蛇、ヘビ、へび! 参アジア・オセアニア
種類 |
シリーズEX
|
担当 |
龍河流
|
芸能 |
2Lv以上
|
獣人 |
1Lv以上
|
難度 |
やや難
|
報酬 |
4万円
|
参加人数 |
8人
|
サポート |
1人
|
期間 |
04/11〜04/17
|
前回のリプレイを見る
●本文
着ぐるみ劇団『ぱぱんだん』の笹村家では、特注蛇芝居の練習の合間に日頃の仕事も行っていた。そうした仕事の商店街での風船配りが終わって、自宅に戻ってきた笹村カンナはなにやら唸っている。
「ちゅくだい〜」
この様子を見て、兄の睦月が何事かと首を傾げている。とっくに短大も卒業したカンナに、どんな宿題があるのかとんと見当がつかないからだ。
教えたのは、カンナと同じ部屋で寝起きしている初美だった。
「この間、人の膝に乗るじゃないと怒られたらしいわよ。ついでに自分の好みのタイプを考えろって言われたみたいね」
「誰かの膝に乗ってたか?」
「前にやってたでしょ。すすき野のお姉さんじゃないんだからって心配されたみたいだけど」
ここで、睦月と初美の意見は一致していた。あれは『子供と子供好きのじゃれあいだ』と。ただし普通の家族はそういう納得はしないだろう。なんといってもカンナも一応は二十歳過ぎの娘である。
「卯月が、また毎年の怒りの発作を起こしていたようなもんか」
「今年はわざわざ指摘されたからねぇ。諦めればいいのに」
「お前にだけは、言われたくないぞ」
カンナの宿題とは別に、笹村兄弟の従弟の漆畑卯月も先日暗く怒っていた。彼は四月末の生まれで、そのせいで名前が卯月になっている。予定日より三日早く生まれたせいで男女の区別がつきにくい名前になったと、毎年四月に入ると愚痴っているのだ。
ちなみに卯月には皐月という大学生の姉と、弥生という中学生の妹がいる。『ぱぱんだん』の孫世代の中で、生まれ月と無関係の名前は初美だけだ。確かに彼女には言われたくない。
そんな事情なら別に構う必要もないかと、睦月はせっせと片付けを、初美は蛇芝居の見積もりの確認を始めた。後から居間にやってきて、姉の尻を蹴飛ばして片付けを促した葉月は台所に向かっている。いつもの光景だった。
いつもの光景でなくなったのは。
「にーに、あたちもねーねみちゃいに、ぎょーこんいっちみちゃぁい」
カンナがそんなことを言い出したからだった。
ぽややんとしていて、美味しいものをご馳走してくれる人はすべからく善人だと思っているようなカンナが合コンに行っても、ろくなことにならないのは目に見えている。初美が出掛けていくのに誰も文句を言わないのは、彼女が空手の有段者で飲んでも隙が出来ないのと、家で飲ませると酒代がかさむからだ。家に帰ってくるまでは一見正気なのに、時々記憶が飛ぶ始末の悪いところはあるものの、ちゃんと帰ってはくるのでまあ見逃されている。
それはさておいても、うわばみの初美も、底なし胃袋のカンナも、どっちも合コンで見初められる確率は低いだろうなと睦月は思っていたりするのだが、世の中には言わないほうが平和なことは幾らでもあった。
「変なのに引っかかったら困るから駄目だ」
兄として、家族の平和を選んだ睦月が断言すると、初美が同調した。
「そうね。カンナが悪い男に騙されでもしたら、お父さんと睦月と葉月が黙っちゃいないから流血沙汰よ。あたし、血まみれの死体を前に途方にくれるのだけは嫌」
なにやらとんでもない言われようであるが、睦月の返事もふるっていた。
「心配するな。裏山は全部うちの地所だ」
「穴掘りは手伝わないわよ」
そういう問題ではない。まったくない。
「ちょか。らめきゃ」
でも、カンナはまったく気にしなかった。また唸っているのは、自分の好みがどういうものか考えているのだろう。今まで考えたこともなかった、カンナ二十三歳である。
