ようこそ久遠ヶ原学園へ。 当学園の校風は自由を重んじ、学園生徒の自活と創造性を豊かに保つ 教育方針を掲げています。 入学から卒業までの学園生活で、皆様が心身共に豊な実りある経験を積まれる その一助となれますよう、わたくし達生徒会も鋭意サポート体制を整えております。 学園生活で何事かお困りの際には、よろしければ是非、ご相談くださいませ。 久遠ヶ原学園生徒会長・神楽坂 茜 |
‥‥と、まぁ会長の立場上かたっくるしくなっちゃってごめんな。 実際のとこは校風の通りこの学園には色んな、まあちょっと変わった人が多いねん。 自由なとこやからあんたも自分の好きなように生きるとええよ。早くこの学園に慣れて馴染めると良いな。 楽しい学園生活を送れるよう祈っとるで。 久遠ヶ原学園生徒会会計・大鳥南 |
小学校から大学院まで設置されている、撃退士を養成するための学校です。
かつては「久遠ヶ原撃退士養成学園」の名で軍隊顔負けの厳しい訓練が行われていましたが、訓練を徹底すればするほど成果が上がらないことから方針を転換、それと共に「久遠ヶ原学園」と名称を変えて新体制へと移行し、現在のような自由な校風になりました。
学園は茨城県の東、もともとあった小島の周辺を埋め立てて造った人工島に設立されており、都道府県としても茨城県に属しています。
学園に入るためには電車かバス・タクシーなどを利用する必要があります。
学園生徒は、一部の上級生徒を除くほぼ全員が寮生活をしています。
久遠ヶ原学園は設立の経緯及び立ち位置の重要性からすれば意外なことに、いわゆる国立の学校の区分に入らず、久遠ヶ原という学校法人が経営する私立しての区分を持っています。
そして実際は、私立としての縛りはおろか、条例や法律としての縛りを超越することも多いようです。
これは、異世界の住人と戦う学園という存在が法律の想定の範囲を大きくこえたものであり、国際的な結びつきも強い為、日本国内の法律では裁ききれないという、一種の統治行為論が展開されているためであるといわれています。
新体制下の学園の卒業生はまだそれほど生まれてはいませんが(2011年当時)、そもそもが撃退士を育成するための士官学校としての機能を学園が持っている性質上、上位層は一流企業お抱えの撃退士になったり、フリーランスの撃退士となって事件解決にあたることが多いようです。
大企業の場合、相当数の撃退士を抱えているので任務は比較的安全であり、また給料も高いという現実があります。
フリーランスの場合、危険は相当なものになりますが、中抜きされない分うまく立ち回れば相当な収入を得ることも可能ですし、任務について契約を交わす前なら拒否することができるという点で人気が高いといえます。
また、上位層の中には在学中に教員免許を取得し、学園に教師として残り教鞭を振るう者も多いようです。
中間層の卒業生はフリーになるか、卒業生や卒業生の関係者が経営する派遣会社に加盟する中企業に所属することが多く、この理由も安全性と給料に起因しているようです。
そして下位層については少し意外に聞こえるかもしれませんが、国家お抱えの撃退士となることが主要な就職先となっています。
これは国として撃退士文化があまりまだ根付いておらず、また厳しい予算の中であてられる資金が限られている一方、任務の難易度はTOPクラスであることも多いため、死亡率や再起不能率が高く『割に合わない』と敬遠されていることが主な原因です。
ごく稀に使命感に燃え、トップクラスの学生が国家お抱えの撃退士を志すこともありますが、あまりにもの待遇の悪さや設備の不十分さに憤慨し、大企業に転職するか独立して使命を達成すべく努力するかを志すことになりがちです。
在学中に戦うことに恐怖を覚えた人間は一線を退き、一般企業に就職することになります。
こちらの進路を選択する場合は無料になっている学費を全額返却する必要がありますが、原則自由意思で選択可能です。
また、在学中に芸能界でデビューしたり、自分で会社を立ち上げたりなど、撃退士とは直接関係のない業界に進む者も目立つようになりました。
かつて、久遠ヶ原の養成学園では軍隊顔負けの厳しい訓練が行われていました。
しかし、統制を厳しくすればするほど、アウル能力の向上が阻害される学生が増えていくという現象が見受けられるようになります。
学園がその因果関係に気付いたころ、折り悪く久遠ヶ原島にゲートが発生し、後に『大惨事』と称されるほどの大損害が生じたのです。
この一件を契機に、養成学園は方針を転換することになりました。
様々な教育施策を試行していった結果、『より自由度の高いクラスほど好成績を修める』という結論に至り、これが現在の久遠ヶ原学園の「自由に主眼を置く校風」の礎となりました。
結果を受けて始まった学園生徒会による自治の試みは、学生の能力向上に関する実績をあげることに成功しました。
そして2007年、久遠ヶ原学園は学園制度の抜本的な刷新を行ない、現在の久遠ヶ原学園が誕生したのです。
アウル能力の健全な成長を阻害しないため、久遠ヶ原学園では、大規模な作戦が発動した際であっても生徒主導を第一としています。
したがって、生徒達への作戦指揮は生徒達自身の手で行われることになりますが、文字通り大規模な集団であることから、やはり取りまとめ役というものは必要になってきます。
そんな時に活躍するのが、生徒会執行部です。
とはいえ最も優先されるべきは生徒個人個人の自由である、との考えも根強く、執行部は原則、大まかな配置と作戦の大枠を示すだけに留まっています。
現場での作戦の細部は生徒達一人一人の意志に任せられると言っていいでしょう。
久遠ヶ原学園は、アジア撃退士養成機構の傘下にある独立した組織、一方、撃退庁は日本国の国家公安委員会隷下の組織です。
この二つの組織においては、指揮系統上『上下関係は無い』とされています。どちらかが必ず主体に置かれる、というような取り決めはありません。
そのため、久遠ヶ原学園が撃退庁の作戦に協力する事もありますし、撃退庁が久遠ヶ原学園の作戦に協力する事もあります。
学園に身を置くことで遭遇する大規模戦闘では、久遠ヶ原学園が主導している場合も多くあります。
ですから、撃退庁部隊や企業部隊が学園に協力することはありますが、現場の統括は久遠ヶ原学園の生徒会執行部に任されることも多いのです。