【銀糸の歌姫】水護る円盤と旅立ちの朝

■シリーズシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:やや難

成功報酬:5 G 47 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月30日〜06月05日

リプレイ公開日:2008年06月04日

●オープニング

 水霊様を鎮める儀式は終った。
 だが、数日経ってもリンデン侯爵領の雨は降り止まなかった――。

 +−+−+

「儀式は失敗‥‥だな」
 窓から外を眺めていたリンデン侯爵が、眼前に広がっている雨から目を反らし、部屋の中を振り返った。ソファに腰を掛けているエリヴィラは、思わず身体を硬くする。
「ですが父上、それは歌姫のせいというわけではないでしょう‥‥!」
 エリヴィラの向かいのソファー、そこに腰を掛けた線の細い青年――リンデン侯爵家長男セーファスが半ば腰を浮かせるようにして父親に訴えた。
「もちろん、私とて歌姫のせいではないと思っている。あの儀式はいわば民衆に対するパフォーマンス。儀式の成否はどうであれ、儀式を行うこと自体が必要だったのだ――だが」
 セーファスの隣に腰を掛けたリンデン侯爵を、エリヴィラは怯えるようにしながら見つめた。自分のせいではないと言ってくれる侯爵家の人達。だが、そうは思わない人も中には存在するだろう。
「――儀式が失敗したからと言って、この長雨と各地で起こっている水害を黙って見過ごすわけにはいかない」
 侯爵家に伝わるという、効果不明のお宝まで持ち出したのだから。
 『水鏡の円盤』――エレメンタラーオーヴと呼ばれる宝。
「私が‥‥」
 小さく口を開いたエリヴィラを、侯爵とセーファスは静かに見つめ、その言葉の続きを待った。
「‥‥私が、責任を取って、水害の原因調査に当たります‥‥。どうか、お命じ下さいませ‥‥」
 ゆっくりと、彼女は深く頭を下げた。さらり‥‥銀糸が揺れる。
 自分の歌声が精霊に届かなかった事に不満を感じているのではない。儀式の失敗が自分だけにあるとは思ってはいない。儀式に失敗した歌姫だ――そう後ろ指を刺される事が嫌なのではない。良いことではないのだろうが、誹謗中傷にはすでに慣れてしまっている。だが関わった以上、何もしないでこのままのうのうと過ごしている気分にはなれない、それがエリヴィラの真意であった。
「原因不明――この広い侯爵領の何処に原因があるのかさえわからぬだぞ? 元より原因など存在しないのかも知れないのだぞ? それでも、行くと申すか」
「‥‥‥‥はい」
 それでも、何もしないでのうのうと過ごしているよりずっといい。
 被災地域を回ることでわかることがあるかもしれないし、自分の歌声で被災した人々を癒す事が出来るかもしれない。
「よかろう。それでは歌姫エリヴィラ、そなたに水害の原因調査を命ずる。そして――これを預けよう」
 侯爵が机の上の包みを取り上げ、エリヴィラに差し出す。疑問を浮かべながらそれを受け取った彼女の腕に、程よい重みがのしかかる――と、それを包んでいた絹の布が滑り落ちた。
「これは‥‥!」
 それは『水鏡の円盤』。未知なる力を秘めた宝、エレメンタラーオーヴ。
「その円盤の真の力は私にもわからぬ。口伝で『水を操り、真実の姿を映す』と伝えられているだけだ。だが、これは調査の役に立つだろう――そんな気がするのだ」
「ですが、この様な大切な物を‥‥」
「勿論、そなたがその宝を持っていると知れば、奪おうとする者達も現れるだろう。だが、それを預けるという事は、私の信頼をも預けるという事である。――わかるな?」
 侯爵も、領内の窮状を憂えているのだ。そして、エリヴィラが少しでも現状を打破する希望の光となる事を望んでいるのだ。だから、大切な家法を預ける。
「‥‥‥わかり、ました。謹んで‥‥お預かりいたします」
 円盤を抱きしめて再び、エリヴィラは頭を下げた。
「それから‥‥そなたと共に動く仲間たちの力になるように、と用意したものがある。もっていくと良い」
 その言葉を受けて、セーファスがトレイに載せたガラス細工をいくつか差し出す。それは巷で話題の「レミエラ」というものらしかった。