しばらくして、夕飯を作った葉月が居間に戻ると、いつも通りにパンダの姿をしているカンナが台本片手に殺陣の練習をしていた。悩むのは止めたらしい。
「姉貴、兄貴と姉ちゃんは?」
「げきゃにょ、きょーかうおんにょきゃくにーしちる」
「あー、凝った効果音作ってもらったよな。あの音でボスキャラに『この恨みー』って叫ばれるとおっかねえんだ」
「うお〜んちぇ、ぽえらりち」
「ぽえるって、詩でも書くのかよ」
カンナと葉月も、殺陣の練習をしながら会話に興じている。ものすごくいつもの光景だった。
「考えたけど、いい人がいい」
夕飯の時に、『好みの男性』に『いい人』と答えを出したカンナが両親兄弟どころか、夕飯に呼ばれていた祖父母ズにも取り囲まれて『そんなことでどうする』と言い募られたのは、これよりしばらく後のことだった。
こんなことがあっても通し稽古の日程に、当然だが変更はない。
●リプレイ本文
●録音風景
「場所を借りないで済むのはありがたいが‥‥ブルジョアめ」
「練習場所を借りると、人の目とか不都合が多いだろ。土地があるから自前で作って貸せば、幾らかの収入にもなるし。うちは、多角経営なんだ」
着ぐるみ劇団のくせに生意気な。とまでは言わなかったが、三田 舞夜(fa1402)のさりげない一言に笹村睦月は律儀に返事をした。副業でコンビニエンスストアもやっているのだから、確かに多角経営だ。ポム・ザ・クラウン(fa1401)は、コンビニでもアルバイトをしたことがある。
しかし、本日のお仕事は蛇演劇『瑞草蛇精奇譚』の台詞録りだ。音響監督マイヤー、助手にダミアン・カルマ(fa2544)を採用して、出演順に録音に臨む。全員揃えると、人数が多すぎて雑音発生の元なのだ。
ポムや蘭童珠子(fa1810)は人間姿での台詞もあるが、そこだけ肉声では客席での聞こえ方が随分と異なるので、結局録音。どちらも二役なので、声の切り替えが出来なければ笹村初美が呼ばれるところだったが、その点は心配なかった。男性の声で足りない部分は、蓮城久鷹(fa2037)の友人の火野坂・猛が代役で入ってくれている。ヒサ本人は、タイムキーパー兼台詞の長さの確認で居続けだ。
「息継ぎ、ここ」
相変わらず地道に生真面目に、台本に息継ぎするタイミングまで書き込んで、藤田 武(fa3161)が台詞の練習をしている。マイヤーは厳しいことを要求はしないのだが、当人がきちんとしたいのだろう。
半獣化と完全獣化の姿があるリュシアン・シュラール(fa3109)は、その姿を見て、念を入れて舞台上の姿と合わせた状態で録音に臨むことにしたようだ。演技力云々ではなく、牙のあるなしで呼吸の気配が変わるとか、そう言うことらしい。
中松百合子(fa2361)は完全獣化で、一度にたくさん続く台詞を読んでいたが‥‥まれに舌がもつれるので、睦月や葉月の台詞を入れて、間の調整をすることになった。さすがに睦月と葉月は慣れているので、細かい指示は必要ないが‥‥割と口調は一本調子だった。タマと双子パンダ妖怪のカンナは、声色も抑揚も変えて、絞め殺されそうな悲鳴付きの大熱演である。じい様ばあ様は、口調が見事に『年寄り』ながら、声量は立派。
録音そのものはだいだい順調なのだが、なにしろマイヤー本人も台詞があったりする上に、全部で十五人十八役の大所帯だ。マイヤーとダミアン、ヒサの苦労は並大抵ではない。
●『瑞草蛇精奇譚』の壱
『それは昔々のお話です。
この村は、悪い妖怪達に狙われて、今にも滅ぼされそうになっていたのでした。そのとき、蛇の精がやってきて、悪い妖怪達を封じ込めてくれました。だから村の人々は、ずーっと蛇の精を奉って暮らしていました』
