●リプレイ本文
●出航
「砂袋ね」
「そうだ。あると助かるのだが」
一日目早朝。エリスがベイン・ヴァル(ea1987)を前にして腕を組む。
ベインが小石や砂を詰めた麻袋を甲板に積んで守りの場としたいと許可を願ったのである。
「一個所ならいいよ。それ以上は重さが気になるから」
ベインはエリスの折衝を受け入れる。エリスは船乗り達に命じて、袋をいくつか用意させた。
「オーステンデに着いたのなら、風の精霊にまつわる噂話や言い伝えを調査をしたいと考えています」
「わかった。きっとその時間はとれるはずさ。あたしも興味あるし」
大宗院透(ea0050)は甲板に上がってきたエリスに挨拶をする。
鐘が鳴らされてヴォワ・ラクテ号が船着き場を離れる。まずはセーヌ川を下り、河口を目指す。
「仲良くなるにはやはり、一緒においしい物を食べることだと思うのですが」
「人ならそれも一つの手だけどね。相手がウェールズのドナフォンじゃ無理かな、そういうの。オーステンデにいるイオリーナに聞いてみても、きっと同じ答えが返ってくるはず」
大真面目な大宗院鳴(ea1569)にエリスは苦笑いをする。作戦の出来は別にして、素直な性格は受け入れるエリスである。
(「お初にお目にかかります。陰陽師の宿奈芳純と申します」)
宿奈芳純(eb5475)はエリスに近づくと礼儀正しく深くお辞儀をする。だが、エリスはきょとんとしていた。それもそのはず、テレパシーで話しかけられたのである。
テレパシーは肉声と違うので相手が特定出来ない。ジャパン語は無理だが、イギリス語ならわかるとエリスは答えた。
あらためてイギリス語での挨拶が行われる。
「まいったねぇ〜。今回は仕方ないけど、テレパシーだと訝しく感じる人も多いよ。ここいらだとゲルマン語は必須だからね」
エリスはゲルマン語の修得を宿奈芳純に勧めた。
「ひとまずはわたくしが芳純さんの通訳を務めさせて頂きます。それにしてもドナフォンと争いごとにならないように収めたいですわね」
リスティア・レノン(eb9226)が通訳を引き受けると自ら名乗り出る。
宿奈芳純はエリスの前でウェールズのドナフォンについて占った。人とは確かに敵対するのだが、一概に悪とは決めつけられないらしい。
「パリも海が騒がしいようだな。ずいぶん海には慣れた。当てにしてくれていいい」
「人の世界だけじゃなくて、いろんな思惑が動いているって考えているんだけど、まだ全貌は見えないわね」
船縁に立つレイア・アローネ(eb8106)と話すエリスが海の方角へと振り返る。冷たい風は未来の不安を予感させた。
ヴォワ・ラクテ号は二日目の夕方にセーヌ河口を通過する。そこから先は海であり、厳重な警戒の元で航海が続けられた。
冒険者達も見張りに参加し、魔法や視力の良さが活かされる。
三日目の夕方、ヴォワ・ラクテ号は無事オーステンデに入港するのであった。
●調査
四日目の朝からヴォワ・ラクテ号では貨物の積み卸しが行われる。
ウェールズのドナフォンと接触するのが主な目的だが、商人がそれだけでオーステンデを訪れたりするはずもない。
大宗院透は陸へあがって言い伝えを調べた。
オーステンデ周辺の土地には精霊についての伝説が多く残っていた。とはいえ、ジニールとウェールズが戦うという今の状況と似たものはなかった。何処の土地にもあるような、精霊が人に悪戯をしたり、または助けたりと他愛もないものばかりである。
「よろしくお願いしますわ」
一人の女性が軽やかにヴォワ・ラクテ号を訪れる。ジニールのイオリーナが人に変身した姿だ。
「こっちよ。目立つのもなんだし」
エリスに連れられてイオリーナが船室へ案内された。冒険者達も同行する。
「聞きたい事がある。ドナフォンが現れる前兆はあるのだろうか? それがわかれば交渉するにしろ、戦うにしろ、準備の時間がとれるからな」
テーブルにつくとベインは早速イオリーナへの質問を始める。
「黒雲と一緒に現れるのがドナフォンの特徴ですけど、必ずではありませんわ。確実性を求めるのは難しいかと」
イオリーナは笑顔で答えた。
「ドナフォンは具体的なものを狙ったりはしていないのか? 例えば船とか?」
「さあ? 海を含むオーステンデ周辺の土地を欲しがっていますし、人を排除しようとしているのも確か。それ以上はわかりませんわ」
ベインはイオリーナにはぐらかされた気分になる。
(「やはりドナフォンは人を憎んでいるのか‥‥」)
レイアはイオリーナを見つめながら思考した。
精霊同士の縄張り争いなのは判明している。どこまで精霊同士の戦いに関与するつもりなのか、後でエリスに真意を質すつもりのレイアであった。
「何故、ドナフォンと争っているのですか‥‥」