●旅立ち
 今回エリヴィラが出向くのは、津波の被害に遭った街である。
 主都アイリスの南東、リンデン侯爵領の港よりやや南にあるその海辺の町は、数日前に大きな津波に襲われた。突然の事に、津波に巻き込まれ行方不明になった者もいれば、住処が水浸しになり、住む所を失った者達も大勢いる。復旧作業をしようにも、降り続く雨でそれすらままならぬ。侯爵家から救援物資や仮設住宅などの手配は行われているものの、人々の心は不安に凝り固まっている。
 そこに、数人の子供が現れるという。
 子供は、水浸しになった街の様子を見に来た者や、自棄になって仮設住宅を飛び出す者、ふと町人たちの集団から抜け出した者などの前に現れ、こう言う。

「僕のお願いを聞いてくれれば、あなたの家を元通りにしてあげるよ」

 藁にも縋りたい者は、その子供の言葉に縋る。そしてその者は、一様にやつれた状態になるのだという。
 人々の不安に付け込む手法だが、その子供が何者で、そして何をしたのかはわかっていない。

 エリヴィラはとりあえず町の被害状況を見て、そして仮設住宅に避難している人々を励まし、そして謎の子供に会ってみたいと考えている。
 その子供が、何らかのカギを握っているような気がするから――。


●依頼内容
・エリヴィラと共に津波の被害に遭った町へ行く
・町の被害状況の調査
・円盤を奪われないようにする(円盤は布に包んでエリヴィラが抱えている)
・被災者の心を癒す
・謎の子供の目的と正体を突き止める
・敵が出たら倒すなり捕縛するなりする
・侯爵に提出する被害状況の纏め、救援物資の依頼書を制作する

 津波はおさまったとは限りません。町の調査中に津波が起こる可能性もあります。
 水泳スキルの有無以前に「泳げるか」「泳げないか」だけは一応申告願います。

●今回の参加者

 ea1842 アマツ・オオトリ(31歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3446 久遠院 透夜(35歳・♀・鎧騎士・人間・ジャパン)
 eb9949 導 蛍石(29歳・♂・陰陽師・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ec0844 雀尾 煉淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 ec1370 フィーノ・ホークアイ(31歳・♀・ウィザード・エルフ・メイの国)
 ec4427 土御門 焔(38歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

●やまぬもの
 その日もリンデン侯爵領は、雨だった――。


●集いし力
 エリヴィラと共に津波の被災地へ赴くべく集まった冒険者達は、侯爵の用意した馬車にそれぞれ荷物を積み込み、出立の準備を始めていた。
「エリヴィラ、あたしの事覚えてる?」
 たいした荷物もないのだろう、ただ円盤の入った包みを両手で抱えて冒険者達の準備を見守っていたエリヴィラは、声を掛けられてその顔を上げた。目の前で揺れるのは、フォーリィ・クライト(eb0754)の鮮やかな赤いツインテール。
「ええと‥‥確か、山賊に連れて行かれたときに助けてくださった‥‥?」
「そうそう、あの時は殆ど会話することかなかったし。というか、ごめんね、気絶させちゃって」
「あの時は――助かりました。恐らく同族のあなたでなければ、あの時私の狂化に素早く対応する事など出来なかったでしょうから‥‥感謝しています」
 ふと、以前の事件の事を思い出す。あの時エリヴィラを救出に行ったフォーリィは、狂化中であり自分に向かってくるエリヴィラを、機転を利かせて上手く気絶させ、救ったのだ――そう、救ったのだ。あの時室内に入ってきたのが彼女でなかったら――狂化に気づくのが遅れて一瞬、武器を引くのが遅れていたら、狂化していたエリヴィラは死に場所を求めるが故にその剣に自らの身体を突き刺していたかもしれない。
「あたしは同族とかは気にしないタイプだけれど、あらためてよろしくね?」
「はい、又こうしてお会いできて嬉しいです。こちらこそ‥‥宜しくお願いいたします」
 笑みを浮かべられない代わりに、エリヴィラはフォーリィに対して深く深く頭を下げた。