村人A「良いか、そういうわけじゃから、蛇の精様の祠にお供え物を欠かしてはいかんぞ」
村娘B「あい、おそなえですね〜。‥‥隣の村までお買い物、あたち行っていい?」
村人C「お前が行くと、つまみ食いで村に帰る前に荷物がなくなるからな。香鈴、悪いが行ってくれるか」
香鈴「あいよぉ。オラ、気をつけて行ってくるだヨぉ」
村人D「知らない人に会っても、村に入れたら駄目なのよ」
香鈴「わかってルだヨぉ。村に悪いモノ入ったら、大変だべナぁ」
『平和な村には、蛇の精の結界のおかげで悪い妖怪は入ることが出来ません。
けれどもその頃、悪い妖怪が封じられていた洞窟のあたりでは‥‥』
猫梢「ようやく封印を破ることが出来たが、蛇の奴め、瑞草園には結界を張っておるか。ふむ‥‥ちょうどいい、誰か出てきたな。おいっ」
アライグマA「はい、猫梢様」
アライグマB「なんでしょう」
猫梢「お前達、あのけったいな姿の娘をちょっと驚かせてやれ」
アライグマA・B「はいっ」
●トレーニングは全員で
舞台上に立つことなく、裏方仕事を引き受けているダミアンは、録音や通し稽古の合間に作っているものがあった。以前から趣味で作り溜めていた分と合わせて、登場する動物のミニフィギュアだ。芝居当日の受付に飾ったらいいのではないかと持ち込んで、これから蛇を作るところである。
ここで、ふと思ったことがあった。
「あのさ、獣化すると身長はどのくらいになるのかな?」
「そういえば、かなり長いとは思いましたが、具体的に何センチかは考えたことないですねぇ」
息抜きで葉月と一緒におやつのチーズタルトを作っていたルカも、わざわざ尋ねに来たダミアンの問い掛けに首を傾げた。初回の通し稽古で睨み合ったので、相当身長が伸びているのは分かるが、実際に何センチなのかはちょっとよく分からない。
ダミアンはフィギュアの大きさが本物と似るようにと確認しに来たのだが。
「俺が四〇五センチ、兄貴が四一六センチ、姉ちゃんは俺よりでかくなって四一〇センチだな。元の身長は百七十八、百八十、百六十五な」
この間、試しに測ってみたと葉月はあっけらかんと言うが、身長の二倍以上である。スモークの準備は念入りにしようと思ったダミアンだった。
ルカは、どうりでぐるりと巻かれても余裕があるはずだと、思わず納得している。本気で締め上げられたら、完全獣化状態でも大変なことになるかもしれないが、鬼監督の細かいご指導には『全力で絞める』は入っていない。それでも苦しんで見せるのが、ルカの演技のうちだ。
ダミアンは、『四百センチの十二分の一』と呟きつつ、電卓を探しに居間に戻って行った。戻ってみると、フィギュアの色塗りを手伝ってくれていたはずのタケが、タマやポム、ユリにカンナと一緒に柔軟体操の最中だ。現在マイヤー、睦月と録音した台詞や効果音の確認作業に忙しいヒサが、全員分を作ってくれたトレーニングメニューの一つである。裏方のダミアンの分もあって、健康と体力維持のためだそうだ。
ただ、なんで今いきなり柔軟かと言えば。
「だってほら、おやつの前に少し動いたほうがカロリー消費されるって初美ちゃんが」
「きゅーちゅーがよきゅにゃるでちゅよ、姉御」
「ねえカンナちゃん、どうして姉御だけちゃんと発音するの?」
「それより、ちゃんと話せるんなら、普段からそうしなきゃ」
タケは明らかに巻き込まれているだけだが、女性陣は細やかな事情があるらしい。ただし初美の言い分が正しいかどうかは、色々と論議があるのかもしれなかった。
なお、ユリが皆に姉御と呼ばれるのは、マイヤーが『これだけは譲れん』とそう呼ぶからだ。理由は不明だが、次々伝播してユリは通称『姉御』である。当人がどう思っているかも不明ながら、すでに定着していた。でも役柄はルカの配下の下っ端の一人だった。タケと二人でアライグマズと呼ばれている。
