幻想寓話〜リャナンシーヨーロッパ

種類 シリーズEX
担当 風華弓弦
芸能 5Lv以上
獣人 2Lv以上
難度 普通
報酬 40.4万円
参加人数 8人
サポート 0人
期間 10/10〜10/15
前回のリプレイを見る

●本文

●そんなこんなで
「脚本はどーした、脚本は」
 監督レオン・ローズに問い詰められて、脚本家フィルゲン・バッハは遠い目をする。
「なんかこう‥‥調子が出なくて‥‥ね」
「フィルゲン君。我々がどういう状況に置かれているかは、十分判っておろうな?」
 ずずぃと距離を決めるレオンに、反射的にフィルゲンは半身を引く。
「そりゃあ‥‥イヤと言うほど、判ってはいるけどさ」
「判ってるのか? ゴールデンであるのだぞ、ゴールデン!」
 ゴールデン−−いわゆるゴールデン・タイムは、一日のテレビ放送のうち最も視聴率の高くなりやすい夜の時間帯を言う。
 夜の19時から、22時。この僅か3時間の時間帯で放映される番組は、TV局が最も力を入れる『花形番組』である。
 この時間帯でのドラマ制作を任されるという事は、その実力や実績が認められたという事であり、また二人にとっても−−無論、表舞台に立つ俳優にとっても躍進のチャンスであるのだが。

「題材はこの前の企画会議で大体決まったけど、どうもね」
 椅子を鳴らしながら唸るフィルゲンを、レオンは腕組みをして見下ろし。
「気に入らんか。『リャナン・シー』が」
「いや、それが気に入らないわけじゃなく‥‥」
「先日の黒森での遺跡で、何かあったか」
 問われてしばらく悩んだ末に、やっとフィルゲンは口を開く。
「突然ですが、告られました」
「なんですとーっ!?」
 突然の相方の告白に、レオンが素っ頓狂な声を上げた。
「いや、そんな大げさに驚かなくても‥‥」
「驚くわい。それで、どうするのだ?」
「どうって‥‥怒ってないといいけどなぁ」
「なんだそれはーっ!?」
 しょぼんと背を丸める友人の肩を鷲掴みにし、レオンはブンブンと振る。
「ちょ‥‥振るなぁぁぁっ!」
 がっくんがっくんと首を振られながらフィルゲンが訴えるも、相手は聞く耳を持たず。
「吐けー、一部始終を吐くのだー! 吐いて楽になっちまえっ!」
「吐くかーっ。てか、ナニモノだ、お前ーっ!」

●幻想寓話〜リャナンシー
『アイルランドの緑の丘やマン島に出現するというリャナン・シーは、ケット・シーなどと同じく彼の地の妖精の一種である。
 彼女らは皆、若く美しい女性の姿をしており、人間の男性へ愛を求める。そして心を奪われた相手には、詩や音楽に関する創造の霊感を与える代わりに、その命を吸い取のだ‥‥相手が死ぬか、他に気に入った別の人物が見つかるまで。
 しかし、もしリャナン・シーの愛を断ったならば、リャナン・シーは愛を得る事ができるまで断った相手に尽くし、かしずく。
 受け入れようが拒否しようが、一度魅入られたら大変な妖精なのである−−』

「リャナン・シー」をテーマとしたファンタジー・ドラマの出演者・撮影スタッフ募集。
 俳優は人種国籍問わず。リャナン・シー役、リャナン・シーを求める(あるいは取り付かれる)青年役、ドラマを語る吟遊詩人役などを募集。
 展開によっては、更に配役の追加も可能。
 ロケ地は北アイルランド、ファーマナ州エニスキレン。アーン川の中洲に開け、アッパー・アーン湖とロウアー・アーン湖に挟まれた、水に恵まれた美しい町である。史跡としてはエニスキレン城や、無人島であるデヴェニシュ島の修道院跡が有名で、湖のクルージングやフィッシングなどが楽しめるという。

●今回の参加者

 fa1032 羽曳野ハツ子(26歳・♀・パンダ)
 fa1715 小塚さえ(16歳・♀・小鳥)
 fa1791 嘩京・流(20歳・♂・兎)
 fa1814 アイリーン(18歳・♀・ハムスター)
 fa2225 月.(27歳・♂・鴉)
 fa3728 セシル・ファーレ(15歳・♀・猫)
 fa3736 深森風音(22歳・♀・一角獣)
 fa4478 加羅(23歳・♂・猫)