「歌姫よ、少しばかり二人で話をしたいのだが、よいか?」
「‥‥はい?」
 馬車に支度をしにいくフォーリィを見送った彼女に声をかけたのは、アマツ・オオトリ(ea1842)だった。
「構いませんけれど‥‥それでは一旦屋敷の中へ入れていただきましょう」
「ああ」
 馬車の側である裏口では他の仲間の目がある、それを気にして裏口から侯爵邸へと入り行くエリヴィラについて行こうとしたアマツは、視線を感じて振り返った。その視線の主は心配そうな、落ち着かないような、まるでエリヴィラの姿が自分の視界から消えるのが不安であるかのような顔をしたキース・レッド(ea3475)。彼と目が合ったアマツは、視線で彼に言葉を投げかける。
「(ええい、落ち着かぬか英国紳士。悪いようにはせぬ)」
 それでも落ち着かぬ様子のキースの視線を斬り捨てて、アマツはエリヴィラの後を追った。
「どうかしましたか‥‥?」
 遅れてきた彼女を心配したエリヴィラに「いや、なんでもない」と答え、アマツは壁に寄りかかるようにして腕を組んだ。
「あ奴の好意に応えるか否か、それをそなたに強いはせぬ。だが歌姫よ。あ奴が生まれを問わず、そなたを一人の女として好いておるのは紛れもない事実」
「‥‥‥申し訳ありません、話が‥‥見えないのですが?」
 アマツの言葉に不思議そうに首をかしげるエリヴィラ。思わずアマツは口を閉ざし、彼女の顔をじーっと見つめる。
「よもや気づいておらぬわけでは有るまい?」
「なにを、でしょうか?」
「‥‥‥‥」
 間。
「ふっ、英国紳士よ、歌姫は中々に手ごわいぞ」
 思わず笑いを零して一人ごちたアマツを、エリヴィラはやはり不思議そうに首を傾げて見ている。
「私の口からみなまで言うのはどうかと思う故、気がついておらぬのならばそれでも良い。まだまだお互いに時間が必要なのだろう。ただ、そなたを一人の女として好いている者がいるということだけは覚えておくがいい」
「私、なんかを‥‥?」
 驚愕に見開かれる目。それをアマツは微笑ましく見守る。
「『なんか』とは聞き捨てならない。そういう物言いは、そなたを好いている者達全てを侮辱する事になるぞ?」
「あ、申し訳ありません‥‥」
「それほど自らを卑下する事はあるまい。――私は‥‥己が弱さ故、あの方との絆を喪ってしまった。だからこれだけは言っておくぞ」
 エリヴィラを見つめるアマツの瞳は真摯で。心から彼女を思う、姉の様な瞳にも見えて――。
「後悔だけは、せぬようにな」
 その言葉は、エリヴィラの胸に深く突き刺さった。