ちなみにこのアライグマズが、日頃は裏方職のせいで柔軟体操の割合が最も高い。難しいことは要求されない分、怪我のないように体をほぐしておけと言うことだろう。
対して双子パンダのタマとカンナ、それと風狸のポムは、蹴りなどの動きが入るので、柔軟以外のメニューも盛りだくさんだった。特にタマとカンナは二人がかりで蛇の精に向かうため、細かいところまで息の合った演技をするべく練習を積み重ねているはずだが‥‥
「どうしても、僕にはリラックスしているように見えるんだよね」
「大丈夫、私にもそう見えるわ」
おやつの話で盛り上がりつつ、蛇の精への攻撃をおさらいしている二人には緊迫感はまったく漂わない。そもそもさっきまでは、ユリが持ってきた浅草土産のせんべいと雷おこしを摘まんでいたはずだが、話題はチーズタルトに一直線だ。
いつもの事ながら、これが栄養士の資格があるポムには頭痛の種らしい。特にカンナ。でも、日頃は一人暮らしで自炊しても作り甲斐がないと、ほとんど合宿生活のノリの仕事における楽しみを主張するダミアンとタマに、なんだか元気になって頷いていた。
同じ部屋の端では、アライグマズが疲れた表情で渋茶をすすっている。
その頃の音響監督と舞台監督と全体進行監督は。
「舞台の動きに合わせて、こっちで台詞の音出しは調整するが‥‥、多少ずれることがあるかも知れんぞ」
「タケ、姉御、あんたのところがずれなければ、多分大丈夫だろう。言っちゃ悪いが、他は舞台に慣れてるからな。多少のことで動じないさ」
問題ないだろうなとヒサに念押しされた睦月も、おおむね問題なしと頷いた。日頃から着ぐるみ劇団で録音に合わせた演技をしている彼らは、ちょっとのずれは誤魔化すことが出来る。台詞と台詞の間も少しずつ余裕を持たせてあるから、よほどのことがなければ見るからにおかしいなんてことにはならないだろう。
とはいえ、問題がないわけではなくて。
「お茶にしましょうって、初美さんが。その後はメイクと鬘を着けて調整です」
今日はチーズタルトにしましたと、ルカが彼らを呼びに来て、相変わらず豪勢なおやつを告げた。実はマイヤーも空腹で力が出ないのは困ると思っていたが、買うには至っていない。なにしろ、食べ物は豊富だ。
そうして、ヒサは言うのだった。
「食べすぎで太るのだけは勘弁してくれよ」
もちろん、全員に向かってだ。
●『瑞草蛇精奇譚』の弐
ユリとタケの演じるアライグマ妖怪が、大きなリボンを揺らして歩いていたポムこと香鈴とすれ違いざま、持っていた棒で足を引っ掛けて転ばせた。前転の要領で、景気良く転がる香鈴。
「なにするダよ〜、あーっ、人間でねェナ」
「ふっ、ばれちゃ仕方ない」
「お命ちょうだいっ!」
アライグマズが、それぞれに棒を振りかぶって香鈴に殴りかかる。と言っても、その姿はまるでスイカ割りの小学生のように、あっちとこっちを向いて本当に棒を振り下ろしても当たるとは限らない姿勢だ。
それでも二人がえーいと棒を振り下ろそうとした時、その棒をひょいと掴んだ者がいた。ルカ扮する猫梢だが、この場ではまだ人間姿だ。それでも藍色の鬘に隈取された化粧と、明らかに普通の人ではない姿をしている。普通の人の場合は、帯やリボンがコミカルなほどに大きいのが特徴なのだ。
「大丈夫ですか、お嬢さん」
「あ〜れ〜」
助けられたことに気付かずに、悲鳴を上げている香鈴を見て、アライグマズはすたこらさっさと逃げていく。去り際に、ようやく思い付いたように振り返って『覚えてろよー』と叫んだが、これは見事に棒読みだ。いかにもわざとらしい。
アライグマズが役目を果たしていなくなると、猫梢は香鈴を助け起こした。歯の浮くようなお世辞の数々が出てくるが、香鈴は大喜びで謙遜するどころか、喜んでいる。素直と言うより、お間抜け。