大宗院透はまっすぐな意見をイオリーナにぶつけてみる。
「この間、説明した通りですわ。あの場にあなたもいらっしゃったと思いますけど。わたしが風の精霊としてオーステンデ周辺を治めていましたのに、ドナフォンがしゃしゃり出て来たのです――」
答えるイオリーナを大宗院透は観察した。本心でいっているようだが、すべてを包み隠さず話しているとは思えなかった。
「イオリーナはあくまでドナフォンと戦う姿勢です」
「わかりました。接触の時、お役に立つように致します」
リスティアがイオリーナと仲間の会話を通訳して宿奈芳純へ伝える。その合間に小声で互いの意見も交わされた。
話し合いは終わり、それぞれがばらばらになった。
「わたくしの信じる神は雷の精霊の様なものなので、仲良くなれますね」
大宗院鳴は甲板でカモメを見上げるイオリーナに話しかける。
「さあ、それはどうでしょうか。わたしはドナフォンのように人を憎んではいませんが、博愛の気持ちは持ち合わせていませんし。今後次第ですね」
イオリーナは首をすくめた。
「イオリーナさんは普段は何をしているのですか。やっぱり風の精霊なので、宙を漂っているのですか?」
「今は人の世界に溶け込むように努力していますわ。そうでなければ‥‥」
イオリーナは言葉の最後を濁す。
大宗院鳴とイオリーナは取り留めもないお喋りを続けるのだった。
●ドナフォン
貨物の積み卸しが終わったのは六日目の昼頃。まだパリへ戻るには早かったが、ヴォワ・ラクテ号は出航した。
すぐに戻れるようにオーステンデが見える海上を回遊する。
それならばオーステンデで待っていた方がよいという考えもあるが、被害が町に及ばないようにするには、海の上で接触するのが手っ取り早かった。
いつもその場の勢いだけと受け取られるエリスだが、思慮深い部分も持ち合わせている。
「なかなか現れないわね‥‥。あたしらがいない時にはどうだった?」
「ドナフォンは一度現れましたわ。わたしが戦って、また引き分けになりましたけど」
エリスとイオリーナの姿はマスト上の見張り台にあった。さすがに寒いようでエリスは完全防寒装備である。夏の日差しが似合うような格好のイオリーナとは対照的だ。
七日目の朝方、遠くの空に黒雲が現れてオーステンデ方面へと流れだす。
イオリーナは巨人の姿に戻ると空中を漂って待機した。
「ドナフォンです‥‥」
「ドナフォンがいますわ」
大宗院透と大宗院鳴は暗雲の隙間から殆ど同時にドナフォンを視認した。どうやらオーステンデに向かう途中のようだ。
「ドナフォンに声が届く範囲まで近づいてくれるようにいってみて。無理ならテレパシーでの仲介を頼むわ」
エリスは宿奈芳純の達人級のテレパシーでの交信を頼む。
(「初にお目にかかります。私は陰陽師の宿奈芳純と申します。恐れ入りますが何故貴方は人を憎むのか教えて頂きたいので、海に浮かんでいる帆船に近づいてもらえませんでしょうか? 無理ならこの状態でお話をお願いします」)
黒雲の染みのようなドナフォンに宿奈芳純はテレパシーで語りかける。
答えはもらえなかったものの、だんだんとドナフォンが近づいてきた。やがてヴォワ・ラクテ号の上空で静止する。
「女ジニール、いる‥‥。邪魔‥‥、我の敵」
獅子の額にある老人の口が開いて、ドナフォンが喋り始めた。
(「女ジニール、いる。邪魔、我の敵――」)
ドナフォンの言葉はゲルマン語なので、リスティアが宿奈芳純の隣で通訳を行う。
武器を外した上でドナフォンと対話すべきだと主張する冒険者もいたが、エリスは認めなかった。あまりにも危険が大きいからである。
指示があるまで攻撃はしないようにとエリスは船乗り達に予め指示を出してあった。
雷が海面に落ち、ヴォワ・ラクテ号の甲板で緊張が走る。
「もしもに備えるべきだ」
「そうね‥‥」
ベインがエリスに近づいて小声で話しかける。ゆっくりと砂袋が積まれた周辺に移動する。
レイアは口笛を吹いて鷲のラクリマを甲板に降ろさせた。天候が荒れている今、何が起こるのかわからない状況だからだ。
(「エリス、交渉の内容次第だが‥‥出来るなら‥‥」)
レイアはエリスを横目に見て心の中で呟く。この周辺の精霊に手を出さない事で収拾するのなら、そうすべきだと先程エリスに進言したレイアである。
エリスは上空のドナフォンに向かって大声で話しかけた。
「大体はそこに浮かんでいるイオリーナから聞いたわ。ただ、わからない事もたくさんあるのよ。理解し合うにせよ敵同士になるにせよ、あなたもこちらの考えを知っておいて損はないでしょう? なぜオーステンデを欲しがるの? イオリーナが治めているのが気に入らないから?」