●出立
 雨の中、馬車は一同を乗せてリンデン侯爵領を南下する。目的の海辺の町はそう遠くないとの事だった。御者は乗馬の腕の良いフォーリィが務めているため、悪路でもそうそう時間は掛からぬだろう。
「‥‥侯爵様から、共に旅する者達に渡すようにと、これを預かってきました」
 エリヴィラが出したのは円盤と共に預かったもう1つのもの、ガラス製のそれは合成用のレミエラだという。
「私には‥‥どれが皆さんのお役に立つかわからないので‥‥直感でお配りいたします」
 エリヴィラは人が多いためそう広くはない馬車の中を、仲間一人一人にレミエラを手渡して回る。と、その時車輪が石に乗り上げたのか、がくん、と車体が大きく揺れた。
「きゃっ!」
「危ないっ」
 バランスを崩したエリヴィラを支えたのはキースだった。いつも彼女を見ているから――彼女を護ろうと思っているから、咄嗟の行動にその思いがにじみ出ている。
「‥‥あ、ありがとうございます」
「いや‥‥」
 広くはない車内、支えるとなると否応無しに密着することになる。彼女の柔らかい身体の感触と、髪から漂う甘い香りがキースの心を揺さぶる。衝動のままに、このまま彼女を抱きしめてしまいそうな――。
「(彼女はまだ僕の気持ちに気がついていない様だが‥‥それとも、僕の気持ちに気がついているのだろうか?)」
 彼に礼を言って離れ、他の者にレミエラを配るその姿を見つめながらキースは一人、思い悩むのであった。


「よろしければこちらを」
 セブンリーグブーツで馬車の外を移動する雀尾煉淡(ec0844)から羊皮紙を差し出され、エリヴィラは頷いてそれを受け取る。いつも素晴らしい詩を作ってくれる彼に、彼女はとても感謝をしていた。まずはさっと目を通し、馬車に随伴する彼に声をかける。
「‥‥とても素晴らしい詩だと思います。‥‥精一杯、歌わせていただきますね」
「はい、歌を楽しみにしています。旋律は久遠院さん、お願いできますか?」
「ああ、勿論だとも」
 エリヴィラの隣から顔を出した久遠院透夜(eb3446)は手元に竪琴を引き寄せ、ぽろん、と軽く爪弾く。それから暫く、馬車の中では煉淡作の詩に合わせた曲作りが続いた。雨の音に混じって竪琴の音と、練習をするエリヴィラの澄んだ声が響く。
 出来上がった旋律は歌詞とエリヴィラの透明感のある歌声に良く合い、尚且つ歌いやすいものだった。
「ところでエリヴィラ、泳いだ事がないと聞いたけれど」
「あ、はい‥‥。祖国では寒中水泳というのもあったのですが、私は経験がなく‥‥」
「それじゃあ水害が落ち着いて、暑くなったら一緒に泳ぎに行こう。私も多少泳げる程度だけど」
 透夜の申し出に、エリヴィラは驚いたような表情を見せた後、こくり、と頷く。
「メイは暑い土地だからね。暑い土地には土地なりの過ごし方があるのだから」
 優しく微笑む透夜。彼女の笑顔を見つめたエリヴィラは、その笑顔の美しさにしばし見惚れて。そして少しばかりの羨望を抱いて。
「ただ、エリヴィラは自罰的で溜め込むところがあるから少し不安。嫌な事や辛い事があれば遠慮しなくて良いんだよ? それがたとえ私の言うことでも」
「‥‥大丈夫、です。今の状況は、嫌でも‥‥辛くも、ありません」
「ほら、そうやって強がる」
 彼女の心中はわからない。だが僅かに伏せられたその瞳が、我慢しているように見えて透夜はエリヴィラの頭を軽く小突く。
「そんなことで嫌いになったりしないから」
 彼女のその言葉で、トクン、とエリヴィラの心臓が跳ねた。嬉しいのだ、と感じる。だが、それを表情に表すことが出来ないもどかしさを、少しばかり感じ始めている。それはこの世界に訪れてから、笑えなくなってから、一度も感じた事のなかった感情で。
 冒険者達との接触で、確実にエリヴィラの心に変化が生まれつつあった。