「あんれま、怪我してるでねェか。手当てせねば」
「しかし、届け物の最中なのではありませんか。ご迷惑になっては」
そんなことない、一緒に村まで来てくれればと勧められて、猫梢はにやりと笑った。怪我をした腕には赤い布が巻いてあるだけで、いかにもうそ臭いが香鈴は気付かない。そのまま猫梢をつれて村に入り、腕に包帯をぐるぐる巻きにした。
そのお礼にと猫梢が差し出したのが、これまた真っ黒で薄気味悪い袋に入ったお香である。
「火にくべるとよい香りがします。ぜひお供えに加えてください。確かこちらの祠には、蛇の精が奉られているのでしたね?」
「よく知ってるダナ。昔、悪い妖怪を退治した偉い蛇様だヨ」
言葉巧みに香鈴を騙した猫梢が、祠の前で疫病の元を撒く。途端に周囲は暗くなり、祠にもなにやら黒いものが巻きついた。
「何事です、このようなことをするのは!」
タマ演じる祠を守る巫女の玉蘭が登場するも、あっという間に猫梢に捕らえられた。何事かと呆然としている香鈴の前で、猫梢の頭に獣の耳が現れた。
「香鈴、お逃げなさい。この者は蛇の精様が封じた妖怪です。早く村の皆にっ」
捕らえられても村人を案じる玉蘭の声に打たれて、泣きながら香鈴が逃げていく。けれども猫梢はそれを追うこともしなかった。代わりに祠はどんどんと黒く染まっていき、玉蘭は力を失って倒れていく。
「蛇精様が、お前達をまた封じてくれます」
「ふふん、今度は奴らが封じられる番だ」
高らかに笑う猫梢の足元に、玉蘭が苦しそうにうずくまる。
疫病の発生だった。
場面が変わり、村人達が疫病で苦しんでいる。その村人達の間を、マイヤーの下っ端狼とタケ、ユリのアライグマズが歩き回っては、村人を棒で小突いたり、蹴ったりしていた。
「よくも俺達を封じてくれたもんだな。今度はお前達が痛い目を見る番だぞ」
下っ端狼が、それはそれは嬉しそうに言うのだが、村人達は苦しんでいるので返事がない。それに腹を立てて、下っ端狼が村人を踏みつけようとした時だった。
「止めないか、この村で悪事を働くことは許さん!」
凛々しい声が、妖怪達の動きを止め、更に次の瞬間には、どうした加減か妖怪達は吹き飛ばされるように転んでいた。
「出やがったな、蛇どもめ。親分が痛い目を見せてくれらぁ!」
「覚えてやがれー」
「親分は強いぞー」
逃げていく妖怪達を追うより先に、村人を助け起こしたのは、逆光のライトで影になっていたが‥‥人にしては奇妙な姿をしていた。
●幕間の裏側
第一幕の時間は、おおよそ三十五分。子供の集中力と、専門の劇場ではない場所での上演という条件を考えると、このあたりで休憩が適当だろうと皆は思っていた。この間にポムとタマ、カンナは獣化して、それまでの衣装の上に妖怪用の衣装を着る。あちこち止める場所があって、下の衣装は見えない作りだ。初美と獣化しっぱなしのユリが着替える手伝いに入っていた。
そうしてもちろん、舞台監督の厳しいご指導が飛ぶのである。
「マイヤーがあんまり楽しそうなんで、タケ、あんたが目立たない。あんなに派手に楽しそうでなくてもいいから、もうちょっと動きは大きくな。姉御は、ちょっと上品過ぎ」
「がさつにやればいいの?」
「出来るんなら、やってくれ」
「うんと大きくやっても、誰かにぶつからないかな?」
「立ち位置を間違えなければ大丈夫だ。あんたの位置指定は青だからな」
さらに合間を縫って、ダミアンが皆持っている武器を点検し、客席部分からの見栄えがいい角度を教えている。立ち位置の印に床に貼り付けたテープが剥がれそうなところも、短時間で補修だ。しばらく出番がない金一じい様とばあ様達も確認に動いているが、ここの責任者はダミアンである。