「あの土地‥‥。精霊の土地‥‥。古い古いもっと古い、精霊の住処‥‥。必要‥‥だから取り戻す‥‥。出て行け‥‥すぐ」
「大昔、あなたらの土地だったとしても今更じゃないの? ずっとほったらかしてたんだし。それに人に完全に奪われたんじゃなくて、精霊としてはイオリーナが治めているじゃない?」
「人と協力、不要‥‥。女ジニール、甘い‥‥」
「甘い? それってあたしらとイオリーナが、こうやっているから?」
「それ違う‥‥。もっと、たくさん、人‥‥ダメ。デビル、戦う、必要‥‥」
「デビル?!」
エリスはこれまで以上の大きな声を出すとイオリーナへ振り向く。驚いたのはエリスだけでなく、冒険者も同じである。
「デビルと関係あるというの!」
「穴‥‥降ってくるデビル‥‥倒す‥‥。必要‥‥精霊の住処‥‥。人‥‥邪魔‥‥、倒す‥‥」
「待って! まだ!」
ドナフォンがさらなる上空に昇るのを見てエリスが叫んだ。イオリーナがドナフォンを追いかけるように飛翔する。
「ダメよ、イオリーナ! ドナフォンを刺激しないで!」
「危ない!」
ベインがエリスを抱きかかえると砂袋の間に伏せる。一条のライトニングサンダーボルトが砂袋を掠めた。
薄暗い中、上空ではドナフォンとイオリーナの戦いが始まる。
「これ程激しいとは! しかし!」
レイアは魔力が込められた盾で可能な限りライトニングサンダーボルトを受け、ヴォワ・ラクテ号を守る。
「これ以上戦ったら絶対に協力しないってイオリーナにいって! もし止めないんだったら、どっちもわたしの敵よ!!」
怒りにかられたエリスはゲルマン語で宿奈芳純に話しかける。
リスティアの通訳を介して宿奈芳純が理解した。テレパシーによって上空のイオリーナに伝えられる。
「感情に流されても不利になるだけです‥‥」
大宗院透は予め付与しておいた疾走の術を活用し、マスト上の見張り台まで一気に登りきる。そして風の精霊同士の戦いを見上げながら、弓矢を構えてもしもに備えた。ヴォワ・ラクテ号にこれ以上の被害が及ぶようなら戦う用意である。
「現在、船首方向右、約百五十メートル上空です」
大宗院鳴は操船する船乗りにドナフォンとイオリーナの位置を知らせる。急接近されたのならすぐに戦えるように霊剣を抜ける体勢をとり続けた。
やがてイオリーナが退き、ドナフォンはオーステンデとは別の方角へと飛び去ってゆく。
戻ってきたイオリーナは人の姿へ変身し、甲板の上に降り立つ。エリスは非常に不機嫌な表情でイオリーナへ近づいた。
二人を囲むように船乗り達の人だかりが出来る。もちろん冒険者を含めてだ。
「お話しますわ」
イオリーナによれば、地獄への道が開かれたのは精霊にとっても大変な出来事だという。
「もう少し後で話すべきだとわたしは考えていたのですわ。エリス様」
「精霊らがデビルに対抗しようとしているのはわかったわ。それでどうして、あなたとドナフォンが戦っているのよ」
「わたしは人と一緒にデビルを討つべきだと考えていますわ。お互いにとって強大な敵であるのですから。でもドナフォンは精霊のみでデビルと戦うべきだと主張してます。オーステンデ周辺の統治をわたしから奪い、人を追い払ってデビル討伐の拠点とするのがドナフォンの考えですわ」
「なるほどね。デビルに対抗する志は一緒でも、人と共闘するのかしないのかで精霊の間で揉めているのね‥‥」
吊り上げていたエリスの眉毛がだんだんと緩んで、あきれた表情に変わる。
「つまり‥‥あたしら人はドナフォンに舐められているって訳ね。お前らの力なんぞ取るに足りないものだって」
エリスは仰け反りながらけたたましく笑った。船乗り達がエリスの様子に恐れおののく。
いきなりぴたりと笑い声は止まった。無表情なエリスはまっすぐにイオリーナを見つめる。
「今度会った時、ドナフォンを倒してやるわ」
「それでは」
「勘違いしないで。死にかけまで追いつめてやらないと、あたしら人の実力を認めそうじゃないからね。一応、最後にあたしの下につくかどうかぐらいは訊ねてはやるつもり。屈服するならそれもよしよ」
「わ、わかりましたわ」
エリスが啖呵を切った所でイオリーナとの話し合いはお終いになる。しかし重い空気は漂い続けた。
「お腹が空きました。おいしいものを食べたいです」
唐突な大宗院鳴の呟きにどこからか笑いが洩れる。
「そうね。こういう時は食べて気分を盛り上げるのが一番だわ。一旦オーステンデに戻りましょう。全部あたしの奢りよ」
エリスの言葉に一同は声をあげるのだった。
●そして
一度オーステンデに戻ったヴォワ・ラクテ号は八日目の朝に再出航する。
十日目の夕方には無事パリの船着き場へと入港した。
エリスは感謝として追加の報酬を冒険者達に手渡しするのであった。