の奥に輝くのは 過去よりも美しい未来への希望の光。
冒険者達が教えてくれた‥‥。
『かつての私は、自らの意思を理解してくれる者も、この思いを継いでくれるものの存在も無かった。突然奪われた命と夢、振り下ろせなかった怒りと、繋げなかった未来が取り戻したいという妄執になってしまったのだ‥‥』
だが、冒険者達は彼と向かい合い、真の望みを叶えてくれた。
永き年月に磨耗しきった思いは今蘇り、夢は受け継ぐ者を見出し、用意された復活の器も、もう今は『彼』ではない。
大切な者を持つ一人の人間なのだ。
本当に欲しかったものを取り戻すことはできないと気付けたのなら‥‥
『‥‥ならば、もう悔いは無い。何も怨む必要は無い。ルイズ。還ろう。我らが‥‥あるべき場所へ』
タリエシンは手を差し伸べる。もはや冒険者には影にしか見えない存在。
だがルイズにはかつて彼女と精霊達が親愛を誓った晴れやかな笑顔の王だった。
『はい』
彼女は静かに頷いた。立ち上がり横に立つ。
『詫びと礼を言おう。冒険者よ。我々は還る。あるべき場所にな‥‥』
ソールズベリの王は静かに目を閉じる。自らの意思で身を還そうとする望みを助けるようにギルスは神に祈りを捧げた。
‥‥最初から何も怨むことなく、自らの結末を受け入れた輝かしき魂。
「王よ‥‥。今の民に告げることは?」
足から薄れていく王にかけた翠漣の問いに彼は首を横に振る。代りにロットとその手に握られた古いダークを見つめて。
『私の意思は受け継ぐ者を見つけた。私の言葉ではなく、自らの言葉で未来を紡ぐがよい。新たなる世のドルイドたるものよ‥‥』
『感謝しますわ。冒険者の皆様。私達と向かい合い、望みを叶えてくださった事を』
眠るように彼は瞳を閉じ
「王よ! コグリ殿を!」
マックスの呼びかけに、月の女と共に頷き微笑んで静かに‥‥消えた。
『汝らの上に、光があらんことを‥‥』
微かな風。冒険者達は目を閉じる。
戻る漆黒の闇。光さえ指さぬ静寂の空間。
だが、冒険者達は誰もが感じていた。
ソールズベリを捉えていた呪縛は消えうせた。
太古の呪いが、この地を縛り未来に影を指すことは二度とないだろう。と。
『こんなところにいたのかい? まったく。君は昔っから責任感が強すぎるよ』
晴れやかな笑顔の少年は、幸せだった頃の姿をした少女を輝く瞳で見つめる。
『‥‥ゴメンなさい。私は‥‥貴方を‥‥』
許される筈は無いと、思っていた。涙を浮かべる少女に苦笑するような仕草を彼はしてみせた。
『僕が聞きたかったのは、それだけさ。もう言いっこなし。さあ行こう。冒険者に過去は取り戻せないって言ったけど、一つだけ取り戻せたかな?』
少年は真っ直ぐに手を差し伸べる。少女は躊躇いがちにその手を取る。
『あいつらに怒られることくらいは覚悟してるんだよ? コグリ』
『‥‥ええ、ロット』
古き言葉で小鳥を意味する少女は、琴の名を持つ少年の手を取った。
‥‥幻だと思う。夢かもしれない。
だが、冒険者達は確かに見た。
精霊達をも魅了したタリエシン、晴れやかな笑顔を持つ者と呼ばれた少年の悔いの無い笑顔を‥‥。
彼らが昇っていく先に、月の女と、太陽の男がまるで子供を見守る父母のように道を照らしていた。
低い太陽が静かに終わりを告げる。
大いなる遺跡は、今静かに、その役目を終えて眠りに付く。
過去を見送り、未来を見守って‥‥。