獣化しっぱなしの笹村兄弟は、練習の場が実際の舞台よりちょっとばかり狭いので、けっこう邪魔。部屋の隅で器用に小さくまとまっている。衣装もかなり長いので、それも手元に手繰っていた。
その前を、音響監督に戻った狼姿のマイヤーが駆け抜け、ダミアンや虎太郎、由美と第二幕の音響と照明の確認をしている。第二幕はスモークやドライアイスの使用が多いのと、ライトの加減で蛇の姿を影にする方法が多用されるので、タイミングが命だ。いざと言うときのために、初美が舞台の下部を隠す布を用意して、卯月と共に控えていた。卯月はなぜか村人役と、こうした細かい裏方作業が担当である。
後は、妖怪達に生贄にされるミニブタのブーとフーが部屋の端のケージに入れられていた。
ここでもタイムキーパーを兼ねるヒサが、ストップウオッチを見て、よしと口にした。
「時間はOKだが、当日は客が入るからな。そちらの対応も要るんで、次はもう一分時間を減らそう」
時間が減らせない場合には、ミニブタの代わりに卯月が生贄役だが、当人はユリやポムに運ばれるのに抵抗があるらしい。でも、誰もそんなことは気にしてあげなかった。
とにかく、第二幕が始まる。
●『瑞草蛇精奇譚』の参
玉蘭の祈りが届いてやってきた蛇の精兄弟だが、村に何が起きているのかはよく分かっていなかった。本来蛇の精と対話する巫女はさらわれているし、村人は疫病で苦しんでいる。
けれども、まずは村人を助けようとした兄弟の前に進み出てきた者がいる。
「以前にお会いした蛇様とは違うようですじゃが〜、蛇様に封じてもらった妖怪が蘇ってしまいましたですじゃ〜」
見るからに老人だが、妙に身軽く歩いてきたのはこの周辺の土地の仙人である。蛇の精の結界が緩んで村の中に入れるようになったので、何が起きたのかと様子を覗いていたのだ。蘇った妖怪の姿を聞いて、兄弟は相手が誰か分かったようだ。
「爺様が封印した猫の妖怪に違いない」
「手下がいたはずだが、仙人殿は見なかったか?」
狼とアライグマがいたのを聞いて、蛇兄弟は妖怪がいるであろう洞窟へと向かう。もちろん、ほんのちょっとの距離ながら、胴体や尻尾が見えている。もちろん、一度に全部は見えないようになっていた。
ところが、それほど行かないうちに彼らの前に立ち塞がった者がいる。アライグマズを従えた風狸である。その高笑い、ふんぞり返りっぷりともにめちゃくちゃ偉そうで、香鈴と同じポムには絶対に見えない。
背後のアライグマズは相変わらずコミカルな動きだが、今回は大きく膨れた袋を抱えていた。バランスを取るのが大変でよろよろする姿が、哺乳類好きにはたまらなく可愛く映るだろう。ユリとタケは身長もけっこう差があるので、一緒に袋を支えるのはなかなかバランスが取れないのである。
睨み合う蛇兄弟と風狸、アライグマズ。しかし目指す猫の妖怪ではないだろうと指摘されて、風狸がぷちっとキレた。アライグマズに指示して、暴風を吐き出す袋の口を開けさせる。吹き出す暴風に、動きが取れない蛇兄弟を笑っていた風狸だが、ふと気付くと風の方向があっちを向いたり、こっちを向いたり。
「こしゃくなっ、蛇のくせに!」
風袋が操れないのは、単にアライグマズがバランスを取り損ねて、風の勢いに振り回されているからだ。そのうちに二人で動きが絡んでしまい、仲良く地面に抱きついている。
おかげで風狸は円月刀を振り回して蛇兄弟に踊りかかったが、そもそも相手は四メートルはあろうかと言う巨大な精霊だ。あいにくと一メートル半ちょっとの風狸には荷が重い。兄の尾っぽで足を弾かれ、コロコロと転げていったところを弟の牙で噛まれるところだったが‥‥その前にくたりとへたばってしまった。揺すっても、軽く叩いても反応はない。
「ぎゃー、風狸様がー」
「助けてー、誰かー」
アライグマズがわきゃわきゃ騒ぎ立て、蛇兄弟にちょっと脅かされると猫梢からその配下のことから全部喋り捲る。