 もうすぐ到着すると思う、とのフォーリィからの報告を受けて、それまで開いていたスクロールをしまって土御門焔(ec4427)が口を開いた。彼女はフォーノリッヂのスクロールを使用し、少しだけ未来を垣間見ていた。
「まずはエリヴィラさん、注意をしてください。その‥‥避難民の方々から酷い仕打ちが見えました。酷く非難されたりという」
「‥‥‥わかりました」
 焔の言葉にエリヴィラは顔色を変えない。彼女としては「慣れていること」なのだろう。だが慣れているからされるがままに、というわけにはいかない。
「エリヴィラは私達が護るよ」
「そうですね、その未来の通りにならないように努力しましょう」
 透夜と煉淡が力強く意気込む。
 フォーノリッヂは「何も努力しなかった場合の未来」が見える魔法。ならばその未来を変えるために努力すればいいのだ。
「そして今回赴く街ですが‥‥小規模ですが、小さな津波が見えました。街に被害調査に行く方は気をつけてください」
 続けた焔の言葉に、街へと赴く者達が頷く。元より津波には十分注意をするつもりだった。
「出来る限り上空から津波を警戒します」
 ペガサスを同伴してきた導蛍石(eb9949)が愛馬を見、頷いて見せた。
「最後にその町にいるカオスの魔物ですが‥‥こちらは見えませんでした」
 フォーノリッヂは初級では1単語しか指定できない。1単語ではその町にいるカオスの魔物、は特定できなかったのだ。
「それは仕方があるまい。見えれば運が良い、位のものじゃろう。ところでこちらも変われば僥倖、位に思っておったのじゃが」
 口を開いたフィーノ・ホークアイ(ec1370)が馬車の外の空を指す。空からは相変わらず雨の雫が降り続いていた。
「無茶は承知だったが、出発前にレインコントロールで天候を戻せないか試みてみた。やらぬよりはと思っての」
 だが、天候は全く変わらず――。
「これがまだ時間が足りないので天気が変わっておらぬのか、それとも他の要因で効果がなかったのかはまだわからぬ。とりあえず報告しておくの」
 フィーノの言葉が終った時、馬車がガタリと揺れて停車した。漸く目的の避難所へと到着したようだ。


●調査と、慰問と
 避難所は町から少し離れた高台に作られており、おかしいくらいの大津波が来なければ再び津波に巻き込まれる心配はなさそうだった。一行はここで避難民を慰問する者達と、町の調査へ向かう者達とに別れる。
 一行の中でどの者達よりも早く町の調査へと向かったのは、アマツとキースだ。スタスタと素早く町へと向かう‥‥向かう、のだが――
「‥‥ええい、避難場所を名残惜しそうに振り向くではないわ!」
 いつまでも後ろを振り返っているキースにアマツの檄が飛ぶ。
「大方フォーノリッジの結果が気になっておるのだろうが、歌姫の側には心強い味方がおるだろう。第一歌姫といい貴様といい、互いの胸の内を明かしあってはおらぬであろう」
「仲間を信頼していないわけではない。ただ、リンデン家より信頼されているとはいえ失敗が重なれば、容赦なくエリィに責任を負わせて切り捨ててくるだろう。だからどうすれば彼女の立場を守れるか、それを考えていてね」
「それこそこの調査を無事に終わらせることが今は第一だろうが」
 溜息を漏らすアマツに、それは判っていると返したキースは、もう振り向くのをやめる。今は依頼が優先だ。彼女を心配する心があるとはいえ、それは十分わかっている。
「しかし‥‥思っていた以上に酷い有様だな」
 潮の香りが強く残るその町は、海辺に近い建物ほど酷く破損していた。海辺側の木造の建物は、物によっては柱すら倒れ、木材の山と化している。石造りの建物は倒壊は免れていたものの、木戸などは壊れ、そこから海水が入り込み建物内部を濡らしていた。そして長引く雨が乾燥を許さず、室内からはなんとも言いがたい匂いが漂ってくる。このまま放置しておけばカビが生えるどころか疫病の発生源となるやもしれない。
「英国紳士、気をつけられよ」
「大丈夫だ」
 クライミングブーツで木材の山を踏みしめて昇るキースをアマツは海を背にして見上げる。
「倒壊してしまった建物の内装品も殆ど海水と雨で湿っているな。木材をどかしても、使い物にはならない――アマツ君、何かに掴まれ!」
 顔を上げてアマツの――海の方向を見たキースの叫び。アマツは素早くその叫びの意味を察知し、近くの石造りの壁へと掴まる。次いでキースも木材の山から飛び降り、手近なものへとしがみつく。
 そんな二人を襲ったのは津波。
 息を止め、波に流されまいと必死に踏ん張る。
 だがその津波は幸いにも小さく、軽装でいたことも幸いしてか二人をしとどに濡らすだけに留まった。
「無事か」
「濡れている以外は無事だな」
 さわさわと海水が引いていく。雨とは違う種類の水に濡れた二人は、ふぅと溜息を漏らして濡れた髪を掻き揚げた――と、
「お兄ちゃんお姉ちゃん、びしょぬれだね。僕のお願い聞いてくれたら、洋服も乾かして上げられるしおうちも直してあげるよ」
「「!?」」
 場に似合わぬ明るい声に二人が振り返ると、そこにはニヤリと笑みを浮かべた子供が立っていた。