●リプレイ本文

●朽ちた石碑の前で
 そこには、青と緑と灰色で構築された世界がどこまでも広がっていた。
「なんだかこう‥‥寒々しくて、寂しい風景ですね」
 吹き付ける風に、三度目の吟遊詩人役となる小塚さえ(fa1715)は思わず上着の襟元をきつく合わせる。
「いかにも、『アイルランド然とした』風景であろう」
 風にも負けず、はっはと監督レオン・ローズは何故か胸を張って笑う。
「でも、雨になるんじゃないか? この天気‥‥傘、持ってきてねぇんだけど」
「桟橋はすぐそこだからな。雨が降ってきたら、渡し舟に戻るか‥‥」
 雨雫が落ちてこないかと掌を上に向け、空を仰ぐ音楽家セルジュ役の嘩京・流(fa1791)に同じく音楽家ルークを演じる月.(fa2225)が桟橋で待っている小さな船を示した。
 彼らが立っているのは、アーン湖に浮かぶデヴェニシュ島。
 緑の草原に覆われた、無人の島だ。
 周りを見渡せば、初期キリスト教の教会の廃墟だという石積み建物と、円形塔のラウンドタワー、そしてケルトの十字架『ハイクロス』が、鉛色の空へと伸びていた。
「結構、大きなものなんですね」
 彼らの身長よりも更に高い石の彫刻を、妖精憑きの青年ノーマン役の加羅(fa4478)が興味深げに眺める。
「うん。ケルトの十字架って、こう‥‥丸い円と十字架が組み合わさった形、してると思っていたんですけど。これは、少し違うんですね」
 ハテと、ルークの妹ビアンカ役セシル・ファーレ(fa3728)は表情に疑問符を浮かべ、加羅も考えを巡らせる様に腕を組む。
「十字架というより、むしろ『菱形』の形に似ているかもしれません」
「そういえば、そうかも。あと、この模様とか細かくて凄いです」
 セシルはこくこくと頷きながら、掘り込まれた縄のような模様を観察している。野晒しのハイクロスは損傷が激しく、ヒビが入っていたり模様が掠れたりしていた。
「そういえば『妖精の国』って、いわゆる『死者の国』ですか?」
 ふと思い出して加羅がレオンに尋ねれば、監督は「ふむ」と唸り。
「厳密に言えば、そうではない。例えば、トゥアハ・デ・ダナーン達が去り、妖精ディーナ・シーとなった地『常若の国ティル・ナ・ノーグ』、『歓びの野マグ・メル』『至福の島イ・ブラゼル』『波の下の国ティル・フォ・スイン』。これらは光り輝く国であり、病も苦しみも老いも死もない。楽園や理想郷の一つと考えれば、判りやすかろう。
 ならば、人は死ぬとどうなるか。妖精となる者もおれば、新たに輪廻転生する者もいる。また魂が蝶や蛾となって、彷徨う事もあるのだ」
「なるほど。色々なケースがあるんですね」
 納得したように、加羅はぽむと手を打った。
「それにしても、なんて言うか‥‥圧倒的な雰囲気ね」
 風に乱される髪をおさえながら、妖精リャナン・シーの一人エヴァ役の羽曳野ハツ子(fa1032)が、友人であり、同じリャナン・シーの一人エマ役となるアイリーン(fa1814)へ呟く。
「そうね。どこまでも、緑と湖と‥‥空しか見えなくて。この一面の草原も、とっても綺麗で」
 しみじみと周りを見回したアイリーンは、少し離れた脚本家フィルゲン・バッハに振り返った。
「せっかく素敵なロケーションがある場所まで来たんだし、リャナン・シーとの出会いは湖をバックでどう? 月夜の湖とか、きっと素敵よ」
「ん〜‥‥」
「アイちゃん。それなら、監督に言わなきゃ」
「そうなの?」
 フィルゲンの答えを遮るハツ子に、アイリーンは不思議そうな顔をする。
「ねえ、レオン監督‥‥」
「むむ?」
 名を呼ばれたレオンは、首を傾げ。
「撮影の時って、別に脚本家は要らないんじゃない?」
「え〜〜〜えぇっ!?」
 思わずフィルゲンが声を上げるが、ハツ子はちらりと一瞥を投げるのみで。
「はっちー、もしかして微妙に怒ってる?」
「フィルゲンさん‥‥何か、怒らせるような事、した?」
 アイリーンに続いて、セルジュの幼なじみキアラを演じる深森風音(fa3736)が脚本家の脇を小突く。
「したかも‥‥というか、やっぱり怒ってるね‥‥」
 強風に吹かれ、いろんな意味で真っ白になっているフィルゲンの肩に、風音はぽんと手を置いた。
「本当に、フィルゲンさんは色々と話題が尽きないね。お留守番していた身としては、『竜』の試練のお土産話なんかぜひ聞きたいな」
「そうだな‥‥撮影の合間にでも、じっくり聞かせてもらおうか」
 一連の話を黙して聞いていた月も、にっこりと笑む。
 追い詰められたフィルゲンは、ただひたすら首を横にカクカクと振り。
「ハツ子君、先日はとてもとても申し訳なかったーっ!」
 ダッシュでハツ子の元へ謝罪に向かった。