そんなことをしているうちに、するっと出てきたのが双子パンダ。タマが魔童、カンナが乱童だが、どっちがどっちか分からない。
「風狸ごときを倒して」
「いい気になるなよ」
「我らがいる限り」
「猫使用様の元へは行かせん」
甲高い声で宣言するや、風狸に劣らぬ素早さで攻撃を仕掛ける。今度は二対二なので、蛇兄弟も連携が取れずにいささか苦戦気味だ。
しかし、この双子パンダは左右対称ながらもほぼ同じ動きで攻撃してくる。たまに違っても、乱童が魔童より飛び上ったりするくらいだ。つまり、攻撃を読むのが案外と簡単。それでも、素早く走っていって蛇の尻尾を蹴ったり、八稜錘で攻撃したり、簡単には捕まらない。
この間に、アライグマズは風狸を取り戻して、息を吹き返した風狸が蛇兄弟にあっかんベーをしながら揃って退場していく。漏れ聞こえるのは、猫梢を呼ぶ声だ。
「もうすぐ猫梢様が来るぞ」
「そうしたら、お前達が封じられる番だ」
「「その前に、息の根を止めてやる!」」
威勢の良い掛け声が重なって、魔童と乱童が蛇兄弟に八稜錘を叩き付けるが、それは相手の手に握られてしまった。動きが見切られた、というやつである。
これまで以上に甲高い悲鳴がして、双子パンダが仲良く転がりながら退場する。途中、魔童が乱童に乗っかって潰してしまったが、退場完了。
やがて、舞台は最終決戦の場へと移るのである。
●調整
資料用に撮影したビデオ映像を確認して、ヒサが行儀悪く舌打ちした。一緒に画面を覗いていたダミアンも、難しい顔である。まだ獣化したままのタケが、何事かと首を傾げているが、その可愛らしい姿で和むわけにもいかなかったらしい。
「ドライアイスじゃ足りないか‥‥舞台手前に岩でも置くか」
「作るのは出来るけど、そうすると転がるところが見えにくいから、ライトかなぁ」
ドライアイスの霧で隠している蛇の胴体が、空気の流れで見えてしまっている。当日は観客がいるから、もっとどうなるか分からない。今の段階で問題なところは、どうにか解消しておく必要があるのだが‥‥何しろでかいので、隠すのも一苦労だ。
タケにマイヤーも入って四人で唸っているところへ、ユリと初美が加わった。しばらく画面を眺めていて、ユリが提案する。
「衣装の丈、もう少し伸ばしたらどう? あと、二人がよければ胴体にも何か塗って機械らしく見えるようにするとか」
衣装は今からでも直せるしと初美も頷いたので、試しに衣装の裾に布を足して、問題のシーンをやり直す。魔童と乱童が今度は転がりざまに激突したが、パンダなので丈夫だった。多分。
「当日の会場の目張りの準備も考えておくね」
タケは丁寧にメモを取っている。マイヤーは風を作るのに扇風機を増やしたときの、音響への影響を考えているようだ。どちらも獣化したままではある。
やり直した結果が大丈夫そうなので、最後の山場に移る。
●『瑞草蛇精奇譚』の終わり
猫梢が蛇兄弟封印のための儀式を行っている洞窟の前で、下っ端狼が端から苦戦していた。下っ端狼も体格が良いいかにも強そうな妖怪だが、なにしろ相手はさらに大きい。数も倍。他の手下どもがやられてしまったので、一人で洞窟を守らなくてはならないのだ。
しかし、下っ端狼はどう見ても不利だが、とても威勢がよかった。
「この野郎、痛い目に遭わないと判らねェみたいだな」
悪役全開の台詞回しで、やっぱりあまり強くなさそうな動きで蛇兄弟と戦っている。言うことは威勢がよいが、動きが伴わないのだ。そういう場面なので、これはこれでよい。
と、武器を叩き落とされた下っ端狼がこれまでと一転して『勘弁してくれ〜』と情けない悲鳴を上げたところで、あたりに稲妻の音が轟いた。同時に、洞窟の入口から飛び出してくる影がある。軽く二メートル余りを飛び上がって、宙で回転してから現れたのは完全獣化の猫梢だ。先程と衣装と声、武器は両刀になったが同じだから、見間違うことはない。