「お待たせしました、フィーノさん」
「どうじゃった?」
 避難民達をリカバーとメンタルリカバーで癒しつつ、謎の子供の被害に合った人達に会って来た蛍石を、腕を組みながらフィーノは出迎える。
「ダメでした。治療魔法やレジストデビルも効果がないようです」
「ということは」
 蛍石の伴ってきたペガサスの後ろに跨ったフィーノの言葉を、蛍石は引き継ぐ。
「デスハートンで白い玉を抜かれた可能性が高いです」
「ふむ、デスハートンのう‥‥」
「とりあえず上昇してディテクトアンデッドを使用してみますので、フィーノさんは町の調査をお願いします」
 そう言い、蛍石はペガサスを上昇させる。フィーノは雨の帳に負けるまいと自慢の視力を生かして町の方へと目をやった。町の側に小さな林があるのがまず目に付く。
「のう、蛍石。あの林の辺りに子供の集団が見えるのだが」
「! 近づいてみます。ディテクトアンデッドの探査範囲に入るまで」
 フィーノの指した方角へとペガサスを飛ばしながら蛍石はディテクトアンデッドの詠唱を始める。この魔法の探査範囲は15m。かなり近づかなければならない。もしかしたら相手に気がつかれるかもしれないが、致し方あるまい。
「どうじゃ」
 既に相手の数を肉眼で捉えることの出来る距離まで近づいていた。フィーノが低い声で問う。
「反応があります。カオスの魔物のようですね」
 蛍石は厳しい顔をしつつ、フィーノと同じ様に数メートル下の子供達を見やる。
 と、子供達が一斉にニヤリと笑みを浮かべた。


「リンデン侯爵家より被害状況の調査と、リンデン幻想楽団より皆さんの心を少しでも癒すための音楽をお届けに来ました」
 避難民達の一角。煉淡が名乗りを上げると、突然の来客に何事かとざわついていた人々のざわめきが更に激しくなる。
「エリヴィラ、メロディーを‥‥」