●或る、風の強い月の夜に
 寒々と広がる空が、音もなく静かに翳っていく。
 一つ二つと、弾く弦の音がして。
「これは湖と草原を渡る風が歌う古の調べ」
 広げた瑠璃色の羽根を折りたたみ、質素なチュニックと7分丈パンツに、マントを纏った語り手は、子供が戯れるようにケルティック・ハープの弦を細い指で一つづつ弾く。
「この『瑠璃の語り手』が語りましょう。永久に去りし者と、残りし者の哀歌。
 与えられ求められながら響きあう、二つの愛の物語」
 湖面を揺らす風が、誰も触れぬ弦をかき鳴らして、吹き抜け−−。

 渡ってきた風が、マントの裾を翻していく。
 月が隠れて薄暗い道を、ランプを手にした二人の男が足早に歩いていた。
「今夜は、荒れそうだな」
 一人がぽつりと漏らした呟きに、もう一人が軽く肩を竦める。
「ロンドンか‥‥あるいはパリなら、もっと気候も穏やかなんだろうなぁ」
「だが、宮廷は王にかしづく者の喧騒で、この上なく煩いだろうよ」
「それは言えてる。ルークは特に、『お貴族様』が好きじゃないし‥‥あっ」
 くっくと笑っていた男の帽子を、不意に風が浚った。
「ったく、忌々しい風だ。取ってくる」
「手伝うか、セルジュ?」
「いい!」
 短く答えて、セルジュと呼ばれた男は風で転がっていくつば広の帽子を追って、茂みへと駆けていく。
 友人の後姿を見送ったルークは、一つ息を吐いて湖へと視線を投げ−−。
 雲が風に散らされ、再び姿を現した月の灯りの下で、しばし立ち尽くした。
 細い手が、彼へと差し伸べられる。
 黒い艶やかな髪が風に踊り、薄い絹のような衣を揺らし。
「お願い‥‥私を、ここから連れ出してほしいの」
 黒曜の瞳を細め、『彼女』は優雅に−−艶然と微笑むと、彼にそう告げた。

「くそっ、暗くて見えないな」
 月が現れても木々が落とす影は濃く、セルジュがランプを掲げて藪を見透かせば。
 ぽぅと、淡く暖かな光が彼の前方を照らした。
「なん‥‥?」
 驚いて顔を上げれば、煌く金糸の髪を揺らして『彼女』が笑顔を見せる。
 しばらく呆然としていた彼だが、風の音が現実に引き戻し、慌てて明るい光を頼りに帽子を探し出した。
「あ〜‥‥ありがと。助かった」
 礼を言いつつも、視線を逸らして帽子の汚れを叩く。
 そして、「じゃあ」と急いで背を向ける彼に、『彼女』が囁いた。
「私を、連れて行ってくれませんか?」
「‥‥え?」
 再び驚きの声を上げて振り返れば、『彼女』は柔らかな笑みと共に灯りを持たぬ方の手を伸ばす。
「いや、駄目だ。第一、その‥‥」
 否定の言葉を口にすれば哀しげな表情が返ってきて、セルジュは内心うろたえる。
「俺は‥‥いずれ宮廷楽師に、なりたいんだ。だから‥‥」
「ならせめて‥‥貴方に、仕えさせて下さい」
 膝を折り、跪く『彼女』に、彼は戸惑い−−。

