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サンプル(時代物・ちょこっとアクション)

 ひやりとした風が頬をかすめていった。
「…………」
 乾燥した風に、ぺろりと唇を湿らせる。腰の刀をすらりと抜き放って、俺は正眼に構えた。ぴりりとした緊張感が全身を駆け抜けて、意図せずニヤリと口角が上がる。
 こういう緊張感は、心地良くて好きだ――。
 不謹慎ながらにそう思い、同時に小さく身震いをした。
 目の前の獲物を真っ直ぐに見据える。そいつはゆらゆらと、まるで俺を挑発するかのように体を揺らしていた。
「……ッ!」
 ゆらり。
 相手が一際大きく揺れたその瞬間、俺はひゅっ、と息を吐いた。間髪入れずに左足を踏み出し、逆袈裟に斬り上げる。
 しかし手応えはなかった。
 俺の一撃はそいつの体をかすっただけで、再びゆらりと距離を取られてしまう。内心舌打ちをして、俺も一歩後ろに距離を取った。改めて正眼に構えなおす。
 ゆらり。
 その時、大きく体を揺らし、今度は向こうから俺に攻撃を仕掛けてきた。
「えいや!」
 上等だ。
 気迫と共に突きを繰り出して迎え撃つ。ぐずりと鈍い音が鳴った。
「っ……!」
 ところが俺は、自分でも予想だにしていなかった過ちを犯してしまった。剣先に寸分の狂いを生じさせてしまったのだ。芯からずれた攻撃は、突いたと言うよりも押しやった形になってしまった。
 しまった……!
 俺は慌てて空(くう)を見上げた。身を守る為に、刀の柄を頭上に振りかざす。
 しかし、時はもう既に遅かったらしく……。
 そいつは俺の頭上を勢いよく回転したかと思うと、風を切りながら一直線に、俺の後頭部に体当たりをかましてきたのだった。
「ッ、てぇ!」
 がつんと鈍い音が頭の中に響き渡った。思わず声を上げてうずくまる。
 途端に心地良かった緊張感が一気に消えて、妙に寒々しい空気が俺の周りにまとわりついてきた。
「……っ、ふっ……くくっ」
 痛みに耐えていると、ふいに後ろから笑い声が聞こえて、俺は眉をひそめた。
 振り返ると、いつの間にそこにいたのか、屋敷の縁側に少年が立っている。その少年は、心底おかしそうに腹を抱えて身を捩っていた。
「あっは、ははっ」
「おいコラ宗次郎、笑うんじゃねぇ!」
 いつから見られていたのだろう。
 恥ずかしいやら腹立たしいやらで、俺は側にあった小石をその少年、宗次郎に投げつけた。宗次郎は俺より九つ年下の、剣術道場の兄弟子だ。
「わっ、危ないなぁもうっ」
 宗次郎は笑うのを止めてそんな事を言いながら、しかし何ともなしに小石を避ける。一瞬真顔に戻った宗次郎に、俺はざまあ見ろとばかりに鼻を鳴らした。
 しかし、いつもの事ながら宗次郎の反応の速さと身のこなしには目を見張るものがある。見慣れている人間からすれば、本気で妬ましいとしか思えないくらいの素晴らしい反射神経だ。俺はまた別の意味でも、小さくフン、と鼻息を吐いた。
「……ふっ」
 ところが、宗次郎はせっかく真顔になったというのに、小石を拾ってぽいと庭に投げ戻すと、すぐにまた思い出したように笑い出した。
「あっははっ、駄目だ、笑い止まらないや」
「っ、笑うな!」
「だって土方さん、それは恰好悪いですよ、あはははっ」
「うるせぇよ! 恰好悪いとか言うな!」
「だって、だってそれ……。……駄目だ、あっはははは!」
「くっそー……」
 ちっとひとつ舌打ちをした。しかし宗次郎の言う通り、今はそれすら恰好が付かず。自分でもそれが解っているものだから、余計に腹が立った。威厳も何もあったものじゃない。
 刀を鞘に納め、袴の土埃を払ってずかずかと宗次郎に近付いた。バツが悪かったが、しかしいくら恰好悪くたって笑われ続けるのは我慢ならん。
「笑うのをやめやがれ」
「でも土方さん、二十歳越えてあれはないですよ……ぷっふくくく……」
 小憎らしいったらありゃしねえ。俺は心の中でもう一度舌打ちをした。
 恰好悪いと言われようが何だろうが、俺がやっていたのは剣術の稽古だ。俺は弱いわけではないが、強いわけでもない。日々の鍛錬が充分に必要な人間なのだ。
 しかし宗次郎はと言えば、人並み程度の努力はしているものの、俗に言う天賦の才というものを持っていて。俺より九つも年下のくせに、剣術の腕は俺の遥か上を行く。
「お前にゃ解らねえんだよ、このクソガキが」
「うわっ、酷い! でも土方さん、そんなの相手に稽古するくらいなら、私と稽古しましょうよ」
「るっせぇ、お前と稽古してもお前の稽古にしからならねえだろうが。格下の奴に毎度毎度本気出しやがって」
「そんな事ないですよ。格下の方に本気出したって、私の稽古にもなりませんから」
「宗次郎、手前ぇっ!」
 あまりの言い草に、俺は腕を振り上げた。宗次郎はきゃあっと妙に楽しそうな悲鳴を上げながら、脱兎の如くに走り去って行った。
「……いつか背中取ってやる。俺に殺されても文句言わせねえからなっ」
 子供相手に大人気ないとも思うのだが、俺は精一杯顔をしかめて宗次郎の背中に悪態を吐いた。同時にひゅるりと風が吹く。そんな風にまで馬鹿にされたような気分になって、俺の機嫌はさらに悪化した。
「あー、ちくしょう」
 縁側に腰を下ろし、ごろりとその身を横たえた。不貞寝してやろう。そう思いながら目を閉じる。
 しかし、風に揺られて囁き合う木の葉の音に、俺はすぐに目を開けた。今しがた稽古していた庭を横目で見やると、『獲物』はまだゆらゆらと揺れて俺を挑発している。
「……うっせぇ、しばらくお前の相手はしねえ」
 ぼそりと呟いてみるが、しかし当然そいつから返答が返ってくるわけもなく……。
 逆に、宗次郎の言う通り、いくら稽古とは言えさすがにあれは間抜けだっただろうか、なんて思えてきて、大きなため息を吐いてしまった。
「……後で片付けるか」
 あああ、と悔しまぎれに呻き声を上げて、俺はごろりと庭に背を向けた。今度こそ不貞寝を決め込んで目を閉じる。
 俺の背後では、枝に括りつけられた『へのへのもへじ』の丸太が、ひたすらゆらゆらと揺れ続けていた。


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