 バシャッ

 隣に立つエリヴィラに透夜が声をかけたその瞬間、一同の背後で激しい水音がした。振り返ると、空の桶を手にした青年が、怒りの形相でエリヴィラを見つめている。
「エリヴィラさん、大丈夫ですか!?」
 煉淡が慌ててエリヴィラに声をかける。彼女の背中は、泥水で濡らされていた。先ほどの水音は、青年が彼女に泥水をかけた音だったのだ。
「俺は知っているぞ! この歌姫が儀式を失敗させたんだ。精霊に歌声なんか届けられないくせに!」
「何を!」
 その言い草に、透夜が怒りの表情を浮かべる。だが青年は怯まなかった。
「きっとこの歌姫が精霊を操って雨を降らせているんだ! 津波だってこの女のせいなんだ!」
 青年は相当いらついているのか、露骨にエリヴィラを指差して言い捨てる。だが対するエリヴィラは無表情のままで――この様な仕打ちにも、罵倒にも慣れてしまっているからして。
「あんた、イライラのはけ口にエリヴィラに当たるんじゃないわよ! 自分の言っていることが矛盾しているのが判らないでただ八つ当たっているだけでしょうが!」
「なにぃ!?」
 フォーリィがエリヴィラと青年の間に立ちふさがり、両腕を腰に当てて負けじと男に食って掛かる。
「第一『精霊に歌声が届けられない』ならどうやって精霊を操るっていうの。あんたの言ってる事は、矛盾しているのよ」
「う‥‥」
 フォーリィの指摘にたじろぐ青年。反論の言葉も出ない。
「確かに儀式は上手くいきませんでした。ですが彼女の歌声は素晴らしいです。判断を下すなら、実際に聞いてみてからにしてください」
 焔の強い意思の籠った言葉。実際に聴いたこともないくせに、ただの八つ当たりで彼女を卑下するのは許さないと、向けられた強い瞳は語っている。
「エリヴィラ、歌える?」
 泥水を掛けられ、罵倒されたことを心配したのだろう。掛けられた透夜の言葉にエリヴィラは頷く。
「わかった。‥‥例え天の雨は止まなくとも、心の雨雲を祓って光射し、人々にぬくもりを灯すため‥‥さあ、はじめよう、希望の歌を」
 エリヴィラの肩をぽんと叩き、透夜は竪琴を爪弾き始める。
 エリヴィラは小さな声でメロディーの詠唱を開始し、印を結ぶ。
 彼女の身体が銀色の光に包まれる――希望の歌が、始まる。

『眩い光が大地を満たしますように
 瑞々しき朝の訪れを祈るように
 長く淀んだ悲しみを癒すように』

 胸元で腕を組み、祈るようにしながら紡がれる旋律に、避難民達が息を呑むのがわかる。場の空気が変わる。

『この声に贖罪と希望を託し
 私は歌い願う
 その心溢るるままに』

 焔は民達が落ち着き始めたのを確認し、民達の一人一人から話を聞いて回り始めた。相手の言い分を否定しないように粘り強く、少しでも民達の心が癒せるように、と。出てきた要望は、どんな小さなことでもスクロールに記していく。後でアプト語のできる仲間に清書してもらうつもりだ。
「何もかも不足気味ですが、最優先で必要なのは雨風を凌ぐ為のテント、劣悪な環境で発生する病への予防・治療品のようですね」
「ありがとねぇ。でも侯爵様は良い方だから、きっとすぐに送ってくださるに違いないよ」
「侯爵様は、そんなに良い方なのですか?」
 焔は礼を言って来た婦人に思わず問い返した。
 リンデン侯爵といえばこの仲間達にとってはエリヴィラを政治的に利用しているという存在に他ならない。
「ああ、もちろんさ。津波の被害にあったとわかったらすぐに取り急ぎの救援物資を送ってくださったし、雨の中、行方不明者の捜索に人員を割いても下さる。良い領主様だよ」
 だが、民達にとっては間違いなく良い領主のようで。彼女は一方向から見ているだけでは判らない一面を、知ることが出来た。


「君は、何者だ?」
「僕? さぁね」
 キースは子供に問いかけるも、くすくすと笑われて交わされてしまう。アマツはキースが子供と対話している間に、自身にオーラパワーを付与する。目の前の子供は間違いなく、避難民の前に現れるという子供だろう。となればそれは闇の者である可能性が高い。
「でさぁ、どうするの? ねぇ、僕のお願いきいてくれるの?」
「内容次第だ。君の願いとは何だ?」
「僕のお願い? それはね、ちょっとだけおにいちゃんとおねえちゃんの魂が欲しいんだ」
 口角を吊り上げてニヤリと笑う子供。その姿が、背中にコウモリの羽を生た先端が矢尻のような形をした長い尻尾を持つ醜い小鬼へと変わる。
「その願いは聞けないな。君は誰に従っている?」
 あくまで情報を引き出そうとするキースだったが、小鬼はもう彼の問いに答えようとはせず、何事かの詠唱を始めている。
「英国紳士、詠唱を止めるぞ」
 言うが早いかアマツが動いた。小鬼との距離を一気に詰め、その身体にオーラの力を宿したパリーイングダガーで斬りつける。彼女の胸元にはレミエラの紋様が浮かび上がっていた。
「仕方がない、交渉決裂だな」
 キースも鞭を取り出し、構えた。