 風に流される雲が、また月を覆い隠す。
 帽子を手に戻ってきたセルジュは、待っていたルークに短く詫びて。
 二人は何事もなかったかの様に、再びランプの炎を頼りに歩き始める。
 ‥‥まるで、何事もなかったかの様に。

「そっと手を伸ばし 落ちる星屑を拾い集めたら
 手の中の輝きは音色に変わる それは優しき調べ
 どうか消えないで 奏で続けていて−− 」
 扉が開き、閉じる音に、稚拙だがあどけない歌が途切れる。
 テーブルに飾った花から手を放し、少女はスカートを翻してぱたぱたと階段を駆け下り。
「お帰りなさい、兄さ‥‥その人はだぁれ?」
 帰ってきたルークを出迎えたビアンカは、兄の傍らに立つ見知らぬ女性に首を傾げる。
「ああ、彼女は‥‥」
 妹に紹介しようとして彼は『彼女』へ振り返り−−その名を知らぬ事に、気付く。
「貴方の呼ぶ名が、私の名よ」
 そっと腕に手を添える『彼女』に、ルークは頷き。
「彼女は‥‥『エヴァ』だ。これから、一緒に暮らす事になる。紹介しよう、エヴァ。妹のビアンカで、俺のたった一人の家族だ」
 ルークの説明にビアンカは何度か目を瞬かせた後、にっこりと笑んだ。
「エヴァさんは、兄様の恋人‥‥かな? のんびり屋の兄様だけど、よろしくお願いしますね」
「のんびり屋とは、随分だな」
 二つに結った髪を揺らした妹は、苦笑いの兄へくすくす笑う。
 そんな兄妹の様子に、『エヴァ』も柔らかな微笑みを浮かべた。
「エヴァよ。こちらこそ、よろしくね‥‥ビアンカ」

 物音がして、テーブルに伏していたキアラは顔を上げた。
 慌しく調理場の火や暖炉の火を確かめ、それから部屋に入ってきた家の主へと振り返る。
「随分と遅かったわね、セルジュ。音楽に没頭するのもいいけど、身の回りの事ぐらいちゃんと‥‥」
 手間のかかる幼馴染へ、いつもの様に文句を言いかけて、彼女は思わず言葉を失った。
「来てたのか‥‥少しばかり、ルークと話し込んでて‥‥さ」
 バツが悪そうに答えるセルジュは、凍りついたキアラに首を傾げる。
「どうかしたか?」
「その子、誰?」
 やっと怪訝そうに眉を顰めるキアラに、彼は後ろを振り返り。
「あ‥‥あ。なんて説明すればいいか‥‥」
 半歩後ろに控えて立つ『彼女』に、困った顔でセルジュが腕組みをした。
「訳あって、仕えてくれる事になって‥‥簡単に言えば、使用人。みたいなもの?」
「使用人を雇う余裕なんて、ないでしょ?」
 幼馴染の表情がますます険しくなるが、「とにかく」と彼はキアラの背を押す。
「今日は遅いし、俺も疲れてるんだ。今日はもう、休みたいからさ」
「ちょ‥‥ちょっと、セルジュ!?」
 半ば強引に、キアラは家の外へと追い出された。扉の隙間から差し出す手よりランプと外套を引ったくり、ぶつぶつと文句を言いながら彼女は自分の家へと帰っていく。
「第一、なんでキアラが俺の家にいるんだよ」
 もたれるように扉を閉めると、やれやれとセルジュは髪を掻く。それから、彼を見つめる『彼女』と目が合った。
「セルジュ‥‥さん。私に、名前を頂けないでしょうか?」
 笑みと共に懇願されてから、名前すら聞いていなかった事を思い出す。
「お前、名前‥‥ないのか?」
 それすらも答えず、ただ小首を傾げて待つ様にセルジュは少し考え込み。
「じゃあ、『エマ』で。いいかな‥‥何の変哲もない名前だけど」
 バツが悪そうなセルジュの提案に、『エマ』は嬉しそうに微笑んだ。

●一つの選択と、二つの道
 ふわりと二枚の瑠璃色の羽根が水面に落ち、微かな波紋を作る。
「手を取った者と、取らなかった者。
 小さな選択は、二者の行く道を大きく別ち。
 そして時の川は道の狭間を、静かに隔てて流れていくばかり」
 浮かんだ二枚の羽根はくるくると回りながらゆっくりと離れ、遠く流れ去っていく−−。