この隙に、下っ端狼はすたこらと逃げ出している。
「ここまで来られたことは褒めてやろう。だが、今度封印されるのはお前達だ」
岩の陰になっているトランポリンを使って、縦横無尽に飛び回り、長穂剣を繰り出してくる猫梢の動きには、今度こそ蛇兄弟もついていけなかった。体長では蛇兄弟が大きく勝るが、俊敏さは猫梢のほうが数倍上だ。また猫梢は武器の使い方も独特で、捕らえられそうになってもするりとかわしてしまう。
「我が剣で、永遠の煉獄へと繋いでやろう。我が苦しみの欠片なりと思い知れ!」
猫梢の一撃で、兄が音を立てて崩れ落ちた。
その体を踏み台に、猫梢が弟に向かおうとした瞬間、兄の尾がその足に巻きついた。それでも猫梢は弟へと長穂剣を繰り出したが、これは弟の掌で受け止められた。血の代わりに、真っ赤な布が垂れ下がる。
「なにっ、我が剣を受け止めるとはっ」
「肉を切らせて骨を絶つ、まさにそのままだな」
苦しそうな弟の言葉の後に、兄が何か呪文を唱え始めた。それを聞いた猫梢が苦しみ出し、やがて断末魔の叫びを上げて岩陰に姿を消す。兄がそこから拾い上げたのは、なにやら模様の入った平べったい石のようなものだった。
これにて、妖怪封じはようやく終わったのである。
そうして。
「オラが、オラがっ」
「蛇の精様も許してくださったのだから、泣かなくてもいいのよ」
蛇兄弟によって助け出された玉蘭が、生贄にされそうだった小ブタ達を抱えて香鈴を慰めている。その近くでは疫病から救われた村人達が、蛇兄弟を拝んでいるが‥‥小ブタ達は生贄にされかかったときよりひどい声で鳴き叫んでいた。蛇兄弟が恐ろしいらしい。
その鳴き声を口を押さえたりして小さくし、皆でにこやかに手を振って、舞台袖に消えていく蛇兄弟を見送ると終幕だ。
ゆっくりゆっくり、蛇兄弟が帰っていく。
●上演時間七十分
通し稽古の時間を確認して、鬼監督ヒサが満足そうに頷いた。その横では、最終シーンの蛇の移動音が会心の出来だったマイヤーが音のフェードアウト具合に親指を立てている。ダミアンも小道具類の確認をして、これといった問題が見付からずに胸を撫で下ろしていた。
同様にユリは皆が外した鬘を集めて、ゴミを取り除いたりしていたが、その手伝いをしているタケは容れ物を運びながら足元がふらついている。どうも緊張が途切れて、膝が笑っているようだ。タマも膝を抱えているが、これはカンナと激突したせいである。
「お疲れ様。難しい話の前に、お茶にしましょう。水分取らないと」
「稲荷寿司もあるよ。材料はマイヤーさんのおごりだからね」
ルカとポムと葉月が作っておいてくれた桜海老入りの稲荷寿司を持ってきた。ポムの説明にありがとうとマイヤーを拝んだ何人かがいたが、そこまでせずとも手洗いうがいをしてから、全員いただきますの挨拶はちゃんとした。疲れたときの美味しいものは嬉しい。
ここまではほのぼのとしていたし、稽古もうまくいって誰もがいい気分だったのだが、タマの腹話術の相棒キーちゃんが、カンナに稲荷寿司を半分あげた睦月を見てこう言った。
『カンナが嫁にいくまデ、彼女は作れソウにないナ!』
「今時は、嫁に行くなんて言わないのよ」
めっとユリがキーちゃんと叱ったが、その様子を見た人々の大半は思っていた。
姉御、ツッコミどころはそこじゃない。
または。
あれは腹話術、あのタマの腹話術‥‥
なんにも気にせず食い気に走ったり、睦月の心中を気にせず腹を抱えて笑っているのもいたが‥‥通し稽古は無事に終わったからいいのかもしれない。
今の調子なら、きっと依頼人も満足してくれるだろう。
本番はもうすぐだ。