『その足で泥土を踏みしめ
 翼は絶望に穢るるとも
 私はただ声果つるまで
 未来を信じて彼方へ謳う』


「さすがに気づかれたの」
「カオスの魔物よ、デスハートンで抜き取った白い玉は何処にやった?」
 ペガサスで上空を浮遊したまま、蛍石が問う。だが勿論答えを期待しての問いではない。答えて貰えれば運が良い、程度の考えだ。カオスの魔物が説得に応じるとも思えない。
「そんなのとっくに『過去を覗く者』様に献上しちゃったさ!」
「あははは、もっと魂を集めて、過去を覗く者様に認めてもらうんだ!」
「いや、俺が先だ!」
「俺だ!」
 子供達は――既に子供達の姿をとってはいなかった。鉛色の膚をした、醜い小鬼へと姿を変えている――否、元の姿に戻ったというべきか。
「『過去を覗く者』のう」
 フィーノはふむ、と考えるそぶりを見せる。以前からその存在が気になっていたが、どうやらそれはこの小鬼達を従えている上司的存在のようだ。
「フィーノさん、とにかく」
「そうだの、やるかの」
 内輪もめを始めた小鬼達を眼下に、二人は頷きあう。どうやらこの小鬼達はそれほど頭が良くないようで。これ以上有力な情報が引き出せるとも思えなかった。だがだからといってこのまま放置するわけには勿論いかない。
「おあつらえ向きに雨雲には事欠かぬ。さあ、始めようかの」
 フィーノの高速詠唱ヘブンリィライトニングが、小鬼の一体を直撃したのが始まりだった。


『果てなき願い歌おう
 想い重ね合い
 繋いだ手と手は幾重の花びらの様に』


 歌声と竪琴の響く避難所。
 フォーリィは先ほどエリヴィラに泥水をかけた青年が呆けたように彼女の歌に聞き入っているのを確認し、軽く頷く。一般人相手に暴力で解決したくはなかったから、これでいいのだ。
 と、町の方角で大きな雷が落ちた。思わずそちらを見やる。仲間達が交戦しているであろうことはすぐにわかった。煉淡や透夜や焔と視線を交わしあい、周辺を警戒する。
 だが町民はエリヴィラの歌とメロディーの効果で落ち着いているのか、怪しげな動きを見せる者は特に見当たらなかった。子供は避難民からはぐれ出た者を襲うという話だ。それが正しければ避難所にいる間は安全ということになる。津波の気配も今の所なかった。

『この胸の中溢るる
 光降り注げ
 祈りの種は漂う
 奇跡に芽吹きますように』


 歌が、終った。
 余韻を楽しむかのようにしぃん、と静まる民たち。雨と波の音だけが、しじまに響いている。

 パチパチパチ‥‥‥

 拍手が、上がった。それも避難所とは逆の、町の方角から。
 驚いて冒険者たちがそちらを見ると、そこには戻ってきたキースとアマツが立っていた。
 その拍手につられるようにして、民からも嵐の様な拍手が巻き起こる。何度目かの落雷を、かき消すような。

 程なくして上空を、天馬が羽ばたいているのが確認できた。フィーノと蛍石が戻ってきたのだ。
 仲間の無事を確認したエリヴィラがほっと息を吐き、そしてゆっくりと民たちに礼をした。


 後日、冒険者たちの手により作成された要望書を元に、避難民達の生活改善計画はすぐに始められたという。