 花に彩られた部屋で少女は一人、ぽつんと座っていた。
 調度に描かれた花。壁にかかった刺繍の花。布や石の細工で作られた花。
 それらを見回していたビアンカは、やがてガラガラと音を立てる馬車の車輪が家の前で止まった事に気付き、席を立つ。
「兄様‥‥?」
 扉を少し開け、様子を窺う。
 上品な衣装に身を包んだ兄の傍らには、豪奢なドレスを纏ったエヴァが寄り添っていた。
「兄様、おかえりなさい‥‥」
 遠慮がちに声をかけてみるが、ルークは妹へちらりと視線を投げるだけで。
「なんだ、まだ起きていたのか。早く寝ろ」
「‥‥うん」
 ビアンカが答えるのも待たず、やつれた兄はエヴァと共に背を向けた。

「眠らないの?」
 ピアノの前に座ったルークの肩に手を置き、優しい声でエヴァが問う。
「ああ。今はひと時でも、時間を無駄にする事がもどかしい‥‥こうしている間にも次々と新しいイメージが、こう‥‥泉の様に沸き上がってくるんだ。判るだろう?」
 熱にうかされたような目で彼女を見上げ、肩に置かれた細い指にルークは手を添えた。
「ええ、判るわ‥‥愛しい人」
 目を細めてエヴァが答えると、彼は漸く笑顔を浮かべる。
「君は、先に休んでも構わないが‥‥」
「いいえ。ここでこうして、貴方の曲を聞いているから」
 椅子を持ってきたエヴァが、ピアノの傍らに座り。
 そしてルークは、ピアノへと向き直る。

 兄の部屋から、絶え間なく流れてくる旋律。
 潜り込んだベッドの中でそれを聞きながら、ビアンカはぎゅっと拳を握った。

「あーっ、駄目だ!」
 苛立たしげに手を払えば、譜面の束がばらばらと散って、床に舞い落ちる。
「駄目だ‥‥何か足りない‥‥何が足りないんだ?」
 うろうろと歩き回って、ひたすら自問自答するセルジュ。その足元では、何も言わずにエマが散らばった譜面を拾い集める。
 入り口からそんな光景を見ていたキアラは、一つ溜め息をついてから部屋へと足を踏み入れた。
「そんなに焦らないで‥‥私、セルジュの奏でる音楽が好きよ」
 手を伸ばし、彼女も譜面を拾うのを手伝う。それを見て、やっと彼は彼女の存在に気付いたらしい。
「キアラ、来てたのか」
「邪魔するのも悪いかなって思って‥‥でも、邪魔だった? あ、ありがと。エマ」
 エマがまとめた譜面を受け取り、キアラは彼へ譜面の束を差し出した。
「確かに、親友がどんどん宮廷で名声を得ていると‥‥もどかしいかもしれないけど。だけど、その分だけルークはすっかり変わっってしまった」
 セルジュは黙って譜面を手にすると、眉根を顰めてそれを見つめる。
「私はセルジュの音楽は好きだけど‥‥ルークみたいに変わってほしくは、ないかな」
 二人の会話が聞こえている筈のエマは、穏やかな笑顔で部屋の片隅に控えていた。
「セルジュには、セルジュの音があるんだし。無理をしないでね」
 元気付けるように明るい笑顔をみせる幼馴染に、黙ってセルジュも頷き。
「あの、すみませーん!」
 ノックと共に戸口からかけられた声に、「私が参ります」とエマが部屋を出て行った。
「あの声‥‥ビアンカじゃない?」
「何かあったんだろうか」
 二人は譜面を置くと、すぐさまエマの後を追う。

「兄様の様子が、おかしいんです」
 椅子に座ったビアンカはいきなりそう切り出し、セルジュとキアラは顔を見合わせた。
「貴族の方とお付き合いがあると、そういう事もあるって聞いた事はありますけど‥‥でも何日もずっと、寝食も忘れたようにピアノに向かっているんです。優しかったあの兄様が、日毎に変わっていくのを見ていると、なんだかとても不安で‥‥」
 必死に訴える友人の妹に、二人は思案顔を浮かべる。
「病気‥‥とかじゃ、ないよな?」
「それは、違うと思います」
「じゃあ、何かしら‥‥」
 答えが出ないまま、悩む三人。そこへ、再び扉が軽くノックされた。
「俺が出るよ」
 扉へ向かおうとするエマを制して、セルジュが腰を上げる。
「どなたですか?」
 開かれた扉の先では見知らぬ青年が、笑顔で立っていた。

●人に寄り添うもの達
「初めまして、俺はノーマンです。何と言えばいいか‥‥皆さんは、妖精などを信じていらっしゃいますか?」
 突然切り出された三人−−ノーマンの希望でエマは席を外した−−は、不思議そうに顔を見合わせる。
「チェンジリングや、レプラホーンや‥‥そういった者達の事、だよな?」
「はい」
 セルジュの答えに、ノーマンはこっくりと頷く。
「実はその、あまり良くない噂を、風の便りに聞いたのです。『リャナン・シー』という妖精を、ご存知でしょうか」
 怪訝な顔をする三人へ、ノーマンは『命と才を替える妖精』についてゆっくりと語り始めた。
 若く美しい女の妖精で、男の前に現れる事。
 彼女を愛する男に詩や音楽に関する創造の霊感を与え、その代償に男の命を削る事。
 たとえ彼女を愛さなくとも、愛を得るまで傍で尽くし続ける事。
 魅入られた場合、退ける方法は他に気に入った別の人物が見つけるまで、彼女を受け入れない事。
 最初は疑わしげにノーマンの話を聞いていた三人だが、話が進むにつれて表情が強張っていく。
「彼女達から一度でも力を得てしまえば、逃れる術は皆無に等しいのです。甘い夢に浸るのか、自らを貫き続けるのかを選ぶのは取り憑かれた本人次第‥‥でしょうか」
「まさか‥‥ルークが? でも、折角成功しても死んじまったら、意味がないじゃないか‥‥」
 呟くセルジュに、ビアンカは茫然としている。
「兄様がいなくなってしまったら、私は一人ぼっちになってしまう‥‥どうしたらいいの?」
 その間にキアラは席を立ち、三人分のコートを手にした。
「何をぼーっとしているの!」
「え?」
 コートを押し付け、腕を引いて急かすキアラにセルジュが驚いた顔をする。
「え? じゃないわ。ルークの所へ行くわよ! ありがとう、ノーマンさん。教えてくれて」
 慌しく出て行く三人を、青年は何も言わずに見送り。
 それから、扉の陰に隠れるようにして立つエマへと目を向けた。
「では、俺はこれで」
 静かに席を立って家を出て行くノーマンを、エマはじっと見つめる。
 扉を閉めた彼は、ふぅと大きく息を吐いて、どこへともなく視線を投げた。
「向こうの方は、もう手遅れでしょうけれど‥‥これで、彼も気付けばいいのですが。俺のできる事はしましたし、そのように泣き声をあげないで下さい。後は、見守る事しか出来ませんから」
 吹き付ける風が、すすり泣く様に聞こえるのは‥‥果たして幻聴か、否か。

 不協和音が、響いた。
 視界がぐるぐると回転し、身体が椅子から転げ落ちる。
「ルーク‥‥」
 倒れた彼の手を、柔らかな手が握る。
 目を開ければ、いつもと変わらぬ愛しく優しい微笑みが彼を見つめていた。
「‥‥ありがとう、エヴァ。愛しているよ」
 その言葉を聞いて、微笑みは一層深くなり。
「エヴァ! ルークから離れろっ!」
 駆け込む足音と友人の声に、彼は視界を巡らせる。
「セルジュ‥‥ビアンカの事、頼む‥‥」
 目を閉じれば、聞こえてくるのは喝采。
 目蓋に浮かぶのは、打ち鳴らされる両手の数々。
 それは、彼の才能を賛美する−−。
 満ち足りた笑みを浮かべたまま息絶えた男の手を、『彼女』はそっと離した。
「エヴァ‥‥っ!」
 既に『彼女』の名でない名前を呼ぶ者を、静かに見上げて。
 すがる手も届かず、『彼女』の姿は透き通り、跡形もなく消え去る。
 そうして、兄を失った妹の慟哭だけが、後に残った。

 教会の鐘が、重々しく葬儀の開始を告げる。
 ルークを送る葬儀は、貴族達も列席する盛大なものだった。
 身寄りのないビアンカはセルジュが引き取る事となり、葬儀の間はキアラが彼女を慰めていた。
 一方、エマの手を借りつつ忙しく立ち動いていたセルジュは、不意に気付く。
 黒い衣装に身を包んだ者達が、あちらこちらで嗚咽する。
 その狭間から聞こえてくるのは、失われた才能を称え、惜しむ声。
「俺も‥‥ああなれるのか?」
 ぽつりと零したセルジュの呟きに、すぅと目を細めるエマ。
「貴方が私を望んでくだされば、貴方の音楽は多くの人々を感動させ、記憶に残るでしょう‥‥彼以上に、きっと」
「ルーク、以上に‥‥?」
 重ねて問う彼に、エマは優しく柔らかい−−そして、艶然とした笑みで答えた。

「彼もまた、然り‥‥ですか」
 見届けたように立ち上がると、ノーマンは重い扉を開けて教会の外へと出ていく。
 青年の後姿を見送る語り手は、静かに瑠璃色の翼を広げ。
「それが哀れか‥‥それとも幸運なのか。
 それは、恐らく誰にも‥‥彼自身にも、わからない事」
 羽ばたく音と共に、ひらひらと一枚の羽根が教会の椅子に舞い落ちて。

 −−葬送の鐘がまた、鳴り響いた。


●撮影は終了し‥‥
「お疲れ様なのだよ。撮影も終わった事だし、ゆっくりと最後のお茶を楽しむとしよう」
 レオンが最終日に用意したのは、クッキングアップルを使った出来立てのアップルクランブル。
 他にもショートブレッドやビスケットの籠が並び、アイルランド・ブレンドのミルクティーが仄かな香りを漂わせていた。
「アップルクランブルに合わせるソースは、カスタードですか? それともクリームか‥‥あと、アイスクリームもありますけど」
「どうしよう‥‥迷っちゃいます」
 取り分ける加羅に聞かれて、セシルが目移りしている。
「経緯はともかくとして、ゴールデン特番にふさわしい、いいドラマになってるといいわね」
「そうですね‥‥」
 アイリーンの言葉にさえはほぅと湯気を吹いて、暖かい紅茶のカップを口へと運んだ。

「火、いるか?」
「いや、大丈夫だ」
 流に断り、煙草に火を点けた月は、溜め息混じりに紫煙を吐き出す。
「落ち着いたところで、流に一曲リクエストしたいものだが‥‥」
「煙草、咥えたままで‥‥とか、言うか?」
 灰皿に灰を落とす流に、月は小さく笑う。
「いや、吸い終わってからでも構わんが。それにしても、あの二人は‥‥大丈夫なんだろうか」
「あ〜‥‥そういえば、例の遺跡の一件は、なんか言ってたか?」
「いや。風音と一緒に聞いてみたが、思いのほか口が堅くてな」
「へぇ? よっぽど、言いたくない事でもあったのか‥‥」
 呟きながら、ぷかりと流は煙を宙へ漂わせる。
「で、当の本人達は?」
「ハツ子さんとフィルゲンさんなら、さっき話をしていたよ」
 二人の元へ紅茶を持ってきた風音の言葉に、「マジ?」と流は目を丸くし。
「聞きに行かないのか」
「そこまで、私はヤボでもないよ」
 問う月に、彼女はにんまりと笑ってみせた。

「‥‥で? どうしたの?」
 短い言葉で用件を聞くハツ子に、フィルゲンは緊張気味にこほんと一つ咳払いをした。
「実は‥‥一つ話しておかねばと、思ってね。その‥‥僕がいろいろとややこしい親戚構成にある事はハツ子君も既知の事だから、その辺りの更に込み入った話はまた別としてだ」
 疑問の表情でハツ子は首を傾げながらも、その先を待つ。
「え〜‥‥個人的には、認めるのは非常に残念な事でもあるのだけど、僕らは製作者としてはまだまだ‥‥世界には及ばず、通用しないレベルだと思うんだ。映画どころかテレビドラマしか撮らず、今回のゴールデンの件にしても僕らの実力で勝ち得た枠だと、胸を張れる訳でもない。
 だから‥‥もしハツ子君が、女優として大成を望むのであれば‥‥僕に関する決断を、躊躇う必要はないからね。僕は、君の足を引っ張りたくはない」
 言葉を切ると、フィルゲンは深く大きな息を吐いた。
「そういう意味で、君の気持ちの返事は「Ja」であり「Nein」でもある。だから、これは‥‥僕からのお願いだ。恋人と呼ばれる間柄になっても、どうか君は君のままで在って下さい」
 しどろもどろで不器用な返事にハツ子は「バカね」と呟き、小さな笑顔をみせた。